福井市に鎮座する和田八幡宮に行って来ました。
今月は限定で上巳の節句の御朱印があります。昨年とはデザインが違う。
雨の合間に参拝する。
拝殿に参る。
和田八幡宮
福井県福井市和田3-1113
福井市に鎮座する出雲大社福井分院に行って来ました。
目的は特別御朱印です。10日、20日と土日祝日のみ頒布されています。
土日祝日だと結婚式をしている日も多いのですが、静かです。これもコロナウイルスの影響でしょうか。
手水もコロナウイルスの影響で使用中止になっていました。
水自体は問題ないと思いますが、柄杓を共通することを問題としたのでしょうか。
拝殿に参る。
今月の特別御朱印は金色で拝殿と、白い瑞雲が描かれている。先月までは切り絵だったんですが、切り絵ではなくなりました。
薪の代わりにロウソクに火が付けられ、少し違和感がありますね。
出雲大社 福井分院
福井県福井市渕2丁目2001
福井市に鎮座する福井神社。先月に続き月替わり御朱印をいただきに来ました。
3月はチューリップと
パンジーの2種類
今月はひな祭りの特別御朱印もありました。
三連休初日は曇天のなかの参拝となりました。
拝殿に参る。
今日は留守番の方のみだったので書き置きをいただきました。
令和元年度の御朱印一覧
4月 梅
5月 つつじ
6月 バラ、あじさい
7月 はす、朝顔
8月 向日葵、百合
9月 桔梗 コスモス
10月 りんどう、キンモクセイ
11月 小菊、菊
12月 水仙、ポインセチア
1月 千両、椿
2月 梅、福寿草
3月 チューリップ、パンジー
令和元年度限定御朱印
10月22日 即位礼
11月14日 大嘗祭
1月1日 正月初詣
2月3日 節分
3月3日 桃の節句
先月も節分の特別御朱印あったようだが参拝したときには終了していた。今月もそう変わらない月後半だったにもかかわらず残っていたということは、やはりコロナウイルスの影響が大きいようです。
福井城本丸堀に隣接して鎮座する福井神社、鳥居の方角からすると本丸堀西側が表参道ということになるのでしょうが、この灯籠は本丸堀北側の遊歩道入口に建てられたもので、裏参道ということになるのだろうか。
福井神社
福井県福井市大手3丁目16−1
福井市に鎮座する福井神社。令和改元の頃から月替わりの花が御朱印に描かれるようになりました。
二月の花は福寿草と
梅です。1つもらうときは梅の方が人気あるようでした。
今日は朝から雨が降って風も強かった。
近代的な石造りの拝殿に参る。
社務所前には御朱印の列が・・・想像以上に大人気のようです。
こんな荒天の日に前後10人ばかりの人が御朱印を求めにきました。
以前は週末でも社務所が無人のことが多かったのですが、2年前の夏に福井市内の神社で社紋スタンプラリーが始まってから参拝する人も増えたんでしょうね。御朱印書いているのは手伝いの方ですが、御朱印をいただける可能性が増えたのは有難いです。
去年授与された御朱印がありました。最初の頃は1種類だったんですね。
社務所の前の沈丁花が早くも咲き始めていました。
福井神社
福井県福井市大手3丁目16−1
福井市に鎮座する和田八幡宮。御祭神は足仲彦命、誉田別命、息長帯比売命。
期間限定御朱印を求めて参拝しました。お正月限定御朱印です。
朱色の大鳥居から入る。
境内は参拝者の車でいっぱいになっていた。
境内は1月26日の大寒禊、2月3日の節分祭には大勢の参拝者で賑わう。
拝殿に参る。
車はあるが拝殿前にも授与所にも人がいなかった。4日でも中で祈祷を受けている人が大勢いるようだった。
授与所で御朱印をいただく。
御朱印は初夢札付きです。
和田八幡宮
福井県福井市和田3-1113
福井市に鎮座する湊八幡神社。御祭神は大靹別尊(応神天皇)、玉依姫、神功皇后。
初詣に来ました。
拝殿に参る。
湊八幡神社はもとは朝倉氏により一乗谷に宇佐から勧請された。結城秀康公が一乗谷から北之庄へ遷座。何度かの移転で現在地に来た。
左隣りに稲荷神社。昭和39年11月に伏見稲荷から御分霊を迎え建立された。分霊の「證」が神社に残されている。
何度か週末に訪れていたがなかなか宮司さんにお会いできなかった。今日は正月ということもあって、宮司さんがいらしたので合間に御朱印をいただきました。
湊八幡神社
福井県福井市照手4丁目1−25
福井市に鎮座する佐佳枝廼社。今年も正月限定御朱印をいただきに来ました。
駐車場は15分無料なので少し急ぎます。
大絵馬。シッポが違えばクマのようです。
拝殿に参り、社務所に向かう。
昨年15日までだった紙のみの頒布は、今年は20日までに延びたようです。
