新潟市に鎮座する大通神社。御祭神は猿田彦大神、天照皇大神、豊受大神。御朱印にはよく質問のある御祭神を印で押している。
住宅地の中にあり、社殿は東向きで横に社務所が建っている。
拝殿に参る。
社殿は拝殿に本殿が重なるように建つ。
社務所前で授与品を見ていたところ、宮司がちょうど帰ってきて御朱印をいただいた。
大通神社
新潟県新潟市南区大通南1-49
新潟市に鎮座する大通神社。御祭神は猿田彦大神、天照皇大神、豊受大神。御朱印にはよく質問のある御祭神を印で押している。
住宅地の中にあり、社殿は東向きで横に社務所が建っている。
拝殿に参る。
社殿は拝殿に本殿が重なるように建つ。
社務所前で授与品を見ていたところ、宮司がちょうど帰ってきて御朱印をいただいた。
大通神社
新潟県新潟市南区大通南1-49
新潟市に鎮座する新潟大神宮。御祭神は天照皇大神、豊受大神。
社殿は南向き。ゆるやかな上り坂の参道
近くには白壁通りがあり、藩政期の風情が残る。
参道途中に木製の二の鳥居、三の鳥居
二の鳥居の脇に坂口安吾生誕碑が建つ。
拝殿に参る。
拝殿にかかる「敬神崇祖」の扁額。神宮大宮司の揮毫。
本殿左に境内社
会津藩士殉節之碑。戊辰の役で越後の地で亡くなった会津藩士の慰霊碑。
新潟大神宮
新潟県新潟市中央区西大畑町5195
新潟市に鎮座する金刀比羅神社。御祭神は大物主大神、船玉大神。
神社はこんぴら通りにある。もとは古町十一番町にあった大楽院という寺の中にあった鎮守で、明治二年に遷座した。
神社は通りに面して東向きに建つ。
参道右に収蔵庫
収蔵庫には幕末から明治期に船主らが奉納した模型和船が収蔵されている。かつては帆をたたんで拝殿に吊されていたという。見学には予約が必要。
収蔵庫の横に龍王殿という二階建ての建物
参道左に注連縄のかかる石。境内には陰陽石があるというがこれのことか?
拝殿に参る。
拝殿には「金殿」の扁額がかかり、絵馬も多い。拝殿の右を回り込むと自宅があり、そちらで御朱印をいただく。
金刀比羅神社
新潟県新潟市中央区西厩島町2337
新潟市に鎮座する三社神社。御祭神は大日孁貴命、誉田別命、武甕槌命の三柱。神明宮、八幡宮、鹿島社の三社の神様を祀ることからの名称だろうか。
神社は南向きに鎮座。延享四年(1747)、附寄嶋と呼ばれた信濃川の中洲にあった当地、後の流作場新田の鎮守として開拓者の安倍玄的が創建し、最初は「神明宮」と呼ばれたということで、三社のうち最初に大日孁貴命が祀られたようだ。
鳥居は一の鳥居の前に二の鳥居
左方に神輿庫
少し進むと右方に神輿殿
境内には蛙がたくさんいる。中洲だったこともあって洪水に何度も襲われ廃村を決めたところ、そんな惨状のなかでも青蛙が力強く生きている姿に村人が奮起して村を再建したと伝えられ、「玄的の青蛙」を村繁栄の象徴としたという。
蛙おみくじもあり、奉納所がありたくさんの蛙が奉納されている。
拝殿に参る。
境内社の石宮神社、ツツガムシ除けの神を祀る。
不明の境内社
1878年の明治天皇北陸御巡幸の流作場御小休所跡碑や
御着船聖跡碑がある。
昭和初期まで旧新潟ホテル付近にあったと伝わる嘉永7年(1854)の道標と古そうな燈籠
沼垂町長安倍九二造撰文による初代萬代橋の記念碑「創架萬代橋碑」
三社神社
新潟県新潟市中央区三和町1−1
新潟市に鎮座する白山神社。御祭神は菊理媛大神、天照皇大神。延喜式沼垂郡美久理神社の論社のひとつ。
社殿は東向き。
