糸魚川の奴奈川神社。主祭神は奴奈川比売命、配祀として大日霊尊、八千矛命。
延喜式内社の奴奈川神社の論社のひとつ。
社殿は南向き。
境内は広く、公園となっている部分もある。
拝殿に詣る。
弊殿を通って本殿が見える。
拝殿の西側に複数の石祠が並ぶ。
本殿裏にも石碑が並び、合祀殿風もある。本殿裏の東西に石が立っている。
本殿東側にも石祠がある。
注連縄を掛けられた神域に大きい石がある。かつての磐座なのか。
境内社として天満宮が鎮座する。
奴奈川神社
新潟県糸魚川市田伏569
糸魚川の奴奈川神社。主祭神は奴奈川比売命、配祀として大日霊尊、八千矛命。
延喜式内社の奴奈川神社の論社のひとつ。
社殿は南向き。
境内は広く、公園となっている部分もある。
拝殿に詣る。
弊殿を通って本殿が見える。
拝殿の西側に複数の石祠が並ぶ。
本殿裏にも石碑が並び、合祀殿風もある。本殿裏の東西に石が立っている。
本殿東側にも石祠がある。
注連縄を掛けられた神域に大きい石がある。かつての磐座なのか。
境内社として天満宮が鎮座する。
奴奈川神社
新潟県糸魚川市田伏569
糸魚川の大神社。御祭神は高皇産靈尊、大己貴命、少彦名命。延喜式内社の大神社の論社のひとつ。
室町時代作といわれる男神・女神坐像一対が伝わり、管相公(男神)と吉祥女(女神)の御神像といわれ、菅原道真公、吉祥女が配祀されている。
小山に神社は鎮座する。
階段を上る。
階段の途中に3つの石祠が祀られている。
階段を上がると社務所兼自宅があるが、留守だったので御朱印の有無は不明。
さらに進むと神社正面の鳥居をくぐって境内に入る。
拝殿に詣る。
社務所に近い鳥居は上部が直線ではなく、少し反り上がっている。
大神社
新潟県糸魚川市平1345
糸魚川能生の白山神社。御祭神は奴奈川姫命、伊佐奈岐命、大己貴命。
古代奴奈川族の首長、奴奈川姫を祀って産土神としたのが始まりといわれており、かつては権現岳にあったという。
延喜式内社の奴奈川神社の論社のひとつで、白山信仰の布教拠点として神仏習合した際に白山権現と改称された。
平安後期の木像聖観音立像が伝わり、越後三十三観音霊場を始めるにあたり、まずは白山神社に詣ることがしきたりだったということで、書き置きの御朱印は「聖観音菩薩」となっている。宮司が常駐しておらず、総代さんがこれだと言われていましたが、神社名の墨書きも本務社のほうではしているようです。
鳥居をくぐり、階段を上ります。
境内に入ると左手に社務所、奥に檜皮葺の拝殿が建つ。
拝殿右手に御旅所がある。拝殿後方の山が尾山で、旧社殿は山中にあった。
拝殿に詣る。
後方の本殿は国重量文化財。
本殿横には神仏習合時代の石祠が複数ある。
境内には旧講堂だった建物が、境内社の秋葉神社となっている。
能生白山神社
新潟県糸魚川市大字能生7238
糸魚川の藤崎神社。御祭神は大己貴命、天照皇大神、豊受大神、品陀別命。合祀なのでもとの主祭神は不明。
江戸時代に「大社神社」と称し、頸城郡の延喜式内社の大神社の論社であるが大社という名称からと思われる。地元では式内社とは称していないようだ。
田と畑の広がる丘陵の中に鎮座する。
田んぼの先に日本海が広がる。
短い階段を上り、畑の横の参道を進む。
鳥居をくぐると、参道は急角度にUターンして拝殿に至る。
参道が付け替えられたのか、社殿の向きが変わったのか、ちょっと不可思議な位置関係です。
杜に囲まれた社殿は昼間でも薄暗く、小さな虫も飛んでいるのでお詣りして早々に帰ります。
藤崎神社
新潟県糸魚川市藤崎2124
糸魚川の水嶋磯部神社。御祭神は健御名方命、天照皇大神、豊受大神、奇日方命、船玉神。
