桜井市に鎮座する久延彦神社。御祭神は久延毘古命。
大神神社末社で、拝殿の北、くすり道から向かう。
途中西に分岐する。
大美和の杜展望台からの眺望、奥に金剛山と葛城山、その手前に畝傍山と耳成山、大鳥居も見える。右端に二上山、左端に香久山が見える。
社殿に着いた。社殿は南向き。
本殿に参る。左の授与所で御朱印をいただく。
表参道は三輪山の麓から長い階段を上る。
久延彦神社
奈良県桜井市三輪
桜井市に鎮座する久延彦神社。御祭神は久延毘古命。
大神神社末社で、拝殿の北、くすり道から向かう。
途中西に分岐する。
大美和の杜展望台からの眺望、奥に金剛山と葛城山、その手前に畝傍山と耳成山、大鳥居も見える。右端に二上山、左端に香久山が見える。
社殿に着いた。社殿は南向き。
本殿に参る。左の授与所で御朱印をいただく。
表参道は三輪山の麓から長い階段を上る。
久延彦神社
奈良県桜井市三輪
桜井市に鎮座する大神神社。御祭神は大物主大神を主祭神とし、大己貴神と少彦名神を配祀する。延喜式城上郡大神大物主神社の比定社で明神大社、大和国一宮。
日本三大鳥居に数えられる大鳥居。背後に神体山の三輪山がそびえる。
社叢の入口に社号標と二の鳥居が立つ。
参道の左、初めに鎮座するのは末社祓戸神社。
次に夫婦岩、この磐座は大物主大神と活玉依姫の恋の物語である三輪山説話を伝える古蹟とされる。
階段の先に拝殿が見えてきた。
衣掛杉、謡曲三輪で知られる玄賓僧都の衣を掛けたという御神木。
最後に木々の間に注連縄を掛けた鳥居をくぐって拝殿に参る。
大神神社は本殿がなく、三輪山を詣るための拝殿のみがある。御朱印は拝殿左の参集殿の中でいただく。
狭井神社へ向かう途中に三社の摂末社がある。
摂社活日神社、御祭神は高橋活日命。杜氏の祖神として酒造関係者に崇敬される。
摂社磐座神社、御祭神は少彦名神。
末社市杵嶋姫神社、御祭神は市杵嶋姫命。
大神神社
奈良県桜井市三輪1422
天理市に鎮座する石上神宮。物部氏の総氏神として創建される。御祭神は布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神を主祭神とし、宇摩志麻治命、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命を配祀する。延喜式山辺郡石上坐布都御魂神社の比定社。
社号標と大鳥居。
参道を進むと神鶏が参道で遊んでいる。
廻廊と楼門が見えてきた。社殿は参道を90度曲がって南向きになる。
拝殿に参る。まだ9時前だったので朝の祈りが捧げられている最中だった。
楼門前の一段高い場所に摂末社が祀られている。
摂社出雲建雄神社の拝殿。もとは神仏分離令で廃絶した内山永久寺の住吉社の拝殿だった。
左に二社。
摂社天神社、御祭神は高皇産霊神、神皇産霊神。
摂社七座社、御祭神は生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神の七座を祀る。
右に二社。左が摂社出雲建雄神社、御祭神は布都斯魂大神の御子神、延喜式山辺郡の論社。右が末社猿田彦神社、御祭神は猿田彦神を主祭神とし、底筒男神、中筒男神、上筒男神、息長帯比売命、高靇神を配祀する。
境内に戻ってくると祭壇ができていた。8日はお火焚祭が行われる日のようだ。
神鶏は休憩所に集まっている。
授与所で御朱印をいただく。神鶏のおみくじが愛らしい。
石上神宮
奈良県天理市布留町384
東京都港区に鎮座する芝東照宮。御祭神は徳川家康公。
社殿は東向き。もとは増上寺安国殿であり、御祭神は徳川家康公の御神像、生きている間に作った寿像である。現在も増上寺の南に鎮座する。
参道を進み鳥居をくぐって一段上がると、鳥居の礎石らしきものだけが残る。
拝殿に参る。
芝東照宮は戦災によりほとんどが焼失し、この家光公お手植えの公孫樹(大イチョウ)と、家康公の寿像のみが残った。
境内に井戸がある。
芝東照宮
