「都道府県別」カテゴリーアーカイブ

信濃上田 諏訪神社 真田相伝六神社御朱印巡り四

諏訪神社

上田市に鎮座する諏訪神社。御祭神は建御名方命、八坂刀売命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。

諏訪神社

神社のあたりだけ鬱蒼としている。南向きに鎮座。
旧上原村十林寺集落の産土神として諏訪大社から分霊された。

諏訪神社

鳥居に「諏訪神社」の扁額がかかる。斜面に鎮座するため、石垣で境内を一段上げている。

諏訪神社

拝殿に参る。

諏訪神社

本殿は檜皮葺きかと思ったが板葺だろうか。脇の松が天に昇る龍のようにも見える。

諏訪神社

拝殿右に「八幡宮」と書かれた鳥居

諏訪神社

奥に石祠が3基並ぶ。中央は八幡宮。左は石祠の屋根に梅鉢が付いているので天満宮か。
右のみは中に石像が残る。左手に壺のようなものを持っているので薬師様の薬師堂か。

諏訪神社

拝殿右手にも石祠があり、中に像らしきものがあるが何かは不明。

諏訪神社

神社からは上田平がよく見える。

諏訪神社

神社の鎮座する山頂に真田氏本城が築造された。別名松尾城、真田本城。

諏訪神社

城跡からは北東に四阿山が遠望できる。

諏訪神社

山頂を利用した南端の土塁。

諏訪神社

北に向かって本郭、二の郭、三の郭が続く。神社創祀の別説として、真田幸隆公が松尾城を築城するにあたり、城の守護神として城の弱点となる南側(搦手)に主家武田家の崇敬する諏訪明神を祀ったとも言われる。

諏訪神社
長野県上田市真田町長字十林寺5008

信濃上田 北赤井神社 真田相伝六神社御朱印巡り六

北赤井神社

上田市に鎮座する北赤井神社。御祭神は須佐之男命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。

北赤井神社

神社は真田昌幸公が築いた天白城(天箱城)の麓にあり、天白城への登城道を通る。

北赤井神社

かつては天箱社(天白社)と称し旧上原村赤井、下塚両集落の氏神であり、天白城の守護神として崇敬された。

北赤井神社

鳥居前にいくつもの五輪塔が並ぶ。

北赤井神社

鳥居の先、拝殿に詣る。

北赤井神社

拝殿の背後に本殿はなく、1本の御神木が神様の依代のようだ。

北赤井神社

背後に石祠が1基残る。

北赤井神社

拝殿前の右手から柵を開けて天白城に通じる。

北赤井神社
長野県上田市真田町本原字北赤井3912

信濃上田 皇大神社 真田相伝六神社御朱印巡り三

皇大神社

上田市に鎮座する皇大神社。御祭神は天照皇大神。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。

皇大神社

神社は真田氏居館(御屋敷)跡の東郭に鎮座する。真田昌幸公が上田城を築城し居を移すときに、居館跡の保存のため神宮の御分霊を祀ったと言われ、旧上原村の総鎮守。

皇大神社

大手門跡の入口に木製の社号標。見えにくくなっているが「真田御屋敷皇大神社」と書かれている。

皇大神社

社殿は西向きに鎮座

皇大神社

鳥居の注連縄がゆったりと掛かっている。

皇大神社

階段をのぼっていくと、右手に手水鉢。「御手洗石」と呼ばれ、寛永6年(1629)か宝永6年(1709)か明確ではないが、正面の立葵紋、右面の剣にて千切の紋、左面の稲穂紋が彫られていて、小松姫の実家の本多家から真田家に贈られたものと伝わる。

皇大神社

平入りの拝殿に参る。

皇大神社

拝殿左手に「御北の松」、長篠合戦で戦死した真田家二代信綱の正室が亡き夫を忍んで植えたものと伝えられる。

皇大神社

拝殿の後ろに拝所と玉垣に囲まれた本殿が建っている。

皇大神社

小さいながら茅葺きの神明造の本殿

皇大神社

社殿右側にいくつか石祠が点在する。保存のため周辺の村から集められたものだろうか。
拝殿右裏の石祠に石像が残る。右手に剣、左手に金剛杵か?仁王像だろうか。

皇大神社

2基の不明な石祠

皇大神社

庚申信仰の青面金剛像

皇大神社

天神宮

皇大神社

八幡宮

皇大神社

三峯神社

皇大神社

社前、西曲輪の先には砥石崩れで有名な砥石城が見える。

皇大神社
長野県上田市真田町本原字御屋敷2964

加賀金沢 波自加彌神社④ はじかみ大祭

波自加彌神社

金沢市に鎮座する波自加彌神社。御祭神は波自加彌神と正八幡神を祀る。
今年の御朱印には「はじかみ大祭」の文言が入るようになりました。

波自加彌神社

毎年6月15日に全国の香辛料メーカーや生産者からの奉納及び参拝をいただき、はじかみ大祭が斎行される。20年ほど前に復活した祭りですが、近年はだんだんと知名度が上がり、奉納品や参拝者が増えてきている。

波自加彌神社

境内社にもショウガが供えてあった。

波自加彌神社

元宮近くの黄金清水の霊水の中にショウガを投入し、

波自加彌神社

笹でかき混ぜるという湯立神事も今年は間近で見ることができた。

波自加彌神社

地元のテレビ局や新聞社がすべて取材にやってきて、祝詞奏上や玉串奉奠ではこんな状態になる。夕方のニュースをチェックすると片隅に映ってました。

波自加彌神社

ショウガ湯は神事の後、参拝者に振る舞われる。

波自加彌神社

大祭のための特殊神饌は、山盛りのショウガと、真ん中にワサビ、後ろの葉っぱのようなのがサンショウ、その手前の白く細いのが金時ショウガということです。

波自加彌神社
石川県金沢市花園八幡町ハ165

富山新川 新治神社

新治神社

黒部市に鎮座する新治神社。御祭神は譽田別尊、建御名方命、少彦名命。三代実録記載の新治神の比定社。

新治神社

境内はとても広い。往古は少し北方にあったというが、今は海の中。

新治神社

境内に入ると左手に駐車場、右手に社務所と宮司宅が建つ。ちょうど出かける準備をしていた方に御朱印を尋ねると、授与しているが今は書く人が外出中ということだった。

新治神社

社号標は旧富山藩主の前田利男伯爵の揮毫。

新治神社

参道の途中に一の鳥居、玉垣の中に二の鳥居が建つ。

新治神社

拝殿に参る。

新治神社

拝殿右手に宝物殿。前の道や社叢の中はフンで白くなっている。

新治神社

というのも、入るときから「グァー」という鳴き声が響いていた。多くは冬に葉を落とす高い広葉樹の枝の間に巣を作るサギが、ここでは松しかないためか、松の木の上に巣作りをしていた。

