富山市の旧八尾町に鎮座する杉原神社。御祭神は杉原大神を主祭神とし、誉田別命、建御名方命、菅原道眞公、水分神を配祀する。
延喜式婦負郡の論社のひとつ。
駐車場は神社東にあり東鳥居から境内に入る。
参道を南へ、表参道を入り直す。社殿は南向き。
社号標と一の鳥居。社叢は杉が多いが、拝殿裏は竹が多い。
拝殿に参る。
戸に付けられた剣梅鉢紋が目立つ。
東鳥居から出て社務所兼自宅で御朱印をいただく。
杉原神社
富山県富山市八尾町黒田3166
富山市の旧八尾町に鎮座する杉原神社。御祭神は杉原大神を主祭神とし、誉田別命、建御名方命、菅原道眞公、水分神を配祀する。
延喜式婦負郡の論社のひとつ。
駐車場は神社東にあり東鳥居から境内に入る。
参道を南へ、表参道を入り直す。社殿は南向き。
社号標と一の鳥居。社叢は杉が多いが、拝殿裏は竹が多い。
拝殿に参る。
戸に付けられた剣梅鉢紋が目立つ。
東鳥居から出て社務所兼自宅で御朱印をいただく。
杉原神社
富山県富山市八尾町黒田3166
立山町に鎮座する雄山神社中宮祈願殿。御祭神は伊弉那岐命、天手力雄命を主祭神とし、文武天皇、佐伯宿禰有若、稻背入彦命を配祀する。岩峅寺の前立社壇、立山山頂の峰本社とともに三社で雄山神社と称される。
社殿は南向き。社前の道路から東を仰ぎ見れば、天気が良ければ立山を遙拝することができる。
鳥居を入ると参道右手に水神社、御祭神は水波能賣神。芦峅寺各地の水源地に祀られてた石祠を移して合祀している。
参道左右に狛犬。正面を向いているのは県内でもあまり見かけない。
参道右手に神明社、御祭神は中央が天照皇大御神、右が豊受大神、左が麻続祖神。左奥は宝童社、御祭神は新川姫神
石舞台。秋季大祭で稚児舞が舞われる舞台という。
橋を渡って左手の参道を行く。参道は杉並木となっていて荘厳な雰囲気にあふれる。
参道左に稲荷社、御祭神は倉稲魂神
閼伽池社、御祭神は高龗神、闇龗神。神前に供える水を閼伽という。
参道右手の短い階段を上がると拝殿が見える。
拝殿に参る。
背後の本殿には「立山根本中宮」の扁額が掛かる。
拝殿左奥に神秘社(山神社)、御祭神は造化三神(天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)と大山祇神、久々廼智神
先の左手の参道を進むと、奥に末社立山大宮、御祭神は立山権現伊邪那岐大神を主祭神とし、第四十二代文武天皇、佐伯宿禰有若公を相殿に祀る。
拝殿の右の磐座の上に鎮座するのは立山若宮、御祭神は天手力雄神を主祭神とし、稲背入彦命を相殿に祀る。延喜式新川郡布勢神社の論社のひとつ。
若宮の右手の丘を上っていくと、立山開山堂が建つ。
立山開祖の越中国司佐伯有若卿の嫡男佐伯有頼慈興上人を祀る。
開山堂入口には剱嶽社、御祭神は須佐之男命。剱岳山頂に鎮座していた旧社殿で剱岳遙拝所として建立された。
若宮の前にある立山開山御廟は、立山玉殿岩窟において霊示を受け立山を開山し、生涯を立山信仰の弘宣に捧げられた佐伯有頼公が入定した地と伝わる。
境内の石像。熊に乗る子は金太郎か?でもなぜ亀を踏んづけているのか?
