紀伊牟婁 飛瀧神社

飛瀧神社

那智勝浦町に鎮座する飛瀧神社。御祭神は大己貴神。

飛瀧神社

参道の入口に鳥居が立つ。

飛瀧神社

扁額には「熊野那智大社別宮 飛瀧神社」と書かれている。

飛瀧神社

参道は徐々に下っていく。

飛瀧神社

階段を下りると光ヶ峰遙拝石。神武天皇が熊野に上陸したとき、神光に導かれて大瀧を発見したという伝説にちなみ光ヶ峰と名付けられ、那智三峰の一山で山頂には社殿もあるという。

飛瀧神社

那智の滝が御神体なので社殿はなく、滝前の拝所で参る。

飛瀧神社

現在滝下では災害復旧工事中であったが、滝を間近に拝むと霊験を感じる。

飛瀧神社

滝の上には注連縄が張られている。

飛瀧神社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

紀伊新宮 阿須賀神社

阿須賀神社

新宮市に鎮座する阿須賀神社。御祭神は家津美御子大神、事解男命、熊野夫須美大神、熊野速玉大神を主祭神とし、黄泉道守命、建角身命を配祀する。

阿須賀神社

社殿は南向き。参道に大幟がたなびく。

阿須賀神社

参道に「神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑」が立つ。

阿須賀神社

そして「祖先禅師徐福の祠に香を献ずる詩」碑、当地は徐福伝説の地である。

阿須賀神社

鳥居の先に社殿、背後に蓬莱山(飛鳥山)が見える。蓬莱山は古代祭祀の磐座があった地で禁足地となっていた聖地である。

阿須賀神社

境内では弥生時代の住居遺跡も発掘され、古代より人が住んでいた場所であることを伝える。

阿須賀神社

拝殿に参る。

阿須賀神社

拝殿の左に御神木か?

阿須賀神社

子安の宮

阿須賀神社

拝殿の右に阿須賀稲荷神社

阿須賀神社

氏子地区は徐福の子孫が住んだ地とされ、徐福宮に徐福が祀られている。

阿須賀神社
和歌山県新宮市阿須賀1-2-25

紀伊新宮 熊野速玉大社

熊野速玉大社

新宮市に鎮座する熊野速玉大社。御祭神は熊野速玉大神を主祭神とし、多くの大神を祀る。延喜式牟婁郡熊野早玉神社の比定社で明神大社。

熊野速玉大社

新宮とも呼ばれ、神社では降臨地の摂社神倉神社から遷座したからとしている。

熊野速玉大社

「熊野権現」の扁額の掛かる一の鳥居

熊野速玉大社

鳥居をくぐると右に鑰宮手力男神社と八咫烏神社。鑰宮手力男神社は延喜式牟婁郡の論社のひとつとされる。

熊野速玉大社

右手に熊野神宝館

熊野速玉大社

参道を挟んで右に御神木ナギの巨樹

熊野速玉大社

正面に神門が見えてくる。

熊野速玉大社

神門をくぐると右前に拝殿

熊野速玉大社

拝殿には「日本第一大霊験所 根本熊野権現拝殿」の扁額がかかり、結宮、速玉宮の拝所となっている。
第一殿結霊宮、御祭神は熊野結大神(いざなみの命)
第二殿速霊宮、御祭神は熊野速玉大神(いざなぎの命)

熊野速玉大社

その右に奥御殿三神殿、上三殿、八社殿が並ぶ。
奥御殿三神殿、御祭神は天之御中主神、高皇産靈神、神皇産靈神
上三殿には
第三殿証誠殿、御祭神は家津美御子命、国常立命
第四殿若宮、御祭神は天照大神
第五殿神倉宮、御祭神は高倉下命
八社殿には
第六殿禅地宮、御祭神は天忍穂耳命
第七殿聖宮、御祭神は瓊瓊杵命
第八殿児宮、御祭神は彦火々出見命
第九殿子守宮、御祭神は鸕鷀草葺不合命
第十殿一万宮十万宮、御祭神は国狭槌命、豊斟渟命
第十一殿勧請宮、御祭神は泥土煮命
第十二殿飛行宮、御祭神は大斗之道命
第十三殿米持宮、御祭神は面足命
が祀られている。

熊野速玉大社

神門のすぐ左に授与所があり、御朱印をいただく。ここで摂社神倉神社の御朱印をいただける。
熊野三山にはそれぞれに熊野牛王法印が頒布されている。八咫烏を絵文字化した護符で、中世までは起請文や血判書など強く誓約するために使用されていた。

熊野速玉大社

境内の右方に新宮神社、御祭神は新宮市内の末社を合祀している。
下本町鎮座太上宮、御祭神は大己貴命
日和山鎮座谷ノ子守神社、御祭神は菊理媛命
船町鎮座石神社、御祭神は素戔嗚尊
権現山麓鎮座今神倉神社、御祭神は天村雲命
山際地鎮座渡御前社、御祭神は神倭磐余彦命
権現山鎮座満山神社、御祭神は八百万神
矢倉町鎮座高倉神社、御祭神は熊野樟日神
雑賀町鎮座火之神社、御祭神は軻具土神
神倉山麓鎮座猿田彦神社、御祭神は猿田彦神
丹鶴山鎮座鳥坂小守社、御祭神は埴山姫命
丹鶴山西麓鎮座八幡宮、御祭神は誉田別命
相筋鎮座小飛神社、御祭神は稲倉魂命
相筋鎮座妙見社、御祭神は少彦名命
と神社案内には書かれているが、猿田彦神社は合祀の後再建されている。