新治神社

宝物殿の入口の左右には神馬が奉納されている。佐渡の文学士矢浪淑次郎氏からの奉納で、右に白馬、左に鹿毛馬。

新治神社

白馬の上にどこにあったものだろうか、猪の木像が置かれている。

新治神社

神社の左方、池に浮かぶ島がある。「月見嶋の清水」というとやまの名水で、地下水が自噴している場所という。

新治神社

ふと見上げるとこの付近には鷹(隼?)が数羽いて、サギなど神社に集まる鳥を狙っているようだ。神社でバードウォッチングも楽しそうだ。

新治神社
富山県黒部市生地716

越中滑川 加積神社

加積神社

滑川市に鎮座する加積神社。御祭神は素盞嗚命。三代実録記載の賀積神がこの辺りと言われる。

加積神社

社叢西の車道沿いに社号標が建つ。

加積神社

社前には小川(用水か)が流れているが、元の参道は南向きか?

加積神社

境内に「加積神社八百年祭記念」碑。昭和53年なので、1178年創祀ということになっているようだ。

加積神社

平成5年には社殿建立百周年を迎えている。

加積神社

拝殿はサッシで囲われている。

加積神社

中に入り拝殿に参る。

加積神社

幣殿・本殿は覆屋に覆われる。

加積神社

右手に倉。祭具や神輿が中に入っているのか。

加積神社

左手に境内社で「薬師堂」の扁額が掛かる。神仏習合時は薬師如来が祀られていたのだろうが、おそらく今は少名彦名命を祀る。

加積神社
富山県滑川市上小泉1362

越中砺波 級長戸辺神社

級長戸辺神社

南砺市に鎮座する級長戸辺神社。御祭神は級長戸辺命、天照皇大神、誉田別命、天児屋根命、罔象女神。

級長戸辺神社

境内入口に鳥居と社号標

級長戸辺神社

社号標には「風宮 不吹堂 級長戸辺神社(かぜのみや ふかんどう しなとべじんじゃ)」。読みが難しい。

級長戸辺神社

鳥居から社殿の参道沿いにはつつじやドウダンツツジ、紅葉などが植えられている。

級長戸辺神社

広くない境内だが、杉の大木も多い。

級長戸辺神社

拝殿に参る。

級長戸辺神社

拝殿の貫の間には十二支の彫刻が彫られている。

級長戸辺神社

本殿は立派だが、氏子がなく、崇敬者によって護持されているという。
本殿右方の宮司宅で御朱印をいただく。

級長戸辺神社
富山県南砺市是安5726

越中砺波 大森神社

大森神社

南砺市に鎮座する大森神社。御祭神は誉田別命。井波八幡宮の旧鎮座地とされ、延喜式礪波郡荊波神社の論社。

大森神社

神社の正面には通りから個人宅の横を通っていく。鳥居と右に社号標

大森神社

振り返ると個人宅の裏を参道が延び、のぼりポールが建っている。

大森神社

鳥居の左には不動明王を彫った石が置かれている。

大森神社

境内に入ると右に「谷公民館」と書かれた建物。注連縄が張られているので、参集殿としても使われているのだろう。

大森神社

拝殿に参る。

大森神社

拝殿、幣殿、本殿と建物はつながっているが、地震対策かパイプで支えている。左に建物があったが倉庫のようだ。

大森神社
富山県南砺市谷724

越中砺波 栴谷神社

栴谷神社

砺波市に鎮座する栴谷神社(せんたにじんじゃ)。御祭神は天照皇大神、誉田別尊、神功皇后 。

栴谷神社

境内は南向き。

栴谷神社

入口に鳥居と社号標。鳥居の前の石はのぼりポールを立てるものか。

栴谷神社

社号標の横に万葉歌碑が建っている。
「いもが家に いくりの杜の藤の花 今こむ春も 常かくし見む」
伊久里の杜の候補地になっている3箇所のひとつで、地名も井栗谷となっている。

栴谷神社

境内には本願寺五世綽如上人のお手植えと伝わる大杉が御神木になっている。鎮座地は栴檀山の一角らしく最近センダンが植えられたという。

栴谷神社

拝殿に参る。

栴谷神社

扁額は「神明宮 八幡宮」となっており、2社を合祀して現社名に改称した元の社名を書いている。

栴谷神社

本殿の覆い、前には風除けにサッシ戸が付けられている。

栴谷神社

開けて本殿に参る。
境内をくまなく探してみたが、肝心の藤が見つからない。境内の保存樹林は杉とウラジロガシであり、綽如杉の案内板にも「この神社の境内は、古くから藤の花の名称所としても親しまれている。」とあり、境内に藤があるような記載はない。、元は境内地がもっと広かったことも考えられ、周辺には藤があるのかもしれない。

栴谷神社
富山県砺波市井栗谷6585

越中富山 吉倉八幡宮

吉倉八幡宮

富山市に鎮座する吉倉八幡宮。御祭神は誉田別尊、息長定姫命、玉依比賣命、武内宿禰。延喜式婦負郡杉原神社の論社になっている三社の創建の地に建つ神社と言える。

吉倉八幡宮

社号標が田んぼの畦に建てられていて、どうやっても正面から撮れない。

吉倉八幡宮

玉垣に囲まれた境内に入ると鳥居と狛犬。拝殿前の狛犬は古そうだ。

吉倉八幡宮

拝殿に参る。

吉倉八幡宮

本殿

吉倉八幡宮

本殿の左に五輪塔に挟まれた石碑が建っているが、風化していて読めない。

吉倉八幡宮

「二十六神社奉賛会社務所」と書かれた社務所の建物。訪ねると御朱印はなかった(作ろうと議論したことはあるらしい)が、二十六神社とは本務社である当社の他、兼務社25社を合わせた総称といい、社務所に入ると正面に26社の写真が掲げられていた。