干支の特別御朱印も、正月祭・節分祭限定なのですが、今年は一定数の頒布で終了するようなので節分まであるかどうかはわかりません。
境内の榮稲荷神社。
こちらの御朱印は特別御朱印の金色と対になるように、銀色の紙に紫の墨書きとなりました。
こちらは正月限定とはなっていませんが、期間限定なのか今年はずっと頒布されるのかわかりません。
佐佳枝廼社
福井県福井市大手3丁目12−3
福井市に鎮座する出雲大社福井分院。出雲大社の分院で御祭神は大國主大神となります。
昨年12月から月替わりで授与されている限定御朱印
通常の御朱印もいただきました。
縁結びと神とも知られる出雲大社ですから、神社よりも結婚式場のほうが大きいのです。
階段を上って社殿に向かう。
拝殿に参る。
隣の授与所で御朱印をいただく。
特別限定御朱印は700円するが、見た目にはわかりにくいが切り絵なんですよ。ものすごく手が込んでいて手間がかかるものです。じっくり見ると納得します。
御朱印を待つ間、拝殿内で行われていた神前式を見ていました。
出雲大社 福井分院
福井県福井市渕2丁目2001
福井市に鎮座する和田八幡宮。御祭神は足仲彦命、誉田別命、息長帯比売命。
近くに令和の大嘗祭の御朱印を授与しているところが少なくいただきに来ました。
こちらが14日から枚数限定で頒布されている大嘗祭御朱印。残っていて良かった。
表参道を進みます。
拝殿に参る。
当社は福井市で限定御朱印いただける神社として定着してきましたね。
和田八幡宮
福井県福井市和田3-1113
越前市に鎮座する総社大神宮。御祭神は大己貴命、孝謙天皇。
武生にはかつて越前国国府があって、当社には越前国中官社百二十六座が相殿に祀られている。
今日の参拝は、今まで御朱印の授与方法がわからなかった大虫神社が、当社の兼務社でこちらの社務所で御朱印をいただけることがわかったことから来ました。
社殿は東向きなので、早朝だと太陽が順光になって良い。
拝殿に参る。
境内の銀杏がちょうど良く色付いていた。
まだ準備中のところ、御朱印をいただいた。
総社大神宮
福井県越前市京町1丁目4−35
福井市に鎮座する杉社白髭神社。猿田彦大神を主祭神とし、伊弉冉尊、倉稲魂命を配祀する。
境内へは北と南の鳥居から入られるが、北鳥居のほうが正門のようだ。
北鳥居は大通りに近く、南鳥居は社務所に近い。
手水舎の横に宝暦十一年寄進の庚申灯籠がある。胴の申の彫物が印象的だ。
鳥居を入ってくると手水舎のところで参道は西に折れ、社殿は東向きに建つ。
中央に本殿・拝殿、右に境内社宮比神社、左は参集殿だろうか。
境内の北隅に亀の石像がある。
拝殿に参る。
福の神めぐりスタンプは拝殿の下足箱に置いてあった。
拝殿裏の本殿
拝殿右に境内社の宮比神社。天鈿売命を主祭神とし、迦具突知尊を配祀する。
宮比神社の社殿は平成8年の御鎮座千三百年記念事業以前の旧本殿を移築したもの。
拝殿前に方位石。御祭神の猿田彦大神が導きの神であることから方位を司ることになる。
わかりやすい案内板が境内に増えた。
南鳥居を出たところのお宅が社務所で、声掛けをして御朱印を拝殿でいただいた。
いただいた後少し話をさせていただいた。前回の御朱印は境内の東のお宅でいただいたのだが、二年ほど前に父親から宮司を継承したということで、その後氏子の声を反映して境内の案内板を増やしたそうだ。御朱印も変わった。
福の神めぐりは今のところの期限なく続く予定だそうだが、達成の神紋手ぬぐいは昨年の金沢市神職会のキャンペーンも参考にしているそうだ。
杉社白髭神社
福井県福井市勝見2丁目1−2
福井市に鎮座する和田八幡宮。御祭神は足仲彦命、誉田別命、息長帯比売命。
参拝は2度目だが、御朱印が変わっていた。
ちょうどひな祭りの限定御朱印もあったのでいただいた。
朱色が鮮やかな大鳥居
石橋の左手に弁財天社が建つ。
二の鳥居をくぐると左手に御祓所として天之磐座降臨処がある。
境内の左手に厄割の石
社殿前に源満仲公像がある。越前守護職だった源満仲公が洪水、疫病の退散を祈願して摂津より東北に矢を放ち、落ちた場所に創建されたお宮が当宮という。
拝殿に参る。
社務所で御朱印をいただく。
背負い餅神事の案内。当宮は珍しい祭事も少なくない。
ひな祭りの限定御朱印は3月3日から4月3日まで。守り雛が付く。
境内社の日吉山王社。御祭神は大山咋神、大己貴神。
開運稲荷大明神
境内社の厳島神社
和田八幡宮
福井県福井市和田3-1113
福井市の一乗谷を川に沿って上流へ。一乗滝に鎮座する白瀧神社。
泰澄大師が不動明王を祀って開いたとされている。神社庁に所属しておらず、御祭神がはっきりしないが火産霊命だろうか。
