2月の御朱印をいただきに、射水市に鎮座する櫛田神社に行って来ました。
今月は梅でした。
2月とは思えない好天でした。
気持ちよく参道を歩き社殿へと歩を進めます。今日は天気良かったからか参拝中もチラホラと参拝者がいました。
新築された神門
じっくりと見学していると、左に建つ燈籠にステンドグラスが嵌められていました。
境内にはステンドグラス記念館が建っています。射水市に生まれた大伴二三彌氏はステンドグラス作家の草分けとして活躍し、記念館に作品が展示されている。
宮司さんに聞いたところ、夕暮れ時からはライト点灯されるのだそうで、希望すれば点灯していただけるそうだが、今日は明るすぎるので遠慮しました。きれいなステンドグラスいつかお願いして見たいと思います。
拝殿に参る。
櫛田神社
富山県射水市串田字大沢6838
櫛田神社に今月もう一度参拝に行って来ました。
正月は御朱印に鳳凰が入っていたのですが、正月以後はツバキの花入りになっていました。
今日は御神木の立つ中間の鳥居から入りました。
新しくなった社殿前の神門です。
拝殿に参る。
正月は賑やかだった授与所も静けさを取り戻しました。
正月にはじっくりと見られなかったおみくじがまだ残っていました。
矢羽根をよく見るとこれ交通安全のお守りなんですね。
御朱印をいただき、雨も大粒になってきたので急いで駐車場に戻ると本降りになった。
櫛田神社
富山県射水市串田字大沢6838
富山市に鎮座する日枝神社。御祭神は大山咋神、大己貴神を主祭神とし、天照皇大御神、豊受大御神を配祀する。
明治8年に天照皇大御神を祀る北神明社、豊受大御神を祀る中神明社を合祀した。
小雨の中参拝する。社務所北にある山王西駐車場は一般有料駐車場としても使用されているが、参拝者は無料で利用できる。
表参道を北から南へ進み、西に曲がると二の鳥居をくぐって社殿が建つ。
拝殿に参る。
拝殿の右に社務所が建っているが、以前来てから新しく建て替えたのですね。
御朱印をいただく。
1月中は子年のねずみの絵入りが頒布されている。
正月もあるので、シール形式の御朱印。初めてだったが御朱印帳には貼りやすかった。
日枝神社
富山県富山市山王町4−12
初詣4社目は高岡市の射水神社。
事前告知はありませんでしたが、初詣御朱印がありました。射水神社の背後の二上山から太陽が昇る縁起の良いデザインですが、実際には方角からしてこういう光景には出会えませんね。
後で調べたら正月3が日のみの限定御朱印だったみたい。
さすがに城址公園ともなると3日でも人出はありますね。
今日は参拝まで5分以上待ったのは当社のみです。
待っている間も拝殿内で祈祷の巫女舞が行われていたので退屈はしなかったですね。
カラフルな子年大絵馬
初詣期間中は御朱印は拝殿横ではなく、手前の会館中央あたりで授与しています。
横におみくじ置いてあるので、日によっては窓口辺りが人で埋もれているかもしれません。
射水神社
富山県高岡市古城1−1
初詣3社目は高岡市の有磯正八幡宮。
昨年正月限定御朱印があったので今年もあるかな?と来ましたがありました。
当社の古印を押したものになります。
正月も3日になると参拝者もまばらですね。
周囲の木々の葉も散って、かつての大欅も雰囲気が変わりますね。
拝殿に参る。
有磯正八幡宮
富山県高岡市横田町3丁目1−1
初詣2社目は射水市の櫛田神社に参拝しました。
初詣は鳳凰が描かれているが、1月限定御朱印と同じかどうかわからない。
表参道から入ります。鳥居前にかがり火が焚かれ、鳥居をくぐり、さらに茅の輪をくぐっていく。
初詣期間は生きた神馬が迎えてくれます。授与所に神馬用の人参もありましたよ。