参道に鳥居が2つ。二の鳥居には「式内社」の扁額
入ってすぐ左に太子社。名称からして聖徳太子を祀るものか。
拝殿に参る。
拝殿入口にかかる「白山」の扁額
短い幣殿で本殿とつながる。拝殿左前に「神明社」の社号標
拝殿左手に菅原大神、古峰大神、大山祇大神、秋葉大神、粟島大神の扁額がかかる合祀社。立て看板には大宮賣大神、伊夜日子大神の名もある。もとは四社の境内社が建っていたが、一社に合祀し新築されたようだ。左に庚申碑。
太子社と境内社の間に新築の建物。
中に神輿が収納されていた。御輿蔵兼倉庫だろうか。
右手に立派な社務所が建つ。今日は宮司が不在だった。
白山神社
新潟県新潟市中央区沼垂東1-1-17
新潟市に鎮座する蒲原神社。御祭神は椎根津彦命を主祭神とし、迦具土之命(火の神)、水波廼女命(水の神)、久久廼知命 (木の神)、金山彦之命(金の神)、埴山姫命(土の神)の陰陽五行の神を祀る。延喜式蒲原郡青海神社の論社のひとつ。
東に朱色の大鳥居が建つ。
社号標と鳥居が建ち、まっすぐ参道が延びる。
参道左に社務所、反対側は駐車場。社務所の前には500年を越える欅の老木がある。
一週間後に春祭を控え、準備に忙しいとかで御朱印はいただけなかった。
拝殿の前には神楽殿。中央を渡り廊下が結ぶ。
拝殿に参る。拝殿前に合祀された菅原神社の牛の像。
拝殿には「青海社」の扁額。彫刻も凝っている。
幣殿と結ばれた本殿
境内の南西隅に旧社名の「五社神社」の社号標。五行の神に由来する。
神社の西に隣接して奈佳美彌神社。境内社かと思ったが、独立した神社で、かつては諏訪神社と称し、愛宕神社を合祀して現社号に改名した。
御祭神は健御名方命、火産霊命。
表参道は北向き
鳥居の前に狛犬もある。
蒲原神社
新潟県新潟市中央区長嶺町3−18
新潟市に鎮座する古町神明宮。御祭神は天照大神、豊受大神。安政5年(1858)の社殿再築時に合祀した船江神社の御祭神は猿田彦大神、大彦命。延喜式蒲原郡船江神社の論社のひとつ。
商店街のアーケードから参道が延びる。入口に「古町神明宮」と「船江大神宮」の社号標が立つ。
鳥居
右に手水と境内社が並ぶ。
手水の右に、松尾芭蕉の「泊船集 付録」におさめられた名句「海に降る 雨や恋しき うき身宿」を、安政4年(1857)に地元の俳句会柳々舎から献碑されたという。
拝殿に参る。
拝殿の扁額は「船江大神宮」
本殿の真後ろの御神木が大きい。
境内社は八幡宮(御祭神は応神天皇)と白鳥神社(御祭神は?)。白鳥神社はサッカーのアルビレックス新潟をはじめ、9つの「アルビレックス」の成功と躍進を祈願するお社として建立された、まだ新しい神社。
拝殿の右に例大祭のときの舞台が建つ。
社務所で御朱印をいただく。こちらで古町愛宕神社の御朱印もいただける。
古町神明宮(船江大神宮)
新潟市古町通1番町500番地
新潟市に鎮座する古町愛宕神社。御祭神は火之迦具土神、伊邪那美尊、天熊人。
御朱印は近くの古町神明宮の社務所でいただいた。
商店街のアーケードから奥に参道が延びる。
入口に鳥居
拝殿に参る。
拝殿の右前に稲荷神社、御祭神は保食神
拝殿の左に口之神社、御祭神は千葉県の口ノ宮神社の御祭神木内惣五郎と、「明和の騒動」の首謀者である義人 涌井藤四郎、岩船屋佐次兵衛らを祀る。明和の義人の御霊を鎮めるために、同じ義人である千葉の木内惣五郎の御分霊を迎えたのが創始という。
