越前今庄 鹿蒜神社

鹿蒜神社

今庄の鹿蒜神社(かひるじんじゃ)。御祭神は誉田別尊、伊弉諾尊、武甕槌命。敦賀郡の延喜式内社の比定社。

鹿蒜神社

集落のほぼ中央に鎮座する。

鹿蒜神社

神社は階段を上り、小山を上るように建っている。

鹿蒜神社

拝殿より前は木々に囲まれている。

鹿蒜神社

拝殿の後ろに長い階段を上り本殿に至る。

鹿蒜神社

拝殿左に基壇があり、三社分の場所があるが中央一社のみ建っている。

鹿蒜神社

扁額は「八幡宮」となっており、鹿蒜神社は八幡宮と称していてその扁額か?

拝殿に掛かる由緒書きには
境内社 秋葉神社(火産霊神) 元禄2年
    稲荷神社(稲保命) 元禄2年
    金比羅神社(金山彦命) 嘉永3年
と書かれているが周囲に社は見当たらない。この境内社に合祀されているのか、本殿の覆屋の中になるのか。

鹿蒜神社

当地は奈良時代より鹿蒜郷宿駅が置かれた地であり、北陸道今庄宿と敦賀を結ぶ重要な地であったようだ。

鹿蒜神社
福井県南条郡南越前町字南今庄40-3

越前今庄 鹿蒜田口神社

鹿蒜田口神社

今庄の鹿蒜田口神社。御祭神は誉田別尊で、大山住命と大山咋命を配祀。
敦賀から今庄へ至る木ノ芽峠越えの途上に鎮座する。敦賀郡の延喜式内社の比定社である。

鹿蒜田口神社

集落から田畑の間を参道が通る。

鹿蒜田口神社

二つの鳥居を結んでまっすぐ延びる。

鹿蒜田口神社

二の鳥居をくぐると境内に入り、拝殿が建つ。

鹿蒜田口神社

拝殿に詣る。

鹿蒜田口神社

拝殿の後ろに本殿が鎮座する。

鹿蒜田口神社
福井県南条郡南越前町新道11-1

越前疋田 気比神社

気比神社

敦賀市の気比神社。御祭神は仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、素佐之男尊、大山祇命。
もと伊多伎夜谷にあった山神神社を合祀しているが、敦賀郡の延喜式内社の論社である。

気比神社

国道8号線から刀根の集落に入り気比神社は鎮座している。ここより東に進むと、現在も交互通行の一方通行トンネルの柳ヶ瀬トンネル。そのトンネルの尾根筋に賤ヶ岳合戦で柴田勝家が本陣を置いた玄蕃尾城跡がある。

気比神社

印象的な赤い鳥居をくぐる。

気比神社

鐘楼がある。福井には神社境内に鐘楼の残る所も多い。

気比神社

拝殿の後ろに一段上がって本殿がある。拝殿には絵馬が数枚掛けられていた、

気比神社

本殿に詣る。

気比神社

本殿前には三対の狛犬が奉納されている。

気比神社

本殿右に境内社が一社。天照皇大神宮と常宮神社の相殿。

気比神社

本殿左に境内社が一社。愛宕神社と不明の一宮の相殿。

気比神社

さらに左にひとまわり大きな社は金比羅神社。

気比神社

さらに左に稲荷大明神。
こちらの神社は榊も新しく地元の方々にしっかりと管理されているようです。

気比神社
福井県敦賀市刀根21-8

越前敦賀 志比前神社

志比前神社

敦賀市の志比前神社。御祭神は経津主命。敦賀郡の延喜式内社の比定社。
志比前神社は気比神宮の四方鎮護の一社で、敦賀郡の南方鎮守社であった。

志比前神社

国道8号線から集落に入ると道が狭くなるので、入ってすぐのところの集会場にとめて歩いて向かう。
一本線路をわたり、もう一本はガード下をくぐる。

志比前神社

すぐに神社が鎮座している。

志比前神社

階段を上ると鳥居をくぐり、拝殿、本殿と続く。

志比前神社

拝殿をくぐる。

志比前神社

正面に本殿、右に境内社が並んでいる。

志比前神社

本殿前には灯籠が3基。寄進年を見ると、明和、宝暦、元禄と江戸時代のもの。

志比前神社

本殿、境内社を詣る。境内社には扁額もなく、詳細は不明。右に石祠がもう一社ある。宝形造のあまり見ない屋根の形。

志比前神社

境内社の裏に社がもう1つあり、前に石像や石碑が並べられている。ということは庚申堂か地蔵堂のたぐいだったのか?

