越前市に鎮座する雷神社。御祭神は大山祇命、天照皇大神を主祭神とし、廣端大神、雄碓命を合祀する。延喜式丹生郡の論社。
社殿は南向き。幟立の先に鳥居が建つ。
鳥居と社号標。社号標には「式内 雷神社」
鳥居の先、吉野瀬川に架かる橋は「雷橋」。吉野瀬川沿いには桜が植えられているところが多く、桜の名所となっているようです。東に見える山は手前が妙法寺山、奥が日野山だろうか。
橋を渡ると、参道両側に燈籠が立ち並び、その外側が杉並木となっていて神域にいざなう。
拝殿前には両側に特に高い杉が立つ。
拝殿に参る。
拝殿には入れなかったが、中をのぞくと中に扁額が掛かっている。
本殿左に天神社。
右に秋葉宮、八幡宮、庚申宮の合祭殿。
雷神社
福井県越前市広瀬町字宮谷82-13
越前市に鎮座する酒列神社。御祭神は少名彦尊。越前國丹生郡麻氣神社の論社。
集落の中に神旗竿が立っているが、肝心の社殿がすぐには見つからなかった。
ようやく丘の上に社殿を見つけました。社号標も鳥居もない参道。
階段の先に社殿が見える。
拝殿。前に狛犬の代わりなのか小石が2個置かれている。
拝殿の後ろは出っ張りがない。本殿は拝殿内に奉安されているのか。
前に参拝した兄子神社は中に入れたので、戸を開けてみると中に入れた。正面に3つの扉があるが、鏡が直接奉安されている形式だろうか。それにしても両脇には何が祀られているのだろうか。
拝殿内には馬の絵馬が数枚掛けられていた。奉納の1枚は参道石段、もう1枚は大幟と猿公。猿公って何だろうか?狛犬のような狛猿だろうか。
酒列神社
福井県越前市牧町16-1
越前市に鎮座する兄子神社。御祭神は穴穗尊。延喜式丹生郡の論社。
谷間を開いて集落が続いている。集落の西(海側)に川が流れている。
後で話を聞いたところ、常住は2軒になってしまったといい過疎が進むばかりという。生計は林業と集落の奥(北)に段々の田が開かれていて、比較的裕福な暮らしを送れたそうだ。「今は木が二束三文でね。若い者はみんな出て行った。」と
集落から東の山に向かって階段が延び、途中に鳥居が見える。
道も狭かったので留守だと思って広い空き地に車を停めさせてもらったが、戻ってきたらおばあさんが待っていたので、お礼を言ってしばらく話をしていた。
長い階段。途中の両側にも以前は家があったそうだ。
階段途中に鳥居。よく見ると朱色が残っている。
階段を上っていると、オーッと
段に蛇が休んでいた。大人しいのだったので避けて通る。もう動物に遭遇する季節になった。
上っていくと、参道は北に折れ、社殿正面に出る。境内は周囲を杉に囲まれている。笹は今でも多く自生しているが、昔はもっと多かったそうだ。
拝殿は西向き。戸が閉まっているので拝殿前で参る。
ここで一度帰ったのだが、下りるとおばあさんに会った。
話をしていると、拝殿の戸は開くので中で参ってくるといいと言われた。昨年も同市のどこかの保育園児がバスでやってきて、ゾロゾロと階段を上っていったという。
もう一度上がると、確かに戸は開いた。年寄りばかり長い間上がっていないという拝殿は少し埃っぽかったが、両脇に随神を奉斎し、中央に本殿が見える。
あらためて本殿に参る。本殿は彫刻が複数付いている。
拝殿には絵馬も複数掛けられており、武者絵が多い。本殿といい、絵馬といい、往時の集落の繁栄ぶりを見る思いがし、過疎により荒廃を待つばかりなのは残念である。
兄子神社
福井県越前市安戸町41-3
敦賀市に鎮座する金山彦神社。御祭神は金山毘古神。文徳実録に記載の金山彦神の論社とされる。
社殿は南向き。境内の桜が満開できれいでした。
社号標の横には国史見在社としての由緒を記載している。