帰りに斎館で御朱印をいただく。今日は前立社壇と中宮祈願殿を参拝し、今夏山頂の峰本社を登拝する準備はできた。
雄山神社中宮祈願殿
富山県中新川郡立山町芦峅寺2
立山町に鎮座する雄山神社前立社壇。御祭神は伊邪那岐神、天手力男神。前立社壇、中宮祈願殿、峰本社の三社で雄山神社となり、里宮、中宮、奥宮の役割を担う。
北側の駐車場に停め、西鳥居から入る。
境内西側には暴れ川で知られた常願寺川が流れる。
少し登ると社号標が立つ。
西神門を通る。
境内に神仏分離令以前の立山寺で湯立神事に使用された「湯立の釜」が現存する。
釜は加賀藩十三代藩主前田斉泰が寄進し、「前田宰相加賀守斉泰」の刻印が読み取れる。
拝殿に参る。
拝殿内には加賀藩二代藩主前田利長の正室玉泉院の寄進した狛犬が残る。
拝殿後ろの本殿は玉垣内に鎮座する。
東鳥居
東神門の前には石橋が架かる。
拝殿と社務所の間に摂末社三社が鎮座する。左から末社八幡宮、摂社刀根社、末社稲荷社。
授与所で御朱印をいただく。
駐車場に戻ると、ちょうど鉄橋に電車が通った。
雄山神社前立社壇
富山県中新川郡立山町岩峅寺1
気多神社は越中国府に近い地に建つ越中国一宮である。養老2年(718)に僧行基が創建したと伝えられ、天平宝字元年に越中から能登国が分立した後、越中の大社と崇められていた能登気多大社を現在地に勧請したと言われる。
県道沿いの入口に社号標が立ち、ここから山側に向かうのだけど全く見えない。
長い参道をしばらく進むと少し坂道を上って階段の左側に駐車場がある。ここから徒歩で境内へ向かう。
坂道の途中にお手水がある。隣接して名水の案内が立っているけど今は飲めないようだ。こんなに暑い日でもとても冷たい水だった。
水を吐き出す竜神様はコップをかぶってなんだかお茶目!
長い階段を上ると鳥居をくぐって参道が続く。
大きな木々が参道脇に立ち、階段の向こうに拝殿が見えてきた。
階段を上るとようやく拝殿の前に出る。
左の狛犬の脇にご神木が立っている。
本殿は永禄年間の再建と伝えられ、室町時代の特徴を今に伝えている。
本殿には扁額がかかっているのが見えますが、立ち入り禁止です。
近くの案内板で確認できる。
本殿の隣には攝末社の大伴神社が建つ。祭神は越中国司として伏木に赴任した大伴家持を祀る。
境内の本殿の建つ場所から一段下がった場所に「越中総社跡伝承地」と書かれた一画がある。
「総社」とは国府の近くに地域の祭神を集めて祀った神社です。
鳥居と大きな木が立っているのみですが、越中国国府は伏木古府にあったので場所的にあっても不思議はないですけど。
気多神社は山腹に建つので、眼下に伏木の町並みを臨むことができる。
境内には常駐する施設がありませんでしたので、御朱印をいただくために社務所に向かいました。
御朱印はあらかじめ書いて置いてあります。大きな御朱印もありますが、こんな大きな御朱印帳もあるのでしょうか?
(と思っていたら、後日一の宮御朱印帳を見つけてその大きさにぴったりでした)
〒933-0116
富山県高岡市伏木一宮一丁目10-1
TEL.0766-44-1836
射水神社は、御祭神は二上神である。伝によれば、養老年間、僧行基二上山麓に養老寺を建てこの神を祀り、二上権現と称した。明治8年に現在地に遷座された。
高岡古城公園にある射水神社はいつ訪れても人の絶えない神社です。
鳥居脇に射水神社の明治44年の社号標が立っている。
神社建物のある境内はそれほど広くはないですが、参道は御旅屋通りから高岡古城公園に入る場所から高岡城の二の丸を横切るように伸びている。
御朱印は拝殿横のご祈祷受付でいただけます。
看板にある「ふうたん」が気になったけど、二上山からイメージした射水神社のキャラクタのようですね。
御朱印をいただくと「射水神社」と「射水二上神社」のパンフレットをいただきました。
それによると、攝末社は同じ公園内に「高岡市護国神社」、二上山の「二上射水神社」のまわりに「日吉社」「悪王寺社」「院内社」「諏訪社」があるようです。
射水神社の本殿は高岡城の本丸跡に鎮座しています。当日は今年行われた本殿裏の社叢では、特別な許可で1日限りの立ち入りが許可され、見つかった高岡城築城初期の石垣が披露されました。
国史跡である高岡古城公園ですが、射水神社の境内地のみは明治8年の遷座以降ずっと神社所有地となっています。
二の丸にある参道途中の高岡市護国神社です。
富山県高岡市古城1-1
TEL.0766-22-3104