南越前町に鎮座する麻気神社。延喜式の丹生郡麻気神社の論社の一社。御祭神は奇玉饒速日命。
集落の中を通過する道路沿いに鳥居が立っている。
盆踊りが行われたような舞台とテントが残る。
拝殿に詣る。
本殿は拝殿の後ろ、覆屋に囲まれているが隙間から参拝できた。
拝殿右に境内社が一社。
休憩所かと思ったが、絵馬殿であった。
絵馬は少なく、俳句の奉納額が多い。
文久元年の俳句奉納碑。
麻気神社
福井県南条郡南越前町牧谷54-19-1
南越前町に鎮座する麻気神社。延喜式の丹生郡麻気神社の論社の一社。御祭神は奇玉饒速日命。
集落の中を通過する道路沿いに鳥居が立っている。
盆踊りが行われたような舞台とテントが残る。
拝殿に詣る。
本殿は拝殿の後ろ、覆屋に囲まれているが隙間から参拝できた。
拝殿右に境内社が一社。
休憩所かと思ったが、絵馬殿であった。
絵馬は少なく、俳句の奉納額が多い。
文久元年の俳句奉納碑。
麻気神社
福井県南条郡南越前町牧谷54-19-1
南越前町に鎮座する鵜甘神社。御祭神は鵜鵜草葺不合尊。延喜式の今立郡鵜甘神社の論社のひとつ。
集落の中、山の麓に参道がまっすぐ延びる。
杉のご神木の間を境内に入る。
入口に由緒書きがある。
立派な社務所があったが、御朱印は授与されていないとのこと。
境内に絵馬殿があった。
絵馬がたくさん掲げられていた。剥落が激しいのが少し残念。
拝殿の後ろに本殿。大きな社殿である。
拝殿の扁額は「越前国杣山総鎮守 杣山式内総社」となっている。
鵜甘神社
福井県南条郡南越前町堂宮14-9
南越前町に鎮座する白山神社。延喜式の丹生郡兄子神社の論社の一社。御祭神は伊弉那美命。
神社は南向きに鎮座。
鳥居をくぐって境内に入ると、高い杉の巨木に囲まれている。
拝殿に詣る。
拝殿右の階段を上って本殿に至る。途中、獣防止柵を開けて入る。
本殿の戸の横には鯉の滝登りの彫刻が彫られている。
境内に隣接して浄土真宗浄圓寺がある。
白山神社
福井県南条郡南越前町瀬戸26-54
新湊市に鎮座する下村加茂神社。春季例大祭に続いて秋季例大祭を見に来た。
参道の入口には旗が立てられている。今は青空だが急速に崩れる予報だった。
稚児の練り歩きを見ようとキョロキョロしていると、西の方に見学者を見つけて稚児の出発場所を見つける。
稚児は父親の肩の上に、稚児は神の使いとされるため不浄な地面には足を着かないように進む。
少し体重の重そうな子供を乗せた父親はとても辛そうだった。
拝殿の階段に陣取って待つこと数分、稚児が境内に入ってきた。
稚児は拝殿にようやく着地する。
稚児は神職の向かい側に着座し、氏子とともにお祓いを受ける。
鉾の舞
林歌
小奈曽利
賀古の舞
天の舞
胡蝶舞
先程から西の方角で雷が鳴っている。今日は中断する中入りまでにする。
稚児舞は9曲もあり見応えがあった。舞は繰り返し動作も多いが、軽快なステップで、時には優雅さもあり、続いてほしい伝統芸能であった。
下村加茂神社・稚児舞日程
本祭9月4日
12:35~ 稚児の村内練行
13:50~ 社参・修祓
14:15~ 鉾の舞
14:35~ 林歌
14:50~ 小奈曽利
15:05~ 賀古の舞
15:20~ 天の舞
15:35~ 胡蝶舞
16:00~ 中入り・例祭式
8月最終の土曜日、雨の合間を縫うように奇跡的な天候となりました。雨のおかげで暑さも一休みです。
穴水町中居に鎮座する神杉伊豆牟比咩神社の夏季例大祭として開催される中居キリコ祭りにやってきました。
