「26京都府の神社」カテゴリーアーカイブ

山城洛中 白峯神宮

白峯神宮

京都市上京区に鎮座する白峯神宮。御祭神は第75代崇徳天皇、第47代淳仁天皇。
明治元年に創建された新しい神社。近代社格では官幣大社という高位に列せられた。

白峯神宮

車道は車通りが多く、正面から撮影できないため、やむやく歩道から斜めに鳥居と社号標を撮影する。

白峯神宮

鳥居をくぐると神門。一般駐車場は境内裏にあるようだが、許可車はここを通過して中に入る。

白峯神宮

境内に入ると正面に拝殿が建ち、右近の橘、左近の桜が定型通り植えられている。

白峯神宮

当宮は和歌・蹴鞠の公卿宗家飛鳥井家の邸跡に建てられており、一角に樹齢八百年の小賀玉の大樹がある。

白峯神宮

拝殿の後ろに御垣に囲まれた本殿が建ち、拝所が設けられている。

白峯神宮

拝殿の右に地主社。飛鳥井家の邸内社で「まり」の神である精大明神のほか、柊大明神、糸元大明神、白峯天神、今宮大神を祀る。
そのため、球技スポーツの精進を願い、サッカー日本代表が祈願に訪れ、中高生が部活動のために修学旅行の人気コースとなっているようだ。

白峯神宮

その左には蹴鞠保存会100周年記念に建立された「蹴鞠碑」

白峯神宮

その左には伴緒社。保元の乱に崇徳天皇方についた源氏の棟梁源為義公と、その子で弓の名人源為朝公を祀り、武道の神として、やはり中高生の部活動で参ることが多い。

白峯神宮

一番奥にあるのは潜龍社。悪縁を水に流して良縁に替えるという潜龍大神を祀る。

白峯神宮

拝所は修学旅行生で一杯だったが順番待ちしてお参りする。御垣の中の本殿

白峯神宮

拝殿の左には、4月14日の淳仁天皇祭で蹴鞠が奉納される場所。

白峯神宮

最後に授与所で御朱印をいただく。修学旅行生が列をなしてお守りを買い求めるためか、御朱印は書き置きのみで見開きの大きさ。
若者たちの元気さに圧倒されながら当宮を後にする。

白峯神宮
京都府京都市上京区飛鳥井町261番地

山城洛中 福長神社

福長神社

京都市上京区に鎮座する福長神社。御祭神は福井神、綱長井神、稲荷神。
社名は福井神と綱長井神を合祀することによるが、稲荷神と合わせ福長稲荷とも呼ばれた。

福長神社

社前に旗が建っていないと社があることもわかりにくいほど。

福長神社

家々に挟まれて境内がある。

福長神社

入ると手水舎の中に井戸がある。
福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院に祀られていた宮中神の坐摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)のうちの二座であり、ともに井戸の神で、宮中の井戸の守護神とされていた。

福長神社

当地に遷座したのは天正年間とされ、天明の大火(1788)で消失した後に小祠となったという。

福長神社

拝所の奥に本殿が覆屋の中に鎮まる。

福長神社
京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538

山城洛南 真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)

真幡寸神社旧地

現在城南宮に摂社として鎮座する真幡寸神社の旧鎮座地は、竹田真幡木町にある若宮八幡宮だと言われる。
当地は平安京遷都以前から秦氏の勢力圏で、秦氏の氏神と考えられている。

