著者:工藤伊豆
編集:神社新報企画・葦津事務所
発行:高山稲荷神社社務所
発行日:1994年9月25日
ページ数:219ページ
青森県西津軽郡に鎮座する高山稲荷神社の神社誌。神社誌といえ、古い資料はほとんど焼失してないということで、古老からの聞き取りや宮司家の歴史など、一地方の神社がたどってきた近代史は興味深い。
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平成27年第257回勅祭記念 宇佐神宮
発行者:宇佐神宮
発行日:2015年10月1日
ページ数:48ページ
定価:1000円
平成27年の勅祭の様子を中心に、勅祭の歴史や合わせて行われた本殿修理の様子など写真が豊富に掲載されている。
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宇佐神宮
企画:宇佐神宮庁
発行:2008年1月1日、2013年5月1日改版
ページ数:36ページ
価格:1000円
宇佐神宮で頒布されている摂末社や祭祀、文化財まで宇佐神宮を概観できるガイドブック。薄冊だが季節らしい境内写真もあり良い。
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神社百景DVDコレクション52 盛岡八幡宮・真山神社・赤神神社
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2018年5月8日
価格:1388円+税
収録時間:約90分
BSジャパンで放送された「神社百景 GRACE of JAPAN」(第2シリーズ)の中から「盛岡の総鎮守 盛岡八幡宮・前篇」(#119)、「盛岡の総鎮守 盛岡八幡宮・後篇」(#120)、「真山神社」(#121)、「赤神神社 五社堂」(#122)を収録している。ナビゲーターは伊藤英明氏。
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能登輪島 重蔵神社④
輪島市に鎮座する重蔵神社。御祭神は天冬衣命、大国主命。
境内西の入口が商店街や朝市通りに近く、こちらから参拝に訪れる方が多い。
入口に御祭神の案内が新しく立っていた。
今日参拝に来たのは、ゴールデンウィーク前の地元新聞に載ったノトキリシマツツジ限定御朱印をいただくため。
ノトキリシマツツジが咲く4月中旬から5月中旬まで授与するとのこと。
拝殿に参って社務所に向かう。
社務所前に一木で三色の花が咲くという珍しいキリシマツツジがあるということだったが、ゴールデンウィーク中の荒天によりすでに終盤だった、残念。
重蔵神社には花御札というのがあり、月替わりで12カ月分ある。
5月はノトキリシマツツジが描かれ、朝市通りに面する重蔵神社産屋では12カ月すべての花御札が頒布されているが、神社では基本的にその月の花御札のみ授与される。神社で授与されたものには花の図柄の下に社号と参拝日が印字される。
今日は4月の八重桜を描いた花御札もいただいた。
重蔵神社では能登地震の復興を進めていて、7月には拝殿や境内社の修復を記念した御朱印、8月には輪島大祭を記念した御朱印を授与するそうです。
重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68
河沼神社誌
著者:心清水八幡神社宮司 戸内康雅
発行:河沼神社総代会
発行日:1977年10月25日 非売品
ページ数:262ページ
福島県神社庁河沼支部189社を掲載する神社誌。文庫本サイズの小誌ながら、各社に写真を付し、旧社格、御祭神、例祭日、本殿・拝殿の大きさ、氏子、宮司、由緒などを記載し、一般的な神社誌の体裁を要している。希少本で入手は困難だが、同地区の神社参拝には参考になる。
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若狭路の祭りと芸能 錦耕三遺稿集Ⅰ・別冊
