加賀二の宮 小濱神社

小濱神社

小濱神社は、加賀国二宮加賀郷総鎮守であり、創建は不明なれど養老2(718)年小濱磯崎から黒津舟に転遷、以後五郎島(天保3(1832)年)を経て、明治22(1889)年現在地に転遷される。御祭神は大己貴神、事代主神、少彦名神である。

天正12(1584)年の末森合戦のとき、前田利家が小濱神社で必勝祈願した話は有名。ただし、その時代は黒津舟にあった時代で、その比定地は現在海の中である。

小濱神社

拝殿正面の参道の鳥居は四足門となっている。

小濱神社

鳥居を入って右側に立つ巨木がご神木。

小濱神社

社号標側面には「延喜式内」と書かれている。

小濱神社

拝殿でお参りを済ませる。

小濱神社

藩政期は利家戦勝より前田家の崇敬、庇護厚く、拝殿にはそこかしこに梅鉢紋が付けられている。

小濱神社

拝殿の蛙又にも。

小濱神社

拝殿正面の開き戸にも。

小濱神社

参道沿いに6本立つ灯籠のうち、拝殿にもっとも近い灯籠は、「寛永」の年号が残る。
(薄くなって年号までは読めない)

小濱神社

本殿の神域に入る戸にも梅鉢紋が付いている。

小濱神社

境内地には攝末社として磯崎神社が建てられている。創建の地、小濱磯崎の名を冠する神社である。

小濱神社

鳥居は側面の道路沿いにも設置されている。こちらのほうが新しい。

小濱神社

手水舎には龍神様。

小濱神社

境内の忠魂碑の前には武者騎馬の石造が建てられている。

小濱神社

最後に横にある社務所兼自宅で御朱印をお願いしました。氏子神社も多いため、日によっては御朱印いただけないこともあるようですが、今日は運良くいただけました。

小濱神社

由緒書は拝殿のご賽銭箱のところに置かれている。

〒920-0266
石川県河北郡内灘町大根布三丁目157
TEL.076-286-0012

加賀一の宮 白山比咩神社

白山比咩神社

白山比咩神社は、霊峰白山を神体山とする白山比咩大神を奉斎したのが始まり。「下白山」と称せられた白山本宮は、霊峰白山の「まつりのにわ」として、金劔宮、三宮、岩本宮と並ぶ白山四宮のひとつである。現在は「白山さん」として親しまれる加賀一宮、白山登山道のひとつ、加賀馬場の神宮寺である。創建は崇神天皇7(紀元前91)年、火災などで境内地が変わり、現在は三宮のあった地に鎮座する。

