中能登町の鎮座する宿那彦神像石神社。御祭神は少彦名命、建御名方神、中筒男命、大名持命。延喜式能登郡の論社で、氣多大社の境外摂社。
神社は眉丈山を背後に南東向きに参道が延びる。入口に鳥居と社号標
鳥居をくぐると右手に背の高い杉の木。そこから参道両側に杉木立が続く。
抜けると拝殿に出る。拝殿に参る。
拝殿前には扁額はないが、昭和20年代の金丸山八朔大相撲の奉納額が掛かる。
拝殿背後一段上に本殿。
宿那彦神像石神社
石川県鹿島郡中能登町金丸又ヨ1
中能登町の鎮座する宿那彦神像石神社。御祭神は少彦名命、建御名方神、中筒男命、大名持命。延喜式能登郡の論社で、氣多大社の境外摂社。
神社は眉丈山を背後に南東向きに参道が延びる。入口に鳥居と社号標
鳥居をくぐると右手に背の高い杉の木。そこから参道両側に杉木立が続く。
抜けると拝殿に出る。拝殿に参る。
拝殿前には扁額はないが、昭和20年代の金丸山八朔大相撲の奉納額が掛かる。
拝殿背後一段上に本殿。
宿那彦神像石神社
石川県鹿島郡中能登町金丸又ヨ1
羽咋市に鎮座する大穴持像石神社。御祭神は大穴持神、少彦名命。延喜式羽咋郡の論社。
今日は例祭日だったようで参道には神旗が立てられていた。
南向きの境内とまっすぐ延びる参道。境内は森の中にある。右に社務所
入口に鳥居と玉垣。社号標は見当たらない。かつては氣多大社の摂社だったという。
境内に入ると右に玉垣に囲まれた大石。地震おさえの霊石という。
拝殿に参る。今日は例祭日で拝殿の戸が開けられていた。
笛の音に誘われ集落内を探すと、神輿と獅子舞が各家々を回っていた。
能登の獅子舞は越中と同じく軽快なお囃子に合わせて獅子と天狗が遊び戯れる感じの楽しいものです。
大穴持像石神社
石川県羽咋市寺家町ケ1
羽咋市に鎮座する能登国一宮の氣多大社。御祭神は大己貴命。
砂浜を車で走れる千里浜海岸は有名ですが、北の柴垣海岸の海岸に突き出た長手島
松林の長手島の中に2つのお堂が建つ。
岬のほうに八大竜王堂
普段は人も来ないので野良猫の楽園のようになっている。
七面堂の前に白うさぎの像が立っている。「因幡の白うさぎ」は神話として有名だが、氣多大社にも「能登の白うさぎ」の伝説が伝わる。
往古出雲国から能登国までの日本海を気多の海と呼び交流が盛んであった。ある時能登の白うさぎが長手島の妙成岩から滝﨑(氣多大社)までサメをだまして飛び渡ったため、体の毛をむしりとられ赤裸になり苦しんでいた。大国主命の滝﨑にある「がまのほ」を用いればよいと一命をとりとめたという。
七面堂。氣多大社にゆかりの地だが神社はない。
氣多大社で御朱印をいただく。
南東の旧参道の入口に建つ随神門
左右に随神が今も神域の入口を守る。
氣多大社
石川県羽咋市寺家町ク1
七尾市中島町塩津に鎮座する唐島神社の御祭神は市杵嶋比咩命(女神)
同じく塩津に鎮座する日面神社の御祭神は正哉吾勝々速日天忍穂耳命(男神)
その両神が夏の夜、海上で一時の逢瀬を楽しむ。というのが塩津のおすずみ祭りです。
薄暗くなってきて、日面神社に続き唐島神社でも神事が行われる。
神事が終了すると神輿にお遷しされた神様はキリコ燈籠の先導で海上に向かう。
海上に出ると蓮の葉の灯明が次々と海に流されていき、波にユラユラと揺れる線のように灯明が連なり幻想的な風景が目の前に広がる。
途中花火が打ち上げられ、その間も太鼓と鉦が鳴り響く。
女神は男神に連れられて、男神側の船着場に両神が着岸し、キリコの先導で神輿が集落を練り歩く。
塩津のおすずみ祭り
日程:7月第4土曜日
19:30頃 日面神社で神事
19:40頃 唐島神社で神事
19:50頃 唐島神社からキリコと神輿を乗せ船出航
20:40頃 海上花火
21:30頃 キリコと神輿が上陸し、集落を練り歩く
七尾市に鎮座する日面神社。御祭神は正哉吾勝々速日天忍穂耳命、塩土翁。延喜式能登郡菅忍比咩神社の論社。
社殿は東南向き。境内入口に社号標と鳥居が建つ。