著者:錦耕三
発行所:岩田書院
発行日:2005年3月21日
ページ数:遺稿集Ⅰ 555ページ+別冊 155ページ
価格:18,800円+税
若狭地方に広く分布する王の舞の研究書。神社により全く異なる舞踏であるため比較研究が重要になる。
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霊峰英彦山 神仏と人と自然と
編集・発行:九州歴史資料館
発行日:2017年8月5日
ページ数:179ページ
価格:1,000円
平成29年8月5日から9月24日まで九州歴史資料館で開催された特別展の展示図録。
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紀伊新宮 渡御前社
新宮市に鎮座する渡御前社。御祭神は神武天皇。
熊野に訪れるときに入手した「わかやま歴史物語100」と観光パンフレットに載っていたので参拝してきた。
神社への道は細く手前から歩くことにした。
山ギリギリのところに参道が通っている。
社殿は一段高くなっている。
鳥居の先に本殿が建っている。
本殿に参る。境内は氏子により清浄に保たれている。
小さな社だが大事にされているようだ。
神武天皇が東征のとき、熊野から吉野に向かう途中の仮の宮(頓宮)跡と伝えられている。
観光パンフレットには熊野速玉大社摂社としているが、末社が正しいようだ。
渡御前社
和歌山県新宮市新宮
紀伊新宮 阿須賀神社②
新宮市に鎮座する阿須賀神社。御祭神は家津美御子大神、事解男命、熊野夫須美大神、熊野速玉大神を主祭神とし、黄泉道守命、建角身命を配祀する。
参拝は2回目。参道入口には鳥居と「阿須賀神社」と書かれた社号標。
参道を進み、二の鳥居をくぐると拝殿が建ち、後方に蓬莱山(飛鳥山)が見える。蓬莱山の神体山になっている。
拝殿に参る。
社務所で御朱印をいただく。前回とは墨書きが変わっている。
境内に建つ新宮市立歴史民俗資料館に入館した。当館には蓬莱山の発掘調査で見つかった遺物が展示され、信仰の古さを再確認できた。
阿須賀神社
和歌山県新宮市阿須賀1-2-25
紀伊牟婁 熊野那智大社②
那智勝浦町に鎮座する熊野那智大社。御祭神は熊野夫須美大神を主祭神とし、熊野十三神を祀る。
以前は御朱印に八咫烏の印が押されていたが、今は御縣彦社の御朱印に押されるようになったため、本社は神紋に変更になったようだ。
前回は那智の滝の方向から歩いたが、2度目の参拝は表参道を行く。
最近は平安衣装のレンタルもあるようで、歩いている人がいるとタイムスリップしたようだ。
拝殿は現在修築中で覆屋が被さっている。
昨年、御創建一千七百年を迎え本殿の特別参拝もしていた。
朱印所では目立たなく掲示されているので初め気が付かなかったが、「御創建壱千七百年」の印が入る特別御朱印をいただいていた。限定1700だが、まだ875番目だった。2000円と少し高いが、修築の寄付を兼ねていると思えば妥当かとも思う。
御縣彦社の御朱印。御祭神は建角身命(八咫烏)を祀る。
拝殿の背後、第一殿から第五殿の正南方に並ぶ第六殿の隣に鎮座する。
拝所の幕にも八咫烏が描かれる。
熊野那智大社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
紀伊牟婁 塩竃神社
那智勝浦町に鎮座する塩竃神社。御祭神は天細女命、市杵島姫命、事代主命。
境内は東向き。入口に朱色の鳥居が建つ。
社前の道を北に行くと、熊野古道浦神峠まで1.5キロ
境内に入ると右に社務所が建つ。
社殿への階段の前に宝暦五年銘の燈籠が建ち、燈籠の周りを朱色の玉垣が囲う。
階段の前に燈籠
明治十年に奉納された燈籠には、「元文四年巳未重陽 浦上氏」の文字
階段を上がると、2社並ぶ。
左が塩竃神社。拝所に参る。
右が浦上神社。かつては地名と同じ浦神社とも称したが、那賀郡海神社の論社という。