御祭神は、伊弉諾神、白山比咩大神、伊弉冉神である。白山比咩大神は、菊理媛神とも呼ばれ、縁結びの神として古くより親しまれている。

白山比咩神社

車で行く場合は北参道が便利だ。この赤い大鳥居を目印にする。

白山比咩神社

車を駐車場に停め、北参道に建つ鳥居。

白山比咩神社

北参道の鳥居の横には明治時代の社号標が立っている。

白山比咩神社

境内に入る前に表参道を下って、表参道を上る。表参道入口の大鳥居。

白山比咩神社

大鳥居の横に立つ社号標は、東郷平八郎の謹書による。

白山比咩神社

杉や欅、楓など大木が参道脇に立ち並び、厳かな雰囲気の中、参道を上る。

白山比咩神社

途中、琵琶滝という水の流れが見える。このところの好天で水は少なめ。

白山比咩神社

参道の中間に手水舎があり、そこに鳥居が立つ。手前にはご神木の老杉が立っている。

白山比咩神社

表参道最後の鳥居をくぐると神門が見える。

白山比咩神社

神門前には攝末社の荒御前神社が建つ。南参道には住吉社が建っている。

白山比咩神社

神門には神馬舎が付属している。

白山比咩神社

神門をくぐると目前に拝殿が見える。

白山比咩神社

拝殿左前にご神木の三本杉が立つ。昭和天皇がお手まきされた杉の種を植樹したものです。

白山比咩神社

境内には白山奥社遙拝所がある。

白山比咩神社

お参りの後、社務所で御朱印をいただきました。巫女さんが書いてくれるのですが、もう少し勢いある字を書いて欲しいと思うのは自分だけか。

由緒の書かれたパンフレットを頂き、略史を購入してきました。

白山比咩神社

北参道、神社庭園である白光苑の前に名水、白山霊水が水を湛えている。

白山比咩神社

神社庭園は無料で入れる。苔むした庭園地が広がっている。

白山比咩神社

池の向こう岸に旧宝物館がまだ残っている。今日はここまで。

白山比咩神社

移動して、舟岡山城跡を上っていくと「白山比咩神社創祀之地」という場所がある。ここが崇神天皇7年に初めて白山本宮が建てられた場所と伝わる。

白山比咩神社ホームページ

〒920-2114
石川県白山市三宮町
TEL.076-272-0680

加賀鶴来 金劔宮

金劔宮

金劔宮(きんけんぐう)は、崇神天皇3(紀元前95)年の創建。「劔の宮」、「金劔神社」、「金劔神宮」、「金劔明神」、「劔明神」と時期により呼び方は異なるが、「鶴来」は元は「劔」(または「剣」)と記されたため、地名が神社名となっている。平成17(2005)年鎮座2100年祭が執行される。

「白山記」、「源平盛衰記」などによると、白山七社のひとつで、白山本宮、三宮、岩本宮とともに本宮四社とされ、白山第一王子と称されたことから御朱印にもその印が押される。

御祭神は、天津彦彦穂瓊瓊杵尊、大国主命、事代主尊、猿田彦命、日本武尊、大山咋命、菅原道真公である。

金劔宮

鳥居横境内を囲むように巨木が林立するが、本殿背後の社叢(入らずの森)は「ウラジロガシ」の残る県内唯一の自然林である。

金劔宮

駐車場入口に立つ神社名標の文字は明治神宮宮司の筆による。

金劔宮

拝殿横にも大きな杉の木が立つ。

金劔宮

拝殿に架かる金劔宮の扁額。

金劔宮

狛犬は拝殿前にも対に護っているが、拝殿横にまわると、本殿前にも古い風変わりな狛犬が対で護っている。とても古そうだ。

金劔宮

社務所の授与所で御朱印を頂いた。とても勢いのある字で書いていただける。

金劔宮

授与所に由緒書が置いてあるので忘れずいただく。

金劔宮

社務所で御朱印を待っている間、飾られていた写真を見た。

そのひとつが、「見猿」「言わ猿」「聞か猿」の三猿のひとつ「聞か猿」に見える幹跡。拝殿左の杉の木で、二年前の写真だったので今はちょっと見えなくなってきたみたい。

金劔宮

もうひとつが、招魂社前手水舎右の杉の木。龍神様です。こちらは写真角度によって今でも龍神様に見えます。
ほら!見えるでしょ。

金劔宮

金劔宮境内には多くの攝末社が建っている。「金運神社」として知られる「乙剣社」。

金劔宮

「金比羅社」

金劔宮

「丈六宮」

金劔宮

「粟島神社」

金劔宮

「えびす社」の前には、天平時代から枯れることのない「天の真名井池」がある。

金劔宮

「招魂社」

金劔宮

「招魂社」の社名標は、林銑十郎元総理大臣の書によるもの。

金劔宮

拝殿前には能舞台がある。源義経が奥州に向かう途中に参詣し、神楽を奉納したと伝えられるが、

金劔宮

石川県は加賀藩の庇護下で能がさかんになった。松の絵なのでやはり能舞台。

金劔宮

拝殿前の手水舎近くに、「義経腰掛石」が残っている。他に「牛石(天忍石)」、「亀石」が残る。

10月の秋季祭で奉納される「ほうらい祭り」は白山市指定無形民俗文化財。

金劔宮
石川県白山市鶴来日詰町巳118

越後上越 春日山神社

春日山神社

春日山城跡に建つ春日山神社の御祭神は上杉謙信公である。童話作家の小川未明の父、澄晴が昔のままに謙信公にお住まい願おうと建立した。併せて、菅原道真公と岩屋大黒天を祀っている。

