発行:金澤市神祇会
発行日:1942年12月8日(非売品)
ページ数:約130ページ
昭和17年時点で金沢市内に鎮座または氏子を持つ神社121社を網羅して、写真、旧社格、祭神、祭典日(例祭日)、由緒を記載する。昭和7年発行の「金沢市内神社写真帖」から掲載数は大きく増えているが、朱印一覧はなくなった。写真は改めて撮影されているようで、両書を比較して十年の間に変わっているところを探すのも楽しい。この時代の神社の写真が掲載されているのはとても貴重である。
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対馬の神道
著者:鈴木棠三
発行:三一書房
発行日:1972年1月31日
ページ数:444ページ
価格:3,900円 絶版
対馬の神社研究において外すことができない一冊。対馬に残る神社誌「対州神社誌」の翻刻、第一部の論考が貴重。
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越中氷見 朝日神社
氷見市の朝日神社。御祭神は天照大神。
夕日神社と二社で延喜式内社の射水郡加久彌神社の論社である。
朝日神社のある氷見小境浦には宗良親王(後醍醐天皇の皇子)の伝説が残っている。宗良親王が越後の寺泊から直接小境に着岸し、しばらく逗留したのち、奈呉の浦へ移ったという。親王の着岸の場所は朝日神社前の「黒岩」という岩礁のある場所で、「親王腰掛の石」があったという。現在は国道160号の拡幅工事により道路敷となり、昔の面影はない。
また、親王は朝日神社と夕日神社を伊勢の両宮に見立てて参拝されたという。この両社のあいだを伊勢領といい、朝日神社の境内には古来土足で入ることを禁じており、村人は正月元日には素足参りをする習慣があったそうだ。
鳥居は北向きだが
階段を上っていくと
拝殿・本殿は朝日を受けるように東向きに建っている。
拝殿と本殿は弊殿でつながる。
朝日神社は海沿いに鎮座するので、天気がよければ海越しに立山連峰を望める。
朝日神社
富山県氷見市小境1
越中氷見 夕日神社
氷見市の夕日神社。御祭神は豊受大神。
同市の朝日神社と二社で、延喜式内社の射水郡加久彌神社の論社である。
境内の参道は氷見市立灘浦中学校の校庭横を西に通る。
突き当たって右に階段を上って拝殿がある。
拝殿の後ろに本殿がある。
神社は道路を挟んですぐ小境海岸となる。
天気が良ければ、海越しの立山連峰が見える。
少し北の海岸からは虹が島越しの立山連峰が見える。氷見の絶景スポットのひとつ。
夕日神社
富山県氷見市小境1440
能登七尾 宿那彦神像石神社(旧地)
熊淵川の河口部にかつて宿那彦神像石神社は鎮座していました。御祭神は少名彦神。
現在は少し北に行った丘の上に遷座されています。
この熊淵川を遡れば阿良加志比古神社が鎮座しています。
東浜の漁港からは晴れた日海越しに立山連峰が見えます。きれいに見えるのは冬の寒暖の差の少ない寒い日の午前中らしいです。
元宮なので何もないものと思っていましたが、小祠があると知り、後日再訪しました。
場所は河口部の丘の上(一枚目の向かいの丘、二枚目の橋の右・北側)です。以前はこの敷地にJAの支店があったようです。
1枚岩の磐座が祀られています。
宿那彦神像石神社
七尾市黒崎町
能登七尾 宿那彦神像石神社
七尾市の海岸沿いの海食崖の山上に鎮座する宿那彦神像石神社です。御祭神は少彦名神、健御名方命。
名前から少彦名神の石製の神像が祀られていたのかと想像しましたが、由緒は神鏡二面を祀っていたようです。
社は兼務社となっており御朱印はありません。
正面の小山に神社は鎮座しています。
参道はかなり急です。
坂に続いて急な階段を上ります。
社殿にお詣りします。
周辺を見渡すと石製の変わった奉納物があります。いつの頃のものかわかりませんが、仏教色も感じられる奉納物なので藩政期のものでしょうか。
本殿のうえは整地されて見晴台となっています。