真幡寸神社旧地

住宅街に鎮座し、扁額には「若宮宮」、社号標には「若宮社」と書かれている。

真幡寸神社旧地

境内隅に「史蹟 式内真幡寸神社の跡」と書かれた石碑が建つ。竹田史蹟保存会により昭和49年に建てられた。

真幡寸神社旧地

若宮宮だと御祭神はわからないが、正式名は若宮八幡宮だというので御祭神は応神天皇か。

真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)
京都府伏見区竹田真幡木町

山城洛南 城南宮

城南宮

京都市伏見区に鎮座する城南宮。御祭神は城南大神(国常立尊、八千矛神、息長帯日売尊)。方除の神として平安京の南に鎮座された。

城南宮

正月・5月・9月は特別朱印がある。銀色のインクで押されるので画像修正がうまくいかなかったが、雰囲気は分かるだろうか。詳細は後ほど

城南宮

駐車場の関係で東鳥居より入る。鳥居には「城南離宮」と書かれている。
白河上皇や鳥羽上皇が城南宮を取り囲むように鳥羽離宮(城南離宮)が造営され院政の拠点となった。

城南宮

しばらく参道を行くと社務所と貴賓館が左手にある。

城南宮

さらに進むと右手に摂社真幡寸神社。御祭神は真幡寸大神、応神天皇。延喜式紀伊郡眞幡寸神社の論社。

城南宮

竹田地区に氏子を持ち、神紋は「三葉葵」

城南宮

真幡寸神社の御朱印は昨年、官社列格1200年を記念して覆刻された。書き置きのみ。

城南宮

左手には神苑(城南離宮の庭)への入口があり、中のギャラリーでは鳥羽伏見の戦い展が開催されているようだったが、時間も限られているので今回は入らなかった。
来年は鳥羽伏見の戦い150年の節目で、城南宮は薩摩軍による開戦地として有名。

城南宮

さらに右手に芹川神社。中には「唐渡天満宮」の社号碑が建っているが同じ社を指している。御祭神は菅原道真公。左に小祠があるが御祭神は不明。

城南宮

その隣に絵馬舎

城南宮

本社前の鳥居までやってきた。「城南宮」の社号標が建つ。入る前に周囲を回ることにする。

城南宮

その鳥居と正対して三照宮社。御祭神は天照大御神。

城南宮

本社と同じ三光紋が付いている。

城南宮

入った東鳥居とは反対側に建つ西鳥居。扁額にはやはり「城南離宮」と書かれている。
国道1号線に面し、大型駐車場や車修祓所がある。

城南宮

修祓所に隣接して斎館が建つ。

城南宮

本社に向かうことにする。鳥居、拝殿、本殿と一直線に並んでいる。

城南宮

開放的な拝殿

城南宮

右には神輿舎。五色の布が風に揺られて風情が漂う。

城南宮

本殿は残念ながら改修工事中で見えなかった。

城南宮

周囲の境内社にはお参りできたが、撮影禁止だったので写真はない。
本殿の左に、稲荷社、厳島社・住吉社・兵主社の三社合祀社、粟島社の三社、右に春日社、大国主社、庚申社、天満宮社・妙見社・金刀比羅社の三社合祀社の四社が本殿に向かって鎮座する。

城南宮

拝殿左の授与所で御朱印をいただく。

城南宮

城南宮では正月、5月、9月は神様と特にご縁が深い月とされ、重ねてお参りする「正五九参り」の信仰がある。
今年からその期間は特別御朱印のみ朱印帳にいただけ、通常の御朱印は書き置きとなる。

城南宮

参道を戻る途中、宿り木の案内板を見つけた。行きは気づかなかったが天気も良くよく見えた。

城南宮
京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地

山城洛南 伏見稲荷大社 お山めぐり

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。その神奈備である稲荷山を一周することを「お山めぐり」という。