熊野速玉大社

熊野恵比須神社、御祭神は蛭児大神

熊野速玉大社

手水舎の背後に熊野稲荷社

熊野速玉大社
和歌山県新宮市新宮1番地

紀伊新宮 神倉神社

神倉神社

新宮市に鎮座する神倉神社。御祭神は高倉下命、天照大神。

神倉神社

神倉山(権現山)の頂に朱色の社殿が見える。

神倉神社

神倉神社は熊野速玉大社の摂社で、日本書紀にある神武天皇が登った天岩楯と伝えられ、熊野三所大神が天降った聖地とされる。

神倉神社

境内に入ると猿田彦神社、神倉三宝荒神社の合祭殿

神倉神社

麓の登り口に鳥居が立つ。

神倉神社

急な階段は500段以上続き、無理のないように鳥居の前に拝所が設けられている。

神倉神社

男坂と女坂の別れ口に火神社と中ノ地蔵堂

神倉神社

上り詰めると朱色の玉垣に囲まれ鳥居が立っている。

神倉神社

玉垣の右上に境内社が一社。

神倉神社

玉垣の中には大きな岩盤がむき出しになっている。

神倉神社

その中を進むと磐座の横に拝殿が立っている。磐座のゴトビキ岩の迫力が息をのむばかりだ。

神倉神社

眼下には新宮市の町並みが広がる。

神倉神社

下から見ると大きな磐座は2つ並んでいるように見える。

神倉神社

2つの岩の間には拝所が設けられ、古くは岩陰で祭祀を行ったのであろう。

神倉神社

麓の社務所は無人だったので、熊野速玉大社のほうで御朱印をいただく。

神倉神社
和歌山県新宮市神倉1丁目13-8

紀伊田辺 熊野本宮大社

熊野本宮大社

田辺市に鎮座する熊野本宮大社。延喜式牟婁郡熊野坐神社の比定社で明神大社。御祭神は家津御子大神を主祭神とし、上中下各四社に多くの神を祀る。

熊野本宮大社

かつては熊野川の中州にあった大斎原に鎮座していた。

熊野本宮大社

明治22年6月の大水害で上四社を除き流出し、上四社が現在地に遷座する。平成23年9月にも熊野川は大氾濫した。新宮から大斎原までの途中でもまだまだその傷跡が残っていた。

熊野本宮大社

大斎原に入る。

熊野本宮大社

熊野は能「巻絹」の舞台という

熊野本宮大社

元鎮座の地には現在石祠が二社並んで建つのみ。左に流出した中下各四社を、右に境内摂末社を祀るという。
中四社には
第五殿禅児宮、御祭神は忍穂耳命
第六殿聖宮、御祭神は瓊々杵尊命
第七殿児宮、御祭神は彦穂々出見尊
第八殿子守宮、御祭神は鵜葺屋葺不合命
下四社には
第九殿一万宮十万宮、御祭神は軻遇突智命
第十殿米持金剛、御祭神は埴山姫命
第十一殿飛行夜叉、御祭神は弥都波能売命
第十二殿勧請十五所、御祭神は稚産霊命
摂末社には
摂社底海神社、御祭神は住吉三神。延喜式牟婁郡海神社の論社
摂社御戸開神社、御祭神は手力男神。延喜式牟婁郡天手力男神社の論社
摂社滝姫神社、御祭神は瀬織姫命
摂社市杵島神社、御祭神は市杵島姫命
摂社八咫烏社、御祭神は武角見命
摂社高倉下神社(地主社)、御祭神は高倉下命、穂屋姫命
摂社大國主神社、御祭神は大國主命
摂社須勢理姫神社、御祭神は須勢理姫命
末社音無天神社、御祭神は少彦名命
末社素戔嗚社、御祭神は素戔嗚尊
末社天神社、御祭神は菅丞相
末社水戸社、御祭神は罔象女
が祀られるという

熊野本宮大社

大斎原に立つ大鳥居を正面に拝み、大斎原を出て本宮神社へ向かう。

熊野本宮大社

境内入口の一の鳥居

熊野本宮大社

参道沿いには奉納された大幟がずらりと並ぶ。

熊野本宮大社

入口に境内社功霊社、地元出身者の英霊を祀る。

熊野本宮大社

階段途中に祓戸社

熊野本宮大社

階段を上ると、右手に授与所、正面に神門がある。神門は工事中であった。

熊野本宮大社

神門左の拝殿

熊野本宮大社

神門の注連縄、両端の上にも初めて見る縄細工が飾られている。

熊野本宮大社

上四社
第一殿西御前、御祭神は熊野牟須美大神(伊邪那美大神)
第二殿中御前、御祭神は速玉之男神(伊邪那岐大神)、第一殿と第二殿は結宮の左右に祀られる
第三殿證証殿(本宮)、御祭神は家津美御子大神(素戔嗚尊)
第四殿東御前(若宮)、御祭神は天照大神

熊野本宮大社

上四社の右に境内社満山社、御祭神は祓いの神、結ひの神。八百万の神を祀るといい、大斎原にあった八百万神社であろうか。

熊野本宮大社

社前の和歌山県世界遺産センターに入る。

熊野本宮大社

かつての大斎原の模型が飾られている。右から下四社、中四社、若宮、本宮、?、結宮が並ぶ。これで見ると上流の方が流出してしまったようだ。本宮と結宮の間に一社多いのは「熊野三山絵図」に残る姿である。

熊野本宮大社
和歌山県田辺市本宮町本宮1110

伊賀柘植 都美恵神社

都美恵神社

伊賀市に鎮座する都美恵神社。御祭神は栲幡千々比賣命を主祭神とし、経津主命と布都御魂命を配祀する。延喜式阿拝郡穴石神社の論社のひとつ。

都美恵神社

大和街道沿いに社号標が立つ。

都美恵神社

途中参道と車道が分岐する。

都美恵神社

参道の途中には石橋がある。

都美恵神社

一の鳥居前に駐車する。

都美恵神社

右手に東に向かって神宮遙拝所がある。

都美恵神社

階段前に二の鳥居が立つ。

都美恵神社

左に神輿庫

都美恵神社

右に石の玉垣があり

都美恵神社

中に山の神と石像が祀られている。

都美恵神社

階段を上って拝殿に参る。

都美恵神社

拝殿背後には本殿と左右に境内社がある。

都美恵神社

境内は無人だったので、社前の宮司宅を訪ね御朱印をお願いする。
近くに「敢都美恵宮遺跡」の石碑。都美恵神社は元伊勢の敢都美恵宮の候補地のひとつで、穴石神社が当地に遷座したときに敢都美恵宮を合祀したという。背後に穴石神社の元鎮座地の霊山が見える。