東京都港区芝公園4丁目8−10
東京都千代田区に鎮座する神田神社。御祭神は大己貴命、少彦名命、平将門命。江戸総鎮守と称して東京の守護神として崇敬される。
社殿は東向き
随神門
神馬のポニーは人気者
鳳凰殿は参拝受付と授与所、参拝者休憩所を兼ねた建物になる。
拝殿に参って、社務所で御朱印をいただく。
拝殿右に獅子の子落としを彫刻した獅子石
拝殿の横から本殿裏にかけて境内社が並ぶ。魚河岸水神社
小舟町八雲神社
大伝馬町八雲神社
江戸神社
浦安稲荷神社
鳳れん・神輿奉安殿
三宿稲荷・金刀比羅神社
末廣稲荷神社
籠祖神社
祖霊社・顕忠碑
明神男坂は急な階段だ。
神田神社
東京都千代田区外神田2−16−2
下諏訪町に鎮座する諏訪大社の下社秋宮。御祭神は建御名方神と八坂刀売神。
春宮より駐車場が広い。参道は西向きだが、境内は南西に向いている。
鳥居を入ると大きな御神木、根入りの杉と呼ばれ、樹齢600年を越え丑三つ時には寝入りいびきが聞こえるという。
杉を過ぎると神楽殿が見えてくる。
神楽殿の左、神宮遙拝所がある。諏訪大社の四社では初めて見た。
拝殿左に境内社四社。末社鹿島社、御祭神は武甕槌命。
中央が末社賀茂上下社、御祭神は上賀茂大神と下鴨大神。右が末社八坂社、御祭神は素戔嗚尊、八柱御子神、奇稲田姫命。左は末社子安社、御祭神は高志奴奈河姫命。
右片拝殿の隅に二之御柱。
奥に三之御柱。
幣拝殿に参る。前にそびえるのは三葉の松で、昭和天皇・皇后が参拝した展覧の白松とも言われる。
左片拝殿の隅に一之御柱。
奥に四之御柱。
拝殿の右に境内社三社。中央が摂社若宮社、御祭神は建御名方彦神別命、他12神。右が末社稲荷社、御祭神は倉稲魂神、佐田彦命、大宮売命。左が末社皇大神宮社、御祭神は天照大神、豊受大神。
社務所の前に龍の口から出る御神湯。
入口の鳥居の左に千尋池と末社千尋社。
社前の八幡山に末社八幡社と
末社恵比寿社、御祭神は諏訪大神の父神大国主神と兄神事代主神を祀る。
斎館前の駐車場に入る長生橋
入口の案内板には「霞ヶ城跡(手塚城)」が説明されている。当地は下社の神官金刺氏の居城跡で、金刺光盛は木曽義仲に従って倶利伽羅峠の戦い、篠原の戦いと奮戦したという。
この辺りから東に諏訪湖が見える。
駐車場には金刺光盛の兄、大祝金刺盛澄の像がある。弓馬の達人だったということで流鏑馬の像となっている。
当社で諏訪大社四社の御朱印をいただいたことになるが、四社すべて御朱印を集めた参拝者は家紋入りの干菓子をいただける。
諏訪大社下社秋宮
長野県諏訪郡下諏訪町5828
下諏訪町に鎮座する諏訪大社の下社春宮。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。
社前の駐車場に車を停め、神社へ向かう。
入口は工事中だった。
少し回り込んで入ると、鳥居の修復中だろうか。
少し坂を上って社殿に向かう。
正面は神楽殿。
右に結びの杉という大杉がそびえる。
杉と拝殿の間に二社並んでいる。末社上諏訪社、御祭神は建御名方神。
摂社若宮社、御祭神は建御名方彦神別命、他12神。
左片拝殿片拝殿の隅に一之御柱。
奥に四之御柱が見える。
幣拝殿に参る。
右片拝殿片拝殿の隅に二之御柱。
奥に三之御柱。
左に二社並んでいる。末社児安社、御祭神は高志奴河姫命。
筒粥殿、特殊神事のひとつ筒粥神事が行われる建物
境内の西を流れる砥川の中州に末社浮島社が建つ。大祓、夏越の祓が行われる。
さらに西岸に渡ると、万治の石仏がある。
春宮の鳥居を造るためにノミを入れたところ、傷口から血が流れ出したという伝説のある石仏。とても穏やかな顔と風貌だ。
社前から南へ800m延びる道路は馬場だったという。中間から神社寄りに下馬橋がある。
国道20号線、旧中山道との交差点に大鳥居が立つ。
下社春宮を参拝した後、もう一度回ったところがある。大鳥居の少し南に立つ大灯籠。
