「都道府県別」カテゴリーアーカイブ

甲斐竜王 山縣神社

甲斐市となった旧竜王町に鎮座する山縣神社。御祭神は山縣大弐。
山縣大弐は江戸時代中期の儒学者で、武田二十四将の山県三郎兵衛昌景の末裔として生まれ、その教えは幕末の吉田松陰に影響を与えたという。

南向きに鎮座する。

境内には竜王歴史民俗資料館が建つ。

山県家の墓碑や

山縣大弐の墓もある。

そして山縣大弐像も立ち、まさに大弐尽くしである。

拝殿に参る。

本殿。神社は大正10年に山梨県の県社として創建された。

社務所は無人だが、後ろの自宅から出て来て御朱印を対応していただいた。

山縣神社
山梨県甲斐市篠原190

甲斐甲府 酒折宮

甲府市に鎮座する酒折宮。御祭神は日本武尊命。山梨県で唯一、古事記、日本書紀に記載のある古社。
日本武尊命が東征の帰り、ここで宮を営み、連歌発祥の地と言われる。

日本武尊 「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌で問いかけ、
御火焚  「かかなべて夜には九夜日には十日を」と片歌で答えた。

南鳥居から入る。入ると境内途中でいわゆる裏口であった。

正門となる鳥居は線路を渡った西側にあり、社殿も西向き。

境内の入口に鳥居と社名標。

社名標の後ろに「酒折宮跡」の案内板。神社は居館跡ということにもなる。

境内は東西に長い。参道沿いに左手に碑が多数立つ。

連歌の碑

本居宣長選、平田篤胤書、酒折宮寿詞

酒折宮寿詞の後ろに石祠が並ぶ。

手水舎の後ろに神池。草が繁茂していてわかりにくい。池の脇に辻嵐外の句碑が立つ。

山縣大弐謹選、酒折祠碑

拝殿に参る。

本殿は少し高い場所に鎮座する。その横に境内社が一社。

境内にある社務所兼自宅で御朱印をいただく。
待っている間お茶をいただいた。

酒折宮
山梨県甲府市酒折3丁目1−13

甲斐甲府 穴切大神社

甲府市に鎮座する穴切大神社。御祭神は大己貴命、少彦名命、素戔嗚尊。延喜式の山梨郡黒戸奈神社の論社のひとつ。
湖水の広がる甲斐国の水を切って切り拓いた伝説を持ち、そこから社名も由来しているそう。

住宅街に鎮座し、社前道路も一方通行、参道、社殿は東向き。

石敷の参道を進むと神門(随神門)。

境内に入ると正面にコンクリート造の拝殿がある。拝殿に参る。

拝殿右手にまわると拝殿の後ろに木造の本殿が鎮座する。彫刻には彩色も残る古い社殿。武田菱が目立つ。

本殿東に境内社が立ち並ぶ。不明の石祠、稲荷神社、塩竃社、道祖神社、不明の境内社(朱色の屋根)、不明の石祠。

さらに右に菅原道真公を祀る天神社。

一番右に神明社。

神明社の社殿の前に、過去の神社扁額が残っており、「正一位穴切社」とある。

最後に境内の社務所兼自宅で御朱印をいただく。

御朱印も押印がある八咫烏は境内でも見かけた。地元の少年サッカーチームのお祓いもしているようだが、八咫烏といえば熊野というイメージがある。特に神様つながりがあるようには思えないが、困難な地を開いたということでいつからか使用しているのかもしれない。

穴切大神社
山梨県甲府市宝2丁目8−5

甲斐甲府 御崎神社

甲府市に鎮座する御崎神社。御祭神は稚産霊神、保食神、大国主神、稲荷大明神。延喜式の巨麻郡宇波刀神社の論社のひとつ。
稲荷大明神は扁額「稲荷神社」の鳥居が参道途中にあり、合祀された神かもしれない。

御崎神社ははじめ甲斐武田家の居館があった八代郡石和郷にあり、信虎が甲府の躑躅ヶ崎館に居館を移したのに伴い、鎮守社として城内に遷座した。武田家滅亡後、甲府城の築城に伴い現在地に遷座されたという。