今日は天気が良かったので、海越しに冠雪した立山を見ることができました。
宿那彦神像石神社
七尾市黒崎町ヘ28-3
能登七尾 阿良加志比古神社
七尾に鎮座する阿良加志比古神社。御祭神は阿良加志比古神。
延喜式内社の「阿良加志比古神社」の比定社で、宿那彦神像石神社の論社でもあります。
山里の狭い道を上ってようやく社頭に到着しました。
社殿には長い階段を上らなくてはいけません。
階段途中に末社の東枝神社があります。御祭神はわかりません。
階段を上り詰めて拝殿に参拝します。
拝殿横に杉の巨木があります。非常に立派なご神木です。
このご神木が、大幡神、阿良加志比古神の降臨した五本杉のようです。
広い境内を掃除されていた宮司さんに自宅で御朱印をいただきました。手を止めてしまって申し訳なかったです。
阿良加志比古神社
七尾市山崎町カ35
能登七尾 松尾天神社
七尾にある松尾天神社です。御祭神は少名毘古神、菅原道真公。
御朱印は境内に隣接する自宅の方でいただけます。前回の参拝時は宮司が不在で、今回も不在でしたが、午後に戻られると聞いて再訪問していただきました。
鎮座する地は七尾城のあった山々から平野に延びるひとつの尾根の先端部で、湾全体を見渡せる要地です。元は薬師天神と呼ばれた寺院であり、薬師如来がご本尊だったようですが、神仏分離により神社に復飾して松尾天神社となりました。神仏習合時の薬師如来を少名毘古神と同体として病気平癒を祈願していたのかもしれません。
市街地から離れた場所にあるため、現在でも広い境内と長い参道が残っています。
少名毘古神、菅原道真公を御祭神としていますが、本殿には元は少名毘古神(薬師如来)のみを祀っていたものと思われます。賽銭箱の神紋は菅原道真公の北野天満宮の神紋、梅鉢紋ではなく、前田家の家紋、剣梅鉢紋です。
拝殿隣に立派な筆塚があります。
末社として天満宮があり、こちらに菅原道真公が祀られています。菅原道真公が末社の祭神や相殿の扱いになっていないのは、藩政期に前田家の庇護を受けていたからかもしれません。
松尾天神社
七尾市矢田町ヌ7甲
越中氷見 祇園宮日吉神社
氷見市の祇園宮日吉神社です。御祭神は大山咋神。
旧氷見町は南十町の総社であった祇園宮日吉神社と、北六町の総社であった中央町の日宮神社で、7月13・14日に氷見祇園祭で神輿や太鼓台、曳山が巡行します。疫病退散のため始まった祭りと言われ、富山の曳山では珍しい7月に行われ、そういう意味では京都の祇園祭に近いですね。
社殿は西向きで、海に向かうわけではなくどうしてこういう向きなんでしょうか。
正面鳥居横の神社標は北前船の記念で建てられたものらしく、氷見も藩政期は北前船の寄港地として賑わっていたのでしょう。
拝殿は境内から一段高くなっており、10町を氏子として抱えていることもあり、大きな拝殿です。
拝殿とつながった自宅で御朱印をいただきました。前宮司は手が少し不自由になったということで、以前参拝したときは朱印のみいただいて代わりにお守りをいただいたのですが、今回は息子の現宮司にお会いできましたので、あらためて御朱印をいただきました。
祇園宮日吉神社
富山県氷見市南大町7−2
越中氷見 伊勢玉神社
氷見に鎮座する伊勢玉神社です。越中国府が伏木になった頃、国守大伴家持が社殿を造営し有磯宮と称し氷見郷総鎮守としました。その後伊勢より勧請し伊勢玉神社と改称したことで、主祭神は天照皇大御神となっています。
昭和13年に氷見高砂町の愛宕社、平成17年に朝日山大神宮を合祀し、相殿に火産霊神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、菅原道真公、事代主神、天宇受売命、楠木正成公となっています。
御朱印は境内の社務所兼自宅でいただけますが、兼務社が多く宮司は留守のことも多いのでなかなか機会に恵まれませんでした。5回目の訪問でようやく書き置きをいただきました。
境内はJR氷見駅に近い場所にあります。周辺は住宅地となっていて道路も狭く密集している感じですが、神社の鎮守の杜は目立ちます。
