京都市の大徳寺塔頭のひとつ芳春院。
慶長13年、玉室宗珀を開基として前田利家の正室まつが建立した。芳春院はまつの法名で大徳寺と能登の総持寺祖院に塔頭がある。
門をくぐれば中は撮影禁止だったので写真はないが、地元ゆかりの地として一度来てみたかった。京の四閣と呼ばれる呑湖閣、これでようやくすべて見たことになった。いつだったかの特別公開で墓地にある芳春院御霊屋が公開されていたことがあったが、今回は非公開。本当はそれが見てみたかった。
大徳寺芳春院
京都府京都市北区紫野大徳寺町55
京都市の大徳寺塔頭のひとつ芳春院。
慶長13年、玉室宗珀を開基として前田利家の正室まつが建立した。芳春院はまつの法名で大徳寺と能登の総持寺祖院に塔頭がある。
門をくぐれば中は撮影禁止だったので写真はないが、地元ゆかりの地として一度来てみたかった。京の四閣と呼ばれる呑湖閣、これでようやくすべて見たことになった。いつだったかの特別公開で墓地にある芳春院御霊屋が公開されていたことがあったが、今回は非公開。本当はそれが見てみたかった。
大徳寺芳春院
京都府京都市北区紫野大徳寺町55
京都市の大徳寺塔頭のひとつ三玄院。
天正17年、浅野幸長、石田三成、森忠政の三部将が春屋宗園和尚を開祖に創建した。
門をくぐれば中は撮影禁止なので写真がないが、方丈庭園、竜虎の襖絵を解説聞きながら見てきた。
墓地には石田三成の墓もあるようだが今回は非公開で見られなかった。
大徳寺三玄院
京都府京都市北区紫野大徳寺町76
京都市の大徳寺塔頭のひとつ総見院。
天正11年に豊臣秀吉が主君織田信長の菩提を弔うため、古渓宗陳和尚を開祖として建立した。
非公開文化財特別公開で信長の肖像画が初公開されるということで見てきた。
本堂の中は撮影禁止なので前庭を撮影
本堂背後の茶室前の回廊に何かを置くような不思議な木組みを見つけた。
本堂に安置される織田信長坐像は明治の廃仏毀釈を避けるため大徳寺本坊へ一時移されていた。昭和36年380年忌にようやく総見院に戻されることになり、その際に坐像を載せた輿がこれということだった。
総見院墓地には信長父子の墓が並ぶ。
大徳寺総見院
京都府京都市北区紫野大徳寺町59