奥社奉拝所に参り、千本鳥居を進むとやがて熊鷹大神の扁額の掛かる鳥居が混ざってくる。

新池に張り出すように鎮座する熊鷹社、祭神は熊鷹大神。

さらに進み、三ツ辻を曲がって階段を上っていくと、途中に三徳社がある。

さらに階段を上る。この鳥居をくぐると四ツ辻になり、稲荷山一周が始まる。

三ノ峰下社、祭神は白菊大神。

間ノ峰荷田社、祭神は伊勢大神。ここまで来ると汗が噴き出してくる。

二ノ峰中社、祭神は青木大神。

そして稲荷山山頂233m、一ノ峰上社、祭神は末広大神。
奥社奉拝所から30分ほど経っていた。

ゆるやかに下る。春繁社、祭神は春繁大神。

長者社、祭神は御劔石という霊石で、別名御劔社ともいう。

おせき社、祭神はおせき大神。

石井社、祭神は石井大神。

薬力社、祭神は薬力大神。

山上祈祷所、三ヶ峰の北背後にあたり、かつて御饗殿と御竈殿があり供物をするところだった。

御膳谷奉拝所、ここで稲荷山の御朱印がいただける。奥社奉拝所からやがて一時間が過ぎようとしていた。

眼力社、祭神は眼力大神。

大杉社、大杉を祀る。

ようやく四ツ辻に戻り、北の荒神峰に上る。祭神は権太夫大神。

荒神峰の背後を谷に下り、白滝社に至る。祭神は白滝大神。

白滝のご霊水。

磐境を祀る社が並ぶ御幸奉拝所。

四ツ辻からは京都南部の町並みがくっきりと見えた。やがて一時間半を過ぎようとしていた。
すべて回ってきたつもりだったが、御膳谷奉拝所の北方の谷に三社ほどあったようだ。

山城洛南 伏見神宝神社

京都市に鎮座する伏見神宝神社。御祭神は天照大御神を主祭神とし、稲荷大明神を配祀する。

神社へは伏見稲荷大社の奥社奉拝所から稲荷山へ向かう千本鳥居の途中から右の山道へ入る。

本殿に参る。狛犬ならぬ狛龍が拝殿前に控える。

社名の「神宝」は奉安されている十種の神宝(沖津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼)をいう。物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされる。

御朱印は伏見稲荷大社と同じ8時30分からだったので帰りにいただく。

伏見神宝神社
京都府京都市伏見区深草笹山町15

山城洛南 伏見稲荷大社 奥社奉拝所

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。本殿の上にある奥社に向かう。

権殿右の鳥居より階段を上がっていく。

階段の左に境内社が並ぶ。末社長者社、祭神は旧社家秦氏の祖神。

末社荷田社、祭神は旧社家荷田氏の祖神。

末社5つの五社相殿。
末社八幡宮社、祭神は応神天皇。
末社日吉社、祭神は大山咋神。
末社若王子社、祭神は若王子大神。
末社猛尾社、祭神は須佐之男命。
末社蛭子社、祭神は事代主神。

末社両宮社、祭神は天照皇大神、豊受皇大神。

階段上に二社。供物所、稲荷山に供物をする場所。階段にネコが一匹、まるで眠り猫のように目を閉じ、社を守っていた。

末社玉山稲荷社、祭神は玉山稲荷大神。

奥社と反対方向に少し歩く。末社大八嶋社、祭神は大八嶋大神。古来磐境を祀る。

神馬舎。

一段上がってくる。奥宮、本殿と同じ稲荷大神を祀り、摂社でも末社でもなく別格扱いの社。

末社白狐社、祭神は命婦専女神。

そして奥宮から千本鳥居が始まる。初めは大鳥居。

千本鳥居の脇に変わった灯籠が立っている。二匹の狐が輪を作り、和合を願うものか。

大鳥居を抜けると小さい鳥居が立ち並ぶ、有名な場所が始まる。右側通行。

外国人にも人気の千本鳥居。

千本鳥居を抜けると奥社奉拝所に出る。奥社奉拝所に参る。
御朱印は8時30分からだったので帰りにいただく。9時半を過ぎると大勢の観光客のため手書きはしておらず、書き置きの授与のみだった。

山城洛南 伏見稲荷大社

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。関西で最も初詣の多い神社。
御祭神は宇迦之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神と摂社田中社の田中大神、摂社四大神の四大神の五柱。延喜式の紀伊郡稲荷神社の比定社であり、摂社田中社が飛鳥田神社の論社、摂社四大神が御諸神社の論社となっている。

