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紀伊田辺 滝尻王子宮十郷神社

滝尻王子宮十郷神社

田辺市に鎮座する滝尻王子宮十郷神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とし、日子日能邇邇藝命、天忍穂耳命、天津日高日子穂々出見命、鵜葺草葺不合命を配祀する。

滝尻王子宮十郷神社

境内入口に「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野参詣道中辺路の石碑が建つ。
ここ滝尻王子宮は富田川と石船川の合流地点にあり、中辺路を歩く者は川で水垢離したという。

滝尻王子宮十郷神社

境内に休憩所が建つ。

滝尻王子宮十郷神社

鳥居には「滝尻王子宮」の扁額が掛かり、左の建物にも何か祀っているようだがよく分からない。

滝尻王子宮十郷神社

境内には後鳥羽上皇の歌碑が建てられ、28回も参詣のあった後鳥羽上皇を顕彰している。

滝尻王子宮十郷神社

参道を行くと社号標が建ち、先に社殿が建っている。

滝尻王子宮十郷神社

拝殿に参る。

滝尻王子宮十郷神社

本殿は弊殿で拝殿とつながる。

滝尻王子宮十郷神社

滝尻王子宮は熊野古道の中辺路のスタート地点になっている。

滝尻王子宮十郷神社

時間に少し余裕があったので少し歩いてみることにした。
不寝王子(ねずおうじ)まで0.4キロ15分ということで、途中名所もあるようなので往復する。

滝尻王子宮十郷神社

少し川沿いを歩くと大岩に根を巻く圧巻の巨木の背後から早速急登が始まる。

滝尻王子宮十郷神社

片道15分とは言えほぼ上りだったので大変だったが、道の脇にも巨石がゴロゴロと転がっている。

滝尻王子宮十郷神社

10分弱で胎内くぐりと呼ばれる大岩に到着する。
女性がくぐると安産すると伝えられるが、修験道でいうところの生れ変わりの儀式によく出てくる。

滝尻王子宮十郷神社

入口も狭かったが、

滝尻王子宮十郷神社

中に入ると、出口はさらに狭い。リュックを背負っていると通れなかったので、先にリュックを通し、何とか体を通すことができた。

滝尻王子宮十郷神社

妊婦は通れそうもない。諦めて迂回する人も多いだろう。

滝尻王子宮十郷神社

そこから少し上ると乳石という伝説の岩がある。
奥州の藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た時、ここで夫人が急に産気づき、この岩屋で出産した。夫妻は赤子をここに残して熊野に向かったが、その子は岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったので奥州に連れ帰ったという伝説なのだが、出産したのは胎内くぐりの洞窟だという記事もある。

滝尻王子宮十郷神社

さらに2分ほど進むと不寝王子(ねずおうじ)跡に到着したので、滝尻王子に戻る。
昨日の大峯奥駈道のプチ体験に続き、今日は中辺路のプチ体験ができ満足でした。

滝尻王子宮十郷神社

川向かいの熊野古道館で御朱印をいただいた。
熊野古道館は道の駅みたい地産物の販売所かと思っていたが、中辺路を歩く人のための歴史や準備をする拠点だった。

滝尻王子宮十郷神社
和歌山県田辺市中辺路町栗栖川859番地

紀伊田辺 熊野本宮大社旧社地 大斎原

熊野本宮大社旧社地 大斎原

田辺市に鎮座する熊野本宮大社の旧社地である大斎原。熊野川の中洲にあったため、川の氾濫で流されてしまった。
平成30年の御創建千二百五十年を記念し御朱印(書き置き)が追加され、熊野本宮大社の授与所でいただける。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

熊野本宮大社の鳥居前の道路向かいに入口がある。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

田んぼの中を参道が延びる。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

鳥居内に入ると、「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として、熊野本宮大社と旧社地大斎原の石碑が建つ。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

今日の熊野川は濁っていた。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

熊野世界遺産センターではかつての大斎原の模型が展示されている。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

一度夕食を食べるために離れて、19時前に戻ってきた。
かなり薄暗くなってライトアップされた大鳥居が見えた。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

御創建千二百五十年を記念した行事だが、GW中とはいえ人もほとんどいない。周りの店舗が閉まっている中では無理もないか。
ライトアップされた大鳥居と月が水を張った田んぼに映り美しい。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

暗い中の撮影ではピンボケする写真も多いので、40分くらい何十枚と撮影し宿へ向かった。

熊野本宮大社旧社地 大斎原
和歌山県田辺市本宮町本宮

紀伊田辺 熊野本宮大社末社 産田社

熊野本宮大社末社 産田社

田辺市に鎮座する産田社。熊野本宮大社の末社で平成30年の御創建千二百五十年を記念して御朱印(書き置き)が追加された。御朱印は熊野本宮大社の授与所でいただける。

熊野本宮大社末社 産田社

大斎原へ向かう途中分かれ道

熊野本宮大社末社 産田社

田の向こうに大斎原の大鳥居が建つ。

熊野本宮大社末社 産田社

社号標は道に向かって建ち、90度曲がって南向きに鳥居が建つ。

熊野本宮大社末社 産田社

鳥居の先の岩の上に石祠が建つ。

熊野本宮大社末社 産田社

産田社に参る。

熊野本宮大社末社 産田社
和歌山県田辺市本宮町本宮

紀伊田辺 熊野本宮大社②

熊野本宮大社

田辺市に鎮座する熊野本宮大社。御祭神は家都美御子大神、素戔嗚尊を主祭神とする。

熊野本宮大社

平成30年は御創建二千五十年の記念年で金字の特別御朱印(書き置き)が授与される。

熊野本宮大社

GW中ということで、臨時駐車場で河原には車がたくさん停まっている。

熊野本宮大社

6年ぶり2回目の参拝

熊野本宮大社

鳥居をくぐると参道の先に階段が続く。

熊野本宮大社

神門をくぐって3つの社殿に参拝する。

熊野本宮大社

今回は宝物殿に入り、宝物を鑑賞した。

熊野本宮大社

御創建千二百五十年記念特別拝観で、普段は見られない名品も見ることができた。

熊野本宮大社

本殿正面は写真禁止だったので背後から

熊野本宮大社

その背後の参道を進むと、境外に出て数10メートルのところに

熊野本宮大社

中辺路最後の王子社である祓殿王子跡がある。

熊野本宮大社

裏参道口の鳥居

熊野本宮大社

入口付近にカフェと土産店を併設した建物ができていた。

熊野本宮大社

大斎原などを散策し、17時過ぎ社前の神旗が降ろされた。
今日は大鳥居のライトアップを見るため周辺で夕食の予定だったが、17時にほぼすべての店舗が閉店した。神社は19時まで参拝できるようだが、授与所やカフェなどが閉まった中、参拝する人はほとんどいない。

熊野本宮大社
和歌山県田辺市本宮町本宮

紀伊田辺 海神社旧地

海神社旧地

海神社が大斎原に遷座する前の旧鎮座地は大斎原から七越峯に至る途中だったという。
七越峯の底海社を延喜式牟婁郡海神社の論社と伝え、牟婁郡天手力男神社である御戸開神社の旧地でもあった。

