金沢市に鎮座する尾山神社に行ってきた。今年は初詣に行っていなかったので利家公にご挨拶。
1月は書き置きのみで御朱印帳に御朱印をいただいていなかったので、御朱印もいただいてきた。
今週は先週ほどの大雪にはならなかったが、低温が続き根雪が残っている。
拝殿前の狛犬も雪帽子を被っている。
拝殿に参る。
来年度(再来年度か?)は境内で工事が行われる。場所は裏参道を入った本殿横
ここに金沢城の玉泉院丸に渡る鼠多門橋が架かりスロープが設けられる。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市に鎮座する尾山神社に行ってきた。今年は初詣に行っていなかったので利家公にご挨拶。
1月は書き置きのみで御朱印帳に御朱印をいただいていなかったので、御朱印もいただいてきた。
今週は先週ほどの大雪にはならなかったが、低温が続き根雪が残っている。
拝殿前の狛犬も雪帽子を被っている。
拝殿に参る。
来年度(再来年度か?)は境内で工事が行われる。場所は裏参道を入った本殿横
ここに金沢城の玉泉院丸に渡る鼠多門橋が架かりスロープが設けられる。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
小松市に鎮座する小松天満宮。御祭神は菅原道真公、前田利常公。
小松城の鬼門に建てられ、小松城と金沢城の各本丸をつなぐ一直線上にあることから、両城鎮護の神とされた。ちなみに前田家は菅原道真公を先祖としています。
今日は新聞報道があり、小松天満宮に隣接する梯川の環境工事が完了したことから、宝物殿が特別公開されると見て行ってきました。小松城の築城された時代のように梯川の中に浮かぶ浮島のようにするため、分水路を通す工事をしてきました。氾濫する危険もあるため、かなり重厚に防水堤が造られている。
分水路の見学会は終了していたが、宝物特別公開には間に合った。新聞には記載がなかったが、三時まででギリギリだった。
鳥居をくぐり参道を進むと、以前は木造の社務所があった場所にコンクリート造の授与所と
宝物館が建っていた。様変わりしていて少し驚く。
宝物館は氏子らが受付をしていて、中をゆっくり見学させていただく。
授与所も三時までだったので先に御朱印をいただき、参拝に向かう。
分水路完成記念と創建360年記念として漢詩碑が新しく建てられた。
拝殿に参拝する。
拝殿前には今年創建360記念として建てられた能舞台。夏に記念上演もあったが、その時は来ることができなかった。
拝殿と能舞台の距離はこんな感じです。
小松天満宮
石川県小松市天神町1
京都市北区に鎮座する建勲神社。御祭神は織田信長公を主祭神とし、嫡子信忠公を配祀する。
正式名は「たけいさおじんじゃ」だが、親しみを込めて「けんくんさん」と呼ばれる。
船岡山は平安京正中の真北に位置し、玄武として京城鎮護の地とされた。後年、豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、主君信長公を祀る廟所を定めた。
当宮には御朱印が2種類ある。通常のものと、天下布武龍章の押された見開きのものです。
他に期間限定で京都刀剣の御朱印があった。
船岡山の東麓に一の鳥居が建つ。
狛犬の鎮まる階段を上ると、
「太平和敬神」碑が建つ。山上に遷座される前の本殿がここに建っていたという。
さらに階段を上る。
「別格官幣 建勲神社」社号標が建つ階段の先は広い削平地となっている。山上の社殿も東麓の本殿と同じく東を向いている。
右手に貴賓館
その隣に社務所が建つ。
正面に手水舎、一段高くなって拝殿が建つ。
手水舎の下方に船岡妙見社が建つ。玄武大神を祀る社だが、社殿周囲の一部は社叢扱いになっているのか禁足地になっていて近づけない。
拝殿に参る。
拝殿の後ろの神門には近づけない。本殿を囲む御垣の一部を構成する門は中門と呼ぶ場合が多いのが、当宮では神門と呼ぶ。
