京都市に鎮座する田中神社。延喜式の紀伊郡飛鳥田神社の論社のひとつ。御祭神は田中大神。
鳥羽街道に面して東向きに鎮座する。裏に京阪鳥羽街道駅がある。
境内は一軒分くらいの狭い範囲。
現在は伏見稲荷大社の境外摂社になっている。
本殿に参る。
本殿は本社である伏見稲荷大社の境内にある末社とおなじ程度で造りも似ている。
田中神社
京都府京都市東山区本町20丁目
京都市に鎮座する田中神社。延喜式の紀伊郡飛鳥田神社の論社のひとつ。御祭神は田中大神。
鳥羽街道に面して東向きに鎮座する。裏に京阪鳥羽街道駅がある。
境内は一軒分くらいの狭い範囲。
現在は伏見稲荷大社の境外摂社になっている。
本殿に参る。
本殿は本社である伏見稲荷大社の境内にある末社とおなじ程度で造りも似ている。
田中神社
京都府京都市東山区本町20丁目
甲賀市に鎮座する神山神社。御祭神は素戔嗚尊。
参道の左に駐車場がある。
参道は東西に延びる。
かつて信楽を総称して大原山と言ったころからの氏神であった。
社殿は南向き。拝殿の後ろに本殿がある。本殿右のご神木がとても高い。
本殿に参る。陶器製の狛犬が信楽らしい。
本殿
本殿の右に末社として山之神神社がある。御祭神は大山津見神。
社務所前の傘入れが狸になっていて、これはまた信楽らしい。社務所に人が戻ってきたので御朱印をお願いすると、宮司は入院中で留守番だという。またの機会とする。
神山神社
滋賀県甲賀市信楽町神山1994
伊賀市に鎮座する真木山神社。延喜式阿拝郡の比定社。御祭神は天児屋根命を主祭神とする。
社殿は南向き。道は狭いが境内の西側に駐車場があった。
参道に第一鳥居、第二鳥居が立つ。
長い参道の途中、左手に梵鐘がある。ここも神仏習合の雰囲気が残る。
拝殿は檜皮葺で趣がある。かつては本殿も檜皮葺であった。拝殿に参る。
神社合祀により御祭神も多い。
拝殿前の狛犬。毛がフサフサとしてどこか大陸風の雰囲気を醸し出している。
拝殿の後ろの本殿。左右に境内社が一社ずつある。
拝殿左の宝蔵前の釜らしきもの。神事に使用するものだろうか。
帰りに境内を清掃中だった宮司に御朱印をお願いしたが、ここでは授与していなかった。
真木山神社
三重県伊賀市槙山3237
伊賀市に鎮座する宇都可神社。延喜式内社の比定社。御祭神は天忍日命。
横にある集落の公民館に車を停める。参道が尾根伝いに延びる。ここは集落内でも見晴らしのきく場所だ。
途中梵鐘がある。神仏習合の雰囲気を残す神社である。
ふと梵鐘の脇に仏像とも神像とも言えない石造が一体。
本殿に参る。本殿の裏に一際高い木。ご神木だろうか。
本殿右に境内社が一社。
社前に戻り、左手の公民館を奥に進むと、別当寺であった安楽寺の跡。別当の墓が並ぶ。
朱色の鳥居をくぐると稲荷社があった。
また社前に戻り、今度は反対の南側、西音寺へ。
西音寺の薬師堂はもと安楽寺の本堂。中のもとご本尊だった薬師如来坐像とともに西音寺に移された。
宇都可神社
三重県伊賀市内保1312
甲賀市に鎮座する檜尾神社。御祭神は天津彦彦火瓊々杵尊を主祭神とする。元伊勢甲可日雲宮の数多ある候補地のひとつ。
田の隅に異様な短さの鳥居。檜尾神社の社前でもあり、元は一の鳥居だったか。根元が朽ちたか、地震か大風で折れてしまったのか。
社殿は東向き。山麓に鎮座する。
檜尾神社は檜尾寺と隣り合っている。左手に入ると檜尾寺。
檜尾大明神と言われた檜尾神社。檜尾寺は最澄開祖と言われ、檜尾神社の神宮寺だった。
鳥居をくぐり階段を上ると拝殿がある。
本殿は現在修理中だった。御祭神は宝蔵に遷座されていたのでそちらに参る。
隣の宮司宅で御朱印をいただく。有形文化財の本殿にお詣りできなかったので、また再拝を誓う。
檜尾寺のほうから境内社に参る。金刀比羅社か天照皇大神宮のいずれか。
本殿左の八坂社
檜尾神社
滋賀県甲賀市甲南町池田55-1
甲賀市に鎮座する瀧樹神社。延喜式の甲賀郡川田神社の論社のひとつ。