海神社旧地

案内板に「(伝)海神社跡」とあるが、地図が大まかで距離感が掴めない。

海神社旧地

七越峯入口という坂を上る。

海神社旧地

5分ほど行くと、大峯奥駈道案内図が建っているがここには何も書かれていない。

海神社旧地

案内図は奥駈道の途中で、西に進むと大斎原に至る。

海神社旧地

峠まで少し登ってプチ奥駈道体験してみたが、それらしい場所はなかった。

海神社旧地

下って入口から上ってすぐの斜面に幾段かの平場がある。
奥の石積みは小石を積み古そうで、ここを旧地としている記事もあるのだが整地は新しいようだ。

海神社旧地

また奥駈道案内板に戻り、さらに少し上ると奥駈道の続きが始まる。

海神社旧地

間が現在は舗装された道路になっているのだが、間の斜面に不自然な石が残る場所があった。

海神社旧地

小石で四角に囲んだように見える場所もある。

海神社旧地

斜面側に平たい石や平石を積んで丸石を乗せた信仰遺跡に近い遺物もあった。

海神社旧地

場所は奥に奥駈道の続き、同じ道路左側の手前になる。
ここなら大斎原から奥駈道初めの峠を越え、下ってまた上り始める道沿いになるので底海社という社名にもふさわしいのではないだろうか。

海神社旧地
和歌山県田辺市本宮町

紀伊熊野 産田神社

産田神社

熊野市に鎮座する産田神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智神。
花窟神社の兼務社で御朱印も花窟神社でいただける。花の窟が伊弉冉尊の御陵と伝えるのに対し、産田神社は伊弉冉尊が軻遇突智神を産んだために亡くなった場所と伝える。

産田神社

神社境内の西を流れる産田川に朱色の橋が架かる。

産田神社

南向きの境内入口に鳥居と御神木が立つ。

産田神社

ここは「さんま寿し発祥の地」らしい。

産田神社

杉の木立の中を参道がまっすぐ社殿へと続く。

産田神社

この建物は拝殿ではなく社務所のようだ。

産田神社

通り抜けると御白石を敷き詰められた拝所の先に玉垣に囲まれた本殿が建つ。

産田神社

神社には社殿が建つ前、神籬(ひもろぎ)という祭祀台を神の依代とした場所が残っているという。
社殿の左右に2カ所あるというが、御白石は下足では上がれないので、靴を脱いで上がらせていただく。

産田神社

本殿左の神籬は5つの丸石を取り囲む様子がそのまま残る。

産田神社

本殿右の神籬は5つの丸石は残るが、取り囲む石は育った木で一部崩れている。

産田神社

御白石に上がらなくとも、境内東を通る道路から覗くことはできる。

産田神社

参道の途中、西に朱色の鳥居が立ち並び、

産田神社

境内社の稲荷神社が建つ。

産田神社

社叢は原生林の雰囲気も一部残っていて、稲荷神社の背後にも大木が立つ。

産田神社

木の根元に石祠があり、白蛇が祀られている。西に川が流れることもあり、白蛇竜神だろうか。

産田神社
三重県熊野市有馬町1814

紀伊熊野 花窟神社②

花窟神社

三重県熊野市に鎮座する花窟神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智神。
社号はホームページや御朱印では「花窟神社」、社号標は「花の窟神社」、社頭由緒は「花乃窟神社」となっていて、読みの「の」の扱い方が不定のようだ。

花窟神社

6年ぶりの社頭は明るい。前回の参拝は冬の夕暮れ時だった。
観光スポットとしての人気もかなり上がってきたようで、参拝者も多い。

花窟神社

前回は閉まっていた社務所も開いていた。

花窟神社

門をくぐって拝所に入る。

花窟神社

社殿はなく、巨大な磐座が御神体となっている。

花窟神社

上部に渡る綱は2月と10月に1本ずつ掛けかけられる。

花窟神社

前の拝所で参る。

花窟神社

伊弉冉尊の前に軻遇突智神の拝所と御神体の磐座がある。

花窟神社

参拝後に社務所で御朱印をいただく。前回は手書きだった墨書きが判になっていて味気なくなった。
ゴールデンウィークで繁忙ということより、参拝者が増えたことが要因だろうか。

花窟神社
三重県熊野市有馬町上地130

若狭大飯 青葉山登拝

青葉山登拝

青葉山は福井県高浜町と京都府舞鶴市にまたがる山で、高浜町の市街を走っていると秀麗な裾野をひく山容を見ることができる。若狭富士と呼ばれるが、元修験の山で東峰と西峰の2つのピークをもつ双耳峰。

青葉山登拝

今日は中山口から登ることにする。

青葉山登拝

中山寺に到着。東峰まで3.1キロ。9時16分にスタートする。

青葉山登拝

5分で中山集落の青葉神社に到着。登山の無事を祈る。
青葉神社は東峰山頂に祀られる神で、東峰三十三所の神々を祀る。その里宮としての位置づけか?
拝殿左に境内社が1社ある。