江戸時代は諏訪大明神と呼ばれていたそうで、健御名方命が主祭神というところか。
神社は高台に東向きに建っている。
頸城郡の延喜式内社の論社。
拝殿に入る。この辺りの記名奉納額は写真入りで、たくさん並んでいた。
本殿後ろには彫刻入り板塀が左右に3枚ずつ奉納されていた。
境内からは眼下に筒石漁港が見える。海岸沿いに国道8号線が通り、神社のある台地まで一気に標高が上がる。
海に向けて境内社が建っている。
中の石祠の横に恵比寿らしい像があるので、事代主命か蛭子命か。
神社の背後には南向きに観音堂が建っている。神仏習合の名残なんだろう。
水嶋磯部神社
新潟県糸魚川市筒石463
上越市名立の江野神社。旧県社で延喜式内社の論社。
御祭神は、建御名方命、事代主命、大己貴命、素佐能男命、稻田比賣命、屋主忍男武雄心命、影姫命、武内宿禰命と多いが、明治の神社整理による合祀の影響のようだ。
(御朱印はあったようだが、あらかじめ連絡が必要なようだ。)
入口の社号石碑があり、後方の小山に鎮座する。
一端西に上って、鳥居をくぐり東から南へ折れて社殿に至る。
社務所前に手水舎、その横に境内社として稲荷社がある。
拝殿は銅板葺きで新しく感じたのだが、後で調べてみると数年前までは茅葺きだったようだ。
彫刻は珍しいもの。布袋と恵比寿だろうか。
木鼻の彫刻は鯛と海老で、こちらも珍しいが日本海が近いので豊漁祈願の意味があるようだ。
拝殿の中で詣る。
入口鳥居の参道とは反対方角にも境内社が建っている。
鳥居前には「琴平神社」の石碑があるが、社殿に入ると「秋葉神社」の扁額がかかっていた。
とすると、山の斜面にあるこの石祠が琴平神社なのか?
江野神社
新潟県上越市名立区名立大町字明神山1335
上越市名立の山中に鎮座する圓田神社。御祭神は道臣命、大己貴命、少彦名命。
頸城郡の延喜式内社の論社。
日本海沿いの8号線から南に5キロ、どんどん山の中に入っていくが、集落に入ってまた山を上る。
上りの途中に正面参道の階段があるが、車を停める場所もないので、もう少し上って背後に回る。
社殿は高い木々に囲まれていて麓からは全く見えない。
鳥居をくぐって境内に拝殿が建つ。平坦地はそれほど広くはない。
拝殿は開いたので、中で詣る。
壁には全国各地の絵馬がかかっていた。地元の方が奉納したものでしょうか。
境内には石祠が1社あったが詳細は不明。
大木は御神木の役割と同時に、社殿を守っているようだ。
南方には雪をかぶった、たぶん火打岳と新潟焼山が見える。
圓田神社
新潟県上越市名立区丸田字宮ノ下476
上越市の8号線沿いに鎮座する阿比多神社。御祭神は少彦名命、相殿に菅原道真公。
頸城郡延喜式内社の論社で、古くは高志山に鎮座していたという。順徳上皇が佐渡に流罪となったとき、越の長浜は名所であるとして参拝されたと伝わる。その時、北野天神の御神像を当社に納められて以来、菅公を合祀することになった。
長浜天神と称された祭神は少彦名命であったが、天満宮と混同されたという説もある。
8号線沿いに鳥居が建つ。
参道は線路をまたぐ。8号線は交通量が多いので車はこちら側に止めたほうが無難です。
小さな川沿いの道を進んで橋を渡る。
鳥居をくぐると階段を上って社殿に向かう。
社殿に詣る。
拝殿は細かい彫刻があり、正面の龍だけでなく、外壁に鶏、鶴、梅や波が彫られている。
社殿北に境内が並んでいる。山中にあってもきれいにされていた。
[2024/5/24追記]
御朱印ができたということで再拝してきました。
線路をまたぎ参道入口に「谷浜鉄見デッキ」ができていました。後でお聞きしたところによると、御朱印とともに谷浜の名所にと建築したそうです。