神社の北側にある駐車場に車を停め、境内に入る。
社殿は南向き。境内のすぐ南を野洲川が流れる。
御祭神は速秋津比古命、速秋津比咩命、大山祇命、事代主之神、宇賀魂神、市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命。
拝殿の後ろに二社の本殿が並ぶように鎮座する。
本殿は右に瀧樹神社、左に天満宮。本殿に参る。
享保二年銘の手水があり、奥に井戸らしきものがある。
境内の社務所で御朱印をお願いする。三度目でようやく会えたのだが、御朱印はやっていないとのこと。ネットでは見かけるのに止めてしまったのか。
駐車場からお茶畑の中を西に進むと集落から入る本来の一の鳥居が見えてきた。本来はこの鳥居をくぐり、川沿いを通って境内に入る。
瀧樹神社
滋賀県甲賀市土山町前野155
日野町に鎮座する長寸神社。延喜式蒲生郡の論社のひとつ。御祭神は事代主命、天照荒魂神と素戔嗚尊を配祀する。
社殿は南向き。
鳥居左の1本の木が紅葉し美しい。
鳥居の向こうに拝殿が見える。
拝殿の奥に塀垣に囲まれた本殿が鎮座する。
本殿に参る。
本殿の彫刻は右に龍、左に虎。これは上之郷の大屋神社の本殿と同じである。中之郷の長寸神社は大屋神社と現在でも祭りを通して関係が深いという。
本殿右に境内社が二社。
左に一社。
その前に橿原神宮遙拝所がある。
長寸神社
滋賀県蒲生郡日野町中之郷1565
日野町に鎮座する大屋神社。延喜式蒲生郡の論社のひとつ。
広がる田の中に鎮守の杜。
御祭神は五十猛神。杉杣大宮と称し奥津保郷の総社として崇敬を集めた。
鳥居右に竜王の御神木がある。
夏に干ばつが続くと桜谷の先祖達は竜王山頂に祀られた雨の神、八大竜王へ必死の雨乞祈願をかけた。山頂にある竜王の霊石を佐久良川沿岸八ヶ村が共同で三つの郷へ迎え、上之番、中之番、下之番がそれぞれ霊石を迎えた神社で踊りなどを奉納しつつ、夜を徹しての盛大な雨乞祈願を行った。ここは上之番である杉杣郷三ヶ村が竜王の霊石を迎えた場所である。今雨乞は消えたが7月1日の竜王山頂での祭は続けられている。
鳥居をくぐると参道がまっすぐ北に延び、両側に杉の並木が立つ。まさに神様に会うために通じる道のようだ。
並木を抜けると石積みの上段に社殿が見えてくる。
前に開放的な拝殿、後ろに一段上がって本殿が建っている。
本殿に参る。末社として左に若宮神社、右に奥津神社、右手に小綿向神社が鎮座する。
本殿には彫刻が多数飾られている。右に龍、左に虎の彫刻。
大屋神社
滋賀県蒲生郡日野町杉228
金沢市の尾山神社。10月の御朱印をいただいてきました。
10月は鈴の付け根が梅鉢紋となっている。鈴は天の岩戸の前で天鈿女命が舞ったときにも持っていた神聖な祈りの道具
来月には七五三。神社が賑わう季節になる。
平日の境内は外国からの観光客のほうが多いくらいだ。
境内には加賀藩の和算学者で西洋数学を研究・普及に尽力した関口開氏の顕彰碑が立てられている。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
石川県志賀町に鎮座する松尾神社。御祭神は大山咋命、玉依比売命。
承和元年(834)に山城国松尾神社(松尾大社)から勧請されたといい、茅葺きの拝殿は県内でも珍しい。
町居ほか二町の惣社として崇敬を集めてきた。
奧の丘に上には北陸観音霊場でもある松尾寺。松尾寺は松尾神社の別当寺として古来管理してきたものと思われる。
それにしても神社と寺の名前が同じ場所も珍しい。
重要文化財になっている本殿は中にあって見られなかったが、拝殿を見るだけでも一見の価値のある神社である。
松尾神社
石川県羽咋郡志賀町町居カ4
小松市に鎮座する石部神社。延喜式内社の比定社で、加賀国府があったときは府南社と言われ加賀国惣社であった。地名の古府は加賀国府があったことに由来し、国府の南に惣社があったため府南社という。御祭神は櫛日方別命。