青葉山登拝

青葉山青少年旅行村に駐車した場合の登山口に到着。9時28分
ここで案内板を確認する。

青葉山登拝

今日のコースは、中山寺コースを上り、東峰、西峰と縦走し、松尾寺コースを下る。松尾寺からは麓の今寺集落、高野集落の氏神を回って帰ってくる。

青葉山登拝

上り初めてすぐ斜面に大岩をチラホラ見るようになる。初めからかなりきつい急登になる。

青葉山登拝

中山寺コースと高野コースの合流点。9時41分

青葉山登拝

TV中継アンテナを過ぎて展望台に到着。9時59分

青葉山登拝

若狭湾の眺めが絶景だが、午前中なので少し逆光

青葉山登拝

10時1分、金比羅神社(金比羅大権現)に到着

青葉山登拝

馬の背に立つ。10時25分
両側に切れ落ちる岩塊が尾根に横たわり、西に西峰が見える。

青葉山登拝

南の眼下には高浜の村々と山並みが広がる。風が心地よいが、強風や雨の日は厳しそうだ。
東峰と西峰の間はまさに修験の修行場だ。

青葉山登拝

東峰に到着。10時37分
青葉神社。前に燈籠が2基と、左に磐座のような岩塊がある。本殿は覆屋の中で見えなかった。

青葉山登拝

本殿裏に「青葉山 東峰山頂 標高693m」の表示

青葉山登拝

10分ほど行くと初めての梯子が出てくる。

青葉山登拝

梯子を登ってすぐ縄につながって、すれ違いできない狭い道を行く。
ここからいくつも梯子と縄が出てくることになる。

青葉山登拝

東峰から20分ほどのところ、笹が覆い茂りちょっとした藪漕ぎに入る。
夏以降は道も見えづらくなりそうで大変だ。

青葉山登拝

11時8分、大師洞を通過。泰澄大師参篭の伝説がある場所。

青葉山登拝

11時16分、西峰に到着。西青葉神社(西権現)、西峰三十三所の神々を祀る。
本殿後方に岩塊があり、登ることができる。

青葉山登拝

神社の背後にあるのは通常磐座だが、頂上が削られており現在はそういう位置づけではないらしい。
「青葉山 西峰山頂 標高692m」と建っている。ここはまだ福井県

青葉山登拝

眼下に美しい若狭湾の眺望が広がっている。
西峰で20分ほど休憩兼補給を行う。

青葉山登拝

西峰を出発して3分ほどで松尾寺コースと高野コースの分岐点に至る。
わかりにくいが右の木の下をくぐって進む。どうもこの辺りが県境のようだ。

青葉山登拝

分岐から1分、11時38分松尾寺奥の院(青葉山権現)に到着。周辺に燈籠が2基ある。

青葉山登拝

12時10分、平場に出る。ここに崩れた鳥居があった。西青葉神社のものか、松尾寺奥の院のものかははっきりしない。

青葉山登拝

12時19分、松尾寺口に到着。

青葉山登拝

西国観音三十三所第29番札所で、草創1300年イベントもしているので、御朱印をもらい、宝物殿を見学する。
松尾寺の由緒譚に青葉山の双耳峰が中国の馬耳山に似ているという話が出てくる。本尊の馬頭観世音菩薩は、松尾寺、中山寺、馬居寺と青葉山周辺三ヶ寺で本尊とされ、何か関連があるのだろう。

13時45分松尾寺を後にして帰途につく。

青葉山登拝

14時3分、今寺口に到着。

青葉山登拝

登山口は今寺集落の最奥部であり、ここに熊野神社が鎮座する。
左右に境内社が1社ずつあり3社が並ぶ。

青葉山登拝

手前に名前がわからない寺が建つ。もとは熊野神社と一体のものだろう。
中を覗くと、左に十一面観世音菩薩、右の朽ちているのもおそらく同じであろう。
松尾寺奥の院の元本尊は十一面観世音菩薩で宝物殿に納められていた。十一面観世音菩薩を主峰とする白山を開山した泰澄大師の伝説とともに非常に興味深い事例である。

青葉山登拝

今寺口から歩くこと10分ほどで、田の中に岩を見つける。
大成の大岩と呼ばれるもので

青葉山登拝

上に道標が立っている。

青葉山登拝

さらに歩くこと10分、隣の高野集落の金剱神社に到着。
ここも3社並ぶ形式で、中央に金剱神社、左に稲荷神社、右は不明だった。

青葉山登拝

14時44分、7分ほど歩いて高野集落の東の外れにある高野口に至る。

青葉山登拝

最終的に中山寺に到着したのは15時4分。寄り道しながら約6時間の行程、19000歩の登拝の旅でした。

青葉山
福井県大飯郡高浜町・京都府舞鶴市

丹後加佐 松尾寺奥の院(青葉山妙理大権現)

松尾寺奥の院

青葉山の西峰から西に約200mに鎮座する松尾寺奥の院、通称青葉山妙理大権現。延喜式加佐郡弥加宜神社の論社。
御祭神は不明。

松尾寺奥の院

登山道から一段高い場所に祀られている。

松尾寺奥の院

階段の先に社殿と左に燈籠が建つ。

松尾寺奥の院

社殿は鉄格子の覆屋に入っている。
神仏分離の際に、麓の松尾集落と今寺集落の争いになって社殿が破壊され、今寺集落によって再建されたものだという。

松尾寺奥の院

覆屋の中に小さな祠が祀られ、鏡が置かれている。

松尾寺奥の院

松尾寺の宝物殿に元本尊といわれる平安時代作の十一面観世音菩薩が納められている。

松尾寺奥の院

今寺集落の寺にも製作年代はわからないが十一面観世音菩薩が祀られている。
そこから考えると、御祭神は十一面観世音菩薩の垂迹神になるだろうか。

松尾寺奥の院

下にもう1基燈籠が奉納されている。

松尾寺奥の院

少し下から眺めると、社殿と燈籠の配置はこのようになっている。

松尾寺奥の院

少し下ったところの登山道の脇に杉の大木が立っている。
登山道反対側にも上が焼けたか、折れたように見えるが同じく杉の大木がある。
登山道の両側に立ち、かつては鳥居の替わりだったのかもしれない。

松尾寺奥の院

松尾寺で聞いたところによると、奥の院はもとは西峰山頂の西青葉神社(西権現)の場所にあったらしい。
ここには神社の背後に大きな磐座がある。

松尾寺奥の院(青葉山妙理大権現)
京都府舞鶴市松尾

若狭大飯 伊弉諾神社

伊弉諾神社

高浜町に鎮座する伊弉諾神社。延喜式大飯郡伊射奈伎神社の論社。御祭神は伊弉諾命、伊弉冉命、阿遲鋤高日子根命、宇津志国玉命、綿津海三柱命ほか。

伊弉諾神社

青葉山の南麓に鎮座する。若狭富士と言われる青葉山だが、南から見ると東峰と西峰の2つのピークが見える。

伊弉諾神社

一の鳥居は東向きだが、社殿は南向き

伊弉諾神社

二の鳥居の先に神楽殿が建つ。

伊弉諾神社

神楽殿の後方に社殿が建つ。

伊弉諾神社

階段を上り拝殿に参る。

伊弉諾神社

本殿は弊殿で拝殿とつながる。

伊弉諾神社

拝殿の左に境内社が2社並ぶ。
左が元本社奥宮西青葉神社遙拝社。西青葉神社は青葉山西峰山頂に建ち、西峰三十三所の神々を祀る。
右が金剱神社、国常立尊を祀り、南麓高野集落と同じ神を祀る。金剱山の金剱明神を祀るというが山の位置がよくわからない。

伊弉諾神社

拝殿の右に八所荒神神社、敷地・社殿の守り神を祀り遷座祭仮宮だという。
左奥に境内社3社が並ぶ。

伊弉諾神社

右が恵比須神社、蛭子命を祀る。
中央が青葉神社遙拝社。青葉神社は青葉山東峰山頂に建ち、東峰三十三所の神々を祀る。
左が稲荷神社、倉稲魂命を祀る。

伊弉諾神社

桂(不動)神社遙拝所

伊弉諾神社

社前には田が広がり、畦には芝桜がきれいに咲いている。

伊弉諾神社
福井県大飯郡高浜町小和田51-14

近江野洲 御上神社② 御遷座1300年記念奉祝祭

御上神社

野洲市に鎮座する御上神社。御祭神は天之御影神。
2回目の参拝。

御上神社

今日は御遷座1300年記念奉祝祭が行われるので見に来た。

御上神社

午前中は雨予報ということもあってか一般の参拝者は思ったり少ないだろうか。

御上神社

ちょうど遷祀祭の巫女豊栄舞の最中だった。

御上神社

巫女舞の後、拝殿のまわりをこの桜の造花を持って稚児行列が三周する(桜の舞)予定だったが、雨で中止になった。

御上神社

遷祀祭の後、氏子地区毎の記念写真撮影が行われました。

御上神社

記念撮影を終えた親子は徹下のさくら餅を配布されました。
すべての記念撮影を終えた後、余ったさくら餅をいただきました。

御上神社

本殿に奉納された御酒の数々

御上神社

境内の東端に今回の奉祝奉幣祭の記念碑(右)が建てられていました。
ちなみに左は平成19年2月11日に建てられた御遷座1300年記念造営事業の本殿尾根保存修理工事竣工奉祝祭のものです。