この辺りは鉄道がまっすぐに通過するので、デッキの上からいい写真が撮れそうです。
階段を上り拝殿に参る。
前回もそうでしたがきれいに草刈りがされた清浄な境内です。宮司の常駐していない社なので氏子の方々が清掃しているのでしょうけど、最近は少なくなりました。清浄な空気に心も落ち着きます。
令和3年1月から頒布が始まったことを伝える記事が拝殿に貼ってありました。
横に御朱印を頒布しているいそや旅館、坪田旅館、彦治ヱ門の3ヶ所の旅館の地図があります。
坪田旅館で御朱印と阿比多神社の説明書きを何枚もいただきました。
阿比多神社
新潟県上越市長浜904
高田市街に鎮座する直江八幡宮。御祭神は誉田別命、息長帶姫命、玉依姫命。
元は直江津福島に鎮座していたといい、延喜式内社の江野神社の論社となっている。
御朱印は授与していないということだった。
南向きの境内。
印象的な朱色の鳥居をくぐる。
鳥居をくぐってすぐ右手の杉?の木は途中で折れているが、横から見ると元は夫婦杉だったようだ。
拝殿に詣る。
拝殿内には複数の額が掲げられていた。八幡宮額の手前には和算額、奥の本殿手前には「江野神社」の揮毫額が掲げられている。
拝殿前には桶を重ねたものも。水の信仰もあるようだ。
境内には石祠が複数ある。詳細がよくわからないものも多いが、稲荷社が多いようだ。
反対側にも稲荷社。
入口鳥居脇からももうひとつ鳥居をくぐり、稲荷神社が建つ。
拝殿横に庚申堂が連なる。
その横に小ぶりの建物。社務所で尋ねると舞殿ということであった。
直江八幡宮
新潟県上越市東本町4-21
妙高市の斐太神社。御祭神は八千矛神が主祭神、積羽八重事代主神と建御名方命をが相殿に祀られる。八千矛神は大国主命、積羽八重事代主神は事代主命とされている。戦国時代は後方の山上に築かれた鮫ヶ尾城の鬼門鎮守として上杉氏の篤い庇護を受けたという。
旧社格は郷社で、頸城郡の延喜式内社とされる古社でもある。
鳥居をくぐり参道を進むと、杉が両脇に林立する階段を上る。
風格のある拝殿に詣る。
地域の大社だけあって、拝殿には新潟県知事の揮毫額が複数掲げられている。
境内社は階段を上ったところすぐに稲荷社。
拝殿左方に雁田神社と石祠が見える。
雁田神社の御祭神は奉納額からも伊弉諾尊、伊弉冉尊とわかる。
子宝・安産祈願の社のようで、奉納物もそれらしいものがある。
石祠は調べると八幡社のようだが、3つあるので後方の祠はまた違うものかもしれない。
参道脇の社務所兼自宅で御朱印のことを伺いましたが、書く人が不在ということで今日は縁がありませんでした。
斐太神社
新潟県妙高市宮内字屋敷連241
発行:大日本神祇会山形縣支部
発行日:1943年1月25日
ページ数:407ページ
山形県の神社明細表を基本として、県下の神社を収録した神社誌。祭神、由緒、例祭日などの項目立て。無格社については一覧形式で祭神と由緒を掲載する。
続きを読む 山形縣神社誌
編集発行人:阿伎留神社社務所
発行日:1961年7月30日(非売品)
ページ数:12ページ
東京西多摩郡の延喜式内社である阿伎留神社の小冊子。社務所の完成記念として発行されたようです。
続きを読む 阿伎留神社誌
編者:松岡利夫
発行所:山口大学文理学部国史研究室
発行日:1963年1月30日
ページ数:25ページ
正月から年末まで県内で行われる祭祀を、月日、祭礼名、旧社格(宗教)、神社(寺院)名、所在地、祭儀の概要の6項目で列挙する。県内の祭祀が一覧となっているのは参考になる。
発行者:水堂須佐男神社震災復興実行委員会
発行日:1999年7月18日
ページ数:171ページ
