安曇野市に鎮座する穂高神社に参拝してきました。
月詣御朱印 紅葉
9月から限定頒布されている御船祭切り絵御朱印
東向き社殿
鳥居の左に船が奉納されている。穂高神社の祭神は海神ですから例大祭も船形の御船祭で、神船が奉納されています。
拝殿に参る。
今日は雲が多くて嶺宮のある奥穂高岳は見えませんでした。
穂高神社
長野県安曇野市穂高6079
安曇野市に鎮座する穂高神社に参拝してきました。
月詣御朱印 紅葉
9月から限定頒布されている御船祭切り絵御朱印
東向き社殿
鳥居の左に船が奉納されている。穂高神社の祭神は海神ですから例大祭も船形の御船祭で、神船が奉納されています。
拝殿に参る。
今日は雲が多くて嶺宮のある奥穂高岳は見えませんでした。
穂高神社
長野県安曇野市穂高6079
上田市に鎮座する山家神社。
今日は丑の日、さらに25日は御祭神の菅原道真公の命日ということで、境内社の北野社の御朱印は右上の六文銭が梅バージョンとなります。
全国的に雨天の多い中、幸い晴れているものの四阿山は望めない。
拝殿に詣る。
北野社。御祭神の菅原道真公。
石祠の前に丑に見立てた石、鳥居が建っている。
今年は四阿山開山1300年、奉祝御朱印あり。
真田氏歴史館の四阿山特別展の間は拝観御朱印がある。要証明。
真田氏歴史館では「真田一族が崇敬した四阿山」という企画展を開催中
2018年7月14日~10月1日
展示は撮影できないが、入口の奥宮二分の一模型は撮影できる。
企画展は常設展の脇に少しだけだが見応え合った。
展示品は12点
1.四阿山奥宮古扉
2.銅造御正体(懸け仏) 阿弥陀如来(大己貴命)
3.銅造御正体(懸け仏) 十一面観音(菊理媛神)
4.鰐口
5.四阿山中牛王符・各神札・薬包 寛永年中に奉製、宝暦・天保年中に改版
6.四阿山大牛王符 永禄年中に奉製、宝永年中に再調
7.真田の民話
8.古札 明治以前に配札されていた御札
9.四阿山由緒書(縁起)
10.四阿山別当正系/松尾氏の由来
11.少将文書
12.さぬき文書
企画展に入るとパンフレットにスタンプラリーが付いている。
ゆきむら夢工房
3カ所まわるとゆきむら夢工房か山家神社で感状がいただける。
山家神社を最後にして希望すれば、感状に名前を入れてもらえる。
山家神社
長野県上田市真田町長4473
上田市に鎮座する上田大神宮。天照皇大御神と豊受大神を祀る。
なかなか御朱印をいただけないので、上田市に来る度に寄ってみている。
拝殿に詣る。
拝殿には社号ではなく「光華明彩」と書かれた額が架かる。
参拝しているうちに、神事で出かけていたと思われる宮司が帰ってきた。
御朱印を尋ねると社務所のチャイムを押してくださいと言われた。
宮司が在宅でも書き置きのみの授与になる。
上田大神宮
長野県上田市中央北2-5-5
上田市に鎮座する眞田神社。
夏休みに参拝するのは初めてだ。
限定御朱印が複数出てくる夏休み、早く到着する予定だったがすっかり寝坊して11時に着いた。
2016年真田丸放映時は行列だったようなので少し心配していた。
拝殿に詣る。
朱印所前には複数の御朱印。通常の4番と見開き2番は御朱印帳に書いていただける。
覆刻枚数限定の5番も幸い残っていたので、他の3枚は書き置きをいただいた。
待つ間境内を散策する。
夏らしく風鈴が涼しげな音を響かせている。
真田井戸の向かいに、いつの間にか神宮遥拝所ができていた。
鳥居が低いのは下から見えないようにだろうか。
御朱印帳に書いてもらった上田城と幸村の御朱印(期間限定)
幸隆・昌幸・幸村の真田三代兜の御朱印(期間限定・書き置きのみ)
夏休み限定御朱印(書き置きのみ)
復刻版の昌幸・信之・幸村の兜御朱印(期間限定1日30枚限定・書き置きのみ)
眞田神社
長野縣上田市二の丸(上田公園内)
上田市の上田城内に鎮座する眞田神社。御祭神は上田城の歴代城主である真田氏二代、千石氏三代、松平氏七代を祀る。
本丸東虎口の櫓門の先に鳥居が見える。
小雨が降っている夕方なので参拝者は少ない。
参拝者というか城内の観光客がそもそも少ない。
今日から夏越の茅の輪が設置されたので、厄払いにくぐってきた。
拝殿に参る。
社務所で御朱印をいただく。今日から授与が始まった夏越の大祓特別バージョン
墨書きは夏らしく青色、社号印は銀色、上の社紋は金色になっている。書き置きもあったが、直接も書いていただける。
雨の日御朱印特典ということで、赤・青2種類のうち1つファイルをいただけた。