塩竃神社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浦神320
紀伊串本 潮御崎神社
串本町に鎮座する潮御崎神社。御祭神は少彦名命を主祭神とし、金山彦命、高皇産霊神、天照大神、大国主命、猿田彦命を配祀する。三代実録に収録される三前神の論社。
参道入口に建つ社号標。
社号標の右に花山法皇と白河天皇の御製碑が建っている。
参道入口のお宅が宮司宅という情報もあったが、名字も違うようで勘違いのようだ。
ここまでたくさんの人が歩いていたが、目的は潮岬灯台。
有料だったので入場しなかったが、本州最南端の島に建つ灯台で人気がある。
灯台を迂回するように参道を進むと、一度下っていく。
下った場所に鳥居が建っている。
さらに進むと正面に階段が見えてくる。
階段の右手に古そうな階段が残っていた。
どちらも上の社殿に続いており、正面の階段ができるまではこちらが参道だったのだろう。
拝殿正面。燈籠と、従軍記念という石柱が珍しい。
拝殿入口に「潮御崎神社」の扁額がかかる。
中に入って参る。中には「潮御崎神社 少彦名命」の扁額がかかる。
賽銭箱の横の箱に書き置きの御朱印が入っていた。すべてワープロ打ちで少々味気ないが仕方がない。
拝殿には海の守り神らしく、大きな貝殻の奉納物があった。
拝殿前にマルバチシャの木
記紀に16代仁徳天皇の后磐之媛が豊楽をなさろうとして熊野岬へ御綱柏を採りにこられたとあり、この木を御綱柏と言い伝えてきたという。
拝殿の右に社務所。
社務所との間を行くと、拝殿後ろの本殿が建つ。覆いや戸の付き方が少し変わっている建物。
拝殿の左手、壁の窪みに小祠が3つ並んでいる。
中央が大己貴命(大己貴神社)、右に天照大神(大神社)、左に猿田彦命(猿田彦神社)を祀っている。
本殿の左に境内社の鎮守神社が建つ。詳細が不明だが、配祀される高皇産霊神を祀るものか。
階段を上がったところに潮岬の鯨山見の案内があり、観光スポットになっている。
鯨山見とは、回遊してくる鯨を見張る場所のことで、眼下に太平洋を望む。
鳥居まで戻ると右手に上る階段がある。
金山彦命を祀る金刀比羅神社が建つ。
潮御崎神社
和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2878
紀伊串本 潮崎本之宮神社
串本町に鎮座する潮崎本之宮神社。御祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命を主祭神とし、事代主命、神功皇后、武内大臣を配祀する。延喜式牟婁郡海神社三座の論社になっている。
社宝として神功皇后が奉納したと伝わる「櫛筥」があるらしい。
東の方から狭い路地を進んで境内に入る。境内入口に数台駐車できる。
鳥居と社号標。
鳥居をくぐると右手に社務所が建っている。今日は中にどなたかいるなあと思いながらまず参拝する。
社務所前を進み右に折れると、社殿は南向きに鎮座している。
圧倒されるのは拝殿の右手にある柏槇の御神木。樹齢は1200年以上という。
見れば境内には巨木が多い。
拝所のような拝殿に参る。
本殿とは拝殿から廊下(幣殿?)で続いている。
境内の西、鳥居からは正面に境内社の恵比須神社が建つ。
帰りに社務所に寄る。いらしたのは宮司さんだった。情報はなかったが御朱印をお願いすると書いていただけた。
潮崎本之宮神社
和歌山県東牟婁郡串本町串本1517
紀伊田辺 闘鶏神社
田辺市に鎮座する闘鶏神社。御祭神は伊邪那美命を主祭神とする。
熊野本宮大社の神々を当地に勧請し、田辺の宮、新熊野権現社、新熊野鶏合大権現などと称した。
西側の一の鳥居の近くの駐車場に停め、参道を歩くことにする。
鳥居をくぐると右に「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野参詣道 大辺路の石碑が建つ。闘鶏神社も大辺路の拠点として構成遺産になっている。
左には観光情報などを提供する場所になっている。