阪神大震災で倒壊した尼崎市にある須佐男神社の宮司であり作家でもある著者が、復興までの道のりを記録し、資料的価値を高めている。神社が地域の人の力に支えられているとあらためて感じる1冊。
続きを読む 須佐男神社震災復興記念誌 被災から復興までの四年間の記録 1995-1999
編集:埼玉県神社庁神社調査団
発行:埼玉県神社庁
発行日:1999年3月19日(非売品)
ページ数:74ページ+神社索引41ページ
埼玉県神社誌「埼玉の神社」の刊行を記念した冊子で、神社誌が完成するまでの長い道のりと数々の苦労がよくわかる。あれほどの大著なので編集の苦労は言わずもがなと考えるが、今しかないという志を持って編集されたことに気持ちがいっぱいになります。
続きを読む 「埼玉の神社」刊行事業報告書 附 神社索引
編集兼発行:神社本庁
発行日:1995年3月31日(非売品)
ページ数:688ページ
「本書は、戦後における神宮式年遷宮の研究・講演・記録などの主要なものを集成するため、その内容を歴史・祭儀・神宝・奉賛および資料の七篇に分け、それぞれの領域を代表する関係論文や記録・資料を収載した。また、遷宮の流れに理解を促すた為、巻末に関係諸表を付した。」
続きを読む 第六十一回神宮式年遷宮記念 遷宮論集
発行:国立歴史民俗博物館
発行日:2006年3月31日
ページ数:459ページ
「本書は、信濃教育会東筑摩部会が昭和19年から翌20年にかけて作成した長野県東筑摩郡「神社誌」のうち、現在所在が確認された69冊の「神社誌」を翻刻し、作成当時の町村単位で収録した。」
「東筑摩郡誌別篇」氏神篇の刊行を目的とする氏神篇編纂事業は、昭和18年7月9日に東筑摩郡本郷村本郷国民学校における氏神信仰調査に関する柳田国男氏の講演を受けて本格的に始まったもので、戦時下に実施された調査として、戦争と神社の記録として翻刻されたものです。氏神篇編纂事業は頓挫し未完となったようで、県単位の神社誌が発刊されていない長野県においても貴重な書となっている。
続きを読む 基幹研究「戦争体験の記録と語りに関する資料論的研究」翻刻資料集2 長野県東筑摩郡「神社誌」
高岡の延喜式内社、二上射水神社春季例大祭である築山神事を見てきました。
4月23日に開催され、今年は土曜日となりました。
神事は午後2時からでしたが、初めてだったので早めの12時過ぎに到着しました。
三本杉の前に舞台が組まれていました。
四天王の後ろ、天狗面の神様が最上段。
築山は県内では二上射水神社と放生津八幡宮の2社のみに残る祭礼です。
まだ閑散とした拝殿では
すでに供物が供えられていました。
時間があったので、来る途中に見た獅子舞を探して上二上公民館まで移動し、昼休みが終わって出発した行列について、再び二上射水神社まで
先頭は現代獅子、後ろに獅子舞が続きます。
上二上の獅子舞は最近は土日に行われるようなので、築山神事と同時に行われる機会は珍しくなったようです。
最初に拝殿前、木像男神座像社前、忠魂碑前と獅子舞が舞われる中で
築山神事のために舟形神輿が拝殿前に移動されます。
獅子舞にはいくつかの舞があり、どれも軽快な音と踊りで楽しげでした。
舟形神輿が移動され、拝殿で祭礼が始まった頃、木像男神座像の御開帳と
資料館の公開が神事終了の4時までの時間限定で始まりました。
さて、築山神事が始まります。
舟形神輿への神遷しの神事が行われ、現代獅子を先頭に行列が進みます。
獅子舞は町内へ戻っていきました。
舟形神輿は山車の原型とも言われており、神様を乗せて進みます。
舞台の前に舟形神輿が到着し、築山に神様を遷して神事が執り行われます。
現代獅子、巫女舞、祝詞などが行われ、
最後は神様を舟形神輿に遷して本殿に帰ります。