鳥居をくぐり、拝殿に参る。拝殿には木内惣五郎が木内宗吾とも呼ばれるので、「宗吾霊堂」の扁額が掛かる。
古町愛宕神社
新潟県新潟市中央区古町通2番町495
新潟市に鎮座する白山神社。御祭神は菊理媛大神、伊邪那岐命、伊邪那美命を主祭神とし、天照皇大神、八幡大神を配祀する。延喜式蒲原郡船江神社の論社。パンフレットでは「越後国 沼垂郡 船江神社」と記しているが、船江神社は蒲原郡なので誤りか。
周辺は白山公園として整備されている。一の鳥居は東向き。参道の先に石製の二の鳥居
梅園ではちらほらと花が咲き始めていた。
参道左にひょうたん池
しばらく進むと右に蓮池、藤棚もある。
参道は右に折れて南向きに変わる。
三の鳥居をくぐると左に歯固め石
左方に遊伸亭
右手の駐車場に境内社の住吉神社への参道
駐車場の隅に宝暦天明の頃の狛犬
社殿の中には神輿が祀られている。
住吉神社、御祭神は住吉大神と息長足姫
住吉神社の左には日清・日露両戦役の戦没者を慰霊する昭忠碑があり、神武天皇像が安置されている。
随神門
随神門の左の廻廊の端に単独の建物。何に使用するものか
拝殿に参る。
扁額は「拝殿」
右に社務所があり、祈祷と御朱印の受付はこちら。
平成29年は白山開山1300年を迎え、神社では記念のお札、おまもり、御朱印、御朱印帳、御神酒(お祓いを受けた人限定)を頒布している。
加賀の二俣和紙に書かれた特別記念御朱印。復刻した牛王法印が押されている。記念御朱印帳にあらかじめ書かれるもの以外は書き置きになる。平成29年限定で一万枚。
ホームページにはなかったが、記念御朱印はピンク色に染めた二俣和紙に書かれた春バージョンも頒布されていた。
拝殿の左、白山会館前に樹齢約200年の御神木の「むすびの銀杏」
白山会館の下をくぐるように境内社への参道が通る。
夫婦円満の道祖神と餅搗き道祖神、縁結びの御神徳があるとされる。
本殿の左に蛇松明神社。金運上昇を願う人が多く、蛇の大好物の卵を賽銭の代わりにお供えする箱が社の前にある。
御祭神は蛇松明神。御朱印では蛇松神社と書かれる。
蛇松明神社の背後はちょうど本殿の背後にもなるが、御神木の蛇松がある。蛇のようにウネウネと御垣の外へ延びている。
その蛇松の下をくぐりさらに奥へ
本殿の右に松尾神社と黄龍神社が並んで鎮座する。
松尾神社、御祭神は大山咋神、中津島姫神
黄龍神社、御祭神は黄龍八一分身金鶏供養宝船大権現。八方除けの神様
本殿はや御垣は彩色されている。
拝殿前、左の廻廊に繁昌大黒、御祭神は大国主大神。
その廻廊の前に御稲御倉、御祭神は御稲御倉神、稲荷大神。社殿は第59回式年遷宮で内宮に建てられた御稲御倉であり、昭和39年の新潟地震で大きな被害を受け、第60回式年遷宮で当社に徹下された。神宮の唯一神明造そのままを見ることができる。
御稲御倉の前には御神石くくり石が祀られ、白山奥宮遙拝所となっている。開山1300年を記念し、白山から切り出した石を奉斎した。
蓮池の前に忠犬タマ公像。飼主の刈田さんらを二度の雪崩から救った話が当時の新聞やラジオを賑わせ、後世に伝えるため、像を建てる運動が起きたという。犬は子沢山なので、子宝・安産を願い戌の日に腹の部分をなでる人もいるという。
白山神社
新潟県新潟市中央区一番堀通町1-1
新潟市に鎮座する神明社。御祭神は天照皇大神。延喜式蒲原郡船江神社の論社のひとつ。
境内は明治時代頃まで約7800坪の敷地で、本殿・幣殿・拝殿・神楽殿などの建物があったという。1092年の大地震による津波と地盤沈下で周辺住民が御神体とともに新潟町の方へ集団移住したといい、以降は神明社となったという。