春宮から秋宮の間に矢除石と龍の口がある。矢除石は慈雲寺の天桂和尚が矢除けの霊力がある石として、武田信玄に念力のこもった矢除札を授けたという伝説がある。
龍の口は慈雲寺の門前にあり、中山道を往来した旅人ののどを潤したという。
諏訪大社下社春宮
長野県諏訪郡下諏訪町193
茅野市に鎮座する諏訪大社の上社前宮。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。
社殿の駐車場に車を停める。
鳥居の先に階段が見える。社殿は北向き。
鳥居をくぐって右手の森の中に溝上社、御祭神は高志奴奈河比売命。御射山へ出発する際に最初に参詣された社という。
二の鳥居の左右に建物が見える。
前宮の周辺には史跡が点在するらしい。
階段の右手に若御子社、建御名方神の御子神を祀る。
鳥居をくぐると左に十間廊、中世まで祭政を行った政庁。
右には内御玉殿、諏訪大神の祖霊が宿る御神宝を安置していた御殿。
御室社。中世まで半地下式の土室が作られ、神官らが蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに冬ごもりした遺跡という。
ようやく拝殿が見えてきた。
振り返ると南方は開けて、とても景色がいい。
拝殿に参る。
拝殿左に水眼(すいが)と呼ばれる清流が流れる。その先に二之御柱が立っている。ここから時計回りに回ってみる。
拝殿の左後方に三之御柱が立っている。
前宮には本殿がある。その後方をまわる。
拝殿右後方の四之御柱
拝殿右前方の一之御柱
下りてきて社務所で御朱印をいただく。本宮と比べると参拝者は圧倒的に少ないが、神域の雰囲気はよい。
社務所から西に少し回り込む。諏訪照雲頼重の供養塔
前宮は中世まで大祝の居館があり、神殿(ごうどの)と呼ばれていた。その居館に附属する社殿が元になっている。
弓立石、別名矢立石と呼ばれる烏帽子状の立石で、周辺に的場や馬場があったと言われる。
駐車場に戻る。駐車場の一画には摂社荒玉社が鎮座する。稲の御霊を祀るという。
諏訪大社上社前宮
長野県茅野市宮川2030
諏訪市に鎮座する諏訪大社の上社本宮。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。上社の本宮・前宮、下社の秋宮・春宮の四社で延喜式諏訪郡南方刀美神社の比定社で明神大社、信濃国一宮。
上川に架かる橋の北側に鳥居が立つ。
北参道沿いにはみやげ店が並ぶ。
北参道の鳥居より境内に入る。
右手に社務所がある。通常は参拝後に御朱印をいただくのだが、大勢の参拝者が来る神社では先に預けることもある。諏訪大社は一社500円。
末社高島神社、御祭神は諏訪頼忠公、諏訪頼水公、諏訪忠恒公。上社神職大祝家の祖先で諏訪藩、高島藩の藩主。
交通安全祈祷殿
北参道鳥居の正面に堀重門が階段の先に見える。右には御柱。
一之御柱。拝殿を囲むように四方に四本の御柱が立つ。
神楽殿
天流水舎、雨乞いの水としてお天水と称される。
神楽殿の横には土俵がある。
駒形屋と呼ばれる神馬舎。明治以降は銅製と木製の二頭の神馬が安置される。
東参道の入口門、右に二之御柱が立つ。
入口門の左に摂社出早社、御祭神は出早雄命。諏訪大神の御子神で門番神として崇敬される。
布橋を通る。左に絵馬堂
次に摂末社遙拝所、かつては39社を遙拝する処であったが、現在は摂末社が約百社ある。
摂社大国主社、御祭神は大国主命。諏訪大神の父神。
振り返れば布橋の右に東御宝殿、左に五間廊、勅使殿がある。
四脚門。かつては大祝だけが通れた門だった。
入口門をくぐって拝殿前に入る。勅願殿は私事の祈祷を行うところ。
拝殿は西向き。上社本宮には本殿はなく、左右に片拝殿がつく。拝殿に参る。
社務所で御朱印帳を受け取る。社務所裏の西参道には境内唯一の木造鳥居である浪除鳥居。
次に参拝する途中、旧大祝邸跡の案内板が立っていたので行ってみる。
門塀に囲まれた屋敷
門も屋敷も朱色の屋根で印象的だ。
諏訪大社上社本宮
長野県諏訪市中洲宮山1