社殿は西向き。参拝客のまだ少ない時間帯を狙って朝早く参拝に来た。朝日がまぶしい。

社名標の横に稲荷の神使キツネの銅像。境内ではたくさんのキツネに会うことになる。

参道を進むと左に境内社が三社。右より
霊魂社、祭神は瑞穂講社、講務本庁の特別崇敬者、当社に係り深い物故者の御魂。
末社藤尾社、祭神は舎人親王。
末社熊野社、祭神は伊邪那美大神。

二つ目の大鳥居の後ろには楼門。

天正期に秀吉が寄進した楼門。南北の廻廊が江戸中期に拡張された。

楼門をくぐると右手に末社東丸神社。社家に生まれた荷田春満を祀る。春葉殿と荷田社の2つの境内社がある。

本殿は前に拝殿がつく型式。正面や真横からの撮影はできなかったのでやや斜めから。
本殿に参る。

本殿後ろの左に権殿。

本殿の真後ろには奥宮と稲荷山の遙拝所。

鳥居型の珍しい絵馬。これだけたくさんあると朱がまぶしい。
御朱印は8時30分からということでお山めぐりの帰りにいただいた。

伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68

山城八幡 石清水八幡宮

八幡市男山に鎮座する石清水八幡宮。全国八幡神社本社のひとつ。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、比咩大神は宗像三女神とされる。

御朱印は拝殿前の授与所でいただく。本社と摂社三社の四種類ある。本社の墨書きが鳩でなかったのが少々残念。

ロープウェーはあるが、初めての参拝でもあるので山麓から歩いていく。

一の鳥居、扁額の八は鳩になっている。書は社僧であった松花堂昭乗の筆による。

頓宮殿入口、左に筒井がある。

頓宮殿

頓宮殿の出口。塗り替えられた朱色が鮮やか。

頓宮殿を出ると初めに鎮座する摂社が高良社。

高良社、御祭神は高良玉垂命。

二の鳥居を通るといよいよ上りが始まる。

分岐に鎮座する大扉稲荷社

その前にある影清塚。参拝前に心身を清めた場所。

階段は長いが、緩いので比較的上りやすい。

階段の終点に神馬舎。彌櫻号という神馬は今日は不在。

三の鳥居。ここから社殿は一直線。社殿は南向きに鎮座する。

三の鳥居をくぐるとかつて競馬の出発地点だった一ツ石。お百度参りの始点でもある。

南総門前まで来た。

手水舎にはたくさんの柄杓が並ぶ。

南総門をくぐると特徴的な拝殿が見えた。今日は非公開文化財公開日なのでいつもより多いかもしれない。

左にご神木の楠。楠木正成奉納で樹齢700年を越えるという。

時計回りに本殿まわりの境内社をまわる。廣田社、生田社、長田社の三社殿。

摂社武内社、御祭神は武内宿禰命。社殿は本殿の北西隅に鎮座する。今回廻廊内に入ってお詣りできたが、廻廊内は撮影禁止のため写真はない。御朱印中の熊笹は、武内宿禰命の御神紋である熊笹紋をもとにしている。

校倉

住吉社

一童社

北総門

貴船社と龍田社の二社殿。

若宮社と若宮殿社

気比社

水若宮社

来たときと別ルートで下りる。東総門の下、右手に伊勢神宮遙拝所がある。

摂社石清水社、御祭神は天之御中主神。御朱印中の霊泉とかかれたひょうたんは、松花堂昭乗の使用した印がもとになっている。

八幡大神が勧請される以前から祀られている産土神

石清水井、八幡五水のひとつで、往古より皇室及び将軍家の御祈祷に当たってはこの霊水を山上の八幡宮に献納していたという。

社僧であった松花堂昭乗の晩年の庵があった場所

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊30

山城乙訓 離宮八幡宮

大山崎町に鎮座する離宮八幡宮。御祭神は応神天皇、田心姫命、市杵島姫命、端津姫命、酒解大神。

正門の高麗門。社殿は南向き。

鳥居は境内内に立つ。

油祖の像。山崎の地は製油発祥の地であった。

拝殿に参る。

本殿の左にたくさんの境内が並ぶ。武内社

天照皇太神社

蛭子神社

鹿島神社

気比宮

高天宮神社

右が小禅師宮、左が勝手神社

腰掛天神社と道真腰掛石

高良社

不明の境内社

本殿の右に若宮神社

社務所で御朱印をいただく。兼務社の酒解神社の分もこちらでいただける。

石清水八幡宮創建の地であり、それ以前は酒解神社が鎮座した地という。境内には「石清水八幡宮」「大山崎八幡宮」「八幡宮」と様々な名の灯籠が立つ。現社名はここに嵯峨天皇の離宮があったところに由来する。

