越前市の藤垣神社。御祭神は本多富正公。
本多富正公は本多重富の長男で、結城秀康が越前に入封するに際し、附家老として府中に入った。
越前国の国府もあった府中は近世になっても重要な地であったが、戦乱の世に荒れ果てていて、富正公がその復興に尽力したようだ。
文化財や貴重な宝物も多いようだ。
拝殿に詣る。
本多家といえば立葵紋。
鳥居脇の灯籠
福井藩最後の藩主、松平慶永(春嶽)公の寄進であった。
藤垣神社
福井県越前市本多3丁目3−3
越前市の藤垣神社。御祭神は本多富正公。
本多富正公は本多重富の長男で、結城秀康が越前に入封するに際し、附家老として府中に入った。
越前国の国府もあった府中は近世になっても重要な地であったが、戦乱の世に荒れ果てていて、富正公がその復興に尽力したようだ。
文化財や貴重な宝物も多いようだ。
拝殿に詣る。
本多家といえば立葵紋。
鳥居脇の灯籠
福井藩最後の藩主、松平慶永(春嶽)公の寄進であった。
藤垣神社
福井県越前市本多3丁目3−3
越前市の枚井手神社(ひらいでじんじゃ)。御祭神は枚井手大神、波迩夜須毘賣命を配祀とし、菅原道真公を合祀している。
「枚」の字は社号標を見ると、「木(きへん)」ではなく、「扌(てへん)」のようだ。丹生郡延喜式内社の論社のひとつ。
南と北にそれぞれ一の鳥居が立つ。
二の鳥居と社殿は西向き。
拝殿に詣る。
拝殿前の新しい柵は今回の神宮式年遷宮の下賜古材で作られたもの。下賜されるということはやはり由緒のある社と認識されているようだ。
社殿左に石碑がある。
もとはここに本殿があったようで、昭和47年に現在地に遷されたようだ。
境内は広々としているが、境内社はない。
枚井手神社
福井県越前市深草2-6
越前市の神明神社。御祭神は天照大神。
丹生郡延喜式内社の大山御板神社の論社であるが、神明神社は明治41年に合祀された社で、元宮は三ツ口にあった。
神明神社を合祀するまでは伏拝神社と称し、若狭富士とも呼ばれる霊峰日野山の遙拝所であった。
また、明治36年武生の大火により総社が類焼したので、御神体をこの社に遷されたことがあり、以来上総社と呼ばれた。
二の鳥居をくぐって社殿に向かう。
拝殿に詣る。
拝殿と蔵の間に御神木の欅の大木がある。本当に大きい。
境内社は二社。本殿の左に金刀比羅宮。
参道の左に天満宮。
神明神社(上総社)
福井県越前市若竹町11-17
越前市の十府神社。御祭神は彦火火出見尊で、菅原道真公を合祀している。
丹生郡延喜式内社の斗布神社の論社のひとつ。
社殿の背後に妙法寺山を頂き、まるで神奈備のようです。
拝殿に詣る。
拝殿の後ろに本殿。
本殿の飾り物に亀や鶴が彫られている。
本殿左に石祠。案内板によると猿田彦命を祀る庚申宮らしい。
右に大物主命を祀る金刀比羅宮がある。
十府神社
福井県越前市松森町21-8
越前市の神明神社。御祭神は天照大御神。
式内社の十府神社へ向かうときにすぐ近くの道路沿いに鎮座していたので参拝する。
鳥居をくぐると境内。
正面の社殿は足場が組まれているが何か修復途中なのか、間をくぐって詣る。
境内社が二社。本殿は天照大御神なのはわかるが、この境内社は不明。
もう一社。石祠があったが、こちらも詳細は不明。
神明神社
福井県越前市行松町18-11
越前市の若宮八幡宮。御祭神は大塩八幡宮の御子神。
社標柱の説明によると、往古は八幡宮境内に祀られていたのを江戸初期この地に遷座、当宮を創立された紀中納言友仲公ゆかりの地として、藤の森とともに名所になっている。
付近は開拓されて田が広がるばかりだが、宮の左に残るこの一本にからまる藤がその名残なのか?