境内の南東隅にハゼノキが立っている。
社号標の後ろ辺りに社がひとつ。中には石板らしきものが祀られているが、地蔵堂のようだ。
境内の中程に鳥居が立ち、前に狛犬がいる。
境内には大木が多い。
拝殿。中は何も置いていなくきれいに整理されている。
鳥居から拝殿、本殿と直線上に並ぶが、広い境内が住宅地の中で残されているのには驚く。
覆屋に入る本殿に参る。
本殿右のイチョウの御神木は実に大きい。紅葉すれば空に映えそうだ。
本殿左に社務所と神輿倉が建っている。
金山彦神社
福井県敦賀市金山58-3
敦賀市に鎮座する剱神社。御祭神は比咩大神を主祭神とし、誉田別天皇を配祀する。延喜式敦賀郡の論社。
鳥居は北向き。左に公園、右に地区公民館が建つ。
扁額の掛かる一の鳥居の先、参道途中に二の鳥居が建つ。
参道は途中左になぜか大きく折れる。
拝殿と本殿の参道は北東向き。まっすぐ延ばすと公園を横切って隣の敷地へ。東を流れる河川の整備のために参道が付け替えられたのだろうか。
拝殿には神輿や絵馬が収められている。
参道右方に階段のついた燈籠が建つ。寛延元年の銘がある。灯明をつけるための階段だろうか
階段の先に社殿。階段前の両側の燈籠は寛政元年、左に文政七年の燈籠が二基ある。これも元は参道両脇に置かれていたものか。
階段を上って本殿に参る。
本殿は覆屋に入る。
本殿左に末社内宮と外宮が並ぶ。
本殿左に日野社・日吉社・愛宕社の合祀殿と稲荷社
稲荷社の前に石祠があるが、以前は本殿左にあったようだ。中に木製の社が収められていた。
拝殿前の左方に階段があり、社殿後方の山に登れる。
杉の植樹の多い山の多い中で原生林の雰囲気がよく残っているようだ。
山頂には使用禁止になった展望台。確かに見晴らしはいい。
展望台のまわりを回ると、北に大きな岩が露出していた。先端で祭祀ができるような平らな石で、磐座として祀られていたものかもしれない。
境内の桜は満開直前でとてもきれいだった。
剱神社
福井県敦賀市莇生野47-16
坂井市の多禰神社。御祭神は稻倉魂命を主祭神とし、天児屋根命、大国主命を合祀する。延喜式坂井郡の論社。
広がる田の向こうに朱色の鳥居が見える。
社殿は南向き
参道には鳥居がたくさん建っている。
境内入口の唯一の石鳥居の横に「式内 多禰神社」の社号標。鳥居には旧社名の「種神社」の扁額が掛かる。
階段を上がると社殿が見えてくる。
拝殿に参る。
社殿には彫刻は少ないが、入口に虎(左)と鯉の滝登り(右)の彫刻がついている。
拝殿の後ろに本殿がつく
本殿の左には平成25年10月に振媛母子像が建っている。振媛はこの高向郷で男大迹王(のちの継体天皇)を養育したと伝わる。男大迹王が生まれたのが近江国高島郷三尾の山崎で、ここを高椋の山崎として振媛像は滋賀県高島市を見つめている。
拝殿右に移動式の舞殿のような建物
その上のほうに鳥居と小さな石祠がある。
中には文字が書かれた石板のようなものが祀られているが何だろうか。
多禰神社
福井県坂井市丸岡町山崎三ケ64-77
福井市に鎮座する大己貴神社。御祭神は大己貴命を主祭神とし、直野神社の三尾君、天満神社の菅原道真公を合祀する。合祀されている直野神社は延喜式足羽郡の論社。
城山の西麓に鎮座する。城山は北陸道を見渡す要衝として三度、城が築かれた。南居城、蕗野寺城、朝津城と時によって呼び名が変わるので城山という一般名称で呼ばれているようです。
社前には地蔵堂や石碑が並ぶ。
入口に社号標、階段を上って境内に入る。
境内入口に鳥居
社前西側の平野に田が広がる。
社殿右に御神木の杉は特に高く目立つ。
拝殿に参る。
コンクリート製の社殿で拝殿後ろに本殿がつく。
