熊野市に鎮座する産田神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智神。
花窟神社の兼務社で御朱印も花窟神社でいただける。花の窟が伊弉冉尊の御陵と伝えるのに対し、産田神社は伊弉冉尊が軻遇突智神を産んだために亡くなった場所と伝える。
神社境内の西を流れる産田川に朱色の橋が架かる。
南向きの境内入口に鳥居と御神木が立つ。
ここは「さんま寿し発祥の地」らしい。
杉の木立の中を参道がまっすぐ社殿へと続く。
この建物は拝殿ではなく社務所のようだ。
通り抜けると御白石を敷き詰められた拝所の先に玉垣に囲まれた本殿が建つ。
神社には社殿が建つ前、神籬(ひもろぎ)という祭祀台を神の依代とした場所が残っているという。
社殿の左右に2カ所あるというが、御白石は下足では上がれないので、靴を脱いで上がらせていただく。
本殿左の神籬は5つの丸石を取り囲む様子がそのまま残る。
本殿右の神籬は5つの丸石は残るが、取り囲む石は育った木で一部崩れている。
御白石に上がらなくとも、境内東を通る道路から覗くことはできる。
参道の途中、西に朱色の鳥居が立ち並び、
境内社の稲荷神社が建つ。
社叢は原生林の雰囲気も一部残っていて、稲荷神社の背後にも大木が立つ。
木の根元に石祠があり、白蛇が祀られている。西に川が流れることもあり、白蛇竜神だろうか。
産田神社
三重県熊野市有馬町1814
三重県熊野市に鎮座する花窟神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智神。
社号はホームページや御朱印では「花窟神社」、社号標は「花の窟神社」、社頭由緒は「花乃窟神社」となっていて、読みの「の」の扱い方が不定のようだ。
6年ぶりの社頭は明るい。前回の参拝は冬の夕暮れ時だった。
観光スポットとしての人気もかなり上がってきたようで、参拝者も多い。
前回は閉まっていた社務所も開いていた。
門をくぐって拝所に入る。
社殿はなく、巨大な磐座が御神体となっている。
上部に渡る綱は2月と10月に1本ずつ掛けかけられる。
前の拝所で参る。
伊弉冉尊の前に軻遇突智神の拝所と御神体の磐座がある。
参拝後に社務所で御朱印をいただく。前回は手書きだった墨書きが判になっていて味気なくなった。
ゴールデンウィークで繁忙ということより、参拝者が増えたことが要因だろうか。
花窟神社
三重県熊野市有馬町上地130
いなべ市藤原町に鎮座する鳴谷神社。臨済宗聖寶寺の鎮守として創建された。
明治以前は日吉山王社といわれ、御祭神は大山咋神。
御朱印は2枚見開きで書いていただけます。当日は聖寶寺のもみじまつりの日で、観光客がどっと繰り出しており、御朱印も順番待ち。とても丁寧な宮司で1人10分ほどもかかるので相当待ちました。でも、かわいい三猿の印もあり女性にも人気のある御朱印です。
第一鳥居の右を進み、長い階段を上ると聖寶寺。
石橋を渡り第二鳥居をくぐると、
左右に狛猿がおわす。
猿は山王さんの神の使いとして、山王社の本社である日吉大社にもおわす。
拝殿左前に八天宮社。火産霊神、軻遇突智神、大山祇神、市杵島姫命、琴平大神、稲倉魂神、豊宇迦比売神、猿田彦命の八柱。
拝殿と本殿の間にそびえる二本の杉のご神木が立派です。
鳴谷神社
三重県いなべ市藤原町坂本松原83
伊賀市に鎮座する真木山神社。延喜式阿拝郡の比定社。御祭神は天児屋根命を主祭神とする。