ここで午前中の行事が終了し休憩に入ったので、御朱印をいただき午後の行事が始まる前に神体山の三上山に登ってきました。

御上神社

午後2時、午前中とは打って変わり晴れた空の元、奉祝奉幣祭が始まりました。

御上神社

天皇陛下の御幣帛が運ばれ、続いて神社本庁の幣帛料が運ばれてきました。

御上神社

本殿へ幣帛が献じられ、神楽豊栄舞が奉奏されました。
午後は大津市瀬田の八坂雅楽会により、舞と演奏が奏じられました。

御上神社

奉幣祭終了後、舞楽奉納が始まりました。
最初に浦安の舞。ここからは本殿の神様に奏じるのではなく、拝殿右の参拝者席に向かって演じられました。

御上神社

続けて、雅楽の越天楽と陪臚が演奏されました。

御上神社

最後に舞楽の蘭陵王だったのですが、楼門から拝殿まで歩いて入ってくるという演出がビックリしました。

御上神社

後ろから見ていたのでほぼ後ろ姿でしたが、優美な舞でした。

御上神社

最後は氏子さんらによるくじ引き抽選会だったが、ここで帰途につく。

御遷座1300年記念奉祝祭
10:30 遷祀祭(桜の舞)
14:00 奉祝奉幣祭
15:20 舞楽奉納
16:20 くじ引き抽選会

御上神社
滋賀県野洲市三上838

近江野洲 御上神社奥宮 三上山登拝

御上神社奥宮

祭礼の合間に神体山の三上山に登る。男山、女山の双耳峰である三上山は見る方角によっては秀麗な裾野をひくことから近江富士と呼ばれている。
御上神社から登山口に向かう。

御上神社奥宮

「昭和大禮 悠紀斎田址」と書かれた石標。他に三ヶ所あり何かな?と思いながら歩いていたが、その正体は後で判明する。

御上神社奥宮

裏登山口が出てきたのでそのまま入る。今回は緩やかな裏登山道を上り、急な表登山道を下りることにする。

御上神社奥宮

裏登山口に御上神社御旅所がある。

御上神社奥宮

登山口の鳥獣柵を開けてスタートする。12時3分
雨もほぼやんでいたが、直前まで降っていたので地面は濡れている。

御上神社奥宮

すぐに表登山道と裏登山道の分岐がある。この後二ヶ所分岐があるので、基本右を選択する。

御上神社奥宮

半分過ぎた頃から登山道がむき出しの岩盤が多くなる。濡れて滑りやすいので注意しながら登る。

御上神社奥宮

女山に鎮座する東龍王に到着。12時32分
東の龍王の祠が建っている。標高は270m
龍王祭(山上祭)ではここと奥宮で祭祀が行われ、竹串を刺したこんにゃくとあげの甘煮が供えられるという。

御上神社奥宮

女山と男山の間は少し標高が下がり、わりと平坦な道が続く。苔が沢山繁殖する場所のようで「苔が谷」と呼ばれる。

御上神社奥宮

途中、「姥の懐」という案内板を見つけるが、洞窟の場所がよくわからなかった。

御上神社奥宮

奥宮の裏登山道鳥居をくぐる。12時38分

御上神社奥宮

男山に鎮座する奥宮。両側に祠がある。右には前掛けをした地蔵のような石像が祀られている。
東の龍王の祠に対して、西の龍王の祠というものをあるといい、女山に対し男山は若干西に位置するので、左の祠が西の龍王の祠ということになるのだろうか。

御上神社奥宮

前に奥津磐座と呼ばれる神磐がある。御上神社の御祭神天之御影神は三上山山上に御降臨したとされているので、この磐座の上に降り立ったということになろうか。そう思うといかにも伝説の磐座の趣がある。

御上神社奥宮

磐座の先は視界が開けている。

御上神社奥宮

三上山の本当の頂上は奥宮の裏を少し登ったところ

御上神社奥宮

三上山山頂432m

御上神社奥宮

15分ほど滞在し、表登山道を下りる。
少し下りたところに展望台があり、奥宮前よりもさらに視界が開けている。

御上神社奥宮

途中ツツジがきれいに咲いていた。さらに下りる途中、「モチツツジ」という案内を見つける。花は咲いていなかったが、ガクが粘りがあると書いてあったので触ると本当にくっつく感じがあった。

御上神社奥宮

表登山道は裏登山道に比べると確かに急だが、岩盤がむき出しで滑りやすい裏登山道に比べると段があって下りるには良かった。15分ほど下ると眼下に御上神社の社叢(丸い森)が見えてきた。

御上神社奥宮

さらに10分ほど下ると割岩に到着。

御上神社奥宮

横にまわると真っ二つに割れた大岩を体感できる。間を通ることもできるようだが、濡れていて危険だったので諦める。

御上神社奥宮

案内に誘われて二越に寄り道

御上神社奥宮

途中に妙見堂跡という建物の基壇跡が残る。

御上神社奥宮

魚釣岩に到着したのは13時37分
大昔、琵琶湖の水位がこの付近まであり、神がこの岩の上から魚を釣っていたと言われることから命名された。

御上神社奥宮

振り向けば、そこはもう表登山口になっていた。

御上神社奥宮

表登山口に妙見堂があり、中腹の妙見堂がここに下ろされてきたようだ。

御上神社奥宮

登山口に妙見堂の常夜灯が建つ。

御上神社奥宮

帰ろうとふとみると、裏登山口が見える。表登山口と裏登山口は目と鼻の先だった。

御上神社奥宮

御上神社から道路を渡って向かいの田の前に鳥居が建っている。
ここは御上神社の神饌田のようだ。

御上神社奥宮

神饌田と神社の間が公園となっていて悠紀斎田記念碑が建っている。

御上神社奥宮

その隣の石碑に書かれていることをみると、
天皇御一代一度の大嘗祭に当たり、古来宮中において亀卜により悠紀と主基の両斎田を定める習わしという。
昭和三年十一月十日、今上天皇(昭和天皇)の御即位式挙行に際し、悠紀斎田を滋賀県に、主基斎田を福岡県に勅定遊ばされ、滋賀県では御上神社の神饌田になっている田地等を含めて約一町歩を斎田に選定した。
ということのようだ。最初の石標の意味がわかってスッキリした。