運が開く傘みくじは雨の日が似合うな。
眞田神社
長野縣上田市二の丸(上田公園内)
上田市に鎮座する山家神社。御祭神は大国主神、伊邪那美神、菊理媛神を主祭神とし、日本武尊、神八井耳神を相殿に祀る。
今日2回目の四阿山登拝を終え、またたくさんの御朱印をいただくため参拝した。
1冊目の白山御朱印帳が埋まった(表のみ記帳)ので、今年記念販売された白山御朱印帳夜景バージョンを購入した。
白山御朱印帳を購入したので1ページ目には白山大権現の御朱印
今年は奥宮の建つ四阿山が開山1300年を迎え、限定御朱印も特別バージョンになっているものがある。
四阿山開山千三百年奉賛御朱印。奉賛金込みで御守シールが付く。そろそろ終了するらしい。
そろそろ始めるかなーというのでいただいた四阿山開山千三百年見開きバージョン。
開山1300年記念で開山浄定坊を祀る浄定社の御朱印も今年いっぱいは特別バージョン。
拝殿左の浄定社
今年は戌年ということで、戌の日限定の子安社の御朱印は特別バージョンになっている。
今日の登拝はこの戌の日に合わせた。
本殿裏手に建つ真田信幸公室の小松姫寄進の子安社。
山家神社
長野県上田市真田町長4473
四阿山へ2回目の登拝。
6月~10月は「山家神社奥宮」と墨書きされる。
今回は菅平高原から根子岳を経由して四阿山山頂を目指す。
天気は午後から崩れる予報だ。
8時50分登山届を書いてスタートする。
根子岳には菅平牧場の横を登っていく。
牛が出迎えてくれた。
20分ほどで東屋に到着。
南から崩れる予報なので、北の方はまだ景色が見えた。
北アルプスが雲海の上に顔を出し、絶景を作り出している。
さらに30分ほど登ると、登山道の脇に何か建っている。
見逃してしまうような場所に立つ「禰固岳八合目」の石碑
山頂近くになると登山道はガレ場になる。雨が降る前で乾いていて歩きやすかった。
1時間20分弱で根子岳山頂(2207m)に到着。
山頂に鎮座する禰固岳霊社
山家神社で山頂の写真を見せると、猫のカワイイ根子岳の御朱印がいただける。
風を遮るものもない山頂は強風吹きさらしだったので、早々に四阿山に向けて一度下山する。
途中、巨石がゴロゴロとした岩脈が現われる。
圧倒されながらも、岩で強風も避けられて快適に進めた。
底近くは笹原を進むのだが、天候が徐々に怪しくなり強風で横から煽られ、登り返しに入ることにはポツポツ降ってきた。
1時間ほどで登り返しが終わり、四阿山山頂と菅平・四阿高原の分岐地点に到着。
少し平坦になったので山頂へと急ぐ。
前回も登った木道の先に山頂がある。あともう少し
長野側奥宮(信濃社)
奥の群馬側奥宮(上毛社)は今年新しくなった。
自分は参加していないが、人力で木材を荷揚げして組み立てたもので、やはり吹きさらしなので数十年しか持たない。
天気は怪しいが、新しい奥宮は清々しい気分になる。
分岐からは20分、時折小雨が降っているので山頂に人はまばら。
自分も昼食を軽くとり、早々に下山を始める。
12時過ぎ、分岐地点まで戻り、菅平高原へ下りる。
5分ほどで菅平高原と四阿高原の分岐になる。
最終的には菅平高原に戻るが、今日は西中宮へ寄るため四阿高原へ下りる。
長野側の登拝道だった道の途中には石祠を複数見られた。
分岐から50分、奥に旗が建っているのが見えた。これがないと見逃してしまうような場所に中宮があった。
手前に石祠があり他にも石碑の境内社が複数あるが、さらに左奥の茂みの先に中宮が建つ。
山家神社の西中宮。
巨石の脇に雨風を凌ぐように社が建っている。
西花童子と呼ばれた西中宮の御朱印
西中宮から菅平高原に戻るのに1時間ほどかかった。途中遂に雨が降ってきた。
やはり素直に菅平高原に下りるのが賢明のようだ。
山家神社奥宮(四阿山山頂)
長野県上田市真田町・群馬県吾妻郡嬬恋村
上田市に鎮座する戸澤神社。御祭神は建御名方命、八坂刀売命。
信濃国一宮の諏訪大社の御分霊を遷して戸澤郷の産土神とした。
集落内の西斜面に鎮座する。
鳥居の先に広い境内
社殿前には狛犬や石燈籠が対で奉納されている。
拝殿に参る。
石燈籠には嘉永元年の銘があるが、明らかに一部は後世に入れ替えられている。
本殿左の高台に石祠の境内社が並ぶ。
本殿側面には龍の彫刻が入っている。
屋根の鬼瓦は石製で、これは古いようだ。
境内社の前に「諏方社」の石扁額が残り、かつて諏訪大明神と呼ばれた名残だろうが鳥居に掛かっていたものか。
社殿の左にも建物がある。妻の向きがお堂のようで、神仏習合時に観音堂など仏像を祀っていた場所だろうか。