今日は例大祭日であり、社前には神旗が立てられている。
鳥居の扁額はお洒落なデザインだ。
境内にキリコ燈籠が準備されている。
社殿のまわりを杉に囲まれ、まるで神域の壁のようになっている。
拝殿前には神様をお遷しされる準備ができている。
拝殿が開いていたので中でお参りさせていただく。
本殿は弊殿で拝殿につながる。
日面神社
七尾市中島町塩津サ1
加賀市に鎮座する潮津神社。御祭神は鹽土老翁を主祭神とし、應神天皇を合祀する。延喜式江沼郡の比定社。
社殿は北向き。境内入口に鳥居と社号標が建つ。
拝殿に参る。
拝殿には「潮津神社」の扁額の横に合祀した「八幡宮」の扁額が掛かる。
境内には神牛像もあるが、御祭神鹽土老翁の生れ変わりを菅原道真公として天神さんと呼んでいることに由来する奉納物だろう。
社務所は少し離れた片山津温泉のほうにある。伺うと宮司もいらして御朱印をいただけた。
潮津神社
石川県加賀市潮津町ユ-32
金沢市に鎮座する猿丸神社。御祭神は猿丸大神。
今日は金沢まち博の御神宝めぐりというイベントで参拝しました。
拝殿の中でまずは解説がありました。
天保十五年奉納の和算額や
本殿前の丑の刻参りの大杉の話がありました。残念ながら大杉は朽ちて昭和49年7月に切られて根元だけになっている。
他、金沢市保存樹林に指定されている社叢で、特に珍しい木について説明がありました。
終わってから宮司に御朱印をいただきました。今日はお父さんのほうでした。前回は普段は尾山神社に奉仕している息子さんのほうだったので墨字がかなり違っています。
猿丸神社
石川県金沢市笠舞3丁目23−15
加賀市に鎮座する篠原神社。御祭神は天兒屋根命。延喜式江沼郡の比定社。
社殿は西向き。鳥居前の草むらに停車する。
一の鳥居をくぐると参道中間に二の鳥居。
二の鳥居の扁額は龍の彫刻がされていて凝っている。
拝殿に参る。
拝殿に入ると境内は社叢で薄暗いので拝殿内も薄暗い。奥に本殿が見える。
境内には五輪塔もあった。
当社から北に500メートルほど行くと実盛塚。篠原の地は源平合戦で篠原の戦いが繰り広げられた場所
篠原神社
石川県加賀市篠原町ル-1
七尾市に鎮座する能登國総社。御祭神は能登国式内四十三座神を主祭神とし、健御名方神を合祀する。
古府集落の北に社号標
南へ進むと右手に鳥居が見えてきた。
鳥居前の駐車場に車を停め境内に入る。
参道をやや左にカープしながら進むと社殿が見えてくる。社殿は南向き。
左に力石が並ぶ。
拝殿に参る。
扁額には「総社」とだけ書かれている。
覆屋の中の本殿は市指定有形文化財となっている。
能登國総社
石川県七尾市古府町キ22
七尾市に鎮座する伊夜比咩神社。御祭神は大屋津媛命を主祭神とし、應神天皇・神功皇后(旧八幡神社祭神)、天照皇大神・豊受大神(旧神明神社祭神)、伊弉冉命・菊理媛命(旧白山神社)、菅原道真公(菅原神社勧請)を合祀している。延喜式能登郡の比定社。
社殿は東向き。入口に鳥居と社号標が建つ。
拝殿に参る。
拝殿左に神輿庫
拝殿右手の宮司宅で御朱印をいただく。境内の枝垂れ桜はちょうど見頃であった。
伊夜比咩神社
石川県七尾市能登島向田町115-26
七尾市に鎮座する嶽神社。御祭神は天忍媛命、田心媛命、大国主命。延喜式能登郡菅忍比咩神社の論社。
神社に参拝目的というか、能登国三十三観音霊場として参詣に来た。もと香文寺と呼び、第三番霊場。第二番霊場は北方対岸の穴水町宇加川
集落の南方、鰀目港を見下ろす岬に鎮座する。
鳥居をくぐると右へ階段を上る。社殿は北西西向き
拝殿に参る。
北に能登半島の穴水方面の陸地が見える。
御朱印は能登国三十三観音霊場のものを伊夜比咩神社でいただいた。
嶽神社
石川県七尾市能登島鰀目町31-6
小松市に鎮座する若宮白山神社。御祭神は菊理姫神。
神社は那谷寺の境内に鎮座する。明治26年以前は那谷町ル148番甲地山坂に鎮座していたというが、那谷町会館の裏辺りか。
2つの鳥居をくぐり参道を進むと社殿が見えてくる。参道はやや左にカーブしている。