かつては広大な神領を有していたが、明治に入り東海道本線開通のため北側の大半の社領が削られ、南側の築地塀、正門の高麗門、そしてこの東門がそれ以前の面影を伝える。

離宮八幡宮
京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1

山城乙訓 自玉手祭來酒解神社

大山崎の天王山に鎮座する自玉手祭來酒解神社。御祭神は自玉手祭來酒解神とも言われる大山祇神、素戔嗚尊を配祀する。

延喜式の乙訓郡自玉手祭來酒解神に比定される神社で明神大社、元は山崎社といい麓の離宮八幡宮の場所にあったという。離宮八幡宮の勢力が強くなるにつれ、山崎山に遷座し、天王社と呼ばれたところから天王山と呼ばれるようになった。

JR山崎駅から宝積寺の登山口を目指す。

しばらく登ると白い大きな一の鳥居が見えてきた。

鳥居脇に展望台があり、山崎合戦の古戦場が眼下に広がっている。

またしばらく登ると、三社宮が見えてきた。御祭神は天照大神、月読大神、蛭子神。高い木に囲まれた社が印象的。

三社宮から登山口は右に行く。左に少し行くと厳島社がある。

さらに登っていくと、酒解神社が見えてきた。社殿は山腹にあるとしては大きい。

拝殿に入り、本殿に参る。

振り返ると崖のほうに木が見える。

この一本はおそらくご神木なのだろう。

左に境内社が一社。

その左に神輿蔵がある。板倉造という鎌倉時代中期のころの珍しいものらしい。国重要文化財に指定されている。

本殿の右には後見社が拝殿に向かって建つ。祭神は大己貴命。

現在酒解神社は離宮八幡宮の兼務社となっているため、下山後、離宮八幡宮で御朱印をいただいた。

自玉手祭來酒解神社
京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王46

山城乙訓 御谷神社

長岡京市に鎮座する御谷神社。明治に延喜式乙訓郡の比定社とされた。御祭神は天兒屋根命、應神天皇、別雷神、倉稻魂神とされ五社神社と称していたが、明治に比定社となり改称した。