志比前神社

戻ってくると、集会場の近くに案内板を見つけた。
道ノ口は、疋田(近江方面)、佐柿(若狭方面)、木ノ芽峠(加賀方面)、敦賀の分岐点であり、ここに式内社が存在する意義を認めることができた。

また、当地一体は往古武生郷と呼ばれ、条里遺構も見つかっていることから、古代のある時期にここに越前国国府があったという伝承もある。古代三関の不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊勢国)と並ぶ愛発関(越前国)が疋田付近に推定されていることから、他の二関が関の後方に国府があったことから当地に国府があったとしても不思議はない。

志比前神社
福井県敦賀市道ノ口榊林2

加賀金沢 金沢神社⑤

金沢神社

金沢神社の天神月次祭の御朱印いただいてきました。
先月は忘れていたので、2月、3月に続き3回目です。

金沢神社

境内の池には蓮の花が咲いていました。

金沢神社

今日は平日で天候もあまり良くなかったですが、次々と参拝客が訪れていました。
このブログで天神月次祭の御朱印も少しは有名になったかな?

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

加賀金沢 尾山神社③

尾山神社

久しぶりに尾山神社に行って御朱印いただいてきました。
御祭神は前田利家公と正室お松の方。

尾山神社

境内にある鯰尾兜の煌びやかです。

尾山神社

利家公の若い武者姿の像が凛々しい。

尾山神社

来週末に例大祭の百万石まつりが行われるとあって、拝殿にもポスターが貼られている。

尾山神社

拝殿の中に神輿もあった。

尾山神社

いつも間にか御朱印に印が1つ増えていました。印は月替わりで、今月は藤がモチーフ。どの月にも前田家の家紋である剣梅鉢紋が入っている。なかなかお洒落な柄ですね。また来いということですな。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

週刊日本の神社121 総索引号

週刊日本の神社121 総索引号
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2016年5月24日
価格:562円+税
ページ数:40ページ
2014年1月に創刊された週刊タイプの神社紹介。1号で1~4社をメインで紹介していた。総索引で都道府県別に紹介された神社数を見ると差があるが、120号続いたため、メディアではあまり紹介されない神社もあって全体的には良かった。ただ、刊行終了すると同時に「日本の神社大全」と称して再編集した書籍タイプを発刊するのはどうかとは思う。
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新治地区神社誌

新治地区神社誌
編集者:新治地区神社誌編集委員会
発行者:茨城県神社庁新治支部
発行日:1992年6月25日
ページ数:230ページ
平成御大典を記念して発刊された茨城県新治支部の神社誌。新治地区は石岡市、土浦市、出島村、八郷町、千代田町、玉里村、新治村からなり、同地区に鎮座する206社を掲載する。御祭神、境内社、例祭日、由緒沿革などの項目が立てられるが、写真は一部神社に付けられる。
続きを読む 新治地区神社誌

静岡市神社名鑑

静岡市神社名鑑
編集:静岡県神社庁静岡支部、静岡県神社総代会静岡支部
発行所:静岡県神社総代会静岡支部
発行日:1976年6月5日(非売品)
ページ数:310ページ
静岡市に鎮座する238社を掲載する。基本地区単位であるが、別表神社である3社(静岡浅間神社、久能山東照宮、静岡県護国神社)は巻頭に掲載されている。御祭神、例祭日、境内社、由緒、宝物、神職などの項目で統一的に記載され、すべての神社に写真が1枚付いている。なお、静岡市神社名鑑は平成10年に改訂版が発刊されている。