祠は大塩八幡宮のほうを向いて鎮座する。
大塩八幡宮に参拝の後、旧武生市内へ向かう途中で大きな神社標を見つけた。拝殿修復記念で立てられたもので、揮毫は現宮司によるものらしく、確かに御朱印の墨書きに似ていますね。
若宮八幡宮
福井県越前市国兼町
越前市の夫婦神。御祭神は伊邪那岐尊、伊邪那美尊。
現在大塩八幡宮境内に遷座している天国津彦神社と天国津比咩神社の元宮の地と伝わる。
大塩八幡宮から西へ数百メートル。
道路脇に小祠が鎮座する。
夫婦神と書かれた鳥居柱は南の田に向けて立つ。
祠に詣る。
扉が開いたので中の石像にもう一度詣る。
夫婦神
福井県越前市国兼町
越前市に鎮座する大塩八幡宮。御祭神は誉田別天皇(応神天皇)、帶中津日子天皇(仲哀天皇)、息長帶日賣尊(神功皇后)。延喜式敦賀郡の論社も多い、当地の古社である。
駐車場は二の鳥居の近くにあったが、知らずに一の大鳥居の近くに停めて参道を歩いていった。
途中、田植えを終えたばかりの田に日野山が映りきれいだった。もっと天気がよかったら、とも思う。
二の鳥居をくぐると階段を上る。
神門を入ると目の前に重要文化財の拝殿が建つ。柱のみの風が吹き抜ける建物なので管理も大変そうだ。
拝殿前に鐘楼も建つ。藩主本多家より寄進されたもので梵鐘は鎌倉時代の作のよう。
拝殿の右奥に絵馬殿が建っている。
複数の絵馬が掛けられていたが、もとは拝殿に掛けられていたものなのか傷みが大きいものもある。
中でも八幡神に関係するこの絵馬が印象的であった。
もうひとつ基壇を上がり、社に詣る。
右の階段を上ってすぐのところ。
素翁神社(疱瘡神社)。御祭神は大山津見神、伊邪那尊、須佐之男尊、少名彦神、大己貴命、大綿津見神。
疱瘡・疫病の神として勧請されたもので、社には「疱瘡社」の扁額がかかる。
その隣、弊殿の右。
天国津彦神社と天国津比咩神社の相殿。ともに延喜式敦賀郡の論社。御祭神はそれぞれ伊邪那岐尊、伊邪那美尊。
創建当初は一の大鳥居の西南に天国津彦神社、西北に天国津比咩神社が鎮座していたという。
中央が神社弊殿。
弊殿の後ろに本殿が鎮座する。
弊殿の左に高岡神社。御祭神は須佐之男尊。延喜式敦賀郡の論社。
創建当初は本殿の東南、高岡峯に鎮座していたという。
本殿の右奥にさらに数社鎮座している。
一番右に「えんむすびの木」
3社が横に並んでいる。その右
高良神社。御祭神は武内宿禰命。
中央は天八百萬比咩神社。延喜式敦賀郡の論社。
往古は桜井の峯と呼ばれた山頂に鎮座していたという。
左は源嫡神社(東照宮)。御祭神は徳川家康公。
寛永年間に建立され、明治維新後に現社殿に建て替えられるまでは極彩色の社殿だったよう。
三社の後ろに清務霊社。御祭神は舎人親王など神職清原家の一族を祀る。
山頂付近には寿永2年(1183)、木曽義仲が上京の途中に布陣した大塩山城跡がある。
堀切跡も残る。
社務所兼自宅は階段途中にある。参拝後に寄ると留守だったので、境内で掃除していた方に話しかけるとその方が宮司だった。ご足労をいただき御朱印をいただいた。
大塩八幡宮
福井県越前市国兼町22−2