社殿は南向き。少し小高くなっている丘の上に鎮座する。
鳥居と手水舎。燈籠は火袋部分がなくなっていて、少し不格好な感じ
参道を進むとまた火袋のない燈籠があり、上り階段がある。階段は崩れている部分があり、通行止めになっているが、ここ以外に道はないので気をつけて上る。
コンクリート製の社殿
中に神輿と本殿が収められている。本殿に参る。
本殿の右に境内社かと思ったら戸もなく物置のようになり崩れかかっている建物。どうやらコンクリート製の社殿を建てる前の本殿であったらしい。
本殿の左に神明荘とゲートボール場。神社に入ってくる角に案内板があったが、社殿裏の車道から入ってくることができたようだ。
社前を南へ100メートルほど行くと御手洗潟があり、その昔船江神社を参拝する前に手を洗い清めたことから名前が付けられたという。現在は用水か川が流れ込んでいるのか、少し臭いがするので手を清めることはできそうにない。
御手洗潟から神社を眺める。一帯は砂丘が広がり、畑になっている。
さらに南へ少し行くとより大きな佐潟が広がっている。
神明社
新潟県新潟市西区赤塚7034
金沢市に鎮座する尾山神社。3月の印は蝶、羽紋に剣梅鉢紋が描かれている。
御祭神の前田利家公の若き頃の像
境内の梅は前回参拝時より開花が進んでいなかった。社務所前の紅梅はようやく数輪開いたところ
境内の隅には神門創建当時に建てられた鳥居の脚が残っている。金沢茶商組合の奉納者名が書かれている。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
白山市に鎮座する白山比咩神社。御祭神は菊理媛尊。
白山開山1300年を迎えるにあたり今年初参拝。
緩い上る坂の表参道を行く。
参道沿いには幾重にも枝を伸ばす大杉の御神木。
三の鳥居をくぐると大欅の御神木。
拝殿に参る。
奥宮遙拝所で今年夏の白山登拝の無事を祈る。
今日は参集殿の裏手の住吉社に初めて参拝する。
禊場と禊社
今日は小春日和だったので旧鎮座地をめぐる。
手取川の安久濤ケ淵。急流の手取川がよどみ、流れが一端緩くなる場所で、扇状地の扇頂(扇の要の部分)にあたる。
右岸の高台の安久濤の森(古宮公園)には名勝指定の案内板が立ち、
旧社地の社号標が椿の木に埋もれて立っている。
大火で三宮へ遷座する一宮の元鎮座地からはかわらけが大量に発掘された。
草創の地は背後の舟岡山。その後安久濤ケ淵から1kmほど下流の十八講河原へ、洪水で社地がたびたび崩壊するので高台の安久濤の森へ遷座する。
白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1
金沢市に鎮座する尾山神社。2月の御朱印の印は、梅の季節ということで前田家の家紋剣梅鉢紋そのものです。今月から右上の印が変わった。
朝肌寒かったけど、日中はぐんぐんと気温が上がって暑いくらいでした。
2月とは思えない全く雪のない境内
とはいえ、境内の紅梅は今日の晴天にも誘われて次々と開花している。
白梅は風に揺られて花びらが開いてしまったものもある。
庭園のせせらぎでは黄色の花が咲いていた。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
高岡市に鎮座する射水神社。御祭神は二上神とも称される瓊瓊杵尊。
