「38愛媛県の神社」カテゴリーアーカイブ

伊予宇摩 村山神社

村山神社

四国中央市に鎮座する村山神社。御祭神は天照皇大神、斉明天皇(天豊財重日足姫命)、天智天皇(天命開別命)、天児屋根命。延喜式宇摩郡の比定社。

村山神社

境内への入口は南向きだが、社殿は東向き。社前の道は讃岐街道。入口に「縣社村山神社」と「延喜式内明神大社村山神社」の2つの社号標が建つ。

村山神社

少し坂を下ると鳥居

村山神社

中間に神門が建つ。

村山神社

神門には木造の随神が収められている。

村山神社

神門をくぐると拝殿前にお宝塚がある。

村山神社

石垣に囲まれた小山で、天皇の御陵所とも言われる。神域は斉明天皇が百済救援の道中滞在した磐瀬の行宮と伝えられ、その後長津と地名を改称したため長津宮と別称される。

村山神社

御神木のホルト

村山神社

拝殿に参る。

村山神社

神明造の本殿

村山神社

本殿左に境内社。脇に石鎚神社の石標があるが別のようだ。

村山神社

拝殿右に3つの境内社。一番奥が諏訪社だけ読み取れる。

村山神社

本殿右に一社と石祠

村山神社

お宝塚と拝殿の間にも一社ある。いただいた神社由緒によれば、境内社は出雲社、合祀社、天満宮、八坂社、愛宕社、諏訪社、水神社、慰霊社の八社あるというが、石祠を覗くとすべては見ていない。
宮司宅が北隣にあり、訪ねて御朱印をいただいた。

村山神社
愛媛県四国中央市土居町津根1865

伊予宇摩 土居神社

土居神社

四国中央市に鎮座する土居神社。三代実録記載の井河神の論社のひとつ。
御祭神は明治の神社合併で、入野の住吉神社、浦山の奥姫神社、畑野の大元神社の三村社を合祀し、表筒之男神、中筒之男神、底筒之男神、神功皇后、大山積神、高龗神、大雷神、多岐理比売命、天之御中主神の九柱。

土居神社

駐車場はないので近くの四国中央市土居庁舎に停め、歩くと境内入口だった。まだ参道は東に長く延びていたので、参道入口まで戻る。入口に鳥居と社号標。

土居神社

社殿は東向き。

土居神社

境内前や中にたくさんの歌碑が奉納されている。

土居神社

境内の南に整備された神苑、その先に聳えるのは二ツ嶽。そこに源を発する浦山川の下流に広がる「すすぎが原」は、往古「入野のはら」に鎮座する歌神住吉明神として崇敬を集めてきた。明和2年に入野の俳人関卜と、その子時風らによって名所「入野のはら」が「歌枕の入野」として顕彰されると、多くの文人、墨客の立ち寄る俳諧の苑となったという。

土居神社

拝殿に参る。

土居神社

拝殿内に入ることもでき、中に住吉明神の頃の絵馬が掛かっていた。

土居神社

本殿

土居神社

拝殿右に旧本殿の合祀殿。祀られるのは元宮の住吉大明神四柱の他境内末社の、三嶋神社、喜之戸神社、荒神社、七福神、十二社権現、辨天社、風留神社、神之木神社、国吉神社、今霊神社、三大妙現、天神宮。

土居神社

また旧拝殿も改修されて参集殿として残っている。

境内の北隣に宮司宅がある。御朱印をお願いすると神事の準備中だったというお忙しい中対応していただいた。待つ間に、境内の歌碑を一回りする。

土居神社
愛媛県四国中央市土居町入野196

伊予新居 黒嶋神宮

黒嶋神宮

新居浜市に鎮座する黒嶋神宮。御祭神は大山祇神、木花咲耶姫命、天御中主神。延喜式新居郡黒嶋神社の比定社。

黒嶋神宮

現在は地続きになっている黒島だが、西側を工業地域として埋め立てした結果であり、東には大島が沖に浮かんでいる。

黒嶋神宮

港沿いに路地を入っていくと道はだんだん狭くなっていく。神社前の参道に「式内 黒嶋神宮」の社号標が建つ。

黒嶋神宮

境内へは階段を上っていく。

黒嶋神宮

一区切り階段を上ると右手に社務所がある。参拝後に寄ってみたが留守だった。ちょうど境内の掃除を始める氏子の方がいたので、お話を聞くと数年前に宮司が亡くなったそうだ。今は氏子の方が交替で管理しているという。

黒嶋神宮

鳥居の先、階段の向こうに社殿が見える。鳥居の扁額は「黒嶋神社」。
平成13年3月の芸予地震で鳥居が崩壊し、1年で復興したようだ。

黒嶋神宮

階段を上がると社殿まで意外に広い空間が広がる。境内には天然記念物のツバキの群生林が広がる。

黒嶋神宮

拝殿に参る。

黒嶋神宮

賽銭箱の上に三色之宝珠

黒嶋神宮

拝殿左に鰐石。初め陰陽石かと思っていたが、秀吉の朝鮮出兵のときに黒島から参加した3名の水夫が持ち帰ったものという。

黒嶋神宮

本殿左に境内社の若宮神社

黒嶋神宮

本殿には凝った彫刻が施されている。

黒嶋神宮

参道右に境内社が並ぶ。

黒嶋神宮

天神社

黒嶋神宮

稲荷神社

黒嶋神宮

松尾神社

黒嶋神宮

石長姫神社

黒嶋神宮

本殿裏には猿田彦神社他、陶器の社がたくさん並んでいる。

黒嶋神宮

帰り、参道の先に三角形の秀麗な山が見えた。赤星山のようだ。

黒嶋神宮
愛媛県新居浜市黒島107

伊予東温 徳威三嶋宮

徳威三嶋宮

東温市に鎮座する徳威三嶋宮。御祭神は鹿屋野比賣神、大山積神、雷神、高龗神。三代実録記載の徳威神の論社。

徳威三嶋宮

内川にかかる由流宜橋を渡り、ゆるぎ公園の中を参道が延びる。橋を渡ったところに社号標

徳威三嶋宮

公園を抜けると、境内入口に鳥居と社号標

徳威三嶋宮

境内に入ると、左手に社務所。普段は無人のようで、宮司宅が裏にあるらしい。御朱印について尋ねたかったが、朝早かったので遠慮する。

徳威三嶋宮

参道の先、小さな神橋を渡り、社殿に至る。

徳威三嶋宮

拝殿はサッシで囲まれているが、開いたので中で参る。

徳威三嶋宮

木をそのまま割ったような扁額。拝殿の上には何枚もの絵馬が飾られている。

徳威三嶋宮

中に数枚、三十六歌仙がある。神社には明治34年に奉納され、文化財指定されている三輪田米山筆、藤田先蔵画の三十六歌仙絵馬が35枚あるというが、その一部だろうか。

徳威三嶋宮

御垣の中に本殿が建つ。

徳威三嶋宮

見ると左右に一社ずつ社が建っている。この2社は神社案内では境内社にカウントされていない。

徳威三嶋宮

神社は慶雲三年国司越智玉興が大三島から三神を勧請して上津社・中津社・下津社の三社を祀って「徳威三島神」と崇めたのを、寛永四年に松山藩主蒲生忠知が上津社・中津社を下津社に合祀したという。
よく見れば、この配置は大三島の大山祇神社と同じ配置であり、本殿の右に上津社、左に下津社ということであろう。