参道入口の社標柱。「加賀国惣社府南延喜式内石部神社」と書かれている。
神社は旧加賀国府に向かって北向きに鎮座する。
鳥居をくぐると右手に由緒書がある。
階段を上っていくと、やがて参道は左に折れる。社殿は西北向き。
拝殿に参る。
社前で神社総代の方を待つ。兼務社であるため御朱印はないものと思っていたが、ある時総代の方に連絡すればいただけることを知った。こういう取得方法は初めてであったが、そういうこともあり実は神社に参拝するのは三度目である。一度目は御朱印はないと思って参拝。二度目は御朱印をいただこうと参拝して電話したものの留守。今回あらかじめ書いたものをいただいたのだが、少し大きかったので縮小して御朱印帳に貼った。総代の方と地元ということもあり、しばし話をさせていただいた。何でも今年は春頃から月に2、3人は御朱印を授与しているという。ネットにもほとんど情報がないのにどこで知ったのか。駅からも遠い交通の不便な場所であるが、なんでも小松市内から歩いてきた方もいたとか、神社参拝が目的だったのか御朱印授与が目的だったのか分からないが全く驚きである。
古府町にはもう一社白山神社がある。そちらに参拝する方はまれのようだが、私は先にそちらも参拝してきた。境内に石造の古い神明社があった。お隣の福井県ではよく見かけるが県内ではとても珍しい。
石部神社
石川県小松市古府町カ169
福井市東河原町(旧大野郡下味見村)に鎮座する八幡神社。御祭神は誉田別尊、神功皇后と武内宿禰と伊弉册尊を合祀する。延喜式内社の大野郡椛神社の論社のひとつ。
社殿は北向き。川沿いの低地にある集落から山に向かって参道が延びる。
途中振り向くと谷間に集落と田畑が広がる。
階段を上って最初の平地に梵字の彫られた石造九重塔が立つ。
さらに長い階段を上る。
深い森の中に社殿がある。建物の間にある2本のご神木が目立つ。
後ろにまわると拝殿と本殿がある。とすると前の建物は何なのか、戸が開かなかったので中に何があるのか分からない。
拝殿に参る。扁額には「式内椛神社」とある。
拝殿左手から一段高いところに一棟の建物がある。境内には宝蔵と神輿殿があるというから不明の2棟がいずれかなのだろうか。
上から見ると境内一面が苔生してなかなか良い雰囲気の神社です。
八幡神社
福井県福井市東河原町40-11
福井市中手町(旧大野郡上味見村)に鎮座する樺八幡神社。御祭神は誉田別尊。延喜式内社の大野郡椛神社の論社のひとつ。
永禄18年奉納の狛犬には「大野郡味美郷惣社」とある。
味見川が東西に流れ、南北に山がせり出す谷間に一面の田畑が広がる地の左岸に鎮座する。
深い森の中に鳥居が見えてきた。
石造の第一鳥居の後ろに、木製の鳥居がある。
さらに拝殿前に石造の鳥居がある。
拝殿と本殿の間には杉や銀杏の大木が林立する。
本殿に参る。
本殿右には茅葺きの神明神社が建つ。本殿も元は茅葺きであった。
境内に残る古拝殿。古拝殿も元は茅葺きであった。平安時代の息長垂姫尊坐像や大鷦鷯尊坐像の二体の神像、平安時代の大日如来坐像と多聞天王立像、広目天王立像の三体の仏像を所有し中世の神仏習合の風習を今に伝える。
古拝殿の中に缶があって、開くと御朱印がありました。自分で押す方式ですね。
御朱印料を納め、境内を後にしようと駐車場のほうに出ると、入口に社名標があった。鳥居のところではなく、駐車場のほうにあるのか。
樺八幡神社
福井県福井市中手町20-27
立山町の雄山神社中宮祈願殿。岩峅寺集落の前立社壇とともに立山登拝の中継地点となった芦峅寺集落である。
御朱印は祈願殿の中でいただける。
祈願殿に掛かる扁額はいまでも「立山大権現」
御朱印をいただく間拝殿の中の絵馬を見る。かなり剥落しているが、神話の素戔嗚尊の八俣大蛇退治の一場面のようだ。
昨年オープンしたという山岳集古未来館に初めて入った。
江戸時代に加賀藩主から寄進されたという神輿や立山の登山史料・写真などが展示されている。