新しい神門を通る。
普段静かな境内には大勢の人が参拝に来ていた。
それ以上に縁起物の量と巫女さんの人数に驚きました。隣県のことなので知らないことも多いのですが、地域の中でも参拝者は多いほうかもしれません。
御朱印は書き置きもありましたが、直接書いて頂けるということで待っている間、縁起物を見ていました。
お守りや熊手、ダルマ、おみくじに土鈴など定番の縁起物がある中で、瓦煎餅があったので記念に購入しました。
櫛田神社
富山県射水市串田字大沢6838
今年の初詣は高瀬神社から始めました。
神社近くは交通規制が敷かれた道路もあり、奇しくも大鳥居から歩くて向かうことになりました。
歩行者専用になった道路を歩いて境内に入ります。
多い時は五列に並ぶほど参拝者が来るようですが、今日は大丈夫でした。
普段ならまっすぐ拝殿に向かうところですが、右に稲荷社の前を迂回して、
拝殿に参る。
楽しげな子年大絵馬
臨時の縁起物頒布所も設置されていました。
御朱印はいつもの場所ですが、少し分かりにくいですね。地元新聞報道によると、初詣御朱印の書き置きは1000枚準備されたようです。1日から7日までの7日間限定。
高瀬神社
富山県南砺市高瀬291
朝日町に鎮座する脇子八幡宮。御祭神は誉田別尊、豊城入彦命、北陸宮、事代主神。
奥宮が宮崎城本丸の櫓台跡に建っている。
宮崎太郎長康により築城された宮崎城に匿われた北陸宮(後白河天皇第三王子以仁王の第一皇子)は、御神前で木曽義仲を烏帽子親に元服したという。つまり、脇子八幡宮創祀の地はここということらしい。
奥宮は石灯籠2基に、狛犬1対、社殿。
冬には風雪強い場所でもあるので石祠である。
脇子八幡宮奥宮
富山県下新川郡朝日町宮崎(宮崎城跡本丸)
高岡市に鎮座する伏木神社。御祭神は天照皇大御神、豊受大御神、応神天皇、神功皇后、菅原道真公、迦具土神。
階段を上って行く。
二の鳥居の先に拝殿。拝殿に参る。
授与所で御朱印をいただく。
伏木神社も日本遺産「北前船」の構成遺産になっている。
別にけんか山祭りと言われる春季例大祭が日本遺産「北前船」の構成遺産となっている。
帰りの参道。晴れた青空に雪に覆われた立山連峰が映える。
伏木神社
富山県高岡市伏木東一宮17−2
射水市に鎮座する櫛田神社。御祭神は櫛稲田姫命、武素盞嗚尊。
6年ぶりの参拝になります。
参道を進んでいくと、階段の先に鉄骨が見えた。
鳥居の再建工事で、鳥居がなくなっていたが、明日から新しい鳥居が持ち込まれ、今月中旬には工事が終る予定になっている。
拝殿に参る。
御朱印を待つ間、拝殿を横から見ると足場が組まれていました。雪囲いでもするのかと思い見ていましたが、それにしては高さが足りないなーと思って質問したところ、屋根の銅板を吹き替える準備をしているのだそうです。
今日は当社で月替わりの御朱印をしているという情報を得て参拝しました。
12月は紅葉でした。来月以降また参拝したいと思います。
櫛田神社
富山県射水市串田字大沢6838
高岡市に鎮座する射水神社。御祭神は二上神とも称される瓊瓊杵尊。
高岡城の本丸に鎮座し、高岡城と二上山をデザインした御朱印が増えた。
昨日ホームページで大嘗祭の特別御朱印があることがわかり、まだ残っているか心配でしたが無事入手できました。
晩秋の雨上がりの高岡城址公園。散った紅葉の絨毯がとてもきれいでした。
平日の雨模様の昼ともあり、参拝者はまばらです。
拝殿に参る。
御朱印は改元後、元号の部分を令和由来のハンコとして、通常版に鳳凰と高岡城をデザインした見開きの2種類になったようです。大嘗祭の特別御朱印は案内はありませんでしたが、まだ残っているとのことでした。