拝殿に参る。扁額は大聖寺藩第十四代前田利鬯公の揮毫。
拝殿の右方に末社金刀比羅社
境内には奉納物が多く、騎乗武者像もそのひとつ。
力比べを競った盤持石が並んでいる。
宮司宅は那谷寺の門前参道にあるが、後日確認したところ御朱印は授与していなかった。
若宮白山神社
小松市那谷町シ1番地外12筆合併地
諸江白山神社は、少名彦神社相殿の大神なるを元和二年八月、別に一社を設立して下諸江に移転されました。ご祭神は、伊邪那岐(いざなぎ)大神、伊邪那美(いざなみ)大神。下諸江の産土神として崇敬と信仰を集めてきました。
県神社庁のホームページではご祭神として菊理媛神も書かれています。白山神社の名前からすると当然なのだが、なぜ敷地内の石碑には書かれなかったのか?
入口近くの由緒の書かれた石碑によれば、当神社は安江八幡神社が管理されているようで御朱印は望めそうもありません。
神社前にちょうど用水が通り、まさに橋を渡って神域に入る感じです。
小さな神社ですが、手水は立派です。
本殿は昭和12年に建て替えられたもののようですが、囲いは寺っぽいです。
扁額は「白山神社」でした。
金沢市諸江町下丁1
大野湊神社は、神亀四年(727)陸奥の人、佐那が航海中に猿田彦大神の出現を感じ、海辺の大野庄真砂山の神明社のそばに祠を建立し勧進するを創祀とする延喜式内社です。建長4年(1252)社殿炎上のため、離宮八幡宮(現在地)に遷座されました。
ご祭神は天照坐皇大神、護国八幡大神、猿田彦大神(佐那武大神)。
この神社が有名なのは、春祭例祭で行われる約400年続く神事能で、金沢市無形民俗文化財になっています。
金沢西警察署のある金石交差点に建つ大鳥居。神社名は陸軍大将林銑十郎氏の筆によるものです。
参道を歩いて公園に入ると、旧木曳川にかかる橋を渡って朱色の北神門をくぐります。
隣接する在所や車で来るときはこの随神門から入ります。
随神門には随身が左右に祀られています。
随神門を入り左側に能舞台があります。ここで毎年5月15日に神事能が行われます。
随神門を入り正面には旧拝殿があります。現在の拝殿は昭和10年に建て替えられたものです。
扁額もまだまだ現役です。「野」が旧字の「埜」になっています。
手水舎
鳥居をくぐって拝殿に向かいます。
参道の右に神馬舎が建っています。馬は本物ではないです。
参道の左に絵馬堂が建っています。
絵馬堂の隣に錨が何本も奉納されています。港のあった宮腰、大野庄の総社として、海と湊の安全を守護し、厚く信仰されてきたお社だけあります。
拝殿に詣ります。
拝殿の左前にご神木がありました。中心が朽ちていますが、それだけに何か神秘的な雰囲気が漂っています。
拝殿扁額は前田家13代斉泰公の揮毫です。
拝殿右側に社務所があり、御朱印はここでいただけます。
拝殿右側のお社は社務所から拝殿への渡り廊下で拝めないようなので、左側へ。
白山社です。伊邪那岐命、少彦名命、天満宮が合祀されているようです。
本殿三社の左には西宮社、荒魂社があります。西宮は事代主神が祀られています。
ちなみに本殿右には春日社(ご祭神 武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、比咩大神)があります。
御朱印と一緒にパンフレットをいただきました。
大野湊神社
石川県金沢市寺中町ハの163
金沢市に鎮座する佐竒神社。御祭神は息長帶比賣命を主祭神とし、菅原大神、表筒男命、中筒男命、底筒男命を合祀する。延喜式石川郡の比定社。
鎮座する佐奇森町は古代防人が置かれたところと伝える。また背後を流れる犀川は、往古佐奇川と呼ばれ由来となったという説もある。
住宅地の間の一の鳥居を進むと、玉垣に囲まれ、二の鳥居を入口とする境内。社殿は南向き
拝殿に参る。拝殿は天徳院にあった第五代藩主前田綱紀御霊堂の移築という。
扁額は「内閣総理大臣若槻禮次郎謹書」とあるがどういうつながりか?