社殿は南向き。道は狭いが境内の西側に駐車場があった。
参道に第一鳥居、第二鳥居が立つ。
長い参道の途中、左手に梵鐘がある。ここも神仏習合の雰囲気が残る。
拝殿は檜皮葺で趣がある。かつては本殿も檜皮葺であった。拝殿に参る。
神社合祀により御祭神も多い。
拝殿前の狛犬。毛がフサフサとしてどこか大陸風の雰囲気を醸し出している。
拝殿の後ろの本殿。左右に境内社が一社ずつある。
拝殿左の宝蔵前の釜らしきもの。神事に使用するものだろうか。
帰りに境内を清掃中だった宮司に御朱印をお願いしたが、ここでは授与していなかった。
真木山神社
三重県伊賀市槙山3237
伊賀市に鎮座する宇都可神社。延喜式内社の比定社。御祭神は天忍日命。
横にある集落の公民館に車を停める。参道が尾根伝いに延びる。ここは集落内でも見晴らしのきく場所だ。
途中梵鐘がある。神仏習合の雰囲気を残す神社である。
ふと梵鐘の脇に仏像とも神像とも言えない石造が一体。
本殿に参る。本殿の裏に一際高い木。ご神木だろうか。
本殿右に境内社が一社。
社前に戻り、左手の公民館を奥に進むと、別当寺であった安楽寺の跡。別当の墓が並ぶ。
朱色の鳥居をくぐると稲荷社があった。
また社前に戻り、今度は反対の南側、西音寺へ。
西音寺の薬師堂はもと安楽寺の本堂。中のもとご本尊だった薬師如来坐像とともに西音寺に移された。
宇都可神社
三重県伊賀市内保1312
多度町の多度大社。御祭神は天津彦根命、相殿に面足命、惶根命。
多度山を神体山とする延喜式内社で明神大社。
南向きの大鳥居が建つ。奥に神体山の多度山が見える。
正面階段。階段の左にはGWの例大祭で神馬が駆け上がる坂がある。
振り返ると、末社の鉾立社。御祭神は天久之比乃命。
階段を上ると、摂社新宮社。御祭神は本宮御祭神の天津彦根命の幸魂と別宮御祭神の天目一箇命の幸魂。
左には神馬舎があり、実際に生きている神馬がいる。
上から望む多度祭りの坂。
神馬舎の左に末社藤波社。御祭神は建速須佐之男命、大穴牟遅命、少名彦命。
手水舎の横に末社雨宮八幡社。御祭神は天之水分神、国之水分神、品陀分命。
さあ本宮に向かいましょう。
鳥居をくぐって授与所がある。御朱印は参集殿でいただく。
絵馬掛けには神馬の描かれた八連の絵馬が掛かっていた。
階段を上って始めに見えてくるのは白馬舎。ここの神馬は人形です。
そして左に皇子社。御祭神は天忍穂耳命他5柱。多度神社の兄弟、妹が祀られている。
次に左に多度招魂社。
隣に摂社美御前社。御祭神は市杵島姫命。
御葺門をくぐり
左に末社神明社。御祭神は天照大御神。
神橋をわたると、
左手に本宮多度神社。御祭神は天津彦根命。
右手に別宮一目連神社。御祭神は天目一箇命。天津彦根命の御子神とされます。
境内には非常に摂社・末社が多い。すべて参拝したつもりだったが、豊明殿の裏に摂社一拳社があったらしく見逃した。
多度大社
三重県桑名市多度町多度1681
熊野市に鎮座する花窟神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智尊。
花窟神社は史跡花の窟として、日本書紀に記される伊弉冉尊の御葬所と伝わり、花を供えて祀ったことが神号の由来。
参道の左に境内社、龍神神社と稲荷神社へ向かう参道
手水舎と参籠殿。神社に拝殿はない。
御神体の岩盤は45メートルと見上げるほどに高い。