拝殿前には結界を張られた一画がありますが何でしょうか。右方に稲荷社があります。
拝殿に参拝すると、まず目を引くのは正面の俳句額です。万葉の地らしい奉納物です。
伊勢玉神社
富山県氷見市伊勢大町1丁目9−23
越中氷見 高階社
越中国の式内社参拝も最後の社となりました。氷見市の高階社、御祭神は迦具土命。草岡神社の論社の1つです。
石川県との県境に向かってひたすら山を上っていき、もう集落の端かと思うようなところまで行くとようやく神社の旗立を見つけました。
しかし、神社はさらに山を徒歩で上った先にあります。
念のため鈴を付けて入っていくと五分ほど進んで鳥居が見えてきました。
大杉が2本並んだ間に、しめ縄を渡し「門杉」と呼ばれる形になっています。
初めて見たけど、雰囲気あります。神域へ入る気がここでピッと変わるような感じもありました。
門杉を通過しさらに上ること数分、ようやく山頂付近に社が見えてきました。
当然こんな早朝には誰もいませんが、拝殿後方の一段高い場所に本殿が囲いの中にありました。
鍵掛かっているので本殿とはご対面ならず、少し残念。
高階社
富山県氷見市一刎2075
越中氷見 磯部神社
氷見市に鎮座する磯部神社。延喜式内社「磯部神社」の比定社です。御祭神は磯辺氏の祖神である天日方奇日方命。
周辺に宮司宅は見当たりませんでしたので、おそらく御朱印は難しいでしょう。
今日は暗くうちに出発して、棚田越しに富山湾、立山から昇る朝日を見ました。実に神々しいことでした。
まだ薄暗い早朝に山中の磯部神社に参拝しました。
鳥居をくぐり参道つきあたりに杉の大木に藤が巻きついています。春にはとてもきれいに咲くそうです。
階段を上り、
正面に拝殿が建てられています。
それほど広い境内ではなく、大木に囲まれ昼でも薄暗い感じです。
この社叢は市天然記念物に指定されています。
拝殿後方に覆いをかぶされた本殿が鎮座しています。昔は吹きさらしだったとか。
小ぶりながらも細かい彫刻が施された立派な社殿です。
磯部神社
氷見市磯辺1045
輪島のみやしろ
発行:石川県神社庁輪島支部
編集:輪島のみやしろ編集委員会
発行日:1981年10月30日
ページ数:236P
輪島市内の106社を掲載する。由緒という項目は設けず、口碑伝説と棟札や宝物、古墳、神事と後世に伝えたい事項を記載している。
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石川郡のやしろ
発行:石川県神社庁 石川郡支部
編者:白山別宮神社宮司 田近彰男
発行日:1968年1月1日(非売品)
ページ数:187P
石川県神社庁石川郡支部設立20周年を記念して編纂された。石川県神社誌の発行より前であるため、神社誌の石川郡を抜粋したような内容となっている。文字が大きくて読みやすい。
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増補新訂 大日本神名辞書
発行:堀書店
編著者:梅田義彦
発行日:1972年11月限定版、1972年12月1000部限定
価格:7,000円 絶版
「本書の原著たる「大日本神明辞書」は、明治末期に刊行せられた名著である。すなわち日本書紀以下六国史、古事記、古語拾遺、古風土記、新撰姓氏録、旧事本紀、延喜式等の古典に現れる天神地祇、また一般の伝承に見える祭神、功臣・功労者たる祭神、すべて二千八百柱を、五十音順に列載し、その一々について、その名義、神徳、系統、事蹟、奉祀神社等のことを簡潔に記し、終りにそれらのことについての出典を註記したもので、専門家も便宜の書として珍重したものである。」
五十音順の祭神表もそうであるが、付録の系譜もとても役に立つ。
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石川県神社誌
編集・発行:石川県神社庁