参道、社殿は南向き、第一鳥居、第二鳥居(稲荷神社)、神門と続く。

参道途中に三猿の彫刻された灯籠が奉納されている。

神門。木造の大きな随神門。

拝殿と本殿は弊殿でつながる。

本殿西に境内社が多数。

特に石祠が多く、古くから信仰の篤い神社だったことがうかがえる。

拝殿入口には御簾が掛けられ非常に雰囲気が感じられる。
境内東の社務所兼自宅で御朱印をいただいた。

御崎神社
山梨県甲府市美咲2丁目10

甲斐甲府 金櫻神社

甲府市に鎮座する金櫻神社。延喜式内社の論社のひとつで金峰山に奥宮がある。
御祭神は少彦名命、須佐之男命、大己貴命。

駐車場は境内に隣接して数台停めれる。鳥居をくぐって境内に入る。

鬱金(うこん)の櫻が本殿の左にある。本殿は現在修復中で、左甚五郎作といわれる昇龍・降龍の彫刻は見られなかった。

拝殿に参る。拝殿は東向き。

境内の東端に樹齢1500年の杉のご神木の根が残る。昭和30年に火事で焼失し伐採され、その幹の一部で彫られた大国天様が近くの大国天社に祀られている。

杉の根の東に富士山遙拝所があった。昨日登った富士山は今日も麓からは見えない。

見えればこう見えるらしい。

授与所と社務所は分かれている。駐車場入口から見て、右が授与所、左が拝殿、中央奥が社務所である。
御朱印は社務所でいただく。水晶発祥の神社らしく、朱印は水晶に彫られた印判で豪快に押される。

金峰山は修験の霊山であったことから、狼を神使としており、珍しい狼の神符が頒布されている。

本来の参道を目指して下に降りる。ここが一の鳥居。

鳥居をくぐると左手に道祖神を祀った道祖神社。

二百段を越える階段を上っていく。

階段の左右には杉の巨木が林立し、昼間でも尚薄暗い感じに神を感じる。

竜神池にかかる石橋を渡る。

竜神池の左に3社の境内社が並ぶ。左に水神社、中央に稲荷社、右が秋葉社。

なお、境内には徳川家康公が腰掛けたという石も残る。

金櫻神社
山梨県甲府市御岳町2347

甲斐甲府 夫婦木神社

甲府市に鎮座する夫婦木神社。御祭神は伊弉諾命、伊弉冉尊。

社殿は南向きだが、西向きに建てられた朱色の第一鳥居をくぐって、反時計回りに階段を上りながら境内に至る。

階段の途中、1本のご神木が立つ。

ご神木は女性を象っている。男性は本殿に祀られているという。

拝殿に参る。夫婦木姫神社と同様に本殿は有料となる。

拝殿の右方、社務所の前に寿老人を祀った祠が1つ。

夫婦木神社
山梨県甲府市御岳町2041

甲斐甲府 夫婦木姫神社

甲府市の観光地昇龍峡のみやげ店やロープウェーのある場所に鎮座する夫婦木姫神社。
さらに上流にある夫婦木神社の下宮とされる。

第一鳥居の先には階段、途中に第二鳥居がある。

御祭神は天宇受売命、市寸嶋比売命、神功皇后命、柿本人麻呂命。

拝殿に参る。本殿に女性を象ったご神木があり、有料となっている。

御朱印には紅葉が1枚貼られる。

夫婦木姫神社
山梨県甲府市猪狩町300

富士山山頂 久須志神社②

人生二回目の富士山登拝に挑む。コースは今回も吉田口から。

今年は12年に1度の申年だったので、この朱印のために登拝したようなものだ。

麓の駐車場では小雨が降っていた。5合目もまだ霧がかかっている。
協力金を払って6時半登拝を開始する。

次第に青空が見えてきた。

足下に雲海が広がる。下界は雨でも山頂は快晴、さすがに日本一の山だ。

本8合目まではコースタイムどおりで順調だったが、ここから軽い高山病に襲われる。
2時間かけてようやく山頂へ。1時半になっていたので、急いでお鉢をまわって山頂郵便局と富士山本宮浅間大社奥宮へ向かう。

奥宮からお鉢を戻り、久須志神社に詣る。
御祭神は大名牟遅命と少彦名命。医薬の神で近世までは薬師如来を祀っていた。
ここに戻ってくるまでに霧雨に山頂は覆われていたため、暗くなる前に早々に下山を開始する。

今回、特別朱印の他に吉田口の山小屋で焼き印を集めてまわった。

雨が降っていると焼き印が割れるため中止なると聞いていたが、今回運良く吉田口ほぼすべての焼き印と奥宮、久須志神社の焼き印をいただき、表と裏がほぼ埋まるくらいになった。費用もかなりかかったが、最高の記念になった。