落差12mの一乗滝。安波賀春日神社の滝殿社に参拝した縁もあり、今回初めて来た。
ここは佐々木小次郎が燕返しを編み出した場所としても有名
一乗滝の右上方にブルーシートのかかった建物が見える。
小次郎像のほうから迂回して向かう。滝の上流に砂防ダムがあり、その前に橋が架かっている。
一乗滝の落ち口を上から見ることもできる。
社殿は滝の方を向いており落雪に備えてブルーシートが掛けられているようだった。
脇に川へ下りる階段がある。(通行はできない)
社殿の手前に古い燈籠が残っていた。
両脇が越知山開運講中により寄進された慶応元年の燈籠。中央の左右、不動明王と書かれているのは文化五年。中央は安政三年寄進のものとなる。
本殿に参拝する。
「白瀧神社」の扁額が掛かるが、鈴ではなくがま口なのが印象的。もしかしたら今でも不動明王を祀っているのだろうか。
白瀧神社
福井県福井市浄教寺町
福井市に鎮座する安波賀春日神社。御祭神は天兒屋根命、武甕槌尊、経津主命、比売大神。
帝都東北鬼門鎮護のため、治暦4年(1068)に創建された古社。
越前朝倉氏の一乗谷の下城戸(町の北側出入口)の
すぐ北にできた集落が安波賀である。つまり城外
その通りの途中に春日神社への入口がある。入口に「縣社 春日神社」の標柱
標柱辺りに石鳥居があったような痕跡が残る。
入ると一の鳥居が建つ。
手前にも鳥居があったような痕跡
用水を跨ぐ石橋を渡ると階段が続く。
「福の神めぐり」の旗を左に曲がると社務所がある。まずはそのまま上る。
手前の階段を上ると鳥居が建つが、奥にも石段があり平場が広がっている。
かつて何かがあったような平場だが、見渡す限り基礎の石積み以外は何もない。
後で宮司さんに伺ったところ、社務所が建っていたそうだ。背後の山崩れにより倒壊した。
奥の方に竹藪の山裾に景石のような石が2つあった。斜面の岩盤の一部のように見えないこともないと思っていたが、これも宮司さんに伺ったところ、社務所裏にあった庭園の一部だそうだ。
二の鳥居の先に社殿が見えてきた。
福井市文化財に指定されている社殿。
拝殿に参る。
本殿の背後に銀杏の大木があった。紅葉がきれいかもしれない。
本殿、拝殿ともに「春日大明神」の扁額が掛かっている。
社殿の一段上の平場に境内社が2社鎮座している。
最初滝殿社だと思っていた境内社。大国主神を祀る大地神社。
現在銅板葺きに改装されているが、かつての屋根瓦と思われるものが社の下に置かれていた。
松平家の葵紋が付いている。
もう1社は宇迦魂神を祀る稲荷神社。
境内社の平場からさらに上に階段が続くが「行くな」という看板を見て引き返す。
社務所兼自宅の前に置かれた福の神めぐりスタンプを押していると、人の気配がしたので尋ねて御朱印をいただいた。
宮司さんに話を聞いて滝殿社が勘違いだと分かって、再び階段を上り始めた。
登山道によくある木段の脇に石が積まれている。滝殿社までかつてはこの石が並べられた石段だったのだろう。やはり地滑りで一部が崩壊して今の状態になったのか。
滝殿社。越前松平家七代吉品が一乗谷朝倉氏歴代を祀った。御神体として最後の領主義景常用の馬具の一部を社地中に埋めたという。名前は一乗谷を流れる一乗谷川の中流にある一乗滝に由来するのだろう。
安波賀春日神社
福井県福井市安波賀町15−13
福井市に鎮座する佐佳枝廼社。御祭神は福井藩初代藩主結城秀康公、幕府初代徳川家康公、福井藩16代藩主
松平慶永(春嶽)公を祀る。
昨年も限定御朱印あったようですが、今年初めて知りました。
3日になっても多くの人が参拝に来ている。
拝殿に参る。
御朱印は祈祷受付の横に置かれていた。
正月限定と思っていた限定御朱印は、正月祭・節分祭限定御朱印ということで、元旦から節分の2月3日までの頒布。
三葉葵の御紋の赤を秀康公、紫を家康公、緑を春嶽公にあてている。
参道の階段を上がってすぐ左手にある境内社、榮稲荷神社。
元旦から御朱印を授与することになった。神使の狐は手書き?なのか。
初詣期間の15日までは書き置きの頒布になるが、御朱印帳にも書いてもらえるのか
正月の神饌は境内社とはいえ立派なものです。
佐佳枝廼社
福井県福井市大手3丁目12−3
越前市に鎮座する大瀧神社。御祭神は國常立尊、伊弉諾尊、伊弉那美尊。
今年鎮座1300年を迎え、GWに千三百年大祭が行われた。
二の鳥居と「縣社 大瀧神社」の社号標が建つ。
鳥居には「岡太神社 大瀧神社」の扁額が掛かる。
というのも、ここ下宮の社殿は遥拝所で、神様はGWの例祭で上宮から下りてくる間だけ鎮まる。