本殿裏には南居町の集落が山裾まで広がっている。
大己貴神社
福井県福井市南居町45
越前町に鎮座する大洗磯﨑神社。御祭神は大名持命、少彦名命。延喜式丹生郡大山御板神社の論社。
社前の道路は狭い。駐車場がないので空き地をしばらくお借りする。
鳥居と社号標。鳥居の先に長い階段が待っている。ちょうど帰ってきた子供たちと挨拶を交わしてから上り始める。
上の平地に出ると、参道の先に社殿。社殿の前に玉垣がめぐる。
拝殿に参る。拝殿の扁額は「大洗神社」
拝殿の左に神輿殿
拝殿の右手に境内社と神社が鎮座する乙坂山への登山口がある。
境内社をのぞくと地蔵が祀られていて、どうやら地蔵堂のようだ。
高台に鎮座することから景色が良い。曇っていたのが残念。
大洗磯﨑神社
福井県丹生郡越前町乙坂12-24
越前町に鎮座する八坂神社。御祭神は素盞嗚尊、奇稻田姫命、應神天皇。
社殿は南向き。越知山への参詣道のひとつに位置していた。
2つの鳥居をくぐると右に辻神社
右に宝物殿
さらに進むと右の土盛の上に石祠が2つ
中門。安永五年、松平和泉守乗完の造営
右に神輿殿
左に御膳水(延命水)
正面の拝殿に参る。
拝殿左に雨夜神社。延喜式丹生郡の論社で、御祭神は雨夜神、保食神。明治四十三年に天屋から遷座された。
境内社は左に三社。天満神社、愛宕神社、御塔神社。御塔神社の祭神は鎌倉時代の木造女神像で、神仏習合の名残として有名。
右に五社。薬師神社、八幡神社、市姫神社、神明神社、白山神社。背後の蛇谷山嶺谷に散在していたのを境内に遷座したという。
飛鳥井櫻は応永三十四年に権中納言飛鳥井雅縁卿が京より参詣の折植樹したが、後枯死したので、嘉永年間に神主が移植したものという。
社前の角に古い屋形があったので神主宅かと思ったら酒蔵であった。宮司宅はもう一軒手前と教えてもらい訪ねたが、今日は留守だったので御朱印は確認できなかった。
後日再訪したとき、宮司宅で庭掃除していた方がいたので尋ねてみた。「宮司はいないので基本的に授与していません」という返答だったが、宮司宅というにすでに兼務社になっているということか。
八坂神社
福井県丹生郡越前町天王18-24
越前町に鎮座していた雨夜神社の旧鎮座地。御祭神は雨夜神、保食神。
道路沿いの坂を上り
階段を上る。
階段の先をUターンすると旧境内。眼下には集落、平野が広がる。
反対側から境内を見る。あまり広くないが社殿がここに建っていたのか。
真ん中ほどに石碑がひとつ。正面に「雨夜神社鎮座址」、右に「明治四十三年四月廾五日 八坂神社境内ニ移転ス」とある。
雨夜神社旧地
福井県丹生郡越前町天王
越前町に鎮座する麻氣神社。御祭神は少彦名命、藥師如來。延喜式丹生郡麻氣神社の論社。
集落の北端、民家と田の間を歩いて行く。社殿は東向き。
社殿の前、神旗を立てる石が埋められている。
本殿に参る。
中は祭り道具か倉庫のようになっている。社号がわかるのは提灯の「麻氣神社」ぐらいだが、武者絵などの絵馬が前、左右に掛けられている。
本殿の左前に地蔵堂があり、三体の石仏が祀られている。
集落は山に囲まれていて、携帯電話は通じない。
神社へと向かう途中、向こうに猪が走って行った。こちらに向かって来ないかとドキドキした。
麻氣神社
福井県丹生郡越前町真木1-1
福井市に鎮座する八幡神社。御祭神は應神天皇を主祭神とし、仲哀天皇、神功皇后を配祀する。延喜式敦賀郡丹生神社の論社。
社殿は南向き。集落の北、日本海へと延びる丘陵の南麓に鎮座する。
鳥居から社殿への参道は左に少し曲がっている。
手水舎の手水は大きな貝殻。日頃手入れはされていないようだが珍しい。
左手に神輿殿
社殿の左手にも蔵のような建物