築山はあっという間に元に戻ります。神様を怒らせないように神事の間のつかの間の祭壇となります。
神事が終わった後の供物です。はべん(かまぼこ)の鯛が富山らしいです。
拝殿前で舟形神輿から本殿に神遷しの神事が行われ、神様は帰っていきました。
今日は見物客も多かったし、獅子舞も同日に行われ、とても興味深い祭礼でした。
氷見市の田子浦藤波神社。御祭神は天照大神。
「藤波の 影なす海の 底清み 沈く石も 珠とそわが見る」
越中国司として赴任した大伴家持が詠んだ、この付近の和歌が残っている。
また能の「藤」はこの神社を舞台としており、藤の精のモデルとなった藤がとてもきれいな神社でもある。
階段の脇から鳥居に乗りかかるように植わっている藤の木が一番古い。
5月中旬が見頃ということであるが、今日の状態はこのくらい。まだ早かった。
階段を登って拝殿に詣る。
本殿の裏には「大伴家持卿歌碑」が立っている。
今度は藤が満開の頃にもう一度来てみたい。
田子浦藤波神社
富山県氷見市下田子1429
著者:宇井邦夫
発行所:巖松堂出版
発行日:1998年11月20日
ページ数:234ページ+総覧71ページ
価格:4,500+税
「紀州熊野三山を祖とする熊野神社222社と関連社を全国に訪ね、その由緒と歴史を豊富な写真と図表を織り混ぜながら綴った易しくユニークな神社歴訪記。」
[amazonjs asin=”4873569117″ locale=”JP” tmpl=”Small” title=”熊野神社歴訪”]
続きを読む 熊野神社歴訪
監修:石清水八幡宮宮司 田中恆清
発行所:戎光祥出版
発行日:2001年1月7日
ページ数:175ページ
価格:2,200円+税
「伊勢の神宮と併せて二所宗廟と称せられ、積極的に行動する託宣の神であった八幡神はいちはやく神仏習合して八幡大菩薩と名乗りやがて源氏に奉じられ、武家の守護神となる。国家神にして軍神でもある八幡神の様々な魅力と歴史に秘められた謎を解き明かす至高の一書。」
八幡神社の総本社である宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮の三社を中心に八幡神を紹介する。神仏習合時代の八幡神の神像もカラーで紹介されている。参拝の前に一読すれば、境内の見どころを深く理解できそうです。
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続きを読む 八幡大神 鎮護国家の聖地と守護神の謎 イチから知りたい日本の神さま③
監修:中村陽
発行所:戎光祥出版
発行日:1999年11月10日
ページ数:175ページ
価格:2,200円+税
「日本人はなぜ、お稲荷さんに魅せられるのか。伏見稲荷大社と「お山」の信仰世界、稲荷大神にまつわる多くの謎と多様な歴史に分け入り、お稲荷さんの魅力に迫る待望の一冊。」
稲荷と言えば、カバー写真にも写るキツネが思い浮かぶが、どういう神様なのか?稲荷神の総本社である伏見稲荷大社を中心にその全貌を多角的に解説している。
[amazonjs asin=”4864030030″ locale=”JP” tmpl=”Small” title=”稲荷大神 (イチから知りたい日本の神さま)”]
続きを読む 稲荷大神 お稲荷さんの起源と信仰のすべて イチから知りたい日本の神さま②
海越しにうっすらと立山が見えるほどの良い天候に恵まれて、能登町の曳山祭宵山を見てきました。
曳山祭は約470年前に畠山七尾城主が五穀豊穣を祈願して神事を執り行った際の出し物で、畠山氏から分家した白山宮司が受け継いだ春祭りの行事で、宇出津では白山神社、酒垂神社が1台ずつ曳山を出す。曳山を人形で飾り、太鼓やシャギリで囃し立て、木遣りに合わせて進む。