十一面観音坐像を祀る観音堂。かつては下宮の拝殿であったが、現在の社殿に建て替えるときに移動されたもの。
中で千三百年大祭記念事業として、「よみがえる別山堂」を開催している。
奥の院割拝殿の改築により屋根から見つかった部材に、新材を組み合わせて建てられた別山堂。いずれ元の場所に再建されるようだ。
拝殿に参る。
社殿には凝った彫刻が四方に飾られている。
社殿右方の神輿殿がちょうど開かれた。
例祭で神様が上宮と下宮を行き来する神輿が四基。六角形の煌びやかな神輿。
今年の千三百年大祭は「日本の祭り」の撮影があったようだ。地元は早々に放送されるが、BSで放送されるまで気長に待とう。
今日は午後のイベントまで時間があるので、上宮に登ってみた。
大徳山とも呼ばれる権現山。上宮は山頂とは少し方角が違うので、今日は山頂には向かわない。
奥の院まで神仏習合の遺跡が残る。
「山伏岩の跡」
女人禁制の奥の院への密入者を取り締まるため、大岩のあるこの場所に毎日数人の山伏が見張り検問にあたっていたという。
「神馬・神くらの化石」
神馬に乗った神がいつもこの場所に立ち里山を守っていたので、いつの間にか神馬が化石になったと伝えられている。数年前までその面影が残っていたが、現在は石が砕け落ち、一部しか残っていないのでその姿は確認できない。
「神馬の足跡」
神代の昔、この山をめぐって神争いがあった時に、日野山上より神が馬にまたがり飛来されたその馬の足跡という。
落ち葉を除けるとそれらしい窪みがあった。
途中鳥居をくぐって先に進む。
「み火たき所の跡」
石に囲まれた場所が残る。
「十善寺の跡」
大瀧児権現の別当であった大徳山大瀧寺の奥の院の中心寺が建っていた場所という。
「ひじり堂の跡」
奥の院の手水。ほとりに不動石像が立っている。
改築された奥の院割拝殿
背後に3社の本殿が並ぶ。
中央が大瀧神社本殿。
右に岡太神社。御祭神は川上御前。延喜式今立郡の比定社。
「式内 岡太神社」の扁額がかかる。
左に八幡社。
八幡社の左にわかりにくいが上に登る道が続く。権現山山頂への登山道を兼ねる。
5分ほど歩くと鳥居が見えてきた。
「おんなじの跡」
「越南知」とも「大己貴」とも書かれ、大国主命のこと。
白山を開山した泰澄大師が開山したと伝わる権現山は、白山の御前峰、大汝峰、別山に対応するように、白山伏拝、おんなじ跡、別山堂の3つの峰がある。
権現山一の大杉が目印。御神木
「大瀧城本丸跡」
おんなじの跡にあたり、大瀧児権現を守護する城であったという。おんなじの跡、白山伏拝を含めた4つの主郭とその間に5つの堀切がある。
城跡を散策しながら別山へ向かう。主郭を断ち切るように掘られた大きな堀切。
3つめの主郭には弐の杉と呼ばれる大杉が、やはり御神木としてある。
「法花堂の跡」
4つの主郭を通り、最後にもう一度登ると
「別山堂の跡」
加工された石や瓦が散乱している。観音堂に復元された別山堂が、いつかここに再検される日が楽しみだ。
別山堂の奥に「ざぜん石」と呼ばれる大岩がある。ここに座ると白山が正面に見えたというが、今日は雲と前を遮る木々でわからなかった。
ざぜん石の背後にも巨石がむき出しになっていて、特別な空間だと感じた。
奥の院から大瀧城跡をめぐり、別山から奥の院へ戻るのに40分ほどかかった。
下山し、紙の文化博物館に行く。
月末まで、千三百年大祭を記念し「大瀧神社の至宝」が開催されている。
その特別展を記念して、大瀧神社宮司の講演会がパピルス館で開かれ参加してきた。とても興味深い話であった。
千三百年大祭を記念した特別御朱印が年末まで頒布されていて、神社近くの氏子宅とここパピルス館で入手できる。
地元産の越前和紙を使い、社号も特別なものになっている。
一の鳥居と社号標
横山大観による揮毫の社号標の文字。特別御朱印はこの社号標の文字を元にしている。
宮司の話を聞き、あらためて下宮を訪ねる。
大型バスで大勢の観光客が来ていた。境内で大勢の人に会ったことはなかったので少し驚いた。
拝殿を正面から見る。複雑な屋根の構造だが、正面から見ても屋根の妻の頂点が一直線に並ばないのだそうだ。完全な形にしない、いわゆる「未完の美」なんだそうで、わざと少しずれている。
拝殿の基台の石積みは、上が青石、下が赤石とツートンカラーになっている。
また地震により石がずれないように、角石は一つの石になっている。
大瀧神社
福井県越前市大滝町13-1
旧今立町粟田部に鎮座する岡太神社。御祭神は建角身命、國狭槌尊、大己貴命で、継体天皇を配祀する。
朱色の鳥居をくぐり境内に入る。
拝殿に参る。
上って本殿前の拝所に参る。
玉垣に囲まれて本殿と2社の境内社が並ぶ。