御上神社奥宮(三上山山頂)
滋賀県野洲市三上

近江甲賀 飯道神社

飯道神社

湖南市に鎮座する飯道神社。御祭神は素盞嗚尊と菅原道真公。

飯道神社

神社の東に社号標が建つ。神社は道路の右側の丘の上
雨がやまないので少し薄暗いが参拝することにする。

飯道神社

道路を行くと階段がある。

飯道神社

もう1本奥にも階段があり、こちらのほうが古そうだ。

飯道神社

階段を上がると家棟川を渡る橋の向こうに境内が見えてくる。

飯道神社

数段の階段を上り、「式内 飯道神社」の社号標と鳥居が建つ。

飯道神社

参道の左に社務所代わりの建物が建つ。

飯道神社

参道をまっすぐ拝殿が建つ。

飯道神社

後ろに瑞垣に囲まれた本殿。拝所で参る。

飯道神社

瑞垣の中、本殿の前に狛犬が奉納されている。阿像は子持ち

飯道神社

拝殿と本殿の間に湯窯が並び、印象に残る風景。

飯道神社

本殿の右、本殿に向かって末社皇大神宮が鎮座。

飯道神社

本殿の右に並んで愛宕神社が鎮座する。

飯道神社

拝殿の右には石造宝篋印塔がある。案内板によると「嘉元四年十一月」(1306)の銘があるらしい。

飯道神社

鳥居の近くに神社の由緒板が建てられていた。
これによると境内社は「天神社 愛宕神社 二ノ宮日吉神社」の3社となっている。愛宕神社は確認できたが、他の2社が周囲を探しても見当たらなかった。ここに皇大神宮が載っていないことをみると、天神天照大神を祀るという意味で天神社がそれだろうか。

飯道神社

当宮はもとは「飯道の森」と呼ばれた神域に祀られていたらしい。その場所は湖南市役所東庁舎(旧甲西町役場)の場所ということだが、森だった面影は周辺には全くなかった。

飯道神社
滋賀県湖南市針1009

大和奈良 春日大社④

春日大社

奈良市に鎮座する春日大社。春日大社の展覧会が開催されるのに合わせ、先月に続き参拝しました。

春日大社

暖かい日でもあったので観光客が大勢参拝に来ていた。

春日大社

拝所に参る。

春日大社

境内の砂ずりの藤

春日大社

まだ少し早かったが、二分咲きくらいで花は楽しめた。

春日大社

御朱印をいただいた後、桂昌殿の「秘宝 鹿島立御鉾 特別公開」を鑑賞する。

春日大社

続いて国宝殿の「聖域御本殿を飾る美術」を鑑賞する。もと本殿の間に書かれていた絵や狛犬を間近に見られた。

春日大社

国宝殿の前の東門から神苑萬葉植物園に入る。

春日大社

一部の藤は見頃を迎えていた。

春日大社

御衣黄(ぎょいこう)という緑の桜が満開だった。葉と同じ色で少し見つけにくく、入口で場所を聞いて向かった。

春日大社

午後は奈良国立博物館の特別展「国宝 春日大社のすべて」を鑑賞した。
春日大社宮司花山院弘匡氏による記念講演会はとてもわかりやすく興味深いお話だった。

春日大社

奈良国立博物館の前庭に残る東塔の礎石と

春日大社

西塔の礎石。展覧会の宮曼荼羅に多く描かれた往時の五重塔を思い浮かべながら見た。

春日大社
奈良県奈良市春日野町160

大和奈良 狭岡神社

狭岡神社

奈良市に鎮座する狭岡神社。御祭神は若山咋神、若年神、妹若沙那賣神、彌豆麻岐神、夏高津日神、秋毘賣神、久久年神、久久紀若室葛根神の八柱。延喜式添上郡狹岡神社八座の論社。

狭岡神社

境内は一条通りを北へ上る。狭い路地で駐車場がなかったので、道路が少し広がった場所に停車。

狭岡神社

一の鳥居の右に「延喜式内 狹岡神社」の社号標。

狭岡神社

すぐに朱色の二の鳥居。その先は階段になっている。

狭岡神社

階段の途中左手に狹穂(佐保)姫伝承の鏡池が復元されている。

狭岡神社

少し上がった左手には狹穂姫伝承地の石碑が建つ。

狭岡神社

さらに階段を上っていくと、右手に社務所が建つ。

狭岡神社

階段は最後に左に折れ、拝殿左から入る。
拝殿前に建物。絵馬殿でも神楽殿でもなさそうな休憩所のような建物。

狭岡神社

拝殿に参る。

狭岡神社

拝殿の左に御神木。

狭岡神社

拝殿の後ろ、瑞垣の中に三社が並んでいる。

狭岡神社

中央が狹岡神社の御本社。

狭岡神社

右に末社天満神社、御祭神は天照大神、伊那諾大神、八幡大神、住吉大神、春日大神、天満大神。

狭岡神社

左に末社金山神社、御祭神は事代主神、地主之神、金山彦神。

狭岡神社

階段が折れる辺りに末社天満神社に合祀された天満宮の社号標が残されている。

狭岡神社
奈良県奈良市法蓮町604

若狭三方 闇見神社②

闇見神社

若狭町に鎮座する闇見神社。御祭神は沙本之大闇見戸賣命を主祭神とし、菅原道眞公、天照大神を配祀する。

闇見神社

昨年に続き2回目の参拝。

闇見神社

この御神木は2回目でも圧倒される霊気が漂う。

闇見神社

境内はやけに清掃が行き届いていると思ったが、5日に例大祭(王の舞など)があったようだ。

闇見神社

本殿に参る。中央が「闇見神社」、右に「天満大神」、左に「天照皇大神」の扁額がかかる。

闇見神社

御祈祷所と書かれた建物の中に、お札や書き置きの御朱印がある。
前回は御朱印が切れていたのだが、今日はまだ残っていた。良かった。

闇見神社
福井県三方上中郡若狭町成願寺字御手洗水12-7

若狭三方 宇波西神社 宇波西まつり

宇波西神社

若狭町の宇波西神社。御祭神は鵜草葺不合尊。
今日は違う方角から向かったら、JR小浜線をまたいだところに社号標が建っていた。
「式内 明神大 月次新嘗 宇波西神社」

宇波西神社

鉄橋をくぐると参道がまっすぐに神社まで延びているが、今日は駐車場ないので停めても良さそうな場所を見つけて歩いていくことにした。

宇波西神社

神橋を渡ると神社が見えてくる。境内は神橋から少し下がっている。

宇波西神社

神社前の道路には路駐の列。片側半分ずつ占領して一車線道路のようになっているが、いつもこうなんだろう。

宇波西神社

太鼓の音も響き、祭りの盛り上がりを感じる。

宇波西神社

拝殿まで行くと、まだ巫女舞が終わっていなかったので見る。

宇波西神社

普段は閉まっている建物も開放され、氏子らが集っている。

宇波西神社

拝殿に至る階段左に子供神輿があった。桜と合わせていい景色だ。

宇波西神社

祭礼神事が終わり休憩に入って拝殿が空になった後で、本殿に参る。

宇波西神社

午後1時になると拝殿に上がる階段に、裃など正装した方々が並び、中央の人が何かを掲げた。

宇波西神社

王の舞はなかなか始まらなかった。氏子の代表が神橋まで迎えに出る。

宇波西神社

15分ほど過ぎてようやく出てきた。社務所前に陣取っていたが、ここには笛が並ぶので前を遮られてしまった。
初めて来たのでベストポジションが分からなかったが、ここはハズレだった。

宇波西神社

それでも間から王の舞を鑑賞した。

宇波西神社

鳥居の前を同じような動作を繰り返しながら何周か回る。
結局最後まで農耕儀礼に由来するという王の舞の所作がよくわからなかった。

宇波西神社

王の舞の間に、中に飛び出そうとする人と、それを一所懸命止める人のやり取りが何度かあった。
王の舞に全く集中できないこの出来事の由来は、かつて王の舞を止めた人がおり、その村はその年豊作になったということがあったそうで、担当しない地区は豊作を願って突入するのだと聞いた。