諏訪市に鎮座する足長神社。御祭神は脚摩乳命。
ナビで案内された足長丘公園から歩く。
神社へは裏参道となり、2つの石に注連縄が掛けられている。
舞屋と呼ばれる神楽殿
足長大明神の扁額と多くの彫刻がある。彫刻は鳥避けの金網がしてある。
舞屋のあたりからは視界が開けていて景色がとても良い。
一段上の拝殿に向かう。階段途中の二本の杉に注連縄が掛けてあり、鳥居替わりとなっている。
拝殿に参る。拝殿も多くの彫刻がしてある。
拝殿の右に複数の石祠が並んでいる。
帰りは甲州街道に面する表参道に下りる。杉の並木の間に石鳥居が立っている。
御朱印は兼務社の手長神社でいただく。
足長神社
長野県諏訪市四賀足長山5386
諏訪市に鎮座する八剱神社。御祭神は八千矛神、日本武尊、誉田別尊。
早朝の諏訪湖。本朝二十四孝狐火の段の八重垣姫像がまさに諏訪湖の湖面を滑るように立っている。
諏訪湖の御渡り神事は当神社の特殊神事である。
神社は住宅地の中に鎮座する。
神社の旗が揚がっている。
ちょうど秋季大祭の日であった。
境内には法被姿の氏子が集まってきていた。
本殿の周りには御柱が四方に立てられている。
拝殿に参る。拝殿も幕と提灯で飾り付けられている。
長野県では珍しい番塀
境内社も多く、
境内社にも四方に御柱が立てられているのがすごい。
八剱神社は旧県社であるが、現在は手長神社の兼務社となっているので御朱印は手長神社でいだたいた。
八剱神社
長野県諏訪市小和田13-18
名古屋市に鎮座する熱田神宮。御祭神は熱田大神(三種の神器の草薙神剣の御霊代)を主祭神とし、天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命、建稲種命。延喜式愛智郡熱田神社の比定社で明神大社。大社だけあって摂末社にも延喜式内社が多い。
正門である南門の第一鳥居から入る。
鳥居を入って左手にまた鳥居がある。
正面は摂社上知我麻神社、御祭神は乎止与命。延喜式愛智郡の論社のひとつ。右に大国主社、左に事代主社がある。
近くの授与所で別宮八剣宮と上知我麻神社の御朱印をいただく。
別宮八剣宮、御祭神は本宮と同じ熱田大神。延喜式愛智郡八剣神社の比定社。
八剣宮前に樹齢300年を越える太郎庵椿
摂社日割御子神社、御祭神は天忍穗耳尊。延喜式愛智郡の比定社。
摂社孫若御子神社、御祭神は天火明命。延喜式愛智郡の論社のひとつ。
清雪門、もと本宮の北門。
南新宮社、御祭神は素戔嗚尊。境内では唯一の朱色の社殿。
末社楠御前社、御祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊の二柱。
八剣宮の境内社徹社、御祭神は天照大神の和魂。
二十五丁橋、板石が25枚あり、市内最古の石橋。
第二鳥居
樹齢1000年を越える大楠
第三鳥居前の左の信長塀横に末社西八百万神社、御祭神は西国坐八百万神。
右の信長塀横に末社東八百万神社、御祭神は東国坐八百万神。ちょうど結婚式を終えた行列が通る。
第三鳥居、東門、西門の参道も合流するので人が多い。
拝所となる外玉垣御門で参る。
本宮は明治時代に尾張造りから神明造りに造り替えられた。
授与所の前にならずの梅、花は咲くが実は付けないという。
西楽所は徳川綱吉公の再建で、明治以前の残る数少ない建物。
末社大幸田神社、御祭神は迦之御魂神。
末社内天神社、御祭神は少彦名命。
六末社は乙子社(御祭神は弟彦連)、姉子神社(御祭神は宮簀媛命)、今彦神社(護佐神は建稲種命)、水向神社(御祭神は弟橘媛命)、素戔嗚神社(御祭神は素戔嗚尊)、日長神社(御祭神は日長命)の六社。
宝物館の近くで神鶏が遊んでいた。
第二鳥居から西門の間に末社菅原社、御祭神は菅原道真公。
西門を出て北に行くと、西向きに摂社下知我麻神社、御祭神は真敷刀俾命。延喜式愛智郡の論社のひとつ。
他にも摂社御田神社(御祭神は大年神)
熱田神宮
愛知県名古屋市熱田区神宮1丁目1−1