吉倉八幡宮
富山県富山市吉倉649

越中富山 神明社

神明社

富山市に鎮座する神明社。御祭神は天照皇大神、豊受皇大神、倉稻魂神。三代実録記載の杉田神の論社。

神明社

境内入口に鳥居と「村社 神明社」と書かれた社号標

神明社

道路を挟んでのぼりポールが建っている。

神明社

拝殿に参る。

神明社

拝殿と本殿は石橋でつながっている。本殿が大岩の上に乗っているのは、平野の中にある神社としてはとても違和感を感じるが、故に威厳を感じる。

神明社
富山県富山市八尾町杉田字平岩2833

美濃加茂 神田神社

神田神社

東白川村に鎮座する神田神社。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、大国主命、少彦名命、速玉男命。延喜式賀茂郡の論社。

神田神社

東白川村役場の横の通りに「郷社 式内 神田神社」の社号標が建ち、北方に鳥居が見える。

神田神社

一の鳥居の先に石橋、そして長い階段が続いている。

神田神社

やはり上まで上るのは大変だったのだろう。階段下の右の「郷社 式内 神田神社」の社号標の後ろに拝所が設けられている。

神田神社

車で通りを上がると、駐車場に入る入口に「式内 金幣社 神田神社」の社号標が建つ。

神田神社

駐車場から入る場所に祖霊社が建つ。まだ新しい。後方の丘は杉の植樹が今も整然と管理されていて、切り株も見えるので一部は自給自足しているのかもしれない。

神田神社

階段を上った平地に二の鳥居が建つ。

神田神社

一段上がると右手に幣使殿。戦後金幣社に指定され、幣帛の他に金幣を奉っていたというのでその使者の待機所か。

神田神社

左手には神田殿。二階建ての大きな参集殿で二階から渡廊下で拝殿につながっている。

神田神社

三の鳥居をくぐり階段を上るとようやく拝殿に入る。

神田神社

階段右には途中伐られているが、大木だったと思われる御神木のスギ。

神田神社

拝殿に入り参る。

神田神社

拝殿後方の本殿。中世以降は白山妙理大権現と呼ばれ、明治に入る直前に神田神社に改称した。

神田神社
岐阜県加茂郡東白川村神土604

美濃加茂 大山白山神社

大山白山神社

白川町に鎮座する大山白山神社。御祭神は菊理比売命、伊弉諾尊、伊弉冉尊。延喜式賀茂郡大山神社の論社。

大山白山神社

ひたすら山を上ってくる。車道は舗装されているもののすれ違いが難しい場所も多く、本当に神社があるのか不安になったが、着いてみると広い駐車場が広がっていた。

大山白山神社

鳥居の右手奥、北東方に女夫杉があるというので行ってみた。

大山白山神社

樹齢300年以上という2本の杉は途中枝が1つになり、仲の良い夫婦のようにも見える。斜面に立つので撮影するのも難しい。

大山白山神社

一の鳥居から

大山白山神社

長い階段が続いている。今年は鎮座一三〇〇年を迎え、秋に奉祝祭が開かれるのに向けて境内では修復工事がされている場所もあった。

大山白山神社

階段の途中、振り向くと晴天であれば名古屋市内が望めるというが、今日は南には雲がかかっていて残念ながらよく見えない。

大山白山神社

階段を上ると、二の鳥居、三の鳥居が建っている。

大山白山神社

拝殿は寛政年間に修築されたものというが、とても大きい。

大山白山神社

拝殿に参る。中を覗くと3社が並んでいる。中央に白山神社、右に本社中興の祖、野原城主安江中務尉基政公を祀る光巻神社、左に大黒天(大己貴命)と恵比須神(事代主命)が祀られている。

大山白山神社

天井には、洞雲寺の青年僧眉毛が描いた32枚の色彩画が張られている。

大山白山神社

拝殿の階段は一段一段がとても高い。「正一位大山白山権現」の扁額がかかる。

大山白山神社

拝殿の右側に山頂の奥殿に向かう階段がある。麓に鳥居

大山白山神社

石段は町指定の有形文化財。隣に新しい階段が作られているが、石段は不規則な並びで上りにくい。

大山白山神社

階段の途中左手に国指定天然記念物になっている大スギが立つ。幹周り9m余り、樹齢700年にもなる大木で、昭和34年9月の伊勢湾台風でも被害を免れた霊木。

大山白山神社

奥殿神門の奥に社殿3社が並ぶ。神仏習合時は奥の院や大峰様と呼ばれ、海抜862mの大山山頂に鎮座し、泰澄大師により創建されたと伝わる。

大山白山神社

中央に白山神社本殿、御祭神は菊理比売命、伊弉諾尊、伊弉冉尊。右に脇殿熊野神社、御祭神は家津御子大神他熊野神社の諸神。脇殿風神社・洲原社、御祭神は級長津彦命、級長津比女命、伊邪那岐命、伊邪那美命を祀る。三殿は拝殿と同じく寛政年間に修築された。

大山白山神社

今日は風が強かったこともあり、北の空は晴れ渡っていた。

大山白山神社

北の空にはまだ噴煙が上がる御嶽山が見える。

大山白山神社

西の空は少し雲がかかっていたが、遠く白山を見ることができた。

大山白山神社
岐阜県加茂郡白川町水戸野1096

美濃加茂 妙見神社(岩屋神社)

妙見神社(岩屋神社)

下呂市に鎮座する妙見神社、別名岩屋神社。御祭神は不明だが、天之御中主神だろう。

妙見神社(岩屋神社)

現在は岩屋岩陰遺跡の巨石群として観光スポットになっている。

妙見神社(岩屋神社)

階段の途中鳥居が建つ。

妙見神社(岩屋神社)

折り重なるような巨石に圧倒される。

妙見神社(岩屋神社)

中央の巨石の岩陰に本殿。昭和47年の岩屋ダム建設に伴い、6キロ下流の祖師野八幡宮に合祀され、飛地境内地となっているといい、御神体は遷されているのか。

妙見神社(岩屋神社)

左手に境内社が一社。

妙見神社(岩屋神社)

右の巨石の側面には北斗七星が描かれているという。

妙見神社(岩屋神社)

麓の巨石からこの巨石群を見上げると、ちょうど北極星がみえるといい、北斗七星を観測して時刻を知ったという。

妙見神社(岩屋神社)

右側の巨石群は線刻線のある巨石群と呼ばれ、巨石には夏至を示す線刻が残る。

妙見神社(岩屋神社)