春日山神社

参道は駐車場から長い階段を上って続く。もうひとつは謙信公銅像前からの平坦路。

春日山神社

階段前の「大義名分」「公明正大」の2本の碑は地元の陸軍大将から送られたようだ。軍神と慕われた謙信公らしい。

春日山神社

階段を上ると境内が広がる。休日の境内は賑わっている。

春日山神社

鳥居横に立つ社号標の揮毫は東郷平八郎氏によるもの。

春日山神社

拝殿は本殿とともに明治34年に建てられた。

春日山神社

境内の社務所は小川未明の実家を移築したものである。

春日山神社

末攝社として境内奥に稲荷神社が建てられている。

春日山神社

春日山城のシンボルとして観光用パンフレットにも載っている「上杉謙信公銅像」

春日山神社

謙信公が臨むのは、武田信玄と争った川中島の地か?

春日山神社

鳥居横の売店で御朱印を頂ける。といっても、あらかじめ書かれた御朱印に日付を入れてくれるだけだけど。

春日山神社

日曜日は定期的に上杉おもてなし武将隊が境内で演武を披露してくれる。

春日山神社

最後には記念撮影会も開かれて、子供たちは大はしゃぎでした。

上越市大豆1743
TEL.025-525-4614

越後高田 榊神社

榊神社

榊神社は明治4年廃藩置県が行われた高田藩の有志が藩祖榊原康政公をまつる神社設立をめざして領内から募金をつのり、明治9年建立された。神器として康政公の鎧、冑、刀剣類等を保存している。御祭神は、榊原康政公、三代忠次公、十一代政令公、十四代政敬公である。

榊神社

榊神社は高田城大手橋からほど近くでした。

榊神社

境内はそれほど広くはないものの鳥居は2つある。

榊神社

境内には「雙輪館」という建物が建っている。おそらく宝物館けど、いつなら中に入れるのか?

榊神社

拝殿正面の鳥居。

榊神社

拝殿はそこそこ立派ですね。

榊神社

拝殿にかかる扁額は「正二位伯爵○高行謹○」と書かれているが、誰なのかわかりません。

榊神社

拝殿に併設されて舞台が建てられ、「舞楽殿」という扁額が架かっている。石川出身だとこういう舞台は能舞台だと思ってしまうけど、確認したら神楽だということでした。5月13・14日の例祭で披露されるそうだ。

榊神社

御朱印があるかどうか確認のため社務所へ。残念ながら御朱印は用意されていませんでした。旧高田市では一番大きな神社のように思ったんだけど・・・

榊神社

社務所前の手水鉢の龍神様はいかにも勇ましい感じだった。

榊神社 財団法人旧高田藩和親会ホームページ

上越市大手町4-12
TEL.025-523-5276

越後一の宮 居多神社

居多神社

居多神社は、越後一宮であり、越後国司や守護上杉家、上杉謙信の厚い保護を受けた。承元元年(1207)、親鸞聖人が越後国府に配流となり、居多ケ浜に上陸すると居多神社にまず参拝したと伝えられている。