一宮市に鎮座する大神神社。御祭神は大物主神。延喜式中島郡の比定社で明神大社、尾張国一宮。
社殿裏に駐車場があり、本殿裏を境内を正面にまわる。
社殿は南向き。一宮にしては境内が狭い。
鳥居をくぐるとクスノキの御神木が一際大きい。
拝殿に参る。
拝殿に張り紙がしてある。神社は大神社の兼務社で社務所は少し離れている。御朱印には事前連絡が必要ということで、初めてのパターンではあるが今日は諦める。兼務社ということもあってかやはり廃れている感が否めない。
本殿左に境内社二社
本殿右に境内社二社
拝殿右に一社。境内社は白山社、三島社、招魂社、素盞嗚社、神明社、六所社の六社あるというが、社は五社しか見当たらず、いずれも特定できない。
大神神社
愛知県一宮市花池2-15-28
一宮市に鎮座する真清田神社。御祭神は天火明命。延喜式中島郡真墨田神社の比定社で明神大社、尾張国一宮。
社殿は南向き。鳥居の先に楼門が建つ。
楼門の前には神橋がある。
木造の楼門
拝殿に参る。本殿の後ろには摂社三明神社が鎮座し、別宮となっている。今日は七五三の親子連れが大勢参拝に訪れていた。
御朱印をいただき末社を回る。拝殿左手に三八稲荷社。
拝殿の右手に服部神社、御祭神は萬幡豊秋津師比賣命。主祭神の母神である。
服部神社の右に、左から愛鷹社、犬飼社、天神社の三末社。
神池の浮島には厳島社(右)と八龍神社(左)
東門入ってすぐの小山に須佐之男社、秋葉社、愛宕社があり、市内から遷座した社である。
神社は昭和20年の戦災でほぼ焼失してしまったが、楼門横で社務所の向かいにある宝蔵庫は焼失を免れた建物である。
真清田神社
愛知県一宮市真清田1丁目2−1
越前市に鎮座する大瀧神社。御祭神は國常立尊、伊弉諾尊。
町の入口に社名標と鳥居が立つ。
朱色の大きな四脚鳥居
奥へ進むと境内が見えてきた。イチョウの葉が一面に落ちて黄色の絨毯のように広がる。
境内右に社務所兼自宅がある。帰りに寄ると宮司は外出中だったが、御朱印はおばあさんが親切に対応してくれた。
大瀧神社の御朱印が欠けてしまったと別紙に押してくれた。
社殿は南向き。境内にはイチョウだけではなく杉も多い。
拝殿と本殿は雪囲いされているが彫刻が凄い。夏に一度見に来たいと思う。
拝殿に参る。扁額は大瀧神社とともに岡太神社が合祀されている。
岡太神社の御祭神は紙祖神川上御前。延喜式今立郡岡本神社の論社のひとつ。
拝殿の右に神輿殿
拝殿下の境内に観音堂、神仏分離前の大瀧寺だった時の十一面観音坐像が祀られている。
周辺は今でも紙の里として手漉き紙が作られているので川上御前は大切に祀られている。
境内の東から奥の院に行く参道が延びる。
大瀧神社
福井県越前市大滝町13-1
敦賀市に鎮座する愛宕神社。御祭神は火産靈大神。金崎宮の境内社であり、延喜式敦賀郡金前神社の論社。
金崎宮への階段の途中に鳥居が立つ。
急な階段
社に参る。
愛宕神社
福井県敦賀市金ケ崎町2-1
敦賀市に鎮座する氣比神宮。御祭神は伊奢沙別命(氣比大神)、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、日本武尊、玉姫命、武内宿禰命の七柱。延喜式敦賀郡氣比神社の比定社で明神大社、越前国の一宮。
表参道の大鳥居は旧国宝。表参道は東へと延びる。
参道左に末社猿田彦神社、御祭神は猿田彦大神
社務所前を通り、旗揚松で左に折れる。宮司家が南朝方で挙兵するにあたり、氣比神の神旗を揚げたという。
鳥居と廻廊の先に拝殿が見える。社殿は南向き
外拝殿に参る。
拝殿の左に九社の宮が並ぶ。入口から摂社伊佐々別神社(御祭神は御食津大神荒魂)、末社擬領神社(御祭神は建功狭日命)、摂社天伊弉奈彦神社(御祭神は天伊弉奈彦大神、延喜式敦賀郡伊佐奈彦神社の論社)、摂社天伊弉奈姫神社(御祭神は天比女若御子大神、延喜式敦賀郡天比女若御子神社の論社)、摂社天利劔神社(御祭神は天利劔大神、延喜式敦賀郡天利剣神社の論社)、末社鏡神社(御祭神は神功皇后奉献の宝鏡の神霊)、末社林神社(御祭神は林山姫神)、末社金神社(御祭神は素盞嗚尊)、末社劔神社(御祭神は姫大神尊)
