坂井市に鎮座する加奈井神社。御祭神は日本武尊。延喜式坂井郡坂名井神社の論社のひとつ。
社殿は西向き。隣に金井区民館が建つ。
社殿右前の建物
中には石像の釈迦三尊や子守地蔵などが祀られている。
左前の建物。屋根は石造りになっている。
やはり中には地蔵が祀られている。
拝殿に参る。
扁額は「不動尊」。不動明王が祀られているようだ。
社号は拝殿内に吊られた提灯にしか見当たらない。
加奈井神社
福井県坂井市三国町楽円2-10-1
坂井市に鎮座する加奈井神社。御祭神は日本武尊。延喜式坂井郡坂名井神社の論社のひとつ。
社殿は西向き。隣に金井区民館が建つ。
社殿右前の建物
中には石像の釈迦三尊や子守地蔵などが祀られている。
左前の建物。屋根は石造りになっている。
やはり中には地蔵が祀られている。
拝殿に参る。
扁額は「不動尊」。不動明王が祀られているようだ。
社号は拝殿内に吊られた提灯にしか見当たらない。
加奈井神社
福井県坂井市三国町楽円2-10-1
坂井市に鎮座する氷川神社。御祭神は素盞嗚尊。延喜式坂井郡枚岡神社と比古奈神社の論社。
社殿は南西向き。後ろにJR三国駅がある。
今週春祭りが終わったところのようだ。今日は修繕に数人が来ていた。
拝殿に参る。拝殿に書き置きの御朱印が置いてあった。
中央の扁額は「氷川神社」だが、左右に旧社号の「牛頭天王宮」の扁額が掛かる。
三国湊に近いとあって北前船の絵馬も奉納されている。
拝殿背後に本殿。古そうな社殿だが覆屋に入らず間近に見ることができる。通路脇の右の狛犬は失われている。
拝殿の右の建物。小ぶりだが舞殿であろうか。
本殿右に○匠神社。崩し字のため一文字目が読めない。
その右に稲荷社
その右に不動社。石の不動明王が祀られている。
参道右手に社務所。社務所前に御神木が立つ。
井戸も残る。
神社裏手に三国祭の貴宝区の山車が収納されている。
氷川神社
福井県坂井市三国町北本町1-4-30
坂井市に鎮座する神明神社。御祭神は天照大神、継体天皇。継体天皇が越前国河川開拓のとき枚岡を行在所とし、王が越前を離れた跡、民が徳を偲んで旧行在所に遷座して枚岡神社と称したという。のち神明社に改称した。延喜式坂井郡枚岡神社と坂名井神社の論社のひとつ。
神社は南向き。周囲の道路は狭い。境内入口に三国祭の四の部地区山車が収蔵されている。
参道上に鳥居、「神明社」の扁額が掛かる。
拝殿に参る。
本殿の前には中門があり、御垣に囲まれている。
本殿左に合祀社。延喜式坂井郡比古奈神社(御祭神は少彦名命)を合祀しているとする。
左に舞殿付きの社務所
境内の西端に境内社味坂神社。延喜式坂井郡の論社で、伊邪那岐命を祀る。
味坂神社の社殿横に鬼瓦、狛犬、組物などが展示されている。福井大地震で倒壊した社殿のものだろうか。
本殿の右、北向きに辰巳川神社が建つ。辰巳川不動明王と呼ばれた北受け不動尊を祀る。
本殿の御垣北口の前にも狛犬が設置される。
境内の隅に旧社号標が立つ。
神明神社
福井県坂井市三国町神明2-2-3
坂井市に鎮座する伊岐神社。御祭神は由緒碑によれば、日本武尊、継体天皇、安閑天皇。延喜式坂井郡の論社のひとつ。
坂井丘陵の南端に鎮座し、社前は坂になっている。
社号標と鳥居の先に階段。社殿は南向き。
参道の右に境内社が二社。手前に「帝釈天」、奥に「毘沙門天」の扁額が掛かる。
毘沙門天社の木鼻は狛犬になっていて、柱に抱きついたような姿勢が愛らしい。
拝殿に参る。
幣殿とつながる本殿。境内は土塁状の高まりに囲まれている。