拝殿左に社務所が建つ。宮司家は近くだと思うが、結局わからなかったので御朱印も確認できていない。
佐竒神社
石川県金沢市佐奇森町ホ113
服部(はとり)神社は延喜式内社です。この地は古くから絹織物の産地で、機織りの祖神である天羽槌雄神を祀っています。天文年間に越前朝倉氏によって断絶し、明治8年に復興するときに白山神社と合併しました。平成3年に山代温泉開湯千三百年祭を機に、山代温泉の守り神とされてきた山代日子命を拝殿隣りの社に祀られました。
本殿のご祭神は、天羽槌雄神と菊理姫神の二柱です。
社は山代温泉の温泉街の真ん中にあり、鳥居正面に万松園通りがまっすぐに延びています。
正月三日目ともなれば人はまばらでしたが、切れ目なく参拝に来るところなどやはり旧県社ですね。
鳥居をくぐって階段を上っていきます。
二段目の階段途中に琴平社が祀られています。
階段の最後に立派な神門をくぐって拝殿前に至ります。
平成24年8月に屋根の葺き替えを完了した拝殿は新しいです。冬の間は屋根の落雪を防ぐために小屋が建てられています。
社務所前に由緒の書かれた石碑が立てられています。社務所は行事のあるとき以外は閉められています。昨年秋に一度訪れたときも閉まっていて残念ながら御朱印をいただけませんでした。
正月ならお守り頒布しているかなーと思って寄ってみたら、御朱印もあるというを聞いたので忙しい正月は遠慮しようかと思っていたら、日付入れるだけなので大丈夫ということでいただきました。1日、2日はさすがに暇もないでしょうけど、3日だったら人も途切れ途切れなので待っていればいただけると思います。
拝殿の賽銭箱近くに神社のパンフレットが置いてありました。
服部神社ホームページ
石川県加賀市山代温泉18-7丁
TEL.0761-76-0349
丸岡町に鎮座する久米田神社(久米多神社)は式内社で、御祭神は大伴金村大連(おおとものかなむらおおむらじ)です。大伴金村大連は、あとつぎのおられなかった第25代武烈天皇が崩御の後、高向の里(丸岡町)に住まわれていた男大迹王(おおどのおう)を擁立され、第26代継体天皇に即位させた豪族として知られています。
近くに宮司の家は見当たらなかったので、御朱印はないかもしれないです。
本堂は森の中のようです。参道左に立派な囲いの住宅があると思ったら寺でした。
車道沿いの鳥居をくぐって参道を進みます。
手水舎の向こうに鳥居が見えます。
鳥居手前に由緒書がありました。
石橋を渡って鳥居をくぐるようですが、イノシシ除けのネットが張られています。
ネットをくぐると神社標の後ろに岩が・・・
「弥六岩」というようですが、石橋の架かる新江用水に架けるために山奥から弥六という力自慢の村人が大岩をかついで来たそうです。これが今の石橋の前の石橋でしょうね。
では階段を上って拝殿に向かいます。階段の山側が一直線に荒らされています。やはりイノシシがいるのでしょうね。
階段を上ると拝殿がありました。
参拝を終え、横にまわるとさらに階段を上って本殿が建てられていました。今は冬支度で囲いがかかっていました。
拝殿前境内からは木の間越しに九頭竜川扇状地一帯を望むことができるということでしたが、木が茂って見晴らしが限られていたのが残念でした。
福井県坂井市丸岡町下久米田1-1
千代田区に鎮座する東京大神宮。御祭神は天照皇大神、豊受大神を主祭神とし、天之御中主神、高御産巣日神、神御産巣日神の造化三神、倭比売命を相殿に祀る。
カメラの電池切れで写真はない。
東京大神宮
東京都千代田区富士見2丁目4−1