参道の左には大福寺が建ち、かつては闘鶏神社の本願寺院(別当寺みたいのものか?)だったという。
境内に「弁慶誕生之地」の石碑が建つ。
境内入口に二の鳥居が建つ。
二の鳥居の前を横切る道は馬場が残っている。
鳥居をくぐると前に門があり、建物が並んでいるが、入口は回り込まないと行くことができない。
社務所の正面に建つのは証誠殿(拝殿)。
賽銭箱が中央から右にずれているが、今日は結婚式が2件入っていて、ちょうど社務所から拝殿に向かって歩いて行くところを見られた。
後ろに本殿(上四社)が建ち、御祭神は伊邪那岐命。
右に、鳥居を入ったときに見えた社殿群が見える。
本殿の右に、上殿(若宮・上四社)。天照皇大神を主祭神として、伊邪那岐命、宇賀御魂命を相殿に祀る。
その右に中殿(中四社)。子守宮に鵜草葺不合命、児宮に火々出見命、聖宮に瓊々杵命、禅師宮に忍穂耳命を祀る。
その右に下殿(下四社)。飛行宮に稚産霊命、勧請十五所宮に弥都波能売命、十萬宮に埴山比売命、一萬宮に火産霊命を祀る。
一番右に八百萬殿(満山宮)。八百萬神を祀り、手力男命を相殿に祀る。
本殿に左に西殿(上四社)。速玉宮に速玉之男命、結宮に事解之男命を祀る。
境内の東に十日戎神社。戎・大黒の二神を祀る。
西殿の隣り、十日戎神社との間にあるのは玉置神社。手置帆負命を祀る。
池に浮かぶのは雞姫弁財天社。御祭神は市杵島姫命。
結婚式で忙しい中、合間に御朱印をいただいた。雞合印(とりあわせいん)という鶏が向かい合う神紋が印象的だ。
授与所に「潮ごりの飴」があったので購入した。御神塩で作った塩飴で、身の内から清める。
社務所の右に弁慶と父の熊野別当湛増の像。
義経の命を受けた弁慶は田辺に帰り、父湛増を説得、湛増は白い鶏7羽と紅い鶏7羽を闘わせて神意を確かめ、熊野水軍2千余人を引いて源氏軍の勝利に貢献したという。
社務所の左に藤巖神社(とうがんじんじゃ)。御祭神は安藤直次公で、紀州徳川家の附家老として田辺領を支配した。
前にそびえる御神木の大楠に圧倒される。樹齢は1200年以上という。
根元の空洞には千手観音の石像が祀られていた。
境内の西には弁慶社が建ち、御祭神武蔵坊弁慶を祀る。
本殿裏の山は神体山で、仮庵山(かりおやま)といい、経塚が3カ所発見され、古代祭祀跡として史跡に指定されている。
闘鶏神社
和歌山県田辺市東陽1-1
紀伊田辺 滝尻王子宮十郷神社
田辺市に鎮座する滝尻王子宮十郷神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とし、日子日能邇邇藝命、天忍穂耳命、天津日高日子穂々出見命、鵜葺草葺不合命を配祀する。
境内入口に「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野参詣道中辺路の石碑が建つ。
ここ滝尻王子宮は富田川と石船川の合流地点にあり、中辺路を歩く者は川で水垢離したという。
境内に休憩所が建つ。
鳥居には「滝尻王子宮」の扁額が掛かり、左の建物にも何か祀っているようだがよく分からない。
境内には後鳥羽上皇の歌碑が建てられ、28回も参詣のあった後鳥羽上皇を顕彰している。
参道を行くと社号標が建ち、先に社殿が建っている。
拝殿に参る。
本殿は弊殿で拝殿とつながる。
滝尻王子宮は熊野古道の中辺路のスタート地点になっている。
時間に少し余裕があったので少し歩いてみることにした。
不寝王子(ねずおうじ)まで0.4キロ15分ということで、途中名所もあるようなので往復する。
少し川沿いを歩くと大岩に根を巻く圧巻の巨木の背後から早速急登が始まる。
片道15分とは言えほぼ上りだったので大変だったが、道の脇にも巨石がゴロゴロと転がっている。
10分弱で胎内くぐりと呼ばれる大岩に到着する。
女性がくぐると安産すると伝えられるが、修験道でいうところの生れ変わりの儀式によく出てくる。
入口も狭かったが、
中に入ると、出口はさらに狭い。リュックを背負っていると通れなかったので、先にリュックを通し、何とか体を通すことができた。