本務社の山家神社で御朱印をいただいた。
戸澤神社
長野県上田市真田町長字柳又7496
上田市に鎮座する豊染栄神社。御祭神は健南方富命、豊磐窓命、伊弉那美命、伊邪那岐命、大日霊命、誉田別命。
狭い道を進むと行き止まりに鎮座する。
鳥居の先に社殿が建つ。
手水には明和元年の銘。
拝殿に参る。
拝殿の中には随神像が祀られている。
拝殿後ろの本殿
神社境内は染屋城の主郭跡で、入口に案内板も建つ。
第二次上田合戦でこの周辺に徳川秀忠が上田城公略のため陣を張ったと言われる。
社殿左に土塁が残り、その上に境内社が並んでいる。
手前から天満宮、金刀比羅社、皇大神社、阿夫利社、豊岩窓社(石祠)、不明(石祠)、不明(石祠)となり、土塁下奥に三峯社がある。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。
豊染栄神社
長野県上田市古里字英2144-イ
上田市に鎮座する山家神社。御祭神は大国主神、伊邪那美神、菊理媛神を主祭神とし、日本武尊、神八井耳神を相殿に祀る。
今日初めて四阿山を登拝し、2回目の参拝。社前からは先程までいた四阿山が見える。
来年の四阿山開山1300年に向けて旗の奉納が始まった。
参道を進む。
拝殿に参拝する。
午の日限定の駒形稲荷社の御朱印
拝殿の左に朱色の鳥居と社殿が一際目を引く駒形稲荷社が建つ。
四阿山開山の浄定坊を祀る浄定社の御朱印
たくさんの御朱印をお願いしたので、すっかり暗くなったが、拝殿左に建つ浄定社。
前回参拝時に撮影し忘れた金刀比羅社。大物主神を祀る。
参拝者増を目指してスタンプが始まりました。早速前回分を含めて押印していただきました。
「月参り」が山家神社参拝12カ月分、「登拝」が四阿山登拝10回分、「参拝」は山家神社参拝15回分です。
山家神社
長野県上田市真田町長4473
上田市に鎮座する伊勢神社。御祭神は天照皇大神、豊受大神。
旧大日向村の産土神として、伊勢神宮の御分霊を祀る。源頼朝が北上州へ向かう途中ここで休息したと伝えられ、また別に善光寺参拝の途中草津湯へ行く途中にも休息し、大神宮を刻んで置いていったので、これを祀ったという。
集落の道は狭かったので入口に車を停め、歩いて行くと社旗ポールが建っていた。
さらに中に入っていくと、境内前にももう一対の社旗ポールが建っていた。
入口に道祖神と二十三夜塔がある。二十三夜塔は月待ち講とも言われる民間信仰らしい。
階段を一段上がり、鳥居の先、さらに一段上がると社殿が建つ。
拝殿に参る。
本殿は塀で囲まれているが、横の穴から覗くと
本殿が見えた。
本殿左に境内社の天満宮
本殿裏に大日向の山中から遷したという愛宕神社、秋葉神社、三峯神社、蚕影神社が並ぶ。
一番奥が三峰神社で、後はわからないが、手前の地蔵もそのひとつに数えているようだ。
伊勢神社
長野県上田市真田町字宮前983
上田市に鎮座する道光神社。御祭神は山家大神、大山祇命、加藤道光命。
加藤道光は加藤清正のいとこ婿の子で、松代藩に寄食中に菅平を開発した。
菅平高原に鎮座する。
鳥居をくぐり、さらに階段を上って拝殿へ向かう。
拝殿に参る。
拝殿後ろに本殿覆屋
本殿左の斜面に「寿喜伊山神」と書かれた石碑社。
何と読むのか初めて見るが、「すきい山神」と読むスキー発展の神様なのだとか。当て字だったのか
さらに境内には菅平スキークラブ創設の父、矢追秀武先生と、菅平スキー場開発の先駆者、柳澤健太郎翁の石像が並ぶ。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。
道光神社
長野県上田市菅平高原字菅平1223-1578
四阿山山頂に建つ山家神社奥宮。御祭神は大己貴命、菊理姫命、伊邪那美命、日本武尊。
11月から5月までの登拝では墨書きが「白山大権現」になる。
来年は四阿山開山千三百年であり、2年かけて複数の登拝道を行く計画。
今回は長野県と群馬県の県境になる鳥居峠(1362m)から登ることにする。
鳥居峠口から長野側に少し行った場所に「四阿山」の扁額がかかる石鳥居が建つ。
この先は今は使われなくなった登拝道が続いていたという。
鳥居峠口から20分ほど未舗装の道を進むと駐車場がある。
準備をして9時過ぎ登り始める。
登拝道の途中には石祠がいくつも残っている。後で山家神社で聞いたところによると、藩政期に奉納された120社ほどあった末社群で、大明神と呼ばれたものが大部分なので神仏分離以降だんだん忘れられた存在となった。