その前に伊弉冉尊の拝所がある。拝所に参る。
挟んで向かい側の王子ノ窟と呼ばれる磐座(軻遇突智尊)の前に拝所。
御神体から綱が上空にかけられている。綱は2月と10月の例大祭で新しく掛け替えられる。今日の日中に新しく掛け替えられたばかりだ。
御綱掛け神事は7本の縄を束ねて上空を渡し、三神を意味する縄を下げる。
7本の縄は伊弉冉尊の子である七神の自然神を表す。
風の神 級長戸辺命
海の神 少童命
木の神 句句廼馳
草の神 草野姫
火の神 軻遇突智尊
土の神 埴安神
水の神 罔象女
三神は宇宙を基本構成する伊弉冉尊の子を表す。
太陽の神 天照大神
月の神 月読尊
暗黒の神 素戔嗚尊
参籠殿がすでに閉まっていたので駐車場になっているお休み処の売店で御朱印をいただく。17時30分の閉店間際だったが、書き置きをいただく間、展示資料を見る。
薄暗くなってきたが、外から綱の全体を見てみる。御神体からの縄の長さは170メートルにも及ぶという。
最後は左回りに七回半回り、残りを右回りで巻き付ける。国生み神話がもとになっているという。
神前には熊野の七里御浜が広がる。
花窟神社
三重県熊野市有馬町上地130
伊賀市に鎮座する都美恵神社。御祭神は栲幡千々比賣命を主祭神とし、経津主命と布都御魂命を配祀する。延喜式阿拝郡穴石神社の論社のひとつ。
大和街道沿いに社号標が立つ。
途中参道と車道が分岐する。
参道の途中には石橋がある。
一の鳥居前に駐車する。
右手に東に向かって神宮遙拝所がある。
階段前に二の鳥居が立つ。
左に神輿庫
右に石の玉垣があり
中に山の神と石像が祀られている。
階段を上って拝殿に参る。
拝殿背後には本殿と左右に境内社がある。
境内は無人だったので、社前の宮司宅を訪ね御朱印をお願いする。
近くに「敢都美恵宮遺跡」の石碑。都美恵神社は元伊勢の敢都美恵宮の候補地のひとつで、穴石神社が当地に遷座したときに敢都美恵宮を合祀したという。背後に穴石神社の元鎮座地の霊山が見える。
拝殿左手の都美恵会館まで戻り、御朱印をいただく。
都美恵会館の後ろに末社耶須久迩社
耶須久迩社と都美恵会館の間に山の方へ階段が延びている。
上っていくと穴があるが何もない・・・
さらに延びる階段を上ると、事比羅社、秋葉社、愛宕社の三社殿が建っていた。
都美恵神社
三重県伊賀市柘植町2280
伊賀市に鎮座する岡八幡宮。御祭神は誉田別尊、神功皇后、仲津姫命。
源頼朝公が全国六十余国に鶴岡八幡宮の末社を建立する祈願をし、神意により伊賀国に第一番を建てる。岡八幡宮は鶴岡八幡宮の末社の略称であったが、頼朝公の没後計画は中止となり、最初で最後の末社となったという。
社殿はやや南東方向向き。
鳥居と社号標
旧社号標も残る。明治37年合祀令に治田地区との二郷神社と改称し、戦後岡八幡神社と改称されたが、平成2年御鎮座800年を記念し旧称の岡八幡宮に戻されたという。
鳥居左の池に末社鈴鳴弁財天社
木製の二の鳥居をくぐると参道は階段となる。
階段を上り詰めたところの両側に大木が立つ。正月とあってか狛犬にも注連縄が掛けられている。
拝殿に参る。
本殿左に末社礎社
拝殿右に神馬舎の白馬社
拝殿右方に山の神尺殿明神が祀られている。
本殿の塀の中にも数社末社が祀られているようだ。
帰りに二の鳥居右の社務所で御朱印をいただく。
岡八幡宮
三重県伊賀市白樫3638