徳威三嶋宮

境内社は拝殿左にいずれも建つ。夷子神社

徳威三嶋宮

夷子神社の左奥に行くと十二社神社

徳威三嶋宮

境内の西端に五社の境内社が並ぶ。左から2番目には「祓戸四柱大神」と書かれているが、他は読めない。神社案内によると、残る境内社は龍神社、市之宮神社、和霊神社、荒神社、野田神社のいずれかとなる。

徳威三嶋宮

境内の東側に歌碑が奉納されている。

徳威三嶋宮
愛媛県東温市野田1丁目20番地11

伊予松山 波賀部神社

波賀部神社

松山市に鎮座する波賀部神社。御祭神は大山積命、雷神、高龗神を主祭神とし、寛王命を配祀する。
聖武天皇の御代に伊予の豪族越智玉純が大三島から勧請し石井郷一宮三島大明神と称す。後に嵯峨天皇の皇子寛王が、伊予国司として赴任しこの地で亡くなった折、神社の傍らに遺骸を葬り神霊を合祀したことから、社号を墓邉神社と改称したが、墓の字を忌み波賀部神社と改めたという。

波賀部神社

神社への参道、社殿ともに南向き。参道入口に鳥居、社号標「國史見在 波賀部神社」。三代実録記載の墓邊神の論社。

波賀部神社

参道沿いに並ぶ木は丸くきれいに剪定されている。

波賀部神社

社殿裏の森は松山市内最大の前方後円墳であり、古墳時代後期の首長墓である。

波賀部神社

拝殿に参る。

波賀部神社

拝殿左に境内社の生目神社(左)と金刀比羅神社(右)が並ぶ。

波賀部神社

本殿左には朝日社(左)と床浦神社(右)が並ぶ。

波賀部神社

拝殿後ろ御垣内に本殿

波賀部神社

本殿右には神輿庫

波賀部神社

拝殿右には一事神社(左)と太刀打神社(右)が並ぶ。

波賀部神社
愛媛県松山市高井町1067

伊予松山 天一神社

天一神社

松山市に鎮座する天一神社。御祭神は天之御中主神、奈賀神、水波之女命、伊邪那岐命、速開都姫命、 天吉葛命、少童命、比女神。三代実録記載の井河神の論社。

天一神社

今治から松山への山越えになる国道317号線沿いに「天一神社」の社号標が建つ。

天一神社

山の方に歩いて行くと途中に灯籠が建っている。

天一神社

集落の端に鳥居が建ち、階段を上っていく。

天一神社

深い杉の森の中、時間帯によっては薄暗い境内。入口に狛犬が建っている。

天一神社

拝殿に参る。

天一神社

戸がなく開放的拝殿。扁額は「天一神宮」となっていて地元には神宮と呼ばれているようだ。

天一神社

武家からの崇敬が篤かったいい、絵馬は武者絵が多い。

天一神社

祈雨に霊験があるとされ、祈雨祭が幾度と行われたといい、平成6年にも祈雨祭が行われたようだ。

天一神社

三十六歌仙の奉納額も掛かっている。

天一神社

本殿

天一神社

拝殿右に小さな池がある。湧き水であろうか。

天一神社

境内社は龍神社、御祭神は闇龗神。

天一神社

一段下には伊予十三佛の圓福寺がある。

天一神社
愛媛県松山市藤野町91

伊予今治 大野神社

大野神社

今治市に鎮座する大野神社。御祭神は大山積命、上津姫命、下津姫命を主祭神とし、大穴牟遲命、少毘古那命を配祀する。延喜式越智郡大野神社の論社。

大野神社

今治市街から松山へ向かい、山の方へ進むと、集落の中に鎮座する。道路の左(南)側には川が流れる。山手の斜面を利用して境内が広がる。

大野神社

階段を上らなければいけないが、結構急な階段だ。

大野神社

階段の途中の段に社号標が建つ。「式内明神 大野神社」

大野神社

階段途中の鳥居をくぐる。

大野神社

拝殿に参る。

大野神社

左方に境内社が一社。扉は7つあり右から大山積神、大山咋神、天満宮、大己貴神社、幸神社、とまつられる神が書かれているが一番左だけ書かれていない。

大野神社

本殿左には水は流れていないが神苑のような雰囲気が残る。

大野神社
愛媛県今治市玉川町大野字森37

伊予今治 大須伎神社

大須伎神社

今治市に鎮座する大須伎神社。御祭神は少那毘古那命、阿遅鋤高日子根命、伊邪那美命、熊野忍隅命、品陀和気命、息長帯姫命。延喜式越智郡大湏伎神社の比定社。

大須伎神社

集落の中、山麓に階段が続き、社号標が建つ。由緒書もあるが植木が大きくなって埋もれている。

大須伎神社

少し上ると伊予熊野社の社号標。伊予熊野社は初代藩主久松定房公以来祈祷所として崇敬篤く、明治44年に合祀する。

大須伎神社

小林八幡神社は国司玉純公の崇敬篤く、やはり明治44年に合祀される。

大須伎神社

参道の途中「河上安固の腰掛岩」という霊石あり。河上安固は宝暦年間、権現山のこの岩の上に座って蒼社川の流れを調査し蒼社川治水を成し遂げた方という。

大須伎神社

鳥居をくぐってまだまだ参道は続く。

大須伎神社

ようやく階段の先に社殿が見えてきた。

大須伎神社

と階段の左方に神門が建っている。参道に建っていないので見逃しそうになるが、中の奉納額を見ると、神仏習合時の仁王門であったらしい。

大須伎神社

正面上部に3枚の神様の奉納額。三宝大荒神と書かれた中央の神は阿修羅のようだ。左の貴船神社は千手観音、右の出世毘沙門天は左手に仏塔を持っている。

大須伎神社

現在仁王はいないが、暗がりに目を凝らすと三十六歌仙の奉納額が並んでいる。

大須伎神社

注連縄鳥居の先に狛犬、社殿が建つ。

大須伎神社

狛犬は目と口と爪が彩色されていて独特な雰囲気がある。

大須伎神社

拝殿に参る。
拝殿に宮司宅の電話番号が書いてあったが、時間があまりなかったので御朱印を確認していない。

大須伎神社

拝殿の鬼瓦は龍の上に獅子が逆立ちしているようだが、非常に凝った彫刻になっている。

大須伎神社

屋根下の彫刻も獅子と、下は「瓢箪から駒」の故事のようだ。