本殿は御垣の中に建つ。
あらためて拝殿を見ると、扁額がたくさん掛かっている。三十六歌仙という神社が多いが、当宮では信長公功臣肖像画であり、秀吉や柴田勝家、森蘭丸などが描かれている。
本殿跡の右方に末社義照稲荷社が鎮座する。
御祭神は宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神。秦氏の守護神として西陣織の祖神と崇敬されている。
その隣に稲荷命婦元宮。伏見稲荷大社命婦社の祖神である船岡山の霊狐が祀られているという。
南参道口には「史跡 船岡山」碑が建つ。船岡山は標高45m。応仁の乱で西軍の大将山名宗全が砦を築き陣を敷いた地と山頂周辺に砦跡が残るというが、今日は時間の都合で行かなかった。
南参道の入口に標石があるというが見つけられなかった。
建勲神社
京都府京都市北区紫野北舟岡町49
西条市に鎮座する西條神社。御祭神は徳川家康公、西條藩初代藩主松平頼純公以下10代頼英公まで。西條藩松平家は紀伊徳川家の分家で、2代と5代が紀州藩主となっている。
境内は東向き。右隣の楢本神社は別の独立した神社。
入口の左に伊曽乃宮お旅所と書かれた建物。伊曽乃神社の10月例大祭ではだんじりとみこしが集結し、裏の加茂川に川入りするという。お旅所の場所は元西條神社の境内地で、戦後の一時期伊曽乃神社の摂社となった後、独立する際に取られたのだと聞いた。
神門をくぐり境内に入る。
拝殿に参る。
拝殿にかかる扁額。正面の「西條神社」は山岡鉄舟の書。奥の半分見えているのが勝海舟の書で「東照宮」と旧県社の格式を感じさせるものがある。
拝殿右前に鶴亀石
拝殿右に境内社が一社。
伊予路大町に泊まった小林一茶の俳句碑。
本殿右に境内社が一社。
本殿は神明造。
宮司宅の前に田中大祐翁が乃木将軍邸から持ち帰って奉納した「乃木将軍の梅」がある。
宮司宅で御朱印をお願いし、その後神社の案内をしていただいた。
西條神社
愛媛県西条市大町1159
金沢市に鎮座する尾山神社。4月の印は桜、花の中心に剣梅鉢紋が入っている。
昨日4日金沢で桜の開花宣言がありました。今年は積雪は少なかったものの、桜の開花は平年並みでした。
拝殿前の桜はチラホラと咲いていましたが、長年おみくじを巻かれた影響かつぼみが少ない枝が多かった。
花桃はまだはまだ見頃でした。
特に拝殿横の摂社金谷神社前の花桃は満開でした。
桜は神苑に1本早咲きの桜が満開でした。20度を越える陽気の中、前撮りしている新婚さんがいました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市に鎮座する尾山神社。3月の印は蝶、羽紋に剣梅鉢紋が描かれている。
御祭神の前田利家公の若き頃の像
境内の梅は前回参拝時より開花が進んでいなかった。社務所前の紅梅はようやく数輪開いたところ
境内の隅には神門創建当時に建てられた鳥居の脚が残っている。金沢茶商組合の奉納者名が書かれている。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市の尾山神社。県内でも有数の初詣者が訪れる神社です。
今日2日の天候に恵まれたので、初詣に大勢の方が来ていました。
到着したときは境内の中程までの行列。御祭神の前田利家公とまつ様に今年の安寧を祈り、御朱印を探して境内の授与所をウロウロと・・・
平生は拝殿左の社務所附属の授与所でやっているのを今日は行列が長かったので、境内の中の新設された授与所の方で御朱印を探してみました。お守りとか御札とかと一緒に前に並んではいなかったけど、後ろの方をみると御朱印と書かれた箱が見えて、ようやく入手できました。書き置きの御朱印は初めていただきました。ひとまわり小さな御朱印です。
帰り際、参拝の行列は神門を過ぎて階段まで続いていました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