夜7時過ぎ、神社の拝殿に集まった氏子の清め神事が始まりました。
祝詞も終わると、拝殿から神輿が引き出され、
神の道として提灯が並べられる。
真っ暗の中、神が神輿に遷座される。
出発前に神社前で氏子たちの直会が始まる。長い夜の始まりだ。
神輿を先頭にキリコが街中を引き回される。
当地のキリコ祭りが他地域と異なるのは、各家が道路沿いの部屋を開放して、神を迎えるために日本酒に灯籠、背後に絵屏風や金屏風を立て、生け花や盆栽を飾るということ。別名「屏風まつり」とも言われ、独特の雰囲気を醸し出す。
神職が屏風を背後に家に上がり、神輿に乗った神様を迎える。
飾りや屏風は各家によって違っており、それを見て回るだけでも楽しめる。
神輿は各家に到着すると、中居ばやしが唄われる。屏風と中居ばやし、この祭りの最大の魅力と言えよう。
10時過ぎになると町の中程まで進んできて、神輿とキリコは休憩となる。
日詰川のほとりで柱松明に火がつく。松明が海側に倒れれば豊漁、山側に倒れれば豊作という。
松明が消える頃、神輿とキリコはさらに山側へと進んでいった。
中居キリコ祭りはキリコの勇壮さはないものの、屏風と中居ばやしの醸し出す幽玄な雰囲気を感じられる祭りでした。
中居キリコ祭り日程
8月最終土曜日
19:00~ 神社で神事
19:40~ 神社前で直会
20:00~ 神輿が神社を出発、麓でキリコが合流する
20:20頃 日詰川のほとりで柱松明に点火
1:00頃 神社に帰着
金沢市の兼六園に隣接する金沢神社。今月も天神月次祭の御朱印をいただいてきました。
御朱印の構成としては定着した感じがします。
暑い日でした。
平日ということもあり、参拝者は少なかった。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
金沢市の尾山神社。8月の御朱印をいただいてきました。8月は花火の中心に剣梅鉢紋がデザインされている。
今日は暑かった。
天頂には雲一つなく、太陽を遮るものはない。
参拝者もちらほらいましたが、時間帯によっては拝殿前は無人になることもありました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
富山市に鎮座する越中稲荷神社。御祭神は倉稲魂大神、豊受大神。
三度目の参拝でようやく御朱印をいただくことができた。
神社は北向きに鎮座。社前の稲荷町通りは古い通りだそう。
あたりは昭和20年の富山大空襲で焼失しているので、建物も新しい。
第一鳥居から第二鳥居の間はきれいに石敷きされて清々しい。
拝殿に詣る。拝殿の後ろに本殿。稲荷神社らしい朱色の柱が目立つ。
境内にご神木の欅が1本。空襲に遭うまではこのあたりは欅や杉の大木で薄暗いほどだったらしい。
焼野原からこの欅が甦ったそうで、蘇りのパワースポットになっている。
第一鳥居と第二鳥居の間、右手の参集殿兼社務所でいただいた。
越中稲荷神社
富山県富山市稲荷町2丁目5−5
野洲市に鎮座する御上神社。延喜式野洲郡の比定社で明神大社。御祭神は天之御影神。
元官幣中社で、養老年間に藤原不比等の勅命で創建されたという。
神奈備である三上山。近江富士とも言われる山容秀麗な山で山頂に奥宮がある。
鳥居から楼門まで参道が一直線に延びる。
楼門は国重要文化財。
楼門から拝殿、本殿が一直線に並ぶ。拝殿は国重要文化財、本殿は国宝。
本殿に参る。境内に檜皮葺の屋根の建物が揃う様は荘厳である。