出発を待つ酒垂神社の曳山です。今年のテーマは源平合戦壇ノ浦。
源義経の八艘跳びと平知盛の人形が飾られている。
曳山の浦は七福神。
先に神事が始まる白山神社前に移動しました。
白山神社の曳山のテーマは高尾の身請話。
高尾太夫と島田重三郎の人形が飾られている。
1時を少し過ぎて神事が始まりました。五穀豊穣と祭事の安全を祈って祝詞が読まれます。
神事を終了して、シャギリと木遣りを唄う方を3人前に乗せ、まずは白山神社の神に木遣りを奉納するため、白山神社鳥居前に向かいます。
木遣りが終わると再び今度はバックして、元の位置に戻り、子供たちをのせ街中へ進む。
酒垂神社の曳山はお旅所を出発し、あばれ祭でキリコが通る酒垂神社前通りを進む。
写真では伝わりにくいですが、太鼓のシャギリの早い調子、木遣りのゆったりした調子の繰り返しで祭り気分は最高潮に達します。あばれ祭に比べると観客が少なく知名度はまだ低いようです。
曳山祭日程(2016年)
15日(金) 人形見 18:00~21:00
16日(土) 宵山 13:00~21:00
白山神社曳山
13:00 神事
14:00 白山神社前出発
15:00 梶川橋
16:30 数馬タバコ店前
18:00 梶川橋
21:00 白山神社前
酒垂神社曳山
14:00 お旅所(天保島)出発
15:00 北國銀行前
16:30 数馬タバコ店前
18:00 北國銀行前
21:00 お旅所(天保島)
17日(日) 朝山 2:00~8:00
本山(戻り山) 13:30~22:00
七尾市の西宮神社。御祭神は事代主神、気長足姫尊、金山彦神。
嘉永2年6月、西地子町(現富岡町)浜地に於て社殿を再興し、明治元年奧夷社と称するという。
明治5年10月西宮神社と改称した。これは恵比寿本社の社名を称したのであろう。改称前の奥えびすはどこの恵比寿社に対しての奥社だったのだろうか。
社殿は南向きで旗立てが拝殿前に立っている。
拝殿の扉には社紋が掘られている。
境内に一社小祠があったが、詳細は不明。
西宮神社
七尾市富岡町70
七尾市の金刀比羅神社。御祭神は大物主神、猿田彦神。
およそ180年余前、旧七尾町富岡町(今の魚町)の和倉屋佶兵衛(小島和三郎の祖)が、讃岐の金刀比羅神社より勧請したという。
港に近く、当地船乗業者の守護神と仰がれたようで。
帰りに鳥居が文政十二年と刻まれていて、先ほど見た印鑰神社の灯籠も文政十二年だったので、七尾町はこの年大変賑わっていたのかな、と想像しました。
本殿には弘化4年狛犬や、赤と黒の朱塗りの巨大な天狗面があるようで見てみたかった。
金刀比羅神社
七尾市三島町69
七尾市の印鑰神社(いんにゃくじんじゃ)。御祭神は市杵嶋姫命ということになっているが、もとは能登国府の国津であった香島津(今の七尾港付近)に近く、印璽と倉鍵を管理した施設で、印と鍵を神格化して祀っていたと言われる。
境内には物が散乱していますが、
来月3日から開催される青柏祭に向けて、府中町の山車の組立てが始まっていました。大きいので、総出で一斉に組み立てます。
拝殿に詣ります。写真を撮っていると、組み立てを中断して昼休みに入った地元の方に声をかけていただき、由来や拝殿内を案内していただきました。
県歴史博物館に寄託されている神道曼荼羅や、こちらの歌舞伎開催の奉納額。明治のものですが、県内では能楽や相撲が盛んで同様の奉納額が見られますが、歌舞伎のものは珍しいですね。
俳句の奉納額もありました。文政十二年の奉納灯籠もあり、古くから信仰を集めていたことがわかる。
境内に末社が三社あったようだが、一社参り忘れました。