今月は少し早めに尾山神社に参拝してきました。12月の印は扇に梅鉢紋。
今日は晴れていたが、肌寒かったこともあり参拝者は少なく、巫女さんに御朱印をゆっくり書いていただけた。
今回の御朱印は墨書きも印も丁寧でとても良い。
隣接する金沢城玉泉院丸。鼠多門復元のための発掘調査が行われているが、復元されれば鼠多橋で尾山神社と玉泉院丸がつながり、新しい回遊ルートが生まれる。
金沢の庭園は雪吊りがされる冬がやはり美しい。
冬の澄み切った空と池に映り込む雪吊り。晴れの少ない金沢では数えるばかりしかないが、是非楽しみに来てほしい。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市の尾山神社。11月の御朱印は雪の結晶の印です。結晶の中心が剣梅鉢紋となっている。
11月は七五三の季節。朝から冷たい雨が降った今日も綺麗な着物を着せられた子供たちが来ていました。
紅葉の季節も終盤。寒い季節が間近に迫っている。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市の尾山神社。10月の御朱印をいただいてきました。
10月は鈴の付け根が梅鉢紋となっている。鈴は天の岩戸の前で天鈿女命が舞ったときにも持っていた神聖な祈りの道具
来月には七五三。神社が賑わう季節になる。
平日の境内は外国からの観光客のほうが多いくらいだ。
境内には加賀藩の和算学者で西洋数学を研究・普及に尽力した関口開氏の顕彰碑が立てられている。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
尾山神社で9月の御朱印をいただいてきました。9月の印は菊模様で花の中央に梅鉢紋がある。
今日は判を男性神職が押していましたが、いつもより薄い。
本殿を囲む塀にも梅鉢紋がある。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市の尾山神社。8月の御朱印をいただいてきました。8月は花火の中心に剣梅鉢紋がデザインされている。
今日は暑かった。
天頂には雲一つなく、太陽を遮るものはない。
参拝者もちらほらいましたが、時間帯によっては拝殿前は無人になることもありました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
尾山神社の7月の御朱印をいただいてきました。7月の判子は小槌です。
裏門は旧金沢城二の丸の唐門です。
精緻な彫刻が見どころです。
今日は境内の神泉にアオサギがいて、外国観光客にも写真を撮られて人気者になっていました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市の尾山神社。
先月に続き、6月の御朱印をいただいてきました。
午前中は雨が降り、ようやく梅雨らしい天候でしたが、そのためか境内は人もまばらでした。
6月は車輪の真ん中に剣梅鉢紋が配置されています。4回目に初めて男性の神職に墨書きしていただきました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
福井市に鎮座する柴田神社。御祭神は柴田勝家公、お市の方。
街中に鎮座するため、ビルに囲まれている。
NHK大河「江」放映の年に周辺環境など大きくリニューアルしている。
ここは勝家公とともに焼失した北の庄城跡の一角に鎮座する。敷地内からは石垣などが出土している。
「瓶割り柴田」と呼ばれた勝家公にちなみ、素焼きの瓶を割って祈願する場所もある。
最近、お市の方にちなんで、「モテ祈願」なるものも始めたようだ。
柴田神社
福井県福井市中央1丁目21−17
越前市に鎮座する大塩八幡宮。御祭神は誉田別天皇(応神天皇)、帶中津日子天皇(仲哀天皇)、息長帶日賣尊(神功皇后)。延喜式敦賀郡の論社も多い、当地の古社である。