また巨石の間に入ると、線刻に沿って差し込む光の位置によって夏至を正確に知ることができたという。
圧倒される巨石群の中で古代人の英知を感じる遺跡です。

妙見神社(岩屋神社)
岐阜県下呂市金山町岩瀬

加賀一の宮 白山比咩神社⑥

白山比咩神社

白山市に鎮座する白山比咩神社。

白山比咩神社

北口の鳥居は現在修理中

白山比咩神社

拝殿に参る。

白山比咩神社

この夏の白山登拝の安全を奥宮遙拝所に祈願する。

白山比咩神社

開山1300年の看板が付き、少し記念年らしくなった授与所。昨今の刀女子ブームの波に乗ってか、名刀吉光のキーホルダーお守りが登場していました。

白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1

越前永平寺 明神社

明神社

永平寺町に鎮座する明神社。御祭神は天照皇大神。延喜式坂井郡意加美神社の論社と言われる。

明神社

丘陵の中腹に鎮座する。入口右手に宮司宅が建つ。今日は留守だったので御朱印は確認していない。

明神社

明治後年までは麓のえちぜん鉄道の松岡駅あたりに鎮座していたという。

明神社

階段を上がると広い境内。替地で遷座した場所ゆえに広々としているのかもしれない。
藩政期には毘沙門堂、明治期は神明社と呼ばれ、遷座の折、元々当地に祀られていた七面山明神堂から明神社と改称した。
本殿に秋葉社、菅原社、庚申社、白山社を合祀する。

明神社

鳥居をくぐり左手に境内社が二社。右が河濯神社(瀬織津比売神)、左が稲荷神社(豊受神)。

明神社

拝殿前には御神木のツガ

明神社

拝殿に参る。

明神社

幣殿と本殿はトタンの覆屋の中に収められている。

明神社
福井県吉田郡永平寺町松岡椚57-12

越前坂井 神明神社

神明神社

坂井市に鎮座する神明神社。御祭神は天照大御神。延喜式坂井郡家津神社の論社。

神明神社

社前の道路は玉垣に沿っているので、開発で参道がなくなったのか?

神明神社

玉垣に沿って旗立と社号標が建つ。鳥居の先に社殿が建つ。

神明神社

拝殿の前に大きな木はクスノキか

神明神社

拝殿に参る。

神明神社

境内の左方隅に境内社が一社。越前ではよく見る石祠

神明神社

境内にはユリが植えられた花壇がある。

神明神社
福井県坂井市春江町布施田新2-31

越前福井 春日神社

春日神社

福井市に鎮座する春日神社。御祭神は天津兒屋根命、比賣神、武甕槌命、經津主命。延喜式坂井郡石田神社の論社。

春日神社

集落の中に旗立が建つ。新しいと思ったが、横の奉納碑にのぼりポール、手水鉢、鳥居3点を平成十四年に新調したとある。

春日神社

しかしポールの先をまっすぐに行っても行き止まり。途中左に曲がって民家の隙間を山へと進む。

春日神社

階段の先に社殿が見える。

春日神社

新調された鳥居と手水鉢

春日神社

拝殿に参る。

春日神社

拝殿は後方に少し飛び出して本殿が収められているようだ。社殿の裏は塗り壁になっている。

春日神社
福井県福井市石畠町3-7

越前丹生 熊野神社

熊野神社

福井市に鎮座する熊野神社。御祭神は神武天皇、神仏分離以前は熊野大権現を祀っていた。

熊野神社

海岸沿いの道路から社叢が見えたので、あぜ道を行ったが行き止まりだった。

熊野神社

海岸沿いの集落へ下りる道の途中から社叢を一望できる。

熊野神社

真宗大谷派勝明寺の境内を通り、神社へ向かう。

熊野神社

階段を上る。

熊野神社

角に社号標が建つ。

熊野神社

鳥居の先に社殿が見える。

熊野神社

拝殿に参る。

熊野神社

拝殿右に境内社が一社。石祠の中に鏡と木製のお堂のようなものが見える。

熊野神社

さらに右に鳥居と狛犬一対、拝所がある。

熊野神社

そこから見えるのは沖に浮かぶ亀島。

熊野神社

島には鳥居が建てられ、おそらくこれが亀島神社だろう。延喜式坂井郡絲前神社の論社。

熊野神社
福井県福井市松蔭町2-1

越前坂井 舟津春日神社

舟津春日神社

あわら市に鎮座する春日神社。御祭神は天児屋根尊、家津大神。延喜式坂井郡家津神社の論社。

舟津春日神社

神社は中腹に鎮座し、山麓の入口斜面に社号標が建つ。

舟津春日神社

少し上ると旗立と階段

舟津春日神社

階段を上ると鳥居と社号標

舟津春日神社

振り返ると、麓に広がるあわら温泉街が見える。

舟津春日神社

拝殿に参る。

舟津春日神社

紅葉に猪鹿というお洒落な彫刻のある拝殿扁額。内閣総理大臣岡田啓介氏の揮毫による。

舟津春日神社

神社の後方と左方には無数の太陽パネルが並んでいる。時代の流れとは言え、社叢に隣接したこの光景に問題はないのか。

舟津春日神社

本殿左に薬師神社、御祭神は少彦名那命。玉垣にも書かれているが、かつては薬師如来を祀っていた。

舟津春日神社

社殿には彫刻が施されている。傘を逆さに波に乗る仙人だろうか。

舟津春日神社

本殿右に白山神社、御祭神は伊弉册尊。かつては十一面観世音を祀っていた社で、西垣内より遷座した。

舟津春日神社

白山神社の右手に神輿堂

舟津春日神社
福井県あわら市舟津13-2

近江蒲生 大嶋奥津嶋神社

大嶋神社・奥津嶋神社

近江八幡市に鎮座する大嶋奥津嶋神社。御祭神は大國主命、奧津嶋比賣命。延喜式蒲生郡の大嶋神社、明神大社奥津嶋神社の2社の論社。

大嶋神社・奥津嶋神社

集落への道路の南口に社号標が建つ。神社は南北に延びる道路を北に、途中西に曲がる。北の琵琶湖に沖島、西に西国三十三観音霊場の長命寺がある。

大嶋神社・奥津嶋神社

神社の東鳥居、社号標「式内 大嶋神社 奥津嶋神社」が建つ。

大嶋神社・奥津嶋神社

神社には西鳥居もあり、同じく社号標が建つ。こちらの社号標には式内の文字はない。

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居を出たところに宮司宅があり、前に参拝者用駐車場が数台分ある。今日はお留守で御朱印はいただけなかった。