発行:1976年10月初版(非売品)、1977年2月第二版(4,500円)
ページ数:507P
石川県内の約1900社の神社の祭神・祭日・由緒の名鑑が記載されている。
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明治神社誌料 上・中・下・索引
編者:明治神社誌料編纂所
発行:講談社
発行日:1975年11月復刻版
価格:50,000円 絶版
「明治末期の府県社・郷社四千余を収載し、各神社の歴史資料および当時の状況を克明に映し出した六千頁の貴重文献」
明治45年に発行された本の復刻版。復刻するにあたって索引が付いた。三巻の分けて沖縄を除く45府県の府県社と郷社が掲載されている。明治の大合併の後、約11万社のうち4千社なので4%程度ではあるが、全国著名神社はほぼカバーできるので、一社一社の祭神や由緒を調べるには重宝する。
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金沢市内神社写真帖
発行所:金沢市神職会
発行日:1932年5月(非売品)
各神社一枚ずつ表に写真、裏に解説(社格、祭神、祭日、由緒)を挙げる。今は存在しない神社もあり、当時の写真は貴重。巻頭に掲載神社の社印(朱印)表がついており、現在授与のない神社もあるため、これも貴重な資料である。全47社掲載。
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越後糸魚川 天津神社
糸魚川市に鎮座する天津神社。延喜式の頸城郡大神社の論社のひとつ。御祭神は瓊瓊杵尊、天児屋根命と太玉命を配祀する。
市民会館の駐車場隅に立つ社名標。参道は東に向かって延びる。
表参道の橋を渡る。境内に入ると参道は南に折れる。
橋の左に弁天社。
参道を進むと突き当たりに社務所がある。普段は無人のようだ。
社務所前で東に折れ、境内の南西部から入る。鳥居は南と東にもあるが、表参道はなぜこれほど曲がるのだろうか。
境内に入ると右手に衣紋所
左手に宝蔵
南鳥居から入って、楽屋、舞台、拝殿、本殿と並ぶ。社殿は南向き。
春大祭では舞台に朱色の高欄が付けられて舞楽が舞われる。
舞台は神様に奉納するため、拝殿方向を向いている。
拝殿に参る。賽銭箱の上の扁額は「天津社」
拝殿内。中央の扁額は「天津社」、左に「奴奈川神社」、これは背後の本殿の並びと同じ。右に合祀された「住吉」神社の扁額が架かる。
拝殿の左の部屋に白い神馬像と平成5年に枯れて伐採されたご神木が納められている。
本殿の左に奴奈川神社。延喜式頸城郡の論社のひとつで、御祭神は奴奈川姫命、八千矛神を配祀する。
拝殿の背後に天津神社の本殿
本殿右に子聖社。
子聖社と天津神社本殿の間に石祠や石像が集められている。石の仁王像もある。
境内の宮司宅で御朱印をいただく。御朱印をいただく間に神社のパンフレットを読む。パンフレットにはかつて境内にあった神宮寺について書いてあった。残っているものもあるということで、場所を聞いて行ってみることにした。
宮司宅前の藤棚、その奧の井戸が神宮寺の名残のひとつ。
社名標の前、宝伝寺の門前に並ぶ石仏群。これも神宮寺の名残という。
そして、北西へ線路を渡り、塩の道(松本街道)沿いにある寺院群のひとつ、経王寺。
経王寺の梵鐘は神宮寺の梵鐘を移したもので
梵鐘を見ると、確かに「奉建立天津社神宮寺鐘一口」とある。
天津神社
糸魚川市一の宮1-3-34
越後糸魚川 青海神社旧地
糸魚川市に鎮座する青海神社。その元の鎮座地が現在の青海地区公民館東町支館の場所。
文政4年に現在地に遷座された後も、旧社殿は古宮跡としてしばらくの間残っていたが、慶応3年大火で焼失。
石祠を建立して、公民館の建設、再建に伴って現在の敷地西隅に移動したという。
石祠に参る。石祠には御神体の鏡も祀られている。
南西方向、JR青海駅の向こうに見える丘に遷座した青海神社が鎮座する。
新潟県糸魚川市青海281
青海神社(旧地)