本殿の右に県重要文化財の摂社三宮神社。御祭神は瓊瓊杵命。
左の小さな社は大神宮社。御祭神は天照皇大御神。
本殿の左には国重要文化財の摂社若宮神社。御祭神は伊弉諾命を主祭神に、菅原道真命、天石戸別命、天之御桙神、野槌大神を配祀する。
神輿殿。
古い鳳輦神輿が三台入っている。中に人が乗れる構造。
楼門を出て、楼門の東方に2つの境内社の敷地があるが、社は一社のみ。愛宕神社(御祭神は火産霊神)、御鍵取神社(御祭神は天津彦根神、猿田彦神)の合祀社になっているが、御鍵取神社は本来左の敷地らしい。
鳥居から西側にも参道が延びる。その途中に橿原神宮遙拝所がある。
御上神社
滋賀県野洲市三上838
大津市に鎮座する長等神社。御祭神は建速須佐之男大神、大山咋大神、宇佐若宮下照姫大神、八幡大神、地主大神。
道路を跨ぐように大鳥居が立っている。社殿は東向き、長等山を背後に鎮座する。初め大津宮の鎮守として創建され、遷都の後は園城寺(三井寺)の鎮守となり、日吉山王神(大山咋大神)を祀った。境内の右に園城寺への入口がある。
朱色の大きな楼門。
境内に入ると拝殿、奥に廻廊に囲まれた本殿がある。
廻廊に入って本殿に参る。
本殿
本殿左に境内社が二社。右が馬神神社(もと大津東町の守護神)、左は両御前神社(もと神出の御旅所の社)。
本殿右の三社の稲荷神社。栄稲荷神社。往古からの境内社に、大津城内の鎮守社を合祀。
磐境が御神体の末春稲荷神社と権平稲荷神社の合祀社。
駒竹稲荷神社(もと上京町の相生神社の境内社であり、大津駅旧伝馬町の守護神)。
社務所で御朱印をいただく。
社務所の前に笠森神社。
長等神社
滋賀県大津市三井寺町4-1
大津市に鎮座する三尾神社。御祭神は伊弉諾尊。三尾神社はもとは園城寺(三井寺)の鎮守であった。
社殿は東向き。長等山の地主神として、長等山を背後にして鎮座する。
参道を進み鳥居をくぐると、駐車場の横に拝殿がある。少し違和感があったが、屋根の向きですね。多くは本殿に向かって妻入りなのが、平入りなので90度向きが違う。
入口に門、脇に手水舎がある。
三尾神社が卯年生まれの守り神を自称していることもあり、水を出しているのもウサギ。
本殿を囲む塀垣の一部が拝所となっている。本殿に参る。
本殿
本殿右から反時計回りに境内社をまわる。白山神社と愛宕神社の合祀殿。
天満宮。
白鬚神社と夷子神社の合祀殿。
日御前神社
左側に回り込む。裏門は屋根が壊れているようだ。
屋根の瓦が見返り兎となっている。
阪下稲荷神社と茂畑稲荷神社の合祀殿。
境内はまさにウサギ尽くしである。廻廊前のめおと兎。
由緒書き前の子連れ兎。
子連れ兎は置物の授与品になっている。御朱印を待つ間に見ていて、あまりのかわいさに連れ帰ってしまった。
三尾神社
滋賀県大津市園城寺町251
大津市の瀬田川を下流に南下すると鎮座している佐久奈度神社。延喜式栗太郡の比定社であり明神大社。御朱印は祓えの神である、瀬織津姫尊、速秋津姫尊、気吹戸主尊、速佐須良姫尊の四柱。
社殿は西向き。平成31年には御鎮座1350年祭が斎行される。
正面に本殿、左に社務所が建っている。
境内に入ると北を流れる瀬田川に向かって展望台が作られている。
元はこの下の駐車場のあたりに瀬田川に背を向けて南向きに社殿があったようだ。昭和39年、さらに下流に天ヶ瀬ダムが建設され水没予定地となったため、現在地に遷座された。
拝殿に参る。
本殿は朱色の柱に白い壁、窓の緑が鮮やか。