都美恵神社

拝殿左手の都美恵会館まで戻り、御朱印をいただく。

都美恵神社

都美恵会館の後ろに末社耶須久迩社

都美恵神社

耶須久迩社と都美恵会館の間に山の方へ階段が延びている。

都美恵神社

上っていくと穴があるが何もない・・・

都美恵神社

さらに延びる階段を上ると、事比羅社、秋葉社、愛宕社の三社殿が建っていた。

都美恵神社
三重県伊賀市柘植町2280

加賀金沢 須岐神社

須岐神社

金沢市に鎮座する須岐神社。御祭神は鹿島坐健御賀豆智命、香取坐伊波比主命、枚岡坐天児屋根命、比売大神。延喜式加賀郡の比定社。

須岐神社

社殿は北向き。往古須岐神社境内に赤浜八幡神社が創建され、両社が併存していたのを明治期に合併したときに須岐神社で統一したという。が、御祭神は春日大神であり、八幡大神がいないのはなぜか。

須岐神社

社前の道路は車がすれ違えないほど狭いが、参道はあったのだろうか。2016年に御鎮座千三百年を迎える看板が立つ。

須岐神社

拝殿に参る。

須岐神社

左の狛犬は逆立ち狛犬になっている。

須岐神社

戦後には奉納能も催行されていたようだ。

須岐神社

拝殿右の社務所兼自宅で御朱印をいただく。

須岐神社

社殿背後はすぐ土手となり、浅野川が流れている。

須岐神社
石川県金沢市東蚊爪町ホ100甲

美濃垂井 伊富岐神社

伊富岐神社

垂井町に鎮座する伊富岐神社。御祭神は伊福氏の祖神である多多美彦命。延喜式不破郡の比定社で美濃国二宮。

伊富岐神社

北へ参道が延びる。社号標が立っているが、石造の一の鳥居はもっと南にあったようだ。この辺りに木製の二の鳥居があったようだが、橋しか残っていない。

伊富岐神社

左に神様の神橋、右に参拝者用の橋が架かる。

伊富岐神社

拝殿の両側に御神木が一際高く立つ。

伊富岐神社

拝殿に参る。

伊富岐神社

本殿は朱色の銅板葺で、塀で見えなかったが両側に境内社があるらしい。

伊富岐神社

拝殿右手の社務所は無人。

伊富岐神社

境内の隅に屋根のような傷んだ部材が置かれている。二の鳥居のようで倒壊したようだ。

伊富岐神社

境内入口の右に小さな境内社が一社ある。

伊富岐神社
岐阜県不破郡垂井町伊吹1484番地の1  

美濃垂井 南宮大社

南宮大社

垂井町に鎮座する南宮大社。御祭神は金山彦命を主祭神とし、見野命と彦火火出見命を配祀する。延喜式不破郡仲山金山彦神社の比定社で明神大社、美濃国一宮。
金山彦神は鉱物の神であり、鉱山業・金属業の総氏神、全国の金山彦神社の総本社。

南宮大社

楼門の前が駐車場になっている。南宮山の北麓に東南方向に鎮座する。

南宮大社

楼門の両側から玉垣がめぐる。楼門の前に石製の神橋が架かる。

南宮大社

楼門は極彩色に彩られ、蛙股には中国の故事か、神社の由緒と思われる彫物がされている。

南宮大社

楼門の前には右大臣、左大臣の木造が

南宮大社

後ろには狛犬が配置されている。

南宮大社

楼門を入ると中央に高舞殿、左右に回廊のついた拝殿。拝殿に参る。

南宮大社

高舞殿の蛙股には十二支の彫刻がされている。

南宮大社

神輿舎の壁には奉納額がたくさん掛けられているが、鉱物の神らしく鍬や鋤、鉈などの金物ばかりだ。

南宮大社

南門から出て玉垣の西には末社が鎮座する。金敷金床社

南宮大社

その後ろに石舟社

南宮大社

伊勢両宮の鎮座地には「往古本殿奉斎地」碑が立つ。

南宮大社

東照宮

南宮大社

荒魂社

南宮大社

朱色の連続した鳥居を進めば

南宮大社

南宮稲荷神社

南宮大社

不明の境内社

南宮大社

引常明神磐座と潮千海社

南宮大社

廻廊に入ると本殿の左に境内社が二社。右が高山社、左が南大神社。

南宮大社

本殿の右に境内社が二社。右が隼人社、左が樹下社。両社の前に矢竹が見える。

南宮大社

北門を出れば落合社

南宮大社

社号標の右に美濃国総社と伝わる数立神社

南宮大社

神社から北へ、名神高速の高架の手前に大鳥居が立つ。右手に南宮山が見える。

南宮大社

さらに北へ、旧中山道から南宮参道の入口に石鳥居が立つ。

南宮大社
岐阜県不破郡垂井町宮代1734−1

尾張一の宮 大神神社

大神神社

一宮市に鎮座する大神神社。御祭神は大物主神。延喜式中島郡の比定社で明神大社、尾張国一宮。

大神神社

社殿は南向き。

大神神社

鳥居を入ってすぐのところに御神木が立つ。

大神神社

前回参拝時には見逃した番塀。尾張地域に特徴的なもの

大神神社

拝殿に参る。

大神神社

拝殿には入れないが、前回見ていなかった中を覗いて、掛けられた額から不明であった本殿左右の境内社が判明した。本殿左に左から神明社、白山社、本殿右に左から三島社、六所社である。由緒書きの順番から拝殿右の一社は招魂社、素戔嗚社が境外末社であろうか。

大神神社

大神神社は一の宮ではあるが本務社ではなく、兼務社である。本務は大神社であり、電話予約してから訪問して御朱印をいただくことになる。当日授与はしていないので、私も2度目の参拝になる。

大神神社
愛知県一宮市花池2-15-28

尾張一宮 大神社

大神社

一宮市に鎮座する大神社。御祭神は神八井耳命。延喜式中島郡の太神神社の比定社で明神大社。

大神社

境内は南向き。鳥居の前に車を停める。

大神社

社殿は番塀、拝殿、幣殿、本殿と並ぶ。番塀前に祓所がある。

大神社

拝殿に参る。

大神社

拝殿、幣殿の先に本殿が見える。

大神社

本殿は幣殿と塀に囲まれている。中が見えないが境内社の大明神社と神明社も中にあるようだ。

大神社

参道の途中に社務所兼自宅があり、御朱印をいただく。宮司は兼務社も多く、留守なことも多いので予め予約が必要。予約してあったので尾張国一宮の大神神社の御朱印もいただく。御朱印をいただいたときにお話を聞く。一の宮巡礼で御朱印の予約もとても多いそうだが、中には急に来る人もいるといい、特にひどい人は朝6時とか夜10時とかいう人が一部いるらしい。御朱印いただくのにも常識が必要で、宮司だけでなく周囲の一般宅にも迷惑かけるのはいかがかと思います。