二回目の富士山登拝が無事終了した。

富士山山頂 富士山本宮浅間大社奥宮②

吉田口からお鉢をめぐり、富士宮口の富士山本宮浅間大社奥宮を詣でる。

今年は12年の1度の申年なので特別朱印がある。

前回は奥宮が修復中だったので入手できなかった朱印を2ついただく。

前回は久須志神社でいただいた色紙を今回は富士山本宮浅間大社奥宮でいただく。

お鉢めぐりをしている途中、今回も運良く大内院を拝むことができた。

前回は間に合わなかった山頂郵便局に5分前に滑り込めた。

良かった!今回は登山証明書と記念スタンプをもらえた。

銀名水。霊水は奥宮で頒布されている。

復元が完了した社殿に初めて詣る。

強風と積雪に絶えるため石垣に囲まれた社殿。日本一富士山ならではの光景だ。
御祭神は浅間大神である木花之佐久夜比売命。

富士山本宮浅間大社奥宮
静岡県富士宮市粟倉字大坂2717番地43先

甲斐甲府 船形神社

甲府市に鎮座する船形神社。御祭神は八幡三神。
社地が古代の船の形に似ていることから命名されたという。

細い参道が西に向かって延びている。

境内は広々としている。拝殿に詣る。

本殿は小さいが、彫刻も施されなかなか立派な社殿だ。

境内左に小さい石祠が並ぶ。

境内社は鹿島大神社、諏訪大神社、天神社、金比羅社、秋葉社、他一社の六社。

隣接する社務所で御朱印をいただく。社務所の前の参道と塀を挟んだ場所には蔵に向かって窪みがあった。石積みが組まれていたところから池かと想像して尋ねてみた。やはりむかしは道路を挟んである用水から水が通っていたそうだ。

船形神社
山梨県甲府市国母7丁目4−3

信濃更級 武水別神社八幡宮

千曲市に鎮座する武水別神社八幡宮。延喜式内社の名神大社であり、氏神の武水別大神に、後の安和年間に八幡神が勧請された。更級郡随一の八幡宮として崇敬を集めたという。

到着後すぐに御朱印をいただきに社務所に向かったが、12時から13時の間は昼休みでいただけなかったので、ゆっくりと境内を巡ることにする。

道路をまたぐ第一鳥居をくぐり境内に入ると、最初に茅葺きの神輿休処が目に入る。

隣に高良社。覆屋の中に朱塗りの本殿がある。

その隣に名物のうづらもちを販売するうずらや。食べてみたかったがセット販売しかなかったので諦める。

さらに参道を進むと第2鳥居。

本殿の前に拝殿、その前に勅使殿が一直線に並ぶ、勅使殿の右に額殿。奉納額が納められているが、中は有料。

本殿に詣る。

本殿裏に回ると末摂社がずらりと並ぶ。地域の大社だけあって境内社が多い。

本殿の左に御供所、正面に寛政七年の復元算額が掲げられている。
御供所と本殿の間に、本殿に隣接して祭儀所があり、そこで御朱印をいただく。

武水別神社八幡宮
長野県千曲市八幡3012

川中島古戦場跡 八幡社

川中島古戦場跡の八幡原史跡公園内に鎮座する八幡社。御祭神は誉田別命、合祀により建御名方命を祀る。
もともと八幡社のあったことから八幡原と言われたそうだ。

御朱印は手書きの1種と書き置きの1種。

当然川中島合戦で荒廃してしまったため、後に信玄の命で高坂弾正により再建させ、松代藩真田家により庇護されてきた。

川中島古戦場跡として観光用看板も立ち、

境内には信玄の本陣を囲った土塁も残っている。

拝殿にも詣る方は多い。

振り返ると旧本殿が鞘堂として祀られている。

拝殿横には川中島合戦で武田軍が土塁に土留めとして根を上に杭を打たれた槐(えんじゅ)が芽を出したという逆槐がご神木となっている。

社務所で御朱印をいただく。両方頼むと、書き置きの朱印を御朱印帳に貼ってもらえる。

観光客のお目当てはやはり信玄と謙信が太刀と軍配を交えた銅像が立つ。書き置きのバックの写真もこの銅像。

八幡社
長野県長野市小島田町(八幡原史跡公園)

加賀金沢 田井菅原神社③

金沢市の田井菅原神社。御祭神は菅原道真公。

今日はかなざわまち博の御神宝めぐりに参加するため参拝しました。
ここは現宮司のお父さんの前宮司のお住まいであったが、亡くなってから常駐ではなくなった。
現宮司は牛坂八幡神社に住まいされているので、神社の御朱印は予約でもしない限りいただくのは難しくなった。

今日は参加者10数名で、神社に伝わる古文書を惜しげもなく見せていただいた。
正月に飾られる藩主に献上された鏡餅の彩色の絵巻などは、実際に見ると感動する。

古文書の後、拝殿の奉納物などを説明していただいた。
加賀八家のひとつ横山家が明治になって奉納した額。道真公と道明寺の関わりを描いているようだ。

特に貴重なのは明治に田井小学校から奉納された額。おそらく学問の神に「読み・書き・そろばん」の上達を願ったものではないかという。今は「読み」の本と「書き」の筆しか残っていないが、中央に「そろばん」があったのではないかという。確かに珍しい額である。