駐車場は二の鳥居の近くにあったが、知らずに一の大鳥居の近くに停めて参道を歩いていった。
途中、田植えを終えたばかりの田に日野山が映りきれいだった。もっと天気がよかったら、とも思う。
二の鳥居をくぐると階段を上る。
神門を入ると目の前に重要文化財の拝殿が建つ。柱のみの風が吹き抜ける建物なので管理も大変そうだ。
拝殿前に鐘楼も建つ。藩主本多家より寄進されたもので梵鐘は鎌倉時代の作のよう。
拝殿の右奥に絵馬殿が建っている。
複数の絵馬が掛けられていたが、もとは拝殿に掛けられていたものなのか傷みが大きいものもある。
中でも八幡神に関係するこの絵馬が印象的であった。
もうひとつ基壇を上がり、社に詣る。
右の階段を上ってすぐのところ。
素翁神社(疱瘡神社)。御祭神は大山津見神、伊邪那尊、須佐之男尊、少名彦神、大己貴命、大綿津見神。
疱瘡・疫病の神として勧請されたもので、社には「疱瘡社」の扁額がかかる。
その隣、弊殿の右。
天国津彦神社と天国津比咩神社の相殿。ともに延喜式敦賀郡の論社。御祭神はそれぞれ伊邪那岐尊、伊邪那美尊。
創建当初は一の大鳥居の西南に天国津彦神社、西北に天国津比咩神社が鎮座していたという。
中央が神社弊殿。
弊殿の後ろに本殿が鎮座する。
弊殿の左に高岡神社。御祭神は須佐之男尊。延喜式敦賀郡の論社。
創建当初は本殿の東南、高岡峯に鎮座していたという。
本殿の右奥にさらに数社鎮座している。
一番右に「えんむすびの木」
3社が横に並んでいる。その右
高良神社。御祭神は武内宿禰命。
中央は天八百萬比咩神社。延喜式敦賀郡の論社。
往古は桜井の峯と呼ばれた山頂に鎮座していたという。
左は源嫡神社(東照宮)。御祭神は徳川家康公。
寛永年間に建立され、明治維新後に現社殿に建て替えられるまでは極彩色の社殿だったよう。
三社の後ろに清務霊社。御祭神は舎人親王など神職清原家の一族を祀る。
山頂付近には寿永2年(1183)、木曽義仲が上京の途中に布陣した大塩山城跡がある。
堀切跡も残る。
社務所兼自宅は階段途中にある。参拝後に寄ると留守だったので、境内で掃除していた方に話しかけるとその方が宮司だった。ご足労をいただき御朱印をいただいた。
大塩八幡宮
福井県越前市国兼町22−2
久しぶりに尾山神社に行って御朱印いただいてきました。
御祭神は前田利家公と正室お松の方。
境内にある鯰尾兜の煌びやかです。
利家公の若い武者姿の像が凛々しい。
来週末に例大祭の百万石まつりが行われるとあって、拝殿にもポスターが貼られている。
拝殿の中に神輿もあった。
いつも間にか御朱印に印が1つ増えていました。印は月替わりで、今月は藤がモチーフ。どの月にも前田家の家紋である剣梅鉢紋が入っている。なかなかお洒落な柄ですね。また来いということですな。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市兼六園の金沢神社。25日天神月次祭の日に先月に引き続き行ってきました。
御朱印は印の位置は変更ありませんが、「天神月次祭」の文字が入りました。先月は数名行列だったので省略されたのか?
北野天満宮の印象でしょうか、天神さんと言ったら梅ですね。
金沢は7分咲きくらいでしょうか。
今日は肌寒く、雨が降ったりやんだりするあいにくの天気だったためか、境内には最初人はいませんでした。
受験シーズンが終わりました。
放生池では鴨2羽がなかよく泳いでいました。近づくと遠くにいってしまう。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
奈良市の東大寺境内の手向山八幡宮。東大寺の鎮守として東大寺八幡宮と呼ばれていた。
御朱印は楼門にある授与所でいただける。
春日大社方面から歩いて境内に入りました。
まず見えてきたのは境内社の摂社住吉神社。御祭神は住吉三神。