30分ほど登ったところにある東花童子社もそのひとつ。
「花童子宮跡」の石碑が建ち、群馬(上州)側の中宮の位置づけとなる。
山家神社で写真を見せると、「東花童子」の御朱印がいただける。
宮の建っていた平地とそれを囲む石積みが残る。
今日は寒波襲来直前の絶好の日和で、風が強かったことで雲も少なく青空が広がっていた。
冠雪した北アルプスがとても美しかった。
登拝道は途中、岩が向きだしの場所もある。
絶好の景色や登拝道をじっくり楽しみながら、やがて3時間経過しようかというところで、菅平高原からの道と合流し、木道を山頂へと向かう。
まずは長野側の奥宮(信濃社)
南側以外を石塁に囲まれている。
奥に群馬側の奥宮(上毛社)
北側のみ石塁が積まれている。
今日は四方の山々がとてもきれいに見えたが、南側を凝視するとうっすらと富士山が見えた。
最大望遠で撮ったのがこの写真。遠くても流石の存在感!
昼食をとりながら休憩後、根子岳に向かう。途中うっすらと積雪がでてきた。道も濡れていて滑りやすい。
根子岳が見えたところで、まだまだ距離あるし、戻る体力を考えて今回は断念した。
帰りも浅間山がきれいに見えた。
途中分岐を登った道(東花童子経由)とは別の道を下り、的岩に出る。
岩脈が数百メートル続いているといい、修験道の修行には最高な場所だと感じる。
午後3時駐車場に戻ってくる。最高の天候に恵まれた良い登拝になった。
山家神社に参拝し、御朱印をいただく。
山家神社奥宮(四阿山山頂)
長野県上田市真田町・群馬県吾妻郡嬬恋村
上田市に鎮座する上洗馬神社。御祭神は大己貴命、天照皇大神、秋葉大神、大山祇命。
旧上洗馬村の産土神で、明治42年の神社整理で田中の秋葉社、三島平の三島社、横道の皇大神社を合併したというので、主祭神は大己貴命だったか。社伝では享禄4年(1531)に諏訪大社の御分霊を遷したというが祭神からはうかがえない。
鳥居、社殿、手水舎、神倉と揃った境内
手水舎は凝った彫刻が施されている。
鳥居の先に社殿が建つ。
鳥居横に「塩竈大明神」と書かれた石碑
拝殿に参る。
拝殿には右に「黒馬と白馬」、左に「赤馬と白馬」の絵馬が掛けられている。当地には戸隠信仰があり、干ばつのとき戸隠神社から御水をいただき神前に捧げて降雨祈願する風習があったという。
拝殿から廊下でつながる本殿覆屋
本殿は組物や彫刻など非常に凝った造りになっている。
本殿前の狛犬はギョロ目が印象的な南洋的雰囲気がある。
本殿後ろに「御神木之碑」
ここに周囲9メートルの樹齢1000年の欅の巨木があったそうだ。昭和57年の台風で倒れたというが、境内には他にも大きな木が多い。
上洗馬神社
長野県上田市真田町傍陽字上平2677
上田市に鎮座する小玉神社。御祭神は建御名方刀美命、八坂刀売命。
信濃国一宮の諏訪大社の御分霊を遷し、旧上原村三集落の産土神とした。
畑の広がる斜面の中に鳥居と社殿が建つ。
鳥居前はすぐフェンスになっているが、鳥居と社殿の間は空間がある。
目前には砥石崩れで有名な砥石城が見える。
拝殿に参る。
拝殿内には祭礼の奉燈と思われるものが保管されている。
拝殿裏の本殿は御垣に囲まれ、中に巨石と朽ちたご神木がある。
本殿は巨石に挟まれるように鎮座し、割石明神と呼ばれた時期もあった。
本殿後ろに石祠が1基あり、中に古い木札が納められていた。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。
小玉神社
長野県上田市真田町本原字小玉3196
上田市に鎮座する竹室神社。御祭神は大山祇命、日本武尊命。
社伝によると、日本武尊が東征の帰路、四阿山を越えて当地に来た時、村人は梢を折って仮屋を建ててもてなした。その跡に宮を建て柴宮と称したといい、現在は竹室神社の奥宮になっているという。
正面から見ると境内四隅に木が植えてあり、開放感ある境内になっている。
拝殿に参る。
拝殿と幣殿でつながる本殿覆屋に本殿が収まる。
拝殿右に境内社が2社ある。
本殿には獅子の彫刻が彫られている。
寛政十一年銘のある石祠
天満宮の石祠には文化十二年の銘がある。
境内社の間にある木の根元には日本武尊の足跡といわれる神足石があるが、風化してよくわからない。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。
竹室神社
上田市真田町本原字竹室2323