伊賀市に鎮座する陽夫多神社。御祭神は健速須佐之男命を主祭神とし、五男三女神を配祀する。延喜式阿拝郡の比定社。伊賀河合郷の総社であり、河合天王とも呼ばれ8月に祇園祭が催行される。
東の参道より入る。
神橋を渡って境内に入る。社殿が東向きなのでこちらが表参道かと思ったが、表参道は御旅所古墳のある南側のようだ。
入って右に神井と鐘楼がある。
梵鐘は伊賀で3番目に古い寛文7年の製作。
社殿は背後の宮山の麓に鎮座する。宮山には古墳や中世の城跡があり、地域の中心地だったことを物語る。
拝殿は横に長い。
拝殿と一段上の幣殿に至る階段の両側に高い木が林立する。鳥居又は狛犬の替わりだろうが、伊賀地域ではこの形をよく見る。陽夫多神社は中世、高松神と呼ばれることもあり、この御神木は松であろうか。
階段を上って幣殿へ。本殿に参る。
幣殿には絵馬が掛けられているが、主祭神の須佐之男命に関するものが多い。
そういえば境内に須佐之男命が須賀の地で詠んだ歌碑が建っていた。
三重県は明治期に神社合祀が盛んに行われた地域であり、陽夫多神社も合祀された神社の御祭神は多い。
本殿左に境内社八柱神社、御祭神は大山祇神、火之迦具土神、五男三女神、金山比売神を祀る。
社務所らしい木造建物は無人で、境内の参集殿兼授与所に立ち寄る。地域の公民館的存在でもあるようだが、運良く宮司が居られた。実は3回目の訪問で今まではこちらも無人であった。御朱印をいただく間にお話を聞くと、宮司を継いだ息子さんが去年突然亡くなられて、前宮司が再び勤めることになったという。伝統ある行事も続く神社であるので氏子の方々は心配が絶えないであろうが、遠くなく兼務社になるのかもしれない。
陽夫多神社
三重県伊賀市馬場951
伊賀市に鎮座する手力神社。御祭神は天手力男神。信濃の戸隠神社から勧請され、伊賀忍者の藤林家の氏神だったという。
神社が北向きに鎮座。南へ参道が延びる。
鳥居と拝殿の間に一本の御神木が立ち、一際目立つ。
内陸の伊賀は手水の水は凍結し、龍の口も冬支度でまるで服を着ているようです。
鳥居をくぐって拝殿に参る。
手力神社には日本一という鈴の緒があります。確かに太すぎて振ることはもちろん揺することも難しい。
拝殿の後ろ一段高い場所に本殿が鎮座する。
手力神社
三重県伊賀市東湯舟1025
伊賀市に鎮座する花垣神社。御祭神は経津主命、武甕槌命、天児屋根命、比売大神の春日四神を主祭神とし、他に七大神を相殿に祀る。延喜式伊賀郡乎美祢神社を合祀したといい論社のひとつ。
予野川に架かる朱色の宮前橋を渡ると神社がある。社殿は北向き。
境内入口に朱色の鳥居が立つ。
入口に芭蕉の「一里は皆花守の子孫かな」の句碑が立つ。花垣庄は興福寺領として、毎年奈良に赴き花垣を結い、花の盛り七日間は宿直を置き守らせたと伝わる。
階段を上がると外拝殿か
拝殿前の左に御神木ナナミノキがある。
境内に入ると正面に拝殿。拝殿に参る。
拝殿後ろの塀の中に朱色彩色の本殿が建つ。左は宝物殿か
拝殿右手に別当寺であった池邊寺。同じ境内に神社、寺が隣り合い神仏習合の姿が残る。
本殿の右、池邊寺の奥へ進むと不動池がある。池邊寺の本尊は不動明王。
社前の道路を東に進むと、当地の銘樹八重桜(県指定天然記念物)。春日神が八重桜を見たいという神託により祀ったのが創始という。
近くに社務所があったが無人であった。
花垣神社
三重県伊賀市予野194