今庄の新羅神社。御祭神は素盞嗚命。敦賀郡延喜式内社の信露貴彦神社の論社のひとつ。
今庄郷の産土神で、智証大師作と伝える新羅大明神の木像が御神体のようだ。この御神像はもとは三井寺に安置されていたものを、争乱を避けて当社に移されたと伝える。
鳥居をくぐり階段を上って拝殿に至る。山麓に遷ったのは天文年間で、往古は愛宕山(燧ヶ岳)の山頂にあり、寿永2年(1183)に木曽義仲が燧ヶ城を築いたときに城に遷されたという。
拝殿に詣る。
拝殿の軒下に絵馬が掲げられているが、風雨で痛んでいる。
拝殿横から愛宕山山頂への登山口があり、この先に燧ヶ城跡がある。
拝殿の後ろには長い階段、上ると本殿に至る。
本殿に詣る。
本殿前に舟形の手水石がある。
本殿には彫り物がたくさん彫られていたが、この木鼻にまで延びる龍の彫り物が素晴らしい。
境内社が二社並んでいる。
左が大河内神社と大山咋神社。ともに大山咋命を祀る。
右が 稲荷神社、岩谷稲荷神社、秋葉神社、日吉神社、愛宕神社の五社の扁額が掛かり、神社整理による合祀社のようだ。
境内には神仏習合時代の仏堂らしい建物も残る。
現在の使用目的は不明だが、軒下に絵馬が掛かる。こちらの絵馬は拝殿のもの以上に痛んでいる。
社前は北陸道今立宿の町並みの風情がまだ残っている。道路幅も狭く、運転はひやひやします。
新羅神社
福井県南条郡南越前町今庄80-5
今庄の鹿蒜神社(かひるじんじゃ)。御祭神は誉田別尊、伊弉諾尊、武甕槌命。敦賀郡の延喜式内社の比定社。
集落のほぼ中央に鎮座する。
神社は階段を上り、小山を上るように建っている。
拝殿より前は木々に囲まれている。
拝殿の後ろに長い階段を上り本殿に至る。
拝殿左に基壇があり、三社分の場所があるが中央一社のみ建っている。
扁額は「八幡宮」となっており、鹿蒜神社は八幡宮と称していてその扁額か?
拝殿に掛かる由緒書きには
境内社 秋葉神社(火産霊神) 元禄2年
稲荷神社(稲保命) 元禄2年
金比羅神社(金山彦命) 嘉永3年
と書かれているが周囲に社は見当たらない。この境内社に合祀されているのか、本殿の覆屋の中になるのか。
当地は奈良時代より鹿蒜郷宿駅が置かれた地であり、北陸道今庄宿と敦賀を結ぶ重要な地であったようだ。
鹿蒜神社
福井県南条郡南越前町字南今庄40-3
今庄の鹿蒜田口神社。御祭神は誉田別尊で、大山住命と大山咋命を配祀。
敦賀から今庄へ至る木ノ芽峠越えの途上に鎮座する。敦賀郡の延喜式内社の比定社である。
集落から田畑の間を参道が通る。
二つの鳥居を結んでまっすぐ延びる。
二の鳥居をくぐると境内に入り、拝殿が建つ。
拝殿に詣る。
拝殿の後ろに本殿が鎮座する。
鹿蒜田口神社
福井県南条郡南越前町新道11-1
敦賀市の気比神社。御祭神は仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、素佐之男尊、大山祇命。
もと伊多伎夜谷にあった山神神社を合祀しているが、敦賀郡の延喜式内社の論社である。
国道8号線から刀根の集落に入り気比神社は鎮座している。ここより東に進むと、現在も交互通行の一方通行トンネルの柳ヶ瀬トンネル。そのトンネルの尾根筋に賤ヶ岳合戦で柴田勝家が本陣を置いた玄蕃尾城跡がある。