鎮座する浄土谷は天王山の西側の山あいで道路も狭い。集落も数軒と乗願寺があるだけである。携帯電話も通じない。

乗願寺の裏に神社がある。鳥居をくぐると奥に本殿が見える。

かつては鳥居と本殿の間に拝殿があり、そこに本殿があったという。

本殿を覗くと社殿と朽ちた狛犬がある。

浄土宗乗願寺

西山の大仏といわれ、洛西観音霊場の番外霊場ともなっている。

御谷神社
京都府長岡京市浄土谷宮ノ谷3

山城乙訓 小倉神社

大山崎町の小倉山の麓に鎮座する小倉神社。乙訓郡の延喜式内社で明神大社。御祭神は武甕槌神、斎主神、天児屋命、比売大神。

平安京の鬼門除けとして祈願され、方除祖神として崇敬を集める。

参道は阪急西山天王寺駅の線路を渡るところから始まる。社名標と灯籠が立つ。

車で3分、社前に到着する。神社は天王山への登山口のひとつとなっていて、当日も支度を調えた家族連れに会った。

一の鳥居、参道を進み二の鳥居をくぐると広い場所に出る。

階段を上がり割拝殿をくぐる。

割拝殿には絵馬が掲げられていた。享保二年の祭礼絵馬。割拝殿、拝殿、本殿は今の位置だが、他に割拝殿の左前に能舞台が描かれる。小倉能として近郷に知られていたという。

もう1枚は相撲奉納の様子を描いた絵馬。文政十年の奉納である。

拝殿と本殿。本殿に参る。

手水には亀が二匹、どことなく愛らしい。

本殿の後ろに磐座が残り、地磁波が出ているという。

境内社も多い。拝殿右に三社神社、右より若宮、天照皇大宮、八幡宮。

やちまた宮とある熊野神社

二の鳥居右に四社並ぶ。天満宮

若宮神社

稲荷神社

龍王神社

11月3日の秋祭りも近いので社務所に人がいるかと思って訪ね、御朱印をいただいた。

小倉神社
京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前83鳥居

山城乙訓 神足神社

長岡京市に鎮座する神足神社。乙訓郡の延喜式内社の比定社。

神足村の産土神で、祭神は不詳となっているが、境内の案内板では舎人親王といわれている。

社殿は南向き。ここは勝龍寺城の縄張りの北端になるが、かつての原生林の一部または屋敷林が社叢として残っているものと思われる。

拝殿に参る。

本殿が後ろに鎮座する。

本殿の右に境内社が一社。

境内の一部に勝龍寺城の空堀と土塁、土橋が残る。神社は東海道本線の線路敷設のため現在地に遷座されたといい、本来の場所がはっきりしないが西のほうにあったようだ。

御朱印を境内の社務所でいただく。

神足神社
京都府長岡京市東神足2丁目5

山城洛南 宇賀神社

京都市に鎮座する宇賀神社。御祭神は宇迦之御魂神、天照大御神。

宇賀神社参道、かつての宇賀の辻子跡。ここから東へ100mほどが参道であった。

参道を左に曲がると狭い道に挟まれた境内に到着する。本殿まわりの銀杏の大木が目立つ。

社殿は南向き。境内に入る。

拝殿の後ろに塀垣に囲まれた本殿がある。本殿に参る。

宇賀神社の地は藤原鎌足がこの辺りに遷都され子孫が繁栄することを予知して金璽を埋めた伝説の残る宇賀塚の場所であり、本殿には雷が石になったという雷石が祀られているという。東九条唯一の産土神である。

境内のムクのご神木は樹齢500年を越える。

宇賀神社
京都府京都市南区東九条東札ノ辻町33

山城洛南 田中神社

京都市に鎮座する田中神社。延喜式の紀伊郡飛鳥田神社の論社のひとつ。御祭神は田中大神。

鳥羽街道に面して東向きに鎮座する。裏に京阪鳥羽街道駅がある。

境内は一軒分くらいの狭い範囲。

現在は伏見稲荷大社の境外摂社になっている。

本殿に参る。

本殿は本社である伏見稲荷大社の境内にある末社とおなじ程度で造りも似ている。

田中神社
京都府京都市東山区本町20丁目

山城京都 晴明神社

晴明神社

京都市に鎮座する晴明神社。御祭神は安倍晴明御霊神。

御朱印はすべてスタンプで、晴明社は安政元年土御門晴雄卿の揮毫を版にしたもので、五芒星が押される。日付までスタンプなのは誰でも対応できるようにしているのだろうがどこか味気ない。

晴明神社

一の鳥居には五芒星の扁額、二の鳥居には「晴明神社」の扁額が架かる。社殿は東向き。

晴明神社

境内には平成7年まで使用された一条戻橋が移されている。

晴明神社

境内から100メートルほど離れた現在の一条戻橋。

境内の案内にも橋の案内にも安倍晴明と一条戻橋の関係が触れられていないので調べてみた。
1.安倍晴明は一条戻橋で殺害された父の保名を、呪法を駆使して蘇生させたという。
2.安倍晴明の式神である十二体の人形があまりに醜く恐ろしい顔をして、晴明の妻がおびえるので、用のない時は一条戻橋に置いた石櫃に閉じ込めておいた。高倉天皇の中宮建礼門院の出産の折、二位殿がこの橋で「橋占い」を行い、12人の童子が現れて唄いながら橋を渡り、生まれてくる子の将来を予言した。この12人の童子が晴明の式神たちだったという。