能登能登島 伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

七尾市能登島に鎮座する伊夜比咩神社。7月の最終土曜日に日本三大火祭りとも言われる例大祭、向田の火祭りが行われる。
午後6時、まだ明るい境内にはキリコが勢揃いしている。

新潟県の彌彦神社の御祭神伊夜比古神が、年に一度向田の伊夜比咩神を訪ねて逢瀬を楽しむという祭りらしい。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

拝殿の中央には神輿が準備されていた。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

神様がお入りになる前に見せていただく。扉がなく、中央の心柱のみの神輿は珍しい。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

柱松明を見に行く。神社からまっすぐ延びる道路を崎山公園に向かう。
道路沿いには箱キリコが立てられ、地元の園児や児童による絵が描かれている。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

崎山公園に着くと、神輿着座の台があった。泥団子に何かの葉を刺したものが無数に並べられている。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

柱松明は30メートルほどあるそうだ。近づいてみると大きさに圧倒される。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

神社に戻り暗くなるまで待機する。
暗くなり始めるとキリコに火が灯る。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

午後8時神事が始まる。
神様が神輿に遷され、神輿が先導して渡御が始まる。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

キリコは神輿が進む明かりということで、神輿を先導するのが一般的だが、ここでは神輿が先導する。
神輿は進んだり戻ったりしてなかなか進まない。神輿だけは崎山公園の前を過ぎてどこかを回ってから戻ってきた。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

神輿とキリコは柱松明の周りを7周する。キリコは車が付いているのでここまでは引いてくる感じだったが、柱松明の周りは砂地なので、時々持ち上げて進む。

周回後、神輿は着座し、キリコは来た道に並ぶ。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

手松明を持った人たちが柱松明の周りを回る。
手松明が消えないようにグルグル回す。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

午後10時頃、手松明が柱松明に投げ込まれ点火。みるみるうちに柱松明が燃え上がる。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

今日はほぼ無風だったので長い間燃えていました。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

火柱は天に向かって激しく燃えさかり、息をのむ光景でした。
これだけ激しく燃えても、先端に付けられた御幣は燃えません。不思議です。

伊夜比咩神社例大祭・向田の火祭り

今年は海側に倒れたので「豊漁」と出ました。ちなみに山側に倒れると豊作。
柱が倒れると先端の御幣を青年団が奪い合う。それから青年団総出でオオギと呼ばれる中心の心材、オオギを支えるサシドラを火の中から引きずり出す。オオギとサシドラは2、3年使い回すそうだ。

伊夜比咩神社
七尾市能登島向田町115-26

美濃大垣 常葉神社

常葉神社

大垣市に鎮座する常葉神社(ときわじんじゃ)。大垣城公園の大垣城の東に鎮座する。
御祭神は大垣藩初代藩主戸田一西公以下、戸田家十二代氏共公までを祀る。

常葉神社

旧県社であるが、空襲により焼失に再建時に縮小された。

常葉神社

拝殿に詣る。

常葉神社

境内社として八幡宮。

常葉神社

徳吉稲荷神社が鎮座している。

昨日から配信の始まったポケモンGOのスポットがこの神社あたりにあるらしく、普段は人気のない場所に人が次々来る異常な事態となっていると社務所で聞いた。

御朱印は濃飛護国神社の兼帯社となっていて、その社務所でいただける。

常葉神社
岐阜県大垣市郭町1丁目96

美濃大垣 大垣大神宮

大垣大神宮

大垣市の大垣大神宮。大垣城公園の北西隅に鎮座。御祭神は天照大御神と豊受大神。

大神宮は明治維新後の国家神道の教化と神宮大麻頒布のために各地に設置された。大垣大神宮は東日本全体の元締めとして重要な位置を占め、広大な社領を擁していたという。

大垣大神宮

大垣は空襲により壊滅的被害を受け、大神宮も焼失。再建されたものの境内は大幅に縮小された。

大垣大神宮

手水舎。

大垣大神宮

小さいながらも拝殿

大垣大神宮

本殿も立派な造りとなっている。

大垣大神宮は無住で、現在は濃飛護国神社の兼帯社となっている。濃飛護国神社で御朱印をいただくときに話をしていたら、こちらもいただけるということでいただいた。が、後で確認すると朱印は「大垣大神宮印」となっているものの、墨書きは「大垣大神社」となっていた。逆に貴重かも。

大垣大神宮
岐阜県大垣市丸の内1丁目62番地

美濃大垣 大垣八幡神社

大垣八幡神社

大垣市に鎮座する大垣八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神のいわゆる八幡神。
東西の交通の要所として発展した大垣にあり、大垣祭は当神社の例大祭である。