高岡城跡本丸に鎮座し、内堀の向こうに白銀の薬師岳が見える。
冬に参拝するのは初めてだ。
雪吊りしている木が夏とは違う雰囲気を醸し出している。
拝殿に参る。
酉年の大絵馬。
射水神社
富山県高岡市古城1−1
富山市の呉羽山に鎮座する豊栄稲荷神社。御祭神は宇迦乃魂神、佐太彦神、大宮乃売神。
社殿は北向き。神社は富山藩第二代前田正甫公が創建した。
拝殿の覆い屋の中に本殿を置く。
中央が稲荷大神。右に摂社薬祖社、御祭神は少彦名神、前田正甫公、前田利保公、万代常閑翁、日比野小兵衛、松井屋源右エ門、八重崎屋源六、医薬・売薬の発展に貢献した御霊。左に摂社成就天満宮、御祭神は菅原道真公、前田家の祖先神。
拝殿左に末社祖神社、御祭神は天照大御神と八百万の神々。
拝殿右に末社呉羽社、御祭神は秦伊呂具公、呉羽女、綾服女。
社務所はあるが常駐はしていない。富山市に来た時などに寄ることにして、今日で6、7回目の参拝になろうか。今日は縁あってたまたま祈祷の方がいて宮司がいらした。御朱印をお願いすると快く書いていただいた。
豊栄稲荷神社
富山県富山市茶屋町7511
南砺市に鎮座する高瀬神社。御祭神は大国主命。
大鳥居を通って神社に向かう。
社前の田はまだ一面の雪に覆われていた。
境内にも一部雪が残る。雪吊りがアクセントになって境内を彩っている。
拝殿に参る。
酉年の大絵馬を見て飛躍を誓う。
高瀬神社
富山県南砺市高瀬291
金沢市に鎮座する金沢神社。初天神となる1月の天神月次祭に行ってきました。
今年の金沢は積雪が少ないのですが、昨日からは少し積もりました。
池も半分以上氷が張っている。
歩くのに支障なければ雪景色も味わい深い。
この1年で金沢は平日でも観光客が増えた。外国の方も増え、兼六園に近い金沢神社でも見かけるようになりました。
今月で天神月次祭に通って1年が経った。一月抜けているがそこは良とする。
金沢神社では今年から佐々木泉景が描いたと言われる天井絵から十二支の絵馬を順次つくることになった。通常の絵馬より一回り大きく、地元新聞にも記事が出たことから初回分がなくなり、今日ようやく再入荷したということで運が良かった。来年から11年毎年1月に参拝することにする。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
越前町に鎮座する剱神社。御祭神は武甕槌命。延喜式丹生郡の枚井手神社の論社のひとつ。
社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿の扁額は「剱大神」
本殿の大棟が瓦ではなく石製となっている。
拝殿右に境内社が並ぶ。手前より稲荷神社(保食命)、太子廟(聖徳太子)、剱神社(素戔男命)、天満宮(菅原道真公)、秋葉神社(火産霊命)
剱神社
福井県丹生郡越前町平等54-1
越前市に鎮座する雨夜神社の旧鎮座地。御祭神は水波乃売命。延喜式丹生郡の論社のひとつ。
岡本山の頂上に鎮座する。
南麓の岡太神社の境内から岡本山への登り口がある。
上っていくと社がひとつと
後ろに西国三十三観音堂が立っている。
ここからは越前富士として知られる日野山がよく見える。
西国三十三観音堂の後ろに北の方へ尾根道が続いている。
途中までは全く雪もなかったが、頂上が近づいてくるに従いうっすらと雪が残っていた。
頂上には石祠が立っている。岡本山はここが行き止まりなのだが、元々はここは中央で北半分が開発で削られてしまったという。