本殿右に境内社が二社。左が焼鎌神社、右が敏鎌神社。
境内入口付近に境内社が二社。左が八幡社、右が稲荷神社。
下の駐車場を奥に進むと、本殿の下方に境内社が一社。
橋守社。瀬田川にかかる鹿跳橋を守る社で、村の入口を守る道祖神です。
社務所で御朱印をいただき、待っている間由緒パンフを見ていると、500mほど南に御旅所があるということ。
場所を聞いて、浄土宗若王寺まで来ました。
4月の春季大祭で神輿が納められるところ。檜皮葺の屋根が非常に雰囲気を感じさせます。
なんでも向背の蛙股に施された牡丹と揚羽蝶の彫刻が古いもので、一部部材は鎌倉時代中期のころと推定されている。
佐久奈度神社
滋賀県大津市大石中1丁目2-1
韮崎市の武田八幡宮。御祭神は武田武大神(武田王)、足仲津彦命(仲哀天皇)、誉田別命(応神天皇)、息長足姫命(神功皇后)。甲斐武田家の氏神であり、旧県社。武田家の祖先神と八幡神。
麓の二の鳥居。まっすぐに坂道を登って境内に至る。
左方にみえる山が白山城跡、周囲を監視できる絶景地に築城されている。
太く大きい杉のご神木を両側に、
階段を上がり石鳥居がある。
石鳥居の背後に総門が建つが、現在修復中。
総門裏に小さな石祠が並ぶ。
まっすぐ階段を上り本殿に向かう。
階段を上った平場に舞殿、さらに階段を上り拝殿がある。
拝殿の後方に一段上がって本殿が建つ。
拝殿左に脇殿。前に池の遺構が残っている。
国重要文化財の本殿。
本殿左に末社若宮八幡神社。
総門の東に社務所があるが無人。
社務所に御朱印が準備してある。小さな御朱印帳にも合うサイズだが、いつでも御朱印をいただけるのはありがたい。
武田八幡宮
山梨県韮崎市神山町北宮地1185
甲府市に鎮座する熊野神社。御祭神は伊弉册尊、速玉男神、事解男神。
延喜式の巨麻郡笠屋神社の論社のひとつ。笠屋神社は廃絶しているが、当地が旧地という。
境内は東向き。夕暮れの境内は薄暗い。
拝殿に参る。
拝殿には「熊野皇大神」の扁額が掛かる。
境内社は稲荷神社の扁額のある石祠が三社と
覆屋に入る秋葉神社が建つ。
昭和33年の台風で倒れたご神木のモミの根が祀られている。
境内の由緒書によると、甲斐国に熊野の神を、巨麻郡小河原、八代郡八代、都留郡岩殿とともに山梨郡横井に勧請された各郡最初の一社のひとつである。それより国の母の神と称し、地名の国母の由来となっている。
熊野神社
山梨県甲府市国母4-2-22
甲斐市となった旧竜王町に鎮座する山縣神社。御祭神は山縣大弐。
山縣大弐は江戸時代中期の儒学者で、武田二十四将の山県三郎兵衛昌景の末裔として生まれ、その教えは幕末の吉田松陰に影響を与えたという。
南向きに鎮座する。
境内には竜王歴史民俗資料館が建つ。
山県家の墓碑や
山縣大弐の墓もある。
そして山縣大弐像も立ち、まさに大弐尽くしである。
拝殿に参る。
本殿。神社は大正10年に山梨県の県社として創建された。
社務所は無人だが、後ろの自宅から出て来て御朱印を対応していただいた。
山縣神社
山梨県甲斐市篠原190
甲府市に鎮座する酒折宮。御祭神は日本武尊命。山梨県で唯一、古事記、日本書紀に記載のある古社。
日本武尊命が東征の帰り、ここで宮を営み、連歌発祥の地と言われる。
日本武尊 「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」と片歌で問いかけ、
御火焚 「かかなべて夜には九夜日には十日を」と片歌で答えた。
南鳥居から入る。入ると境内途中でいわゆる裏口であった。