妊婦は通れそうもない。諦めて迂回する人も多いだろう。
そこから少し上ると乳石という伝説の岩がある。
奥州の藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た時、ここで夫人が急に産気づき、この岩屋で出産した。夫妻は赤子をここに残して熊野に向かったが、その子は岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったので奥州に連れ帰ったという伝説なのだが、出産したのは胎内くぐりの洞窟だという記事もある。
さらに2分ほど進むと不寝王子(ねずおうじ)跡に到着したので、滝尻王子に戻る。
昨日の大峯奥駈道のプチ体験に続き、今日は中辺路のプチ体験ができ満足でした。
川向かいの熊野古道館で御朱印をいただいた。
熊野古道館は道の駅みたい地産物の販売所かと思っていたが、中辺路を歩く人のための歴史や準備をする拠点だった。
滝尻王子宮十郷神社
和歌山県田辺市中辺路町栗栖川859番地
紀伊田辺 熊野本宮大社旧社地 大斎原
田辺市に鎮座する熊野本宮大社の旧社地である大斎原。熊野川の中洲にあったため、川の氾濫で流されてしまった。
平成30年の御創建千二百五十年を記念し御朱印(書き置き)が追加され、熊野本宮大社の授与所でいただける。
熊野本宮大社の鳥居前の道路向かいに入口がある。
田んぼの中を参道が延びる。
鳥居内に入ると、「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として、熊野本宮大社と旧社地大斎原の石碑が建つ。
今日の熊野川は濁っていた。
熊野世界遺産センターではかつての大斎原の模型が展示されている。
一度夕食を食べるために離れて、19時前に戻ってきた。
かなり薄暗くなってライトアップされた大鳥居が見えた。
御創建千二百五十年を記念した行事だが、GW中とはいえ人もほとんどいない。周りの店舗が閉まっている中では無理もないか。
ライトアップされた大鳥居と月が水を張った田んぼに映り美しい。
暗い中の撮影ではピンボケする写真も多いので、40分くらい何十枚と撮影し宿へ向かった。
熊野本宮大社旧社地 大斎原
和歌山県田辺市本宮町本宮
紀伊田辺 熊野本宮大社末社 産田社
田辺市に鎮座する産田社。熊野本宮大社の末社で平成30年の御創建千二百五十年を記念して御朱印(書き置き)が追加された。御朱印は熊野本宮大社の授与所でいただける。
大斎原へ向かう途中分かれ道
田の向こうに大斎原の大鳥居が建つ。
社号標は道に向かって建ち、90度曲がって南向きに鳥居が建つ。
鳥居の先の岩の上に石祠が建つ。
産田社に参る。
熊野本宮大社末社 産田社
和歌山県田辺市本宮町本宮
紀伊田辺 熊野本宮大社②
田辺市に鎮座する熊野本宮大社。御祭神は家都美御子大神、素戔嗚尊を主祭神とする。
平成30年は御創建二千五十年の記念年で金字の特別御朱印(書き置き)が授与される。
GW中ということで、臨時駐車場で河原には車がたくさん停まっている。
6年ぶり2回目の参拝
鳥居をくぐると参道の先に階段が続く。
神門をくぐって3つの社殿に参拝する。
今回は宝物殿に入り、宝物を鑑賞した。
御創建千二百五十年記念特別拝観で、普段は見られない名品も見ることができた。
本殿正面は写真禁止だったので背後から
その背後の参道を進むと、境外に出て数10メートルのところに
中辺路最後の王子社である祓殿王子跡がある。
裏参道口の鳥居
入口付近にカフェと土産店を併設した建物ができていた。
大斎原などを散策し、17時過ぎ社前の神旗が降ろされた。
今日は大鳥居のライトアップを見るため周辺で夕食の予定だったが、17時にほぼすべての店舗が閉店した。神社は19時まで参拝できるようだが、授与所やカフェなどが閉まった中、参拝する人はほとんどいない。
熊野本宮大社
和歌山県田辺市本宮町本宮
紀伊田辺 海神社旧地