上田市に鎮座する表木神社。御朱印は建御名方命、八坂刀売命。
信濃国一宮の諏訪大社の御分霊を遷し、旧中原村の産土神とした。境内にかつて周囲11メートルの樹齢1000年の欅の巨木があったという。
諏訪上社を祀った表木神社に対し、諏訪下社を祀った裏木神社に先に参拝していたので、広い境内に驚いた。
鳥居が建つ。
安永七年銘の燈籠
拝殿に参る。
本殿
本殿の右に境内社が3社並ぶ。
真ん中は木製社殿
この地域は石祠が多い。
道路を挟んで建つ石燈籠は天保二年の奉納。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。
表木神社
長野県上田市真田町本原字表木1403
上田市に鎮座する裏木神社。御朱印は建御名方命、八坂刀売命。
信濃国一宮の諏訪大社の御分霊を遷し、旧中原村の表木に上社を、本原に下社を祀った。
道路沿いの小さな境内。かつては周囲13メートルの樹齢1000年の欅の巨木があり裏木と言ったという。
拝殿前に燈籠が2基建っている。拝殿に参る。
拝殿後ろに石祠の本殿がある。
本殿後ろの石の上に石祠が1基ある。
境内に由緒を書いた記念碑がある。
御朱印を本務社の山家神社でいただいた。
裏木神社
長野県上田市真田町本原字裏木958
上田市の上田城内に鎮座する眞田神社。御祭神は上田城の歴代城主である真田氏二代、千石氏三代、松平氏七代を祀る。
御朱印の六文銭の中央の文字は月によって変わる。6月は「智」
本丸東虎口の櫓門をくぐるとすぐに鳥居が建つ。
社号標には真田氏の家紋六文銭が描かれているが、神社の創祀は明治12年に旧藩主の松平氏の初代から三代(上田入封初代)を祀った松平神社になる。昭和28年に歴代城主を合祀して上田神社と改称、市内の同名他社と紛らわしいために昭和38年に再改称して現社名となる。
参道の右に大きな眞田赤備え兜が飾られている。
参道左の城跡の土塁の上に御神木の切り株が残る。倒木の恐れがあって伐られたが樹齢450年を越え、真田氏の頃からここに植わっていたようです。今は屋根がかかるが、以前は眞田赤備え兜が被せられていたようで話がつながりました。
拝殿に参る。
拝殿の後ろには渡り廊下の先に本殿。左に抜け穴の伝説が残る眞田井戸が残る。
拝殿の右に社務所が建ち、御朱印をいただく。もう何年前になるのか、以前来た時は左側にあったような。
社務所の表札は「眞田幸村」。洒落ているなー
眞田神社
長野縣上田市二の丸(上田公園内)
上田市に鎮座する上田大神宮。御祭神は天照皇大御神。明治19年に伊勢の皇大神宮(内宮)の末社として、長野・新潟・群馬三県の教化及び大麻頒布の拠点として建てられる。
玉垣に囲まれた境内の入口に鳥居。
拝殿に参る。拝殿には「光華明彩」の扁額がかかる。
拝殿前には左右に大きな竈が置かれている。
拝殿前左手に境内社の三峯神社。御祭神は伊弉諾大神と伊弉冉大神。
拝殿左に境内社の上田恵比須神社。御祭神は恵比須神と大国主神。
拝殿横は通り抜けできないが、間から神明造の本殿が見える。御垣の中にあり、横に小さい境内社があるようだ。
拝殿右に社務所があるが、今日は留守だった。
上田大神宮
長野県上田市中央北2-5-5
上田市に鎮座する山家神社。御祭神は大国主神、伊邪那美神、菊理媛神を主祭神とし、日本武尊、神八井耳神を相殿に祀る。延喜式小縣郡の比定社で、日本百名山にも選ばれている四阿山に奥宮が建つ。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社ですべていただく。
1 山家神社
2 真田神社(山家神社境内社)
3 皇大神社(真田氏館跡)
3 諏訪神社(真田氏本城)
4 安智羅神社(松尾古城)
5 北赤井神社(天白城)
普段御朱印帳はひとまわり大きい市販品を使用していて、神社では購入しないのだが、山家神社では御朱印帳限定朱印があり、兼務社など種類も多種類なるので購入した。ちなみに御朱印帳は二種類あり、今回は山家神社のもの。裏表紙に十一面観音の後ろ姿が描かれていて、お気に入りの一冊。もう1つは真田神社のもので、六文銭が描かれ、御祭神の真田家四公から御朱印を選ぶ。
山家神社御朱印帳の扉ページ(初め)に書いていただける神宮寺の御本尊だった「白山大権現」
そして、今年は霊峰白山開山1300年であり、その奉祝御朱印(見開き)もいただいた。来年奥宮のある四阿山が開山1300年ということで、開山1299年印も押される。来年は四阿山開山1300年御朱印があるのかな?