印象的な赤い鳥居をくぐる。
鐘楼がある。福井には神社境内に鐘楼の残る所も多い。
拝殿の後ろに一段上がって本殿がある。拝殿には絵馬が数枚掛けられていた、
本殿に詣る。
本殿前には三対の狛犬が奉納されている。
本殿右に境内社が一社。天照皇大神宮と常宮神社の相殿。
本殿左に境内社が一社。愛宕神社と不明の一宮の相殿。
さらに左にひとまわり大きな社は金比羅神社。
さらに左に稲荷大明神。
こちらの神社は榊も新しく地元の方々にしっかりと管理されているようです。
気比神社
福井県敦賀市刀根21-8
敦賀市の志比前神社。御祭神は経津主命。敦賀郡の延喜式内社の比定社。
志比前神社は気比神宮の四方鎮護の一社で、敦賀郡の南方鎮守社であった。
国道8号線から集落に入ると道が狭くなるので、入ってすぐのところの集会場にとめて歩いて向かう。
一本線路をわたり、もう一本はガード下をくぐる。
すぐに神社が鎮座している。
階段を上ると鳥居をくぐり、拝殿、本殿と続く。
拝殿をくぐる。
正面に本殿、右に境内社が並んでいる。
本殿前には灯籠が3基。寄進年を見ると、明和、宝暦、元禄と江戸時代のもの。
本殿、境内社を詣る。境内社には扁額もなく、詳細は不明。右に石祠がもう一社ある。宝形造のあまり見ない屋根の形。
境内社の裏に社がもう1つあり、前に石像や石碑が並べられている。ということは庚申堂か地蔵堂のたぐいだったのか?
戻ってくると、集会場の近くに案内板を見つけた。
道ノ口は、疋田(近江方面)、佐柿(若狭方面)、木ノ芽峠(加賀方面)、敦賀の分岐点であり、ここに式内社が存在する意義を認めることができた。
また、当地一体は往古武生郷と呼ばれ、条里遺構も見つかっていることから、古代のある時期にここに越前国国府があったという伝承もある。古代三関の不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊勢国)と並ぶ愛発関(越前国)が疋田付近に推定されていることから、他の二関が関の後方に国府があったことから当地に国府があったとしても不思議はない。
志比前神社
福井県敦賀市道ノ口榊林2
敦賀市の野坂神社。御祭神は大山祇命、天津彦火瓊瓊杵尊、木花開耶姫命。
延喜式内社の野坂神社の比定社であるが、織田神社の論社のひとつにもなっている。織田神社については、合祀された織田神社が対象のもののようだ。
今日は例祭日だったようだが、そのような様子は感じられなかった。
社殿は東向き、夕方の参拝はやはりまぶしい。
鳥居と社殿の間に楼門がひとつ。ただ本殿が覆いに入れられているので、拝殿なのか。
太鼓が吊り下げられている。
本殿は戸を開けて参拝できた。
古い本殿のようだ。参拝して中を回る。
左側に水速女命(左)と皇大神宮。
左奥に金比羅大神。
右側に稲荷大神(右)と豊受大神。
右奥に天満宮。
本殿にはカラフルな狛犬が奉納されている。
境内には池に1社。おそらくは厳島神社か宗像神社か?
石垣のみの境内社跡。かつて神明神社があったようなのでこれか?