海神社が大斎原に遷座する前の旧鎮座地は大斎原から七越峯に至る途中だったという。
七越峯の底海社を延喜式牟婁郡海神社の論社と伝え、牟婁郡天手力男神社である御戸開神社の旧地でもあった。
案内板に「(伝)海神社跡」とあるが、地図が大まかで距離感が掴めない。
七越峯入口という坂を上る。
5分ほど行くと、大峯奥駈道案内図が建っているがここには何も書かれていない。
案内図は奥駈道の途中で、西に進むと大斎原に至る。
峠まで少し登ってプチ奥駈道体験してみたが、それらしい場所はなかった。
下って入口から上ってすぐの斜面に幾段かの平場がある。
奥の石積みは小石を積み古そうで、ここを旧地としている記事もあるのだが整地は新しいようだ。
また奥駈道案内板に戻り、さらに少し上ると奥駈道の続きが始まる。
間が現在は舗装された道路になっているのだが、間の斜面に不自然な石が残る場所があった。
小石で四角に囲んだように見える場所もある。
斜面側に平たい石や平石を積んで丸石を乗せた信仰遺跡に近い遺物もあった。
場所は奥に奥駈道の続き、同じ道路左側の手前になる。
ここなら大斎原から奥駈道初めの峠を越え、下ってまた上り始める道沿いになるので底海社という社名にもふさわしいのではないだろうか。
海神社旧地
和歌山県田辺市本宮町
紀伊熊野 産田神社
熊野市に鎮座する産田神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智神。
花窟神社の兼務社で御朱印も花窟神社でいただける。花の窟が伊弉冉尊の御陵と伝えるのに対し、産田神社は伊弉冉尊が軻遇突智神を産んだために亡くなった場所と伝える。
神社境内の西を流れる産田川に朱色の橋が架かる。
南向きの境内入口に鳥居と御神木が立つ。
ここは「さんま寿し発祥の地」らしい。
杉の木立の中を参道がまっすぐ社殿へと続く。
この建物は拝殿ではなく社務所のようだ。
通り抜けると御白石を敷き詰められた拝所の先に玉垣に囲まれた本殿が建つ。
神社には社殿が建つ前、神籬(ひもろぎ)という祭祀台を神の依代とした場所が残っているという。
社殿の左右に2カ所あるというが、御白石は下足では上がれないので、靴を脱いで上がらせていただく。
本殿左の神籬は5つの丸石を取り囲む様子がそのまま残る。
本殿右の神籬は5つの丸石は残るが、取り囲む石は育った木で一部崩れている。
御白石に上がらなくとも、境内東を通る道路から覗くことはできる。
参道の途中、西に朱色の鳥居が立ち並び、
境内社の稲荷神社が建つ。
社叢は原生林の雰囲気も一部残っていて、稲荷神社の背後にも大木が立つ。
木の根元に石祠があり、白蛇が祀られている。西に川が流れることもあり、白蛇竜神だろうか。
産田神社
三重県熊野市有馬町1814
紀伊熊野 花窟神社②
三重県熊野市に鎮座する花窟神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智神。
社号はホームページや御朱印では「花窟神社」、社号標は「花の窟神社」、社頭由緒は「花乃窟神社」となっていて、読みの「の」の扱い方が不定のようだ。
6年ぶりの社頭は明るい。前回の参拝は冬の夕暮れ時だった。
観光スポットとしての人気もかなり上がってきたようで、参拝者も多い。
前回は閉まっていた社務所も開いていた。
門をくぐって拝所に入る。
社殿はなく、巨大な磐座が御神体となっている。
上部に渡る綱は2月と10月に1本ずつ掛けかけられる。
前の拝所で参る。
伊弉冉尊の前に軻遇突智神の拝所と御神体の磐座がある。
参拝後に社務所で御朱印をいただく。前回は手書きだった墨書きが判になっていて味気なくなった。
ゴールデンウィークで繁忙ということより、参拝者が増えたことが要因だろうか。
花窟神社
三重県熊野市有馬町上地130
東北のまつり
発行者:東北六県神社庁
発行日:1968年10月1日 非売品
ページ数:86ページ