拝殿下に「白」と書かれた石製鬼瓦。伊岐神社は移転、廃絶。再興という流転の歴史を経て、白山神社に合祀され、社名を白山神社から伊岐神社に改称したという。社殿改築前の屋根に上がっていたものだろうか。白山神社の御祭神は伊邪那美神、速須佐之男神、大山津見神。
社殿は樫の木のような木に囲まれている。大木が多く、原生林の残りだろうか。おかげで境内は神域として隔絶した空間となっている。
伊岐神社
福井県坂井市三国町池上25
あわら市に鎮座する八雲神社。御祭神は速須佐之雄尊を主祭神とし、罔象女命、安徳天皇を合祀している。延喜式坂井郡布久漏神社の論社のひとつ。
坂井丘陵にあり、北潟集落の北、経塚山に鎮座する。周辺は風力発電の風車が無数に立つ。
参道は東向き。杉の間を境内へ
入口に社号標。石橋を渡ると一の鳥居
参道の途中に朱色の大鳥居
階段を上っていく。
最初に西向きの境内社
その左に西向きに境内社磯﨑神社
出雲神社の社殿は南向き
本殿の右にお堂
中には薬師如来と仁王像。江戸時代は牛頭天王と呼ばれていて、薬師如来はかつての本尊だろうか。仁王像は仁王門があったのだろう。いずれも神仏分離で神社から撤収されてこの建物に集められたと思われる。
出雲神社に参る。
拝殿後ろに幣殿とつながる本殿は一段高い場所にある。
本殿とお堂の間に梵字の書かれた石塔と石祠が残っている。
八雲神社
福井県あわら市北潟46-30
越前町に鎮座する剱神社。御祭神は武甕槌命。延喜式丹生郡の枚井手神社の論社のひとつ。
社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿の扁額は「剱大神」
本殿の大棟が瓦ではなく石製となっている。
拝殿右に境内社が並ぶ。手前より稲荷神社(保食命)、太子廟(聖徳太子)、剱神社(素戔男命)、天満宮(菅原道真公)、秋葉神社(火産霊命)
剱神社
福井県丹生郡越前町平等54-1
越前市に鎮座する雨夜神社の旧鎮座地。御祭神は水波乃売命。延喜式丹生郡の論社のひとつ。
岡本山の頂上に鎮座する。
南麓の岡太神社の境内から岡本山への登り口がある。
上っていくと社がひとつと
後ろに西国三十三観音堂が立っている。
ここからは越前富士として知られる日野山がよく見える。
西国三十三観音堂の後ろに北の方へ尾根道が続いている。
途中までは全く雪もなかったが、頂上が近づいてくるに従いうっすらと雪が残っていた。
頂上には石祠が立っている。岡本山はここが行き止まりなのだが、元々はここは中央で北半分が開発で削られてしまったという。
石祠の裏には「雨夜神社 岡本山上宮 祭神水波乃売命 昭和五十一年六月建之」と書かれている。山頂から南麓の岡太神社に遷座したとされるが、祭神は異なっている。
雨夜神社
福井県越前市岡本町21-18
越前市に鎮座する岡太神社。御祭神は大山咋命、天照皇大神。延喜式丹生郡の雨夜神社の論社のひとつ。
社殿は岡本山の南麓に鎮座する。
境内の入口に二の鳥居が立つ。
鳥居の扁額は「白山神社」、旧社名だろうか。
拝殿に参る。
本殿は拝殿と長い弊殿でつながる。
岡太神社
福井県越前市岡本町21-18
越前市に鎮座する帆山神社。本来の「帆」の文字は「火」偏に「几」であるが当用漢字がない。御祭神は別雷神を主祭神とし、天照皇大神と豊受神を合祀する。延喜式今立郡の比定社。
帆山公園に駐車し歩くことにする。帆山公園の西南隅に石碑と櫻の木が一本ある。
継体天皇お手植えの櫻で、児安神を祀った帆山神社の摂社であるという。