大須伎神社

石橋で渡る本殿は独立している。

大須伎神社

本殿左からさらに参道が延び、赤い鳥居が建っている。

大須伎神社

右に無数の石祠が並べられている。

大須伎神社

山頂付近に稲荷神社が建っている。藤堂高虎公が伏見稲荷神社から勧請し今治城内に祀ったが、久松定房公がここに遷座したという。社殿近くに雨乞石が祀られている。

大須伎神社
愛媛県今治市高橋乙358-3

伊予今治 大浜八幡大神社

大浜八幡大神社

今治市に鎮座する大浜八幡大神社。御祭神は乎致命、饒速日命、天道日女命、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、市杵島姫命、大穴牟遅神。三代実録記載の門島神の論社。

大浜八幡大神社

港に向かって延びる参道に2つの鳥居が建つ。一の鳥居の扁額は「八幡宮」、石清水八幡宮の扁額の写しで鳩八になっている。二の鳥居の扁額は「大濱八幡宮」

大浜八幡大神社

社前には来島海峡が広がり、しまなみ海道が見える。

大浜八幡大神社

参道を進むと、階段を上って境内に入る。

大浜八幡大神社

正面に建つのは「大濱八幡神社」の社号標

大浜八幡大神社

その横に伊予地方開拓の祖神、乎致命の像が建つ。

大浜八幡大神社

右に一段上がって社殿が建つ。

大浜八幡大神社

拝殿に参る。

大浜八幡大神社

貫や木鼻には波の彫刻がある。海に近いということもあろうが珍しい。

大浜八幡大神社

拝殿にはたくさんの奉納額が掲げられている。

大浜八幡大神社

境内に隣接して大きな溜池がある。中央の木に止まるのは海鵜か

大浜八幡大神社

境内社の杵築神社、御祭神は大穴牟遅神。

大浜八幡大神社

その左に潮富貴神社、御祭神は瀬織津姫神、速開津姫神、気吹戸主神、大宮能売神。

大浜八幡大神社

神輿庫には

大浜八幡大神社

大小の神輿や獅子頭が収納されていた。

大浜八幡大神社

境内には伊藤博文公の像も建つ。伊藤博文公は越智氏族に連なるらしい。

大浜八幡大神社

溜池を挟んで対岸に建てられている「越智氏族発祥之地」の石碑

大浜八幡大神社

参道口の社務所は留守であり、もう一軒手前の宮司宅を訪れて御朱印をいただいた。

大浜八幡大神社
愛媛県今治市大浜町3-1-9

伊予今治 吹揚神社

吹揚神社

今治市の今治城内に鎮座する吹揚神社。御祭神は天照大神、八幡大神、事代主神、大己貴神、厳島大神、藤堂高虎公、久松定房公。
今治市内に鎮座していた神明宮、蔵敷八幡宮、厳島神社、夷宮の四社を明治5年に合祀した。今治藩初代の藤堂高虎公と続く松平久松家祖神を後に奉還する。

吹揚神社

駐車場のある鉄御門に続く北側の道の入口に社号標が建つ。

吹揚神社

場内の東南に神社は鎮座する。鳥居をくぐり階段を上ると復元された城門をくぐる。

吹揚神社

昭和20年の空襲と昭和55年の放火の二度焼失し、再建された社殿はまだまだ新しい。

吹揚神社

拝殿に参る。

吹揚神社

本殿

吹揚神社

本殿右に鹿香神社。建築業の祖神を祀る。

吹揚神社

拝殿右に土居神社。祀るのは住吉大神か。

吹揚神社

本殿左には稲荷神社。宇迦之御魂神を祀る。

吹揚神社

境内の東端には住吉神社。入口には「猿田彦神社」と「交通守護 住吉神社 海神社 猿田彦神社 天満宮」の二本の社号標が建つ。住吉大神、猿田彦大神、菅原道真公を祀る。

吹揚神社

境内には授与所がある。授与所で御朱印を尋ねると、城内に社務所があるという。確かに案内図には今治城天守を挟んで西側に社務所が記載されている。城内に建つ少し不釣り合いな住宅が社務所。今治城に来て訪ねる方はほぼいないと思うが、伺って御朱印をいただく。

吹揚神社

天守にも上り、眼下に神社を見る。

吹揚神社
愛媛県今治市通町3丁目1-4

伊予今治 姫坂神社

姫坂神社

今治市に鎮座する姫坂神社。延喜式越智郡の論社。御祭神は市杵嶋比賣命。

姫坂神社

浅川に赤い高欄の橋が架かる。宮前橋とされているようだ。

姫坂神社

参道沿いは公園になっており、大鳥居が建っている。右手に藤棚があり、ちょうど見頃だった。

姫坂神社

社号碑には「式内大社」の銘

姫坂神社

公園の隅に大きな石灯籠が両側に建ち、境内が見えてきた。

姫坂神社

鳥居のそばに「明神大」と入った社号標。明神大社だったとする写本もあるが、そうでないものもあり不確定なようだ。

姫坂神社

階段を上ると右に折れて社殿が建っている。

姫坂神社

拝殿に参る。

姫坂神社

本殿は御垣に囲まれている。

姫坂神社

本殿の後ろにまわると、裏にも拝所が設けられている。

姫坂神社

本殿の左に大己貴神社、大山祇神社、山王神社の合祭境内社。
当宮は日吉郷(市制施行当時の今治市)の一の宮であったそうで、山王神社は産土神だったようだ。

姫坂神社

反対側には陶器製の小祠が並ぶ。狐が置かれているので稲荷社だろうか。

姫坂神社

入口に戻り、右に青木神社。御祭神は少彦名神で、もとは青木通りに鎮座していたという。

姫坂神社

咳の守護神として草履を納めて祈願するのが風習という。

姫坂神社

境内に隣接して社務所兼自宅が建っている。ここで当宮と多伎神社の御朱印をいただく。

姫坂神社

社務所の横に稲荷神社が建つ。

姫坂神社
愛媛県今治市宮下町3

伊予今治 樟本神社

樟本神社

今治市に鎮座する樟本神社。延喜式越智郡の比定社。御祭神は素盞嗚命を主祭神とし、皇女神を合祀する。

樟本神社

住宅地の中に境内を見つける。

樟本神社

社前に建つ社号標には「式内明神」と書かれているが、明神は誤記か?