今日は暑いくらいの秋晴れだった。神社前の道路からはちょうど立山を拝めた。
昨日今年の初降雪があったらしい。
少し下流の芳見橋からは常願寺川の向こうに立山が見えた。左に白く薬師岳も少し覗いている。
雄山神社中宮祈願殿
富山県中新川郡立山町芦峅寺2
立山町の雄山神社前立社壇。中宮、立山山頂奥宮とともに越中一宮雄山神社の一社。
朝早いと人が少ないので、境内の静寂に浸れます。
まずは本殿に詣ってから御朱印をいただきます。
拝殿は何かと用意が・・・
御朱印を待っているときに社務所前で発見。手を清める用意かな
としばらく待っていると結婚式が始まりました。
行列は巫女を先頭に門をくぐり、拝殿へと向かっていきました。
朝から幸せをいただきました。
雄山神社前立社壇
富山県中新川郡立山町岩峅寺1
若狭町に鎮座する石按比古比賣神社。御祭神は石按比古大神、石按比賣大神の二柱。
延喜式内社の論社のひとつ。もう1社の論社とは1キロ程しか離れていない。
境内は平野に広がる西向きに山の麓に鎮座する。
もう1社の論社とは、同じ平野で西向きと東向きに鎮座している。
参道を進むと第二鳥居
拝殿と一段高いところに本殿が建っている。
拝殿は神様に舞を納めるにはよく見える。
本殿に詣る。
本殿の右に境内社が二社。小祠は金刀比羅神社。大きな社は神武天皇社とある。
本殿の左に天満宮。
石按比古比賣神社
福井県三方上中郡若狭町小原字宮ノ腰23-42
若狭町に鎮座する石按比古比賣神社。延喜式内社の論社のひとつ。
御祭神は石按比古大神、石按比賣大神の夫婦神。
東の平野を正面に山の麓に境内が広がる。
朱色の鳥居をくぐって広い境内に入る。
中央に大きな社殿、左右に小祠がある。
中央の社殿には3つの本殿が入っており、中央に石按神社、左に稲荷神社、右に天満宮が鎮座する。
本殿に詣る。
左の小祠。
右の小祠。
境内の左端に愛宕神社があるが、社殿がない。遙拝所であろうか。
石按比古比賣神社
福井県三方上中郡若狭町大鳥羽字宮の上4-22
福井県大野市に鎮座する坂門一事神社の元社跡。
大まかな場所しか分からなかったので、農作業していた地元の方に場所を聞いて向かった。
昔は神社への参道であったと思われる道。
ゆるやかな坂を登り切ると、踏切の向こうに石積みが見えてきた。
石段の背後には神社があったことを示すご神木らしい2本の杉が残っている。
石脇に神社跡を示す案内柱。
階段の脇には狛犬代わりの石が2つ残っている。
坂門一事神社 元社跡
福井県大野市牛ケ原150号字森ヶ谷
福井県大野市に鎮座する坂門一言神社。延喜式内社の坂門一事神社の比定社。
御祭神は阪田大跨命。二六代継体天皇の妃、廣媛の父という。
境内には鳥居と拝殿と本殿が一体となった社殿が一棟。
社殿は鍵が閉まっていて本殿は見えない。
ここから詣る。
案内板がある。
社地は牛ヶ原村54番地字小林、牛ヶ原村150号字森ヶ谷から当地に遷座したという。
坂戸の地は足羽郡(福井方面)と大野盆地を結ぶ重要な峠越えの地である。
東には豊かな大野盆地が広がっている。
坂門一言神社
福井県大野市牛ヶ原75字新村下56
福井県大野市に鎮座する清瀧神社。主祭神は大国主命。
神明神社の天照皇大神、國生大野神社の大國玉命、蛭子神社の事代主命、一言神社の一言主命を合祀する。
延喜式内社の國生大野神社の論社のひとつである。
大野城の城下町から歩くこと、第一鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐり赤根川に架かる橋を渡るとき、北に大野城が山上に建つ亀山が見える。
元は亀山の麓に鎮座していたが、金森長近が城を築くに際し現在の蛭子山に遷座したという。
境内入口の第二鳥居が見えてきた。当地は蛭子山ということもあり、合祀した蛭子神社の建つ地だったのかもしれない。
拝殿に詣る。
拝殿正面に享保17年の奉納額が掛かる。
