「都道府県別」カテゴリーアーカイブ

近江彦根 阿自岐神社行宮所

阿自岐神社行宮所

彦根市に鎮座する阿自岐神社。

阿自岐神社行宮所

集落内を流れる安食川のほとりに神社は鎮座する。

阿自岐神社行宮所

鳥居と社旗ポールが建つ入口に社号標や扁額はない。

阿自岐神社行宮所

鳥居の先に石碑が建つ。

阿自岐神社行宮所

「阿自岐神社行宮所」と書かれた石碑。
犬上郡式内社の阿自岐神社を訪ねたつもりだったが間違えたらしい。阿自岐神社はここから西の豊郷町に鎮座し、太堂町は氏子地区になる。
祭礼に御旅所として使用されることもあるのだろうか。

阿自岐神社行宮所

太堂町から少し北上したところから北東に山々が拝めた。
右に伊吹山、中央に遠く雪を頂くのは能郷白山だろうか。左奥にも雪を頂く山がひとつ見える。

阿自岐神社行宮所
滋賀県彦根市太堂町

近江彦根 河瀬神社

河瀬神社

彦根市に鎮座する河瀬神社。御祭神は大名牟遲神、品陀別神、大山咋神。延喜式神崎郡川桁神社の論社。

河瀬神社

社前南西方角に参道が延びる。

河瀬神社

鳥居の横に「郷社 河瀬神社」の社号標が建つ。

河瀬神社

境内の右側に社務所

河瀬神社

左側に倉が建つ。

河瀬神社

開放的な拝殿

河瀬神社

拝殿には戦後の馬の絵馬2枚と、この明治天皇の何かの場面を描いた絵馬が掛かる。

河瀬神社

本殿に参る。

河瀬神社

本殿の扉に鮮やかに獅子と狛犬が描かれている。

河瀬神社

拝殿左の建物は神楽殿かと思ったが神饌所のようだ。

河瀬神社

静寂の神社らしい神域。社前に宮司宅らしいお宅を見つけたがあいにく留守で御朱印は確認できなかった。

河瀬神社
滋賀県彦根市川瀬馬場町480-1

近江彦根 高宮神社

高宮神社

彦根市に鎮座する高宮神社。御祭神は天津日高日子番能邇邇芸命を主祭神とし、木花之佐久夜毘賣命を配祀する。

高宮神社

表参道は東向き

高宮神社

鳥居の横に「郷社 髙宮神社」の社号標が建つ。

高宮神社

長い参道を歩いて行くと、右手に春季例祭の写真が飾られている。太鼓神輿という変わった神輿がでるようだ。

高宮神社

参道途中に社務所もあり、帰りに御朱印をいただいた。

高宮神社

随神門

高宮神社

門には随神として左大臣、右大臣が阿吽として奉納されている。

高宮神社

随神門右前の笠砂苑と称する神苑の中に芭蕉の句碑が建っている。
「をりをりに伊吹を見てや冬籠りはせ越」
元は随神門左に建てられていたようだ。

高宮神社

随神門をくぐると広い境内が広がっている。

高宮神社

拝殿に参る。
拝殿の前に紅白の梅が植えられていて春めいた雰囲気

高宮神社

本殿は玉垣に囲まれている。

高宮神社

拝殿右に神輿庫

高宮神社

拝殿右に境内社が並んでいる。瑞穂神社と恵比須神社

高宮神社

右隣に垂加神社。御祭神は垂加神社の山崎闇斎命。

高宮神社

随神門を入ってすぐ左に雅喜苑と称する神苑

高宮神社

神苑の横に絵馬殿が建ち

高宮神社

1枚の絵馬が掛けられいる。

高宮神社

この絵馬殿に続くのが南参道

高宮神社

表参道の前を旧中山道が通っている。中山道では二番目に大きな宿場町だった。
参拝後に少し散策する。

高宮神社

高宮宿に多賀大社の一の鳥居が建っている。青蓮院門跡尊純法親王の書いた扁額が掲げられている。多賀大社までは3キロの道のり。

高宮神社

宿場を散策中、犬上川のほとりに高宮神社の御旅所を見つけた。
さいかち地蔵の横にある。

高宮神社
滋賀県彦根市高宮町1876

近江彦根 都惠神社

都惠神社

彦根市に鎮座する都惠神社。御祭神は大国主神。延喜式犬上郡都惠神社の論社。

都惠神社

境内は南向きで、鳥居と右に「式内 都惠神社」と書かれた標柱が建つ。

都惠神社

境内の右手に社務所が建つ。

都惠神社

拝殿に参る。
参っていると氏子さんが散歩に来た。式内社を巡っているのだと話すと、ここは多賀大社に関係が深い古社だが、拝殿の額(俳句額か)も見えなくなって寂れてしまって、と言われていた。