参拝後に宮司宅で御朱印をいただいたが、宮司が留守で書き置きをいただいた。
書き置きの紙はどこかの和紙を使っているようだ。今回は宮司直筆の御朱印をいただけた。
岡太神社
福井県越前市粟田部町大山19
越前市に鎮座する荒樫神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とし、仲哀天皇、神功皇后、表筒男神、中筒男神、底筒男神を相殿に祀る。男大迹皇子(継体天皇)の創祀と伝わる。
集落入口に「荒樫神社」の社号標が建つ。
集落の奥に少しわかりにくいが、鳥居と社号標が建つ。社号標は地元の笏谷石だろうか、柔らかい石なので風化している。
階段は車が上がれるように2本の坂が付いているが、現在では段差もできて上がれそうにない。
階段を上がると、広い空間の先に社殿が見える。
階段の右手に何か石碑が建っている。調べると裏手に古墳があるようだが、場所や規模は確認できなかった。
社殿は一段高い場所にあり、階段前に鳥居、社殿前に2本の大きな杉が立っている。
十一面観音立像が2体伝わっているという。
背後の本殿は入口に板で止められている。以前は幣殿で拝殿とつながっていたようだが、幣殿は老化で取り払われたのだろうか。
本殿左に境内社の麻氣神社。かつては僧形の泰澄大師坐像が祀ってあったようだ。
泰澄大師像と十一面観音像がともにあることからみて、中世には白山信仰の影響下にあったらしい。
麻氣神社の左のほうから本殿背後の山に上る。
途中、鳥獣柵を開けて行く。幸い先に続く道はわかりやすかった。
しばらく上ると、本殿の真後ろの平坦地に境内社の鵜甘神社が建っていた。
応神天皇を祀り、延喜式今立郡の論社のひとつ。武内宿禰、繼軆天皇、安閑天皇、宣化天皇、國中主神を合わせ祀る。
帰りにもう一度拝殿内を見ると、随神像が左右にあり、絵馬も数枚掛かっているようだった。
手水は瓢箪形にくり抜かれている。
荒樫神社
福井県越前市西樫尾町28-5
青葉山は福井県高浜町と京都府舞鶴市にまたがる山で、高浜町の市街を走っていると秀麗な裾野をひく山容を見ることができる。若狭富士と呼ばれるが、元修験の山で東峰と西峰の2つのピークをもつ双耳峰。
今日は中山口から登ることにする。
中山寺に到着。東峰まで3.1キロ。9時16分にスタートする。
5分で中山集落の青葉神社に到着。登山の無事を祈る。
青葉神社は東峰山頂に祀られる神で、東峰三十三所の神々を祀る。その里宮としての位置づけか?
拝殿左に境内社が1社ある。
青葉山青少年旅行村に駐車した場合の登山口に到着。9時28分
ここで案内板を確認する。
今日のコースは、中山寺コースを上り、東峰、西峰と縦走し、松尾寺コースを下る。松尾寺からは麓の今寺集落、高野集落の氏神を回って帰ってくる。
上り初めてすぐ斜面に大岩をチラホラ見るようになる。初めからかなりきつい急登になる。
中山寺コースと高野コースの合流点。9時41分
TV中継アンテナを過ぎて展望台に到着。9時59分
若狭湾の眺めが絶景だが、午前中なので少し逆光
10時1分、金比羅神社(金比羅大権現)に到着
馬の背に立つ。10時25分
両側に切れ落ちる岩塊が尾根に横たわり、西に西峰が見える。
南の眼下には高浜の村々と山並みが広がる。風が心地よいが、強風や雨の日は厳しそうだ。
東峰と西峰の間はまさに修験の修行場だ。
東峰に到着。10時37分
青葉神社。前に燈籠が2基と、左に磐座のような岩塊がある。本殿は覆屋の中で見えなかった。
本殿裏に「青葉山 東峰山頂 標高693m」の表示
10分ほど行くと初めての梯子が出てくる。
梯子を登ってすぐ縄につながって、すれ違いできない狭い道を行く。
ここからいくつも梯子と縄が出てくることになる。
東峰から20分ほどのところ、笹が覆い茂りちょっとした藪漕ぎに入る。
夏以降は道も見えづらくなりそうで大変だ。
11時8分、大師洞を通過。泰澄大師参篭の伝説がある場所。
11時16分、西峰に到着。西青葉神社(西権現)、西峰三十三所の神々を祀る。
本殿後方に岩塊があり、登ることができる。
神社の背後にあるのは通常磐座だが、頂上が削られており現在はそういう位置づけではないらしい。
「青葉山 西峰山頂 標高692m」と建っている。ここはまだ福井県
眼下に美しい若狭湾の眺望が広がっている。
西峰で20分ほど休憩兼補給を行う。
西峰を出発して3分ほどで松尾寺コースと高野コースの分岐点に至る。
わかりにくいが右の木の下をくぐって進む。どうもこの辺りが県境のようだ。
分岐から1分、11時38分松尾寺奥の院(青葉山権現)に到着。周辺に燈籠が2基ある。