ちょうど祈祷の方がいらしたので、巫女さんも舞があったりして10分ほど待っていました。他に待っている人もいなかったので、巫女さんの舞や境内の紅葉を見ていました。
帰りにはすっかり青空が広がってきていました。目的も達成できてすがすがしい気分です。
射水神社
富山県高岡市古城1−1
黒部市の宇奈月温泉に鎮座する宇奈月神社。御祭神は天照皇大神、大山津見神、大山久比神、軻遇突智神、水波象女神、誉田別命の六神。
黒部峡谷トロッコ電車に乗りに来ました。宇奈月駅前の駐車場の正面に建っているので帰りに寄りました。
大正時代に黒部の電源開発とともない、宇奈月温泉が開湯し、発電事業や工事関係の会社も協力して昭和2年に創立される。
階段を上っていくと左手に手水舎。センサーで人を見知し自動で水が流れる。
この水が黒部の名水のひとつになっていて神社の見どころのひとつらしい。
社殿は雪深い地であるのでサッシに覆われているが、外見も神社建築風になっている。
拝殿に参る。
賽銭箱の横に御朱印授与の案内があった。
神社の隣りのセレネ美術館。受付に行くと奥のスタッフさんが手書きで御朱印を書いてくれた。
宇奈月神社
富山県黒部市黒部峡谷口30
高岡市に鎮座する射水神社。御祭神は二上神とも称される瓊瓊杵尊。
平成最後の4月、特別御朱印が授与されることになったが、最終日はさすがに混むかと思い1日目にもう一度いただきに来た。
御即位30年を祝う旗や五色の旗も立ち、奉祝ムード漂う境内。
少し順番を待って拝殿に参る。
GWともあって県外客も多く、御朱印は行列になっていた。前で待っていた方は昨日金沢の神社をまわってきたようで、改元の長期休暇を皆さん楽しまれているようです。
射水神社
富山県高岡市古城1−1
高岡市に鎮座する射水神社。御祭神は二上神とも称される瓊瓊杵尊。
令和改元を控え、平成最後の月になりましたが、今月限定で平成を偲ぶ特別御朱印が頒布されることになりました。
万葉集に「カタカゴ」として詠まれたカタクリが咲いていました。
急な降雪もあってか境内はまばらでした。
紅梅がまだ少し残っていました。
拝殿に参ってから御朱印をいただきました。
本丸跡広場は真っ白な状態でした。
射水神社
富山県高岡市古城1−1
高岡市に鎮座する有磯正八幡宮。御祭神は有磯神、綏靖天皇、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰を主祭神とする。
今年から初詣限定御朱印が頒布されるという情報を得て参拝に来ました。
真新しい注連縄が新年が明けて清々しく感じる。
拝殿に参った後、拝殿に設けられた授与所に置いてあった限定御朱印を入手した。
80体奉製ということで、3日に残っているか心配でしたがまだ半分は残っていました。当社の古印を特製用紙に押印してある貴重な御朱印です。和暦だけではなく十干十二支も変わるデザインになっている。古印の「有」は横になっているのが洒落ている。
有磯正八幡宮
富山県高岡市横田町3丁目1−1
高岡市に鎮座する有磯正八幡宮。有磯宮と横田正八幡宮を合祀して創建された神社で、御祭神は有磯宮の有磯神、綏靖天皇と、横田正八幡宮の応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰を主祭神とする。
二度目の参拝。
拝殿に参る。
本殿は見えないが、主祭神を正座とし、さらに明治以降に合祀した周辺の鎮守社を左座と右座に祀る。
左座に八坂社、水天宮を、右座に息長武神社、琴比羅社、神明社、諏訪社を配祀する。