大神社
愛知県一宮市大和町於保郷神2311

尾張海部 漆部神社

漆部神社

あま市に鎮座する漆部神社。御祭神は三見宿禰を主祭神とし、木花開耶姫命を配祀、八大明神を合祀する。延喜式海部郡の比定社。隣接して甚目寺が建ち、漆部神社が甚目連公の氏神、甚目寺が氏寺とされる。

漆部神社

社殿は南向き。

漆部神社

鳥居をくぐって参道を進むと朱色の神橋。

漆部神社

拝殿の前にはコンクリート製の番塀が立っている。

漆部神社

拝殿に参る。

漆部神社

拝殿の右に境内社が一社。

漆部神社

社務所で御朱印をいただく。

漆部神社

甚目寺の境内が拡張されて現在地に遷座する前は、東隣の日吉神社に鎮座していたという。

漆部神社

甚目寺のお堂の屋根の下で神鶏が雨宿りしていました。

漆部神社
愛知県あま市甚目寺東門前11

尾張津島 津島神社

津島神社

津島市に鎮座する津島神社。御祭神は建速須佐之男命を主祭神とし、大穴牟遅命を相殿に祀る。全国の津島神社・天王社の総本社。

津島神社

津島天王祭の行われる天王川公園に車を停める。

津島神社

天王川公園の東に鎮座する御嶽神社。

津島神社

津島神社とは関係ないようだが拝殿に参る。

津島神社

天王川公園の北にある津島神社御旅所。

津島神社

津島天王祭で神輿が奉斎される場所になる。天王川はかつては川として海につながっていたが、現在は埋め立てによって池になっている。

津島神社

南鳥居の向かいにある秋葉神社。やはり津島神社とは関係ないようだ。

津島神社

南鳥居

津島神社

摂社居森社、御祭神は須佐之男命幸御魂。延喜式海部郡の国玉神社の旧鎮座地で論社のひとつとなっている。

津島神社

末社菅原社。受験シーズンには学生で賑わうという。

津島神社

末社照魂社、津島出身者の御英霊1170柱を祀る。

津島神社

南門の先に番塀が見える。尾張造という社殿形式の特徴で尾張国によく見られる。

津島神社

南門を入ると、左右に境内末社が並ぶ。

津島神社

正面に拝殿。後ろの回廊が左右に延び、均整のとれた社殿。社殿は南向き。

津島神社

拝殿に参る。

津島神社

津島神社の表参道は東の鳥居。南鳥居に比べてもこちらがやはり大きい。

津島神社

神橋と楼門が建つ。

津島神社

本殿の右、授与所の裏にも境内社が並ぶ。手前が摂社荒御魂社、須佐之男命荒御魂を祀る。

津島神社

境内の南西隅に鎮座する摂社弥五郎殿社、御祭神は武内宿禰命。延喜式海部郡国玉神社の論社で、居森社の場所から遷座した、論社としての御祭神は大国霊神、大己貴命で武内宿禰命を相殿に祀る。

津島神社
愛知県津島市神明町1

伊賀白樫 岡八幡宮

岡八幡宮

伊賀市に鎮座する岡八幡宮。御祭神は誉田別尊、神功皇后、仲津姫命。

源頼朝公が全国六十余国に鶴岡八幡宮の末社を建立する祈願をし、神意により伊賀国に第一番を建てる。岡八幡宮は鶴岡八幡宮の末社の略称であったが、頼朝公の没後計画は中止となり、最初で最後の末社となったという。

岡八幡宮

社殿はやや南東方向向き。

岡八幡宮

鳥居と社号標

岡八幡宮

旧社号標も残る。明治37年合祀令に治田地区との二郷神社と改称し、戦後岡八幡神社と改称されたが、平成2年御鎮座800年を記念し旧称の岡八幡宮に戻されたという。

岡八幡宮

鳥居左の池に末社鈴鳴弁財天社

岡八幡宮

木製の二の鳥居をくぐると参道は階段となる。

岡八幡宮

階段を上り詰めたところの両側に大木が立つ。正月とあってか狛犬にも注連縄が掛けられている。

岡八幡宮

拝殿に参る。

岡八幡宮

本殿左に末社礎社

岡八幡宮

拝殿右に神馬舎の白馬社

岡八幡宮

拝殿右方に山の神尺殿明神が祀られている。

岡八幡宮

本殿の塀の中にも数社末社が祀られているようだ。

岡八幡宮

帰りに二の鳥居右の社務所で御朱印をいただく。

岡八幡宮
三重県伊賀市白樫3638

伊賀阿拝 陽夫多神社

陽夫多神社

伊賀市に鎮座する陽夫多神社。御祭神は健速須佐之男命を主祭神とし、五男三女神を配祀する。延喜式阿拝郡の比定社。伊賀河合郷の総社であり、河合天王とも呼ばれ8月に祇園祭が催行される。

陽夫多神社

東の参道より入る。

陽夫多神社

神橋を渡って境内に入る。社殿が東向きなのでこちらが表参道かと思ったが、表参道は御旅所古墳のある南側のようだ。

陽夫多神社

入って右に神井と鐘楼がある。

陽夫多神社

梵鐘は伊賀で3番目に古い寛文7年の製作。

陽夫多神社

社殿は背後の宮山の麓に鎮座する。宮山には古墳や中世の城跡があり、地域の中心地だったことを物語る。

陽夫多神社

拝殿は横に長い。

陽夫多神社

拝殿と一段上の幣殿に至る階段の両側に高い木が林立する。鳥居又は狛犬の替わりだろうが、伊賀地域ではこの形をよく見る。陽夫多神社は中世、高松神と呼ばれることもあり、この御神木は松であろうか。