大嶋神社・奥津嶋神社

拝所に参る。玉垣の中に拝殿と2棟の本殿が建つ。左の大きい本殿が大嶋神社、右の小さい本殿が奥津嶋神社という。

大嶋神社・奥津嶋神社

玉垣前の左方に祓戸大神を祀る。

大嶋神社・奥津嶋神社

玉垣左に社務所

大嶋神社・奥津嶋神社

本殿左に2社、

大嶋神社・奥津嶋神社

本殿右に3社と宝物庫が建つ。日觸神社(應神天皇)、日吉神社(大山咋命)、四宮神社(彦火々出見命)、喜佐伊神社(須佐之男命)、行司神社(高皇産霊命)の5社であるが、左が上座のようなので、左から順番だろうか?

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居への境内の途中に白山神社が鎮座する。

大嶋神社・奥津嶋神社

境内の社殿前に神池かと思うが、案内板にはため池とあり、境外なのだろうか

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居の前に境内社(境外社?)

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居の道路向かいには愛宕大神

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居に向かう道路の途中にも社がある。

大嶋神社・奥津嶋神社

詳細は不明だが、関係するものだろうか。

大嶋奥津嶋神社
滋賀県近江八幡市北津田町529

近江野洲 兵主大社

兵主大社

野洲市に鎮座する兵主大社。御祭神は八千矛神。延喜式野洲郡の比定社で明神大社。

兵主大社

一の鳥居と社号標が建つ境内の入口は南向き。

兵主大社

鳥居をくぐると長く続く参道の両脇に神輿や太鼓という石柱が並ぶ。兵主十八郷と呼ばれる末社十八社から三十数基が集まるという5月5日の春季例大祭の渡御場所という。

兵主大社

参道の突き当たり付近が駐車場になっていて、太鼓橋を渡って社殿へ向かう。太鼓橋からは東向きに変わる。

兵主大社

太鼓橋を渡ると右に手洗御前社。

兵主大社

その後ろに忠魂碑が建つ。

兵主大社

朱色の鮮やかな楼門

兵主大社

「正一位勲八等兵主大神宮」の扁額がかかる。

兵主大社

楼門右翼三間のそれぞれに矢放神社、狩上神社、戸津神社の扁額がかかる。

兵主大社

楼門左翼にも矢取神社、浅殿神社、二ノ宮神社の扁額がかかる。春季例大祭で本社を含む上七社の神輿が鎮座するということらしい。

兵主大社

参道の途中、右に末社乙殿神社、御祭神は稲背入彦神。中七社の筆頭社のようだ。

兵主大社

本殿の隣に天満宮が祀られている。

兵主大社

さらに進むと右に神鶏舎。中に居るのは烏骨鶏か?

兵主大社

手水舎には亀

兵主大社

拝殿に参る。

兵主大社

拝殿前の狛犬には何故か白布が巻かれている。

兵主大社

拝殿右手に神饌所

兵主大社

その左隣に神武天皇遙拝所。前の大きな根元はかつての御神木だろうか?それにしてもこの方角は北向きで橿原神宮とは真逆の方角なのだが・・・

兵主大社

その左隣に旧護摩堂。神仏習合時は兵主大明神の本地仏である不動明王を祀っていたという。

兵主大社

現在内部には氏子崇敬者三十六社の神々を祀る社がずらりと並ぶ。

兵主大社

檜皮葺きの本殿。玉垣の中には本殿の左右に向かい合わせに境内社が建つ。手名椎神、足名椎神を祀る社か?

兵主大社

本殿玉垣外の右に両大神宮

兵主大社

本殿背後から参道の左に名勝指定された庭園が広がる。今回中には入っていないが、池に浮かぶ島に祠が見える。

兵主大社

社務所で御朱印をいただく。

兵主大社

社務所の横に参集殿。

兵主大社

社務所の後ろには収蔵庫が建つ。

兵主大社
滋賀県野洲市五条566

近江野洲 小津神社

小津神社

守山市に鎮座する小津神社。御祭神は大宮に宇迦之御魂神、地主宮に小津君、二宮に素盞嗚命、三宮に大市姫命を祀る。延喜式野洲郡の比定社。
日本武尊の御孫の小津君を開拓の祖神として祀ったのが創祀であり、允恭天皇の御代に大宮に宇迦之御魂神を祀ったという。

小津神社

神社の社叢を見つけ、中に入る。狛犬の先、参道の突き当たりに手水舎。

小津神社

180度回転して広い境内の先に社殿が建っている。道路からまっすぐ入る裏参道もあるが、車は入れない。

小津神社

参道寄りの右に神輿庫。

小津神社

中に大宮、二宮、三宮それぞれに3つの神輿が収められている。

小津神社

神輿庫の左に境内社の跡が残っている。

小津神社

拝殿に参る。

小津神社

拝殿の後ろ、玉垣に囲まれた神域に大宮の本殿が鎮座する。室町時代の築造といい、檜皮葺の雰囲気ある社殿。

小津神社

拝殿右に境内社が並ぶ。参集殿の前に市杵島姫神社

小津神社

その左に天満宮

小津神社

その左は扁額がないが、神紋から金刀比羅社

小津神社

その左は稲荷社

小津神社

本殿の玉垣の右に並ぶのは地主宮だろうか?社殿に三つ巴紋が付いている。

小津神社

境内左方に社務所があり、そこで御朱印をいただく。いただいた後、鳥居を見かけなかったので在処を尋ねると、参道の先車道を進むと建っていると教えてもらう。

小津神社

一の鳥居と社号標、由緒書が建つ。参道は途中右に折れる。前の道路を通過したが、運転していて全く気が付かなかった。

小津神社

ちょうど角の場所の左方に狛犬が見えた。

小津神社

行ってみると小津神社の三宮であった。こちらも古い社殿で桃山時代の築造という。

小津神社

神社へと続く参道

小津神社

三宮の説明板に二宮は境内社というので再度探してみる。本殿の横に木に隠れるようにもう一社あった。これが二宮か。もしかしたら、右横の社殿と二宮、地主宮は逆かもしれない。御朱印いただくときに気が付いていたら確認できたけどな。