琴比羅社の御祭神は大己貴神、石凝姥神、日本武尊、前田利長公を祀る。宮司に聞いたところは琴比羅社はもと金屋町の鎮守で、鋳物の町として鍛冶の神である石凝姥神と、町を開いた前田利長公が祀られたという。
徒歩ですぐだというので、夕方の金屋町を歩いてきました。
メインストリートに石畳が敷かれていて風情がある。
有磯正八幡宮
富山県高岡市横田町3丁目1−1
富山市に鎮座する鹿嶋神社。御祭神は武甕槌命を主祭神とし、大己貴命、少彦名命、富山藩二代前田正甫公を配祀する。
今日は2回目の参拝。
拝殿に参る。
鹿嶋神社の辺りには富山藩祖時代には家老を勤めた近藤善右衛門長房の下屋敷があり、二代正甫公の誕生地といわれる。
現在の境内には正甫公の産湯井が残るが、もとは拝殿のやや南方にあったと言われる。
正甫公は有沢(神通川左岸)の産土神であった鹿嶋神社を特に崇敬し、富山城の南西(裏鬼門)にあたる当地(神通川右岸)に遷座したとされている。
鹿嶋神社
富山県富山市鹿島町2丁目8番10号
富山市に鎮座する於保多神社。御祭神は菅原道真公、富山藩祖前田利次公、二代正甫公、十代利保公を祀る。
西鳥居から境内の駐車場に入るが、正参道は東側にある。
入口には「縣社兼郷社於保多神社」の標柱が建つ。
参道には2つの鳥居が建ち、間に神橋がある。
拝殿に参る。今日はこの後に祈祷の予約があったようで、女性神職が拝殿にいらした。
前回参拝時は男性に御朱印は止めてしまったようなことを言われたのだが、今回は快く受けて頂いた。
神社由緒なども置いてあり、新幹線開業後参拝者も増えたのかもしれない。
拝殿には菅原道真公の絵馬も奉納されている。
拝殿の後ろ、玉垣に囲まれて本殿が独立して建っている。
境内には記念碑がたくさん建っている。その中には2代正甫公の鋳造した時鐘で作った正甫公頌徳碑がある。
於保多神社
富山県富山市於保多町1−32
立山町に鎮座する雄山神社前立社壇。御祭神は伊邪那岐神、天手力男神。
大鳥居から参道を進む。
拝殿に参拝する。
拝殿には「立山雄山宮」の扁額がかかる。
今日の参拝は加賀前田家当主を祀る神社に参るため。
あらかじめ調べた情報では境内の末社八幡社に祀られているということだったが、案内板には応神天皇と神功皇后のみ記載されている。御朱印時にいただいた神社パンフレットには八幡宮に前田利家公が入っていた。八幡宮には旧岩峅寺集落にあった鎮守の御祭神が合祀されているようだが、利家公がもともと何処に祀られていたのかは分からなかった。
藩政期に藩領だった当地は加賀前田家の庇護も篤く、2代利長公の正室永姫の寄進した石造狛犬が拝殿に残る。
また、13代斉泰公の寄進した湯立の釜も境内に残る。
雄山神社前立社壇
富山県中新川郡立山町岩峅寺1
氷見市に鎮座する伊勢玉神社。今日は宮司が留守で御朱印はいただけなかった。
今年は大雪で各地で被害が出ているが、境内の木も枝折れの被害が多かったようだ。
拝殿に参る。
今日は近くに用事があり参拝したが、目的は神社神報に記事がでていた宮司自らが描いたという絵馬。
愛らしい子犬?が描かれている。
伊勢玉神社
富山県氷見市伊勢大町1丁目9−23
氷見市に鎮座する日宮神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とする。往古は久目神社と称していたという言い伝えがあり、延喜式射水郡久目神社の論社の可能性を残す。
集落の通りに面して西向きに鎮座する。参道の入口にのぼりポールと「村社 日宮神社」の社号標
階段手前に鳥居と手水
階段の両側に杉が立ち並び、小さいながら手入れされている雰囲気がある。
階段を上り拝殿に参る。
拝殿に掛かる扁額は「日の宮」とある。崩し字のため読み取れないが、「の」の字は「乃」だろうか?