伊賀市に鎮座する大村神社。御祭神は大村の神を主祭神とし、武甕槌神、経津主神、天児屋根命を配祀する。延喜式伊賀郡の比定社。大村の神は、第十一代垂仁天皇の皇子で倭姫命の弟君にあたるという。
駐車場は狭い山道を上り南鳥居の手前。
鳥居横に「式内 大村神社」の社名標が立つ。
鳥居をくぐると右手になまず池
続く右手に鳥居があり、正面に神宮遙拝所がある。
右手に境内社の英霊社
南参道から境内に入ると左に鐘楼が残る。
梵鐘は駐車場になっている場所にあった宮坊禅定寺にあったもので「虫食の鐘」と言われる。
ここで正面に見えてくるのは境内でも一際大きい「巳の大杉」と言われる御神木
ここで一度山から下りて東参道入口の鳥居から徒歩参拝者として入る。
灯籠が両側に並ぶなか階段を上る。
社殿は北向き。参道は徒歩の東参道、西参道と自動車の南参道があり、社殿にまっすぐ入る北側に参道はない。
拝殿に参る。絵馬にもなまず
なまずの置物もある。
拝殿右に要石社。武甕槌神、経津主神が常陸・下総から大和の三笠山遷幸の途中、神社に御休息し「要石」を奉鎮されたという。
鹿嶋神宮と香取神宮にある要石と同じく、大地を揺るがす大なまずをしっかりと押さえ、地震の守護神として崇敬を集める。
旧本殿の宝殿。檜皮葺、朱色の彩色で、柱上部や組み物が極彩色になっている。
南参道に続く道路沿いの桜山公園。神社境内が高台にあることがよくわかる。水場もなまずになっていて地域に地震守護の神社が深く根ざしていることがわかる。
大村神社
三重県伊賀市阿保1555
伊賀市に鎮座する神戸神社。御祭神は大日孁貴命を主祭神とする。倭姫の巡行地のひとつ伊賀穴穂宮の候補地のひとつで元伊勢を称する。明治の神社整理で合祀した比土村の高土明神が延喜式伊賀郡の比地神社の論社のひとつになっている。
社殿は南向きだが、鳥居は西と東に2つある。
西の鳥居を入ると右に天之真奈井戸がある。
境内の東には木津川が流れる。
東の鳥居を入ると観音堂が建つ。
拝殿に参る。境内の社務所兼自宅で御朱印をいただく。
本殿は檜皮葺の屋根の神明造。というのも伊勢神宮の風日祈宮の古材を譲り受けて20年に一度遷宮を行うという。
本殿裏に山神
拝殿前参道右に護国社。地元の英霊を祀る。
護国社の隣に山神
倭姫は巡行地で稲作を広めたとも言われる。神社周辺にも稲田が広がる。
神戸神社
三重県伊賀市上神戸317
伊勢市に鎮座する倭姫宮。皇大神宮の別宮で、御祭神は倭姫命。古い歴史のある神宮において大正12年に創建された新しいお宮である。
入口の鳥居は東向き
深い森の中、参道を行くと社殿が見えてくる。社殿は南向き。
宮に参る。現在の社殿は左(西)の敷地
今の式年遷宮で右に移動する。帰りに御朱印をいただく。
倭姫宮の向かい側には神宮徴古館が建ち、神宮の宝物や資料を展示している。
神宮文庫前の倭姫前交差点は外宮から内宮への参道途中にあり、内宮入り口となる大鳥居が立つ。
皇大神宮別宮 倭姫宮
三重県伊勢市楠部町5
伊勢市に鎮座する猿田彦神社。御祭神は猿田彦大神を主祭神とし、大田神を相殿に祀る。猿田彦大神の子孫である宇治土公家が代々宮司を務める。
社殿は南向き。神宮内宮を向いて建てられている。
拝殿に参る。
拝殿の前には旧本殿の御神座があった場所に方位石がある。拝殿左の社務所で御朱印をいただく。
拝殿右に摂社佐留女神社。御祭神は天宇受売命。
社殿は北向き
東側から内宮駐車場に戻る。