小津神社
滋賀県守山市杉江町495

近江栗太 印岐志呂神社

印岐志呂神社

草津市に鎮座する印岐志呂神社。御祭神は大己貴命。延喜式栗太郡の比定社で、天智天皇の勅願により大和国大神神社から分霊されたと伝える。

印岐志呂神社

神社から東へ延びる道路の先に一の鳥居と社号標が建つ。神社前に志那街道の案内板がある。志那街道は琵琶湖の志那港を起点として守山市今宿に至る街道で沿道に神社があったというが、この道だろうか。

印岐志呂神社

ややカーブした道に垂直に参道が延びる。参道や社殿は南向き。入口に鳥居はなく、石橋が架かるのみ。

印岐志呂神社

今年は御鎮座千三百五十年を迎え、11月4日、5日に大祭が行われる。

印岐志呂神社

参道途中に「式内 印岐志呂神社」の社号標

印岐志呂神社

さらに進むと、境内を流れる川にかかる石橋を渡る。

印岐志呂神社

神門

印岐志呂神社

神門をくぐると左手に蔵

印岐志呂神社

正面に大きな拝殿がある。

印岐志呂神社

拝殿を通り、本殿を取り囲む玉垣の拝所で参る。

印岐志呂神社

本殿は日吉大社の摂社樹下神社、摂社白山姫神社の本殿と同形式という。

印岐志呂神社

本殿右に二の宮、御祭神は国常立尊、伊邪那岐大神、伊邪那美大神。

印岐志呂神社

本殿左に三の宮、御祭神は惶根尊。

印岐志呂神社

三の宮の左に若宮、御祭神は伊邪那岐命。

印岐志呂神社

若宮の手前、一社のみ右向きの社殿は十禅師社、御祭神は天邇邇芸尊。

印岐志呂神社

玉垣の角、玉串にも使われるという御神木オガタマノキ。

印岐志呂神社

左手の森の中を進むと、奥御前社が建つ。御祭神は別雷尊。まわりの木の上でサギが巣を作っており、道や社殿も真っ白、上空に注意しながら参拝する。境内には古墳時代後期の古墳が複数あるといい、社殿の建つ場所も少し高い場所になっている。もしかしたら古墳なのか?

印岐志呂神社

社務所横の大祭案内。氏子地域の神社は飛地境内地になっていて、水系ごとに宮座(グループ)を組み、それぞれの宮を世話するとともに、産土神も祀られているらしい。

印岐志呂神社

拝殿右手には境内社が二社。稲荷社、御祭神は帯刀稲荷大神と多賀大神。

印岐志呂神社

もう一社は大国主大神と事代主大神を祀る恵比須社。昭和31年に大阪今戎神社から分霊されたという。
今日は宮司が留守だったので再訪したい。

印岐志呂神社
滋賀県草津市片岡町245

山城山科 岩屋神社

岩屋神社

京都市に鎮座する岩屋神社。御祭神は天忍穂耳命、栲幡千々姫命の夫婦二柱と、その皇子饒速日命の親子三柱を祀る。

岩屋神社

大宅奥山の麓に西向きに鎮座。中腹には創祀となる奥之院と呼ばれる場所がある。中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社、西が山科神社、上が不明という。

両側に塀をもつ参道入口に社号標と鳥居がある。階段を上って境内に入る。

岩屋神社

神門をくぐると中央にあるのは外拝殿か。左に社務所、後ろに拝殿が建つ。

岩屋神社

拝殿に参る。平成25年に創祀1120年の式年大祭が行われたようだ。

岩屋神社

拝殿右に宝物殿か神輿倉のような建物

岩屋神社

玉垣と木々に囲まれた本殿

岩屋神社

本殿の周りに境内社が建つ。本殿右裏に蛭子宮、御祭神は蛭子大神。

岩屋神社

本殿左裏に両宮大神宮、御祭神は天照皇大御神、豊受大御神。

岩屋神社

両宮大神宮の左前に稲荷宮、御祭神は宇迦之御魂神。

岩屋神社

拝殿左から裏手に奥之院への参道が延びる。

岩屋神社

その参道の右手に八幡宮、御祭神は応神天皇、神功皇后。

岩屋神社

左手には住吉宮(住吉三神)、山王宮(大山咋神)、天満宮(菅原道真公)の三社殿。

岩屋神社

裏鳥居を出ると、正面に石碑が立っている。「陰陽石 岩屋奥之院 右へ」

岩屋神社

笠原寺の左を通る道、石像がずらりと並ぶ場所もあるが、最後の橋が通行止めで、つまり行き止まり。
昔は奥之院の参道として機能していたのかもしれないが、今は車道を通って笠原寺の右を行くのが無難だろう。

岩屋神社

奥之院参道の入口に到着。ここからは山道になる。

岩屋神社

ジグザグの参道に朱色の鳥居が建つ。神へ続く道としてとても雰囲気がある。

岩屋神社

「岩屋大明神」の扁額がかかる石鳥居まで上ってくると、背後に陰岩と呼ばれる磐座。

岩屋神社

前に遙拝のための社殿が建ち、栲幡千々姫命を祀る。

岩屋神社

さらに少し上ると陽岩と呼ばれる磐座。前に遙拝のための社殿が建ち、天忍穂耳命を祀る。ともに大きな磐座で神宿るパワーを感じられる。

岩屋神社

戻る途中、参道脇を流れる川の途中が滝になっていて注連縄がかかっているのに気づく。

岩屋神社

笠原寺の左隣の住宅地は「岩屋殿」と呼ばれ、饒速日命を祀る小祠があった神域で左右を一辺とする三角形の場所。奥之院参道の入口は左の車道を行く。

岩屋神社

社務所に戻り、御朱印をいただく。

岩屋神社

次へ行く前に岩屋神社から真西へ移動し、奈良街道(府道35号線)と交差する場所に一の鳥居が建つ。ちょうどファミリーマートが角にある。駐車場からは奥之院のある大宅奥山が見える。

岩屋神社
京都府京都市山科区大宅中小路町67

山城洛南 伏見稲荷大社②

伏見稲荷大社

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。御祭神は宇迦之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神と摂社田中社の田中大神、摂社四大神の四大神の五柱。