北西向きに参道が延び、社殿が建つ。社号標には「延喜式内 縣社山家神社」と書かれている。
社前の道路の先に奥宮が鎮座する四阿山を望むことができる。
一の鳥居
二の鳥居
拝殿に参る。拝殿には有栖川宮殿下揮毫の扁額がかかる。
手水舎の横に御神泉。「日本武尊お手洗いの神泉」と書かれている。
拝殿本殿のまわりに境内社が並んでいる。左から回る。
嘉永7年の般若供養塔
駒形稲荷社、御祭神は保食神。真田郷の馬守護神
諏訪社、御祭神は建御名方神
北野社、御祭神は菅原道真命
浄定社、御祭神は藤原浄定命。四阿嶽開山の祖。霊峰白山開山1300年奉祝御朱印に押される修験者が浄定のようです。
七家明神、七氏族の祖先を祀ったというが祠は7基以上あり、氏族も不明という。奥の屋根のかかる松の木には戦時中に油を取ろうとした跡が残っているようだが見忘れた。
山の神の石祠、御祭神は大山祇神。右にもう1基は祠側面に彫物が残る。
健雄社(須佐之男神)、日枝社(大山咋神)、大歳御祖社(大歳御祖神)の三社合祭殿
子安社、御祭神は木花咲耶姫神。真田信幸公の正室小松姫が寄進し、その後松平忠愛公の奥方が修造されたという。
子安社の左後ろに男石
子安社の右後ろの木の洞の中に女石
阿夫利社、御祭神は大山祇神。石には保食神と書いてあるけど、明治3年の奉斎。
蚕養大神。後ろに金比羅社が写っているが、本殿背後の森の中の社や石像をいくつか参り忘れた。
社務所と横に宝物庫。ちょうど車のお祓いをされていて、少し待っていた。昼の時間だったが、お祓い終了後に対応していただいた。
山家神社
長野県上田市真田町長4473
上田市に鎮座する真田神社。御祭神は真田幸隆大人命、真田昌幸大人命、真田信幸大人命、真田信繁大人命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
山家神社の境内社として鎮座。明治に入り真田氏発祥の地に創建、真田家十代幸民公に許可を得て、真田本家から神璽を奉斎される。現在地には大正8年に遷座される。
赤い鳥居をくぐって参道を進む。
真田神社の鎮座する場所は、山家神社の神宮寺であった白山寺があったところで、明治の神仏分離令により廃寺となったという。
拝殿に参る。
拝殿にかかる扁額は真田家十四代幸俊公の謹書で、真田本家公認の唯一の神社という。
拝殿には宮司揮毫の「白山大権現」の掛け軸がかかる。
神明造の本殿
拝殿前の参道中央に「真田の碁盤石」が置かれている。松尾古城に信繁の碁盤石の伝説があるといい、碁盤には五円玉で六文銭が作られている。
拝殿の階段横に松根油抽出の跡の残る松がある。というのも、昭和25年新たに招魂社を立てる余力がなかったため、旧長村の戦没者の英霊149柱が合祀されている。
拝殿前に建つ明治41年の日露戦役記念碑
同じく明治41年の忠魂碑
昭和46年の平和塔。由緒を知らないとなぜここに建っているか分からないが、つながった。
真田神社
長野県上田市真田町長4473
上田市に鎮座する安智羅神社。御祭神は安智羅明神。
松尾古城を道しるべに神社へ向かう。真田氏本城(松尾城)に移る前に本拠があった場所で、新しい松尾城に対し松尾古城と呼ばれる。北上州からの侵攻を監視できる場所で、本拠を移した後も物見砦として利用されたと考えられている。
石段で一段上に上がる。南向きに鎮座。角間集落の産土神。
神社のあたりだけ杉が一際高い。
赤い鳥居の先に社殿。
社殿に参る。
中には写真が一枚。安智羅は薬師如来に仕える十二神将の一人安智羅大将と考えられているが、真田幸隆公の幼少の姿を写した像を祀り、写真がその像らしい。地元の人は幸隆公を安智羅大将の姿(生れ変わり)を見ていたのかもしれない。
社殿右に石祠が1基。
参道左手に阿弥陀堂。
その前に石像があり、かなり風化しているが、右膝を立てて甲冑のようなものを着ているように見える。もしかしたらこれも幸隆公だったのだろうか。