都惠神社

拝殿の後ろに本殿が建つ。

都惠神社

本殿は覆屋に入っている。

都惠神社

社殿には犬上川が流れ、高い堤防の上に道路が通っている。境内を見渡すと、かつてはもっと深い森に囲まれていたのだろう。

都惠神社
滋賀県彦根市竹ヶ鼻町256

近江彦根 彦根神社

彦根神社

彦根市に鎮座する彦根神社。御祭神は活津彦根命。延喜式坂田郡岡神社の論社。

彦根神社

西向きに一の鳥居が建つ。通りは住宅地の狭い路地。

彦根神社

境内は一の鳥居から少しずれているが、同じく西向きにある。

彦根神社

入口右に境内で一番大きいたぶん御神木が立つ。落雷だろうか何度か折れているようだが、元気に枝が延びている。

彦根神社

朝方だったので朝日がまぶしい。二の鳥居の先に拝殿が建つ。
手水舎は境内左(北)入口に建っている。

彦根神社

境内の左手に地域の自治会館。社務所を兼ねているのだろう。

彦根神社

鳥居をくぐると右手に神楽殿が建つ。梅が見頃を迎えようとしている。

彦根神社

拝殿に参る。

彦根神社

拝殿内には絵馬が多く掛かっている。

彦根神社

拝殿の後ろの玉垣の中に2つの本殿が並んで建っている。中門は真新しく、平成の改修事業で昨年新しくなったようだ。

彦根神社

左の本殿が御祭神が祀られている。

彦根神社

右の本殿が境内社の岡神社で御祭神は素盞嗚命。論社の根拠がこの境内社だろうか。
本殿が瓦葺なのに対し、境内社は銅板葺になっている。

彦根神社

本殿の右に寄付碑が建っているが、手前の1本だけは違うようだ。
「彦根神社常」と書かれた嘉永七年の石碑。元はもっと高い常夜灯だったようだ。火袋は構成の補遺か、色が違う。

彦根神社
滋賀県彦根市後三条町121

加賀金沢 神田神社

神田神社

金沢市に鎮座する神田神社。御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩神。延喜式加賀郡神田神社の論社。

戦前は春日社と称し、小坂神社の別宮として知られていたという。当時から小坂神社の兼務社であり、小坂神社が神田神社の論社を主張した初めは当社だと考えられる。いつの頃からか小坂神社自らが論社と主張されるようになったようだ。

神田神社

西向きに社殿は鎮座する。昭和40年代の区画整理事業で周辺の環境は大きく変わっている。

神田神社

社殿前に狛犬

神田神社

拝殿に参る。

神田神社

本殿は幣殿で拝殿とつながっている。

神田神社
石川県金沢市神宮寺1丁目7-18

加賀鶴来 日御子神社

日御子神社

旧鶴来町に鎮座する日御子神社。御祭神は彦穂穂出見命。
もと火御子社と称する白山中宮の下七社の一社であった。

日御子神社

社前に忠魂碑が建っている。

日御子神社

斜め向かいには「蔵山郷土誌発刊記念碑」が立ち、蔵山村役場が建っていた集落の中心地であった。

日御子神社

鳥居と「郷社 日御子神社」と書かれた社号標が建つ。

日御子神社

参道の途中に一対の燈籠と一対の狛犬が奉納されている。

日御子神社

拝殿に参る。

日御子神社

拝殿の左側に社務所がつながっている。

日御子神社

本殿と拝殿は幣殿でつながる。

日御子神社

境内は「日御子の森」と呼ばれた場所で、今は大木は少ないが大きな切株が残っている。

日御子神社
石川県白山市日御子町ホ98

加賀能美 八幡神社

八幡神社

能美市に鎮座する八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、菊理媛尊。

古代の豪族和気公と江沼臣春日部の先祖が集落をつくり、各々の祖神と、白山比咩神、蟹淵の神、水無谷の風の神などを祀ったのが始まりという。天平勝宝元年(749)興福寺領となる。その後八幡神を勧請し、明治40年に七社を合祀する。

合祀した社のひとつに滓谷神社があり、能美郡滓上神社の論社になっている。

八幡神社

矛のついた旗ポールが建ち、それよりも高く境内の杉が並ぶ。
入口に鳥居と「村社 八幡神社」と書かれた社号標。奉納された燈籠は大きい。

八幡神社

一の鳥居の先に二の鳥居、その先に社殿が建つ。

八幡神社

二の鳥居が建つ右手に

八幡神社

手水舎と、「村社八幡神社」と書かれた村社指定時に奉納された先代の社号標が残っている。

八幡神社

階段の先に拝殿

八幡神社

サッシに覆われた拝殿には入ることができた。
拝殿に参る。

八幡神社

サッシ下の隙間から鳥が一羽迷い込んでいた。出してあげようと入口をしばらく開けていたが出る様子がない。

八幡神社

拝殿のまわりにはまだ雪が残り、一段高い場所に本殿が建つ。

八幡神社

社殿の左に藩政期に肝煎だった杉本庄兵衛翁碑が建っている。
山間地で水田の少なかった村の家々を日当たりの良い山の南斜面に移し、耕地とする場所を確保するという家立ちという大事業を15年かけて成し遂げたとして、鍋谷の祖霊として祀られた。

八幡神社

隣に境内社が1社。

八幡神社

社名が分からなかったが、境内由緒にある「安政四年家立神として肝煎庄兵衛の生祠を建立する」に該当する社だろうか。随神像の土人形が古びて、信仰の長さを感じる。

八幡神社

奥にばんぶち石(力石)が5個集められている。

八幡神社

何より珍しいのは、石に「八斗石」(120kg)「九斗石」(135kg)「一石いし」(150kg)「一石二斗石」(180kg)と4個に重量が書かれている。ひとつ書かれていないのは「一石一斗石」(165kg)で、ちょうど一斗ずつ重量が増している。