陽夫多神社

階段を上って幣殿へ。本殿に参る。

陽夫多神社

幣殿には絵馬が掛けられているが、主祭神の須佐之男命に関するものが多い。

陽夫多神社

そういえば境内に須佐之男命が須賀の地で詠んだ歌碑が建っていた。

陽夫多神社

三重県は明治期に神社合祀が盛んに行われた地域であり、陽夫多神社も合祀された神社の御祭神は多い。

陽夫多神社

本殿左に境内社八柱神社、御祭神は大山祇神、火之迦具土神、五男三女神、金山比売神を祀る。

陽夫多神社

社務所らしい木造建物は無人で、境内の参集殿兼授与所に立ち寄る。地域の公民館的存在でもあるようだが、運良く宮司が居られた。実は3回目の訪問で今まではこちらも無人であった。御朱印をいただく間にお話を聞くと、宮司を継いだ息子さんが去年突然亡くなられて、前宮司が再び勤めることになったという。伝統ある行事も続く神社であるので氏子の方々は心配が絶えないであろうが、遠くなく兼務社になるのかもしれない。

陽夫多神社
三重県伊賀市馬場951

伊賀阿拝 手力神社

手力神社

伊賀市に鎮座する手力神社。御祭神は天手力男神。信濃の戸隠神社から勧請され、伊賀忍者の藤林家の氏神だったという。

手力神社

神社が北向きに鎮座。南へ参道が延びる。

手力神社

鳥居と拝殿の間に一本の御神木が立ち、一際目立つ。

手力神社

内陸の伊賀は手水の水は凍結し、龍の口も冬支度でまるで服を着ているようです。

手力神社

鳥居をくぐって拝殿に参る。

手力神社

手力神社には日本一という鈴の緒があります。確かに太すぎて振ることはもちろん揺することも難しい。

手力神社

拝殿の後ろ一段高い場所に本殿が鎮座する。

手力神社
三重県伊賀市東湯舟1025

近江甲賀 油日神社

油日神社

甲賀市に鎮座する油日神社。御祭神は油日大神。延喜式甲賀郡川枯神社の論社のひとつ。

油日神社

JR油日駅から少し南に行き、東へ油日交差点へ向かう途中に大鳥居が立つ。

油日神社

そこからさらに東へ進むと途中御神田がある。

油日神社

最後に北に折れると鳥居と社号標が立つ。隣に駐車場がある。

油日神社

参道を進むと雰囲気のある楼門が建つ。油日神社は周辺に近代的建物が見えにくい立地でもあるので映画やドラマのロケ地としてよく知られる。最近はNHK大河「平清盛」で使用された。

油日神社

楼門を入ると正面に拝殿。正月なので立派な門松が飾られている。

油日神社

拝殿は常に開いている形式だが、中に三十六歌仙の額が架かる。少し風化しているがしばらく見ていても飽きない。

油日神社

拝殿の裏に本殿。本殿前の中門で参る。

油日神社

本殿の塀の中にコウヤマキの巨木が立つ。

油日神社

本殿左に境内社が一社。

油日神社

本殿右に境内社が二社。

油日神社

楼門の両側の廻廊も見応えあり

油日神社

油日神社は唯一の油の祖神でもあるので、油の業界からの崇敬は篤く、酒樽の代わりに油の缶が並ぶ。

油日神社

拝殿右手の社務所。実は今日は2回目の参拝で、社務所はふだん無人である。今日は隣の参集殿で賑やかな声がしたので尋ねてみた。聞くと、昨日消防出初め式があり、今日は慰労会だという。運良く御朱印をいただく。