本殿は拝殿に続く覆屋のなかにある。
拝殿右手に小さな鳥居が建つ。
参道に社務所兼自宅があるので訪ねる。残念ながら御朱印はなかったが、しばし話を聞く。
拝殿右の鳥居について尋ねると、氷見市街(旧氷見町)のほうにあった酒造店の店主が夢見で、当地に神を祀るよう言われて祀ったものといい、鳥居の先に祠があったそうだが今は跡しかないという。つまり水の神(松尾の神か?宗像の姫神か?)だということだが、酒造店は後に薬屋に転じ、その頃病気に効く薬を占うおみくじがあり、おみくじを持ってその薬屋に行ったという。現在は代が進み参拝も祭りも途絶えたといい、そう古い社ではないものの本殿にも合祀されておらず、詳細が不明になったということで残念。
聞けば代替りした今の宮司は富山県の公文書館に勤められているということで、退職されて常住されるようになれば、もっと詳しい話が聞けるかもしれない。
日宮神社
富山県氷見市大浦1806
氷見市に鎮座する楯鉾神社。御祭神は不明だが、三代実録記載の楯鉾神の論社であるので楯鉾神ということになろうか。
というのも、白川集落の氏神は少し西に鎮座する八幡宮で、楯鉾神社はその境外末社になっているため情報が少ない。
白川集落の西の丘陵地の隅に建ち、
境内の入口に鳥居が建つ。
鳥居の足下に五輪塔の一部が残されている。
社殿は本殿・拝殿一体の建物。社殿に参る。
社殿の左に壊れた石祠があり、かつては仏像が入っていたのだろう。
楯鉾神社
富山県氷見市白川1288
南砺市に鎮座する神明宮。御祭神は天照大神。延喜式砺波郡荊波神社の論社。
集落に入る南の道路沿いに「村社 神明宮」の社号標とのぼりポール。
住宅地の前にものぼりポールが建つ。
住宅と車庫の間の参道。手前の家は一般の民家のようだった。
境内の入口に鳥居
拝殿に参る。
拝殿のサッシは開かなかったので、外で参ったが、提灯の後ろに扁額が見える。
本殿も覆屋の中のようだ。
右には境内社の秋葉社の石祠が建つ。
神明宮
富山県南砺市桐木155
南砺市に鎮座する石武雄神社。御祭神は石武雄神を主祭神とし、天照皇大神を合祀する。三代実録記載の石武雄神の論社。
社叢の森に向かって道路沿いに社号標が建つ。田の中を長い参道が続く。
参道の途中に鳥居が建つ。
参道沿いに雉子が一羽。追いかけっこするように参道を進む。
境内に入る石橋を渡ると二の鳥居が建つ。石橋の下には用水が流れる。
境内に入ると「本願寺五世 婥如上人御旧跡」の石碑が建つ。婥如上人が北陸布教の途中、倶利伽羅で老翁に話を聞いて、当地に一週間逗留したという。後に上人は瑞泉寺を開く。
拝殿はサッシに囲われている。
拝殿前に随神座像が立っている。高岡の有磯正八幡宮では入口に随神像が立っているが、拝殿前のものは初めて見た。
拝殿に参る。正面に大きな扁額が掛かっている。女武者が中央に描かれているので巴御前だろうか。巴御前は南砺市福光で亡くなったという伝説も残っている。
本殿もサッシに囲われている。
本殿の左に庭園がある。小山の上に社殿が建つ。
拝殿の右には社務所が建つ。
左方には宮司宅が建つ。御朱印をいただく。宮司が書いている間、奥様と話をしていた。社家河合家は現宮司で45代続いていて、寺から奥様が嫁いだ当時は地元の方に「ひいさま」(姫様)と呼ばれた時期もあったようだ。社宝は阿弥陀三尊像の懸仏で、かつての御神体であり、今でも三十三年に一度御開帳される(岩武三社権現式年開扉大祭。次回は2026年7月)という。