拝殿左側に不動尊堂。御祭神は天手力男命になるのかな、よくわからない。
もう一社本殿左横に鎮座する西宮神社。かつて印鑰前通りにあった恵比寿堂を遷座したという。恵比寿、つまり事代主命になるのか。
恵比寿さんということで、総本社と同じ西宮神社という名称にしたのか、本殿の西に鎮座するので西宮神社としたのか、命名の経緯は不明。
最後に昼休みに入って、人がすべて降りたでか山をしばし見上げていた。
印鑰神社
七尾市府中町223
七尾市所口町に鎮座する能登國玉比古神社。
かつては七尾町の御古跡山に鎮座していたという。現在の小丸山一帯で
前田利家が入封のとき、山上の七尾城から港に近い小丸山に城を移すにあたり、神社を現在地に遷座したという。
上から眺める七尾の市街ほぼ一帯が現在でも氏子になっている。
一本杉通りの御祓川にかかる橋、仙対橋は架け替えられているが玉橋(勅使橋)といい、境内の名残という。
能登國玉比古神社(旧地)
石川県七尾市馬出町レ59-2(小丸山城址公園)
七尾市の火司神社(ひづかじんじゃ)。御祭神は軻具都知神、天照皇大神、豊受姫大神。
社号標などは「火司神社」となっているが、神社庁登録名は「火司社」か
鳥居横の桜が満開でとてもきれいだった。
鳥居をくぐり参道を少し進むと階段になる。
鳥居横に力石らしい石が転がっていた。
階段を上って境内に向かう。
社殿は西向き。拝殿とつながって本殿が後ろにある。
社殿の右のほうに薬師堂が建っている。国分寺にあった薬師堂を移築したと伝えられるが、時期は不明。
薬師堂には「国分寺薬師殿」という扁額が掲げられている。
境内からは眼下に能登国分寺が見える。当地は能登国府の西の丘陵地に位置し、周辺には古墳も多い。
火司神社
七尾市国分町オ1丙
珠洲市宝立町の愛宕神社。別名「高井の地蔵杉」と言われる大杉に寄り添うように建立された小祠。
神社庁管下の神社ではないため、由緒や御祭神は不詳。
当地にはかつて法住寺へ行く道標として地蔵堂があった。地蔵堂が壊れたため、地蔵様を杉の枝の又に置いたところが巻き込まれたという伝説がある。
当地は平地から法住寺へ向かって上り始める場所であり、参詣道の途中というより、入口ということになろうか。
現在は宝立町春日野のキリコが宿神社と愛宕神社を往復する。宿神社は水の神を祀るので、火の神を祀る愛宕神社としたのか、それとも法住寺の地蔵堂を引き継ぎ地蔵の化身とされる愛宕神を祀ったのか、いずれにしても明治になって神社として分離独立されたものと考えられる。
御神木の大杉は樹高17メートル、幹周り7メートル、樹齢は約700年と言われる。最近8年間で枝が2本大きく裂け落ちたらしい(2009年までは枝が折れていなかったことを確認)。枝が左右に大きく伸び広がる様はお不動の火炎のようだと言う人もいる。
愛宕神社
石川県珠洲市宝立町春日野高井
珠洲市三崎町の二本松神社。御祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊。
社名は在地の三崎町二本松から来ている。由緒を調べてみたが全く不詳であった。
集落の成り立ちを調べてみると、もとは珠洲郡本村であって、昭和22年に何らかの理由で分離して独立した大字となっている。神社はその後集落の鎮守として建立されたものと考えられる。
今日は別の用事で珠洲へ行ったのだが、道路に面して境内の桜があまりにきれいだったので参拝した。
社殿に向かって右に桜、左に椿が植えられている。
能登は金沢より数日満開が遅れるので、ちょうど九分咲きくらいで見頃だった。
社殿は拝殿の後ろに本殿が少しはみ出る形式のもの。
二本松神社
珠洲市三崎町二本松い部6-2