昭和43年10月4日に仙台で開催された第四回全国神社総代大会を記念して出席者に配布された資料のようだ。古い神事や伝統芸能を全国の神社関係者に報せるべく、開催地とまつりの進行を簡潔に記している。
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聖なる霊場・六郷満山 シリーズ実像に迫る015
編者:大分県立歴史博物館
発行所:戎光祥出版
発行日:2018年4月20日
ページ数:111ページ
価格:1,500円+税
今年開山1300年を迎えた六郷満山の最新の研究成果を文化財から紐解く。
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豊前国英彦山 その歴史と信仰
著者:長嶺正秀、佐野正幸
発行所:海鳥社
発行日:2016年8月17日
ページ数:191ページ
定価:2,000円+税
英彦山の修験と神宮となった明治以降の歴史をまとめる。本書は「豊前国の松会」の姉妹編となっているので、両書を合わせて読むのを勧めている。英彦山に何十回と通ったという著者の情熱により、漏れなくコンパクトにまとめられている。
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奥琵琶湖「観音の里」の歴史 近江・湖北の精神風土
著者:大東俊一
発行所:彩流社
発行日:2016年10月6日
ページ数:118ページ
定価:2,000円+税
湖北はなぜ「観音の里」と呼ばれるほど観音像が多く残っているのか。一見神社とは関係ない表題なのだが、内容は式内社や山岳宗教などをテーマとした内容も含まれている。湖北の歴史を考察する一視点として読んでみたい。
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神社百景DVDコレクション51 高千穂神社・天岩戸神社
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2018年4月24日
価格:1388円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「GRACE of JAPAN 自然の中の神々」(第1シリーズ)の中から「高千穂・前篇~天孫降臨・高千穂神社」(#27)、「高千穂・後篇~天岩戸伝説・天岩戸神社」(#28)を収録している。ナレーションは堤真一氏。
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白山・立山の宗教文化
著者:由谷裕哉
発行所:岩田書院
発行日:2008年11月
ページ数:333ページ
価格:7,400円+税
白山・立山・石動山など北陸の山岳宗教を研究する著者が、白山と立山について書いた2冊目の論集。白山については14世紀というほぼ1世紀間の加賀の状況を検討している。
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社寺建築を読み解く
著者;相原文哉
協力:長野県神社庁
発行日:2012年6月26日
発行所:ほおずき書籍
ページ数:308ページ
定価:3,000円+税
神社や寺院のあらゆる豆知識がまとめられている。著者の手書きの挿絵が味がある。実例は長野県内の社寺で、日常使いの事典のように使える。
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若狭大飯 青葉山登拝
青葉山は福井県高浜町と京都府舞鶴市にまたがる山で、高浜町の市街を走っていると秀麗な裾野をひく山容を見ることができる。若狭富士と呼ばれるが、元修験の山で東峰と西峰の2つのピークをもつ双耳峰。
今日は中山口から登ることにする。
中山寺に到着。東峰まで3.1キロ。9時16分にスタートする。
5分で中山集落の青葉神社に到着。登山の無事を祈る。
青葉神社は東峰山頂に祀られる神で、東峰三十三所の神々を祀る。その里宮としての位置づけか?