大垣八幡神社

大通りに面して南鳥居が立つ。もうひとつ東側に鳥居がある。

大垣八幡神社

境内に入る。

大垣八幡神社

入って右側に自噴湧水がある。大垣は「水の都」と呼ばれるほど各家庭に自噴井戸があったそうで、氏子が掘削したらしい。

大垣八幡神社

井戸のそばに松尾芭蕉の句碑が立っている。
「冬ごもり塚 折々に伊吹をみては 冬ごもり」

大垣八幡神社

拝殿に詣る。御朱印は拝殿右の授与所でいただく。

大垣八幡神社

境内社をまわる。授与所に隣接する出雲神社。
出雲大社の御祭神大国主大神と美保神社の御祭神事代主大神を祀る。

大垣八幡神社

広瀬神社と龍田神社の相殿。大垣藩主であった戸田氏が大和国から勧請した。

大垣八幡神社

大福稲荷神社。もともと当地の地主神で八幡神の遷座以前より鎮座していた。

大垣八幡神社

大垣天満宮。御祭神は菅原道真公。

大垣八幡神社
岐阜県大垣市西外側町1丁目1

尾張津島 津島神社例大祭・津島天王祭朝祭

津島天王祭朝祭

昨日に続き津島天王祭の朝祭を観ました。駐車場はパンフレットには書かれていませんでしたが、宵祭の臨時駐車場がそのまま利用できました。

9時過ぎ、迎えに行った宮司を乗せた船の先導で能人形を飾った車楽船(だんじりぶね)がゆっくりとゆっくりとその姿を現しました。

津島天王祭朝祭

中島の横辺りまで進んで停止する。

津島天王祭朝祭

船の先端に布鉾を持った10人の鉾持が順番に池に飛び込む。

津島天王祭朝祭

背に布鉾を背負って飛び込んでいる。

津島天王祭朝祭

御旅所の前まで泳いで、その後神社まで走る。

津島天王祭朝祭

10時少し前に先頭の市江車が御旅所前に到着。近くで見ると大きいですね。

津島天王祭朝祭

稚児が地に足を着かないように肩車され降りていく。
昔は幼児の死亡率が高く、「7つまでは神のうち」と言われ

津島天王祭朝祭

その後も続々とだんじり船が到着しました。

津島天王祭朝祭

拝殿の前には奉納された布鉾が立てられていました。したたるしずくを患部につけると病気や怪我が治るという言い伝えがあるそうです。

津島神社
愛知県津島市神明町1番地

津島天王祭・朝祭
8:40 迎え
9:00 車楽船出船
9:20 鉾持飛び込み
9:50 車楽船御旅所着、稚児上陸
10:30 神輿還御
11:30 稚児の神前奉楽

尾張津島 津島神社例大祭・津島天王祭宵祭

二回目の津島神社。御祭神は須佐之男命。

今回は念願の天王祭を見に来ました。駐車場の確保もあり、13時過ぎに到着しました。
それでも一番近い駐車場は7割埋まっていました。

まずは会場となる天王川公園を視察する。丸池のまわりには有料の桟敷が建ち並び入る隙はない。
ということはやはり上の方から遠く眺めるのが良さそうだ。

時間もまだまだあるので、津島神社に詣る。
こちらも天王祭の提灯がたくさん飾られている。天王祭のパンフレットは南鳥居脇の観光案内所で手に入った。

ちょうど夏越の祓の茅の輪もまだある。
天王祭は日本三大川祭りのひとつに数えられているが、京都八坂神社の祇園祭と同じ御祭神を祀り、疫病祓いを願う御霊会として開催されてきたものだ。

御朱印をいただいて場所取りをすることにした。
結局丸池西側の道路の上から見ることに決めた。

日も暮れかかってようやく何かが始まった。
丸池に船がたくさん出てきて回遊している。中には地元のゆるキャラを乗せた船も。
これが水上イベントということか。

水上イベントはどこか中だるみしていたけど、水上花火が始まった。
これもまたどこか単調だ。そのうち打上花火が始まったけど、西側道路からは見えない。

待つこと半日、待望のわらまき船がゆっくりとこぎ出してきた。
これは優雅である。ちっとも進まない。道路下の丸池の周りの通りは桟敷と夜店の間の狭い道にどっとあふれた人で大渋滞している。「立ち止まらないでください」と言う警備の声が連呼され、優雅さもどこかぶち壊しだ。