その下には一代前の鳥居の礎石(中央)と扁額、二代前の鳥居の礎石(左)が飾られている。
拝殿に参る。
大丹生八幡神社
福井県福井市大丹生町46-2
福井市に鎮座する加茂廼神社。御祭神は別雷神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、少奈彦命、違提希。延喜式丹羽郡雷神社の論社。
海岸沿いに集落が広がり、集落の山手に鎮座する。鳥居の扁額は「加茂神社」
階段を上っていくと、集落の先に海が見える。
階段を上ると境内入口に鳥居と社号標。社号標は「村社 加茂神社」、鳥居の扁額は「加茂廼神社」。正式名の加茂廼神社はここだけで他はすべて加茂神社になっている。地元では加茂神社で通っているようだ。
鳥居の脇にイチョウの大木
参道右の階段を上ると聖徳太子社
拝殿は開いていたので中で参らせていただく。
非常に絵馬が多い。地元の信仰心の強さがうかがえる。
海に近く漁師が多かったのか、やはり舟絵馬が多い。
正面には浮き出しの絵馬もある。
拝殿左に神輿殿
本殿右に境内社が二社。
その左に男山八幡神社
神社の背後(北)には三本木川が流れる。
加茂廼神社
福井県福井市鮎川町87-10
福井市に鎮座する鉾島神社。越前加賀海岸国定公園の鉾島を御神体とする。
鉾島園地の駐車場から鉾島への入口に鳥居が建つ。
鉾島は柱状節理を見ることができ、岩が鉾を立てたように並んでいることから命名された。
柱状節理が絶景を生み出している。
無風で天候も良かったことから鉾島に上ってみる。
頂上に祠が建っている。
頂上には漁師が海から拾い上げた不動明王が安置されているというが、不動明王は欠損しており、中央には観音様が祀られている。
頂上からは北東方向に亀島、後方の西側にうっすらと雄島が見える。
海岸に下りてみる。
鉾島神社
福井県福井市南菅生町28−1
福井市に鎮座する天満神社。御祭神は菅原道真公。延喜式坂井郡糸前神社の論社。
海岸沿いに広がる糸崎集落から山手へ。境内は海に向かって北西向き
鳥居をくぐってまっすぐ参道が延び、階段を上る。
拝殿に参る。
鳥居が建つ平地には育王山糸崎寺が建つ。位置関係からして天満神社はもと糸崎寺の鎮守でしょうね。
石舞台では一年おきの4月18日に仏舞が奉納される。左のやぐらの上に舞い楽手が座り、手前に楽人、奥で仏舞が舞われる。出演者はすべて男性で、糸崎で産湯を使った者に限られるということで保存会があるとはいえ、継続は大変でしょうね。
本尊は唐渡千手観世音菩薩。中国の育王山の高層禅海が安置したという。
境内からは眼下に日本海を見下ろせる。右手に亀島が海に泳ぎ出す亀のように見える。
海岸沿いの小山の上に禅海上人之墓があり、当地が禅海上人のお墓松の跡地という。
海岸近くまで下りてくると亀島は亀のように見えない。
天満神社
福井県福井市糸崎町22-14
福井市に鎮座する味坂神社。御祭神は味坂比売命。延喜式坂井郡の論社。
社殿は北東向き。朝倉山の麓に鎮座し、集落が道路沿いに広がる。
鳥居の先は階段
拝殿に参る。
拝殿は幣殿で本殿につながる。
味坂神社
福井県福井市深坂町 20-21
福井市に鎮座する硲神社。御祭神は大日孁貴尊、天津児屋根命。
境内は南向き。集落北の丘の中腹に鎮座する。
朱色の鳥居の先に石鳥居
石鳥居からの眺望。手前の集落が中山町、道路を挟んで正面奥の山裾が田ノ頭町、左奥が石畠町となる。硲神社には一時期石畠町の春日神社(式内社論社)が合祀されていた。
階段の先に社殿。社殿のまわりは木に囲まれて薄暗い。
拝殿に参る。
本殿は弊殿で拝殿とつながる。拝殿に小さい鐘が吊られていた。
拝殿の右手に本堂。「大斐閣」の扁額が掛かる。観音堂か?