羽咋市に鎮座する深江八幡神社。御祭神は應神天皇、神功皇后を主祭神とし、磐衝別命、石城別王命、活目帝、弟苅羽田刀弁命、三足比咩命、道反神を配祀し、飛地境内の八坂社の御祭神素戔嗚尊を合祀する。
深江村は羽喰村から文永年間に分村し、羽咋神社神主が摂社八幡社を遷座したのが創始。
境内は南向き。鳥居から社殿までまっすぐ参道が延びる。
拝殿に参る。
拝殿の左の忠魂社に村出身の戦没者を祀る。
境内には椎の老木が多い。
境内に隣接する社務所兼自宅で御朱印をいただく。
集落の北には邑知潟を干拓した田が広がり、そこに近頃は佐渡島から放鳥された朱鷺が現れるらしい。
深江八幡神社
石川県羽咋市深江町ト148
羽咋市に鎮座する羽咋神社。御祭神は道反大神、磐衝別命、磐城別王命、弟苅羽田刀弁命。磐衝別命は垂仁天皇の皇子、磐城別王命は磐衝別命の子。延喜式羽咋郡の論社。
境内は南向き。鳥居には「式内 羽咋神社」の扁額、社号標には「延喜式内 羽咋神社」と刻まれる。
鳥居をくぐると右にケヤキの御神木
拝殿に参る。
拝殿には唐戸山神事相撲の大関の奉納額が多数掛けられている。
拝殿左に神倉
境内の西にはコンクリート製の社務所が建つ。
羽咋神社の周囲には磐衝別命にゆかりの塚が7つあり、「羽咋の七塚」と呼ばれる。境内にも大塚と大谷塚の2つの塚がある。
羽咋神社
石川県羽咋市川原町エ164-2
中能登町に鎮座する天日陰比咩神社。御祭神は屋船久久能智命を主祭神とし、大己貴命と應神天を相殿に祀る。延喜式能登郡の論社。
神社は石動山への参道である西麓に鎮座し、南向きに鎮座する。往古境内には天日陰比咩神社と伊須流支比古神社の2社が祀られていたため、集落名を二宮と称し、石動山開山にあたり、山頂に伊須流支比古神社の御分霊を勧請したと伝える。能登国二宮の伊須流支比古神社の元宮として能登国二宮を称する。
境内入口に町天然記念物の楓。枝振りが龍の髭のようにウネウネと二方に延びる。
参道入口の一の鳥居の先に二の鳥居が見える。
一の鳥居の後ろには左右両方が逆立ち狛犬という珍しい狛犬がある。左方の狛犬の上に楓の枝が伸びてきている。
参道を進むと左にみくりや。毎年どぶろくが作られる。
左には鎮座石。表面に天狗の足跡といわれる窪みが2つある。
拝殿の前の2本の御神木の大杉が何とも神々しい。
拝殿に参る。
拝殿右手に天神稲荷社。天満様と稲荷様が合祀されている。
拝殿の左手に授与所があるが無人だったので、入口付近の社務所のほうで御朱印をいただく。
天日陰比咩神社
石川県鹿島郡中能登町二宮子甲8
七尾市に鎮座する久麻加夫都阿良加志比古神社。御祭神は阿良加志比古神、都奴加阿良斯止神。延喜式羽咋郡の論社。
境内は南向き。鳥居と社号標
鳥居と境内の間には広い空間が空き、9月20日のお熊甲祭では猿田彦が乱舞し、神輿が練り歩く。
建物が東西に並び、拝殿と本殿は弊殿でつながる。
拝殿に参る。
拝殿右に校倉造の宝物殿が建ち、神仏習合の名残をとどめる。
宝物殿の左奥に木立に囲まれて加茂社が鎮座する。
宝物殿の右に薬師社。戸がなく御簾が掛けられているのが趣がある。平安時代とされる熊甲薬師如来座像が安置される。
境内に隣接して建つ社務所兼自宅の建物は東建ちの立派な屋敷である。
久麻加夫都阿良加志比古神社
石川県七尾市中島町宮前ホ部68-1-1
高岡市に鎮座する有礒正八幡宮。御祭神は有礒神、綏靖天皇、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰。
社殿は南向き。