12時10分、平場に出る。ここに崩れた鳥居があった。西青葉神社のものか、松尾寺奥の院のものかははっきりしない。
12時19分、松尾寺口に到着。
西国観音三十三所第29番札所で、草創1300年イベントもしているので、御朱印をもらい、宝物殿を見学する。
松尾寺の由緒譚に青葉山の双耳峰が中国の馬耳山に似ているという話が出てくる。本尊の馬頭観世音菩薩は、松尾寺、中山寺、馬居寺と青葉山周辺三ヶ寺で本尊とされ、何か関連があるのだろう。
13時45分松尾寺を後にして帰途につく。
14時3分、今寺口に到着。
登山口は今寺集落の最奥部であり、ここに熊野神社が鎮座する。
左右に境内社が1社ずつあり3社が並ぶ。
手前に名前がわからない寺が建つ。もとは熊野神社と一体のものだろう。
中を覗くと、左に十一面観世音菩薩、右の朽ちているのもおそらく同じであろう。
松尾寺奥の院の元本尊は十一面観世音菩薩で宝物殿に納められていた。十一面観世音菩薩を主峰とする白山を開山した泰澄大師の伝説とともに非常に興味深い事例である。
今寺口から歩くこと10分ほどで、田の中に岩を見つける。
大成の大岩と呼ばれるもので
上に道標が立っている。
さらに歩くこと10分、隣の高野集落の金剱神社に到着。
ここも3社並ぶ形式で、中央に金剱神社、左に稲荷神社、右は不明だった。
14時44分、7分ほど歩いて高野集落の東の外れにある高野口に至る。
最終的に中山寺に到着したのは15時4分。寄り道しながら約6時間の行程、19000歩の登拝の旅でした。
青葉山
福井県大飯郡高浜町・京都府舞鶴市
高浜町に鎮座する伊弉諾神社。延喜式大飯郡伊射奈伎神社の論社。御祭神は伊弉諾命、伊弉冉命、阿遲鋤高日子根命、宇津志国玉命、綿津海三柱命ほか。
青葉山の南麓に鎮座する。若狭富士と言われる青葉山だが、南から見ると東峰と西峰の2つのピークが見える。
一の鳥居は東向きだが、社殿は南向き
二の鳥居の先に神楽殿が建つ。
神楽殿の後方に社殿が建つ。
階段を上り拝殿に参る。
本殿は弊殿で拝殿とつながる。
拝殿の左に境内社が2社並ぶ。
左が元本社奥宮西青葉神社遙拝社。西青葉神社は青葉山西峰山頂に建ち、西峰三十三所の神々を祀る。
右が金剱神社、国常立尊を祀り、南麓高野集落と同じ神を祀る。金剱山の金剱明神を祀るというが山の位置がよくわからない。
拝殿の右に八所荒神神社、敷地・社殿の守り神を祀り遷座祭仮宮だという。
左奥に境内社3社が並ぶ。
右が恵比須神社、蛭子命を祀る。
中央が青葉神社遙拝社。青葉神社は青葉山東峰山頂に建ち、東峰三十三所の神々を祀る。
左が稲荷神社、倉稲魂命を祀る。
桂(不動)神社遙拝所
社前には田が広がり、畦には芝桜がきれいに咲いている。
伊弉諾神社
福井県大飯郡高浜町小和田51-14
若狭町に鎮座する闇見神社。御祭神は沙本之大闇見戸賣命を主祭神とし、菅原道眞公、天照大神を配祀する。
昨年に続き2回目の参拝。
この御神木は2回目でも圧倒される霊気が漂う。
境内はやけに清掃が行き届いていると思ったが、5日に例大祭(王の舞など)があったようだ。
本殿に参る。中央が「闇見神社」、右に「天満大神」、左に「天照皇大神」の扁額がかかる。
御祈祷所と書かれた建物の中に、お札や書き置きの御朱印がある。
前回は御朱印が切れていたのだが、今日はまだ残っていた。良かった。
闇見神社
福井県三方上中郡若狭町成願寺字御手洗水12-7
若狭町の宇波西神社。御祭神は鵜草葺不合尊。
今日は違う方角から向かったら、JR小浜線をまたいだところに社号標が建っていた。
「式内 明神大 月次新嘗 宇波西神社」
鉄橋をくぐると参道がまっすぐに神社まで延びているが、今日は駐車場ないので停めても良さそうな場所を見つけて歩いていくことにした。
神橋を渡ると神社が見えてくる。境内は神橋から少し下がっている。
神社前の道路には路駐の列。片側半分ずつ占領して一車線道路のようになっているが、いつもこうなんだろう。
太鼓の音も響き、祭りの盛り上がりを感じる。
拝殿まで行くと、まだ巫女舞が終わっていなかったので見る。
普段は閉まっている建物も開放され、氏子らが集っている。
拝殿に至る階段左に子供神輿があった。桜と合わせていい景色だ。
祭礼神事が終わり休憩に入って拝殿が空になった後で、本殿に参る。
午後1時になると拝殿に上がる階段に、裃など正装した方々が並び、中央の人が何かを掲げた。
王の舞はなかなか始まらなかった。氏子の代表が神橋まで迎えに出る。
15分ほど過ぎてようやく出てきた。社務所前に陣取っていたが、ここには笛が並ぶので前を遮られてしまった。
初めて来たのでベストポジションが分からなかったが、ここはハズレだった。