油日神社
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042

近江甲賀 大鳥神社

大鳥神社

甲賀市に鎮座する大鳥神社。御祭神は素戔嗚尊を主祭神とし、大己貴命と奇稲田姫命を相殿に祀る。

大鳥神社

長い参道には両側にずらりと灯籠が並ぶ。

大鳥神社

参道を進むと鳥居と社号標

大鳥神社

少し下がって川を渡る。

大鳥神社

朱色の橋の隣に石造の太鼓橋

大鳥神社

鳥居の向こうに朱色の楼門が見えてくる。鳥居には中程に注連縄が張られているが、とても低い。低姿勢にならないと鳥居をくぐることもできない。

大鳥神社

楼門の両側には透塀がめぐり、とても印象深い。正月なので楼門の前に門松が飾られている。

大鳥神社

楼門をくぐると拝殿

大鳥神社

拝殿の左に神饌所

大鳥神社

神饌所の隣に御輿蔵

大鳥神社

本殿前の中門は祝詞殿と呼ばれる。本殿に参る。

大鳥神社

本殿の左に境内社が一社。

大鳥神社

本殿の右に境内社が二社。いずれがそうか分からないが、八幡神社、日吉神社、西宮神社の三社。

大鳥神社

拝殿右に神楽殿

大鳥神社

社務所と参集殿。かつては宮寺として河合寺があり、社務所は寺のような造り。社務所の一画にある授与所で御朱印をいただく。

大鳥神社
滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野782

近江日野 馬見岡綿向神社

馬見岡綿向神社

日野町に鎮座する馬見岡綿向神社。御祭神は天穂日命、天夷鳥命、武三熊大人命。延喜式蒲生郡の馬見岡神社の論社のひとつ。

馬見岡綿向神社

社殿は南向き。綿向山山頂に奥之宮が鎮座する。

馬見岡綿向神社

入口の大木に大注連縄が掛けられている。珍しい形だ。後で気づいたことだが、昨日、大勧請縄吊りという神事で掛けられたばかりだった。

馬見岡綿向神社

境内は広い。

馬見岡綿向神社

参道左に社務所。

馬見岡綿向神社

社務所右に神輿庫

馬見岡綿向神社

神輿は三台あって日野祭で担ぎ出されるそうだ。

馬見岡綿向神社

拝殿前に神様の渡る神橋。

馬見岡綿向神社

拝殿に参る。

馬見岡綿向神社

拝殿左に神馬舎

馬見岡綿向神社

絵馬殿

馬見岡綿向神社

絵馬殿には多くの絵馬が掛けられていた。中に日野祭の奉納額があった。

馬見岡綿向神社

本殿を囲むように回廊がめぐっている。

馬見岡綿向神社

ふと賽銭箱を見るとイノシシの彫刻

馬見岡綿向神社

横に猪像。猟の途中で大雪になり、大きな猪の足跡を追って綿向山頂上へ導かれると、神の化身である白髪の老人にご神託を受けたという。猪は綿向大神の神使である。

馬見岡綿向神社

末社は多い。本殿右に榊御前社

馬見岡綿向神社

本殿左に村井御前社

馬見岡綿向神社

本殿手前右に八幡社

馬見岡綿向神社

安平稲荷神社

馬見岡綿向神社

富士浅間神社

馬見岡綿向神社

三社並ぶ。竈之社、玉椿神社、稲置三麿神社

馬見岡綿向神社

池の中に池之社・出雲神社

馬見岡綿向神社

拝殿の右に琴平神社。社には事比羅神社と書かれている。

馬見岡綿向神社

神明神社

馬見岡綿向神社

授与所にはおみくじがたくさん並んでいる。神使の猪のおみくじが人気だ。

馬見岡綿向神社

授与所の隣は神楽殿

馬見岡綿向神社

天満宮、左に神使の牛の象がある。

馬見岡綿向神社

楠木正成・正行親子の「桜井の別れの像」。神社に直接関係ないが、日野小学校校庭に戦前あったものをGHQの要請により境内に移されたままになっているという。

馬見岡綿向神社

橋を渡って鳥居の右に玉影神社(祖霊社)

馬見岡綿向神社

境内の一番手前右に蛭子神社がある。
神社入口前に宮司宅があり、書き置きであったが御朱印をいただいた。

馬見岡綿向神社
滋賀県蒲生郡日野町村井711

越前勝山 神明神社

神明神社

勝山市に鎮座する神明神社。御祭神は天照皇大神、豊受比売神を主祭神とし、誉田別尊、小笠原貞宗公を合祀する。奇祭勝山左義長には当神社が深く関わっている。

神明神社

商店街の並ぶ雲平通りに面して南向きに表参道の鳥居が立つ。

神明神社

参道は右に折れて階段を上る。

神明神社

さらに180度回転して社殿は東向きに鎮座する。

神明神社

拝殿に参る。

神明神社

拝殿右に境内社が1社。

神明神社

拝殿左に境内社が2社。

神明神社

扁額がなくて境内社が分からないかと思ったが、一番左は朱色の社殿で稲荷神社だとわかるので、入口にある案内板の並び順どおりだと分かった。つまり、右が白山神社、左が市姫神社ということになる。

神明神社

境内には幕末の勝山藩の藩校成器堂の講堂が移築されている。

神明神社

旧成器堂講堂横に社務所兼自宅があったので御朱印について尋ねたが授与していないという。
ツッパリのような雪帽子を被る狛犬を見て黄昏れる。

神明神社
福井県勝山市元町1丁目19

越前勝山 平泉寺白山神社

平泉寺白山神社

勝山市に鎮座する平泉寺白山神社。

平泉寺白山神社

社殿は南向き。今年はこれでも雪が少ないらしいが、一面の深い雪に覆われている。

平泉寺白山神社

踏み固められた一本道を通り。一の鳥居へ

平泉寺白山神社

鳥居をくぐって左に社務所が建っている。旧玄成院で帰りにここで御朱印をいただいた。

平泉寺白山神社

一面の雪の中を二の鳥居へ

平泉寺白山神社

二の鳥居は中央に屋根のつく神仏習合の名残を残すものであり、「白山三所大権現」の大額が掛かる。

平泉寺白山神社

拝殿には「中宮平泉寺」の扁額が掛かる。平泉寺は白山信仰越前馬場の中心地であった。

平泉寺白山神社

拝殿裏の本社への階段も雪に覆われている。急な階段なので滑りやすい。

平泉寺白山神社

本社には「白山妙理大権現」の扁額が掛かる。白山の御前峰の神。

平泉寺白山神社

左の大汝社には「越南知大権現」の扁額が掛かる。白山の大汝山の神。

平泉寺白山神社

右の別山社には「別山大権現」の扁額が掛かる。白山の別山の神。

平泉寺白山神社

別山社の右、さらに奥へ三宮への道が続く。こちらは踏み跡もない。

平泉寺白山神社

一番乗り気分で三宮へ。三宮の手前左に楠木正成供養塔がある。

平泉寺白山神社

三宮の御祭神は栲幡千々姫尊。後ろから越前禅定道の登山口となっている。

平泉寺白山神社

境内社

平泉寺白山神社

平泉寺の名称の由来となっている御手洗池、別名平泉。

平泉寺白山神社

駐車場からは経ヶ岳が真っ白になっているのが見えた。

平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺

越前丸岡 国神神社

国神神社

坂井市に鎮座する国神神社。御雄祭神は椀子皇子、振姫命と應神天皇を合祀する。椀子皇子は第26代継体天皇の第二皇子。延喜式坂井郡の比定社。

国神神社

丸岡城の南麓に鎮座する。社殿は西向き。

国神神社

社前に道路にはみ出して御神木のタブの木が大きく茂っている。タブは神社が当地に遷座する以前よりあったという。

国神神社

年越の祓で設置されたであろう茅の輪をくぐって、拝殿に参る。境内は一面の雪に覆われ、今も降り続いている。

国神神社

狛犬の白い雪帽子を被っている。

国神神社

境内社は拝殿右に稲荷社。帰りに社務所で御朱印をいただく。

国神神社
福井県坂井市丸岡町石城戸町1丁目2

加賀金沢 田井菅原神社 献上鏡餅

田井菅原神社

正月に田井菅原神社にやってきた。

田井菅原神社

境内社にも正月らしい供物が供えられている。

田井菅原神社

今日の目的は拝殿の中に

田井菅原神社

第12代藩主前田斉広公の初めてのお国入りを祝って献上された鏡餅が飾られている。鏡餅は三点セットで、中央が床飾り餅、右が蓬莱飾り、左が櫓餅といい、米俵約5個半使用される。現在は蠟製の模倣品で、年末に氏子の協力で設置される。全国的には白のみの鏡餅であるが、金沢近郊では紅白2色が一般的で、上が紅、下が白である。献上された鏡餅はその逆なので、藩主に遠慮して民は逆に飾ったともいう。通常小正月の15日までに徹下される鏡餅であるが、当神社では縁起物に広く触れてほしいという意図から1月末頃まで飾られている。