帆山公園の東に少し歩くと社名標はないが旗竿が立っているので。ここから山の方へやや北東方向へ歩いて行く。
やがて住宅地を抜け帆山の麓に鳥居が見えてくる。社殿は西向き。
赤い木製の四脚鳥居と奥に石製鳥居が立つ。
幸い雪が少ない。階段を上って行って振り返ると西に雪を被った端正な山が見える。鬼ヶ岳であろうか。
拝殿に参る。
拝殿右に境内社。鯉の滝登りの彫刻が施された凝った社殿。
帆山神社
福井県越前市帆山町33-6
旧清水町に鎮座する賀茂神社。御祭神は賀茂別雷命、賀茂玉依姫命、大国主命、伊賀古夜比売命、賀茂建角身命、神武天皇、弓矢大神(武甕槌神・経津主神)、鵜草葺不合命、八幡大神(應神天皇・神功皇后)と多い。現在は加茂町と称しているが、合併前は清水町加茂内という住所で賀茂神社を中心とした元神領だったのではないだろうか。
清水西小学校への坂道を上がり右に曲がる。
元禄期に建立された大鳥居。
「賀茂上下大明神」の扁額が架かる。
社殿は南向き。拝殿の前に平成20年に勧請された下賀茂神社の干支守護社となる。
拝殿の後ろに本殿、その右に境内社の祇園社が祀られる。
拝殿の扁額は「式内雷神社」。延喜式の丹生郡雷神社の論社のひとつ。
御朱印は拝殿に併設する授与所でいただいた。初詣でお守りを買い求める人の中で御朱印をいただく人など他にはいなかったが、巫女は忙しそうではあったが宮司は時間を持て余しているように見えました。ネットでは墨書きで「賀茂神社」と書いてあるものが多いが、「賀茂上下大明神」の印に変わっていた。
賀茂神社
福井県福井市加茂町
旧武生市に鎮座する大虫神社。主祭神は天津日高日子穂穂出見尊、延喜式の丹生郡大虫神社の比定社。
天正11年に同じく丹生郡小虫神社、丹生郡雨夜神社、丹生郡雷神社と若宮神社を合祀する。小虫神社も比定社。雨夜神社と雷神社は論社のひとつ。合祀社の御祭神、豊豐玉姫命、水波之売命、鵜鵜草葺不合尊を配祀する。
一の鳥居。北に向かってまっすぐの参道
二の鳥居をくぐって大虫川を渡る。
大虫川には大正建造のレンガ造のアーチ橋が架かる。
境内に入る前に三の鳥居をくぐる。
拝殿に参る。拝殿の後ろに本殿。本殿の左右に摂社が一社ずつ。いずれかは塩筒神社。
本殿の左方に泉水。
本殿左に末社大岩神社と後ろにお岩神といわれる磐座がある。
本殿の後ろに収蔵殿。御祭神天津日高日子穂穂出見尊と摂社の塩椎の御神像を収蔵している。平成9年の二千年大祭に合わせて本殿から遷座されたという。
拝殿左に祖霊社。宮司の岡野家の祖神が祀られている。
神社の東には長屋門も残る宮司家が建つ。今日は留守のようで御朱印はいただけなかった。
大虫神社の近郊には奈良時代に大寺院があった。
そこの塔跡が発掘で見つかり復元されている。
塔の中心の心礎の石も見つかっている。
[2019/11/16追記]
何度訪れても隣の宮司宅は不在で、祭礼に来ないと御朱印はいただけないかと思っていたら、当社は総社大神宮の兼務社になっていて、そちらの社務所でいただけることがわかったので行って来ました。
大虫神社
福井県越前市大虫町21−27-1
旧武生市に鎮座する五皇神社。御祭神は応神天皇、稚野毛二派皇子、太郎子、汗斯王、継体天皇の父彦主人大公の祖宗五柱の神霊を祀る。
継体天皇が即位以前に味真野に暮らしていた頃に、学問所、文庫を置いたところと伝わり文室という地名になった。文室は今は越前万歳の里として知られる。
その頃は五皇宮と号し、堂ノ谷にあったという。堂ノ谷ってどこだろう?