樟本神社

境内に入ると参道に鳥居がいくつも建っている。最初の鳥居の横の右に樟本神社の社号碑が建つが、

樟本神社

左の石碑は何と書かれているのか?読める部分は「○飛堂宮」だろうか。

樟本神社

さらに進むと柑子女神社の石碑。明治以前は樟本神社は柑子女神社の末社であったといい、当地の産土神は柑子女神社のほうだったらしい。明治に入り、式内社の知名度に頼った(幣帛のためだろうか)のか本末が逆転したのか。

樟本神社

手水の中には天保三年の銘のものもある。

樟本神社

拝殿に参る。

樟本神社

本殿

樟本神社

本殿の左に境内社が一社。

樟本神社
愛媛県今治市八町西2-5-1

伊予今治 多岐神社

多岐神社

今治市に鎮座する多岐神社。延喜式越智郡の比定社で明神大社。御祭神は多伎都比賣命、須佐之男命、多伎都比古命、大己貴命。

多岐神社

山へと向かう集落の途中。祭りのようだ。

多岐神社

上り坂を行くと赤い鳥居が見えてくる。神旗も立てられている。

多岐神社

赤い鳥居をくぐると左手に杯状穴(性穴)遺構。陰陽石のひとつ。

多岐神社

さらに禰宜屋敷古墳群。案内板の建つ1号墳は半分道路により欠けており、石室の石積みが露わになっている。

多岐神社

道路右手に社務所か参集殿らしき建物。この広い場所がかつて禰宜屋敷のあった所だろうか。

多岐神社

車道の左に狭い道路がもう1本通り、鳥居が建っている。

多岐神社

振り返ると倉庫のような建物の脇に続いて集落へ下りていく。かつての参道だろうか。車道は途中から旧参道とは違うルートで通されたようだ。

多岐神社

鳥居から数十メートル上ると川を挟んで左手に境内が広がる。

多岐神社

橋を渡って境内に入ると松茸石という陰陽石がある。先の杯状穴遺構と対になっているものか。

多岐神社

拝殿に参る。

多岐神社

拝殿に貼り紙がしてあった。昨日今日と祭礼日だったようだ。昨日は神輿と獅子舞、今日は午後から神楽があるようだ。

多岐神社

本殿

多岐神社

参道の右手(山手)に境内社が並ぶ。入口から一番奥から天満神社

多岐神社

越智神社

多岐神社

境内を横切る小川を渡り、一宮神社

多岐神社

小さな石祠がたくさん並んでいる。

多岐神社

清水神社。奥には多伎神社古墳群への入口がある。拝殿裏手から山手に15基ほどの古墳があるという。

多岐神社

帰り道。集落の違う道を行くと途中、お旅所のひとつを見つけた。上と下の2つの内いずれかは分からない。
多伎神社は次に向かう姫坂神社の兼務社なので、そちらで御朱印をいただいた。

多岐神社
愛媛県今治市古谷乙47

伊予今治 伊加奈志神社

伊加奈志神社

今治市に鎮座する伊加奈志神社。延喜式越智郡の比定社。御祭神は五柱命、五十日足彦命、伊迦賀色許男命。

伊加奈志神社

広い道沿いに鳥居を見つける。付近を見渡してみたところ神社は見当たらない。鳥居は目印として道路沿いに建てられたもののようで、右奥の狭い道路を進むと入口を見つけた。

伊加奈志神社

道路は狭く駐車できないので、近くの空き地に停め境内に入る。

伊加奈志神社

社号標にも「延喜式内」と入る。

伊加奈志神社

境内内の鳥居の前に狛犬

伊加奈志神社

長い階段を上ると少し広くなった場所に出て、奥に社殿が見える。

伊加奈志神社

手水には「天保三年」の銘が入る。

伊加奈志神社

拝殿は開いたので中で参拝する。

伊加奈志神社

正面に社号の扁額が掛かる。右に絵馬は僧のようで、左は女性の足下に猫か犬か?いずれも退色して画題がよく分からない。

伊加奈志神社

本殿

伊加奈志神社

本殿の左に境内社が並んでいる祠が建つ。

伊加奈志神社

左から山神社、厳島神社、荒神社。

伊加奈志神社
愛媛県今治市五十嵐字上ノ山甲634

伊予今治 野間神社

野間神社

今治市に鎮座する野間神社。延喜式野間郡唯一の式内社で明神大社。御祭神は飽速玉命、若彌尾命、須佐之男命、野間姫命。

野間神社

橋を渡ると鳥居が建ち、駐車場となっている。

野間神社

鳥居をくぐると左手に猿田彦大神社。

野間神社

右に社務所があるが無人で、向かいに自宅がある。今日は宮司が不在で御朱印はいただけなかったが、3日前が例祭日だったそうだ。当宮の継ぎ獅子は県内でも有名だと聞く。

野間神社

神門。随神と禍を直す神が祀られている。

野間神社

右に神直日神と豊磐間戸神

野間神社

左に大直日神と櫛磐間戸神が祀られている。

野間神社

神門をくぐると小さな境内社がある。当宮の境内社に厳島神社とあるが、他に宮が見当たらないのでここなのか?
でも位置的には祓宮だろうか。

野間神社

階段を上っていく。

野間神社

拝殿が開いたので中で参拝する。

野間神社

社号扁額には「権中教正末井忠見謹書」とある。権中教正は明治初期の教導職の階位なので、県内の神職だろうか。

野間神社

明治三九年奉納の「乃万八景」という絵馬が興味深い。
1.乗禅寺櫻
2.学校
3.延命寺杜鵑花(とけんか。サツキツツジのこと)
4.野間神社古松
5.地福寺銀杏
6.瑞泉寺萩
7.金剛寺はし紅○(最後が読めなかった)
8.野間寺寒紅梅