七五三の看板の後ろに「越中古社 有礒正八幡宮」の社号標が建つ。
右大臣と左大臣の随神像の銅像が珍しい。
「御用水」、明治42年に皇太子殿下(大正天皇)が高岡に行幸されたときに、高岡一おいしい水として献上されて以来、御用のお水と呼ばれる。
神輿倉
有礒宮の旧地は高岡城小竹藪付近と言われ、築城の際、横田正八幡宮に合祀されたといい、代わりに石垣が奉納されたという。合殿により社名は有礒正八幡宮と改名する。
拝殿に参る。
本殿は3つの扉があり、中央の正座に有礒宮と横田正八幡宮が祀られる。
拝殿前に御神木のケヤキ。
拝殿右の社務所で御朱印をいただく。
社務所前に神饌田が作られていた。
ちょうど刈り取りしたところなのか、拝殿に稲藁が干してあった。
裏から見た本殿
有礒正八幡宮
富山県高岡市横田町3丁目1−1
高岡市に鎮座する大木白山社。御祭神は久々里媛尊を主祭神とし、伊弉那岐大神、伊弉那美大神、彌豆波廼女神(水上様)。
社殿は北向き。入口に鳥居と社号標が建つ。
社前にはJRの線路が引かれ、往時の参道はなくなっているものと思われる。
参道の右、藤棚の手前に二宮金次郎像がある。廃校でもなった学校から移設されたものだろうか。
拝殿に参る。
扁額は土方久之伯爵の揮毫。誰かと思って調べてみたが第二代宮内大臣の土方久元のことらしい。
本殿は弊殿でつながっている。
手水舎の横に変わった燈籠が建つ。火袋を持ち上げているのは2匹の狛犬か獅子か?
境内の社務所兼自宅で御朱印をいただく。
境内社が一社。
大木白山社
富山県高岡市大工中町597
高岡市に鎮座する髙岡關野神社。御祭神は天照皇大神、國常立尊、伊弉冉尊、稲荷大神、菅原道真命、前田利長命。延喜式射水郡加久彌神社と婦負郡熊野神社の論社。
入口は西向き。左方の坂を上ると境内北側に駐車場がある。
鳥居と社号標
境内の南側、道路に沿って毎年5月1日に行われる例大祭「高岡御車山祭」の山車の車庫が並ぶ。
参道の途中、狛犬?と思ったが、どうも狐のようだ。稲荷社の神使らしい。
拝殿に参る。
拝殿前の狛犬は高岡らしく銅器製。高岡銅器は加賀藩二代前田利長の隠居城である高岡城築城に伴って繁栄の礎が築かれた。
拝殿には「正一位關野社」と「關野神社」の2枚の扁額が掛かる。
拝殿前には「髙岡關野神社」の扁額、加賀藩主家の侯爵前田利為の揮毫。
本殿右に境内社が三社。左が大國社とわかるが、中央と右の境内社は不明。
江戸時代までは加久彌神社(神明社)、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)の3社を合わせて関野三社と呼ばれていて、御垣の中には現在も3つの本殿が並ぶ。
並びがよくわからないが、左の本殿は神明造なので加久彌神社、社格が上だった高岡神社が中央、右が関野神社だろうか。
拝殿左の授与所に人がいたので御朱印をお願いした。
髙岡關野神社
富山県高岡市末広町9−56
射水市に鎮座する櫛田神社。御祭神は櫛稲田姫命、武素盞嗚尊。延喜式射水郡の論社。
境内は西向き。入口に鳥居と幟立て、「延喜式内 県社 櫛田神社」の社号標が建つ。
朱色の鳥居が杉木立の緑に映える。
鳥居にも神紋がついている。
参道を進むと左に神馬厩舎。今は不在
さらに進むと右手の境内隅に盤持石
左手の社務所を過ぎると赤幣殿、神輿庫みたいだ。
参道途中の古能久礼橋を渡ると、右に手水舎、階段を上ると社殿がある。
「古能久礼」とは、射水郡南部の丘陵地大沢山の古称という。
階段を上りきると鳥居の先に社殿
拝殿に参る。