神社は集落の最奥に鎮座し、一の鳥居をくぐり、二の鳥居から先は長い階段を上る。
階段の途中、右に滝が落ちている。落差2mほどで滝行も行えそう。
大きな楼門をくぐり、さらに階段を上って拝殿に至る。
拝殿に参る。
拝殿右手に神輿殿。
本殿の右のさらに上方に境内社が一社。
下に石碑が建っている。上の境内社が大洗磯前神社、神明神社、木留神社の合祀社なのだろうか。
帰りに楼門の段にある社務所に立ち寄る。返事がないので留守のようだった。
五皇神社
福井県越前市文室町35−2
旧今立町粟田部に鎮座する岡太神社。御祭神は建角身命、國狭槌尊、大己貴命で、継体天皇を配祀する。
南向きに参道が延びる。
朱色の大鳥居をくぐって境内へ。
迎春と迎えてくれる。
両側の竹飾りはこの地方独特のものか。
拝殿に参る。
階段を上り、本殿に参る。前回の参拝は昨年2月の蓬莱祀(おらいし)のときだったので、やはり冬囲いされていた。次は違う季節に参拝したい。
本殿右に須波阿須疑神社
本殿左に貴船神社
本殿の左方に石祠が2基建っている。
本殿の右方に石碑。当地は謡曲花筐(はながたみ)ゆかりの地である。
境内社をめぐる。拝殿の右上方に神明社と石祠の稲荷神社。ともに別当寺だった粟生寺の守護神であった。
花筺会館の東にある天神社。御祭神は少彦名命、後世に菅原道真公が合祀される。佐山天神地区の氏神。境内の白樫は樹齢300年近い。
佐山姫公園の北側の秋葉神社。
秋葉神社の上方に不明の石祠。
秋葉神社の西へ進むと出雲社。
出雲社の右から琴弾山に鎮座する金刀比羅神社への入口がある。鳥居の赤い注連縄が変わっている。
10分ほど登ると金刀比羅神社に着く。拝殿右に大きな岩肌がむき出しの磐座がある。
今日は小雨で下が霞んでいたが、晴れていれば町が一望できる絶景スポットだろう。
花筺公園に隣接して佐山姫公園がある。この辺りが継体天皇が妻の佐山姫と暮らした館跡と伝えられる。
継体天皇の皇子、安閑天皇と宣化天皇の産湯の池と伝わる皇子ヶ池。六角形の玉垣は天保元年に継体天皇1300年祭を記念して地元で造営されたものらしい。
玉垣内には中央に石が据えられている。もとは宮内庁管理であった聖地で、現在は国有地となっている。
御朱印は社務所が開いていなかったので、拝殿左方の境内にある自宅でいただいた。宮司が拝殿に上がっていたので、代筆しましたと恐縮されたが、逆に心遣いさせてしまったようで申し訳なかった。
岡太神社
福井県越前市粟田部町大山19
高浜町に鎮座する青海神社。延喜式内の古社で、御祭神は椎根津彦命、八幡神と稲荷大神を合祀している。
参道の入口を国道27号線が通り、交通量も多い。
冬は夕暮れが早い。薄暗くなっていたが参拝してきた。
17代履中天皇の息女、飯豊青皇女は青海皇女とも言われる。
参道を進み第一鳥居をくぐる。境内では落ち葉を燃やしていた。
清掃中の宮司に会釈して拝殿に詣る。
時計回りに本殿をまわる。本殿に裏に禊池が残る。
青海首の御祖神である椎根津彦命を慕って拝礼される時に青葉山を仰ぎつつ潔斎をした池と伝わる。
禊池の左方からは青葉山を遙拝することができた。
本殿右に三社の合祭殿。その後ろに八幡神社と稲荷神社が建てられていた。
帰りに清掃中の宮司に御朱印を有無を尋ね、社務所で御朱印をいただいた。
石川県羽咋郡志賀町に高浜町という場所がある。ここ大飯郡高浜町の漁師が集団で移住した土地で、確かに高浜神社の由緒書にそのようなことが書かれていたような。隣県の私にも縁のある土地でした。
青海神社
福井県大飯郡高浜町青15−1