加賀本吉 藤塚神社 春季例大祭・おかえり祭り

おかえり祭り

白山市美川のおかえり祭りを見てきました。着いたところ、ちょうど神輿が出たばかりでした。

おかえり祭り

旗の合図でラッパが鳴り響き、神輿が進みます。
先導の青年団は紋付袴姿で大変珍しいですが、神輿を招くようにバックで進むので大変です。

おかえり祭り

北陸線の線路を渡るところ。
行列の先に扇が立つのですが、しばらく意味がわかりませんでした。ここまで神輿が進むという目印です。

おかえり祭り

神輿が線路を渡ったところで、ここから神輿巡行が始まるようで鳳凰が取り付けられました。

おかえり祭り

神輿には台が付いていますが、車は付いていないので持ち上げて進みます。肩にかついで進みますが、時折、両手で持ち上げて進みます。

おかえり祭り

狭い通路も進んでいきます。水の張られた田に映る姿も良いですね。

おかえり祭り

今日は長い時間地元テレビ局のMROの取材が入っていました。
後でわかったことですが、BS12の「日本の祭り」の取材が入っていたようです。

おかえり祭り

1周して線路を渡り戻ってくると、山車が並んでいました。

おかえり祭り

先頭は剣の前立ちに藤塚神社の鳥居。あとは毎年くじを引いて順番を決めるようです。
笠と太鼓のみの初期の形態を残す山車もあれば、鏡を乗せる山車もある中、やはり見どころは人形です。

おかえり祭り

日本武尊や

おかえり祭り

武内宿禰など神話の世界の人形もあれば

おかえり祭り

豊臣秀吉公

おかえり祭り

楊貴妃などもあります。どれも見事です。

おかえり祭り

美川駅前まで行列が進んで、獅子舞の演舞が始まりました。7人の棒振りが獅子殺しをするという内容でした。人数も多いので迫力がありました。

おかえり祭り

神輿も駅前まで進むと持ち上げたまま10分以上練り歩くという、見ている方もちょっと疲れる演技もあります。

おかえり祭り

山車の後ろに子供たちがつながっている町会もあり、参加する方も楽しそうでした。
ここまで4時間見どころたっぷりでしたが、次の予定があるので帰りました。

藤塚神社
白山市美川南町ヌ167

おかえり祭り
神幸祭 2016年5月21日(土)
5:20 出輿式 藤塚神社
6:30 神輿巡行
7:30 台車巡行
9:45頃 獅子舞演舞 美川駅前
9:55頃 神輿演技 美川駅前
20:30 台車御旅所着
22:30 神輿御旅所着
23:30 着輿式 御旅所

還幸祭 2016年5月22日(日)
13:00 春季大祭式 御旅所
19:00 台車巡行
19:45 出輿式 御旅所
20:30 神輿巡行
1:35 神輿神社着
2:00 着輿式
2:30 終了 

比叡山兜卒谷鷄頭院所蔵 美濃国神名帳(復刻版)

美濃国神名帳
発行所:岐阜県郷土資料研究協議会(会員配布)
発行日:1979年10月30日
ページ数:22丁
美濃国(現岐阜県)の神名帳の復刻版。神名帳なので郡ごとに神階と神名が記載される。
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故郷鎮守の森 亀岡神社誌

亀岡神社誌
企画編集:亀岡市神職会、亀岡市氏子総代会
発行日:1985年1月1日
ページ数:248ページ
京都府亀岡市に鎮座する105社の神社について、鎮座地、祭神、例祭、由緒を記載する。写真はモノクロだがすべての神社に付いている。由緒は歴史や古記録を元にできるだけ詳細に記載しようという姿勢が見られる。京都府は神社誌を発行していないため、亀岡市内の神社について大変参考になる。
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加賀小松 菟橋神社・本折日吉大社 春季例大祭・お旅まつり 

お旅まつり

曳山250年の記念すべき年となった小松市のお旅まつり。その年を祝うかのような晴天の中、曳山八基曳揃えされた細工町交差点に到着しました。すでに大勢の人です。

曳山は手前から八日市町、寺町、龍助町、西町、材木町、大文字町、中町、京町と並んでいます。

お旅まつり

15時から式典の後、30分過ぎから初めての昼の部の子供歌舞伎が始まりました。
毎年二町が当番町として歌舞伎が行われますが、今年は材木町と西町となります。

最初に曳山三番叟が舞われました。軽快な音楽の所々に歌舞伎の所作が入り楽しいものでした。

お旅まつり

続けて同じく材木町の子供歌舞伎、「仮名手本忠臣蔵七段目 一力茶屋」が上演されました。

お旅まつり

西町は「辰巳用水命光輝 稲葉左近館之場」を上演しました。この演目は辰巳用水を引いた設計士板屋兵四郎の物語で、ここ小松でしか上演しないものらしいですが、物語はわかりやすいものでした。