境内の隣に公民館があり、背後の南方に野坂岳が見える。野坂神社はかつて野坂岳に対する山岳信仰の社だったようだ。
野坂神社
福井県敦賀市野坂30-7
敦賀市の高岡神社。主祭神は菅原道真公。敦賀郡の延喜式内社の論社のひとつ。
周辺は住宅地のほかは田んぼが広がる。
社殿は東向きで、夕方の参拝にはまぶしかった。
昨日例祭日だったようで、ちょうど旗が立てられていた。
鳥居をくぐり参道を進む。
社殿に入ると本殿があった。建物は本殿の覆いのようだ。
本殿にかかる扁額は「天満宮」
境内の鳥居横には「申タ彦(猿田彦)」や「庚申」の塔が並んでいる。
高岡神社
福井県敦賀市砂流26-9
敦賀市の久豆彌神社と信露貴彦神社の例大祭を見てきました。ともに沓見に鎮座する久豆彌神社を女宮、信露貴彦神社を男宮とみなし豊作を祈願して、王の舞などが奉納される。若狭地方には現在でも王の舞が数多く残り、その起源は京都にあるというが、各神社ごとに特徴があるという。ただ、実際の舞は見たことがなく初めて見た。
駐車場は沓見小学校のグラウンドが準備されており見学も容易だが、GW中の晴天の日だったのに見物人は少なかった。その分地元の祭りの雰囲気を十二分に味わえる。
出発には少し間に合わなかった。ちょうど女宮の行列が久豆彌神社に到着するところだった。
行列はまず本殿に参拝する。
そこからしばらく空き時間があり、男宮の行列が久豆彌神社に到着する。
男宮の行列が本殿に参拝後に、下の拝殿で芸能奉納となる。
最初は男宮の王の舞。王の舞は1人で行う舞であるが、もっと勇ましいものを想像していたが、動作はゆっくりとしたもので、猿田彦が神と語り合うような部分も見られた。
続けて女宮の王の舞。帽子が女性らしい。
沓見では王の舞は子供が舞うことになっているようだ。
男宮の獅子舞。
女宮の獅子舞。
獅子は邪気を喰うように拝殿を動き回り、最後に大人しくなる(力尽きている?)。
両宮で田植え歌を唄う。
男宮、女宮の順にエブリ差し。田を耕す様子を奉納。
男宮、女宮の順に苗うち。杉の枝を稲藁に見立てて田植えの様子を奉納。
神饌のお下がりで直会。
久豆彌神社を出発し、地区をまわって信露貴彦神社に向かう。
出発する行列を宮司が見送る。
行列は「来年もトーヤ、再来年もトーヤ」と豊作を祈願しながら進む。
信露貴彦神社の少し手前で宮司が行列を迎え、
行列に入って神社に入る。
女宮の行列が本殿に参拝する。
この後、女宮のみ王の舞などを奉納するが、私はここで帰った。
久豆彌神社・信露貴彦神社 例大祭・王の舞
5月5日日程
12:00 男宮の行列が当屋(御旅所である沓見公民館)を出発し、男宮の拝殿で芸能奉納
12:30 女宮の行列が当屋を出発し、女宮に向かう
14:00 男宮の行列が女宮に到着し、両宮の芸能奉納
15:30 両宮の行列が女宮を出発し、男宮に向かう
16:00 男宮で女宮の芸能奉納
17:00 両宮の行列が男宮を出発し、馬場で御幣を合わせ祭りを終える。このとき、村人は御幣紙を奪い取り、家に持ち帰る
敦賀市の信露貴彦神社。敦賀郡延喜式内社の比定社。御祭神は迩迩藝命、日本武尊。
祭り当日ということもあり、御朱印については確認していない。
本日5月5日に久豆彌神社とともに例大祭が行われるため、旗が立っている。
旗の下に重しのさるぼぼがついているが、よく見ると珍しく顔が描いてある。
鳥居をくぐって進む。
下に例大祭で本日、王の舞などが奉納される拝殿。階段を上って本殿がある。
本殿は覆いがかけられ、
今日は神饌が供えられ、扉が開いている。
本殿のまわりに境内社が複数あり、こちらは山神社。