八幡神社
石川県能美市鍋谷町ツ72

越中氷見 伊勢玉神社②

伊勢玉神社

氷見市に鎮座する伊勢玉神社。今日は宮司が留守で御朱印はいただけなかった。

伊勢玉神社

今年は大雪で各地で被害が出ているが、境内の木も枝折れの被害が多かったようだ。

伊勢玉神社

拝殿に参る。

伊勢玉神社

今日は近くに用事があり参拝したが、目的は神社神報に記事がでていた宮司自らが描いたという絵馬。
愛らしい子犬?が描かれている。

伊勢玉神社
富山県氷見市伊勢大町1丁目9−23

加賀江沼 菅生石部神社 御願神事(竹割まつり)

菅生石部神社

加賀市に鎮座する菅生石部神社。御祭神は菅生石部神。
春を呼ぶという例大祭御願神事(ごんがんしんじ)が今日を行われました。

菅生石部神社

今週の大雪がまだ道路脇にうずたかく残る中、国道も片側2車線の1車線が埋まってノロノロ運転になり、30分前にようやく到着しました。

菅生石部神社

旧暦正月のこの日に祈願をすれば願いがかなうと言われ、境内には大勢の地元や観光者で賑わっています。
鳥居前に青竹が積まれている。

菅生石部神社

始まる前に社務所で御朱印をいただきました。

菅生石部神社

社務所横で御願まんじゅうとごんがん寿司が売られていました。縁起ものであるので御願まんじゅうを買ってきました。後でわかったことですが、まんじゅうは御願神事限定の販売で、祭りが終了するまでに売り切れるほどいつも人気なんだそうです。

菅生石部神社

神門から拝殿までの参道横で火が焚かれ、藁で編まれた櫓(アズマヤと呼ばれる)が組まれている。

菅生石部神社

11時に社務所前で祭典が始まり、宮司などが拝殿へ入っていく。
しばらく待っていると、神を迎える警蹕が拝殿外まで響いてくる。

菅生石部神社

鳥居前で竹を割る音が響き始め、竹を担いだ若衆が「ワッショイ」のかけ声で盛り上げる。
先頭の2人が拝殿に駆け込むと同時に、

菅生石部神社

アズマヤに火が付けられ、続く若衆が下をくぐって神門前や社務所前で竹を割り始める。

菅生石部神社

太い竹は2回、3回と投げないと割れないことも多いが、割れたカケラが周囲に散らばり、投げた竹が飛んでくることもあり(警備の警察官や保存会の方が一生懸命止めてくれる)本当に迫力がある。

菅生石部神社

用意された竹(約300本)をすべて割り終えると、拝殿から長縄の大蛇を引きずり出す。

菅生石部神社

神門から鳥居前へ、

菅生石部神社

また社務所側の参道から境内に戻り、拝殿へ。

菅生石部神社

3回拝殿へ戻った大蛇は、4回目敷地橋へ向かう。

菅生石部神社

橋の上から大蛇は大聖寺川に投げ込まれ退治される。

菅生石部神社

流れる大聖寺川の真っ白の河川敷に報道陣がスタンバイ
というのも、今日はBS12の「日本の祭り」の取材が入り、地元MROが密着していました。MROで3月21日に放送されるということで楽しみです。

菅生石部神社

今年は寒いこともあり、大聖寺川には飛び込まないという情報も噂される中、2名の若衆が川に飛び込みました。

菅生石部神社

大蛇が退治された後、割られた青竹を持ち帰る人々。
(1)天井裏に置くと雷避けになる
(2)玄関先に置くと魔除けになる
(3)箸にすれば身体健康、病気平癒、虫歯予防になる
といろいろ言い伝えがあるようですが、地元の方は何本も持って帰る人もいました。

菅生石部神社

帰宅して御願まんじゅうをいただきます。
竹の切り口に「御願」と書かれた印を押され、加賀特産丸芋、加賀の清酒と酒粕を使った風味豊かな味わい。
表皮の黒いシミは中のあんこをはみ出ているのではなく、無病息災を願って竹炭エキス(食用)で付けた跡です。

御願神事 2月10日
11:00 祭典(境内→拝殿)
11:15 竹割開始
11:45 長縄大蛇お練り
12:00 敷地橋から大聖寺川に長縄大蛇を投げ入れ
    祭典(拝殿)

菅生石部神社
石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81

加賀金沢 尾山神社 節分祭

尾山神社

金沢市に鎮座する尾山神社。宇多須神社の節分祭のあと、尾山神社の節分祭に行ってきました。
拝殿内はすでに一杯だったので、拝殿外から見る。

尾山神社

祝詞奏上の後、巫女による舞

尾山神社

剣と槍を持った奉納舞だったが、何という舞だったのだろう。

尾山神社

本日豆まきに奉仕する石川ミリオンスターズの社長や監督や球団マスコット「タン坊」、そしてつば甚の代表者(協賛社?)が玉串奉奠

尾山神社

豆まきが始まると、一斉に立ち上がってしまったので中の様子が全く分からないように

尾山神社

赤鬼と青鬼も登場したのだが、鬼は豆を撒かないらしい。

尾山神社

今日の福豆です。こちらは市販の豆でした。
30分ほどであっさり祭事は終了しました。

尾山神社 節分祭 2月3日
16:00 祝詞奏上など神事
16:10 巫女舞
16:15 玉串奉奠
16:25 福豆まき

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

加賀金沢 宇多須神社 節分祭

宇多須神社

金沢市に鎮座する宇多須神社。金沢の人気の観光地となっている東山茶屋街の奥にあり、当宮の節分祭は金沢で最も有名な節分祭と言える。
北陸新幹線が金沢まで開業してからは、遠方の観光客が多く詰めかけるようになったため、階段上に櫓を組んで豆まきをするようになった。