高浜町に鎮座する日置神社。御祭神は応神天皇。当地を拠点にした日置臣の御祖神らしい。
神社は丘を南に少し登る。舗装された道路が延びている。
入口の左に社。山の神ノ社とある。
杉の並木の間を参道が続き、左奥に境内が見えてきた。
森の中で少し薄暗いが、雰囲気のある社叢。
覆屋の中の本殿に詣る。
本殿左に境内社が一社。
帰り道、正面に青葉山が大きく見える。この丘は青葉山を遙拝するにも絶好の場所であっただろう。
日置神社
福井県大飯郡高浜町日置49−23
小浜市に鎮座する小浴神社。御祭神は若狭彦神、若狭姫神。現在若狭彦神社の境外末社となっている。
神社は西向きに鎮座する。
鳥居正面の道は小さな川(用水?)までで行き止まり。支柱は参道入口の印なのか、それとも手水を取る場所の印か。
鳥居に「小浴神社」の石額。社標は「末社 小浴神社」とある。
鳥居をくぐって左の建物は、拝殿でもある舞殿か。
本殿に詣る。
本殿の扁額は「小南神社」。当地は「小南」と呼ばれていたそうで、そのため国分寺近くにあった若狭国惣社、小浴神社の論社とされたようだ。
本殿左後方に境内社が一社。
小浴神社
福井県小浜市金屋
小浜市に鎮座する多田神社。延喜式内社に比定される古社。御祭神は大己貴命、応神天皇を配祀する。
多田神社から少し南に行けば多田寺がある。多田寺は多田神社の神宮寺として建立された寺で、さらに南方には役行者が修行した霊山である多田ヶ岳がある。
鳥居をくぐると参道、階段を上がる。
拝殿の後ろに本殿。本殿は拝殿よりさらに一段高くなっている。
本殿に詣る。
本殿右に三社合祀殿。左から廣嶺社、愛宕社、大神宮。
本殿左に三社。左から若宮社、六所神社、山神社。
多田神社
福井県小浜市多田16宮ノ下9
おおい町に鎮座する静志神社。御祭神は少名毘古名神。
神社は父子集落の最奧に北向きに鎮座する。
鳥居をくぐって境内に入る。
拝殿の前にご神木となっているスダジイの巨樹がある。
拝殿と本殿はつながり、本殿は覆屋の中。
本殿右に境内社が一社。
昔建物があったと思われる基壇が残っている。
社前からは田畑と父子集落、その先に小浜湾、大島半島が見える。
静志神社
福井県大飯郡おおい町父子46-1
おおい町に鎮座する大飯神社。延喜式内社の比定社。
御祭神は大飯鍬立大神、大飯田郷開拓の祖神七柱と伝えられる。
森を背後に鳥居が見える。
社前には豊かな田畑が広がる。
第二鳥居の向こうに社殿が見えてくる。
参道は階段を上って建物に遮られる。左に新しく手すりのついたスロープが設けられている。
その建物は渡り廊下もあり能舞台にも見えるが、舞殿であろう。
正面は本殿を向いており、若狭地方に広く伝わる王の舞のようなものがかつては舞われた場所であろうか。
拝殿の前に2本の杉のご神木が林立する。
拝殿の後ろに本殿。拝殿に詣る。
本殿左に境内社、天満神社。
大飯神社
福井県大飯郡おおい町山田4-1
若狭町田井の多由比神社。御祭神は誉田別命、菅原道真と天照大神を配祀する。
延喜式内社の比定社で、地名の田井は多由比が変化したものだという。
神社のすぐ右隣に若狭観音霊場になっている真言宗慈眼寺が建っている。
慈眼寺は現在無住。
神社は台地の先端部を利用し、南向きに建てられている。
川を橋で渡って境内に入る。
本殿に続く階段の脇に2本の杉のご神木が林立する。
本殿に詣る。
本殿左に境内社が1社。
本殿右に遙拝所がある。東向きであり、遙拝所ではよくある伊勢神宮遙拝所、橿原神宮遙拝所、奥宮遙拝所など
方角からして気比神宮か伊勢神宮であろうか。