居多神社

神社前駐車場に車を停め、神社に入る。

居多神社

鳥居前に越後七不思議のひとつ「片葉の葦」が群生している。神社に参拝した親鸞聖人が念仏が盛んになるように祈願すると、一夜にして境内の葦が片葉になったと伝わる。

居多神社

本当に片葉なのか?と見てみると、そうは見えないもののあったが確かにこれなんかは片葉だった。

居多神社

階段を登り鳥居をくぐって境内に入る。

居多神社

拝殿は立替えされきれいになっている。

居多神社

拝殿にかかる扁額は「居多神社」ではなく、「居多大明神」となっている。

居多神社

拝殿の右側に古い石造りの祠が2つ建っている。末摂社の稲荷神社。狐はいるけど赤い鳥居がないので少し違和感がある。

居多神社

そして末摂社の雁田神社。子宝・安産の神様です。

居多神社

拝殿にお札は置いてあったものの御朱印が見当たらなかったので、境内にあったご自宅らしき家に向かった。

居多神社

表札はなかったものの玄関口に御朱印が置かれていました。少し眺めていると奥から神主さんが出て来られました。休日の朝早かったのでご在宅だったようで、御朱印が欲しい旨を申し出ると直筆で書いて頂けました。おそらくは上杉謙信や直江兼続など歴史著書も多い花ケ前盛明さんだったのだと思います。感動っーー!

墨が濃く乾くのに時間がかかったよー

居多神社

順序は逆になってしまったが、鳥居から五智国分寺へ続く参道を歩くことにする。

居多神社

参道は越後国府の中心地五智国分寺への参道と分かれ道になっている。一の宮参道の入口の鳥居は大鳥居であることも多いが、この鳥居はむしろ境内入口の鳥居より小さい。

居多神社

とはいえ侮れない!鳥居柱に刻まれた文字には「天明」の文字が・・・とても古い由緒ある鳥居です。

居多神社

境内の拝殿前の観光ポスト、またはご自宅の玄関で神社の由緒が書かれたパンフレットを入手できる。

居多神社

居多神社に行く途中の愛宕神社の門前に蓮池が広がっていた。

居多神社

ちょうど大輪の蓮がきれいに咲いていた。

〒942-0081
新潟県上越市五智6丁目1の11
TEL.025-543-4354

加賀金沢 石浦神社

石浦神社

石浦神社は、藩政時代に石浦山王、地主権現、慈光院などと呼ばれ、明治維新の神仏分離令によって氏子地の石浦の郷名をとって石浦神社と改名し、明治13年に現在地に移転した。御祭神は、大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神、天兒屋根大神、市杵島姫大神、誉田別大神の七柱である。

石浦神社

兼六園真弓坂方面から入る鳥居がある。

石浦神社

鳥居を入って左に広坂沿いに進むと古い灯籠が立っている。

石浦神社

本殿、拝殿の左には末摂社の広坂稲荷神社がある。

石浦神社

赤い鳥居をくぐって進むと拝殿に至るが本殿はどこかなー?と探すと、上の方に祀られていた。

石浦神社

稲荷神社参道脇には「すし塚」。すし職人の奉納?

石浦神社

隣には「包丁塚」。包丁職人の供養塔か?

石浦神社

多くの人は拝殿正面のこの大鳥居より境内に入る。

石浦神社

大鳥居左奥の木がご神木のようだ。

石浦神社

拝殿の右が社務所になっている。建物内に入るとお守り授与所となっていて、そこで御朱印も頂ける。

石浦神社

拝殿で詣ったときはぜひ上を見上げてみてほしい。珍しい彫刻が掲げてある。

この彫刻は加賀藩御用彫物師で獅子頭など多くの名品を残した武田友月の作品で、弁慶が力強く釣り鐘を曳く様を現している。

石浦神社

今は旧盆と新盆の間でぼんぼりが吊られている。

石浦神社

石浦神社には兼六側に1本、拝殿正面に1本、社務所斜め前に1本の3本の神社社号標が立っている。

社務所斜め前の社号標は明治33年のもので一番古く、「北方蒙 謹書」と書かれているが、達筆で世に知られた「北方心泉」のことである。

石浦神社

御朱印をいただくと1枚裏表の由緒がいただける。

金沢市本多町三丁目1-30
TEL.076-231-3314

加賀金沢 金沢神社

金沢神社

金沢神社は加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が寛政6年(1794)に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建て、その鎮守社として金城霊澤のほとりに創建した。兼六園が整備されるにあたり竹沢御殿の鎮守となったが、一般の人々が参拝できるようになったのは明治7年5月7日、兼六園の一般公開と同時である。御祭神は学問の神であり前田家の先祖である菅原道真公、前田斉広(なりなが)公、前田斉泰(なりやす)公。