本殿の左に末社神明両宮、天照大御神と豊受大神を一社ずつ祀る。
本殿の左右に二社ずつ、四社の宮が囲む。東殿宮(東)、総社宮(東北)、平殿宮(西北)、西殿宮(西)の四社。
東駐車場の一画に土公拝所
フェンスの向こう敦賀北小学校校庭に土公と呼ばれる小丘がある。主祭神の氣比大神が降臨した地という。
末社大神下前神社、御祭神は大己貴命、稲荷神と金刀比羅神を合祀する。延喜式敦賀郡の論社のひとつ。
末社兒宮、御祭神は伊弉冉尊。
左の狛犬の「享保十一年 加賀屋正利造」の銘が見える。
摂社角鹿神社、御祭神は都怒我阿羅斯等命。「敦賀」の地名発祥と言われる。都怒我阿羅斯等命は大加羅国の王子で延喜式敦賀郡の比定社。
絵馬堂
多くの絵馬が架かる。
荒れている絵も多いが、主題はいろいろある。
境内整備の一環として芭蕉像が立っている。
氣比神宮
福井県敦賀市曙町11−68
伊賀市に鎮座する花垣神社。御祭神は経津主命、武甕槌命、天児屋根命、比売大神の春日四神を主祭神とし、他に七大神を相殿に祀る。延喜式伊賀郡乎美祢神社を合祀したといい論社のひとつ。
予野川に架かる朱色の宮前橋を渡ると神社がある。社殿は北向き。
境内入口に朱色の鳥居が立つ。
入口に芭蕉の「一里は皆花守の子孫かな」の句碑が立つ。花垣庄は興福寺領として、毎年奈良に赴き花垣を結い、花の盛り七日間は宿直を置き守らせたと伝わる。
階段を上がると外拝殿か
拝殿前の左に御神木ナナミノキがある。
境内に入ると正面に拝殿。拝殿に参る。
拝殿後ろの塀の中に朱色彩色の本殿が建つ。左は宝物殿か
拝殿右手に別当寺であった池邊寺。同じ境内に神社、寺が隣り合い神仏習合の姿が残る。
本殿の右、池邊寺の奥へ進むと不動池がある。池邊寺の本尊は不動明王。
社前の道路を東に進むと、当地の銘樹八重桜(県指定天然記念物)。春日神が八重桜を見たいという神託により祀ったのが創始という。
近くに社務所があったが無人であった。
花垣神社
三重県伊賀市予野194
伊賀市に鎮座する大村神社。御祭神は大村の神を主祭神とし、武甕槌神、経津主神、天児屋根命を配祀する。延喜式伊賀郡の比定社。大村の神は、第十一代垂仁天皇の皇子で倭姫命の弟君にあたるという。
駐車場は狭い山道を上り南鳥居の手前。
鳥居横に「式内 大村神社」の社名標が立つ。
鳥居をくぐると右手になまず池
続く右手に鳥居があり、正面に神宮遙拝所がある。
右手に境内社の英霊社
南参道から境内に入ると左に鐘楼が残る。
梵鐘は駐車場になっている場所にあった宮坊禅定寺にあったもので「虫食の鐘」と言われる。
ここで正面に見えてくるのは境内でも一際大きい「巳の大杉」と言われる御神木
ここで一度山から下りて東参道入口の鳥居から徒歩参拝者として入る。
灯籠が両側に並ぶなか階段を上る。
社殿は北向き。参道は徒歩の東参道、西参道と自動車の南参道があり、社殿にまっすぐ入る北側に参道はない。
拝殿に参る。絵馬にもなまず
なまずの置物もある。
拝殿右に要石社。武甕槌神、経津主神が常陸・下総から大和の三笠山遷幸の途中、神社に御休息し「要石」を奉鎮されたという。
鹿嶋神宮と香取神宮にある要石と同じく、大地を揺るがす大なまずをしっかりと押さえ、地震の守護神として崇敬を集める。
旧本殿の宝殿。檜皮葺、朱色の彩色で、柱上部や組み物が極彩色になっている。
南参道に続く道路沿いの桜山公園。神社境内が高台にあることがよくわかる。水場もなまずになっていて地域に地震守護の神社が深く根ざしていることがわかる。
大村神社
三重県伊賀市阿保1555
伊賀市に鎮座する神戸神社。御祭神は大日孁貴命を主祭神とする。倭姫の巡行地のひとつ伊賀穴穂宮の候補地のひとつで元伊勢を称する。明治の神社整理で合祀した比土村の高土明神が延喜式伊賀郡の比地神社の論社のひとつになっている。