宇多須神社

拝殿前にはチラホラと人が集まりだしていた。
昨日まで雨予報だったが、今日になり午後は曇りになり、なんとか天気が持った。

宇多須神社

13時から神賑わい行事として、琴と三味線の演奏が始まった。

宇多須神社

続く神賑わいとして、加賀森田流の皆様による南京玉すだれが披露された。

宇多須神社

14時から節分祭(神事)が行われ、祝詞奏上や玉串奉奠が行われた。

宇多須神社

最後に神事としての豆まきが拝殿内で行われた。
「鬼は外 鬼は外 福は内」を3回

宇多須神社

その後、撒いた豆を総出で拾っていたのが大変そうだった。

宇多須神社

14時30分過ぎに東郭の芸妓さんによる篠笛の演奏

宇多須神社

続いて舞が披露された。最後に十数人の東郭の芸妓さん総出の舞が圧巻でした。
今日芸妓さんが着ていらした着物は正月1日から小正月15日までしか着れないものだとか。

宇多須神社

そして15時過ぎに福豆まきが始まりました。
今年は拝殿前から階段までを2組に分け、それぞれ2、3回豆まきをし、その後階段上の櫓から2、3回撒くということに変更されました。

宇多須神社

拝殿前の豆まきの後、櫓前に来るとすでに大勢待っていて、とても近づける様子ではなかったので芸妓さんが豆をまく様子をゆっくりと見学。

宇多須神社

今日の福豆です。最後に全く取れなかったという親子連れに1袋分けてきた。
100+αには袋に番号が入っており、景品がもらえるのですが残念なかった。

全く豆を取れなかったという人向けに授与所に限定50袋の福豆を有料で頒布しています。

宇多須神社

節分の今日から、授与所では「鬼門札」が頒布されていました。
当宮は金沢城の鬼門を守るために藩祖前田利家公を祀った社を前身としているという由来がある。
初めて見ましたが、1年毎に交換するのが正式なのであっという間になくなるようです。

宇多須神社 節分祭 2月3日
13:00 琴・三味線奉納演奏(拝殿)、ふるまい樽酒(境内入口)
13:40 南京玉すだれ奉納(拝殿)
14:00 節分祭神事(拝殿)
14:30 東郭芸妓さん篠笛奉納(拝殿)
14:40 東郭芸妓さん奉納踊り(拝殿)
15:00 福豆まき(拝殿、櫓上)

宇多須神社
石川県金沢市東山1丁目30−8

加賀金沢 尾山神社⑮

尾山神社

金沢市に鎮座する尾山神社に行ってきた。今年は初詣に行っていなかったので利家公にご挨拶。
1月は書き置きのみで御朱印帳に御朱印をいただいていなかったので、御朱印もいただいてきた。

尾山神社

今週は先週ほどの大雪にはならなかったが、低温が続き根雪が残っている。

尾山神社

拝殿前の狛犬も雪帽子を被っている。

尾山神社

拝殿に参る。

尾山神社

来年度(再来年度か?)は境内で工事が行われる。場所は裏参道を入った本殿横

尾山神社

ここに金沢城の玉泉院丸に渡る鼠多門橋が架かりスロープが設けられる。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

加賀金沢 金沢神社⑭

金沢神社

金沢市に鎮座する金沢神社。御祭神は菅原道真公、白蛇龍神。

金沢神社

1年ぶりの参拝ですが、今日は初天神(天神月次祭)の日です。今年一年の学業の精進を神様にお伝えに来ました。

金沢神社

金沢は今季最低気温を更新し零度近く、素肌だと痛いくらいです。放生池も少し凍っているように見える。

金沢神社

ここまで気温が下がると雪はさらさらなのだが、消雪装置の水も凍り、屋根のツララも長いですね。

金沢神社

寒さの影響もあって観光客も少ない。

金沢神社

雪景色の神社もいいですね。吹雪の間の晴れ間を狙ってきた。

金沢神社

拝殿に参ったあと、御朱印をいただいた。

金沢神社

今日参拝した目的は今年の絵馬をいただくことだった。昨年の酉年から始まった神社拝殿の天井に描かれている干支を絵馬として頒布している。戌(犬)なんだけど狼のようだな。