宇波西神社

王の舞に続き獅子舞

宇波西神社

田楽舞

宇波西神社

最後に子供神輿が境内を賑やかに回って祭礼は終了した。
王の舞の後は少し人が減ったのでゆっくり見れた。

宇波西まつり 4月8日
午前3時~ 各区参拝神事
午前10時30分 例祭神事・式典
午前11時 浦安の舞
午前12時30分頃~ 王の舞
午後1時頃~ 田楽舞・獅子舞・子供神輿

宇波西神社
福井県三方上中郡若狭町気山

加賀石川 吉野神社

吉野神社

旧吉野谷村に鎮座する吉野神社。御祭神は菊理姫命、大穴牟遅尊、素盞嗚命、天児屋根命。
明治41年に同村内に鎮座していた白山神社、大国主神社、素戔嗚神社、春日社を合祀したというのでそれぞれの御祭神が列記される。
延喜式石川郡味知神社の鎮座地を付近の「ミチゴ」と呼ばれた場所にある遺跡に比定し、合祀社のいずれかが味知神社の継承社でないかと言われる。白山麓の河内村、鳥越村、吉野谷村のあたりは味知郷と呼ばれた地域で、戦国時代には山内庄と呼ばれ加賀一向一揆の屈強地域であった。

吉野神社

参道入口に「吉野神社」の社号標が建つ。

吉野神社

3月7日に来た時はまだ雪に埋もれていて参拝できなかった。

吉野神社

神旗ポールの先は剣形になっている。

吉野神社

鳥居をくぐる。

吉野神社

拝殿の前にはケヤキの大木が立っている。

吉野神社

拝殿に参る。

吉野神社

拝殿と本殿は弊殿でつながる。
参拝後に「ミチゴ」の場所を探っていたのだが分からなかった。調査して再訪したい。

吉野神社
石川県白山市吉野ク223

大和奈良 宇奈多理坐高御魂神社

宇奈多理坐高御魂神社

奈良市に鎮座する宇奈多理坐高御魂神社。御祭神は高御魂尊(中座)、天太玉命(東座)、思兼命(西座)の三座。延喜式添上郡宇奈太理坐高御魂神社の論社。

宇奈多理坐高御魂神社

神社は平城京跡の中にあり、東院庭園の裏手の森に鎮まる。

宇奈多理坐高御魂神社

緩やかな階段を上り、鳥居をくぐる。

宇奈多理坐高御魂神社

森の中にあり、少し薄暗い境内で社殿は南向きに建つ。

宇奈多理坐高御魂神社

社殿は塀に囲まれており、入口に社号標が建つ。
入口の戸は閉まっていて中には入れなかったので前で参る。

宇奈多理坐高御魂神社

横からのぞくと参道を通って中央に本殿、両側に境内社が2社ずつ見える。
由緒には天鈿女命社、猿田彦命社、手力雄命社、大宮媛命社、豊岩窓命社の5社書かれているので、1社見えない所にあったのか、2社の合祀殿があるようだ。

宇奈多理坐高御魂神社
奈良県奈良市法華寺町600

大和奈良 率川神社

率川神社

奈良市に鎮座する率川神社。御祭神は姫蹈鞴五十鈴姫命、玉櫛姫命、狹井大神。延喜式添上郡率川坐大神御子神社の論社で、大神神社摂社。

率川神社

東向きに鳥居と社号標が建っている。
「官幣大社大神神社摂社 率川神社」と書かれている。

率川神社

鳥居をくぐると社殿は南向きに建つ。

率川神社

拝殿の後ろの本殿を塀が取り囲む。

率川神社

拝殿から参る。3つの本殿の間に松と竹の絵が見える。

率川神社

3つの本殿が並ぶ。中央が子神の姫蹈鞴五十鈴姫命、右に母神の玉櫛姫命、左の父神の狹井大神。

率川神社

境内の左奥に手水舎があり、そばに御神木が立つ。
手水舎は鳥居から見ると拝殿より遠い場所にあるが、奥に駐車場があるためか。

率川神社

拝殿の反対側には大神神社への遙拝所、隣に蛙石がある。

率川神社

本殿右には境内社が並ぶ。

率川神社

中央は摂社率川川神社、御祭神は事代主神。延喜式添上郡の論社。
右は春日社、御祭神は春日四神。
左は住吉社、御祭神は住吉三神と氣長帯比売命(神功皇后)。

率川神社

拝殿の右に社務所兼自宅が建ち、授与所で御朱印をいただいた。

率川神社
奈良県奈良市子守町18

大和奈良 漢國神社

漢國神社

奈良市に鎮座する漢國神社(かんごうじんじゃ)。御祭神は園神と称する大物主命と、韓神と称する大己貴命、少彦名命二座の三柱。
延喜式添上郡狹岡神社の論社だが、添上郡率川坐大神神御子神社、宮内省坐神園神社、韓神社二座の論社でもある。

漢國神社

参道入口に一の鳥居、右に「縣社 漢國神社」、左に「饅頭の祖神 林神社」の社号標が建つ。

漢國神社

境内は塀に囲まれ、境内の背後に開化天皇陵がある。

漢國神社

拝殿前に二の鳥居が建つ。

漢國神社

鳥居横の狛犬の後ろにひっそりと石造随神像が奉納されている。

漢國神社

境内入口の門をくぐってすぐ左に源九郎稲荷神社が建つ。
一時期財政難から春日大社の末社だった時もあり、境内社も朱色が多い。

漢國神社

右に授与所

漢國神社

舞楽殿

漢國神社

石舞台がある。

漢國神社

拝殿に参る。本殿は桃山時代末期の建立という。

漢國神社

本殿を囲む瑞垣には左右に雉の彫刻がされている。

漢國神社

拝殿左に詳細不明の境内社。神明社だろうか。

漢國神社

本殿左に八王子社

漢國神社

本殿右に葵神社

漢國神社

その隣に饅頭塚がある。

漢國神社

拝殿右に林神社(りんじんじゃ)。御祭神は日本で饅頭を初めて作ったという林浄因命を祀る。
左には饅頭屋宗二(御祭神の子孫)献木の紅梅が咲いていた。

漢國神社

燈籠も饅頭型になっている。4月中旬には饅頭祭も行われる。

漢國神社

林神社の左にも何か塚があった。
境内には珍しい白い雉を埋めたという白雉塚があるというのだが、どうやら見逃したらしい。場所は石舞台の右側だった。

漢國神社

参拝後に一の鳥居と境内の間に建つ社務所に寄って御朱印をいただいた。

[追記]
4月14日に奈良市に行った際に再拝した。
漢國神社

前回取り忘れた白雉塚

漢國神社

石舞台前の藤棚は七分咲きくらいだった。

漢國神社
奈良県奈良市韓国町6

大和奈良 氷室神社

氷室神社

奈良市に鎮座する氷室神社。御祭神は闘鶏稲置大山主命、大鷦鷯命(仁徳天皇)、額田大仲彦命。
旧地が春日山の月日磐と言われ、延喜式添上郡高橋神社の論社。明治以前は春日大社の別宮として営繕費や祭礼が賄われたという。