越後糸魚川 青海神社
糸魚川市に鎮座する青海神社。延喜式の頸城郡青海神社の論社のひとつ。御祭神は青海首の祖、椎根津彦命。
社名標は線路近くに立つ。神社への入口の阪は車を停めた辺りでかなり距離がある。
というのも、すぐ右に元神宮寺であった清源寺が建つからであろうか。
坂を上ると駐車できるスペースが有り、社殿に向かって階段を上る。
境内は広い。社殿は日本海に向かって北向きに建つ。
拝殿に参る。
本殿は拝殿の後ろ一段高い場所に鎮座する。
拝殿右に境内社が多数。
ひとつ前にある石祠には石像が残る。天神様であるらしい。
境内の落ち葉を掃除していた氏子の方に少しお話を聞く。青海の地は昔は漁業で大変賑わった土地であったという。確かに広い境内と大きな社殿はその面影を偲ばせる。何でも本殿裏に展望台があり、昔は景色が良かったという。案内されたからには行ってきた。道はなんとかわかるものの休憩所も立入禁止になっていて、周囲の高木に遮られ景色も臨めない。残念だがこれが地方の現状というところか。
青海神社
新潟県糸魚川市青海762
越後糸魚川 靑澤神社
糸魚川市に鎮座する靑澤神社。延喜式の頸城郡青海神社の論社のひとつで創建当時は当地にあったという。御祭神は沼河比売命。
海沿いの国道8号線を山の方へ南下、工場地帯を抜けると小さな集落に入る。
道路沿いに西鳥居が立つが境内脇から入るので、もう少し集落を進んで南より入る。
鳥居の扁額は「日連神社」。どういう由来でここに架かっているだろうか。
拝殿の後ろに本殿が建つ。拝殿は寺の本堂のような造り。
拝殿に参る。拝殿の扁額は「靑澤神社」
境内社は鳥居をくぐって境内右に一社。
靑澤神社
新潟県糸魚川市青海2696番地
越中朝日 鹿嶋神社
朝日町に鎮座する鹿嶋神社。御祭神は健甕槌命が主祭神。
北に数十メートル行くとすぐ日本海。社殿は北向きに建つ。
拝殿前の狛犬は角があり、目が大きくどこかユーモラスだ。
拝殿に参る。
拝殿正面の彫刻は東洋風だが題材は何であろうか。
拝殿裏に階段があり、鳥居をくぐると木が一本。本殿への道のようだが、道は宮崎城への登山道ともなっており、その途中に本殿が建っているようだ。
階段前の狛犬は髪がカールしていてやはりユーモラスだ。
境内社は祭神不明な一社
手力男神社
隣の社務所は今日はご不在で御朱印は確認できなかった。
鹿嶋神社
富山県下新川郡朝日町宮崎1484
越中朝日 脇子八幡宮
朝日町に鎮座する脇子八幡宮。御祭神は誉田別尊、豊城入彦命、北陸宮、事代主神。
社殿は西向き。
紅葉に色付いた木々も混ざる中、階段を上っていく。
拝殿はサッシに覆われている。中に入って参る。
拝殿には絵馬が多数架かる。中の1枚、題材が不明だが社とも関係の深い源平合戦の一幕であろうか。
拝殿の右側に鳥居。階段を上ると境内社の神明社が建っている。
その神明社の背後、グラウンドとなっているが、隅に忠魂碑が建っていた。前方のひと山越えると宮崎城跡となっている城山、大宝二年に高向朝臣大足が越中越後国境鎮護の神として城山に創祀されたと伝わる。
木曽義仲が社殿(城山)近くに御所を造り、北陸宮を迎えて、当宮で平家打倒の戦勝祈願したという。
境内入口近くの社務所兼自宅のほうで御朱印をいただいた。
脇子八幡宮
富山県下新川郡朝日町横尾966
越中新川 入善神社
入善町に鎮座する入善神社。御祭神は誉田別尊、建御名方命を配祀する。
神社一帯は花月公園となっている。社殿は西向き。鳥居はこの西鳥居と北鳥居がある。
拝殿と本殿はサッシで覆われている。雪国とは言え風情がない。
拝殿左に戦没者の慰霊碑。
女神像は御祭神の母神神功皇后であろうか。
中門
背後には明治11年9月に明治天皇の北陸東海御巡幸のときに御小休所になった建物が残る。
入善神社
富山県下新川郡入善町入膳3601
越中新川 八心大市比古神社
黒部市に鎮座する八心大市比古神社。延喜式新川郡の比定社。御祭神は大山祇神、少彦名神、迦具土神。近郷の人たちには以前は三島明神と呼ばれ、現在でも三島神社と言われる。