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

越前福井 藤島神社②

藤島神社

福井市に鎮座する藤島神社。御祭神は新田義貞公と弟、子ら。建武中興十五社のひとつ。

藤島神社

駐車場から少し戻り、二の鳥居から入る。

藤島神社

拝殿前で御神酒のふるまいが行われていた。

藤島神社

拝殿に参る。

藤島神社

前回の参拝が5年前なので、その間に随分変わったようだ。第61回神宮式年遷宮の神宝の徹下が当宮と福井県護国神社にあり、

藤島神社

その一部が拝殿左の神社会館に展示されている。今回は靴を脱がなくてはいけなかったので観覧は止めた。

藤島神社

本殿右にある境内社は摂社野神神社。

藤島神社

平成27年に第62回神宮式年遷宮の徹下材で建てられたもので、御祭神は義貞公の妻勾当内侍。平成21年に大津市の野神神社から分霊し、本殿に配祀されていた。

授与所で御朱印をいただく。正月期間は書き置きだったが、社紋以外に神紋が2つ増え、御朱印の配置が変わっている。

藤島神社
福井県福井市毛矢3丁目8−21

越前福井 毛谷黒龍神社②

毛谷黒龍神社

福井市に鎮座する毛谷黒龍神社。御祭神は高龗神、闇龗神、男大迹天皇。

毛谷黒龍神社

昨年より正月限定の御朱印ができたようだったので参拝する。

毛谷黒龍神社

3日になっても地元ナンバーを中心に多くの参拝者が来ていた。

毛谷黒龍神社

今年は明治維新150年の節目の年で各地で事業が予定されているが、当宮は越前藩士由利公正の氏神であったらしい。

毛谷黒龍神社

大絵馬は干支ではなく龍神。本殿前に参拝する行列ができていた。

毛谷黒龍神社

授与所も行列になっていた。

毛谷黒龍神社

拝殿前におみくじと破魔矢、御朱印のみの臨時授与所ができている。御朱印は見開き(500円)と通常(300円)の2種類で、記帳と書き置きの両方選べる。見開きは御朱印帳だと中央が少し欠ける。

御朱印に時間がかかるので、その間に拝殿に参る。

毛谷黒龍神社

拝殿前の扁額は当地の国会議員で内閣総理大臣になった岡田啓介氏による揮毫。

毛谷黒龍神社
福井県福井市毛矢3丁目8−1

越前武生 日野神社②

日野神社

越前市に鎮座する日野神社。御祭神は継体天皇、安閑天皇、宣化天皇の三柱。

日野神社

何度か参拝しに来たが、やはり宮司に会うことができなかったので正月なら会えるかと参拝した。

日野神社

境内には藁にくるまれたものが・・・左義長の準備?

日野神社

冬支度された拝殿に参る。

日野神社

鏡餅が供えられた拝殿に氏子の方がいらしたので話を聞いてみた。

聞いたところによると、先代宮司が3年前に亡くなり役所勤めの後継ぎが宮司とならなかったため、それ以来氏子総代が神事を代行しているという。定年後に宮司となるかどうかも分からず、御朱印は難しいそうだ。氏子も年老いたものが多くなったので、正月飾りや供物も今日の13時から下げてしまうそうだ。

作業まで少し時間があったのでさらに少し話をしてきた。地元石川では初詣は、住んでいる場所が加賀なら白山比咩神社、能登なら氣多大社、つまり一宮が一番だと思っている方が多いのだが、ここでは氣比神宮へ行くこともあるのか疑問だった。聞くと、二宮となる劔神社なら行くこともあるという。滋賀の多賀神社や伊勢神宮に遠出することもあるといい、石川でも厄年には行くこともあるので同じだった。越前一宮は敦賀市で南の端で山越えになるためどうなのだろうか?と思っていたが、越前市でそうなら、福井市や坂井市ならなおさらであろう。

と話をしている間に氏子の方が集まってきたので邪魔にならないように退散してきた。

日野神社

普段戸が閉まっていてよく見えなかった拝殿内の扁額が見えた。龍の彫刻で縁取りされたもので、社名は越前藩16代藩主の松平慶永(春嶽)公の揮毫による。

日野神社

帰りに破魔矢をいただいた。

日野神社

紙の裏に朱印が押されていた。

地方の神社では神職のみで生計を立てることが難しいことが多く、以前より兼職として教員や役所勤めする人が多い。ただ、戦後公務員は兼業禁止が原則となり後継を断念することも増え、神事の継続や神域の整備が困難になってきている。今回の参拝はこうした事例をまた再認識させられる出来事だった。

日野神社
福井県越前市中平吹町字茶端80-1

越前勝山 平泉寺白山神社⑥

平泉寺白山神社

勝山市に鎮座する平泉寺白山神社。

平泉寺白山神社

降りしきる雪の中の参拝。正月の参拝はもう何年目になるか。

平泉寺白山神社

今年はさらに雪が少ない。降ればどっと積もるのだろうが、今日は高い段差の階段が一部見えるほどだ。

平泉寺白山神社

三社の本殿に参る。昨年白山開山1300年の記念年で賑わった境内は静寂を取り戻した。

平泉寺白山神社

社務所で御朱印をいただき、最終周となる白山三馬場めぐりのクリアファイルをいただく。
御朱印からは「白山開山1300年」の印が消え、元に戻った。

平泉寺白山神社

クリアファイルは最後の1組だった。三馬場めぐりは3月末まで続くが、予定数が白山比咩神社、長瀧白山神社はすでに終わり、平泉寺白山神社でも自分で終了した。いただけて良かった。

平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺

越前永平寺 明神社②

明神社

永平寺町に鎮座する明神社。主祭神は天照皇大神。

明神社

正月なら御朱印を授与しているか確認できると思い参拝し、授与してないことを確認した。

明神社

正月らしく飾り付けられた境内。

明神社

左手の境内社、河濯神社(瀬織津比売神)と稲荷神社(豊受神)も扉が開けられているのも正月ならでは。

明神社

拝殿前には無人授与所が設けられている。

明神社

拝殿に参る。正月なので拝殿の扉も少し開いていた。
正面の本殿。神社の由緒書きによると、秋葉社(火産霊神)、菅原社(菅原道真公)、庚申社(猿田彦神)、白山社(伊弉諾神)の四社を合祀したとしている。