正門となる鳥居は線路を渡った西側にあり、社殿も西向き。
境内の入口に鳥居と社名標。
社名標の後ろに「酒折宮跡」の案内板。神社は居館跡ということにもなる。
境内は東西に長い。参道沿いに左手に碑が多数立つ。
連歌の碑
本居宣長選、平田篤胤書、酒折宮寿詞
酒折宮寿詞の後ろに石祠が並ぶ。
手水舎の後ろに神池。草が繁茂していてわかりにくい。池の脇に辻嵐外の句碑が立つ。
山縣大弐謹選、酒折祠碑
拝殿に参る。
本殿は少し高い場所に鎮座する。その横に境内社が一社。
境内にある社務所兼自宅で御朱印をいただく。
待っている間お茶をいただいた。
酒折宮
山梨県甲府市酒折3丁目1−13
甲府市に鎮座する穴切大神社。御祭神は大己貴命、少彦名命、素戔嗚尊。延喜式の山梨郡黒戸奈神社の論社のひとつ。
湖水の広がる甲斐国の水を切って切り拓いた伝説を持ち、そこから社名も由来しているそう。
住宅街に鎮座し、社前道路も一方通行、参道、社殿は東向き。
石敷の参道を進むと神門(随神門)。
境内に入ると正面にコンクリート造の拝殿がある。拝殿に参る。
拝殿右手にまわると拝殿の後ろに木造の本殿が鎮座する。彫刻には彩色も残る古い社殿。武田菱が目立つ。
本殿東に境内社が立ち並ぶ。不明の石祠、稲荷神社、塩竃社、道祖神社、不明の境内社(朱色の屋根)、不明の石祠。
さらに右に菅原道真公を祀る天神社。
一番右に神明社。
神明社の社殿の前に、過去の神社扁額が残っており、「正一位穴切社」とある。
最後に境内の社務所兼自宅で御朱印をいただく。
御朱印も押印がある八咫烏は境内でも見かけた。地元の少年サッカーチームのお祓いもしているようだが、八咫烏といえば熊野というイメージがある。特に神様つながりがあるようには思えないが、困難な地を開いたということでいつからか使用しているのかもしれない。
穴切大神社
山梨県甲府市宝2丁目8−5
甲府市に鎮座する御崎神社。御祭神は稚産霊神、保食神、大国主神、稲荷大明神。延喜式の巨麻郡宇波刀神社の論社のひとつ。
稲荷大明神は扁額「稲荷神社」の鳥居が参道途中にあり、合祀された神かもしれない。
御崎神社ははじめ甲斐武田家の居館があった八代郡石和郷にあり、信虎が甲府の躑躅ヶ崎館に居館を移したのに伴い、鎮守社として城内に遷座した。武田家滅亡後、甲府城の築城に伴い現在地に遷座されたという。
参道、社殿は南向き、第一鳥居、第二鳥居(稲荷神社)、神門と続く。
参道途中に三猿の彫刻された灯籠が奉納されている。
神門。木造の大きな随神門。
拝殿と本殿は弊殿でつながる。
本殿西に境内社が多数。
特に石祠が多く、古くから信仰の篤い神社だったことがうかがえる。
拝殿入口には御簾が掛けられ非常に雰囲気が感じられる。
境内東の社務所兼自宅で御朱印をいただいた。
御崎神社
山梨県甲府市美咲2丁目10
甲府市に鎮座する金櫻神社。延喜式内社の論社のひとつで金峰山に奥宮がある。
御祭神は少彦名命、須佐之男命、大己貴命。
駐車場は境内に隣接して数台停めれる。鳥居をくぐって境内に入る。
鬱金(うこん)の櫻が本殿の左にある。本殿は現在修復中で、左甚五郎作といわれる昇龍・降龍の彫刻は見られなかった。
拝殿に参る。拝殿は東向き。
境内の東端に樹齢1500年の杉のご神木の根が残る。昭和30年に火事で焼失し伐採され、その幹の一部で彫られた大国天様が近くの大国天社に祀られている。
杉の根の東に富士山遙拝所があった。昨日登った富士山は今日も麓からは見えない。