多由比神社
福井県三方上中郡若狭町田井93-2
若狭町の宇波西神社(うはせじんじゃ)。御祭神は鵜草葺不合尊。名神大社で延喜式内社。
社前は道路を挟んで川に橋が架かる。
背後に山を控えて東向きに鎮座する。
毎年4月には王の舞が奉納される。
手水舎の水は鵜から出ている。御祭神にあやかっているのか。
灯篭の頭には猿?が彫刻されている。珍しい。
階段を上っていき、拝殿を回り込むとご神木の大杉が脇にそびえている。本殿に詣る。
本殿の左に境内社が2社。小美多麻社、氏子の英霊を祀る護国神社のようだ。
もう1社は八幡神社
御朱印は社務所裏のご自宅でいただいた。
宇波西神社
福井県三方上中郡若狭町気山
宇波西神社の元宮の鎮座地。日向港と日向湖に挟まれた丘の上と伝えられる。
日向港
元宮地の入口までは路地が細いので、少し歩く。
個人宅の庭を通り、裏山に元宮があったようだ。
折れ枝の散乱する階段を上っていくと、眼下に三方五湖のひとつ日向湖が臨める。
階段の先に鳥居と奥に社殿が見えてくる。
社殿と思われた覆屋の中に小祠が祀られていた。
宇波西神社(旧地)
福井県三方郡美浜町日向
美浜町に鎮座する佐支神社。延喜式内社に比定されている古社。御祭神は素戔嗚尊。
背後の小山の麓に鎮座する。
鳥居を2つくぐって境内へ。
舞殿と思われる拝殿の後ろに本殿が鎮座する。
階段を上って本殿に詣る。階段の入口には御神木が2本高くのびる。
本殿左に建物がひとつ。中には神輿が納められ、仮殿といったところか
神社の前には田畑が広がる。ちょうど正面の山から朝日が昇る。
佐支神社
福井県三方郡美浜町久々子6−4
福井市東河原町(旧大野郡下味見村)に鎮座する八幡神社。御祭神は誉田別尊、神功皇后と武内宿禰と伊弉册尊を合祀する。延喜式内社の大野郡椛神社の論社のひとつ。
社殿は北向き。川沿いの低地にある集落から山に向かって参道が延びる。
途中振り向くと谷間に集落と田畑が広がる。
階段を上って最初の平地に梵字の彫られた石造九重塔が立つ。
さらに長い階段を上る。
深い森の中に社殿がある。建物の間にある2本のご神木が目立つ。
後ろにまわると拝殿と本殿がある。とすると前の建物は何なのか、戸が開かなかったので中に何があるのか分からない。
拝殿に参る。扁額には「式内椛神社」とある。
拝殿左手から一段高いところに一棟の建物がある。境内には宝蔵と神輿殿があるというから不明の2棟がいずれかなのだろうか。
上から見ると境内一面が苔生してなかなか良い雰囲気の神社です。
八幡神社
福井県福井市東河原町40-11
福井市中手町(旧大野郡上味見村)に鎮座する樺八幡神社。御祭神は誉田別尊。延喜式内社の大野郡椛神社の論社のひとつ。
永禄18年奉納の狛犬には「大野郡味美郷惣社」とある。
味見川が東西に流れ、南北に山がせり出す谷間に一面の田畑が広がる地の左岸に鎮座する。
深い森の中に鳥居が見えてきた。
石造の第一鳥居の後ろに、木製の鳥居がある。
さらに拝殿前に石造の鳥居がある。
拝殿と本殿の間には杉や銀杏の大木が林立する。
本殿に参る。
本殿右には茅葺きの神明神社が建つ。本殿も元は茅葺きであった。
境内に残る古拝殿。古拝殿も元は茅葺きであった。平安時代の息長垂姫尊坐像や大鷦鷯尊坐像の二体の神像、平安時代の大日如来坐像と多聞天王立像、広目天王立像の三体の仏像を所有し中世の神仏習合の風習を今に伝える。
古拝殿の中に缶があって、開くと御朱印がありました。自分で押す方式ですね。