金沢神社

広坂沿いの観光客にも目につく場所に立つ鳥居。兼六園の随身坂口への最短ルートである。

金沢神社

鳥居をくぐると境内入口にある「金城霊澤」

金沢神社

「金澤」のまちの名の由来ともなったとても澄んだ水を湛えている。

金沢神社

井戸の上には水の守り神である竜神が描かれる。

金沢神社

境内にある池には蓮が見頃を迎えていました。

金沢神社

好天に大輪の花を天に向けて咲かせる蓮がきれいでした。

金沢神社

拝殿正面にもうひとつ鳥居がある。

金沢神社

まっすぐの参道を進んで門をくぐると拝殿だ。

金沢神社

赤い拝殿は印象的です。

金沢神社

屋根の鳳凰も変わっていますよね。

金沢神社

拝殿には前田家始祖である菅原道真公ゆかりの能「老松」の奉納額も掛けられている。

金沢神社

暑い日でしたがお手水の水はとても冷たかった。

金沢神社

御朱印と一緒にしおりをいただけます。由緒はお守り授与所に置いてある。

御朱印は神主自らが書いてくれる。巫女が書くことも多いのでうれしい。とても達筆!

金沢神社

境内には上辰巳町にある板屋神社の遙拝所があります。祭神として祀られる板屋兵四郎は辰巳用水を設計し、金沢城まで水を引きました。兼六園も辰巳用水あっての名園です。

金沢神社

拝殿横には辰巳用水の石管が展示されている。

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

加賀金沢 尾山神社

尾山神社

尾山神社は御祭神として加賀藩藩祖の前田利家公と正室まつを祀る神社です。利家公は卯辰山麓の卯辰八幡宮に祀られていたものを、明治6年旧金谷御殿(金沢城内の藩主子女が暮らした場所)跡地に遷座されました。

尾山神社

旧北国街道の南町交差点からそれほど長くはない参道ですが、冬はここに金板が立てられ、雪景色のときはとてもいい雰囲気になります。

尾山神社

長らく金沢の観光名所のひとつになっている神門をくぐって境内に入ります。
明治8年に完成し、三層目のギヤマンと日本最古の避雷針が見所です。

尾山神社

尾山神社鳥居前を流れていた西内惣構は、車社会の到来とともに蓋をかぶせられて暗渠化されていましたが、近年開渠されました。

尾山神社

平日の境内は人気が少なく、初めて誰も居ない神門越しの拝殿を撮影できました。

尾山神社

境内には利家公の鯰尾兜のレプリカが輝いています。

尾山神社

NHK大河「利家とまつ」を記念して建立された利家の若き日の像は槍を天に突き立てて凜々しく立っています。

尾山神社

尾山神社拝殿でお参りして隣のお守り授与所で御朱印をいただきました。巫女さんが丁寧に書いてくれました。

尾山神社

尾山神社の隣に摂社の金谷神社が建っています。

尾山神社

ここに祀られているのは、加賀藩2代の利長公から14代の慶寧公までと明治以降の17代利建公までの藩主家当主とその正室(夫人)となります。

尾山神社

南の神門から入った方は東の東神門をお見逃し無いように!金沢城の二の丸の門と伝わる、金沢城の数少ない建造物遺構のひとつです。

尾山神社

御朱印をいただくときに下の案内パンフを一緒にいただけます。上の小冊子は尾山神社の歴史と境内の案内所でお守り授与所で購入できます。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

能登一の宮 気多大社

気多大社御朱印

気多大社(氣多大社)は、気多神宮とも言われ、能登国一宮である。御祭神は大国主神。社殿背後に「入らずの森」と言われる社叢が、人の手を入れていない原生林として広がっている。