その横に金刀比良神社。
反対側に神明社。
御神木の下に猿田彦神社の石祠。
神仏習合の名残でろうそくを立てる燈明舎がある。
信露貴彦神社
福井県敦賀市沓見12-12
敦賀市の久豆彌神社(くつみじんじゃ)。地名の沓見と同じ「くつみ」と読みます。
御祭神は木花咲耶姫命、瓊瓊杵命、大山祇命。敦賀郡の延喜式内社の比定社。
例大祭当日のため御朱印については未調査。
社号標から鳥居まで距離があるが、ここが神域と村の境で、祭りでもこの場所が重要な意味を持つようであった。
例大祭当日ということで旗が立てられていた。
鳥居の両脇に天然記念物の大杉が立っている。
鳥居をくぐると例大祭で王の舞などが奉納される拝殿。階段を上ると本殿となる。
本殿は覆いがかかっている。
今日は例大祭のため扉が開かれている。
本殿の周りに境内社、右側に神明社と十禅寺社。
反対側に常宮神社。
後方に猿田彦神社の石祠。
信露貴彦神社と同じ燈明舎のように見えたが、これが宝殿神社か。
下の拝殿と同じ境内に松岡社がある。
久豆彌神社
福井県敦賀市沓見75-8
福井県と京都府の県境にある頭巾山、その頂上に権現神社が鎮座している。延喜式内社の遠敷郡許波伎神社の論社のひとつ。
御祭神や由緒は不明。現在の住所は京都府となっている。
今回は上りやすい福井県側から登る。名田庄の集落を次々と過ぎて奥に進むと途中に野鹿の滝がある。このあたりまで来ると川も急流になってくる。
頭巾山の登山口まで来る。
家族向けと聞いていたが、意外なほど急登が続く。
1時間ほどでようやく山頂に到着する。
山頂は広くない。南向きに社殿と前に手水石がある。付近に倒壊した灯籠や小屋も見えるが、社殿前に石が積んである。ちょうど登山口あたりに広く分布していた石のようだが、登拝するために持ってきたものだろうか。
GW前に登山道の清掃をしながら登山が行われるので、ちょうどこの時期が登りやすい。
社殿裏に頭巾山の三角点がある。頭巾山870mの山頂のしるし。
山頂からは山々の向こうに日本海も見渡せる。
実は頭巾山は自生のシャクナゲの群生地でもある。ことしはGW前に強風が吹いたり、雪が少なく花の時期が早かったためか、登山道沿いのシャクナゲは終わっていた。帰り道、日当たりの悪い北側斜面にようやく見つけた。
権現神社
京都府北桑田郡美山町山森
福井市の登知為神社です。足羽郡の延喜式内社比定社です。
御祭神は瓊々杵尊、菅原道真公、高木神、伊弉冉尊の四柱。
神社は浄土真宗本願寺派の朝倉山本蓮寺に隣接して、参道が続いています。
山里には珍しい珍客も。社頭のご自宅の庭に雉子三羽を発見。近づくと逃げられました。
長い参道の先に長い階段。
上ると社殿が建っています。
社殿前からは集落が見渡せますが、木々が大きくて展望があまりよくなかった。
なにか出てきそうなので、早々に戻らないと。
登知為神社
福井県福井市栃泉町96-12
福井市東大味町の明智神社に詣った後で、集落の神社に詣りました。
集落の八幡神社と氣比神社を合祀し、八幡神社として鎮座しています。御祭神は応神天皇、足仲彦尊(仲哀天皇)。
杉に囲まれた境内。昔はもっと多くの杉木立に囲まれて薄暗かったようです。
階段の脇に大石が据えられています。
本殿の左に境内社が鎮座しています。
八幡神社にはもともと阿弥陀如来座像が祀られていたようです。神仏習合の八幡神の本地仏が阿弥陀如来です。
八幡神社
福井市東大味町
福井市東大味町の明智神社。「あけっつぁま」と呼ばれる小さな祠に御祭神明智光秀公が祀られています。