伏見稲荷大社

前回参拝時は月曜日の早朝であったが、今日は日曜日の早朝。外国人も多く見かけられ、帰るときには修学旅行生が大挙して入ってきた。

伏見稲荷大社

拝殿に参る。

伏見稲荷大社

本殿から奥社に上る途中に建つ千本鳥居。外国人に人気の観光地に選ばれるだけあって、皆写真を撮るために順番待ちしている。自分は奥社に参って本殿へと戻る。

実は奥社の御朱印の手書きが欲しかったのだが、奥社は書き置きのみの授与だった。前回しっかりと確認していなかったが、今回は時間的に余裕があったので授与品も見てきた。

伏見稲荷大社

それらを組み合わせて自宅に稲荷神社を作ってみた。本殿授与所の鳥居絵馬、奥社授与所の幟2本セットと白狐石の御守札、授与所裏の土産店で狐のおみくじを買う。おみくじは前回右を、今回左を買ったが、並べてみると大きさが微妙に違い、前期のものがシャープだ。

今回は本殿御朱印のみいただき次に向かう。今回御朱印は三名書いていて、一番年配の神職に書いていただく。バランスが取れていて前回より好み。

伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68

山城洛中 北野天満宮

北野天満宮

京都市上京区に鎮座する北野天満宮。御祭神は菅原道真公。全国の北野神社の総本社で、二十二社の二十番社であった。

北野天満宮

北門より境内に入る。

北野天満宮

入ってすぐ左に文子天満宮。多治比文子が菅原道真公を最初にお祀りした社で西ノ京から遷座。

北野天満宮

国宝本殿を左後ろから見る。

北野天満宮

本殿後ろに車払所があり、

北野天満宮

その後ろに摂社地主神社。御祭神は天神地祇、相殿に敦実親王、斎世親王、源英明朝臣を祀る。

北野天満宮

その左に末社老松社。御祭神は島田忠臣翁。そのまま反時計回りに本殿裏をまわる。

北野天満宮

本殿裏に祀られるのは御后三柱で、天穂日命、菅原清公卿、菅原是善卿。

北野天満宮

本殿真裏に祀られる摂末社群は、寛筭社、大門社、橘逸勢社、藤大夫社、文大夫社、淳仁天皇社、太宰小貳社、老松社、白大夫社、櫻葉社、吉備大臣社、崇道天皇社と連なる。

北野天満宮

本殿右後ろの牛舎、絵馬掛所の後ろに、福部社、高千穂社、安麻神社、御霊社、早鳥社、今雄社、貴布禰社、荒神社の摂末社群。

北野天満宮

井戸を挟んで、本殿右横に夷社、松童社、八幡社、若松社。

北野天満宮

左に少し下がって、那伊鎌社、一挙社、周枳社、宰相殿社、和泉殿社、三位殿社、大判事社が連なる。

北野天満宮

西廻廊横に文子社

北野天満宮

神明社と祀られ、西廻廊から本殿前に入る。

北野天満宮

さすがに学問の神。修学旅行生でいっぱいであったが、混ざって参拝する。

北野天満宮

授与所の裏にでると、境内に北野名物長五郎餅の店舗がある。

北野天満宮

その前に末社竈社。御祭神は庭津彦神、庭津姫神、火産霊神を祀る。

北野天満宮

東門を出入りして授与所に戻る。

北野天満宮

東廻廊部分が授与所になっている。

北野天満宮

授与所の一番右が御朱印所となっており、4種類の御朱印と刀剣特別朱印があった。

北野天満宮

楼門に掲げられた額に書かれた「文道太祖風月本主」の御朱印。書き置きのみ

北野天満宮

自国の歴史と文化に誇りを持ち、他国の文化も受け入れる寛容さを説いた精神「和魂漢才」の御朱印。書き置きのみ。

北野天満宮

道真公の清らかで誠実な人柄を信仰する「至誠」の神の御朱印。書き置きのみ。

北野天満宮

本殿の前には右に松、左に梅が植えられている。

北野天満宮

本殿前の東西廻廊の中央に三光門が建つ。

北野天満宮

前に日(太陽)の彫刻

北野天満宮

裏に月の彫刻があり、三光門の背後(北)に瞬く北極星を合わせて三光という。

北野天満宮

三光門の左前に庭園が広がり、水占いをする女性が多い。

北野天満宮

庭園の西側に紅梅殿

北野天満宮

趣ある囲いの中に連歌所の井戸がある。かつて境内に連歌会所があり、室町から江戸にかけて盛んに連歌会が開かれていたという。

北野天満宮

紅梅殿の南に末社群。
末社一夜松神社(一夜千松の霊)、豊國神社(豊臣秀吉公)、野見宿禰神社(野見宿禰命)の合祀殿。

北野天満宮

末社一之保神社(菅原大神)、奇御魂神社(道真公の奇御魂)の合祀殿。

北野天満宮

末社稲荷神社

北野天満宮

末社猿田彦社

北野天満宮

絵馬殿には多くの扁額が掲げられている。

北野天満宮

絵馬殿の西に末社宗像社

北野天満宮

大杉社は二又の境内随一の御神木だったという。

北野天満宮

絵馬殿から三光門に続く参道沿いの摂社に参る。

北野天満宮

参道左に摂社福部社。御祭神は十川能福。道真公に仕えた舎人だったという。

北野天満宮

摂社老松社。御祭神は島田忠臣翁。境内には三社あった。

北野天満宮

参道右に摂社火之御子社。御祭神は火雷神。

北野天満宮

摂社白太夫社。御祭神は渡会春彦翁。道真公の守り役だったという。

北野天満宮

御朱印にもなっている扁額の掛かる楼門

北野天満宮

楼門に至る参道左に末社伴氏社。御祭神は道真公の母君。

北野天満宮

三の鳥居

北野天満宮

二の鳥居

北野天満宮

一の鳥居の近くに影向松があり

北野天満宮

やっと一の鳥居に辿り着いた。境内に摂末社が多い神社であった。

北野天満宮
京都府京都市上京区馬喰町

京都洛北 平野神社

平野神社

京都市北区に鎮座する平野神社。御祭神は今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣大神。
延喜式葛野郡平野祭神四座に比定される名神大社で、二十二社の五番に列せられた。初め平城京の宮中に祀られたのを、平安京遷都に伴い当地に遷座されたという。