それでも間から王の舞を鑑賞した。
鳥居の前を同じような動作を繰り返しながら何周か回る。
結局最後まで農耕儀礼に由来するという王の舞の所作がよくわからなかった。
王の舞の間に、中に飛び出そうとする人と、それを一所懸命止める人のやり取りが何度かあった。
王の舞に全く集中できないこの出来事の由来は、かつて王の舞を止めた人がおり、その村はその年豊作になったということがあったそうで、担当しない地区は豊作を願って突入するのだと聞いた。
王の舞に続き獅子舞
田楽舞
最後に子供神輿が境内を賑やかに回って祭礼は終了した。
王の舞の後は少し人が減ったのでゆっくり見れた。
宇波西まつり 4月8日
午前3時~ 各区参拝神事
午前10時30分 例祭神事・式典
午前11時 浦安の舞
午前12時30分頃~ 王の舞
午後1時頃~ 田楽舞・獅子舞・子供神輿
宇波西神社
福井県三方上中郡若狭町気山
福井市に鎮座する藤島神社。御祭神は新田義貞公と弟、子ら。建武中興十五社のひとつ。
駐車場から少し戻り、二の鳥居から入る。
拝殿前で御神酒のふるまいが行われていた。
拝殿に参る。
前回の参拝が5年前なので、その間に随分変わったようだ。第61回神宮式年遷宮の神宝の徹下が当宮と福井県護国神社にあり、
その一部が拝殿左の神社会館に展示されている。今回は靴を脱がなくてはいけなかったので観覧は止めた。
本殿右にある境内社は摂社野神神社。
平成27年に第62回神宮式年遷宮の徹下材で建てられたもので、御祭神は義貞公の妻勾当内侍。平成21年に大津市の野神神社から分霊し、本殿に配祀されていた。
授与所で御朱印をいただく。正月期間は書き置きだったが、社紋以外に神紋が2つ増え、御朱印の配置が変わっている。
藤島神社
福井県福井市毛矢3丁目8−21
福井市に鎮座する毛谷黒龍神社。御祭神は高龗神、闇龗神、男大迹天皇。
昨年より正月限定の御朱印ができたようだったので参拝する。
3日になっても地元ナンバーを中心に多くの参拝者が来ていた。
今年は明治維新150年の節目の年で各地で事業が予定されているが、当宮は越前藩士由利公正の氏神であったらしい。
大絵馬は干支ではなく龍神。本殿前に参拝する行列ができていた。
授与所も行列になっていた。
拝殿前におみくじと破魔矢、御朱印のみの臨時授与所ができている。御朱印は見開き(500円)と通常(300円)の2種類で、記帳と書き置きの両方選べる。見開きは御朱印帳だと中央が少し欠ける。
御朱印に時間がかかるので、その間に拝殿に参る。
拝殿前の扁額は当地の国会議員で内閣総理大臣になった岡田啓介氏による揮毫。
毛谷黒龍神社
福井県福井市毛矢3丁目8−1
越前市に鎮座する日野神社。御祭神は継体天皇、安閑天皇、宣化天皇の三柱。
何度か参拝しに来たが、やはり宮司に会うことができなかったので正月なら会えるかと参拝した。
境内には藁にくるまれたものが・・・左義長の準備?
冬支度された拝殿に参る。
鏡餅が供えられた拝殿に氏子の方がいらしたので話を聞いてみた。
聞いたところによると、先代宮司が3年前に亡くなり役所勤めの後継ぎが宮司とならなかったため、それ以来氏子総代が神事を代行しているという。定年後に宮司となるかどうかも分からず、御朱印は難しいそうだ。氏子も年老いたものが多くなったので、正月飾りや供物も今日の13時から下げてしまうそうだ。
作業まで少し時間があったのでさらに少し話をしてきた。地元石川では初詣は、住んでいる場所が加賀なら白山比咩神社、能登なら氣多大社、つまり一宮が一番だと思っている方が多いのだが、ここでは氣比神宮へ行くこともあるのか疑問だった。聞くと、二宮となる劔神社なら行くこともあるという。滋賀の多賀神社や伊勢神宮に遠出することもあるといい、石川でも厄年には行くこともあるので同じだった。越前一宮は敦賀市で南の端で山越えになるためどうなのだろうか?と思っていたが、越前市でそうなら、福井市や坂井市ならなおさらであろう。
と話をしている間に氏子の方が集まってきたので邪魔にならないように退散してきた。
普段戸が閉まっていてよく見えなかった拝殿内の扁額が見えた。龍の彫刻で縁取りされたもので、社名は越前藩16代藩主の松平慶永(春嶽)公の揮毫による。
帰りに破魔矢をいただいた。
紙の裏に朱印が押されていた。
地方の神社では神職のみで生計を立てることが難しいことが多く、以前より兼職として教員や役所勤めする人が多い。ただ、戦後公務員は兼業禁止が原則となり後継を断念することも増え、神事の継続や神域の整備が困難になってきている。今回の参拝はこうした事例をまた再認識させられる出来事だった。