気多大社

駐車場は社殿のすぐ近くにある。しかし、鳥居の前に立って振り返ると、海の方角に大鳥居が見える。まずは大鳥居から往時の姿を想像してみることにした。

気多大社

御朱印をいただくと氣多大社の「氣」の字が書かれた書をいただける。

7月、8月の2カ月間は「縁結び祭」と称して、縁結びの強化月間のようで、神門でもらう案内には縁結びのお守りの案内が、さらに名刺サイズの祭りチラシが所々に置かれている。

気多大社

さて、海沿いに下りてきて、大鳥居の前に立つ。遙か向こうの山の麓に社殿がある。しかし、この参道の一本道の両脇には民家が建ち並ぶのに、この社殿までの参道が良好に残っているのは貴重だな。

気多大社

大鳥居の横に立つ社号標のは明治34年の建立。

気多大社

ほぼ中央の県道を渡ると、大鳥居まではこのくらい。

気多大社

振り返って、社殿鳥居までは上り坂で同じくらい。

気多大社

鳥居をくぐると境内はそれほど広くはない。神門をくぐると、バイトの巫女さんが参拝順序を説明してくれる。

気多大社

正面は拝殿、その後ろに本殿。

気多大社

拝殿左側に幸せむすび所が建てられている。近年気多大社はこの縁結びに非常に力をいれている。自分の幼い頃は学業成就だったと思うけど。

気多大社

拝殿右側にはお守り授与所が立ち、前には縁結びの道が作られていました。

気多大社

拝殿前には昭和天皇御製碑が立っています。注意して見渡さないと見逃します。

気多大社

社殿の領域が出たところに、社殿背後に広がる「入らずの森」の入口があります。当然入ってはいけません!

入口には何百年もそこにあるような大きなタブが立っていました。

気多大社

境内には菅原神社も建っています。学業の神様、菅原道真公を祀っています。

入口の橋は「合格橋」と命名されて、橋を渡って合格を祈願します。自分も金沢検定合格を祈願して渡りましたよ。

気多大社ホームページ

〒925-0003
石川県羽咋市寺家町
TEL.0767-22-0602

越中一の宮 気多神社

気多神社

気多神社は越中国府に近い地に建つ越中国一宮である。養老2年(718)に僧行基が創建したと伝えられ、天平宝字元年に越中から能登国が分立した後、越中の大社と崇められていた能登気多大社を現在地に勧請したと言われる。

気多神社

県道沿いの入口に社号標が立ち、ここから山側に向かうのだけど全く見えない。

気多神社

長い参道をしばらく進むと少し坂道を上って階段の左側に駐車場がある。ここから徒歩で境内へ向かう。

気多神社

坂道の途中にお手水がある。隣接して名水の案内が立っているけど今は飲めないようだ。こんなに暑い日でもとても冷たい水だった。

気多神社

水を吐き出す竜神様はコップをかぶってなんだかお茶目!

気多神社

長い階段を上ると鳥居をくぐって参道が続く。

気多神社

大きな木々が参道脇に立ち、階段の向こうに拝殿が見えてきた。

気多神社

階段を上るとようやく拝殿の前に出る。

気多神社

左の狛犬の脇にご神木が立っている。

気多神社

本殿は永禄年間の再建と伝えられ、室町時代の特徴を今に伝えている。

気多神社

本殿には扁額がかかっているのが見えますが、立ち入り禁止です。

気多神社

近くの案内板で確認できる。

気多神社

本殿の隣には攝末社の大伴神社が建つ。祭神は越中国司として伏木に赴任した大伴家持を祀る。

気多神社

境内の本殿の建つ場所から一段下がった場所に「越中総社跡伝承地」と書かれた一画がある。

「総社」とは国府の近くに地域の祭神を集めて祀った神社です。

気多神社

鳥居と大きな木が立っているのみですが、越中国国府は伏木古府にあったので場所的にあっても不思議はないですけど。

気多神社

気多神社は山腹に建つので、眼下に伏木の町並みを臨むことができる。

気多神社

境内には常駐する施設がありませんでしたので、御朱印をいただくために社務所に向かいました。

気多神社

御朱印はあらかじめ書いて置いてあります。大きな御朱印もありますが、こんな大きな御朱印帳もあるのでしょうか?
(と思っていたら、後日一の宮御朱印帳を見つけてその大きさにぴったりでした)