見えればこう見えるらしい。
授与所と社務所は分かれている。駐車場入口から見て、右が授与所、左が拝殿、中央奥が社務所である。
御朱印は社務所でいただく。水晶発祥の神社らしく、朱印は水晶に彫られた印判で豪快に押される。
金峰山は修験の霊山であったことから、狼を神使としており、珍しい狼の神符が頒布されている。
本来の参道を目指して下に降りる。ここが一の鳥居。
鳥居をくぐると左手に道祖神を祀った道祖神社。
二百段を越える階段を上っていく。
階段の左右には杉の巨木が林立し、昼間でも尚薄暗い感じに神を感じる。
竜神池にかかる石橋を渡る。
竜神池の左に3社の境内社が並ぶ。左に水神社、中央に稲荷社、右が秋葉社。
なお、境内には徳川家康公が腰掛けたという石も残る。
金櫻神社
山梨県甲府市御岳町2347
甲府市に鎮座する夫婦木神社。御祭神は伊弉諾命、伊弉冉尊。
社殿は南向きだが、西向きに建てられた朱色の第一鳥居をくぐって、反時計回りに階段を上りながら境内に至る。
階段の途中、1本のご神木が立つ。
ご神木は女性を象っている。男性は本殿に祀られているという。
拝殿に参る。夫婦木姫神社と同様に本殿は有料となる。
拝殿の右方、社務所の前に寿老人を祀った祠が1つ。
夫婦木神社
山梨県甲府市御岳町2041
甲府市の観光地昇龍峡のみやげ店やロープウェーのある場所に鎮座する夫婦木姫神社。
さらに上流にある夫婦木神社の下宮とされる。
第一鳥居の先には階段、途中に第二鳥居がある。
御祭神は天宇受売命、市寸嶋比売命、神功皇后命、柿本人麻呂命。
拝殿に参る。本殿に女性を象ったご神木があり、有料となっている。
御朱印には紅葉が1枚貼られる。
夫婦木姫神社
山梨県甲府市猪狩町300
人生二回目の富士山登拝に挑む。コースは今回も吉田口から。
今年は12年に1度の申年だったので、この朱印のために登拝したようなものだ。
麓の駐車場では小雨が降っていた。5合目もまだ霧がかかっている。
協力金を払って6時半登拝を開始する。
次第に青空が見えてきた。
足下に雲海が広がる。下界は雨でも山頂は快晴、さすがに日本一の山だ。
本8合目まではコースタイムどおりで順調だったが、ここから軽い高山病に襲われる。
2時間かけてようやく山頂へ。1時半になっていたので、急いでお鉢をまわって山頂郵便局と富士山本宮浅間大社奥宮へ向かう。
奥宮からお鉢を戻り、久須志神社に詣る。
御祭神は大名牟遅命と少彦名命。医薬の神で近世までは薬師如来を祀っていた。
ここに戻ってくるまでに霧雨に山頂は覆われていたため、暗くなる前に早々に下山を開始する。
今回、特別朱印の他に吉田口の山小屋で焼き印を集めてまわった。
雨が降っていると焼き印が割れるため中止なると聞いていたが、今回運良く吉田口ほぼすべての焼き印と奥宮、久須志神社の焼き印をいただき、表と裏がほぼ埋まるくらいになった。費用もかなりかかったが、最高の記念になった。
二回目の富士山登拝が無事終了した。
吉田口からお鉢をめぐり、富士宮口の富士山本宮浅間大社奥宮を詣でる。
今年は12年の1度の申年なので特別朱印がある。
前回は奥宮が修復中だったので入手できなかった朱印を2ついただく。
前回は久須志神社でいただいた色紙を今回は富士山本宮浅間大社奥宮でいただく。
お鉢めぐりをしている途中、今回も運良く大内院を拝むことができた。
前回は間に合わなかった山頂郵便局に5分前に滑り込めた。
良かった!今回は登山証明書と記念スタンプをもらえた。