平野神社

境内西を西大路通に接する。

平野神社

西鳥居の横に「官幣大社 平野神社」の社号標

平野神社

南に回ると南門が建つ。もとは東大鳥居の位置に建っていたもので、御所の旧門を下賜された。

平野神社

西鳥居、南門の中は桜が植えられている。当宮は桜の名所でもあるようだ。

平野神社

表参道の東大鳥居、こちらにも「官幣大社 平野神社」の社号標が建つ。鳥居の扁額は「平野皇大神」と書かれている。

平野神社

東神門。左に廻廊が延びる。神門の左前に魁桜という早咲きの桜があり、京の花見を告げる桜だという。

平野神社

御神木のクスノキ。

平野神社

拝殿の先の玉垣の中に本殿が鎮まる。

平野神社

拝殿には三十六歌仙の額がかかる。海北友雪の画らしい。

平野神社

玉垣に囲まれた本殿。

平野神社

「平野造」または「比翼春日造り」と呼ばれる二殿をつないで一体としたもので、北から御祭神四座の今木皇大神より順に祀られている。南に摂社縣神社が鎮座するというが見えない。

平野神社

拝殿の右、北側に末社春日社、住吉社、蛭子社、鈿女社。

平野神社

その隣に末社八幡社が鎮まる。

平野神社

神門の右にある社務所で御朱印をいただく。

平野神社

参道北の池の奥に出世導引稲荷社と猿田彦社の2社が祀られている。

平野神社

池といっても水は張られていなかった。
桜の時期に再拝してみたい神社だった。

平野神社
京都府京都市北区平野宮本町1

山城洛北 敷地神社(わら天神宮)

わら天神宮

京都市北区に鎮座するわら天神宮。正式名を敷地神社というが、社号標などもわら天神宮で通している。
御祭神は木花開耶姫命。社名は稲藁で編んだ籠に神饌を入れて神様に捧げていたわらを、安産を願う妊婦が持ち帰るようになったので、後に安産のお守りとして妊婦に授与するようになった風習から定着したという。

もとは山背国葛野郡衣笠村に降臨した北山の神で、天長8年(831)に当地に氷室を設けるのに夫役として移住した加賀国の人々が、加賀国菅生石部神の分霊を勧請し、その母神木花開耶姫命を北山の神の西隣に祀ったといい、応永4年(1397)室町三代将軍足利義満により現在地へ遷座されたという。

わら天神宮

裏参道から入ったのだがわかりにくいので表参道から紹介する。
一の鳥居の扁額には「わら天神宮」と書かれている。

わら天神宮

参道を行くと、「天神宮」の扁額がかかる二の鳥居。

わら天神宮

参道の右に社務所

わら天神宮

社務所前から広くなり、横に3社が並ぶ。

わら天神宮

左手に舞殿(外拝殿か?)

わら天神宮

左の社殿が本社わら天神宮。

わら天神宮

拝殿左に末社綾杉明神が祀られている。樹齢千数百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀り、拾遺和歌集にも詠まれるほど著名であったが、明治29年の暴風で折れてしまったという。

わら天神宮

本社の本殿は御垣に囲まれている。

わら天神宮

本殿の左に末社大山祇神社。木花開耶姫命の父神を祀る。

わら天神宮

中央の社殿が六勝神社。御祭神は伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の六柱神を祀り、六所神社、六請明神社と呼ばれた。もとは平野神社の地主の邸内社であったのか、明治に入り当宮に遷座される際に、「必勝」の意味を込めて六勝神社と改称したという。

わら天神宮

六勝神社の本殿

わら天神宮

六勝神社の御朱印も社務所でいただける。

わら天神宮

右に建つのは末社八幡神社。明治40年に大北山原谷から遷座されたとホームページにあるのが、現地の由緒板には衣笠氷室町から遷座されたとあり、いずれが真実か。

わら天神宮

八幡神社裏に延びる裏参道

敷地神社(わら天神宮)
京都府京都市北区衣笠天神森町10

山城洛北 建勲神社

建勲神社

京都市北区に鎮座する建勲神社。御祭神は織田信長公を主祭神とし、嫡子信忠公を配祀する。
正式名は「たけいさおじんじゃ」だが、親しみを込めて「けんくんさん」と呼ばれる。
船岡山は平安京正中の真北に位置し、玄武として京城鎮護の地とされた。後年、豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、主君信長公を祀る廟所を定めた。

建勲神社

当宮には御朱印が2種類ある。通常のものと、天下布武龍章の押された見開きのものです。
他に期間限定で京都刀剣の御朱印があった。

建勲神社

船岡山の東麓に一の鳥居が建つ。

建勲神社

狛犬の鎮まる階段を上ると、

建勲神社

「太平和敬神」碑が建つ。山上に遷座される前の本殿がここに建っていたという。

建勲神社

さらに階段を上る。

建勲神社

「別格官幣 建勲神社」社号標が建つ階段の先は広い削平地となっている。山上の社殿も東麓の本殿と同じく東を向いている。

建勲神社

右手に貴賓館

建勲神社

その隣に社務所が建つ。

建勲神社

正面に手水舎、一段高くなって拝殿が建つ。

建勲神社

手水舎の下方に船岡妙見社が建つ。玄武大神を祀る社だが、社殿周囲の一部は社叢扱いになっているのか禁足地になっていて近づけない。

建勲神社

拝殿に参る。

建勲神社

拝殿の後ろの神門には近づけない。本殿を囲む御垣の一部を構成する門は中門と呼ぶ場合が多いのが、当宮では神門と呼ぶ。

建勲神社

本殿は御垣の中に建つ。

建勲神社

あらためて拝殿を見ると、扁額がたくさん掛かっている。三十六歌仙という神社が多いが、当宮では信長公功臣肖像画であり、秀吉や柴田勝家、森蘭丸などが描かれている。

建勲神社

本殿跡の右方に末社義照稲荷社が鎮座する。

建勲神社

御祭神は宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神。秦氏の守護神として西陣織の祖神と崇敬されている。

建勲神社

その隣に稲荷命婦元宮。伏見稲荷大社命婦社の祖神である船岡山の霊狐が祀られているという。

建勲神社

南参道口には「史跡 船岡山」碑が建つ。船岡山は標高45m。応仁の乱で西軍の大将山名宗全が砦を築き陣を敷いた地と山頂周辺に砦跡が残るというが、今日は時間の都合で行かなかった。

南参道の入口に標石があるというが見つけられなかった。

建勲神社
京都府京都市北区紫野北舟岡町49