境内の東の田の中、一本の木の下に石碑が見えた。
近づいてみると「六郎塚」とある。
神社の縁起によると、崇徳天皇の天承年間、信州水内郡野尻の郷士河合典膳の子・河合五郎、六郎の兄弟が生れ国の守護神である熊野三神の霊夢によって越中国礪波郡石武野に移って統治したという。河合氏がその熊野三神を当社に合わせ祀り「岩武三社権現」と称し、残る懸仏も三社権現である。以来石武野は、河合氏の故郷の名に因んで野尻郷と称せられたという。六郎塚があるということは五郎塚もどこかにあったのだろうか。
石武雄神社
富山県南砺市野尻711
高岡市に鎮座する移田八幡宮。御祭神は移田大神、譽田別尊、天照皇大神、豊受大神。三代実録記載の杉田神の論社。
社殿は東向き。境内には大木が多い。
境内の外右側に赤い社務所が建つ。
境内の右には忠魂碑などが並ぶ。
境内に入ると左手に祭具庫か神輿庫
参道の燈籠は積まれた岩の上に乗っている。
拝殿に参る。
拝殿をのぞくと薄暗いが源平合戦のような大きな絵馬が正面に掛かっている。
拝殿の後ろは玉垣に囲まれているが、本殿の前に中門が建つ。随神が両側に座す随神門のようだ。
本殿は覆屋の中で、玉垣からの角度だと中がよく見えない。
拝殿左に広川社。明治の初めに二度の大火のとき、御神託により境内神木百六十柱の高神大神を祀ったという。
広川社の後ろには境内一の高さの御神木がそそり立つ。
拝殿の右側に境内社の稲荷社と
天満宮。稲荷社の屋根しかないような祠はなぜなのか気になる。
移田八幡宮
富山県高岡市中田4673
富山市に鎮座する日宮神社。御祭神は天照皇大神、天穗日命を主祭神とする。延喜式射水郡多久比禮志神社の論社。
境内は東向き。周囲は完全に市街地化しているが、境内の木の大きさからすると、周辺はもっと鬱蒼としていたのかもしれない。
入口の社号標には「日宮神社」とある。
裏にまわると「村社 手向神社」と書いてある。以前の社号らしいが再利用している例は初めて見た。
境内に二宮金次郎像
燈籠は掃除中か崩れたものか
拝殿に参る。
拝殿中央に唐子の奉納額、右に社号奉納額、左は第四次川中島合戦のようだ。
拝殿からは階段を下りて覆屋の中に本殿が入っている。
神明造の本殿
日宮神社
富山県富山市黒瀬北町2-14
富山市に鎮座する新川神社。御祭神は大己貴命、大新川命を主祭神とし、天照皇大御神、白山比咩命、琴比羅神、建御名方命、菅原道真公を合祀する。三代実録記載の新川神の論社。
新川神が新川郡の由来とも言われ、新川神社の建った場所を新川庄と呼び、後に略して新庄の地名が起こったという。
境内の西に道路が通り、交通量もそこそこあるので少し騒々しい。入口に「郷社 新川神社」の社号標が建つ。
扁額のかかる鳥居をくぐり、社殿までまっすぐ参道が通る。
拝殿に参る。
拝殿には正面に龍の彫刻がかかる。
拝殿には「卯杖、卯槌祝の額」が掛かっている。宮中で正月初卯の日に邪気払いとして行われたもので、天保四年まで新川神社でも行われた。奉納額は弘化四年に富山藩の画家が描いたもの。
社殿はコンクリート製
本殿右の建物は神輿倉か?