銀名水。霊水は奥宮で頒布されている。
復元が完了した社殿に初めて詣る。
強風と積雪に絶えるため石垣に囲まれた社殿。日本一富士山ならではの光景だ。
御祭神は浅間大神である木花之佐久夜比売命。
富士山本宮浅間大社奥宮
静岡県富士宮市粟倉字大坂2717番地43先
甲府市に鎮座する船形神社。御祭神は八幡三神。
社地が古代の船の形に似ていることから命名されたという。
細い参道が西に向かって延びている。
境内は広々としている。拝殿に詣る。
本殿は小さいが、彫刻も施されなかなか立派な社殿だ。
境内左に小さい石祠が並ぶ。
境内社は鹿島大神社、諏訪大神社、天神社、金比羅社、秋葉社、他一社の六社。
隣接する社務所で御朱印をいただく。社務所の前の参道と塀を挟んだ場所には蔵に向かって窪みがあった。石積みが組まれていたところから池かと想像して尋ねてみた。やはりむかしは道路を挟んである用水から水が通っていたそうだ。
船形神社
山梨県甲府市国母7丁目4−3
千曲市に鎮座する武水別神社八幡宮。延喜式内社の名神大社であり、氏神の武水別大神に、後の安和年間に八幡神が勧請された。更級郡随一の八幡宮として崇敬を集めたという。
到着後すぐに御朱印をいただきに社務所に向かったが、12時から13時の間は昼休みでいただけなかったので、ゆっくりと境内を巡ることにする。
道路をまたぐ第一鳥居をくぐり境内に入ると、最初に茅葺きの神輿休処が目に入る。
隣に高良社。覆屋の中に朱塗りの本殿がある。
その隣に名物のうづらもちを販売するうずらや。食べてみたかったがセット販売しかなかったので諦める。
さらに参道を進むと第2鳥居。
本殿の前に拝殿、その前に勅使殿が一直線に並ぶ、勅使殿の右に額殿。奉納額が納められているが、中は有料。
本殿に詣る。
本殿裏に回ると末摂社がずらりと並ぶ。地域の大社だけあって境内社が多い。
本殿の左に御供所、正面に寛政七年の復元算額が掲げられている。
御供所と本殿の間に、本殿に隣接して祭儀所があり、そこで御朱印をいただく。
武水別神社八幡宮
長野県千曲市八幡3012
川中島古戦場跡の八幡原史跡公園内に鎮座する八幡社。御祭神は誉田別命、合祀により建御名方命を祀る。
もともと八幡社のあったことから八幡原と言われたそうだ。
御朱印は手書きの1種と書き置きの1種。
当然川中島合戦で荒廃してしまったため、後に信玄の命で高坂弾正により再建させ、松代藩真田家により庇護されてきた。
川中島古戦場跡として観光用看板も立ち、
境内には信玄の本陣を囲った土塁も残っている。
拝殿にも詣る方は多い。
振り返ると旧本殿が鞘堂として祀られている。
拝殿横には川中島合戦で武田軍が土塁に土留めとして根を上に杭を打たれた槐(えんじゅ)が芽を出したという逆槐がご神木となっている。
社務所で御朱印をいただく。両方頼むと、書き置きの朱印を御朱印帳に貼ってもらえる。
観光客のお目当てはやはり信玄と謙信が太刀と軍配を交えた銅像が立つ。書き置きのバックの写真もこの銅像。
八幡社
長野県長野市小島田町(八幡原史跡公園)
金沢市の田井菅原神社。御祭神は菅原道真公。
今日はかなざわまち博の御神宝めぐりに参加するため参拝しました。
ここは現宮司のお父さんの前宮司のお住まいであったが、亡くなってから常駐ではなくなった。
現宮司は牛坂八幡神社に住まいされているので、神社の御朱印は予約でもしない限りいただくのは難しくなった。
今日は参加者10数名で、神社に伝わる古文書を惜しげもなく見せていただいた。