社殿は鎌倉時代の一間社流造で重要文化財。
そこからすぐに二つの社が見えてくる。
手前が末社阪本神社(御祭神は大己貴命)、末社恵比寿神社(御祭神は蛭児神)の二社合祀殿。
奥が末社明武神社(御祭神は豊玉媛神、玉依媛神)、末社劔神社(御祭神は素盞鳴命)、末社八子神社(御祭神は天照大神)、末社松童神社(御祭神は応神天皇牛飼童)の四社合祀殿。
摂社若宮の御祭神は仁徳天皇。
左右に摂社高良神社(御祭神は大伴健将)と若殿神社(御祭神は菟道稚郎子)が鎮座する。
若宮前に菅公腰掛石がある。菅原道真公が手向山八幡宮を詠んだ和歌が書かれている。
この和歌は御朱印のはさみ紙にも紹介されている。
若宮前の神楽所
神楽所の右に東大寺にあった東照宮。御祭神は徳川家康公。
神楽所の左の壁面には、源頼光の鬼退治の絵が描かれている。
大黒殿
本殿の御祭神は八幡大神(応神天皇)、比咩大神、神功皇后 、仲哀天皇の四柱を祀る。
八幡大神は宇佐神宮からの御分霊で初めての社という。
本殿の左にひっそりと寄り添う社は摂社武内社。御祭神は武内宿禰。
楼門を出て下がると奥に手向山が見える。
大仏殿方向からの二の鳥居。
最後に大仏殿方面からの参道入口に立つ一の鳥居。
一の鳥居から二の鳥居までの参道途中に末社があと二社あるようで、そこはまた後日。
手向山八幡宮
奈良県奈良市雑司町手向山434
福井市東大味町の明智神社。「あけっつぁま」と呼ばれる小さな祠に御祭神明智光秀公が祀られています。
「細川ガラシャゆかりの地」という石碑が建つこの周辺は、朝倉義景の客将として越前に来ていた頃住まいをした場所と言われ、ここで後に細川忠興の室となった娘玉が生まれたと伝わります。
祠は農家三軒で守られてきたもので
境内には「東大味歴史文化資料館」が建てられ、明智光秀公に関する資料が展示されています。
神社には明智光秀公の木像が安置されています。
しかし、看板が「御祭神」ではなくて「御本尊」となっているのはいただけないですね。
明智神社
福井市東大味町
金沢市の尾山神社。御祭神は前田利家公、前田まつ。
今回は金沢お宮さんめぐりで再訪し御朱印をいただいてきました。今回も巫女さんが書きました。
青空です。
暑い昼下がり。人がほとんどいませんでした。
社務所前にはんこが置いてあります。
ちょうど境内で発掘調査が行われていました。新しい授与所を建てるみたいですが、境内は旧金谷御殿であり、金沢城の一部でもあるので屋敷か庭園の石垣が残っています。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
東京上野の上野東照宮。御祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公。
当地上野には津藩主の藤堂高虎公の江戸屋敷地があり、家康公の遺言で家康、高虎、天海僧正が三人で鎮魂する場所を作ってほしいという言葉に従い、屋敷神として祀ったのが始まりという。ということは最初の御祭神はこの三人ということになるのだろうか。
社殿は五年間の大修理を終えて、真新しくなりました。以前来たときは覆いの中でした。
譜代厩橋藩の酒井家から寄進された鳥居を通っていく。
鳥居には寄進した酒井忠知の銘が刻まれている。
ここより先は参拝時間にしか入ることが許されません。
社殿が見えてきました。
中でもこの唐門が目を引きます。
本来は社殿も見学するところなんですが、有料で時間もなかったので、授与所で御朱印をいただいて先を急ぎます。
以前の修理中は書き置きだったので、直接書いていただいたのは初めてです。
上野東照宮の五重塔は神仏混淆の名残でもありますが、今は隣接する上野動物園の中に建っています。
動物園に入園すればもっと近づけるのかわかりませんが、五重塔見るのに動物園に入る時間もなかったのでまたいつか。
上野東照宮
東京都上野公園内