気多神社ホームページ

〒933-0116
富山県高岡市伏木一宮一丁目10-1
TEL.0766-44-1836

越中一の宮 射水神社

射水神社

射水神社は、御祭神は二上神である。伝によれば、養老年間、僧行基二上山麓に養老寺を建てこの神を祀り、二上権現と称した。明治8年に現在地に遷座された。

射水神社

高岡古城公園にある射水神社はいつ訪れても人の絶えない神社です。

射水神社

鳥居脇に射水神社の明治44年の社号標が立っている。

射水神社

神社建物のある境内はそれほど広くはないですが、参道は御旅屋通りから高岡古城公園に入る場所から高岡城の二の丸を横切るように伸びている。

射水神社

御朱印は拝殿横のご祈祷受付でいただけます。

射水神社

看板にある「ふうたん」が気になったけど、二上山からイメージした射水神社のキャラクタのようですね。

射水神社

御朱印をいただくと「射水神社」と「射水二上神社」のパンフレットをいただきました。

それによると、攝末社は同じ公園内に「高岡市護国神社」、二上山の「二上射水神社」のまわりに「日吉社」「悪王寺社」「院内社」「諏訪社」があるようです。

射水神社

射水神社の本殿は高岡城の本丸跡に鎮座しています。当日は今年行われた本殿裏の社叢では、特別な許可で1日限りの立ち入りが許可され、見つかった高岡城築城初期の石垣が披露されました。

国史跡である高岡古城公園ですが、射水神社の境内地のみは明治8年の遷座以降ずっと神社所有地となっています。

高岡市護国神社

二の丸にある参道途中の高岡市護国神社です。

射水神社ホームページ

富山県高岡市古城1-1
TEL.0766-22-3104

御朱印デビューしました!

再来月には39歳になります。40歳を目の前にして御朱印デビューしました!

知人が数年前に御朱印を集め始めていましたが、自分は他に100名城スタンプとか集めていたのでずっと遠慮していました。しかし、神社はお札があったりなかったり揃えるにはお金がかかる。一方の寺院も集めるほど共通のものがありませんでした。

ということで、今後は神社、寺院で御朱印を集めることにしました。

御朱印帳

和綴じと蛇腹で悩みましたが、広げたときに一覧できる蛇腹にしました。神社用に朱色を購入、後日寺院用に紺色を購入します。裏表で98頁ありますが、裏を使うかどうかは表が埋まってから考えます。

それでは、御朱印集めの先達様よろしくお願いします。

越前敦賀 晴明神社

晴明神社

敦賀市に鎮座する晴明神社。御祭神は保食神、安倍晴明公、春玉稲荷。

晴明神社

このブログを始める前の参拝であるが、参拝記録として当日のものとして記録する。
敦賀市内を史跡巡りしたときに参拝した。社殿に入るのに総代に電話をかけて待つこと5分少々。

晴明神社

社殿前には茅の輪がある。

晴明神社

社殿内には社があり、社の下に祈念石が祀られている。

晴明神社

晴明町(相生町)の平山前右エ門邸内にあったという、安倍晴明公が保食大神を信仰し天文地文学を研究した時に祈念した石。南北朝期や天正期の兵乱の災禍を免れたのは、その霊験のためとして霊石とされ崇敬されている。

総代さんにわざわざ出向いていただいたので、お札の代わりに御朱印をいただいたのだが、今考えるとこれが御朱印デビューの1枚だった。

晴明神社
福井県敦賀市相生町8-20

39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録