段の西側に日向畑遺跡がある。真田氏館跡へ移動する前に真田氏の館があった場所と推定されている。
遺跡から松尾古城への登城道が続く。
遺跡には五輪塔や宝篋印塔が並び、墓標とした墳墓跡群とされる。
安智羅神社
長野県上田市真田町長 3057
上田市に鎮座する諏訪神社。御祭神は建御名方命、八坂刀売命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
神社のあたりだけ鬱蒼としている。南向きに鎮座。
旧上原村十林寺集落の産土神として諏訪大社から分霊された。
鳥居に「諏訪神社」の扁額がかかる。斜面に鎮座するため、石垣で境内を一段上げている。
拝殿に参る。
本殿は檜皮葺きかと思ったが板葺だろうか。脇の松が天に昇る龍のようにも見える。
拝殿右に「八幡宮」と書かれた鳥居
奥に石祠が3基並ぶ。中央は八幡宮。左は石祠の屋根に梅鉢が付いているので天満宮か。
右のみは中に石像が残る。左手に壺のようなものを持っているので薬師様の薬師堂か。
拝殿右手にも石祠があり、中に像らしきものがあるが何かは不明。
神社からは上田平がよく見える。
神社の鎮座する山頂に真田氏本城が築造された。別名松尾城、真田本城。
城跡からは北東に四阿山が遠望できる。
山頂を利用した南端の土塁。
北に向かって本郭、二の郭、三の郭が続く。神社創祀の別説として、真田幸隆公が松尾城を築城するにあたり、城の守護神として城の弱点となる南側(搦手)に主家武田家の崇敬する諏訪明神を祀ったとも言われる。
諏訪神社
長野県上田市真田町長字十林寺5008
上田市に鎮座する北赤井神社。御祭神は須佐之男命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
神社は真田昌幸公が築いた天白城(天箱城)の麓にあり、天白城への登城道を通る。
かつては天箱社(天白社)と称し旧上原村赤井、下塚両集落の氏神であり、天白城の守護神として崇敬された。
鳥居前にいくつもの五輪塔が並ぶ。
鳥居の先、拝殿に詣る。
拝殿の背後に本殿はなく、1本の御神木が神様の依代のようだ。
背後に石祠が1基残る。
拝殿前の右手から柵を開けて天白城に通じる。
北赤井神社
長野県上田市真田町本原字北赤井3912
上田市に鎮座する皇大神社。御祭神は天照皇大神。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
神社は真田氏居館(御屋敷)跡の東郭に鎮座する。真田昌幸公が上田城を築城し居を移すときに、居館跡の保存のため神宮の御分霊を祀ったと言われ、旧上原村の総鎮守。
大手門跡の入口に木製の社号標。見えにくくなっているが「真田御屋敷皇大神社」と書かれている。
社殿は西向きに鎮座
鳥居の注連縄がゆったりと掛かっている。
階段をのぼっていくと、右手に手水鉢。「御手洗石」と呼ばれ、寛永6年(1629)か宝永6年(1709)か明確ではないが、正面の立葵紋、右面の剣にて千切の紋、左面の稲穂紋が彫られていて、小松姫の実家の本多家から真田家に贈られたものと伝わる。
平入りの拝殿に参る。
拝殿左手に「御北の松」、長篠合戦で戦死した真田家二代信綱の正室が亡き夫を忍んで植えたものと伝えられる。
拝殿の後ろに拝所と玉垣に囲まれた本殿が建っている。
小さいながら茅葺きの神明造の本殿
社殿右側にいくつか石祠が点在する。保存のため周辺の村から集められたものだろうか。
拝殿右裏の石祠に石像が残る。右手に剣、左手に金剛杵か?仁王像だろうか。
2基の不明な石祠
庚申信仰の青面金剛像
天神宮
八幡宮
三峯神社
社前、西曲輪の先には砥石崩れで有名な砥石城が見える。
皇大神社
長野県上田市真田町本原字御屋敷2964
大町の若一王子神社。2回目の参拝です。
御祭神は伊弉冉尊、仁品王、妹耶姫、若一王子の4柱。