喧噪の中、わらまき船が4艘出てきたところで、ホテルのチェックインの都合もあり今日は帰ることにした。
やはり、有料席で楽しむのが正しい祭りの鑑賞方法らしい。

津島神社
愛知県津島市神明町1番地

津島天王祭・朝祭
18:00 水上イベント
19:40 水上花火
20:00 打上花火
21:00 まきわら船出船
21:40 まきわら船御旅所着

美濃海津 治水神社

治水神社

岐阜県の木曽川と揖斐川の間の洲島に鎮座する治水神社。御祭神は宝暦治水工事の総奉行平田靱負正輔大人命。

治水神社

江戸時代中期の宝暦年間、手伝い普請を命じられた薩摩藩は多大な犠牲を払って治水工事を完成させました。

治水神社

神社は南向きに鎮座する。

治水神社

神社境内に沿って史跡油島千本松締切堤が道路となって残る。

治水神社

神門と玉垣で囲まれた本殿、拝殿。

治水神社

左手に薩摩義士の像

治水神社

神門で詣る。神門左に社務所があり、御朱印をいただいた。

治水神社

本殿右前に小さな祠あり。昭和34年9月26日の伊勢湾台風の犠牲者を慰霊するための治水昭和之宮。

治水神社

創建当初平田氏以下86名を合祀する予定であったが、当時祭神の合祀は靖国神社以外認められなかったため、彼らの位牌を安置した宝暦治水観音堂が本殿裏にある。

治水神社
岐阜県海津市海津町油島

伊勢桑名 多度大社

多度大社

多度町の多度大社。御祭神は天津彦根命、相殿に面足命、惶根命。
多度山を神体山とする延喜式内社で明神大社。

多度大社

南向きの大鳥居が建つ。奥に神体山の多度山が見える。

多度大社

正面階段。階段の左にはGWの例大祭で神馬が駆け上がる坂がある。

多度大社

振り返ると、末社の鉾立社。御祭神は天久之比乃命。

多度大社

階段を上ると、摂社新宮社。御祭神は本宮御祭神の天津彦根命の幸魂と別宮御祭神の天目一箇命の幸魂。

多度大社

左には神馬舎があり、実際に生きている神馬がいる。

多度大社

上から望む多度祭りの坂。

多度大社

神馬舎の左に末社藤波社。御祭神は建速須佐之男命、大穴牟遅命、少名彦命。

多度大社

手水舎の横に末社雨宮八幡社。御祭神は天之水分神、国之水分神、品陀分命。

多度大社

さあ本宮に向かいましょう。

多度大社

鳥居をくぐって授与所がある。御朱印は参集殿でいただく。
絵馬掛けには神馬の描かれた八連の絵馬が掛かっていた。

多度大社

階段を上って始めに見えてくるのは白馬舎。ここの神馬は人形です。

多度大社

そして左に皇子社。御祭神は天忍穂耳命他5柱。多度神社の兄弟、妹が祀られている。

多度大社

次に左に多度招魂社。

多度大社

隣に摂社美御前社。御祭神は市杵島姫命。

多度大社

御葺門をくぐり

多度大社

左に末社神明社。御祭神は天照大御神。

多度大社

神橋をわたると、

多度大社

左手に本宮多度神社。御祭神は天津彦根命。

多度大社

右手に別宮一目連神社。御祭神は天目一箇命。天津彦根命の御子神とされます。

境内には非常に摂社・末社が多い。すべて参拝したつもりだったが、豊明殿の裏に摂社一拳社があったらしく見逃した。

多度大社
三重県桑名市多度町多度1681

能登七尾 大地主神社夏季例祭 七尾祇園祭

大地主神社

七尾市の大地主神社の夏祭り、七尾祇園祭に行ってきました。昼過ぎまでは雨が降ってきたが晴れたこともあり、涼しく人出も多かった。

祇園祭という名称からもわかるように、かつて牛頭天王を祀り、今は須佐之男命を神輿に乗せて悪霊退散と幸福を願う祇園会のひとつである。昨年日本遺産に認定された「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」を構成する1つの祭りでもある。