拝殿に掛かるのは「延喜式内 櫛田神社」と書いた国務大臣正方松太郎の謹書
授与所のある拝殿左の古能久礼殿のほうで御朱印をいただく。
拝殿の右前に境内社住吉社
櫛田神社
富山県射水市串田字大沢6838
富岡市に鎮座する一之宮貫前神社。御祭神は経津主神、比売大神。延喜式甘楽郡の比定社で明神大社、上野国一宮。
境内の南方、徒歩による表参道入口に社号標
坂を上っていくと、階段の先に大鳥居
大鳥居をくぐると先に総門が見える。
総門の前には唐銅製燈籠。幕末の慶応元年製作で市指定重要文化財。
総門前の狛犬は頭が小さくシャープな姿であるが足が太く、下に重心のある感じだ。
総門をくぐると長い階段を下りていく。本殿へ行くのに下りていく神社は珍しい。
総門の左に西門があり、
仮殿敷地の大きな平地と、左と奥に境内社が並ぶ。
二十二末社。竈神社、菅原神社、沓脱神社、速玉男神社、粟島神社、春日神社、奇八玉神社、諏訪神社、八幡宮、事解男神社、咲前神社、浅間神社、高靇神社、少彦名神社、長田神社、伊邪那岐神社、八坂神社、白山比咩神社、熊野神社、水分神社、熱田神社、扣神社の22社で、社領内各地に鎮座していた末社を寛永12年に一棟の社殿に祀った。
末社日枝神社。社殿は寛永12年以前の旧本殿と伝わる。明治42年に近在の田島和合神社、宇田諏訪神社、坂井大臣神社を合祀し、大山咋神の他17柱を祀る。社殿の上部に朱色の塗料が残っている。
末社伊勢内宮、御祭神は天照大神。
末社伊勢外宮、御祭神は豊受大神。内宮、外宮は境内の天狗沢峰通り字伊勢屋敷に鎮座していたのを寛永12年に遷座したという。
下り階段の途中、左に末社月読神社。社殿は寛永12年以前の旧拝殿という。明治41年に近在の秋畑琵琶澤社久司神社、秋畑二ツ石雷電神社、秋畑裏根湯前神社、野上近戸神社を合祀し、月夜見命の他17柱を祀る。
階段を下りると左右に廻廊がつく楼門
手水舎後方に井戸がある。囲まれた場所は何に使用するところか?
楼門に参る。
拝殿と本殿は彩り豊かな彫物や組物がたくさん付いている。
塗り直しされて新しい状態なので、しばし見入ってしまった。
本殿の妻には「雷神小窓」という緑色の雷神を描いた窓があり、南方の稲含山(稲含神社)の方向を向いているという。
本殿左に摂社抜鉾若御子神社。
楼門右前の社務所で御朱印をいただく。
神楽殿
宝物殿の前に勅額鳥居。清和天皇の御宸筆による額が掲げられ、もとは田島にあったという。
現在の額は有栖川宮幟仁親王の御染筆の神号額が掲げられている。
勅額鳥居の前には勅使門。勅使参向の時のみ開かれることから「不明門」と呼ばれていたが、現在は春と冬の御戸開祭と流鏑馬祭の年三回開門される。
宝物館の裏には三重塔の礎石が残る。
帰りは境内の東方、車道参道の大鳥居をくぐる。
一之宮貫前神社
群馬県富岡市一ノ宮1535
下仁田町に鎮座する中之嶽神社。御祭神は日本武尊を主祭神とし、他十六柱を祀る。
妙義公園駐車場からは妙義山の金洞山がよく見える。夕方は背後から日が差すので、朝の方が良いかもしれません。それにしても奇岩の山容に圧倒される。
南麓に赤鳥居が見える。
中之嶽神社の一の鳥居
狛犬は「甲子講」の寄進で、同じく境内に祀られる甲子大國神社の講中のようだ。関東を中心に甲子講が広がっていた。狛犬は目の周りや口、足の爪が塗られていて、まるで化粧しているみたいだ。
社務所の左に日本一のだいこく様が祀られている。小槌を持っている大国様が多い中、剣を持っている大国様は珍しい。平成17年に製作し、高さ20メートル、重さ8.5トンあるという。