石祠の裏には「雨夜神社 岡本山上宮 祭神水波乃売命 昭和五十一年六月建之」と書かれている。山頂から南麓の岡太神社に遷座したとされるが、祭神は異なっている。
雨夜神社
福井県越前市岡本町21-18
越前市に鎮座する岡太神社。御祭神は大山咋命、天照皇大神。延喜式丹生郡の雨夜神社の論社のひとつ。
社殿は岡本山の南麓に鎮座する。
境内の入口に二の鳥居が立つ。
鳥居の扁額は「白山神社」、旧社名だろうか。
拝殿に参る。
本殿は拝殿と長い弊殿でつながる。
岡太神社
福井県越前市岡本町21-18
越前市に鎮座する帆山神社。本来の「帆」の文字は「火」偏に「几」であるが当用漢字がない。御祭神は別雷神を主祭神とし、天照皇大神と豊受神を合祀する。延喜式今立郡の比定社。
帆山公園に駐車し歩くことにする。帆山公園の西南隅に石碑と櫻の木が一本ある。
継体天皇お手植えの櫻で、児安神を祀った帆山神社の摂社であるという。
帆山公園の東に少し歩くと社名標はないが旗竿が立っているので。ここから山の方へやや北東方向へ歩いて行く。
やがて住宅地を抜け帆山の麓に鳥居が見えてくる。社殿は西向き。
赤い木製の四脚鳥居と奥に石製鳥居が立つ。
幸い雪が少ない。階段を上って行って振り返ると西に雪を被った端正な山が見える。鬼ヶ岳であろうか。
拝殿に参る。
拝殿右に境内社。鯉の滝登りの彫刻が施された凝った社殿。
帆山神社
福井県越前市帆山町33-6
旧押水町に鎮座する八幡神社。御祭神は誉田別尊を主祭神とし、伊邪那岐命、道反大神、軻遇突智命、表筒男命、大山咋神、天児屋根命を配祀する。
延暦年間に、宇佐八幡宮の神勅によって蝦夷征伐に出た坂上田村麻呂が、その帰途川尻湊に上陸し宝達山に登って当地に滞留、正八幡宮を奉祀して鉾一振と矢一羽を奉納したのが創祀であり、地名の上田村の起源と伝わる。明治40年、上田の秋葉神社(軻遇突智命)と春日神社(天児屋根命)、上田出の塞之神社(道反大神)、門前の日吉神社(大山咋命)、中野の白山神社(伊邪那岐命)、三日町の住吉神社(表筒男命)を合祀する。
社殿は南向き。社殿は深い森に囲まれている。
境内には高木も多い。
拝殿に参る。
注連縄は見たことのない形式。鏡餅にも添えられるウラジロとユズリハが紙垂とともに吊られている。境内のすべての注連縄がそうなっている。後で宮司にお話しを聞いたところ、昔からの風習で県内で他に例はなく、高野山の塔頭で見たとのこと。正月飾りも同様で、真言宗系の修験道の影響が残っているのかも。
というのも、拝殿の左にはどう見ても寺の建物にしか見えないものがあり、宮司によるとこの辺りには宝達山の真言宗系の修験道が盛んだった地で、いくつも寺院があったという。この建物は唯一残る真言宗修験の寺の本堂だという。寺の名前はちょっと忘れた。
この本堂と隣の参集所の裏(西)にはかつては庭園であったと思われる石塔や庭石が残っている。
拝殿の右、「古宮社おまいりください」と書いてあったので古宮社に参る。
中をのぞくと地蔵菩薩や不動明王などの石仏が飾られている。神仏分離前の御本尊であったのか、周辺の道端などの祠にいたものなのか分からないとのこと。神と仏が同居する不思議な境内です。
境内東に社務所兼自宅があり、参集所に移動して御朱印をいただき、その後少し話をさせていただきました。神社の東に少し移動すると、東に宝達山が見える。
八幡神社
羽咋郡宝達志水町上田チ189甲