神社南側に駐車場がある。駐車場に社名標と鳥居が立っている。
しかし、この鳥居をくぐっても駐車場の柵があって通り抜けられない。
北側の鳥居。
県道を挟んで向かい側に三島の大欅が立っている。その根元に地神塚、左下に三島の化藤が植わっている。いずれも市内随一の大木である。県道により現在は飛び地境内になっている。
拝殿に参る。
本殿
拝殿の右、社務所との間に黒部護国神社が建つ。
社務所兼自宅で御朱印をいただく。
社務所前に庭に境内社が二社。一社は後ろに大麻納所があるので神明社か。
八心大市比古神社
富山県黒部市三日市3185
越中魚津 魚津神社
魚津市に鎮座する魚津神社。御祭神は天照皇大神が主祭神。
商店街の間に突然現れる木製鳥居。社殿は南向き。
魚津神社は市内の郷社神明社、杵築社、稲荷神社、火之宮神社、市姫神社の五社を合祀した神社で、神明宮が元宮のようだ。
拝殿に参る。朱色の柱が目立つところは稲荷神社のよう。
後ろの本殿も朱色の柱と白壁が目立つ。
拝殿の左に合祀された市姫神社の狛犬と扁額が残る。市姫神社は下村木417-4に鎮座していた。
境内社の愛宕神社。御祭神は軻遇突知命。
境内の参集殿に併設されている授与所で御朱印をいただく。
魚津神社
富山県魚津市中央通り1-3-28
越中魚津 宮津八幡宮
魚津市に鎮座する宮津八幡宮。御祭神は誉田別命。
社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿の扁額は「加積郷総社 正八幡宮」とある。加積郷は魚津市、滑川市、上市町の一部を含み、三代実録に加積神とある式外社に比定される。
境内にはチャンチャン石とバン持ち石が置かれている。チャンチャン石は昔落ちてきた隕石と伝えられ、小石で叩くと高い金属音がする。
本殿の後ろは一段低くなっていて稲田が広がる。宮津の地名はその昔、本殿の後ろまで海だったことに由来してそうだ。
宮津八幡宮
富山県魚津市宮津1520
越中魚津 白山社
魚津市西布施地区に鎮座する白山社。行基の開基と伝わる千光寺とその塔頭が建ち並んでいたという宗教都市だった。
千光寺の南に隣接する。
長い階段を上る。
白山社は千光寺の鎮守であったと思われる。
中に入れたので、拝殿内で参る。
拝殿に入ると天井と奉納額の多さに圧倒される。
天井には人物と花が描かれている。彩色が少し退色しているものの、よく残っている。三十六歌仙であろうか。
嘉永年間奉納の一枚。源平合戦が描かれ、一ノ谷の戦いから衣川の戦いまで義経の半生が描かれているようだ。
拝殿の扁額には「白山大権現 五社大権現」と書かれ、上に鰐口が吊されている。右の御祭神(御本尊)は別所薬師如来、御影大日尊、白山妙理大権現、奥院○○山大権現、○○野天海大○○、野新白山権現、左の方がにじんでいて判別できない。いずれにしても現在も神仏混淆が残っている。祭礼もまた神仏混淆のまま引き継がれているようです。
白山社
富山県魚津市小川寺2927
越前魚津 布勢神社
魚津市に鎮座する布勢神社。御祭神は五十猛命、五十日足彦命。延喜式新川郡の論社のひとつ。
場所がはっきりとは分からず、布勢川沿いの集落内を探していましたが、集落西の山越えの途中にありました。
南向きにまっすぐの参道の先に社殿が見える。
神社標の右に会所らしき建物。
中をのぞくとたくさんの石仏と
お不動さんや千手観音像。神仏習合の名残でしょうか。それにしてもこの数、信心深い土地柄のようです。
参道は長い。拝殿前の草むらに狛犬代わりの石が据えられている。
拝殿が開いていたので中に入って本殿に参る。本殿の両側に古そうな随神像がこちらを向いている。
本殿の前の狛犬は無表情で子犬のよう。ずっと見ていると愛らしく思えてくる。
奉納された黒駒像もあった。
拝殿には絵馬が複数掲げられていた。ほとんどは奉納馬だったが、安政奉納の一枚。右上の山から駆け下りる騎馬が見えるので一ノ谷の戦いのようである。
布勢神社
富山県魚津市布施爪947