社殿は南向きだが、鳥居は西と東に2つある。
西の鳥居を入ると右に天之真奈井戸がある。
境内の東には木津川が流れる。
東の鳥居を入ると観音堂が建つ。
拝殿に参る。境内の社務所兼自宅で御朱印をいただく。
本殿は檜皮葺の屋根の神明造。というのも伊勢神宮の風日祈宮の古材を譲り受けて20年に一度遷宮を行うという。
本殿裏に山神
拝殿前参道右に護国社。地元の英霊を祀る。
護国社の隣に山神
倭姫は巡行地で稲作を広めたとも言われる。神社周辺にも稲田が広がる。
神戸神社
三重県伊賀市上神戸317
伊勢市に鎮座する倭姫宮。皇大神宮の別宮で、御祭神は倭姫命。古い歴史のある神宮において大正12年に創建された新しいお宮である。
入口の鳥居は東向き
深い森の中、参道を行くと社殿が見えてくる。社殿は南向き。
宮に参る。現在の社殿は左(西)の敷地
今の式年遷宮で右に移動する。帰りに御朱印をいただく。
倭姫宮の向かい側には神宮徴古館が建ち、神宮の宝物や資料を展示している。
神宮文庫前の倭姫前交差点は外宮から内宮への参道途中にあり、内宮入り口となる大鳥居が立つ。
皇大神宮別宮 倭姫宮
三重県伊勢市楠部町5
伊勢市に鎮座する猿田彦神社。御祭神は猿田彦大神を主祭神とし、大田神を相殿に祀る。猿田彦大神の子孫である宇治土公家が代々宮司を務める。
社殿は南向き。神宮内宮を向いて建てられている。
拝殿に参る。
拝殿の前には旧本殿の御神座があった場所に方位石がある。拝殿左の社務所で御朱印をいただく。
拝殿右に摂社佐留女神社。御祭神は天宇受売命。
社殿は北向き
東側から内宮駐車場に戻る。
東口には本居宣長翁が宇治土公家に宿泊された時に詠んだ歌の書かれた大顕彰碑が立つ。
猿田彦神社
三重県伊勢市宇治浦田2-1-10
伊勢市に鎮座する皇大神宮。御祭神は天照大御神。
雨がかなり強くなってきた。それでも内宮前には参拝者の人だかりができていた。
現在の宇治橋の下流には次の式年遷宮に架け替えるための橋脚が残っていた。
参道を進み、手水舎を過ぎて宇治川沿いで手を清める。
神楽殿を過ぎると横に五丈殿が建っている。
さらに奥に進むと今回の式年遷宮の正宮の建設中であった。次回は手前左側に正宮が建つ。
正宮の下に御贄調舎
正宮に参る。
御稲御倉
外幣殿はちょうど遷宮途中
別宮荒祭宮、右側に遷宮途中
御酒殿と由貴御倉
御厩、今日は留守だった。
天候も悪かったので御朱印をいただいて早々に帰ってきたが、別宮をいくつか参拝していないことが後でわかった。次回参拝はくまなくまわりたい。
帰りのおはらい町通り。行くときは気が付かなかったが、式年遷宮のためのお白石が積まれていた。
皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1
伊勢市に鎮座する豊受大神宮、通称の神宮外宮のほうがよく知られる。御祭神は豊受大御神。
駐車場に停め、北御門口より境内に入る。
参道右手に御厩(みうまや)。今日は不在。
表参道が見えてくると、左手に神楽殿
右手に手前が五丈殿、奥が九丈殿
表参道を右に曲がって正宮に参る。二年後の式年遷宮の遷御までは右側の敷地に建てられている。
正宮の反対側の別宮を巡る。別宮風宮
別宮土宮
別宮多賀宮
表参道を通り鳥居まで戻る。
第六十二回式年遷宮を記念して建設されたせんぐう館を見学する。
せんぐう館前には勾玉池に奉納舞台が浮かぶ。
豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279
津市に鎮座する比佐豆知神社。御祭神は火之迦具土神。延喜式安濃郡の論社のひとつ。
境内には三重県神社庁がある。
南向きの社殿
鳥居脇に龍神灯籠、江戸時代中期の御影石製で福山藩阿部家の江戸屋敷に置かれていたものを渡辺龍神氏が譲り受けたものを寄進した。後ろの槇の木は樹齢三百年以上で海老屋商店の屋敷に植えられていたものを寄贈された。
拝殿に参る。今日は人が誰もおらず御朱印をいただけなかった。