明神社

しかし、拝殿をよく見ると、本殿右に「八幡社」と「毘沙門天宮」

明神社

本殿左に「秋葉社」と「神明宮」と書かれた扁額がかかる。
こういう場合、合祀社を別々に祀っていることが多いのだが、江戸時代は「毘沙門堂」、明治時代は「神明社」と呼ばれていたというので、「毘沙門天宮」「神明宮」は主祭神と同じものか?「秋葉神社」は合祀社の一社だが、「八幡宮」は書かれていない。「菅原社」と「白山社」はどこにもないと何だか不思議な配置だ。

明神社
福井県吉田郡永平寺町松岡椚57-12

加賀金沢 神明宮②

神明宮

金沢市に鎮座する神明宮。御祭神は天照大御神と豊受大神。
藩政期に別当等を置かずに神官が奉仕した金沢五社のひとつです。

神明宮

長い間年末に翌年の干支土鈴をいただいていたので、今年も来ました。
たらよう願い?って最近当宮はおみくじ類が増えましたね。

神明宮

今年の無事を感謝して参拝します。

神明宮

拝殿前には花みくじ願いが華やかに飾られている。

神明宮

御朱印をいただく間、授与品を見たり境内をめぐっていると、授与所前に「願かけねがい石」
こんなのもあったのか。何度も来ていても気づかないものも多い。

神明宮

干支土鈴は昨年(酉)は気に入った色がなかったので、久保市乙剣宮でいただくことになったのだが、今年はその購入していたバージョンが置いてなかった。
そこで、今年も久保市さんに参拝していただくことにした。今年は金沢らしく金色バージョンが初めて登場した。
愛らしいのでそれをいただいてきた。来年からは定番になるのか?

神明宮
金沢市野町2-1-8

加賀松任 守郷白山神社

守郷白山神社

旧松任市に鎮座する守郷白山神社。御祭神は菊理媛命。

守郷白山神社

玉垣に囲まれた境内の入口に鳥居と横に社号標が建つ。

守郷白山神社

拝殿に参る。

守郷白山神社

当宮は拝殿に注目が集まる。

守郷白山神社

というのも、当宮拝殿は白山寺(現在の白山比咩神社)の本地堂を明治2年に移築したものであり、

守郷白山神社

境内に建つ社記にも本地堂移築の件を含めた由緒が記載されている。

守郷白山神社

拝殿内には一緒に移された「白山本地堂」の扁額も架かっている。

守郷白山神社

拝殿を横から見ると、本来の本地堂の正面(または裏)となり、確かに雰囲気が伝わる。

守郷白山神社

拝殿と右の社務所の間には御神木の大きな木(イチョウか?)が立っている。

守郷白山神社

その手前には「木津の大松跡地」と碑が建ち、大松があったようだ。
ちなみに地名の「木津」は「こうづ」と読む。

守郷白山神社

周囲は住宅地で見えづらいが、冠雪した白山が見え、白山の遙拝所としても良い場所であったのだろう。

守郷白山神社
白山市木津町100

加賀松任 倉部八幡神社

倉部八幡神社

旧松任市に鎮座する八幡神社。御祭神は大鞆和気命、菅原大神。
椋部郷の総社と伝えられ、式内社の神田神社とする説もある。

倉部八幡神社

集落の奥、海岸近くに境内がある。

倉部八幡神社

社前に川が流れ、海まで砂丘が広がる中を道路が横切っている。

倉部八幡神社

社前に変わった形の井戸かと思ったら、地下式の手水だった。
水はすでに枯れているが、砂が飛ぶので地下式にしたのだろうか

倉部八幡神社

鳥居の横に社号標。鳥居をくぐり境内に入る。

倉部八幡神社

振り返ると、一段高い境内からは集落の向こうに冠雪した白山が見える。

倉部八幡神社

拝殿に参る。中に入ろうとしたが、サッシは閉じていたので前で参る。

倉部八幡神社

本殿は拝殿、幣殿とつながる覆屋の中。
拝殿内には県内で4点確認されている石山軍記絵馬があるはずのだが、当宮のものは一番新しい明治9年の奉納。

倉部八幡神社

社殿左手に末社稲荷社が海を背にして建っている。

倉部八幡神社
白山市倉部町1

加賀松任 大松神社

大松神社

旧松任市に鎮座する大松神社。御祭神は品陀和気命、天照大神、蛭児命、菅原大神、事代主命。
文徳実録に記される治田若御子神(式外社)と伝えられるが不詳とされる。俗に八田社と呼ばれ八幡神社と称していたといい、八田(はった)という地名が治田と結びつけられたようだ。

大松神社

境内の先に一の鳥居が建つ。参道に対しては少し斜めだが、鳥居前の広場に向いているようだ。

大松神社

鳥居をくぐり家々の間の参道を進むと社名標が2本建っている。前のは明治、後のは昭和の皇紀二千六百年記念のときの建立。後の揮毫は陸軍大将で総理大臣となった林銑十郎氏によるもの。

大松神社への改称は八幡神社の境内地に大松がそびえていたからという。
現在も大きな松が立っている。

大松神社

参道沿いには灯籠など多くの奉納物が建っている。

大松神社

中にひとつ気になるものが。
「日露戦役記念」とあるが、台の上に飾られているのは何か?