大地主神社

七尾祇園祭には11基の奉燈(七尾ではキリコのことは奉燈と呼ぶ)が出る。
山王町の奉燈は大地主神社の前からスタートする。

大地主神社

重いものは2トンにもなる奉燈を50人で力一杯担ぐ。
「サカサイ、サカサッカイ」とかけ声とともに、時々奉燈を持ち上げる。

大地主神社

上には囃子を奏でる子供たちが乗る。時々持ち上げられて楽しそう。

大地主神社

山王町の奉燈は神社前を1周、道路に出て折り返し、町内会館で小休憩。

大地主神社

他の奉燈を探しに出ました。辺りは暗くなり始めて、奉燈の灯りがきれい。

大地主神社

仮宮にやってきました。仮宮の後ろには露店も出ている。

大地主神社

仮宮には神輿がすでに到着している。

大地主神社

奉燈は町内の狭い路地も慎重に通っていく。

大地主神社

20時半頃から仮宮前に奉燈が1基ずつ入ってきて乱舞する。

大地主神社

奉燈が揃う(11基のうち1基は大きすぎて仮宮前まで来られず途中待機)と仮宮の背後に花火が上がる。
奉燈の上に花火が上がるのは景色がいい。

そこから大地主神社への還御が始まったが、今回はここで帰ってきた。

七尾祇園祭日程
開催日:7月第2土曜
15:30 大地主神社で出御祭
16:00 大地主神社から神輿出発
18:00~ 奉燈の巡行開始
18:30 山王町の奉燈が大地主神社前でまだらを披露し出発する
20:20~ 仮宮の前に奉燈が集まり始まる
21:30 奉燈の集合が完了し、清祓い神事が終わると港(仮宮後方)に花火が上がる
21:40~ 花火終了後、1番奉燈から仮宮を出発し、最後に神輿が続き大地主神社に還御する
23:30 大地主神社で還御祭。11番奉燈がまだら披露

大地主神社
石川県七尾市山王町1-13

富山井波 井波八幡宮

井波八幡宮

南砺市井波の瑞泉寺に隣接して鎮座する井波八幡宮。御祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇のいわゆる八幡神。
旧瑞泉寺境内にあり、井波城跡でもある。

井波八幡宮

ゆるやかな階段を上り社殿に向かう。

井波八幡宮

鳥居をくぐり境内に入ると思いの外広い。

井波八幡宮

拝殿に詣る。

井波八幡宮

能楽の奉納額が数枚掛けられていて、戦前はさかんな時期もあったようだ。

井波八幡宮

境内社は一社。幕末に建てられた蚕堂ということで、江戸時代中期から明治にかけて盛んであった蚕種業者が、蚕神を祀り、蚕の霊を鎮めるために建てたものらしい。

井波八幡宮

社務所兼自宅は参道途中から入るが、かなり広い。宮司は綿貫という名字で、地元ではとても有名なのだが、それは政治家だった綿貫民輔氏の実家だからである。現在宮司のはずだが、直接会っていないので御朱印はどなたが書いてくれたのかはわからない。

井波八幡宮
富山県南砺市井波3053

越中一の宮 高瀬神社②

高瀬神社

南砺市に鎮座する高瀬神社。御祭神は大国主命、天活玉命と五十猛命を配祀している。

高瀬神社

南側に建てられた大鳥居をくぐる。

高瀬神社

神社に隣接して駐車場がある。

高瀬神社

境内は高木も多く、サギが巣を作っているようであった。

高瀬神社

因幡の白兎の逸話に因み、ウサギの作り物も多い。

高瀬神社

ナデウサギの銅像も立っている。

高瀬神社
富山県南砺市高瀬291

加賀一の宮 白山比咩神社④

白山比咩神社

加賀一宮の白山比咩神社。白山から下山して、時間もまだ早かったので帰りに寄りました。
今回いただいた御朱印は「白」が崩し字でいつもとは違った雰囲気です。

白山比咩神社

今日は麓の一の鳥居から参拝しました。

白山比咩神社

長い参道を登って社殿に向かいます。

白山比咩神社

今日は拝殿前に茅の輪くぐりが準備されていました。
そういえば、まだこの時期に訪れたことはありませんでした。茅の輪くぐりに躊躇する人たちを横目にさっさとくぐって参拝します。

白山比咩神社

今日の白山頂上は11度だったらしいですが、風もありましたので体感温度は一桁でした。
打って変わって下界は35度を越え、耐えがたいほどの気温でした。

白山比咩神社
石川県白山市 三宮町ニ105-1

白山山頂 白山比咩神社奥宮③

白山比咩神社

3回目の白山登拝に行ってきました。週末登拝の予定をしていたところ、日曜日に向け梅雨前線にともなう低気圧が近づいてくるということで土曜日早々に登り、早く下山することにしました。

白山比咩神社

白山比咩神社奥宮の御朱印は室堂の祈願殿でいただけます。来年2017年の白山開山1300年に向けて祈願殿は建替中ですが、プレハブで開いています。営業期間は7月1日の開山祭から8月31日の閉山祭まで。

祈願殿では御朱印帳1冊につき1個のみ御朱印がいただける。書き置きや色紙は書いてもらえないので、今回も2冊持って行った。印は4種類あり、上は1、下が4となる。何も言わなければ墨書きは「霊峰白山」になる。