正月に飾られる藩主に献上された鏡餅の彩色の絵巻などは、実際に見ると感動する。
古文書の後、拝殿の奉納物などを説明していただいた。
加賀八家のひとつ横山家が明治になって奉納した額。道真公と道明寺の関わりを描いているようだ。
特に貴重なのは明治に田井小学校から奉納された額。おそらく学問の神に「読み・書き・そろばん」の上達を願ったものではないかという。今は「読み」の本と「書き」の筆しか残っていないが、中央に「そろばん」があったのではないかという。確かに珍しい額である。
七尾市能登島に鎮座する伊夜比咩神社。7月の最終土曜日に日本三大火祭りとも言われる例大祭、向田の火祭りが行われる。
午後6時、まだ明るい境内にはキリコが勢揃いしている。
新潟県の彌彦神社の御祭神伊夜比古神が、年に一度向田の伊夜比咩神を訪ねて逢瀬を楽しむという祭りらしい。
拝殿の中央には神輿が準備されていた。
神様がお入りになる前に見せていただく。扉がなく、中央の心柱のみの神輿は珍しい。
柱松明を見に行く。神社からまっすぐ延びる道路を崎山公園に向かう。
道路沿いには箱キリコが立てられ、地元の園児や児童による絵が描かれている。
崎山公園に着くと、神輿着座の台があった。泥団子に何かの葉を刺したものが無数に並べられている。
柱松明は30メートルほどあるそうだ。近づいてみると大きさに圧倒される。
神社に戻り暗くなるまで待機する。
暗くなり始めるとキリコに火が灯る。
午後8時神事が始まる。
神様が神輿に遷され、神輿が先導して渡御が始まる。
キリコは神輿が進む明かりということで、神輿を先導するのが一般的だが、ここでは神輿が先導する。
神輿は進んだり戻ったりしてなかなか進まない。神輿だけは崎山公園の前を過ぎてどこかを回ってから戻ってきた。
神輿とキリコは柱松明の周りを7周する。キリコは車が付いているのでここまでは引いてくる感じだったが、柱松明の周りは砂地なので、時々持ち上げて進む。
周回後、神輿は着座し、キリコは来た道に並ぶ。
手松明を持った人たちが柱松明の周りを回る。
手松明が消えないようにグルグル回す。
午後10時頃、手松明が柱松明に投げ込まれ点火。みるみるうちに柱松明が燃え上がる。
今日はほぼ無風だったので長い間燃えていました。
火柱は天に向かって激しく燃えさかり、息をのむ光景でした。
これだけ激しく燃えても、先端に付けられた御幣は燃えません。不思議です。
今年は海側に倒れたので「豊漁」と出ました。ちなみに山側に倒れると豊作。
柱が倒れると先端の御幣を青年団が奪い合う。それから青年団総出でオオギと呼ばれる中心の心材、オオギを支えるサシドラを火の中から引きずり出す。オオギとサシドラは2、3年使い回すそうだ。
伊夜比咩神社
七尾市能登島向田町115-26
尾山神社の7月の御朱印をいただいてきました。7月の判子は小槌です。
裏門は旧金沢城二の丸の唐門です。
精緻な彫刻が見どころです。
今日は境内の神泉にアオサギがいて、外国観光客にも写真を撮られて人気者になっていました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢神社の7月の天神月次祭の御朱印いただいてきました。
夏休みに入って県外からもたくさん金沢に来ているようだが、たまたま境内には人がいませんでした。
暑い日でした。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3