拝殿裏にまわると、長い石段の先に本殿が見える。
拝殿右には境内社が並ぶ。手前より厳島神社、稲荷神社、菅原神社、松尾神社、八幡神社。
社務所となる自宅は境内を出たところにあり、御朱印について尋ねたが授与していませんでした。
清瀧神社
福井県大野市清瀧124−16
金沢神社の天神月次祭に行ってきました。9月の祭礼日は日曜日に重なったためか宮司は留守のようで、女性が書いていました。ということで、いつもとは違う墨書きとなっています。「天神月次祭」の文字も今日は例祭日で「秋季祭」となっています。
本殿前に旗が立っていました。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
尾山神社で9月の御朱印をいただいてきました。9月の印は菊模様で花の中央に梅鉢紋がある。
今日は判を男性神職が押していましたが、いつもより薄い。
本殿を囲む塀にも梅鉢紋がある。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
大町の若一王子神社。2回目の参拝です。
御祭神は伊弉冉尊、仁品王、妹耶姫、若一王子の4柱。
西名三十三番札所巡りの一番霊場ともなっている観音堂。本尊は十一面観音
現在でも神社と寺の建物が残り、神仏習合の名残を感じられる。
境内社も多い。鳥居をくぐり大町護国神社。
子安神社
神輿が御神体の八坂神社
手前が鹿島神社、奥が松尾神社
杜には奉納された小さな社が多数残ります。
本殿の屋根、鬼の彫り物が印象的です。
若一王子神社
長野県大町市大町2096
長野県大町市に鎮座する仁科神明宮。御祭神は天照皇大神。
国宝本殿のある古社。
参道の一の鳥居。鳥居横の社は何か?祓宮か
境内に入ると右に大きな三本杉が立つ。中央の杉は昭和54年突風で倒木したという。
90度曲がって二の鳥居をくぐり本殿に向かう。
鳥居の右側を進むと境内社の都波岐社(猿田彦命)と難胡社(金山彦命)がある。
また鳥居をくぐり両側に宝物殿があり、右手に境内社、北野社(能見宿禰命、菅原道真公)、三嶋社(大山祇命)、春日社(天児屋根命)、鹿島社(武甕槌命)、白山社(菊理媛命)、熊野社(伊弉冉命)が並んで鎮座している。
階段を上り神門が見えてくる。参拝は神門前で行う。
神門の後ろに拝殿、中門と本殿が釣屋でつながっている。本殿左の社は20年に1度の式年正遷宮の祭に神様が遷る仮宮。
神門左の3社は、八幡社(譽田別命)、伊豆社(彦火々出見命)、稲荷社(宇賀魂命)で、角にご神水の井戸がある。
さらに左に並ぶのは、上加茂社(別雷社)、下加茂社(玉依姫命、加茂建角身命)、上諏訪社(建南方冨命)、下諏訪社(事代主神)、九頭龍社(地主命)、子安社(此花咲耶姫命)。
右には神楽殿と簀社(穂高見命)、武山社(地主命)
拝殿の右には初代御神木の大杉が今は根元のみ残っている。
境内社も多く、仁科六十六郷の総社として風格の残る神社です。
仁科神明宮
長野県大町市大字社宮本1159
池田町に鎮座する鵜甘神社。延喜式の今立郡鵜甘神社の論社のひとつ。
御祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰を主祭神とする。
第一鳥居と第二鳥居の間に町道が走る。第一鳥居の前後に赤い鉄枠があって不思議に思っていたが、鳥居をくぐる高さ制限のためらしい。よく見ると第一鳥居の一部が新しくなっている。前に誰かぶつかったらしい。
第二鳥居の前に社号標が立つ。
二月十三日の田遊びは明治に合祀した賀宝五所社の御田植神事をそのまま引き継いだもので、国重要無形民俗文化財に指定されている。
拝殿に詣る。拝殿の前にはテントが干されていた。最近何かの行事が行われたようだ。
拝殿内には田遊びの写真が飾られていた。翁の面を付けて演じるらしい。
拝殿の後ろに一段上がって本殿が建つ。
本殿の敷地の隅には倒れた灯篭が変わった積み方で残っていた。