氷室神社

国立奈良博物館の前に鎮座し、境内は南向き。入口に朱色の鳥居と社号標が建つ。

氷室神社

境内に入ると左に住吉神社。御祭神は住吉三神と、祓戸四神で別名祓戸神社という。

氷室神社

拝殿は渡廊で四脚門とつながり、四脚門の両側に廻廊がや建物がつながる。
四脚門前は階段になっており、左に植えられたモクレンが満開になってきれいだった。

氷室神社

右には春を告げる樹齢約100年のエドヒガン桜。樹勢が衰えて最近はあまり咲かないらしい。

氷室神社

拝殿に参る。

氷室神社

拝殿の前には戦艦鎮遠の砲弾が奉納されている。

氷室神社

東御廊の授与所で御朱印をいただく。当宮は御朱印は神札と同等として、火打ち石で祈祷するので600円。書いてもらうにも時間かかります。
氷室神社ということもあり、氷みくじというおみくじがある。

氷室神社

渡廊に置かれた氷に乗せると文字が浮かび上がる。

氷室神社

拝殿と本殿

氷室神社

瑞垣の前に燈籠が吊されている。春日大社の春日燈籠に似ている。

氷室神社

本殿は瑞垣に囲まれてよく見えないが、内部が珍しい形式だとか。

氷室神社

本殿右に末社舞光社が建つ。御祭神は南都舞楽の祖である狛光高公で、社宝の舞楽面蘭陵王はここに祀られていた。

氷室神社

隣に御祭神の仁徳天皇の御製碑が建つ。

氷室神社
奈良県奈良市春日野町1−4

大和奈良 春日大社③

春日大社

奈良市に鎮座する春日大社。御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の四柱。
前回の参拝は第六十次式年造替の行われたちょうど2年前。もうそれほど経ったのかと思う。

春日大社

一の鳥居

春日大社

奈良公園では鹿が紅白の梅の下に集まっていた。

春日大社

二の鳥居

春日大社

前回は見逃した南門前の神石

春日大社

午前中は春分祭の神事で特別参拝は中止していた。
参った後、御朱印をいただく。今は御創建千二百五十年の記念印が押される。

春日大社

帰り道、手水の鹿と神鹿との奇跡のツーショットを撮れた。

春日大社

春日大社国宝殿に初めて入る。

春日大社

ちょうど「御創建千二百五十年記念展Ⅰ 伝説の名刀たち」が開催されていた。
思っていたより展示室は狭かった。

春日大社
奈良県奈良市春日野町160

近江大津 還来神社

還来神社

大津市に鎮座する還来神社(もどろきじんじゃ)。御祭神は藤原旅子霊。
現在は小椋神社の兼務社で、小椋神社で御朱印をいただいた。

還来神社

本殿にも書き置きの「還来大明神」の御朱印があった。
境内の由緒や授与品案内を見ると近年までは本務宮司がいたようだ、というより日付は今なので2家体制なのだろうか。

還来神社

神社の社前を通る477号線は湖西から京都の鞍馬方面へ抜ける道で、滋賀ナンバーと京都ナンバーが両方通り、山中にしては交通量が非常に多い。

還来神社

境内入口に赤い鳥居と社号標が建つ。

還来神社

鳥居をくぐるとまず目の前に御神木の梛(マキ科)の木が祀られている。
御祭神の藤原旅子霊は第50代桓武天皇の后で、第53代淳和天皇の生母になる。当地は龍華荘という藤原氏の荘園で、旅子は当地で生まれ、遺言に「我が出生の地、比良の南麓に梛の大樹有り、その下に葬る可し」として祀られたという。

還来神社

左に社務所が建つ。

還来神社

梛の御神木の先に拝殿、本殿が並ぶ。拝殿はまだ冬支度のままだった。

還来神社

本殿の左前に湯立竈

還来神社

本殿の前に二の鳥居が建つ。

還来神社

本殿に参る。

還来神社

本殿の左には新しい社殿の日吉神社。

還来神社

本殿の右に若宮神社(左)と下司神社

還来神社

境内社は以上3社のみのようだが、本殿の左方にまるでお堂のような社殿がもうひとつあった。

還来神社

本殿を囲む塀垣の右端に変わった燈籠?があり、左端にも同じようなものがあったが何だろうか。

還来神社
滋賀県大津市伊香立途中町518

近江大津 八所神社

八所神社

大津市に鎮座する八所神社。御祭神は大己貴神、菊理姫神を主祭神とし、菅原道真公を配祀する。
現在は小椋神社の兼務社で、小椋神社で御朱印をいただいた。

八所神社

南向きの境内入口で、夕方でもまだ明るかった。

八所神社

鳥居をくぐると右に社務所が建っている。

八所神社

社務所前に昨年の祭礼の様子が飾られている。それほど大きな集落には見えないのだが、流鏑馬も行われるようだ。

八所神社

神域全体が森に囲まれ、階段の先に社殿が見える。

八所神社

境内隅に御神木だった木だろうか。根元だけが祀られている。

八所神社

階段を上ると拝殿が建つ。

八所神社

拝殿の後ろの塀垣の中に本殿がある。

八所神社

拝殿左には境内社の稲荷神社

八所神社

本殿前の中門は開いていて、本殿が2つ並んで建つ。

八所神社

右の本殿、こちらにはおそらく大己貴神、菊理姫神が祀られているのだろう。
昨年の台風で倒木があり、屋根が破損したという。もしかしたら下に祀られていた木だろうか。

八所神社

右には八坂神社

八所神社

左の本殿は菅原道真公を祀るのだろうか。

八所神社

その左に多賀神社(右)と白髭神社が合わせ祀られている。

八所神社

さらに横向きに左から磐滝神社、八幡神社の2社、中央は松尾神社・平尾神社・日吉神社の合祀社、右に愛宕社・道陸社、神明神社を祀る。

八所神社
滋賀県大津市伊香立下在地町1316

近江大津 融神社

融神社

大津市に鎮座する融神社(とおるじんじゃ)。御祭神は源融公を主祭神とし、大原金子命、大山咋神の配祀する。
嵯峨天皇の皇子源融公を祀る全国唯一の社で、荘園だった地に鎮座する。源融公は源氏物語の光源氏のモデルとも言われ、源氏物語ツアーで訪れる方もいるようだ。
現在は小椋神社の兼務社で、小椋神社で御朱印をいただいた。