東口には本居宣長翁が宇治土公家に宿泊された時に詠んだ歌の書かれた大顕彰碑が立つ。
猿田彦神社
三重県伊勢市宇治浦田2-1-10
伊勢市に鎮座する皇大神宮。御祭神は天照大御神。
雨がかなり強くなってきた。それでも内宮前には参拝者の人だかりができていた。
現在の宇治橋の下流には次の式年遷宮に架け替えるための橋脚が残っていた。
参道を進み、手水舎を過ぎて宇治川沿いで手を清める。
神楽殿を過ぎると横に五丈殿が建っている。
さらに奥に進むと今回の式年遷宮の正宮の建設中であった。次回は手前左側に正宮が建つ。
正宮の下に御贄調舎
正宮に参る。
御稲御倉
外幣殿はちょうど遷宮途中
別宮荒祭宮、右側に遷宮途中
御酒殿と由貴御倉
御厩、今日は留守だった。
天候も悪かったので御朱印をいただいて早々に帰ってきたが、別宮をいくつか参拝していないことが後でわかった。次回参拝はくまなくまわりたい。
帰りのおはらい町通り。行くときは気が付かなかったが、式年遷宮のためのお白石が積まれていた。
皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
伊勢市に鎮座する豊受大神宮、通称の神宮外宮のほうがよく知られる。御祭神は豊受大御神。
駐車場に停め、北御門口より境内に入る。
参道右手に御厩(みうまや)。今日は不在。
表参道が見えてくると、左手に神楽殿
右手に手前が五丈殿、奥が九丈殿
表参道を右に曲がって正宮に参る。二年後の式年遷宮の遷御までは右側の敷地に建てられている。
正宮の反対側の別宮を巡る。別宮風宮
別宮土宮
別宮多賀宮
表参道を通り鳥居まで戻る。
第六十二回式年遷宮を記念して建設されたせんぐう館を見学する。
せんぐう館前には勾玉池に奉納舞台が浮かぶ。
豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279
津市に鎮座する比佐豆知神社。御祭神は火之迦具土神。延喜式安濃郡の論社のひとつ。
境内には三重県神社庁がある。
南向きの社殿
鳥居脇に龍神灯籠、江戸時代中期の御影石製で福山藩阿部家の江戸屋敷に置かれていたものを渡辺龍神氏が譲り受けたものを寄進した。後ろの槇の木は樹齢三百年以上で海老屋商店の屋敷に植えられていたものを寄贈された。
拝殿に参る。今日は人が誰もおらず御朱印をいただけなかった。
拝殿の右、東側に境内社が集まる。祖先(みおや)の社
境内社稲荷神社、御祭神は茶臼稲荷大神、伏見稲荷大神を相殿に祀る。元は隣接する茶麿山上にあった。
山神の碑がたくさん。周辺の山神が集められている。
白龍大明神
フェンス際には庚申塚や石仏などが並べられていた。都市開発により境内に遷されたものが多いようだ。
比佐豆知神社
三重県津市鳥居町210−1
鈴鹿市に鎮座する都波岐奈加等神社。都波岐神社と奈加等神社の合祀殿となっていて、通称都波岐奈加等神社と称する。延喜式河曲郡の都波岐神社、鈴鹿郡の椿大神社、河曲郡の奈加等神社の論社であり、伊勢国一宮。御祭神は猿田彦大神、中筒之男命、天椹野命。
県道506号線沿いに灯籠が両側に立ち、北へ参道が延びる。
社殿は南向き。現在の境内は広くはない。
都波岐神社と奈加等神社の社名標が別々に立つ。
拝殿に参る。
拝殿前の鳥居横に大木がある。
本殿の左右に境内末社。左が小川神社、右が神明春日社。小川神社は延喜式河曲郡の論社のひとつ。