社殿の左を進むと奥に新しい参集殿が建っている。
授与所を見ていると、破魔矢と並んで薙刀開運導き守という変わった授与品があった。例祭で猿田彦神が薙を持って歩く。
境内の東に石碑が並び、一角に狛犬の先に2つの石が並ぶ。
陰陽石だという。
社前に隣接して宮司宅があり、御朱印をいただいた。
新川神社から徒歩3分の場所に新庄小学校が建つ。ここは東に常願寺川、西に荒川が流れる要害の地、北陸道に面する交通の要衝でもあった新庄城跡であった。新川神社は新庄城の守護神であって新庄城の落城とともに神宝などを焼失したという。本丸と推定される高台は、かつて御屋敷山と呼ばれ、小学校グラウンドになっているというが、削られて往時の面影はない。
新川神社
富山県富山市新庄町2-13-45
滑川市に鎮座する加積雪嶋神社。御祭神は大山咋命、大己貴命。
社前の北を通る道路の北が海であり、高い防潮堤が建っている。
通り沿いに「大岩道」という道標が残る。近くの北陸道分岐点に立っていたもので、立山へ向かう道しるべであった。
一の鳥居は北向き。「郷社 加積雪嶋神社」の社号標が建つ。
境内東側の通りに石碑が並ぶ。右2つは「北辰星」「庚申塚」と書かれている。道しるべも2つあるといい、右から4、5番目のものだろうか。立山大権現と書いた法華塔や地蔵も多い。
鳥居をくぐると右に折れ、二の鳥居の先に社殿。社殿は東向き。
拝殿に参る。拝殿前に前の社号「加積雪島神社」の扁額が掛かる。中には「加積雪嶋神社」の扁額が掛かっていた。
拝殿の左に飛び出す建物。高欄があり、舞殿のようにも見える。
幣殿、本殿と覆屋の中。
拝殿左に薬師神社。昭和31年創建の末社。
なぜ薬師かというと滑川地区配置家庭薬協同組合による建立だから。
薬師神社のそばにあるこの土台には何が立っていたのだろうか。銘板も外されていて不明。
加積雪嶋神社
富山県滑川市加島町2050
滑川市に鎮座する中加積神社。御祭神は天照皇大神、須佐之男神。
八坂社を神明宮に合祀し中加積神社と改称する。住宅街にあり境内の森が目立つ。加積郷は滑川市、魚津市、上市町にまたがる範囲であったと言われるが、現在は富山地鉄本線の中加積駅があり、一駅北西に西加積駅がある。近代まで加積郷の地名が残った地域だと言える。
鳥居は西向き。入口に鳥居とのぼりポールが建つ。
鳥居の先に建物があるが、社殿ではなく倉庫のようなもの。
鳥居をくぐって右に社務所。
反対の左に社殿。社殿は南向きで、拝殿前の左右の大スギが御神木になっている。
拝殿に参る。
本殿は覆屋の中だが、拝殿正面から明るければ少し見ることができる。
中加積神社
富山県滑川市堀江上前田156
黒部市に鎮座する新治神社。御祭神は譽田別尊、建御名方命、少彦名命。三代実録記載の新治神の比定社。
二度目の参拝。今日は御朱印をいただけた。書けるのは宮司の娘さんのみのようだ。
社殿へと続く参道。10月26日の夜から深夜にかけて行われるたいまつ祭りでは参道両側に大たいまつが並び、過去には火傷や喧嘩が絶えなかったという。元は早朝4時頃に神輿の宮入が行われたが、参加者を増やすため0時過ぎに変更され、神輿の担ぎ手も町会単位から満42歳の厄年に変更されて、他町会への当て付けもなくなり喧嘩は減ったようだ。
拝殿に参る。今は大きな松が目立つ境内だが、松は100年ほど前に植樹されたものらしい。
境内の西に広がる公園と月見嶋の清水は、100年ほど前に大正天皇が皇太子の時に近くを行啓する際に神社が町に寄付し整備したものという。
公園の清掃をしていた年配の方に声をかけられて少しの間話をした。
月見嶋の清水には鯉がたくさん泳いでいるが、近くの廃止された池や鯉商人から譲られた鯉を補充しているという。先日も100匹以上黒い鯉を入れたというが、20センチ以下の鯉は近くに巣を作るサギやトンビにやられて大きなものしか残っていない。まさに弱肉強食。
生地の地は湧き水も多く、各家には地下水の井戸があるといい、池も昔はブクブクと湧き水が沸いていたという。上流のダム建設や工場の地下水利用で水位が下がり、30メートルで出た地下水が80メートルも掘らないと出ないとか。
北前船の寄港地でもあった生地の港だが、小型漁船が主流になると少し南の石田の浜のほうに移り、船が大型化するに伴い、また生地に戻ってきたらしい。
黒部市では三島さん(八心大市比古神社)と並ぶほどの大社であった新治神社だが、かつては黒部川を挟んで入善のほうまで影響があったという。今は時代の流れなのか、宮司の対応なのか、見る影もない。
祭りの話、公園管理の話などいろいろと話を聞けて楽しかった。
新治神社
富山県黒部市生地716
39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録