お旅まつり

二町の上演が終了するともう夕方になっていましたが、しばらく曳山スタンプラリーを楽しみながら町を歩きました。
再び戻ってくると夕暮れ時、曳山の提灯にも灯火が入り幻想的になってきました。

お旅まつり

昨年まではこの夕方から始まる夜の部のみでしたが、役者に光があたり、昼の部より遠くからも見やすいですね。

お旅まつり

町全体が子供歌舞伎一色になる5月です。

お旅まつり・曳山子供歌舞伎
5月13日~15日

菟橋神社
石川県小松市浜田町イ−233
小松日吉大社
石川県小松市本折町1

加賀金沢 淺野神社③ 魔除けの猿面

淺野神社

金沢市の淺野神社。御朱印をいただくは今回が3回目。
ただ、前回は書き置きだったので、久しぶりに宮司さんに直接書いていただきました。

淺野神社

5月の10日から12日まで春の例祭が行われていました。昔は獅子舞も出ていたようですが、今は神社前に露店が数軒並んでいるので少し賑わいがあります。

淺野神社

今年は地元新聞やNHK金沢で大きく特集されたので、私みたいに氏子以外の方も訪れたようですね。

淺野神社

今日の目的は、初公開となる「魔除けの猿面」です。申年の今年、記念として例祭の期間公開されることになりました。
面といっても鋳物です。鋳物師の氏子、釜屋弥吉氏が奉納しました。魔除けといってもなんとなくひょうきんな顔をしています。

なぜ猿なのか?それは淺野神社は山王さんと呼ばれていたことと関係あるのでしょう。山王さんの本社は比叡山の鎮守であった日吉大社です。日吉大社の神使といえば猿ですね。山王と猿(申)は切っても切れない関係です。

淺野神社

連動企画といれば、厄除開運の「さるぱん」というものがありました。食べるのがもったいないほど、かわいい顔のお猿さんのパンでしたが、最終日で残り1個だったのを購入してきました。「残り物には福がある」と信じましょう。

淺野神社

拝殿に入って振り返ると、大きな奉納額がかかっていました。今まで気が付きませんでした。

淺野神社

弘化四年の奉納で、ひらがな盛衰記(源平合戦)を題材に、源義経の木曽義仲討伐から一の谷合戦まで17の場面を描いているそうです。

淺野神社

この額の奉納者に釜屋弥吉氏もいます。ということは幕末の方なんですね。

淺野神社
石川県金沢市浅野本町1丁目6−1

長岡のお宮 明治16年神社明細帳 長岡市史双書No.9

長岡のお宮 明治16年神社明細帳
編集:長岡市史編集委員会中世史部会
発行:長岡市
発行日:1990年1月30日
ページ数:205ページ
価格:1,500円
「本書は、新潟県総務部県史編さん室所蔵の「新潟県神社寺院仏堂明細帳」のうち、現長岡市域に関係する神社の部分を収録した。」

御祭神、由緒、社殿間数、境内坪数などを記載しているが、由緒が不詳のものが多いような気がする。新潟県は神社誌を発行していないので長岡市内については参考になる。
続きを読む 長岡のお宮 明治16年神社明細帳 長岡市史双書No.9

越中氷見 磯部神社・田子浦藤波神社 藤の花巡り

磯部神社

今日は天気も良かったので、氷見市の藤で有名な神社を巡ってきました。
まずは磯部神社。朝10時半、地元ナンバーの車が何台も続々とやってきます。

磯部神社

鳥居の向こうに、紫の藤の花が見えてきました。

磯部神社

この時間は東側がきれいに見えます。麓の人と比べるとその大きさがわかりますね。
他の観光客も大きさに驚いていました。

磯部神社

近くから見ると薄い紫の花です。今年は雪も少なく例年より速く咲いたようです。
氷見ではこちらのほうが今は有名なのかもしれませんね。

田子浦藤波神社

続いて、田子浦藤波神社へ。
先日も一度見に来ましたが、その時も鳥居に掛かっている部分は花が少なかったですが、老木で東向きで日当たりも悪いので、この場所にはほとんど咲かないようです。