境内の授与所で御朱印をいただく。都波岐神社単独と通称の都波岐奈加等神社の2パターンがあるが、比較的大きめの自分の御朱印帳では墨書きの最後が詰まる。宮司が留守の場合も多いということで、予約して御朱印をいただきに伺った。
三重県鈴鹿市一ノ宮町1181
鈴鹿市に鎮座する加佐登神社。御祭神は日本武尊を主祭神とする。
社前の駐車場に停める。
本殿の北に白鳥塚があり、古くから日本武尊の御陵と伝えられ、死の間際まで持っていた笠と杖を塚のそばに祀ったのが創始という。
入口に高宮資料館があり、付近で発掘された考古資料などを展示する。
長い階段を上る。
階段の途中、右手に熊野大神社跡の石碑が立つ。すぐ脇に杉の御神木がある。
当社は延喜式鈴鹿郡の倭文神社(御祭神は天羽槌雄命)の論社のひとつで、加佐登神社に合祀された。
階段を上り終えると、広い平地に境内が広がる。社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿内には「日本武尊」の扁額がかかる。
境内の日陰では神鶏が二羽遊び回っていた。平和な雰囲気が広がっている。
拝殿右に境内末社、稲荷神社の朱色の鳥居が複数建つ。
境内社に入ると、中央に稲荷神社、右に日代神社、金刀比羅神社、左に多度神社、内内神社の五社の合祀社であった。
拝殿と末社の間に日本武尊像、本殿の屋根は檜皮葺。
本殿の脇を北から西に回り込むと史跡白鳥塚古墳。
日本武尊の埋葬地と伝わるが、宮内庁は能褒野墓のほうを比定しているので、こちらは三重県指定史蹟となっているのみである。
加佐登神社
三重県鈴鹿市加佐登町2012
亀山市に鎮座する能褒野神社。御祭神は日本武尊(倭健命)。明治の神社整理により、川崎村にあった県主神社(御祭神は建見児玉)、志婆加支神社(御祭神は大八洲の霊)を合祀し、ともに延喜式鈴鹿郡の論社のひとつ。
境内一帯はのぼのの森公園として整備されている。
当地は日本武尊が東征の帰路薨去した地と伝えられる。
参道を進むと右に折れ、鳥居の先に拝殿が見えてくる。
拝殿に参る。
拝殿の右に那久志理神社、御祭神は長白羽神、瀬織津姫命。もとは当地の東方に鎮座していた。
明治の神社整理により、能褒野神社に合祀。鳥居をくぐって進むと山神と
水神の碑があるのみであった。
拝殿右に社務所があるが留守であった。玄関に御朱印の書き置きが置いてあったのでいただいてきた。
神社の南方に日本武尊の能褒野墓があり宮内庁管理となっている。
能褒野神社
三重県亀山市田村町1409
鈴鹿市に鎮座する県主神社。椿大神社の境内摂社で、延喜式鈴鹿郡の論社のひとつ。御祭神は倭建命、建貝児命。
縣大明神と称し、川崎村の鎮守社であったが、明治の神社整理で能褒野神社に配祀され、平成10年に椿護国神社の南隣に遷座した。
本殿のみの小社。本殿に参る。
右隣に椿護国神社
県主神社
三重県鈴鹿市山本町1871
鈴鹿市に鎮座する椿岸神社。椿大神社の別宮で延喜式三重郡の論社のひとつ。御祭神は天之鈿女命を主祭神とし、太玉命、天之児屋根命を配祀する。
参道を進むと分かれ道、左に椿大神社、右に椿岸神社。鳥居横に「延喜式内 椿岸神社」の社名標が立つ。
拝殿に参る。元は椿大神社の御旅所で、東北1Kmの山本村字本堂にあったという。
神招福臼(かみおぎのふくうす)、福杵で三度ついてお祈りする。
拝殿の右にかなえ滝と
扇塚。芸道の神として芸事や習事の道具を慰霊する場所。
