祭礼の合間に神体山の三上山に登る。男山、女山の双耳峰である三上山は見る方角によっては秀麗な裾野をひくことから近江富士と呼ばれている。
御上神社から登山口に向かう。
「昭和大禮 悠紀斎田址」と書かれた石標。他に三ヶ所あり何かな?と思いながら歩いていたが、その正体は後で判明する。
裏登山口が出てきたのでそのまま入る。今回は緩やかな裏登山道を上り、急な表登山道を下りることにする。
裏登山口に御上神社御旅所がある。
登山口の鳥獣柵を開けてスタートする。12時3分
雨もほぼやんでいたが、直前まで降っていたので地面は濡れている。
すぐに表登山道と裏登山道の分岐がある。この後二ヶ所分岐があるので、基本右を選択する。
半分過ぎた頃から登山道がむき出しの岩盤が多くなる。濡れて滑りやすいので注意しながら登る。
女山に鎮座する東龍王に到着。12時32分
東の龍王の祠が建っている。標高は270m
龍王祭(山上祭)ではここと奥宮で祭祀が行われ、竹串を刺したこんにゃくとあげの甘煮が供えられるという。
女山と男山の間は少し標高が下がり、わりと平坦な道が続く。苔が沢山繁殖する場所のようで「苔が谷」と呼ばれる。
途中、「姥の懐」という案内板を見つけるが、洞窟の場所がよくわからなかった。
奥宮の裏登山道鳥居をくぐる。12時38分
男山に鎮座する奥宮。両側に祠がある。右には前掛けをした地蔵のような石像が祀られている。
東の龍王の祠に対して、西の龍王の祠というものをあるといい、女山に対し男山は若干西に位置するので、左の祠が西の龍王の祠ということになるのだろうか。
前に奥津磐座と呼ばれる神磐がある。御上神社の御祭神天之御影神は三上山山上に御降臨したとされているので、この磐座の上に降り立ったということになろうか。そう思うといかにも伝説の磐座の趣がある。
磐座の先は視界が開けている。
三上山の本当の頂上は奥宮の裏を少し登ったところ
三上山山頂432m
15分ほど滞在し、表登山道を下りる。
少し下りたところに展望台があり、奥宮前よりもさらに視界が開けている。
途中ツツジがきれいに咲いていた。さらに下りる途中、「モチツツジ」という案内を見つける。花は咲いていなかったが、ガクが粘りがあると書いてあったので触ると本当にくっつく感じがあった。
表登山道は裏登山道に比べると確かに急だが、岩盤がむき出しで滑りやすい裏登山道に比べると段があって下りるには良かった。15分ほど下ると眼下に御上神社の社叢(丸い森)が見えてきた。
さらに10分ほど下ると割岩に到着。
横にまわると真っ二つに割れた大岩を体感できる。間を通ることもできるようだが、濡れていて危険だったので諦める。
案内に誘われて二越に寄り道
途中に妙見堂跡という建物の基壇跡が残る。
魚釣岩に到着したのは13時37分
大昔、琵琶湖の水位がこの付近まであり、神がこの岩の上から魚を釣っていたと言われることから命名された。
振り向けば、そこはもう表登山口になっていた。
表登山口に妙見堂があり、中腹の妙見堂がここに下ろされてきたようだ。
登山口に妙見堂の常夜灯が建つ。
帰ろうとふとみると、裏登山口が見える。表登山口と裏登山口は目と鼻の先だった。
御上神社から道路を渡って向かいの田の前に鳥居が建っている。
ここは御上神社の神饌田のようだ。
神饌田と神社の間が公園となっていて悠紀斎田記念碑が建っている。
その隣の石碑に書かれていることをみると、
天皇御一代一度の大嘗祭に当たり、古来宮中において亀卜により悠紀と主基の両斎田を定める習わしという。
昭和三年十一月十日、今上天皇(昭和天皇)の御即位式挙行に際し、悠紀斎田を滋賀県に、主基斎田を福岡県に勅定遊ばされ、滋賀県では御上神社の神饌田になっている田地等を含めて約一町歩を斎田に選定した。
ということのようだ。最初の石標の意味がわかってスッキリした。
御上神社奥宮(三上山山頂)
滋賀県野洲市三上