鵜甘神社
福井県今立郡池田町水海52-24
池田町に鎮座する須波阿湏疑神社。延喜式の今立郡須波阿湏疑神社三柱の論社のひとつで旧県社。御祭神は倉稲魂命、建御名方命、大野手比売命の三柱、大田命と大国主命を併祀する。
御朱印は拝殿左手の社務所でいただいた。
朱色の鳥居の先に参道が延びる。
社前には道路を挟んで道祖神を祀る一里塚神社と一里塚にご神木の欅と榎が植えられている。
鳥居をくぐると参道沿いに杉の並木が続く。
鳥居の右に田中社の旧跡が残る。御祭神の大国主命は本殿に併祀され、旧跡は祭礼の神輿渡御の御旅所となっている。
参道をしばらく進むと大きな神門が迎えてくれる。
神門を通ると階段、その先に大きな拝殿が建つ。能舞台のある珍しい型式で、古い能面も伝わる。
拝殿には絵馬が何枚も奉納されていた。神社の境内を描いた一枚もあった。
拝殿の裏に本殿。本殿に詣る。本殿は開き戸が3面ある。
本殿は正殿に倉稲魂命、右殿に建御名方命、左殿に大野手比売命を祀る。神社名の「すわあづき」は、御祭神の諏訪大神の建御名方命と、あづきの神である小豆島の姫神、大野手比売命を祀るところに由来する。
右手に進む。境内社の御魂社。池田町の英霊を祀る。後ろに神具庫がある。
御魂社の左手に大杉への登り口がある。「荒魂大杉大明神参道」の碑がある。
早足で3分ほど。稲荷の大杉が見えてきた。天を衝くような巨木。倉稲魂命の依代と伝えられ、伊弉諾命、伊弉冉命を祀る。
御魂社の右手に鳥居と登りの参道を進む。階段の上に八幡神社が鎮座する。こちらは境内社ではなく別の氏神のようだ。
階段下からは池田町が一望できる。
八幡神社の拝殿には六番の御詠歌らしき額が掛けられていた。宮司に聞いたがわからなかった。
八幡大菩薩の本地仏は阿弥陀如来または釈迦如来とされることが多いが、何かの霊場になっていたものと思われる。
御魂社の下におとの池がある。
引き返して本殿の前を社務所に向かう。境内社の市杵島姫神社。
境内社の祖霊社。平知度を祖とする宮司家の祖神を祀る。
境内社の秋葉神社。
須波阿湏疑神社
福井県今立郡池田町稲荷13-1
越前市に鎮座する鵜甘神社。御祭神は贄持命。延喜式の今立郡鵜甘神社の論社のひとつ。
境内は西向き。社号標や扁額にも式内鵜甘神社と書かれていた。
鳥居をくぐって拝殿に向かう。
社殿は左に長い変わった形だ。覆屋を兼ねた拝殿に本殿が鎮座し、左に突き出た建物は社務所となるのか。
木像の四天王像が3体残るという。
あらためて拝殿を覗いてみる。薄暗かったが、本殿の左のケースに3体の像が見えた。60センチほどで意外に小さい。
鵜甘神社
福井県越前市入谷町33-7
越前市に鎮座する小山田神社。御祭神は経津主命、武甕槌命、事代主命。延喜式の今立郡小山田神社の論社のひとつ。
集落の奥、山麓に鎮座する。雨の日は少し薄暗い。
参道を進む。
拝殿に詣る。本殿は拝殿と続く。
拝殿右に長い階段。上に境内社の不動宮が鎮座。名称にかなり無理があるが、神仏習合でお不動さまが祀られていたのだろう。
不動宮の社は石製の瓦で、もとは石祠だったか。
小山田神社
福井県越前市南小山町2-46
越前市に鎮座する日野神社。御祭神は継体天皇、安閑天皇、宣化天皇の三柱。延喜式の丹生郡兄子神社の論社のひとつ。
日野山の山麓に集落が広がり、そこに向かってまっすぐ参道が延びる。
今日は雨霧がかかり、日野山が見えなかった。
西向きの境内。
由緒書き
絵馬殿には本当にたくさんの絵馬が架かる。
日野山を書いた絵馬もあった。さすがに越前富士とも言われる霊山といえる。
拝殿に詣る。
境内の左から日野山への登山道が延びる。
日野山頂への途上には石の唐戸や長命水、山頂には奥宮(奥の院)もある。
今日は宮司がおらず御朱印はいただけなかった。常駐はしていないようだが、次は日野山への登拝も含め再訪することにしよう。
日野神社
福井県越前市中平吹町字茶端80-1