田井菅原神社
石川県金沢市天神町1丁目3−20

大和橿原 橿原神宮

橿原神宮

橿原市に鎮座する橿原神宮。御祭神は初代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命。畝傍山の麓に鎮座する。

橿原神宮

北参道より入る。冬の夕暮れは早い。すでに薄暗くなっている。

橿原神宮

北神門が見えてきた。

橿原神宮

外拝殿は大きい。大きさにやや圧倒される。

橿原神宮

外拝殿に参る。その先には内拝殿と本殿がある。社殿は東向き。

橿原神宮

すでに来年の干支の絵馬が飾られている。

橿原神宮

南神門授与所で御朱印をいただく。

橿原神宮

南神門を出て南の深田池沿いに進む。

橿原神宮

末社長山稲荷社

橿原神宮

帰りは表参道より出る。

橿原神宮

北にある神武天皇御陵に行く。

橿原神宮

御陵前の拝所にて参る。いつかは皇陵巡礼もしたい。

橿原神宮
奈良県橿原市久米町934

大和橿原 鷺栖神社

鷺栖神社

橿原市に鎮座する鷺栖神社。御祭神は右殿に天児屋根命、中殿に誉田別命、左殿に天照皇太神の三柱。延喜式高市郡の鷺栖神社靫の比定社。

鷺栖神社

藤原宮跡の西に西向きに鎮座。

鷺栖神社

社前には飛鳥川が流れる。

鷺栖神社

境内に入ると左手に社務所らしき建物があるが無人であった。

鷺栖神社

柿本人麻呂の歌碑

鷺栖神社

鳥居をくぐって参道を進むと拝殿。その前に二の鳥居が立つ。

鷺栖神社

拝殿の先に本殿が見える。

鷺栖神社

本殿は塀垣に囲まれる。前の拝所に参る。

鷺栖神社
奈良県橿原市四分町305

大和飛鳥 飛鳥坐神社

飛鳥坐神社

明日香村に鎮座する飛鳥坐神社。御祭神は八重事代主神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神、高皇産霊神。延喜式高市郡の比定社で明神大社。

飛鳥坐神社

元伊勢笠縫邑の伝承地のひとつでもある。

飛鳥坐神社

変わった形状の手水

飛鳥坐神社

鳥居をくぐって左に社務所

飛鳥坐神社

祓戸社

飛鳥坐神社

階段を上ると右に折れ、そこに境内社が並ぶ。

飛鳥坐神社

さらに階段を上って進むと授与所のような建物があり、次は左に曲がる。

飛鳥坐神社

突き当たりに西良殿と神楽殿。

飛鳥坐神社

西良殿の束に仮面のような彫物がしてある。笑い顔のようで面白い。

飛鳥坐神社

西良殿の前に拝殿が南向きにある。

飛鳥坐神社

拝殿に参る。御簾が途中まで上げられ、本殿が見えるようで見えない。

飛鳥坐神社

拝殿の近くに寒桜が咲いていた。

飛鳥坐神社

拝殿から東へ進むと境内には多くの境内社が鎮座する。

飛鳥坐神社

境内社は合祭社もあれば一社単独のものもある。

飛鳥坐神社

末社白鬚神社

飛鳥坐神社

末社八阪神社と金比羅神社。間に男根と女陰の陰陽石が祀られている。境内には他にも陰陽石が祀られ、社務所にはちんちん鈴という授与品も頒布されている。

飛鳥坐神社

奥の社、御祭神は天照皇大神と豊受大神で、この社が元伊勢の根拠となっているようだ。

飛鳥坐神社

末社飛鳥山口坐神社、御祭神は大山津見乃神、久久乃知之神、猿田彦乃神。延喜式高市郡の比定社。

飛鳥坐神社
奈良県高市郡明日香村飛鳥707

大和御所 葛城一言主神社

葛城一言主神社

御所市に鎮座する葛城一言主神社。御祭神は葛城一言主大神で、幼武尊を配祀する。延喜式葛上郡の比定社で明神大社。葛城山の西麓に鎮座する。

葛城一言主神社

北から神社へ向かう道路

葛城一言主神社

途中鳥居がある。

葛城一言主神社

社殿は東向き。階段を上って境内に入る。

葛城一言主神社

階段下に手水と祓戸社がある。

葛城一言主神社

階段を上ると左に樹齢1200年を越えるという御神木の大イチョウ。

葛城一言主神社

拝殿に参る。

葛城一言主神社

境内に立つ旗や看板でさかんに見る「一陽来復守り」

葛城一言主神社

自分にはなじみがないが、冬至の2日前から節分までに限り授与されるお守りで、魔を滅し福に転ずるという無事息災のお守り。今年の冬至は昨日だったので、今日も参拝者は多い。

葛城一言主神社

拝殿右に蜘蛛塚。謡曲土蜘蛛の題材ともなった供養塔

葛城一言主神社

本殿右に境内社が並ぶ。一言稲荷神社

葛城一言主神社

その右に四社並ぶ。市杵島社、天満社、住吉社、一番奥が八幡社と神功皇后社の合祭社となっている。

葛城一言主神社

帰りに社務所で御朱印をいただき、東の国道24号線へ向かう途中に鳥居が立っている。
御朱印には参拝日が書かれていない、という意味では神札のような体裁だ。

葛城一言主神社
奈良県御所市森脇432

近江犬上 胡宮神社

胡宮神社

多賀町に鎮座する胡宮神社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱。延喜式犬上郡の多何神社の論社。

胡宮神社

裏参道入口の駐車場に停め、境内に入る。左に歴史民俗資料館は平成12年に閉館している。

胡宮神社

胡宮神社と名神高速多賀SAの一帯は中世の大寺院敏満寺のあったところで、胡宮神社は胡宮大明神と呼ばれ、敏満寺の守護神として祀られていた。織田信長により焼き討ちにあった後、神社境内として整備されたときに井戸に散乱していた焼石や五輪塔を投げ込んだといい、この古井戸と井戸を掘り返して出てきた石塚が旧敏満寺を偲ばせる。