西名三十三番札所巡りの一番霊場ともなっている観音堂。本尊は十一面観音
現在でも神社と寺の建物が残り、神仏習合の名残を感じられる。
境内社も多い。鳥居をくぐり大町護国神社。
子安神社
神輿が御神体の八坂神社
手前が鹿島神社、奥が松尾神社
杜には奉納された小さな社が多数残ります。
本殿の屋根、鬼の彫り物が印象的です。
若一王子神社
長野県大町市大町2096
長野県大町市に鎮座する仁科神明宮。御祭神は天照皇大神。
国宝本殿のある古社。
参道の一の鳥居。鳥居横の社は何か?祓宮か
境内に入ると右に大きな三本杉が立つ。中央の杉は昭和54年突風で倒木したという。
90度曲がって二の鳥居をくぐり本殿に向かう。
鳥居の右側を進むと境内社の都波岐社(猿田彦命)と難胡社(金山彦命)がある。
また鳥居をくぐり両側に宝物殿があり、右手に境内社、北野社(能見宿禰命、菅原道真公)、三嶋社(大山祇命)、春日社(天児屋根命)、鹿島社(武甕槌命)、白山社(菊理媛命)、熊野社(伊弉冉命)が並んで鎮座している。
階段を上り神門が見えてくる。参拝は神門前で行う。
神門の後ろに拝殿、中門と本殿が釣屋でつながっている。本殿左の社は20年に1度の式年正遷宮の祭に神様が遷る仮宮。
神門左の3社は、八幡社(譽田別命)、伊豆社(彦火々出見命)、稲荷社(宇賀魂命)で、角にご神水の井戸がある。
さらに左に並ぶのは、上加茂社(別雷社)、下加茂社(玉依姫命、加茂建角身命)、上諏訪社(建南方冨命)、下諏訪社(事代主神)、九頭龍社(地主命)、子安社(此花咲耶姫命)。
右には神楽殿と簀社(穂高見命)、武山社(地主命)
拝殿の右には初代御神木の大杉が今は根元のみ残っている。
境内社も多く、仁科六十六郷の総社として風格の残る神社です。
仁科神明宮
長野県大町市大字社宮本1159
千曲市に鎮座する武水別神社八幡宮。延喜式内社の名神大社であり、氏神の武水別大神に、後の安和年間に八幡神が勧請された。更級郡随一の八幡宮として崇敬を集めたという。
到着後すぐに御朱印をいただきに社務所に向かったが、12時から13時の間は昼休みでいただけなかったので、ゆっくりと境内を巡ることにする。
道路をまたぐ第一鳥居をくぐり境内に入ると、最初に茅葺きの神輿休処が目に入る。
隣に高良社。覆屋の中に朱塗りの本殿がある。
その隣に名物のうづらもちを販売するうずらや。食べてみたかったがセット販売しかなかったので諦める。
さらに参道を進むと第2鳥居。
本殿の前に拝殿、その前に勅使殿が一直線に並ぶ、勅使殿の右に額殿。奉納額が納められているが、中は有料。
本殿に詣る。
本殿裏に回ると末摂社がずらりと並ぶ。地域の大社だけあって境内社が多い。
本殿の左に御供所、正面に寛政七年の復元算額が掲げられている。
御供所と本殿の間に、本殿に隣接して祭儀所があり、そこで御朱印をいただく。
武水別神社八幡宮
長野県千曲市八幡3012
川中島古戦場跡の八幡原史跡公園内に鎮座する八幡社。御祭神は誉田別命、合祀により建御名方命を祀る。
もともと八幡社のあったことから八幡原と言われたそうだ。
御朱印は手書きの1種と書き置きの1種。
当然川中島合戦で荒廃してしまったため、後に信玄の命で高坂弾正により再建させ、松代藩真田家により庇護されてきた。
川中島古戦場跡として観光用看板も立ち、
境内には信玄の本陣を囲った土塁も残っている。
拝殿にも詣る方は多い。
振り返ると旧本殿が鞘堂として祀られている。
拝殿横には川中島合戦で武田軍が土塁に土留めとして根を上に杭を打たれた槐(えんじゅ)が芽を出したという逆槐がご神木となっている。
社務所で御朱印をいただく。両方頼むと、書き置きの朱印を御朱印帳に貼ってもらえる。
観光客のお目当てはやはり信玄と謙信が太刀と軍配を交えた銅像が立つ。書き置きのバックの写真もこの銅像。
八幡社
長野県長野市小島田町(八幡原史跡公園)