金沢市に鎮座する尾崎神社。御祭神は天照大神、徳川家康公、前田利常公。
社殿は金沢城跡の北に西向きに鎮座する。徳川家康の孫でもある加賀藩四代前田光高が、金沢城北の丸に東照大権現を祀ったのが創始。
本殿・拝殿は東照宮の建物を移築したもので、彫刻も凝っている。冬の間は風雪から守るため朱色の雪囲いがされる。
拝殿に参る。拝殿の戸には葵紋が付いている。
拝殿右手の社務所兼自宅で御朱印をいただく。留守のことも多く、今回5度目の参拝でようやくいただけた。
尾崎神社
石川県金沢市丸の内5−5
高岡市に鎮座する髙岡關野神社。御祭神は天照皇大神、國常立尊、伊弉冉尊、稲荷大神、菅原道真命、前田利長命。延喜式射水郡加久彌神社と婦負郡熊野神社の論社。
入口は西向き。左方の坂を上ると境内北側に駐車場がある。
鳥居と社号標
境内の南側、道路に沿って毎年5月1日に行われる例大祭「高岡御車山祭」の山車の車庫が並ぶ。
参道の途中、狛犬?と思ったが、どうも狐のようだ。稲荷社の神使らしい。
拝殿に参る。
拝殿前の狛犬は高岡らしく銅器製。高岡銅器は加賀藩二代前田利長の隠居城である高岡城築城に伴って繁栄の礎が築かれた。
拝殿には「正一位關野社」と「關野神社」の2枚の扁額が掛かる。
拝殿前には「髙岡關野神社」の扁額、加賀藩主家の侯爵前田利為の揮毫。
本殿右に境内社が三社。左が大國社とわかるが、中央と右の境内社は不明。
江戸時代までは加久彌神社(神明社)、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)の3社を合わせて関野三社と呼ばれていて、御垣の中には現在も3つの本殿が並ぶ。
並びがよくわからないが、左の本殿は神明造なので加久彌神社、社格が上だった高岡神社が中央、右が関野神社だろうか。
拝殿左の授与所に人がいたので御朱印をお願いした。
髙岡關野神社
富山県高岡市末広町9−56
小松市に鎮座する小松天満宮。御祭神は菅原道真公、前田利常公。寛永十六年に小松城に隠居していた三代藩主前田利常公が祖神の菅原道真公を祀る社として創建した。小松城の鬼門鎮護のためでもあった。
神社は梯川の北岸にあるが、かつては浮島(輪中)に鎮座していた。
現在梯川の改修工事でかつての姿が甦ることになる。
一の鳥居は東向きに立つ。
鳥居をくぐると筆塚。学問の神らしい。
そこから参道は南へ折れ、神門を通って西へ折れる。
四脚門の朱色の神門
正面には「天満宮」の扁額
後ろには漢詩の額が掛かっている。
全国的にも珍しい十五重の石塔が立つ。石材は金沢の坪野石という黒灰色で硬く、藩政期は藩石として独占された石を使用する。
拝殿に参る。初詣の小松七社めぐりの一社。
帰りに社務所で御朱印をいただく。
小松天満宮
石川県小松市天神町1
東京都港区に鎮座する芝東照宮。御祭神は徳川家康公。
社殿は東向き。もとは増上寺安国殿であり、御祭神は徳川家康公の御神像、生きている間に作った寿像である。現在も増上寺の南に鎮座する。
参道を進み鳥居をくぐって一段上がると、鳥居の礎石らしきものだけが残る。
拝殿に参る。
芝東照宮は戦災によりほとんどが焼失し、この家光公お手植えの公孫樹(大イチョウ)と、家康公の寿像のみが残った。
境内に井戸がある。
芝東照宮
東京都港区芝公園4丁目8−10
金沢市に鎮座する泉野菅原神社。六斗の広見では野町街道まつりが開催されていた。
主祭神は菅原道真公だが、県内では唯一織田信長公を祀る。というのも、泉野菅原神社は隣にあった玉泉寺の鎮守社で、玉泉寺は2代藩主前田利長の正室であった永姫の菩提寺。永姫は信長の四女とも五女とも言われる。利長の死去にともない高岡から金沢へ越してくる。江戸幕府がまだ盤石とは言えない情勢の中、信長を公に祀るのは憚れたため菅原道真公を主祭神とし、秘かに祀ったと考えられている。
本殿は平成12年に焼失、昨年再建が叶い、春に還座祭が行われて以降初めての信長公祭となる。人が集まってきている。