田子浦藤波神社

上を見上げると、上の方では満開のようでした。白に少し紫が入る花が咲いていました。

田子浦藤波神社

田子浦藤波神社は、万葉集に詠まれた「田子の白藤」の地です。
もとは白藤だったようで、藤棚では若い白藤が満開でした。

田子浦藤波神社

こちらも例年より速く咲いたようですね。

磯部神社
富山県氷見市磯辺1045

田子浦藤波神社
富山県氷見市下田子1429

越前敦賀 野坂神社

野坂神社

敦賀市の野坂神社。御祭神は大山祇命、天津彦火瓊瓊杵尊、木花開耶姫命。
延喜式内社の野坂神社の比定社であるが、織田神社の論社のひとつにもなっている。織田神社については、合祀された織田神社が対象のもののようだ。

野坂神社

今日は例祭日だったようだが、そのような様子は感じられなかった。

野坂神社

社殿は東向き、夕方の参拝はやはりまぶしい。

野坂神社

鳥居と社殿の間に楼門がひとつ。ただ本殿が覆いに入れられているので、拝殿なのか。

野坂神社

太鼓が吊り下げられている。

野坂神社

本殿は戸を開けて参拝できた。

野坂神社

古い本殿のようだ。参拝して中を回る。

野坂神社

左側に水速女命(左)と皇大神宮。

野坂神社

左奥に金比羅大神。

野坂神社

右側に稲荷大神(右)と豊受大神。

野坂神社

右奥に天満宮。

野坂神社

本殿にはカラフルな狛犬が奉納されている。

野坂神社

境内には池に1社。おそらくは厳島神社か宗像神社か?

野坂神社

石垣のみの境内社跡。かつて神明神社があったようなのでこれか?

野坂神社

境内の隣に公民館があり、背後の南方に野坂岳が見える。野坂神社はかつて野坂岳に対する山岳信仰の社だったようだ。

野坂神社
福井県敦賀市野坂30-7

越前敦賀 高岡神社

高岡神社

敦賀市の高岡神社。主祭神は菅原道真公。敦賀郡の延喜式内社の論社のひとつ。
周辺は住宅地のほかは田んぼが広がる。

高岡神社

社殿は東向きで、夕方の参拝にはまぶしかった。

高岡神社

昨日例祭日だったようで、ちょうど旗が立てられていた。

高岡神社

鳥居をくぐり参道を進む。

高岡神社

社殿に入ると本殿があった。建物は本殿の覆いのようだ。

高岡神社

本殿にかかる扁額は「天満宮」

高岡神社

境内の鳥居横には「申タ彦(猿田彦)」や「庚申」の塔が並んでいる。

高岡神社
福井県敦賀市砂流26-9

越前敦賀 久豆彌神社・信露貴彦神社 例大祭・王の舞

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

敦賀市の久豆彌神社と信露貴彦神社の例大祭を見てきました。ともに沓見に鎮座する久豆彌神社を女宮、信露貴彦神社を男宮とみなし豊作を祈願して、王の舞などが奉納される。若狭地方には現在でも王の舞が数多く残り、その起源は京都にあるというが、各神社ごとに特徴があるという。ただ、実際の舞は見たことがなく初めて見た。

駐車場は沓見小学校のグラウンドが準備されており見学も容易だが、GW中の晴天の日だったのに見物人は少なかった。その分地元の祭りの雰囲気を十二分に味わえる。

出発には少し間に合わなかった。ちょうど女宮の行列が久豆彌神社に到着するところだった。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

行列はまず本殿に参拝する。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

そこからしばらく空き時間があり、男宮の行列が久豆彌神社に到着する。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

男宮の行列が本殿に参拝後に、下の拝殿で芸能奉納となる。

最初は男宮の王の舞。王の舞は1人で行う舞であるが、もっと勇ましいものを想像していたが、動作はゆっくりとしたもので、猿田彦が神と語り合うような部分も見られた。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

続けて女宮の王の舞。帽子が女性らしい。
沓見では王の舞は子供が舞うことになっているようだ。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

男宮の獅子舞。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

女宮の獅子舞。
獅子は邪気を喰うように拝殿を動き回り、最後に大人しくなる(力尽きている?)。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