晴明神社

晴明井は当地に安倍晴明の邸宅があったころから常に湧き出しているという。

晴明神社

本殿前には安倍晴明公像、本殿に参る。

晴明神社

本殿前に立つクスノキの御神木、多くの人がその霊威にあやかろうと触れていた。

晴明神社

本殿右に末社斎稲荷社

晴明神社

五芒星は通称で神紋は晴明桔梗といい、境内にもたくさんの桔梗が植えられている。

晴明神社
京都市上京区晴明町806

山城京都 河合神社

河合神社

京都市に鎮座する河合神社。御祭神は玉依姫命。賀茂御祖神社の摂社であり、延喜式の鴨川合坐小社宅神社の比定社で明神大社。

河合神社

弊殿。昼を過ぎると人が多い。

河合神社

本殿に参る。手鏡形の絵馬があり、女性に人気の社である。そのためか対応に忙しく、御朱印は書き置きである。

河合神社

境内に鴨長明の庵が残る。長明は河合神社の祢冝の息子であったが、願いが叶わず大原に隠棲した。そのときの方丈を復元したものである。

河合神社

河合神社の末社の三井社(三塚社)、御祭神は賀茂建角身命、伊賀古夜日売命、玉依媛売命。 延喜式の三井神社の論社のひとつ。

河合神社
京都府京都市左京区下鴨泉川町59

山城一の宮 賀茂御祖神社(下賀茂神社)

賀茂御祖神社

京都市に鎮座する賀茂御祖神社。御祭神は賀茂建角身命、玉依媛命。山城国一宮で延喜式内社の明神大社。

賀茂御祖神社

平成27年に賀茂別雷神社とともに式年遷宮を迎える。

賀茂御祖神社

楼門を入って参る。

賀茂御祖神社

摂社の出雲井於神社、御祭神は建速須佐乃男命。延喜式の論社のひとつ。

賀茂御祖神社

摂社の井上社(御手洗社)、御祭神は瀬織津姫命。当社も延喜式の出雲井於神社の論社のひとつ。

賀茂御祖神社

摂社の三井神社、御祭神は賀茂建角身命、伊賀古夜日賣命、玉依日賣命。延喜式の論社のひとつ。

賀茂御祖神社

末社の愛宕社、御祭神は火産靈神。延喜式の末刀神社の論社のひとつ。愛宕社は稲荷社との相殿となっている。

もう一社、片山御子神社、御祭神は玉依比売命。延喜式の比定社であるが、参拝を忘れた。

賀茂御祖神社
京都府京都市左京区下鴨泉川町59

山城一の宮 賀茂別雷神社(上賀茂神社)

賀茂別雷神社

京都市に鎮座する賀茂別雷神社。御祭神は賀茂別雷大神。山城国一宮で延喜式内社の明神大社。

賀茂別雷神社

平成27年に第42回式年遷宮が開催される。

賀茂別雷神社

建物も多い。摂末社は24社、そのうち15社が境内にある。

賀茂別雷神社

楼門をくぐるとその先に本殿がある。有料で特別拝観できる。

賀茂別雷神社

摂社の賀茂山口神社。御祭神は御歳神。延喜式の論社のひとつ。手前に仮宮がある。式年遷宮のときに神を遷座する専用領域がある境内社がいくつかあった。

賀茂別雷神社

摂社の須波神社。御祭神は阿須波神、波比祇神、生井神、福井神、綱長井神の坐摩神五柱。延喜式の論社のひとつ。

賀茂別雷神社

末社の山森神社。御祭神は素戔嗚神、奇稻田姫神、田心姫神。延喜式の鴨岡太神社、賀茂山口神社の論社のひとつ。

もう一社、土師尾神社(御祭神は建玉依比古命)、延喜式の賀茂波爾神社、小野神社の論社のひとつ。本殿近くに中門の内側に鎮座するため一般の参拝は難しい。

賀茂別雷神社
京都府京都市北区上賀茂本山339