新築の真新しい社殿で、浦安舞の神事から祭りが始まる。
拝殿と本殿が一体となった社殿で神事が続く。
一通り神事が終わって社殿に入ることができた。神前に供えられた供物。
織田信長画像は滅多に公開されない宝物。祭りに合わせて公開された。
再建叶って氏子の方々のご苦労も報われただろう。
続けて四條流の包丁式が行われた。包丁式は包丁と箸を使って一切手を触れないように鯉や鶴をさばく儀式。
包丁式でさばかれた鯉も神前に供えられた。
泉野菅原神社
金沢市野町3丁目15-8
大阪城内に鎮座する豊国神社。御祭神は豊臣秀吉公。
豊臣大坂城は徳川大坂城によって徹底的に隠されてしまい、今見る場所は徳川時代のものなのだが、東照宮ではなく豊国神社が城内にあるとは、大阪市民の秀吉人気は凄いものです。裏門の西門から入る。
本殿脇からぐるりと回り、拝殿に参る。
秀石庭という奉納された庭がある。
境内社の白玉神社、御祭神は宇迦御魂神。中之島字山崎の鼻の藩蔵屋敷に祀られていた元白玉稲荷神社。
他に七夕神社、玉繁神社の扁額が架かるが、白玉神社に合祀されたのだろうか。
境内社の若永神社、御祭神は宇迦御魂神。元淀屋辰五郎邸の鎮守社だったと伝えられる。
境内をまわっている間に正鳥居をくぐって新郎新婦の行列が来た。
拝殿正面の鳥居前には秀吉像が立っている。
東の正鳥居をくぐると茅の輪。時期ではないので年中あるようです。
豊国神社
大阪府大阪市中央区大阪城2−1
鳥取市に鎮座する樗谿神社(おうちだにじんじゃ)。御祭神は徳川家康公。日光東照宮の御分霊を祀ることから因幡の東照宮とも言われる。
鳥居をくぐる。
境内は樗谿公園の一部となっている。
社務所と案内される場所には鳥取県神社庁。樗谿神社の社務所を兼ねているようだが、すでに17時近かったためか休みだったのか閉まっていた。
社務所近くの御中門をくぐる。拝殿までの道のりは公園として整備されたためか石畳が葺かれている。
大きな神門が見えてきた。昔は両側に仁王像が立っていたのかもしれないが今は空っぽ。
門をくぐると両側に灯籠が立ち並び、階段の上に拝殿が見える。神威を感じる風景である。
階段を上り、拝殿に参る。
拝殿背後に唐門付きの本殿。拝殿、弊殿、唐門、本殿と並び、すべて檜皮葺の屋根で重要文化財になっている。
階段とは別ルートの参拝道に井戸がある。「探幽の井戸」と名付けられている。神社には狩野探幽の画、青蓮院門主尊純親王の歌の三十六歌仙の額と鷹の絵があり、それを伝えれるための命名とも伝えられる。
樗谿神社
鳥取県鳥取市 上町87
豊国神社をはじめとした三社が卯辰山の中腹に鎮座する。
花菖蒲苑から参道が延びる。入口の鳥居の社名標は「愛宕神社」、扁額は「卯辰山三社」
千杵坂を上ると参道は右に折れる。その角に日暮ヶ丘という見晴らしの良い場所があり、遠く金沢城も臨める。藩政期、凶作で米買い占めが起こった際、町人が二晩にわたって金沢城に向かい「米よこせ」と叫んだ安政の泣き一揆の場所と推定されている。
三之坂を上ると瀧ヶ丘、右手に安達幸之助の碑。
二之坂を上ると威泉ヶ丘、右手に北越戦争戦死者の碑が連なって建つ。
最後の一之坂を上ると景雲台と呼ばれる境内。
境内に入ると左手に「業平の井筒」がある。謡曲「井筒」に由来する井戸であり、本来は奈良県の在原寺にあったものだが、幕末にこの地に移されたという。
階段を上った正面の社は卯辰神社。拝殿に架かる扁額は「天満宮」。御祭神は菅原道真公。
左手の奥に愛宕神社。御祭神は火の神愛宕大神。
右手に豊国神社が鎮座。御祭神は豊臣秀吉公。卯辰山王と称して秘かに豊臣秀吉公を祀った。表向きは卯辰観音と呼ばれ、藩政期は観音院の神事能が催された。神仏分離により幾度かの遷座で現在地に至る。
由緒ある社なので御朱印があるかと思っていたが、現在は市姫神社の兼務社であり、尋ねたところ授与していないと確認した。
豊国神社・卯辰神社・愛宕神社(卯辰山三社)
金沢市東御影町93