「細川ガラシャゆかりの地」という石碑が建つこの周辺は、朝倉義景の客将として越前に来ていた頃住まいをした場所と言われ、ここで後に細川忠興の室となった娘玉が生まれたと伝わります。
祠は農家三軒で守られてきたもので
境内には「東大味歴史文化資料館」が建てられ、明智光秀公に関する資料が展示されています。
神社には明智光秀公の木像が安置されています。
しかし、看板が「御祭神」ではなくて「御本尊」となっているのはいただけないですね。
明智神社
福井市東大味町
鯖江市の刀那神社。延喜式内社の今立郡刀那神社の論社。
御祭神は建御雷男命、伊弉册尊。
集落の田の真ん中を一直線に延びる長い参道。
参道や境内はきれいに掃除されていて清々しい。
社殿は一段高くなっている。
注連縄はこのあたりは一直線のものが多いのだが、この社は垂れているよく見る形のもの。
本殿はさらに一段高くなっている。
本殿の左に境内社が二社建っている。左の一社には地蔵らしき仏像が納められている。
刀那神社
福井県鯖江市上戸口町
鯖江市の石部神社。御祭神は吉日古命、吉日賣命。延喜式内社の今立郡の石部神社の比定社。
集落の一番の奥に神社が鎮座しています。
参道の階段を上ると平坦地があり、さらに階段を上って社殿が鎮座しています。
社殿は拝殿と本殿が一体となっています。
社殿の前に境内社が二社建っています。
合祀した山王神社と八幡神社らしいですが、扁額や社標がなくどちらか分かりません。
境内からは集落とその向こうに長閑な景色が広がります。
石部神社
福井県鯖江市磯部町26
越前市の岡太神社。今立郡の延喜式内社 岡本神社の論社で、御祭神は建角身命、國狹槌尊、大己貴命、継体天皇。
麓に拝殿、奧の山上に本殿が鎮座しています。
雪囲いもありますし、旧県社で社務所もありますので御朱印はあるような気もしますが、今日は確認できませんでした。
というのも、2月11日は国選択無形民俗文化財でもある祭礼「蓬莱祀(おらいし)」の日でした。
この神事は継体天皇の即位を祝って始められたと伝えられ、五穀豊穣・天下泰平を願って町を練り歩きます。
最初に賑やかに子供たちの太鼓や笛が進みます。周りに父兄が一緒に歩くのはどこの祭りも同じです。
次に山車が大勢の人に曳かれながら進みます。
山車は舟形の修羅で、三人の音頭取りが乗って木遣り歌を歌います。
俵に松を飾り、上にまゆ玉や弊竹、鏡竹を飾ります。
後方の車でまゆ玉を頒布していました。一組分けていただきました。
神前に捧げるまゆ玉と紅白餅の一組です。
岡太神社
福井県越前市粟田部町19
鯖江市の加多志波神社。御祭神は多加意加美神で今立郡の延喜式内社の比定社です。
神社は集落でも山のほうにあり、神社へ行くには細い集落内の道を通らなければならず苦労しました。
神社は神仏習合の名残が残る山里の社でした。
杉の大木が林立する社叢は市の天然記念物です。
長い参道を通って拝殿に詣ります。
今日は集落の方が次々と詣りに来るので、建国祭かな?信心深い方が多いなと思っていました。
社殿のさらに上方に塔佛堂があります。大きな礎石に建つ塔佛堂ですが、ここは三重塔が建っていた場所です。
中には古い仏像が収蔵されています。
駐車場は観音堂の前にあります。飾り付けされています。
中が開いていたので少しお邪魔していると、集落の方が今日は午後から、年に一回の面の公開があるのだとか。
面は木造追儺面3面。鎌倉後期の作で国指定重要文化財となっている面で、父・母・子の3つで正月の寺(蓮花寺)の行事に使われ、江戸時代には雨乞いに使われました。
加多志波神社
福井県鯖江市川島町27-22
越前市の春日神社。旧郷社で延喜式内社の丹生郡大山御板神社、敦賀郡伊多伎夜神社の論社です。