日当たりのいい場所に建つ本堂は集落からはこちらのほうがよく見える。
硲神社
福井県福井市中山町4-35
福井市に鎮座する春日神社。御祭神は春日大神。
式内社論社の春日神社(石畠町)を訪ねたはずが、隣の集落に行ってしまいました。
山裾に広がる集落
そのほとんどが段になった田になっていて、水を張れば美しい景色になるでしょう。
境内の入口に地蔵堂。ここから見える建物は倉庫のようでした
平地の奥に社殿。手前には倒壊した鳥居の石材が転がり
社殿前には崩れた五輪塔が残っていました。
拝殿に参る。
田ノ頭春日神社
福井県福井市田ノ頭町
坂井市に鎮座する春日神社。御祭神は天児屋根命、姫大神、武甕槌命、経津主命、彦太命。
社殿は北東向き。社前から数十メートルで九頭竜川が流れる河口にある。
境内は広く開放的だ。
参道左に厳島神社
参道左に金刀比羅神社
拝殿に参る。
本殿
拝殿左に神輿殿
本殿左に石祠
本殿右に八幡社
拝殿右に磯前神社、前に石祠
磯前神社に祀られているのは石像。地蔵というより僧に見える。
拝殿右に事代主神社
今日は春祭りの準備か社務所が開いていた。床の間に北前船の絵馬が飾られていた。
境内の西隅に屋根付きで片岸神社の遺物が置かれている。延喜式坂井郡の論社で、現在は春日神社に合祀されている。
阿古江新保浦字片岸岡燎火山に天平勝宝年間に片岸神社を建立して、三国水戸開闢の王(継体天皇)をお祀りしたという。
新保春日神社
福井県坂井市三国町新保18-16
坂井市に鎮座する鵜森神社。御祭神は伊弉册尊を主祭神とし、天津児屋根命、天照皇大神、大日靈貴尊を合祀する。延喜式坂井郡鵜屎神社の論社。
社殿は北西向き。
境内の背後には九頭竜川が流れ、境内は川筋に沿って作られているとも言える。
鵜森神社と改称する前は白山神社と称していたという。今の社殿向きからすると三霊山の白山ではなく、能郷白山を遙拝しているようにも見えるが、九頭竜川河口ということを考えると平泉寺白山神社の影響下にあるものか。
神幟を立てるポールが多いが、鳥居は参道途中にひとつ。
参道中程まで来ると両側に灯籠が並ぶ。
神社の木にサギが巣作りをしていた。鵜森という名も社叢に鳥がたくさん住み着いたことによるものか。
拝殿の右に社務所、左に石祠が並ぶ。
拝殿に参る。
拝殿の木鼻には狛犬がしがみついている。
本殿左の石祠には千手観音や恵比須、布袋、毘沙門天などが祀られ、周辺にあったお堂が集められたもののようだ。
鵜森神社
福井県坂井郡三国町川崎13-11-1
坂井市に鎮座する加奈井神社。御祭神は日本武尊。延喜式坂井郡坂名井神社の論社のひとつ。
社殿は西向き。隣に金井区民館が建つ。
社殿右前の建物
中には石像の釈迦三尊や子守地蔵などが祀られている。
左前の建物。屋根は石造りになっている。
やはり中には地蔵が祀られている。
拝殿に参る。
扁額は「不動尊」。不動明王が祀られているようだ。
社号は拝殿内に吊られた提灯にしか見当たらない。
加奈井神社
福井県坂井市三国町楽円2-10-1
坂井市に鎮座する氷川神社。御祭神は素盞嗚尊。延喜式坂井郡枚岡神社と比古奈神社の論社。
社殿は南西向き。後ろにJR三国駅がある。
今週春祭りが終わったところのようだ。今日は修繕に数人が来ていた。
拝殿に参る。拝殿に書き置きの御朱印が置いてあった。
中央の扁額は「氷川神社」だが、左右に旧社号の「牛頭天王宮」の扁額が掛かる。
三国湊に近いとあって北前船の絵馬も奉納されている。
拝殿背後に本殿。古そうな社殿だが覆屋に入らず間近に見ることができる。通路脇の右の狛犬は失われている。