大聖寺に鎮座する愛宕神社。御祭神は火之迦具都智神。大聖寺町及び江沼一郡の鎮火守護の神。
高台の境内
社殿には大聖寺川が流れる。
階段を上って境内に入る。
拝殿に参る。
拝殿に天狗の面が架かっていた。
社殿左横の社務所で御朱印をいただく。今回2回目の参拝で、前回は留守であったが、今日は正月三が日ということで社務所は開いていた。
愛宕神社
石川県加賀市大聖寺岡町イ3
旧清水町に鎮座する賀茂神社。御祭神は賀茂別雷命、賀茂玉依姫命、大国主命、伊賀古夜比売命、賀茂建角身命、神武天皇、弓矢大神(武甕槌神・経津主神)、鵜草葺不合命、八幡大神(應神天皇・神功皇后)と多い。現在は加茂町と称しているが、合併前は清水町加茂内という住所で賀茂神社を中心とした元神領だったのではないだろうか。
清水西小学校への坂道を上がり右に曲がる。
元禄期に建立された大鳥居。
「賀茂上下大明神」の扁額が架かる。
社殿は南向き。拝殿の前に平成20年に勧請された下賀茂神社の干支守護社となる。
拝殿の後ろに本殿、その右に境内社の祇園社が祀られる。
拝殿の扁額は「式内雷神社」。延喜式の丹生郡雷神社の論社のひとつ。
御朱印は拝殿に併設する授与所でいただいた。初詣でお守りを買い求める人の中で御朱印をいただく人など他にはいなかったが、巫女は忙しそうではあったが宮司は時間を持て余しているように見えました。ネットでは墨書きで「賀茂神社」と書いてあるものが多いが、「賀茂上下大明神」の印に変わっていた。
賀茂神社
福井県福井市加茂町
旧武生市に鎮座する大虫神社。主祭神は天津日高日子穂穂出見尊、延喜式の丹生郡大虫神社の比定社。
天正11年に同じく丹生郡小虫神社、丹生郡雨夜神社、丹生郡雷神社と若宮神社を合祀する。小虫神社も比定社。雨夜神社と雷神社は論社のひとつ。合祀社の御祭神、豊豐玉姫命、水波之売命、鵜鵜草葺不合尊を配祀する。
一の鳥居。北に向かってまっすぐの参道
二の鳥居をくぐって大虫川を渡る。
大虫川には大正建造のレンガ造のアーチ橋が架かる。
境内に入る前に三の鳥居をくぐる。
拝殿に参る。拝殿の後ろに本殿。本殿の左右に摂社が一社ずつ。いずれかは塩筒神社。
本殿の左方に泉水。
本殿左に末社大岩神社と後ろにお岩神といわれる磐座がある。
本殿の後ろに収蔵殿。御祭神天津日高日子穂穂出見尊と摂社の塩椎の御神像を収蔵している。平成9年の二千年大祭に合わせて本殿から遷座されたという。
拝殿左に祖霊社。宮司の岡野家の祖神が祀られている。
神社の東には長屋門も残る宮司家が建つ。今日は留守のようで御朱印はいただけなかった。
大虫神社の近郊には奈良時代に大寺院があった。
そこの塔跡が発掘で見つかり復元されている。
塔の中心の心礎の石も見つかっている。
[2019/11/16追記]
何度訪れても隣の宮司宅は不在で、祭礼に来ないと御朱印はいただけないかと思っていたら、当社は総社大神宮の兼務社になっていて、そちらの社務所でいただけることがわかったので行って来ました。
大虫神社
福井県越前市大虫町21−27-1
旧武生市に鎮座する五皇神社。御祭神は応神天皇、稚野毛二派皇子、太郎子、汗斯王、継体天皇の父彦主人大公の祖宗五柱の神霊を祀る。
継体天皇が即位以前に味真野に暮らしていた頃に、学問所、文庫を置いたところと伝わり文室という地名になった。文室は今は越前万歳の里として知られる。
その頃は五皇宮と号し、堂ノ谷にあったという。堂ノ谷ってどこだろう?