大松神社

正面を向いていないのでわかりにくいが、どうやら象のようだ。
よく見ると背中が平らになっていて、前は何か上に乗っていたのか?確かに象だけだとバランスが悪い。
戦役記念ということは先年問題とされた砲弾が飾られていたのかも

大松神社

拝殿に参る。

大松神社

本殿は拝殿、幣殿とつながる覆屋の中

大松神社

境内から東に目をやると冠雪した白山や奥の山々がきれいに見えた。

大松神社
白山市八田町290

加賀金沢 子安神社

子安神社

金沢市に鎮座する子安神社。御祭神は豊玉姫神、武御名方神、誉田別神。
延暦年間の創建と伝えられ、藩政期には三代前田利常公以降、前田家に出産のある時は歴代祈願したといい、産土の八州原の藁を産後に用いるのを例とした。子安の藁が転じて「安藁」となり安原の地名の由来となっている。
明治40年に諏訪社と八幡社を合祀したということで、元の主祭神は豊玉姫神となる。

子安神社

境内の背後には畑が広がり、前には工場や会社が建ち並ぶ。

子安神社

玉垣に囲まれた境内入口には鳥居の前に神橋の手すりが奉納されている。他の奉納物をみてもとても信心深い氏子が多いようだ。

子安神社

鳥居をくぐり、右手に日露戦争から大東亜戦争までの出征記念碑だろうか

子安神社

左手には力石が並んでいる。

子安神社

拝殿に参る。

子安神社

社殿の左に末社の稲荷社が建っている。

子安神社

本殿は拝殿、弊殿とつながる覆屋の中。

子安神社
金沢市下安原町東467

加賀金沢 須々幾神社

須々幾神社

金沢市に鎮座する須々幾神社。御祭神は味耜高彦根神、伊弉諾神、伊弉册神、蛭児神。
天正15年に小濱神社の境内社であった多賀神社を遷座し、明治元年に多賀神社相殿の蛭児神を分祀して比留児神社を創建、三社あったものを大正14年に合祀した。

須々幾神社

神社は住宅街の中にあり、境内をぐるりと囲んでいるため参道は境内以外にはない。

須々幾神社

鳥居をくぐり拝殿に参る。

須々幾神社

拝殿にかかる社号扁額は司法大臣小川平吉氏の書とあるが、当宮との関係を見いだせなかった。

須々幾神社

当宮は養老2年当地に魚取部がおかれ、味耜高彦根神を開墾、農業の神として祀って治田の宮と称したと伝えられ、文徳実録に記載されている治田若御子神(式外社)とされている。やはり地名の「八田」(はった)を治田が由来としているようだ。

魚取部が置かれたところに由来するのか、拝殿には大正期に奉納された金沢市魚市場の扁額がかかる。

須々幾神社

拝殿の右には五重の石塔

須々幾神社

本殿は覆屋の中になるが、左にかつて庭園が作られていたようだ。

須々幾神社

由緒書は編年形式で変わっている。

須々幾神社
金沢市八田町丁57甲

加賀金沢 土清水八幡神社

土清水八幡神社

金沢市に鎮座する土清水八幡神社。御祭神は応神天皇。

土清水八幡神社

万治元年8月に五代前田綱紀公が塩硝調合所を土清水村に移してより、初代利家公から三代利常公までを合わせ祀ったと言われ、明治初めに尾山神社に合祀されるまで祀っていた。

といえ、当宮は小立野台地の北の端に建っており、塩硝調合所があった南の台地下とは距離がある。

土清水八幡神社

鳥居の横に大木があり、イチョウだろうか。周辺は住宅地になっているため整備されているが、かつてはもっと森が深かったのだろう。

土清水八幡神社

拝殿に参る。

土清水八幡神社

社殿は拝殿と本殿が一体となっている。

土清水八幡神社
金沢市土清水町6-80

加賀小松 岩上神社

岩上神社

小松市に鎮座する岩上神社。御祭神は大日霊貴尊、天児屋根命、八千矛神。

岩上神社

岩上村は古来岩神村とも呼ばれ、岩神を祀ってきたという

岩上神社

鳥居をくぐり拝殿に参る。

岩上神社

小振りが社殿だが、当宮の古さは後方の山に聳える巨木が物語る。

岩上神社

神社の後方に岩神さまと崇められた大岩がそびえる。巨石の上に乗る岩が烏帽子に見えることから烏帽子岩と呼ばれる御神体だ。

岩上神社

社号や村名もこの岩神さまに由来するものだが、一説では白山信仰に関係する岩神社とも伝えられる。

岩上神社
小松市岩上町ロ158

美濃下呂 森水無八幡神社

森水無八幡神社

下呂市に鎮座する森水無八幡神社。御祭神は須佐之男命、猿田彦、応神天皇、御食津神、倉稲魂命、事解男命、早玉男命、大山祇神、火産霊神、大己貴命、埴山姫命、興津彦命。

森水無八幡神社

神社は下呂温泉街の中に鎮座する。温泉街では目立つ鎮守の森です。

森水無八幡神社

神社の収蔵庫には10体の木造神像が保管されているといい、2月の祭事は田の神祭と称し、古来からの民俗芸能だそうです。

森水無八幡神社

社号標や鳥居の扁額は「水無八幡神社」となっており、「森八幡神社」「水無八幡神社」といろいろ呼ばれているが、正式名は「八幡神社」だろうか。

森水無八幡神社

階段の右に大きな社務所が建っている。

森水無八幡神社

境内は巨木に囲まれ、雰囲気のあるたたずまいだ。

森水無八幡神社

拝殿に参る。

森水無八幡神社

拝殿の右に金比羅神社。前に願い石が置かれている。

森水無八幡神社

その右、収蔵庫の横の神社は何だろうか。

森水無八幡神社

神社には不在だが、御朱印は門前の下呂装飾でいただけると情報を入手していた。社前の道路を探していると、近くに見つけたが、会社はすでに廃業しているようで社名が外されていたので最初わからなかった。ご自宅を訪ねて、御朱印について尋ねるとまだあるということでいただいた。金箔を散らした和紙に書かれた御朱印で、とても装飾会社らしく珍しいものだ。