甲子大國神社、御祭神は大国主命を主祭神とし、他十柱を祀る。
鳥居は中之嶽神社と甲子大國神社共通のものらしいが、扁額は「中之嶽神社」となっている。社号標は「妙義山大國神社」となっている。
鳥居の直線上には甲子大國神社の拝殿
右に中之嶽神社への参道となる長い上り階段が延びる。
中之嶽神社拝殿の背後には御神体の轟岩が聳える。神社名からすると金洞山の中之岳が神体山で、轟岩が御神体ということでいいのだろうか。
拝殿の後ろの幣殿が轟岩に食い込むように社殿が建ち、本殿はない。
拝殿の左、岩の窪みに石祠が祀られ、石玉垣が見える。
石玉垣の向こうにも石に埋もれるように石祠が祀られている。
石玉垣の中には文字の書かれた石板が祀られているが、何かは不明。
拝殿の左手に妙義山への登山口がある。
中之嶽神社・甲子大國神社
群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1248
富岡市に鎮座する妙義神社。御祭神は日本武尊、豊受大神、菅原道真公、権大納言長親卿。
道の駅のみやげ店の間に一の鳥居が立つ。境内まで一直線の参道、後方に神体山の白雲山(妙義山の一山)が見える。
社号標
総門は別当であった白雲山高顕院石塔寺の仁王門であり、「高顕院」の扁額が掛かる。
総門をくぐると階段の先に鳥居が見える。
青銅製燈籠は元治元年の製作。一之宮貫前神社にも同じような燈籠が立っていた。
青銅製燈籠と同じ段の左方に稲荷社と
和歌三社
銅鳥居には「白雲山」の扁額が掛かる。
銅鳥居の根元には獅子の彫刻が付いている。
銅鳥居をくぐると波己曽社
波己曽社は旧御本社で、昭和44年に上部神域より現在地に遷座した。
左の境内社は池に浮かぶので厳島神社か市杵島神社か?
石造の太鼓橋の前に165段の石段が延びる。
石段は途中かなり歪んでいる。
随神門の前面左右に随神。虎の皮に坐っている。
後面左右には赤鬼と青鬼。虎のパンツを履いている。
唐門
唐門の彫刻。龍の頭で体には羽根が生えていて見たことがない。その動物が川上りしている。
拝殿と本殿
拝殿の彫刻は浮き彫りとなっていてとても手が込んでいる。
拝殿の格天井には一枚一枚絵が描かれている。
本殿の裏に天狗社。天狗の面が祀られている。
本殿の右に石がいくつか置かれている。
帰りに総門を入ってところの授与所で御朱印をいただいた。
妙義神社
群馬県富岡市妙義町妙義3
南砺市に鎮座する高瀬神社。御祭神は大己貴命を主祭神とし、天活玉命、五十猛命を配祀する。末社の神明宮 天照皇大神、風宮 級長戸辺命、天満宮 菅原道真公を相殿に祀る。延喜式砺波郡の比定社で、越中国一宮。
社殿は南向き
一の鳥居の先、拝殿前に二の鳥居が建つ。他に境内の北方に大鳥居が建つ。
手水の水中には南の高瀬遺跡で発掘された1200年前の建物の柱が浸かっている。
手水舎の左奥に宝物殿
拝殿に参る。
拝殿後方に御垣に囲まれて本殿が建つ。
拝殿左方に土俵
二の鳥居の左方に末社高瀬稲荷社が鎮座する。
拝殿の左に功霊殿(招魂社)、砺波地方出身社の御英霊を祀る。功霊殿社殿は旧高瀬神社本殿という。
境内西側の授与所にて御朱印をいただく。
今日は拝殿で、出雲地方に伝わる国指定重要無形民俗文化財「大土地神楽(おおどちかぐら)」二演目の奉納が行われました。一年に一度伝統芸能の奉納がありますが、今年の神楽は特に見たいものでありました。
「野見宿禰」は相撲の起源となる話です。
「荒神」は神話国譲りの話です。
間近で見る神楽は迫力があり印象深いものでした。
高瀬神社
富山県南砺市高瀬291