当宮は古松で有名だったようだが、今はほとんど見られない。

野間神社

本殿の後ろに宝篋印塔がある。かつて下方の谷間にあったものを移したもの一部後補だが、鎌倉期の作とされる。

野間神社

宝篋印塔のとなりには九社権現と十二社権現の二社が祀られている。

野間神社
愛媛県今治市神宮699

伊予北条 櫛玉比売命神社

櫛玉比売命神社

旧北条市に鎮座する櫛玉比売命神社。御祭神は天道姫命を主祭神とし、御炊屋姫命を配祀する。延喜式風早郡の論社。

櫛玉比売命神社

國津比古命神社の向かいに階段があり、前に「延喜式内 櫛玉比売命神社」の社号標が建つ。

櫛玉比売命神社

参道の途中左手に和霊神社が建つ。

櫛玉比売命神社

短い階段の先に手水舎と社殿が見える。

櫛玉比売命神社

拝殿に参る。

櫛玉比売命神社

本殿は玉垣に囲まれている。後方には前方後円墳があるという。

櫛玉比売命神社

拝殿右に素鵞社、素盞嗚尊が祀られている。

櫛玉比売命神社

境内に入ってすぐ右手に社務所が建つ。参拝後に訪ねて二社の御朱印をいただいた。

櫛玉比売命神社

帰る頃に雨が少し小降りになってきた。鳥居を出ると参道の先に瀬戸内海に浮かぶ秀麗な鹿島が見えた。

櫛玉比売命神社
愛媛県松山市高田702

伊予北条 國津比古命神社

國津比古命神社

旧北条市に鎮座する國津比古命神社。御祭神は天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊を主祭神とし、宇麻志麻治命、物部阿佐利命、誉田別命を配祀する。延喜式風早郡の論社。

國津比古命神社

松山市街から海沿いに北に進む。西の瀬戸内海に向かって鎮座し、少し手前に大鳥居が建つ。

國津比古命神社

右手前に「本朝守護式内明神」の石碑が建つ。

國津比古命神社

鳥居から数十メートル進むと境内の入口。鳥居をくぐり階段を上っていくと左手に國津比古命神社、右手に櫛玉比売命神社が向かい合って鎮座する。

國津比古命神社

鳥居前に「本朝守護式内明神 両社鎮座」の石碑、入って手水舎の横に「式内明神両社千年祭之碑」の石碑が建つ。ともに幕末から明治にかけて活躍した伊予の能書家の揮毫によるもので、前が松山藩の儒家であった日下伯巌、後ろが日尾八幡神社の神官であった三輪田米山による。

國津比古命神社

「延喜式内 國津比古命神社」の社号標が建つ。

國津比古命神社

境内に入ると左手、手水舎の後ろに忠霊塔が建っている。

國津比古命神社

境内を囲う玉垣には「式内明神両社千百年祭之碑」が建ち、芳銘板がずらりと並ぶ。平成9年3月に斎行されたようだ。

國津比古命神社

階段を上って進むと大きな八脚門。

國津比古命神社

前の左右に笏を持った役人のような木像が立っている。随神像とは違うようだ。

國津比古命神社

後ろにかつて石鳥居に掲げられていた石額が残されている。延宝九年のもので、「國津彦命 櫛玉姫命」と刻まれている。石額名が違名であるので取り外された、と説明にあるが、要は「神社」がなく、比古と比売が異字であったということだろうか。

國津比古命神社

八脚門の左には神楽殿

國津比古命神社

右には金比羅宮が建つ。

國津比古命神社

金比羅宮の前には真名井の井戸がある。

國津比古命神社

さらに右手に斎館が建つ。

國津比古命神社

八脚門をくぐるとさらに階段を上り、先に拝殿が見える。

國津比古命神社

拝殿に参る。

國津比古命神社

拝殿左に稲荷社

國津比古命神社

本殿を後方から見上げる。

國津比古命神社

拝殿右には小さい祠が並ぶ。

國津比古命神社
愛媛県松山市八反地106

伊予松山 高縄神社

高縄神社

松山市に鎮座する高縄神社。御祭神は大山積神、高龗神、鳴雷神。三代実録記載の高縄神の比定社。

高縄神社

高縄山の麓に鎮座する社殿から西の海へ車道を兼ねた長い参道が続く。かなり手前に一の鳥居が建つ。右に「縣社 高縄神社」、左に「式外旧社 推古帝勅願所 高縄神社」の社号標が建つ。

高縄神社

途中に狛犬が迎えてくれる。

高縄神社

境内へは最後に階段を上っていく。

高縄神社

振り返れば瀬戸内海。今にも雨が降りそうな天候

高縄神社

門(随神門だろうか)をくぐると正面に拝殿

高縄神社

左方に絵馬殿

高縄神社

たくさんの奉納額が掲げられている。奉納年代も広く、長く崇敬を集めているようだ。

高縄神社

拝殿の左に建っているのは社務所と参集殿か

高縄神社

拝殿に参る。こちらにも絵馬が奉納されている。

高縄神社

高縄神社

拝殿右に稲荷社。豊受大神、倉稲魂神と祀る。

高縄神社

本殿は玉垣の中に建ち、拝殿とは幣殿でつながっている。

高縄神社

横長の社殿は御神像十六軀を奉安していたという十六王子社だろうか。 

高縄神社

その右に祖霊社が建つ。

高縄神社

左には祭具庫と境内社が一社。絵馬殿横にも一社あったが、いずれかが猿田彦命を祀る御先社、もう一社が金刀比羅大権現、須佐之男神、大山積神を祀る金刀比羅社だと思われる。

参拝途中、ついに雨が降ってきた。9時前だったので車中で少し待っていると、階段前の神職宅と思われる家の方が出てきたので御朱印について聞いてみた。高縄神社の神職は階段前のこの家と、上の溜池の奥にある家の2軒が交替で勤めていて、現在は溜池の奥の家が宮司を勤めているということだった。そちらを訪ねて御朱印をいただき、待っている間いろいろと話をさせていただいた。