拝殿左に境内社が1社ある。
青葉山青少年旅行村に駐車した場合の登山口に到着。9時28分
ここで案内板を確認する。
今日のコースは、中山寺コースを上り、東峰、西峰と縦走し、松尾寺コースを下る。松尾寺からは麓の今寺集落、高野集落の氏神を回って帰ってくる。
上り初めてすぐ斜面に大岩をチラホラ見るようになる。初めからかなりきつい急登になる。
中山寺コースと高野コースの合流点。9時41分
TV中継アンテナを過ぎて展望台に到着。9時59分
若狭湾の眺めが絶景だが、午前中なので少し逆光
10時1分、金比羅神社(金比羅大権現)に到着
馬の背に立つ。10時25分
両側に切れ落ちる岩塊が尾根に横たわり、西に西峰が見える。
南の眼下には高浜の村々と山並みが広がる。風が心地よいが、強風や雨の日は厳しそうだ。
東峰と西峰の間はまさに修験の修行場だ。
東峰に到着。10時37分
青葉神社。前に燈籠が2基と、左に磐座のような岩塊がある。本殿は覆屋の中で見えなかった。
本殿裏に「青葉山 東峰山頂 標高693m」の表示
10分ほど行くと初めての梯子が出てくる。
梯子を登ってすぐ縄につながって、すれ違いできない狭い道を行く。
ここからいくつも梯子と縄が出てくることになる。
東峰から20分ほどのところ、笹が覆い茂りちょっとした藪漕ぎに入る。
夏以降は道も見えづらくなりそうで大変だ。
11時8分、大師洞を通過。泰澄大師参篭の伝説がある場所。
11時16分、西峰に到着。西青葉神社(西権現)、西峰三十三所の神々を祀る。
本殿後方に岩塊があり、登ることができる。
神社の背後にあるのは通常磐座だが、頂上が削られており現在はそういう位置づけではないらしい。
「青葉山 西峰山頂 標高692m」と建っている。ここはまだ福井県
眼下に美しい若狭湾の眺望が広がっている。
西峰で20分ほど休憩兼補給を行う。
西峰を出発して3分ほどで松尾寺コースと高野コースの分岐点に至る。
わかりにくいが右の木の下をくぐって進む。どうもこの辺りが県境のようだ。
分岐から1分、11時38分松尾寺奥の院(青葉山権現)に到着。周辺に燈籠が2基ある。
12時10分、平場に出る。ここに崩れた鳥居があった。西青葉神社のものか、松尾寺奥の院のものかははっきりしない。
12時19分、松尾寺口に到着。
西国観音三十三所第29番札所で、草創1300年イベントもしているので、御朱印をもらい、宝物殿を見学する。
松尾寺の由緒譚に青葉山の双耳峰が中国の馬耳山に似ているという話が出てくる。本尊の馬頭観世音菩薩は、松尾寺、中山寺、馬居寺と青葉山周辺三ヶ寺で本尊とされ、何か関連があるのだろう。
13時45分松尾寺を後にして帰途につく。
14時3分、今寺口に到着。
登山口は今寺集落の最奥部であり、ここに熊野神社が鎮座する。
左右に境内社が1社ずつあり3社が並ぶ。
手前に名前がわからない寺が建つ。もとは熊野神社と一体のものだろう。
中を覗くと、左に十一面観世音菩薩、右の朽ちているのもおそらく同じであろう。
松尾寺奥の院の元本尊は十一面観世音菩薩で宝物殿に納められていた。十一面観世音菩薩を主峰とする白山を開山した泰澄大師の伝説とともに非常に興味深い事例である。
今寺口から歩くこと10分ほどで、田の中に岩を見つける。
大成の大岩と呼ばれるもので
上に道標が立っている。
さらに歩くこと10分、隣の高野集落の金剱神社に到着。
ここも3社並ぶ形式で、中央に金剱神社、左に稲荷神社、右は不明だった。
14時44分、7分ほど歩いて高野集落の東の外れにある高野口に至る。
最終的に中山寺に到着したのは15時4分。寄り道しながら約6時間の行程、19000歩の登拝の旅でした。
青葉山
福井県大飯郡高浜町・京都府舞鶴市