神社は集落の最奥に鎮座し、一の鳥居をくぐり、二の鳥居から先は長い階段を上る。
階段の途中、右に滝が落ちている。落差2mほどで滝行も行えそう。
大きな楼門をくぐり、さらに階段を上って拝殿に至る。
拝殿に参る。
拝殿右手に神輿殿。
本殿の右のさらに上方に境内社が一社。
下に石碑が建っている。上の境内社が大洗磯前神社、神明神社、木留神社の合祀社なのだろうか。
帰りに楼門の段にある社務所に立ち寄る。返事がないので留守のようだった。
五皇神社
福井県越前市文室町35−2
旧今立町粟田部に鎮座する岡太神社。御祭神は建角身命、國狭槌尊、大己貴命で、継体天皇を配祀する。
南向きに参道が延びる。
朱色の大鳥居をくぐって境内へ。
迎春と迎えてくれる。
両側の竹飾りはこの地方独特のものか。
拝殿に参る。
階段を上り、本殿に参る。前回の参拝は昨年2月の蓬莱祀(おらいし)のときだったので、やはり冬囲いされていた。次は違う季節に参拝したい。
本殿右に須波阿須疑神社
本殿左に貴船神社
本殿の左方に石祠が2基建っている。
本殿の右方に石碑。当地は謡曲花筐(はながたみ)ゆかりの地である。
境内社をめぐる。拝殿の右上方に神明社と石祠の稲荷神社。ともに別当寺だった粟生寺の守護神であった。
花筺会館の東にある天神社。御祭神は少彦名命、後世に菅原道真公が合祀される。佐山天神地区の氏神。境内の白樫は樹齢300年近い。
佐山姫公園の北側の秋葉神社。
秋葉神社の上方に不明の石祠。
秋葉神社の西へ進むと出雲社。
出雲社の右から琴弾山に鎮座する金刀比羅神社への入口がある。鳥居の赤い注連縄が変わっている。
10分ほど登ると金刀比羅神社に着く。拝殿右に大きな岩肌がむき出しの磐座がある。
今日は小雨で下が霞んでいたが、晴れていれば町が一望できる絶景スポットだろう。
花筺公園に隣接して佐山姫公園がある。この辺りが継体天皇が妻の佐山姫と暮らした館跡と伝えられる。
継体天皇の皇子、安閑天皇と宣化天皇の産湯の池と伝わる皇子ヶ池。六角形の玉垣は天保元年に継体天皇1300年祭を記念して地元で造営されたものらしい。
玉垣内には中央に石が据えられている。もとは宮内庁管理であった聖地で、現在は国有地となっている。
御朱印は社務所が開いていなかったので、拝殿左方の境内にある自宅でいただいた。宮司が拝殿に上がっていたので、代筆しましたと恐縮されたが、逆に心遣いさせてしまったようで申し訳なかった。
岡太神社
福井県越前市粟田部町大山19
金沢市の尾山神社。県内でも有数の初詣者が訪れる神社です。
今日2日の天候に恵まれたので、初詣に大勢の方が来ていました。
到着したときは境内の中程までの行列。御祭神の前田利家公とまつ様に今年の安寧を祈り、御朱印を探して境内の授与所をウロウロと・・・
平生は拝殿左の社務所附属の授与所でやっているのを今日は行列が長かったので、境内の中の新設された授与所の方で御朱印を探してみました。お守りとか御札とかと一緒に前に並んではいなかったけど、後ろの方をみると御朱印と書かれた箱が見えて、ようやく入手できました。書き置きの御朱印は初めていただきました。ひとまわり小さな御朱印です。
帰り際、参拝の行列は神門を過ぎて階段まで続いていました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市に鎮座する金沢神社。終い天神となる今年最後の天神月次祭に参拝してきました。
冬支度で階段が板敷きになっていました。今日は絵馬やおみくじも来年に備えて今まで掛けられたものを外していました。
日曜日とあって受験を迎えた受験生がひっきりなしに参拝に来ていました。
合間を縫って御朱印をお願いしました。週末は宮司が忙しいためか他の方が墨書きするので字がいつもと全く異なります。
朝着くと、白鷺が池の底をかき回して餌を啄んでいました。
池には松や雪吊りが映り込んでとても美しかった。
来年は鳳凰のように飛躍したいものです。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
今月は少し早めに尾山神社に参拝してきました。12月の印は扇に梅鉢紋。
今日は晴れていたが、肌寒かったこともあり参拝者は少なく、巫女さんに御朱印をゆっくり書いていただけた。
今回の御朱印は墨書きも印も丁寧でとても良い。
隣接する金沢城玉泉院丸。鼠多門復元のための発掘調査が行われているが、復元されれば鼠多橋で尾山神社と玉泉院丸がつながり、新しい回遊ルートが生まれる。
金沢の庭園は雪吊りがされる冬がやはり美しい。
冬の澄み切った空と池に映り込む雪吊り。晴れの少ない金沢では数えるばかりしかないが、是非楽しみに来てほしい。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1