高縄神社
愛媛県松山市宮内甲102

伊予松山 阿沼美神社

阿沼美神社

松山市に鎮座する阿沼美神社。御祭神は大山祇神、月讀神、高靇神、雷神。延喜式温泉郡明神大社阿治美神社の論社。

阿沼美神社

神社の西の集落内から長い参道が続く。集落の交差点に「郷社 阿沼美神社」の社号標と鳥居が建つ。社号標の後ろに樹齢三百年の大杉が聳えている。

阿沼美神社

道路の真ん中に建つ鳥居は嘉永二年の銘がある。

阿沼美神社

お宮山と呼ばれる丘陵の上り道には奉納碑が建つ。左の住宅が宮司宅のようだったが早朝なので遠慮した。

阿沼美神社

社叢に入ると、階段の前に鳥居。階段の先に社殿が見える。

阿沼美神社

階段前の左には地元出身者の慰霊碑が建っている。

阿沼美神社

大きな社殿だ。拝殿に参る。

阿沼美神社

注連縄も大きい。

阿沼美神社

拝殿右に「阿沼美宮得石額之碑」が建っている。天保四年に社前御幸橋を修理したとき地中から出土した石額あり、裏面に「延文五年」「願主岡田氏」と刻まれているという。

阿沼美神社

拝殿には扁額が多く掲げられている。

阿沼美神社

歌舞伎演目と思われる奉納額もある。

阿沼美神社

本殿も大きい。

阿沼美神社

拝殿左方の境内社、左から阿奈波大明神、稲荷神社、多賀大神宮の三社殿。

阿沼美神社

前に奉納された男根が複数ある。社殿右にも男根の陽石が奉納されている。

阿沼美神社

その右に貴布禰神社、十六皇子神社、神殿神社の三社殿が建つ。前に力石が奉納されている。

阿沼美神社

本殿の右方に社務所が建っている。ここまで道路が舗装されている。

阿沼美神社
愛媛県松山市平田町宮内983

伊予松山 日招八幡大神社

日招八幡大神社

松山市に鎮座する日招八幡大神社。御祭神は品陀和気命、息長帯姫命、宗像三女神。松山の八社八幡の五番社。
元慶年間に八幡神を合祀し、門島座石清水八幡宮と号したという。三代実録記載の門島神の論社。

日招八幡大神社

住宅地の中に社叢があり、参道も住宅の間の道路になってしまっている。一本の松がその名残か

日招八幡大神社

社前道路に石橋が埋まる。早朝だが近所の方が境内を掃除しに来た。

日招八幡大神社

保免獅子舞保存会と日招太鼓保存会の会員募集の案内が立っている。どこも伝統継承にも苦労していますね。

日招八幡大神社

境内入口に神門

日招八幡大神社

その横に「郷社 日招八幡大神」の社号標が建つ。最後の「社」はかつてあったのか、もともとなかったのか

日招八幡大神社

新しい拝殿。拝殿に参る。

日招八幡大神社

幣殿、本殿も新しい覆屋の中にある。

日招八幡大神社

拝殿の右前におとよ石が祀られている。松山城の築城で石を運ぶ仕事で、長い勤めで疲れていたおとよが一つ丸に二の字の入った大きな石を運び始め、よろめきながら日招神社のところまで来て倒れてしまったという。

日招八幡大神社

拝殿左側に境内社が並ぶ。左から山王大権現、祇園社、火鎮社、春日社

日招八幡大神社

拝殿右に佐々木社

日招八幡大神社

恵美須社、高良社

日招八幡大神社

金刀毘羅社

日招八幡大神社

一番東端に建つのは祖霊社

日招八幡大神社

境内の木はどれも大きい。開発される前は周辺にも森が広がっていたのだろうか

日招八幡大神社

境内の東に授与所と書かれたお宅があった。御朱印について聞いてみたかったが、早朝だったので遠慮した。

日招八幡大神社
愛媛県松山市保免西1-4-3

伊予松山 井手神社

井手神社

松山市に鎮座する井手神社。御祭神は大山祇神、木花開耶姫神、橘諸兄公、橘嘉智子皇后、橘清友公を祀り、五社大明神と呼ばれた。
往古、橘岡にあって大山祇神と木花開耶姫神を祀っていたが、橘清友が伊予国司となった際に橘氏の祖橘諸兄の神霊を配祀したという。

井手神社

元は石手川の左岸に鎮座していたが、慶長年間の河川改修で右岸へ移った。

井手神社

鳥居の先に社殿が建つ。

井手神社

拝殿に参る。

井手神社

拝殿には入れなかったが、「正一位井手神社」の扁額がかかる。橘諸兄公が生前いただいた官位を神社名に冠していて神階とは関係ないようだ。

井手神社

夕方5時を過ぎていたので、参拝後早々に社務所で御朱印をいただく。

井手神社

拝殿の左側に境内社が並ぶ。手前から橘天満宮、金刀比羅宮、厳島神社の三社相殿。

井手神社

橘天満宮の横に河野通有像が建つ。元寇で活躍した伊予水軍の大将として有名。

井手神社

祖霊社

井手神社

橘夷子神社

井手神社

祖神社、橘稲荷神社、素鵞神社の三社相殿。

井手神社

本殿の左には松山市指定文化財のにっぽんたちばなが満開だった。ミカン類唯一の日本固有種で、西海道と南海道にしか自生していないという。

井手神社

御垣内の本殿。幣殿はよく見えない。

井手神社

角に神輿庫が建つ。案内板では前にムクの大木があったようだが、切株が残るのみ。

井手神社

本殿の裏にイチョウの御神木があり、

井手神社

本殿右の御垣内にクロガネモチの木がある。

井手神社

参道を挟み社務所の反対側の庭に、天満宮一千年祭紀年碑と筆塚が建っている。

井手神社
愛媛県松山市北立花町2-4

伊予松山 雄郡神社

雄郡神社

松山市に鎮座する雄郡神社。御祭神は天宇受売命、品陀和気尊、帯中日子尊、息長帯姫尊。日本三代実録記載の神社で、いわゆる式外社。松山八社八幡の四番社で正八幡と呼ばれた。