御朱印は椿大神社の社務所でいただいた。
椿岸神社のある椿大神社の東側境内を行く。茶室鈴松庵、松下幸之助翁の寄進。
末社松下幸之助社。松下幸之助翁は幾度と参拝され椿大神社を崇拝したという。
行満堂神霊殿、椿大神社の前座とされ、猿田彦大神の神裔である行満大明神や寿老神を祀る。神仏習合時は神主山本家の祖先神を祀る修験の拠点だったと思われる。
教育勅語碑
天然記念物の亀甲石
境内社の椿立雲龍神社
延命地蔵堂、平安後期と言われる延命地蔵尊が祀られ、首から上の病気平癒の信仰を集めた。
椿岸神社
三重県鈴鹿市山本町1871
鈴鹿市に鎮座する椿大神社。延喜式鈴鹿郡椿大神社の論社のひとつで、他に石神社を合祀し論社のひとつとなっている。伊勢国の一宮。御祭神は猿田彦大神を主祭神とし、瓊々杵尊、栲幡千々姫命を相殿に祀る。
高速伊勢道の鈴鹿ICから神社へ向かうと朱色の大鳥居が立っている。鳥居の背後には神体山の高山入道ヶ嶽、国見岳、短山椿ヶ嶽。
境内入り口には「伊勢一之宮 椿大神社」の社名標と、鳥居横に「伊勢国一之宮 椿大神社地祇猿田彦大本宮」と社名碑が立っている。
鳥居を入ってすぐに境内社の庚龍神社、御祭神は金龍龍神、白龍龍神、黒龍龍神。樹齢四百年のモミの木の守り神。
深い森に囲まれた参道を進む。
参道を進むと左手に御船磐座。中央三個の石を天降石と称し、御祭神猿田彦大神、皇孫瓊々杵尊、栲幡千々姫命の神座とする。
右手に恵比寿と大黒の石像
左手に高山土公神陵、御祭神猿田彦大神の御神陵という。
拝殿に参る。隣の社務所で御朱印をいただく。
御輿庫
椿大神社
三重県鈴鹿市山本町1871
伊賀市に鎮座する菅原神社。上野天神宮は通称であるが地元ではこの名前のほうが親しまれている。御祭神は菅原道真公。上野天神祭のだんじり巡行が有名。
社殿は西向き。鳥居の扁額は「天満宮」
鳥居の次に「菅聖廟」の扁額がかかる楼門
楼門の前に松尾芭蕉の句碑。当地は芭蕉生誕地であり、松尾芭蕉が29歳で江戸に発つ前に処女句集「貝おほひ」を奉納したことでも知られる。
楼門くぐって左に境内社の松尾社
右に神馬舎
拝殿に参る。拝殿は新しい。
本殿の右に一社
左にも一社
本殿の右に美加多神社
本殿左に高原稲荷神社
その左に鎮霊社
拝殿左の社務所に附属した授与所で御朱印をいただく。
境内には神仏習合の名残として梵鐘が残る。
上野天神宮(菅原神社)
伊賀市上野東町2929
伊賀市に鎮座する敢國神社。御祭神は大彦命、少彦名命、金山比咩命。延喜式内社の大社で伊賀一宮。
駐車場の目の前に裏参道が延びているが、少し南に行って
表参道から行く。
鳥居までの間に境内社の市杵姫神社
朱色の鳥居から入る。
鳥居、拝殿、本殿は南向き
鳥居を入って左に社務所、右に絵馬殿
絵馬は二枚ほど確認できたが、色も剥げていて題材がよく分からない。
階段を上って拝殿に向かう。
「敢国大神」の扁額。拝殿に参る。
社務所で御朱印をいただいた後、裏参道から帰る。神饌所
御輿蔵
裏参道には境内社が並ぶ。若宮八幡宮
子さずけの神
階段と山道を少し登る。途中、楠社の古跡
現在の楠社
一番上に結社
結社からは南の神体山である南宮山が見える。頂上には浅間社がある。
再び裏参道に戻り、神明社
最後に大石社
敢國神社
三重県伊賀市一之宮877
39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録