拝殿の右の建物。小ぶりだが舞殿であろうか。
本殿右に○匠神社。崩し字のため一文字目が読めない。
その右に稲荷社
その右に不動社。石の不動明王が祀られている。
参道右手に社務所。社務所前に御神木が立つ。
井戸も残る。
神社裏手に三国祭の貴宝区の山車が収納されている。
氷川神社
福井県坂井市三国町北本町1-4-30
坂井市に鎮座する神明神社。御祭神は天照大神、継体天皇。継体天皇が越前国河川開拓のとき枚岡を行在所とし、王が越前を離れた跡、民が徳を偲んで旧行在所に遷座して枚岡神社と称したという。のち神明社に改称した。延喜式坂井郡枚岡神社と坂名井神社の論社のひとつ。
神社は南向き。周囲の道路は狭い。境内入口に三国祭の四の部地区山車が収蔵されている。
参道上に鳥居、「神明社」の扁額が掛かる。
拝殿に参る。
本殿の前には中門があり、御垣に囲まれている。
本殿左に合祀社。延喜式坂井郡比古奈神社(御祭神は少彦名命)を合祀しているとする。
左に舞殿付きの社務所
境内の西端に境内社味坂神社。延喜式坂井郡の論社で、伊邪那岐命を祀る。
味坂神社の社殿横に鬼瓦、狛犬、組物などが展示されている。福井大地震で倒壊した社殿のものだろうか。
本殿の右、北向きに辰巳川神社が建つ。辰巳川不動明王と呼ばれた北受け不動尊を祀る。
本殿の御垣北口の前にも狛犬が設置される。
境内の隅に旧社号標が立つ。
神明神社
福井県坂井市三国町神明2-2-3
坂井市に鎮座する伊岐神社。御祭神は由緒碑によれば、日本武尊、継体天皇、安閑天皇。延喜式坂井郡の論社のひとつ。
坂井丘陵の南端に鎮座し、社前は坂になっている。
社号標と鳥居の先に階段。社殿は南向き。
参道の右に境内社が二社。手前に「帝釈天」、奥に「毘沙門天」の扁額が掛かる。
毘沙門天社の木鼻は狛犬になっていて、柱に抱きついたような姿勢が愛らしい。
拝殿に参る。
幣殿とつながる本殿。境内は土塁状の高まりに囲まれている。
拝殿下に「白」と書かれた石製鬼瓦。伊岐神社は移転、廃絶。再興という流転の歴史を経て、白山神社に合祀され、社名を白山神社から伊岐神社に改称したという。社殿改築前の屋根に上がっていたものだろうか。白山神社の御祭神は伊邪那美神、速須佐之男神、大山津見神。
社殿は樫の木のような木に囲まれている。大木が多く、原生林の残りだろうか。おかげで境内は神域として隔絶した空間となっている。
伊岐神社
福井県坂井市三国町池上25
あわら市に鎮座する八雲神社。御祭神は速須佐之雄尊を主祭神とし、罔象女命、安徳天皇を合祀している。延喜式坂井郡布久漏神社の論社のひとつ。
坂井丘陵にあり、北潟集落の北、経塚山に鎮座する。周辺は風力発電の風車が無数に立つ。
参道は東向き。杉の間を境内へ
入口に社号標。石橋を渡ると一の鳥居
参道の途中に朱色の大鳥居
階段を上っていく。
最初に西向きの境内社
その左に西向きに境内社磯﨑神社
出雲神社の社殿は南向き
本殿の右にお堂
中には薬師如来と仁王像。江戸時代は牛頭天王と呼ばれていて、薬師如来はかつての本尊だろうか。仁王像は仁王門があったのだろう。いずれも神仏分離で神社から撤収されてこの建物に集められたと思われる。
出雲神社に参る。
拝殿後ろに幣殿とつながる本殿は一段高い場所にある。
本殿とお堂の間に梵字の書かれた石塔と石祠が残っている。
八雲神社
福井県あわら市北潟46-30
越前町に鎮座する剱神社。御祭神は武甕槌命。延喜式丹生郡の枚井手神社の論社のひとつ。
社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿の扁額は「剱大神」