祭神は武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、比咩大神の四柱。いわゆる春日大神です。
境内の由緒には、大彦命がこの丘に武甕槌命、経津主命の二神を祀ったことに由来し、大山御板神社に比定されると説明されている。
鳥居をくぐると
目の前が開けて神社と鎮守の杜が見えました。
境内は公園となっており、階段を上って拝殿に行くようになっています。
境内には社務所もあり、ちょうど建国祭が終わったところのようでしたが、神職らしい方はおらず地域の方々で神事を行っているようでした。ということで御朱印は望めないでしょう。
拝殿には大きな額が掛けられていますが、薄くてよく読み取れません。
奉納物の目録か由緒書きのような感じです。
本殿は雪囲いされていて中が見えません。
国の重要文化財になっているという本殿を見たいと思いまして、隙間から覗いてみました。
朱色のきれいな立派な本殿ですね。春日さんの象徴的な色です。
春日神社
福井県鯖江市鳥井町12-31
越前市の飯部磐座神社は延喜式内社の敦賀郡伊部磐座神社の比定社です。
御祭神は天照大神、猿田彦命、八幡大神。古くは磐座として祭祀の場であったと考えられています。
御朱印はないと思います。
集落内の丘に鎮座する神社。
鳥居をくぐるまで予想もしていませんでした。
よく磐座は祀られていますが、神社の中の磐座って案外出ている部分は小さいですよね。
しかし、この神社の磐座は違った・・・
何!?この大きさ、それにこの数
磐座に圧倒されながらも拝殿に詣りました。
本殿の裏からは雪をかぶった白山などがきれいに見渡せます。
よく見ると境内にはそこかしこに磐座があります。表面を触ってみると案外もろい石かもしれません。
それにしても大きい。
飯部磐座神社
福井県越前市芝原5丁目16-1
鯖江市の舟津神社。主祭神は大彦命、相殿に猿田彦命を祀る。
王山の山上には古墳群があり、往古ここに大山御板神社が鎮座、丹生郡の延喜式内社に比定されている。
麓は今立郡の延喜式内社舟津神社に比定されている。それぞれ上宮、下宮と称され、丹生郡と今立郡の郡境に比定される叔羅川(日野川)が王山の東に位置していたことによるとされている。
大彦命は四道将軍のひとりで、北陸道に下向されたとき、王山の峰に楯三枚で社形をなし猿田彦命を祀って国内の平定安寧を祈ったと言われ、古くから北陸鎮護の社として朝野の崇敬を受けました。
第一鳥居の扁額は東郷平八郎氏の揮毫です。
赤鳥居をくぐって拝殿に詣ります。
実に厳かな雰囲気に拝殿です。
社叢には巨木も多く、本殿境内の大白樫
八幡神社横の大杉。下には大杉大明神の石祠
第二鳥居から大鳥居の間にある大欅。鳥のさえずりも聞こえて心地よい場所です。
御朱印は境内の社務所でいただきました。由緒のパンフレットもいただけます。
舟津神社
福井県鯖江市舟津町1丁目2-32
丸岡城のそばに鎮座する国神神社は、元丸岡城本丸にあったが築城に伴って現在地に移転したという。祭神は継体天皇の皇子、椀子皇子です。
御朱印は参道左の社務所でいただけます。
国神神社は越前国式内社のひとつです。
正月には鳥居に茅の輪が設置されています。
鳥居から拝殿までまっすぐに参道が続きます。
拝殿入り口に掲げられた扁額には「国神神社」
拝殿内には「椀子皇子」の扁額が掲げられています。
三が日で臨時授与所が開設されていたので覗いてみると、めずらしい破魔弓が置いてありました。破魔矢はよくありますけどね。
坂井市丸岡町石城戸1-2
TEL.0776-66-1277