雄郡神社

松山城あたりから歩いて行ったら、思いのほか距離があった。暑かったので待ち時間に近くのコンビニでアイスを買う。

雄郡神社

鳥居をくぐって参道を行くと神門が建つ。

雄郡神社

神門前の左に「左馬殿の松」との碑がある。左馬殿とは、左馬助の官位だった加藤嘉明のこと。お手植えの松だったらしいが昭和末期に枯死し、現在の松は二代目。

雄郡神社

拝殿に参る。

雄郡神社

拝殿には大きな絵馬がたくさん掲げられている。

雄郡神社

拝殿の右に金砂神社

雄郡神社

祠の下に福助人形がたくさん納められているが、どういう由来か分からない。

雄郡神社

金砂神社の右に愛宕神社

雄郡神社

拝殿の左に藤廼社

雄郡神社

藤廼社の近くに弁天社

雄郡神社

拝殿の左右から本殿を取り囲むように廻廊が巡る。

雄郡神社

廻廊には三十六歌仙の額や絵馬などがたくさん掛かっている。拝殿のものと合わせると、崇敬の篤さがうかがえる。

雄郡神社

本殿

雄郡神社

廻廊に潜水艦たけしおの正式参拝の写真が掛かっていた。たけしおは雄潮型と呼ばれる潜水艦らしく、確認できなかったが艦内神社として雄郡神が祀られているのかもしれない。

雄郡神社

境内の入口の参道左方に稲荷神社、祇園社、三光社が祀られている。

雄郡神社

境内には忠霊塔も建っている。

雄郡神社

駐車場には「雄郡小学校発祥之地」の碑が建っている。

雄郡神社

境内に隣接して社務所が建つ。参拝したときにちょうど祈祷が始まったので30分ほど待って御朱印をいただいた。

雄郡神社
愛媛県松山市小栗3丁目3-19

伊予松山 阿沼美神社

阿沼美神社

松山市に鎮座する阿沼美神社。御祭神は大山積命、高靇神、雷神、味耳命を主祭神とする。延喜式温泉郡の論社のひとつ。

阿沼美神社

もとは松山城のある勝山に鎮座し勝山三島大明神と呼ばれた神社という。

阿沼美神社

社前にもまっすぐに道路が延び、どこまでが参道だったのだろうか。

阿沼美神社

境内の参道も長く、市街地にあるにしては広い。途中に鳥居が建つ。

阿沼美神社

鳥居の横に「式内 阿沼美神社」の社号碑が建つ。

阿沼美神社

社殿の背後にビルが見えるにも、いかにも市街地の神社らしい。

阿沼美神社

拝殿に参る。中には入れなかったが、覗くと「延喜式内 阿沼美神社」の社号額がかかる。

阿沼美神社

社殿に隣接する授与所は無人だったので、隣の社務所兼自宅でお願いして授与所で御朱印をいただく。

阿沼美神社

拝殿の左手に稲荷神社

阿沼美神社

拝殿の右手に四社の境内社が並ぶ。

阿沼美神社

手前から伊余夷子神社

阿沼美神社

勝山八幡神社。松山八社八幡の八番社

阿沼美神社

味酒天満神社

阿沼美神社

金刀比羅神社

阿沼美神社

「一千年祭紀年碑」が建っていたが、いつから1000年だろうか。
創建は664年とされ1664年だと古すぎる、と思っていたら延喜式がまとめられた927年だったら1927年だから戦前で盛り上がったことだろう。

阿沼美神社
愛媛県松山市味酒町3-1-1

伊予松山 出雲大社松山分祠

出雲大社松山分祠

松山市に鎮座する出雲大社松山分祠。御祭神は大国主大神。

出雲大社松山分祠

出雲大社の御分霊を祀る会社でいうところの地方支店というところ。松山分祠は出雲大社の真南に位置するという。

出雲大社松山分祠

境内はかなり手狭な感じだが、社前の道路のため削られているのかもしれない。

出雲大社松山分祠

大国主大神は大黒天と習合されてきたため、伊予七福神の大黒天になっている。

出雲大社松山分祠

鳥居をくぐるとすぐ拝殿が建つ。拝殿に参る。

出雲大社松山分祠

拝殿にかかる注連縄は分祠でもやはり太い。
授与所で御朱印をいただいた。

出雲大社松山分祠
愛媛県松山市本町三丁目5-5

伊予松山 阿沼美神社旧地

阿沼美神社

味酒に鎮座する阿沼美神社は、もと勝山(標高132m)に鎮座していた。

阿沼美神社

加藤嘉明が松山城を築城する際に西側の味酒に遷座した。

阿沼美神社

現在本丸は広い空間となっているが、築城の際に削平された可能性もあり、正確な鎮座地はわからない。

阿沼美神社(旧地)
愛媛県松山市丸之内1

伊予松山 松山神社

松山神社

松山市に鎮座する松山神社。御祭神は徳川家康公、菅原道真公を主祭神とし、大己貴命、少彦名命を相殿に祀る。

松山神社

元和4年に加藤嘉明が伊佐爾波神社の境内に東照権現を祀る小祠を建てたのが創祀で、明和2年に久松松平家の8代定静が現在地に遷座した。

松山神社

神社は南向きに参道が延び、上り階段の途中に鳥居が建つ。

松山神社

鳥居をくぐり、階段途中の右手に社務所への入口がある。

松山神社

東照宮が現在地に遷座したのは松山城の鬼門を守護するためでもあったが、なるほど小高い境内地からは城下町の中心の丘に築城された松山城がきれいに望める。

松山神社

階段を上り終えると唐門が建つ。社殿を取り囲むように透塀が囲む。

松山神社

中に入り、拝殿に詣る。右には御供所の建物が建つ。

松山神社

左にまわり本殿。東照宮特有の権現造。菅原道真公が太宰府左遷の途中、この丘に立ち寄り温泉に浴したという伝説地として里人が祀ったという天満神社を合祀し、松山東照宮は松山神社と改称した。

松山神社

拝殿の左手に境内社が一社。

松山神社

今日は社殿前で宮司が作業していたので、拝殿前の授与所で御朱印をいただいた。

松山神社
愛媛県松山市祝谷東町640

伊予松山 湯神社

湯神社

松山市に鎮座する湯神社。延喜式温泉郡の比定社。御祭神は大己貴命、少彦名命。
当宮は景行天皇が皇后八坂入姫と行幸したときに鶯谷の大禅寺の前に創建したと伝わる。大永7年の地震で道後温泉が埋没したときに、延喜式温泉郡出雲崗神社の境内に遷座して境内社となり、幾度かの出湯祈祷を経るなかで、出雲崗神社の御祭神の素盞嗚命、稻田姫命を合祀するに至ったという。

湯神社

階段を上って境内に入る。

湯神社

階段の途中の建物は参集殿らしき建物。

湯神社

冠山の山頂の境内前は道後温泉の有料駐車場になっている。右手に社殿が並び、手前に境内社の中嶋神社が建っている。御祭神は田道間守命で、但馬国出石郡の式内社の御分霊を四国の製菓業者により創祀されたそうだ。

隣の小祠は児守社だろうか。

湯神社

隣の湯神社に参る。

湯神社

本殿を裏から見上げる。両側に末社があり、三穂社(御祭神は事代主命、蛭兒命)と八幡若宮社(御祭神は大鷦鷯尊)。

湯神社

社殿前の社務所で御朱印をいただく。

湯神社

待っている間にガラスに貼ってある「玉の石の伝説」を読んでいました。
道後温泉は当宮の御祭神である大己貴命、少彦名命が開いたとされ、その開湯伝説のようで、伊予国を訪れた際、少彦名命が重病に苦しみ、大国主命が手のひらに少彦名命をのせて温泉に入浴させたところ調子が良くなり、少彦名命は喜びのあまり傍の石の上で舞い踊ったという話です。
その石を「玉の石」といい、道後温泉の傍らに奉られていると書かれていましたので、御朱印をいただいた後、場所をお聞きすると、下の道後温泉本館の横にあると。