本殿の大棟が瓦ではなく石製となっている。
拝殿右に境内社が並ぶ。手前より稲荷神社(保食命)、太子廟(聖徳太子)、剱神社(素戔男命)、天満宮(菅原道真公)、秋葉神社(火産霊命)
剱神社
福井県丹生郡越前町平等54-1
越前市に鎮座する雨夜神社の旧鎮座地。御祭神は水波乃売命。延喜式丹生郡の論社のひとつ。
岡本山の頂上に鎮座する。
南麓の岡太神社の境内から岡本山への登り口がある。
上っていくと社がひとつと
後ろに西国三十三観音堂が立っている。
ここからは越前富士として知られる日野山がよく見える。
西国三十三観音堂の後ろに北の方へ尾根道が続いている。
途中までは全く雪もなかったが、頂上が近づいてくるに従いうっすらと雪が残っていた。
頂上には石祠が立っている。岡本山はここが行き止まりなのだが、元々はここは中央で北半分が開発で削られてしまったという。
石祠の裏には「雨夜神社 岡本山上宮 祭神水波乃売命 昭和五十一年六月建之」と書かれている。山頂から南麓の岡太神社に遷座したとされるが、祭神は異なっている。
雨夜神社
福井県越前市岡本町21-18
越前市に鎮座する岡太神社。御祭神は大山咋命、天照皇大神。延喜式丹生郡の雨夜神社の論社のひとつ。
社殿は岡本山の南麓に鎮座する。
境内の入口に二の鳥居が立つ。
鳥居の扁額は「白山神社」、旧社名だろうか。
拝殿に参る。
本殿は拝殿と長い弊殿でつながる。
岡太神社
福井県越前市岡本町21-18
越前市に鎮座する帆山神社。本来の「帆」の文字は「火」偏に「几」であるが当用漢字がない。御祭神は別雷神を主祭神とし、天照皇大神と豊受神を合祀する。延喜式今立郡の比定社。
帆山公園に駐車し歩くことにする。帆山公園の西南隅に石碑と櫻の木が一本ある。
継体天皇お手植えの櫻で、児安神を祀った帆山神社の摂社であるという。
帆山公園の東に少し歩くと社名標はないが旗竿が立っているので。ここから山の方へやや北東方向へ歩いて行く。
やがて住宅地を抜け帆山の麓に鳥居が見えてくる。社殿は西向き。
赤い木製の四脚鳥居と奥に石製鳥居が立つ。
幸い雪が少ない。階段を上って行って振り返ると西に雪を被った端正な山が見える。鬼ヶ岳であろうか。
拝殿に参る。
拝殿右に境内社。鯉の滝登りの彫刻が施された凝った社殿。
帆山神社
福井県越前市帆山町33-6
旧清水町に鎮座する賀茂神社。御祭神は賀茂別雷命、賀茂玉依姫命、大国主命、伊賀古夜比売命、賀茂建角身命、神武天皇、弓矢大神(武甕槌神・経津主神)、鵜草葺不合命、八幡大神(應神天皇・神功皇后)と多い。現在は加茂町と称しているが、合併前は清水町加茂内という住所で賀茂神社を中心とした元神領だったのではないだろうか。
清水西小学校への坂道を上がり右に曲がる。
元禄期に建立された大鳥居。
「賀茂上下大明神」の扁額が架かる。
社殿は南向き。拝殿の前に平成20年に勧請された下賀茂神社の干支守護社となる。
拝殿の後ろに本殿、その右に境内社の祇園社が祀られる。
拝殿の扁額は「式内雷神社」。延喜式の丹生郡雷神社の論社のひとつ。
御朱印は拝殿に併設する授与所でいただいた。初詣でお守りを買い求める人の中で御朱印をいただく人など他にはいなかったが、巫女は忙しそうではあったが宮司は時間を持て余しているように見えました。ネットでは墨書きで「賀茂神社」と書いてあるものが多いが、「賀茂上下大明神」の印に変わっていた。
賀茂神社
福井県福井市加茂町
39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録