両宮で田植え歌を唄う。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

男宮、女宮の順にエブリ差し。田を耕す様子を奉納。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

男宮、女宮の順に苗うち。杉の枝を稲藁に見立てて田植えの様子を奉納。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

神饌のお下がりで直会。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

久豆彌神社を出発し、地区をまわって信露貴彦神社に向かう。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

出発する行列を宮司が見送る。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

行列は「来年もトーヤ、再来年もトーヤ」と豊作を祈願しながら進む。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

信露貴彦神社の少し手前で宮司が行列を迎え、

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

行列に入って神社に入る。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

女宮の行列が本殿に参拝する。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

この後、女宮のみ王の舞などを奉納するが、私はここで帰った。

久豆彌神社・信露貴彦神社 例大祭・王の舞
5月5日日程
12:00 男宮の行列が当屋(御旅所である沓見公民館)を出発し、男宮の拝殿で芸能奉納
12:30 女宮の行列が当屋を出発し、女宮に向かう
14:00 男宮の行列が女宮に到着し、両宮の芸能奉納
15:30 両宮の行列が女宮を出発し、男宮に向かう
16:00 男宮で女宮の芸能奉納
17:00 両宮の行列が男宮を出発し、馬場で御幣を合わせ祭りを終える。このとき、村人は御幣紙を奪い取り、家に持ち帰る 

越前敦賀 信露貴彦神社

信露貴彦神社

敦賀市の信露貴彦神社。敦賀郡延喜式内社の比定社。御祭神は迩迩藝命、日本武尊。
祭り当日ということもあり、御朱印については確認していない。

信露貴彦神社

本日5月5日に久豆彌神社とともに例大祭が行われるため、旗が立っている。

信露貴彦神社

旗の下に重しのさるぼぼがついているが、よく見ると珍しく顔が描いてある。

信露貴彦神社

鳥居をくぐって進む。

信露貴彦神社

下に例大祭で本日、王の舞などが奉納される拝殿。階段を上って本殿がある。

信露貴彦神社

本殿は覆いがかけられ、

信露貴彦神社

今日は神饌が供えられ、扉が開いている。

信露貴彦神社

本殿のまわりに境内社が複数あり、こちらは山神社。

信露貴彦神社

その横に金刀比良神社。

信露貴彦神社

反対側に神明社。

信露貴彦神社

御神木の下に猿田彦神社の石祠。

信露貴彦神社

神仏習合の名残でろうそくを立てる燈明舎がある。

信露貴彦神社
福井県敦賀市沓見12-12

越前敦賀 久豆彌神社

久豆彌神社

敦賀市の久豆彌神社(くつみじんじゃ)。地名の沓見と同じ「くつみ」と読みます。
御祭神は木花咲耶姫命、瓊瓊杵命、大山祇命。敦賀郡の延喜式内社の比定社。

例大祭当日のため御朱印については未調査。

久豆彌神社

社号標から鳥居まで距離があるが、ここが神域と村の境で、祭りでもこの場所が重要な意味を持つようであった。

久豆彌神社

例大祭当日ということで旗が立てられていた。

久豆彌神社

鳥居の両脇に天然記念物の大杉が立っている。

久豆彌神社

鳥居をくぐると例大祭で王の舞などが奉納される拝殿。階段を上ると本殿となる。

久豆彌神社

本殿は覆いがかかっている。

久豆彌神社

今日は例大祭のため扉が開かれている。

久豆彌神社

本殿の周りに境内社、右側に神明社と十禅寺社。

久豆彌神社

反対側に常宮神社。

久豆彌神社

後方に猿田彦神社の石祠。

久豆彌神社

信露貴彦神社と同じ燈明舎のように見えたが、これが宝殿神社か。

久豆彌神社

下の拝殿と同じ境内に松岡社がある。

久豆彌神社
福井県敦賀市沓見75-8

若狭遠敷 権現神社

権現神社

福井県と京都府の県境にある頭巾山、その頂上に権現神社が鎮座している。延喜式内社の遠敷郡許波伎神社の論社のひとつ。
御祭神や由緒は不明。現在の住所は京都府となっている。