湯神社

湯神社の裏、北側に行くと眼下に本館が見える。

湯神社

階段を下りていくと、裏参道の鳥居が建っている。

湯神社

ゴールデンウィークともあって大勢の人で賑わっている。

湯神社

周囲を右回りに歩いて行くと、北側に「玉の石」を見つけた。左回りのほうが早かった。
ここも観光スポットのようで、石にひしゃくで水をかけて願かけする場所になっていて行列になっていた。

湯神社
愛媛県松山市道後湯之町4-10

伊予松山 伊佐爾波神社

伊佐爾波神社

松山市に鎮座する伊佐爾波神社。延喜式温泉郡伊佐尓波神社の比定社。御祭神は誉田別尊、足仲彦尊、氣長足姫尊、三柱姫大神(市杵島姫尊、湍津姫尊、田心姫命)を主祭神とし、東照大神を配祀する。

伊佐爾波神社

道後温泉街の東方の山に鎮座する当宮への参道口に大鳥居が建つ。

伊佐爾波神社

右手に湯神社を通りすぎ境内入口に至る。

伊佐爾波神社

灯籠横の案内には「道後七郡総鎮守」と書かれ、その起源は仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられたといい、湯築八幡と呼ばれた。

また、河野氏の湯築城の鎮守として現在地に遷座し、加藤氏の定めた八社八幡の一番社とされた。

伊佐爾波神社

長い階段が続き、一気に上る。

伊佐爾波神社

石段の途中に素鵞社が建つ。

伊佐爾波神社

上りきると社殿が現れる。宇佐神宮、石清水八幡宮と並び日本三大八幡造りと言われ、国指定重要文化財になっている。

伊佐爾波神社

廻廊の中は朱色に塗られ、屋根裏の蛙股には兎や鯉の彫刻が鮮やかだ。
拝所に参る。拝所には「湯築八幡宮」の扁額がかかる。

伊佐爾波神社

廻廊を右回りにまわる。本殿右側(南側)に新田霊社

伊佐爾波神社

廻廊内には奉納絵馬が多数展示されている。

伊佐爾波神社

本殿は南側からが見やすい。二重の屋根が連なる八幡造り

伊佐爾波神社

本殿左前(北側)に高良玉垂社

伊佐爾波神社

社殿の前に社務所が建つ。

伊佐爾波神社

帰り道、眼下に松山市内が見えるが、木々で正面以外は視界が遮られる。次の湯神社へ向かう。

伊佐爾波神社
愛媛県松山市桜谷町173

伊予松山 東雲神社

東雲神社

松山市に鎮座する東雲神社。御祭神は天照皇大神、豊受大神、天穂日命、菅原道真公、息長福玉命(伊予松山藩祖松平定勝)、奇足玉命(伊予松山藩11代藩主松平定通)、真都栄命(伊予松山藩16代藩主松平定昭)、稚国玉命(藩祖松平定勝の嫡男松平定吉)を祀る。
11代藩主松平定通が藩祖を祀った仮宮(後の東雲神社)が創祀で、昭和20年に空襲で焼失し、昭和46年に松山大神宮が跡地に奉遷され、2年後に東雲神社の神霊が合祀されたという。つまり、もとの東雲神社の御祭神は伊予松山藩松平家の祖神を祀ったものと言える。

東雲神社

当宮は松山城内に鎮座するので、社号標の建つ参道入口は松山城への登山口のひとつになる。

東雲神社

階段を上り最初の平場に出ると、締め柱が建ち、天主への分かれ道となる。

東雲神社

階段を上り門をくぐると、白い花がついたナンジャモンジャの木(ヒトツバタゴ)。とてもきれいに咲いている。

東雲神社

さらに階段を上っていくと、途中に鳥居が建つ。

東雲神社

さらに階段を上るとようやく社殿が見えた。階段が急なこともあり、ここまでかなり息が切れる。

東雲神社

拝殿に参る。廻廊の奥に本殿が見える。

東雲神社

御垣の裏にまわると本殿は2棟並んでいる。真ん中の本殿が松山大神宮のもの、左に建つ本殿がもと東雲神社のものだろうか。

東雲神社

拝殿の左手前に社務所が建つ。

東雲神社

今日は朝早くて無人だったが、無情な貼り紙が・・・。正月3が日以外は御朱印はしていないとのこと。

東雲神社
愛媛県松山市丸之内73番地1

伊予西条 石岡神社

石岡神社

西条市に鎮座する石岡神社。御祭神は誉田別尊、気長足姫尊、宗像三女神。

石岡神社

道路の分岐点に一の鳥居と社号標が建つ。参道はまっすぐに社殿へと向かう。南東向き。

石岡神社

鳥居の脇に歌碑が建つ。

石岡神社

道路が終了し、境内の入口に建つ二の鳥居

石岡神社

狛犬は下に重心があり安定感がある。

石岡神社

三の鳥居の先に神門

石岡神社

境内にはクスノキの大木が多い。

石岡神社

拝殿に参る。

石岡神社

本殿

石岡神社

境内社が拝殿の左右に複数建つ。左から時計回りに参る。
山王神社

石岡神社

桜木神社

石岡神社

金刀比羅神社

石岡神社

稲荷神社

石岡神社

地護大明神、玉積神社、楠社の合祭殿。ここまでが左側

石岡神社

高良神社。この社のみ参道向きではなく、本殿の右に同じ方向に建つ。

石岡神社

宇賀神社

石岡神社

厳島神社

石岡神社

猿田彦神社

石岡神社

恵比須神社

石岡神社

杉尾神社

石岡神社

若宮社

石岡神社

○内神社(一文字目が不明)

石岡神社

資料館

石岡神社

秋の例大祭にはだんじりが出るという。

石岡神社

二の鳥居と三の鳥居の左、旧社家と神社が建つ。

石岡神社

社家玉井氏の顕彰碑、由来を書いた案内板も建つ。戦後のある時期に社家と氏子の間に不和が生じ、社家が退任したということらしい。

石岡神社

現在の社家は一の鳥居の脇に社務所、裏に自宅があり、そちらで御朱印をいただく。

石岡神社
愛媛県西条市氷見乙1368