胡宮神社

境内のすぐ南を名神高速が走り、平野が琵琶湖まで広がる。

胡宮神社

絵馬殿

胡宮神社

まさしく絵馬が架かる。

胡宮神社

福祉会館と重源上人のレリーフが建つ。

胡宮神社

拝殿へと続く道があるが、ひとまず表参道へ向かう。

胡宮神社

高速高架下から表参道が延びる。高架下あたりにかつて仁王門があったという。

胡宮神社

表参道の階段は広い。

胡宮神社

階段を上ったところに神輿倉。

胡宮神社

拝殿下の平地にはかつて敏満寺の金堂が建っていたという。

胡宮神社

胡宮神社のかつての別当福寿院へ続く参道。階段の脇には石垣が積まれ、砦機能を持った敏満寺の姿を想像させる。

胡宮神社

旧福寿院、現在は社務所となっている。

胡宮神社

社務所の東に名勝となった庭園があり、書院から鑑賞するように池と奥の築山につつじなどが植えられた鑑賞式林泉園の庭園である。

胡宮神社

庭園から一段上がったところに観音堂、本尊は石像楊枝観世音菩薩

胡宮神社

隣に無数の石仏群が祈りの世界を広げる。

胡宮神社

大日堂

胡宮神社

大日堂と本殿の出入口門の両側に塀が建つが、老朽化でかなり痛んでいる。

胡宮神社

門をくぐると奥にむかって参道が続く。胡宮神社の奥宮の磐座への参道。胡宮神社の神体山の青龍山の頂上には大きな磐座があり、その遙拝所として奥宮があるという。

胡宮神社

本殿右に境内社が二社。

胡宮神社

拝殿に参る。といっても本殿は現在屋根を修復中で、境内の熊野神社へ遷座中という。

胡宮神社

寿命石・枕石。重源上人は東大寺再興を願い延寿を胡宮神社で祈ったという。

胡宮神社

拝殿左に斎館。授与所らしき窓口もあるがこちらも無人。

胡宮神社

遷座中の熊野神社

胡宮神社
滋賀県犬上郡多賀町敏満寺49

近江犬上 多賀大社

多賀大社

多賀町に鎮座する多賀大社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱。延喜式犬上郡の多何神社の論社。

多賀大社

社前にはみやげ店が並ぶ。

多賀大社

社殿は西向き。社前には堀が巡る。

多賀大社

御神門の前に石橋の太閤橋が架かる。本来は形状から太鼓橋であるが、太閤秀吉の崇敬が篤かったことから太閤橋と呼ばれるようになったという。

多賀大社

太閤橋を渡ると右に境内社の愛宕神社と秋葉神社。

多賀大社

左に境内社の天満神社。

多賀大社

御神門からまっすぐ参道が延び、拝殿が見える。

多賀大社

御神門をくぐると右に神馬舎。

多賀大社

拝殿に参る。

多賀大社

拝殿の左に授与所があり、御朱印をいただいた。

多賀大社

社務所前に絵馬殿

多賀大社

絵馬殿にたがゆいちゃんの看板がある。多賀町のゆるキャラだ。

多賀大社

拝殿右に能舞台がある。

多賀大社

能舞台後ろに寿命石。重源上人が二十年の延命を感得する霊験をいただいた際のゆかりの石という。

多賀大社

境内社年神神社と竈神社。

多賀大社

右が三宮神社と聖神社。左が天神神社、熊野神社、熊野新宮。

多賀大社

一番奥に金咲稲荷神社が鎮座する。

多賀大社

次に社務所より北を行く。文庫は幕末の大祢冝車戸宗攻の邸内にあって、長州や土佐の志士らと密議を行った場所という。

多賀大社

大釜。徳川幕府から寛永11年と元禄11年の正遷宮を記念して奉納された御湯神事の調度という。

多賀大社

神輿庫と鐘楼

多賀大社

太閤蔵。太閤秀吉公が生母大政所の病気平癒を祈願し、全快のお礼として米一万石を奉納したといい、その寄進により築造された一つという。

多賀大社

参集殿

多賀大社

夷神社、御祭神は事代主神。この辺りは境内にあった不動院、般若院、成就院、観音院の四つの神宮寺のうちの、般若院があったところという。

多賀大社

西参道の入口には神明両宮、子安神社、日向神社。

多賀大社

摂社日向神社、御祭神は瓊瓊杵尊。延喜式犬上郡日向神社の比定社。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604

多賀大社

大釜。徳川幕府から寛永11年と元禄11年の正遷宮を記念して奉納された御湯神事の調度という。

多賀大社

神輿庫と鐘楼

多賀大社

太閤蔵。太閤秀吉公が生母大政所の病気平癒を祈願し、全快のお礼として米一万石を奉納したといい、その寄進により築造された一つという。

多賀大社

参集殿

多賀大社

夷神社、御祭神は事代主神。この辺りは境内にあった不動院、般若院、成就院、観音院の四つの神宮寺のうちの、般若院があったところという。

多賀大社

西参道の入口には神明両宮、子安神社、日向神社。

多賀大社

摂社日向神社、御祭神は瓊瓊杵尊。延喜式犬上郡日向神社の比定社。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604

大和桜井 狭井神社

狭井神社

桜井市に鎮座する狭井神社。御祭神は大物主大神の荒魂を主祭神とする。延喜式城上郡の狭井坐大神荒魂神社の比定社。

狭井神社

大神神社摂社で、拝殿北のくすり道から向かう。

狭井神社

摂社だが社号標がある。

狭井神社

階段を上り、大神神社と同じような木々の間に注連縄を掛けた鳥居をくぐって境内に入る。

狭井神社

拝殿に参る。拝殿の屋根は苔生している。

狭井神社

拝殿左にご神水があり、多くの人が水を汲んでいる。狭井神社には本殿がある。

狭井神社

ご神水は三輪山から湧き出た霊水である。

狭井神社

拝殿右から大神神社の神体山の三輪山への登山口がある。許可が必要でこの先は撮影禁止である。

狭井神社
奈良県桜井市三輪

39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録