融神社

参道入口に社号標が建つ。

融神社

木々の間を抜ける参道を行くと、石造と木製の2つの鳥居が建っている。

融神社

鳥居をくぐって右手に歌碑が建つ。室町時代の勅使参向の折に読まれた和歌らしい。

融神社

左手に社務所が建つ。

融神社

開放的な拝殿の先に本殿

融神社

拝殿に架かる額を見ると、最近でも舞が奉納されているようだ。

融神社

本殿が2つ並ぶ。右が源融公を祀る本殿、左が源融公の母、大原金子命を祀る摂社ということのようだ。

融神社

摂社の左、石塔の後ろに建つのは若宮神社

融神社

その隣に5社並び、左から諏訪神社、多賀神社、春日神社、稚姫神社、松尾神社。

融神社

本殿の右に八幡社

融神社

稲荷神社

融神社

隣に出雲神社。社に狐の顔のような朽ちた木造が祀られている。

融神社

本殿の裏に神明神社(右)と愛宕神社(左)
境内で見た境内社は11社だが、他に大己貴神社がどこかにあったようだ。

融神社

周囲の石積みの上を見ると、石が数個立っている。小椋神社で見た石造瑞垣のようなので、かつてはこの社にもあったのかもしれない。

融神社

さらに見ると、石積みの下の段に等間隔に石が積まれている。境内社の不明社が5社あるようなので、もしかしたらその基壇の跡かもしれない。

融神社

境内には他に子育地蔵のお堂が建っていた。

融神社
滋賀県大津市伊香立南庄町牟禮の岡山1846

近江大津 小椋神社

小椋神社

大津市に鎮座する小椋神社。御祭神は闇淤加美神。延喜式滋賀郡の論社。

小椋神社

比叡山ドライブウェイの北入口への途中にある。鳥居横には参拝者用駐車場がある。
鳥居の横に「式内 小椋神社」の社号標が建つ。

小椋神社

参道はゆるやかに下る。

小椋神社

進むと天神川に架かる赤い欄干の神橋を渡る。

小椋神社

最初に建つのは祓戸神社

小椋神社

拝殿前に御神木の大杉が並び立つ。

小椋神社

拝殿と奥の本殿は参道と直角に曲がって建つ。

小椋神社

拝殿の右角に神輿蔵が建つ。

小椋神社

その隣に湯立竈の後ろに大宮神社(右)と若宮神社(左)
大宮神社の御祭神は伊邪那美神。小椋神社より1年早い天安二年に当地に最も早く鎮座する。
若宮神社の御祭神は稚日女神。

小椋神社

若宮神社の隣に初代一の鳥居の一部が残っている。

小椋神社

大宮神社と若宮神社の裏手に石が並んでいる。
最初は石仏かと思って表面を見ていたが何も掘られていない。これが石造瑞垣という鎌倉時代の玉垣だという。

小椋神社

間の御供所の裏に神竹苑があり五葉笹が植えられている。

小椋神社

本殿に参る。

小椋神社

中門から玉垣の中をのぞくと、中央に小椋神社本殿、右に春日神社、左に菅原神社が建つ。

小椋神社

やはりこの本殿玉垣の裏手にも石造瑞垣が残る。

小椋神社

本殿前に小椋神社の旧社号「田所神社」の石造扁額が残る。

小椋神社

本殿前の神饌所の隣には経塚があり、「心経一○」と書かれている。

小椋神社

ここで神橋まで戻り社務所で御朱印をいただく。

小椋神社

本社と兼務社の雄琴神社の御朱印についてはあらかじめ情報を得ていたが、来てみると兼務社があと3社あることがわかったのですべていただく。時間がかかるのでその間に残る境内社をめぐる。

小椋神社

本社の横に建つのは多賀神社と塚本神社

小椋神社

本社の裏には仰霊社が建つ。

小椋神社

反対側に神力稲荷神社が建つ。その前に神苑がある。

小椋神社

境内一番奥に新宮神社(右)と今宮神社(左)が建つ。
新宮神社の御祭神は少彦名神、今宮神社は大穴持神。

小椋神社

新宮神社の脇に子安神社

小椋神社

裏に瀧と瀧宮神社がある。

小椋神社

今宮神社の脇に天照大神と豊受大神を祀る神明神社がある。
境内社の多い神社だった。

小椋神社
滋賀県大津市仰木町4-38-55

近江大津 雄琴神社

雄琴神社

大津市に鎮座する雄琴神社。御祭神は大炊神今雄宿禰命。
御朱印は本務社の小椋神社でいただいた。

雄琴神社

琵琶湖の西岸、琵琶湖に向かって鳥居が建っている。上り坂の参道の入口に「郷社 雄琴神社」の社号標が建つ。

雄琴神社

坂を上っていくと鳥居が建っている。左に社務所が建つ。

雄琴神社

最後に階段を上った平坦地に社殿が建つ。

雄琴神社

開放的な拝殿

雄琴神社

その拝殿の後ろに御垣に囲まれた本殿がある。

雄琴神社

拝殿左の神饌所?に「御鎮座壱千五拾年記念大祭」の板が掛かる。昭和51年11月3日に行われたようだ。

雄琴神社

中門の前で本殿に参る。

雄琴神社

御垣の中には3殿建ち、中央に本殿が建つ。

雄琴神社

本殿左に三峯神社。御祭神は大己貴命。

雄琴神社

本殿右に樟本神社。御祭神は祟道尽敬天皇。

雄琴神社

御垣の右、井戸の横に稲荷神社。御祭神は倉稲魂命、市杵島姫命、水速女命。

雄琴神社

鳥居の右側に数社の境内社が建っている。
霊光社。御祭神は当宮に不動産の寄進をした八木氏の霊と日清・日露・太平洋戦争で戦没者された当町出身者のご英霊。

雄琴神社

階段を上ったときに左から野神社、地主神社、牛尾神社が祀られている。
野神社の御祭神は野椎神。境内の由緒には祭神不詳となっている。
地主神社の御祭神は大物主神。もと字出口に鎮座していたという。
牛尾神社の御祭神は大山咋命荒魂、菅原道真公。

雄琴神社
滋賀県大津市雄琴2-10-1

近江蒲生 大嶋奥津嶋神社②

大嶋奥津嶋神社

近江八幡市に鎮座する大嶋奥津嶋神社。御祭神は大國主命、奧津嶋比賣命。延喜式蒲生郡の大嶋神社、明神大社奥津嶋神社の2社の論社。

大嶋奥津嶋神社

今回は2度目の参拝となった。

大嶋奥津嶋神社

非常に天気の良い青空の広がる元で参る。
今日は何か行事があったようで、氏子の方が数人集まってきていた。忙しい中ではあったが、宮司宅で御朱印をいただいた。

大嶋奥津嶋神社
滋賀県近江八幡市北津田町529

近江蒲生 石部神社

石部神社

旧安土町に鎮座する石部神社。御祭神は少彦名神、天照大神、高皇産靈神、大己貴命、櫛日方命。延喜式蒲生郡の論社。

石部神社

安土城の百々橋口から登る。安土城が20年間に及ぶ発掘調査を行っていた頃まではこちらからも天守台まで登ることができたが、有料化されてからは神社から先は行き止まりとなっているので、訪れる人もまばらになった。

石部神社

天主への急な階段を少し登ると神社への入口がある。

石部神社

鳥居の横に「式内 石部神社」の社号標が建つ。

石部神社

手水舎の横には磐座

石部神社

鳥居の横には御神木がある。

石部神社

森に囲まれた中に南向きに社殿が建ち、開放的な拝殿が建つ。

石部神社

奥に本殿と右に境内社が一社。

石部神社

本殿に参る。
本殿にも「式内 石部神社」の扁額が掛かる。

石部神社

境内社の社名はわからない。横に石地蔵が祀られている。

石部神社
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6222