権現神社

今回は上りやすい福井県側から登る。名田庄の集落を次々と過ぎて奥に進むと途中に野鹿の滝がある。このあたりまで来ると川も急流になってくる。

権現神社

頭巾山の登山口まで来る。

権現神社

家族向けと聞いていたが、意外なほど急登が続く。

権現神社

1時間ほどでようやく山頂に到着する。

権現神社

山頂は広くない。南向きに社殿と前に手水石がある。付近に倒壊した灯籠や小屋も見えるが、社殿前に石が積んである。ちょうど登山口あたりに広く分布していた石のようだが、登拝するために持ってきたものだろうか。

権現神社

GW前に登山道の清掃をしながら登山が行われるので、ちょうどこの時期が登りやすい。

権現神社

社殿裏に頭巾山の三角点がある。頭巾山870mの山頂のしるし。

権現神社

山頂からは山々の向こうに日本海も見渡せる。

権現神社

実は頭巾山は自生のシャクナゲの群生地でもある。ことしはGW前に強風が吹いたり、雪が少なく花の時期が早かったためか、登山道沿いのシャクナゲは終わっていた。帰り道、日当たりの悪い北側斜面にようやく見つけた。

権現神社
京都府北桑田郡美山町山森

越中射水 下村加茂神社 春季例大祭・加茂祭

下村加茂神社 賀茂祭

強風の1日でしたが、晴れましたので射水市の下村加茂神社の加茂祭を見てきました。
富山県内で流鏑馬が行われる唯一の神社です。

1時間前に到着すると、すでに多くの人だかりでしたが、授与所前が日当たりが良く、まだ場所が空いていたのでそこに陣取りました。

下村加茂神社 賀茂祭

「走馬」
神馬の足慣らしといったところでしょうか。境内では走りません。どうやら鳥居を出てから県道を走るようです。

下村加茂神社 賀茂祭

かなり空き時間があり、ようやく猿田彦の先導で、獅子舞が拝殿に入り、

下村加茂神社 賀茂祭

馬が続く。

下村加茂神社 賀茂祭

「神幸式」
拝殿で神事が行われた後、御旅所に神様のやどった御幣の玉が渡御されます。

下村加茂神社 賀茂祭

「神馬式」
口取りが手に矢を持ち、巡路を駆ける。

下村加茂神社 賀茂祭

御旅所着御の後、「牛乗式」が始まる。
牛は止まると座り込むので、何度も乗り直して時間もかかる。

下村加茂神社 賀茂祭

「神楽の儀」
御旅所の前で獅子舞が奉納され、

下村加茂神社 賀茂祭

「還御」
神様は本殿に還っていく。

下村加茂神社 賀茂祭

拝殿では例祭式が執り行われるのでまた待つ。

「久遍式」
拝殿前で馬は止まった状態で弓矢を射る。

下村加茂神社 賀茂祭

「流鏑馬式」
クライマックスに3頭が3往復します。拝殿前から鳥居をくぐるとき(往路)に、鳥居横に移動した的に弓矢を射る。
弓矢は本物ではなく、祭礼用の竹に紙の羽が付いたものなので、的に刺さるということはありません。射る方も大変そうでした。

大変珍しい神事が続くので一見の価値はありますよ。

下村加茂神社 加茂祭 5月4日
走馬 14:00~
神幸式 15:00~
神馬式 15:20~
御旅所着御 15:30~
牛乗式 15:30~(※このあたりから30分遅れ)
御旅所神楽の儀(獅子舞奉納) 15:50~
還御 15:55~
例祭式 16:05~
久遍式 16:25~
流鏑馬式 16:50~

皇學館大學神道研究所紀要 第六輯

皇學館大學神道研究所紀要 第六輯
発行所:皇學館大學神道研究所
発行日:1990年2月25日(非売品)
ページ数:128ページ
明治末期に行われた合祀の実態を知りたいと思っていたが、ちょうど全国的に神社整理の概観を書いてあると思われる本を見つけたので購入した。神社整理が全国的にいつ始まり、各府県でどのような基準で行われたのか、どの県の減数が大きかったかなど基本的な情報は得られた。
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越中朝日 鹿嶋神社

朝日町に鎮座する鹿嶋神社。御祭神は健甕槌命。

前回の参拝ではご不在だった社務所に宮司がいらしたので、御朱印をいただきました。

何度見ても立派な彫刻です。

次回は本殿への参拝と宮崎城跡を攻城しましょう。

鹿嶋神社
富山県下新川郡朝日町宮崎1484

39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録