御朱印料を納め、境内を後にしようと駐車場のほうに出ると、入口に社名標があった。鳥居のところではなく、駐車場のほうにあるのか。
樺八幡神社
福井県福井市中手町20-27
若狭町に鎮座する石按比古比賣神社。御祭神は石按比古大神、石按比賣大神の二柱。
延喜式内社の論社のひとつ。もう1社の論社とは1キロ程しか離れていない。
境内は平野に広がる西向きに山の麓に鎮座する。
もう1社の論社とは、同じ平野で西向きと東向きに鎮座している。
参道を進むと第二鳥居
拝殿と一段高いところに本殿が建っている。
拝殿は神様に舞を納めるにはよく見える。
本殿に詣る。
本殿の右に境内社が二社。小祠は金刀比羅神社。大きな社は神武天皇社とある。
本殿の左に天満宮。
石按比古比賣神社
福井県三方上中郡若狭町小原字宮ノ腰23-42
若狭町に鎮座する石按比古比賣神社。延喜式内社の論社のひとつ。
御祭神は石按比古大神、石按比賣大神の夫婦神。
東の平野を正面に山の麓に境内が広がる。
朱色の鳥居をくぐって広い境内に入る。
中央に大きな社殿、左右に小祠がある。
中央の社殿には3つの本殿が入っており、中央に石按神社、左に稲荷神社、右に天満宮が鎮座する。
本殿に詣る。
左の小祠。
右の小祠。
境内の左端に愛宕神社があるが、社殿がない。遙拝所であろうか。
石按比古比賣神社
福井県三方上中郡若狭町大鳥羽字宮の上4-22
福井県大野市に鎮座する坂門一事神社の元社跡。
大まかな場所しか分からなかったので、農作業していた地元の方に場所を聞いて向かった。
昔は神社への参道であったと思われる道。
ゆるやかな坂を登り切ると、踏切の向こうに石積みが見えてきた。
石段の背後には神社があったことを示すご神木らしい2本の杉が残っている。
石脇に神社跡を示す案内柱。
階段の脇には狛犬代わりの石が2つ残っている。
坂門一事神社 元社跡
福井県大野市牛ケ原150号字森ヶ谷
福井県大野市に鎮座する坂門一言神社。延喜式内社の坂門一事神社の比定社。
御祭神は阪田大跨命。二六代継体天皇の妃、廣媛の父という。
境内には鳥居と拝殿と本殿が一体となった社殿が一棟。
社殿は鍵が閉まっていて本殿は見えない。
ここから詣る。
案内板がある。
社地は牛ヶ原村54番地字小林、牛ヶ原村150号字森ヶ谷から当地に遷座したという。
坂戸の地は足羽郡(福井方面)と大野盆地を結ぶ重要な峠越えの地である。
東には豊かな大野盆地が広がっている。
坂門一言神社
福井県大野市牛ヶ原75字新村下56
福井県大野市に鎮座する清瀧神社。主祭神は大国主命。
神明神社の天照皇大神、國生大野神社の大國玉命、蛭子神社の事代主命、一言神社の一言主命を合祀する。
延喜式内社の國生大野神社の論社のひとつである。
大野城の城下町から歩くこと、第一鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐり赤根川に架かる橋を渡るとき、北に大野城が山上に建つ亀山が見える。
元は亀山の麓に鎮座していたが、金森長近が城を築くに際し現在の蛭子山に遷座したという。
境内入口の第二鳥居が見えてきた。当地は蛭子山ということもあり、合祀した蛭子神社の建つ地だったのかもしれない。
拝殿に詣る。
拝殿正面に享保17年の奉納額が掛かる。
拝殿裏にまわると、長い石段の先に本殿が見える。
拝殿右には境内社が並ぶ。手前より厳島神社、稲荷神社、菅原神社、松尾神社、八幡神社。
社務所となる自宅は境内を出たところにあり、御朱印について尋ねたが授与していませんでした。
清瀧神社
福井県大野市清瀧124−16