白山比咩神社

通行規制前なので別当出合まで自動車で上る。梅雨前線の接近で薄暗いが4時40分出発する。

白山比咩神社

途中、明るくなってきたものの、やはり雲は厚い。今年は雪が少なく、参道に雪はほぼない。花も例年に比べて2週間以上早まっているため、高山植物を楽しみながら登る。

白山比咩神社

エコーラインと南竜ヶ馬場の分岐まで来ると、霧がひどくなってきた。
さらに進むと風も強い。

白山比咩神社

室堂に到着したのは8時20分。前回よりも順調にここまで来た。トレーニングの成果が出ている。
祈祷殿も濃霧に霞んでいるが、すでに内装工事に入っている。

白山比咩神社

祈祷殿の裏にまわるとたくさんのクロユリが咲いていた。これを見ただけでも登ってきた甲斐がある。

白山比咩神社

今回は濃霧だったこともあり、ここまでにして祈祷殿に詣って下山する。

白山比咩神社

別当出合口に到着したのは12時。下山途中、天候は一時的に回復したが、数時間でやはり崩れてきた。
来年は開山1300年、良い天候に登りたい。

白山比咩神社祈祷殿
白山室堂(2450m)
白山比咩神社奥宮
白山御前峰頂上(2702m)

能登穴水 平野八幡神社

平野八幡神社

穴水町の平野八幡神社。御祭神は八幡神である応神天皇、神功皇后、仲哀天皇。
穴水城主長谷部信連の祈願所として創立されたという。

平野八幡神社

朱色の鳥居をくぐり

平野八幡神社

階段を上って本殿に向かう。

平野八幡神社

拝殿は閉じていたが、中を覗くと複数の絵馬が奉納されていた。

平野八幡神社

神社に隣接して社務所兼自宅があり、老夫婦が住んでいるようだったが、御朱印は授与されていなかった。

平野八幡神社
石川県鳳珠郡穴水町平野1-2

能登当目 岩井戸神社

岩井戸神社

能登町の岩井戸神社。祭神は大己貴命、岩衝別命、菊理姫命。
かつて「猿鬼の宮」と呼ばれ、悪さを繰り返した猿鬼を退治して祀ってあったという。当社の御祭神が猿鬼(老ヒヒ)の目を弓矢で射て退治したところということで当地は当目(とうめ、めにあたる)となったともいう。白山神社を合祀して菊理姫命が御祭神になったようだ。

猿鬼伝説の概略はこうだ。岩井戸という洞窟に棲んでいた猿鬼(老ヒヒ)が村々を荒らし回るので、神々は氣多大社大明神を大将に(神社由緒書では当社御祭神となっている。御祭神は同じ大己貴命ではあるが、勧請の前か後か不明)、三井の大幡神杉姫(大幡神杉伊豆牟比咩神社の御祭神)を副将として退治することになった。まず、神々が兵を寄せた所が「駒寄」、猿鬼の体に漆が塗ってあり弓矢がたたず後退した所が「神和住」、神杉姫が筒矢で射よとお告げをうけた所が「歌波の浜」、毒を採取した所が「千毒(千徳)」、目に矢が当たった所が「当目」、その黒い血が流れた所が「黒川」と「五十里」、おおばこで傷の手当てをした所が「大箱」、猿鬼の首を埋めた所が「鬼塚」、その霊を祀って祠を建てた所が「猿鬼の宮」といわれる。

この伝説から推測すると、当宮は猿鬼の霊を鎮めるための社で、大己貴命は後に伝説により勧請したものと考えるのがよさそうだ。能登には他にも猿鬼伝説の残る神社は多く、村に外からの人を寄せ付けないための噂だったのかもしれない。

岩井戸神社

山あいに田畑の広がる集落の道沿いに神社は鎮座する。

岩井戸神社

鳥居をくぐり、神社は川に向かって参道が下がっていくという珍しい形だ。

岩井戸神社

階段を下りていくと第二鳥居があり、向こうに社殿が見える。

岩井戸神社

川にかかった赤い橋を渡って対岸の社殿に至る。

岩井戸神社

拝殿に詣る。

岩井戸神社

社殿の左側、山側を進むと岩が向きだしで下が窪んだ場所があった。
境内に「岩屋堂」と呼ばれた洞窟があり、そこに猿鬼が住んでいたというが、ここがその場所か。穴は埋められたのか、元々ないのか。

岩井戸神社

周辺には猿鬼伝説に由来する地名が数多く残る。
岩井戸神社の南の集落「一布」は、神杉姫が白い布を身にまとって踊り、岩井戸と呼ばれる洞窟に潜んだ猿鬼をおびきだした。その時にまとった一級品の布を献上した村に与えられた名前という。

岩井戸神社

岩井戸神社の北の集落「駒寄」は、大将を一ノ宮大明神、副将軍を大幡神杉姫とする神軍が馬をつなぎ兵を挙げた拠点の村という。旧岩井戸村の役場が置かれた里の中心地だったらしい。

岩井戸神社

駒寄のさらに北の集落「黒川」は、神杉姫に毒矢で目を射られた猿鬼が、名刀鬼切丸で首を切られ傷口から流れ出した黒い血が黒々と川となって流れた地名という。

岩井戸神社
石川県鳳珠郡能登町柳田字当目55字39番乙丙地