日野神社
福井県越前市中平吹町字茶端80-1
勝山市に鎮座する平泉寺白山神社。
降りしきる雪の中の参拝。正月の参拝はもう何年目になるか。
今年はさらに雪が少ない。降ればどっと積もるのだろうが、今日は高い段差の階段が一部見えるほどだ。
三社の本殿に参る。昨年白山開山1300年の記念年で賑わった境内は静寂を取り戻した。
社務所で御朱印をいただき、最終周となる白山三馬場めぐりのクリアファイルをいただく。
御朱印からは「白山開山1300年」の印が消え、元に戻った。
クリアファイルは最後の1組だった。三馬場めぐりは3月末まで続くが、予定数が白山比咩神社、長瀧白山神社はすでに終わり、平泉寺白山神社でも自分で終了した。いただけて良かった。
平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺
永平寺町に鎮座する明神社。主祭神は天照皇大神。
正月なら御朱印を授与しているか確認できると思い参拝し、授与してないことを確認した。
正月らしく飾り付けられた境内。
左手の境内社、河濯神社(瀬織津比売神)と稲荷神社(豊受神)も扉が開けられているのも正月ならでは。
拝殿前には無人授与所が設けられている。
拝殿に参る。正月なので拝殿の扉も少し開いていた。
正面の本殿。神社の由緒書きによると、秋葉社(火産霊神)、菅原社(菅原道真公)、庚申社(猿田彦神)、白山社(伊弉諾神)の四社を合祀したとしている。
しかし、拝殿をよく見ると、本殿右に「八幡社」と「毘沙門天宮」
本殿左に「秋葉社」と「神明宮」と書かれた扁額がかかる。
こういう場合、合祀社を別々に祀っていることが多いのだが、江戸時代は「毘沙門堂」、明治時代は「神明社」と呼ばれていたというので、「毘沙門天宮」「神明宮」は主祭神と同じものか?「秋葉神社」は合祀社の一社だが、「八幡宮」は書かれていない。「菅原社」と「白山社」はどこにもないと何だか不思議な配置だ。
明神社
福井県吉田郡永平寺町松岡椚57-12
旧織田町に鎮座する劔神社。御祭神は素盞嗚大神、氣比大神、忍熊王。
越前二の宮で延喜式敦賀郡剱神社の論社。
今日は雨の中の参拝となりました。新しくなった北口から参ります。
拝殿に参る。
御朱印をいただき、境内を散策していると、表鳥居近くの庚申宮で紅葉を見つけた。
晩秋の静かな境内でした。
劔神社
福井県丹生郡越前町織田金栄山
若狭町に鎮座する常神社。御祭神は神功皇后を主祭神とする。延喜式三方郡の比定社。
常神半島を通る道路以外は深い森の広がる中、一番奥の集落より手前に鎮座する。
入口に「式内 常神社」の社号標が建ち、鳥居と手水舎が並んで建つ。
鳥居をくぐると、右手に社務所?が建つ。屋根の隅に据えられた波を表現したような鬼瓦は手水舎にも同じものが上がっていた。
二の鳥居には「常神社」の扁額がかかり、階段の先に社殿が建つ。
階段を上るとギリギリに拝殿が建つ。
拝殿に参る。鈴の紐が多い。
拝殿と本殿前に「常神社」の扁額がかかる。
奥行きギリギリに建てられた拝殿と本殿
下の境内には宝物殿が建つ。
宝物殿前にコンクリート製の倉庫か何か?と思ったら
中に五輪塔や宝篋印塔が数基納められていた。もともと境内にあったものか、周辺から集められたものか、いずれにしても信仰の深さを感じる。道路から見ると反対側なので気づきにくい。
常神社は常神半島の先端に浮かぶ御神島にもともと鎮座していたという。御祭神の降臨地として旧来信仰対象となってきた。
実は常神社に向かう途中、行き過ぎて先端まで行ってしまった。
折角行ったので狭い路地を抜け「常神のソテツ」を見に行った。
樹齢千年以上と言われる大蘇鉄で、日本北限にあたる。自生か植栽かははっきりしないというが、常神社の信仰にも関係していたのかと想像が膨らむ。
常神社
福井県三方上中郡若狭町常神10-2
小浜市に鎮座する彌和神社。御祭神は三輪大歳彦明神。延喜式遠敷郡の論社。
旧上中町に隣接する小浜市宮川地区にあり、六地蔵堂の横に「式内 彌和神社」の社号標が建つ。
神社は拝所があるのみ
裏手にまわると地区の氏神の八幡神社が鎮座する。彌和神社も八幡神社の氏子により整備されている。
階段の最初の踊り場に境内社が1社と、「権現の神」と書かれた宝篋印塔がある。
次の踊り場には「愛宕神社遥拝所」と書かれた小祠。
中腹の平場には八幡神社本殿の入った覆屋。
八幡神社本殿
帰りにあらためて拝所を見る。山の麓に山に向かって設けられている。
野木山という343.6mの山だが、地元では大戸山とも呼び彌和神社の御神体山のようだ。
彌和神社
福井県小浜市加茂19-11