拝殿の右、東側に境内社が集まる。祖先(みおや)の社
境内社稲荷神社、御祭神は茶臼稲荷大神、伏見稲荷大神を相殿に祀る。元は隣接する茶麿山上にあった。
山神の碑がたくさん。周辺の山神が集められている。
白龍大明神
フェンス際には庚申塚や石仏などが並べられていた。都市開発により境内に遷されたものが多いようだ。
比佐豆知神社
三重県津市鳥居町210−1
鈴鹿市に鎮座する都波岐奈加等神社。都波岐神社と奈加等神社の合祀殿となっていて、通称都波岐奈加等神社と称する。延喜式河曲郡の都波岐神社、鈴鹿郡の椿大神社、河曲郡の奈加等神社の論社であり、伊勢国一宮。御祭神は猿田彦大神、中筒之男命、天椹野命。
県道506号線沿いに灯籠が両側に立ち、北へ参道が延びる。
社殿は南向き。現在の境内は広くはない。
都波岐神社と奈加等神社の社名標が別々に立つ。
拝殿に参る。
拝殿前の鳥居横に大木がある。
本殿の左右に境内末社。左が小川神社、右が神明春日社。小川神社は延喜式河曲郡の論社のひとつ。
境内の授与所で御朱印をいただく。都波岐神社単独と通称の都波岐奈加等神社の2パターンがあるが、比較的大きめの自分の御朱印帳では墨書きの最後が詰まる。宮司が留守の場合も多いということで、予約して御朱印をいただきに伺った。
三重県鈴鹿市一ノ宮町1181
鈴鹿市に鎮座する加佐登神社。御祭神は日本武尊を主祭神とする。
社前の駐車場に停める。
本殿の北に白鳥塚があり、古くから日本武尊の御陵と伝えられ、死の間際まで持っていた笠と杖を塚のそばに祀ったのが創始という。
入口に高宮資料館があり、付近で発掘された考古資料などを展示する。
長い階段を上る。
階段の途中、右手に熊野大神社跡の石碑が立つ。すぐ脇に杉の御神木がある。
当社は延喜式鈴鹿郡の倭文神社(御祭神は天羽槌雄命)の論社のひとつで、加佐登神社に合祀された。
階段を上り終えると、広い平地に境内が広がる。社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿内には「日本武尊」の扁額がかかる。
境内の日陰では神鶏が二羽遊び回っていた。平和な雰囲気が広がっている。
拝殿右に境内末社、稲荷神社の朱色の鳥居が複数建つ。
境内社に入ると、中央に稲荷神社、右に日代神社、金刀比羅神社、左に多度神社、内内神社の五社の合祀社であった。
拝殿と末社の間に日本武尊像、本殿の屋根は檜皮葺。
本殿の脇を北から西に回り込むと史跡白鳥塚古墳。
日本武尊の埋葬地と伝わるが、宮内庁は能褒野墓のほうを比定しているので、こちらは三重県指定史蹟となっているのみである。
加佐登神社
三重県鈴鹿市加佐登町2012
亀山市に鎮座する能褒野神社。御祭神は日本武尊(倭健命)。明治の神社整理により、川崎村にあった県主神社(御祭神は建見児玉)、志婆加支神社(御祭神は大八洲の霊)を合祀し、ともに延喜式鈴鹿郡の論社のひとつ。
境内一帯はのぼのの森公園として整備されている。
当地は日本武尊が東征の帰路薨去した地と伝えられる。
参道を進むと右に折れ、鳥居の先に拝殿が見えてくる。
拝殿に参る。
拝殿の右に那久志理神社、御祭神は長白羽神、瀬織津姫命。もとは当地の東方に鎮座していた。
明治の神社整理により、能褒野神社に合祀。鳥居をくぐって進むと山神と
水神の碑があるのみであった。
拝殿右に社務所があるが留守であった。玄関に御朱印の書き置きが置いてあったのでいただいてきた。
神社の南方に日本武尊の能褒野墓があり宮内庁管理となっている。
能褒野神社
三重県亀山市田村町1409
鈴鹿市に鎮座する県主神社。椿大神社の境内摂社で、延喜式鈴鹿郡の論社のひとつ。御祭神は倭建命、建貝児命。
縣大明神と称し、川崎村の鎮守社であったが、明治の神社整理で能褒野神社に配祀され、平成10年に椿護国神社の南隣に遷座した。
本殿のみの小社。本殿に参る。
右隣に椿護国神社
県主神社
三重県鈴鹿市山本町1871