森水無八幡神社
岐阜県下呂市森1321

美濃加茂 大山白山神社 鎮座千三百年記念奉祝祭

大山白山神社

白川町に鎮座する大山白山神社。御祭神は菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊。
泰澄により養老2年に開かれた北陸七白山のひとつと伝えられ、延喜式賀茂郡大山神社とされる。

大山白山神社

今日は秋季大祭の日ですが、今年は鎮座千三百年記念奉祝祭として特別祭事も開催されるとあって、800mを越える山頂駐車場も多くの車が停めてあります。

大山白山神社

神旗も空高く掲げられている。

大山白山神社

鎮座千三百年を記念した石碑も建てられた。

大山白山神社

祭礼の始まりも近かったので階段を急いで登る。

大山白山神社

今日は多くの人が来ていて賑やかだ。
始まるわずかな時間に、拝殿の授与所で御朱印について尋ねると書き置きをいただけた。
存在をあまり知られていないためか、他にいただいた方はいなかったようだ。

大山白山神社

神事が始まった。

大山白山神社

続けて仏事の祭事として経が読まれました。
長瀧白山神社でもそうでしたが、拝殿でお経を読むという祭事は神仏習合の雰囲気を感じることができてよい祭礼でした。

大山白山神社

普段無人の拝殿にはめったに入ることはできないので、この機会に天井や扁額などを見学しました。
中央の天井には植物が描かれている。

大山白山神社

右の天井には動物(想像上の動物もいる)が

大山白山神社

左の天井には人物が描かれている。

大山白山神社

よく見ると天井に一番近い壁に三十六歌仙の絵が掲げられている。

大山白山神社

本殿の右には光菴神社。中興の祖野原城主安江中務尉基政公と安江一族が祀られている。
上には寛政十二年奉納之絵馬が掲げられている。

大山白山神社

左には大黒天と恵比須天が祀られている。
上には明治三十六年奉納の第九師団第十九聯隊の絵馬が掲げられている。日露戦争に出征する前に奉納されたようだ。

大山白山神社

外の舞台に移って、子供たちの巫女舞が演じられた。
地元の方は遠慮深いのか、いつも見慣れているのか最前列が空いていたので、最前列で見せていただいた。
今日は来る途中も北陸は雨だったが、祭礼中は上空が晴れて良かった。

大山白山神社

伊勢大神楽の流れをくむという獅子舞

大山白山神社

稚児舞

大山白山神社

神楽陵王の演舞。女性による神楽は初めて見ましたが、女性らしいしなやかな動きでした。

大山白山神社

拝殿から餅投げが始まり、氏子たちが餅を取り合います。
自分は景品はいいので3個だけいただきました。
よい祭りでした。

大山白山神社

最後に奥宮に参ります。

大山白山神社

三棟の社殿を囲む玉垣も完成し、

大山白山神社

こちらも完成した展望台からは絶景が望めます。

大山白山神社

今日は残念ながら地平線沿いに雲がかかっていたので、白山や御嶽山は見えませんでした。

鎮座千三百年記念奉祝祭
12:00 祭事(神事)
12:45 祭事(仏事)
13:30 巫女舞
13:45 獅子舞
13:55 稚児舞
14:15 神楽演奏
14:25 景品付き餅投げ

大山白山神社
岐阜県加茂郡白川町水戸野1096

美濃下呂 久津八幡宮

久津八幡宮

下呂市の上呂という地に鎮座する久津八幡宮。御祭神は応神天皇を主祭神とし、相殿に天照皇大神、春日大神を祀る。古くは飛騨国に属し、飛騨二の宮南飛騨総鎮守と称されたといい、先代宮司まで17代に渡り久津家が社家をつとめていたという。

久津八幡宮

神社に隣接して広い駐車場が整備されている。

久津八幡宮

社前に線路が通り、鳥居の前に踏切がある。

久津八幡宮

七五三詣りで祈祷している間に電車が通りました。

久津八幡宮

鳥居をくぐると外拝殿が建っている。桃山時代の建立。

久津八幡宮

八幡宮の扁額がかかり、内部は戸がなく吹きさらしになっている。

久津八幡宮

中央を4本の柱で支えている。

久津八幡宮

軒下に鯉と矢が対に描かれている。逆光だと少し見にくい。

久津八幡宮

拝殿の右手に久津八幡神社と称していた戦前の社号標が建っている。

久津八幡宮

内拝殿で参る。

久津八幡宮

祈祷を待つ間にゆっくりと社殿を見学する。
室町時代に再建された本殿

久津八幡宮

伝説の残る鳴き鶯の蛙股

久津八幡宮

社殿の左に美魂神社。地元出身のご英霊を祀る。

久津八幡宮

美魂神社の左右に夫婦杉と呼ばれる御神木がそびえる。
祈祷が終了したところで、宮司に尋ねて御朱印をいただく。

久津八幡宮

拝殿、本殿以外にも神社には宝物が多数残る。

久津八幡宮
岐阜県下呂市萩原町上呂2345-1