制作著作:神宮司庁・神宮式年造営庁
販売:財団法人伊勢神宮崇敬会
収録時間:本編 約60分、ダイジェスト版 薬17分
定価:2,000円
伊勢神宮の神事を中心に神宮の日常を紹介するDVD
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神宮
発行:神宮司庁
編集:株式会社講談社
発行日:2008年6月
ページ数:68ページ
第62回式年遷宮の期間中に神宮と式年遷宮について編集された本。一般には頒布されていないと思われるが、掲載された写真がよく、写真集のような構成で一般の方にも興味を持ってもらえるようになっている。
白山山頂 白山比咩神社奥宮④
3年目4度目の白山登拝に行ってきました。今年は白山開山1300年であり、県外からも多くの予約が入っているようですが、天候が良くない日が続きキャンセルも多いようです。
そんな記念年でもあり、シーズン週末がすべて交通規制が入ったので平日登ることにした。
私も記念年に合わせ奥宮大祭が開かれる日を選んだ。祭礼に間に合うか分からないが、暗い内の4時20分に足下に注意しながらスタートした。
最初の休憩ポイントの中飯場に来る頃には明るくなってきた。
しかし今日も天候は優れず、ずっと濃霧の中だった。
涼しかったこともあり、8時に始まる奥宮大祭の10分前に室堂に到着した。
新築された祈祷殿には大勢の方が詰めかけていた。自分以外は室堂に停まった方々なので荷物も持たず手軽だったが、後ろから吹き付ける風は肌寒かった。記念年の祭礼に参拝できたのは運が良かった。
祭礼は30分ほどで終了し、鳥居前で記念の舞が披露された。
新しくなった祈祷殿
開山1300年を記念して奉納された絵馬
祈祷殿の前に記念行事として開催されているお水返しスポットを見つけた。昨日買ったばかりの白山の水を半分お返ししてきた。
御朱印は本社と同じく記念年であっても例年通りだ。3年目にしてようやく4種類揃った。
2番を選ぶと自動的に墨書きが「白山奥宮」になるということを今年初めて知った。
室堂センターに戻ると山頂郵便局が開いていた。そういえば、シーズンの平日に登ったのは初めてだった。
念願の記念印や登頂証をいただけた。
奥宮を目指す。今年も綺麗に咲くクロユリを見られた。
奥宮に参る。
御前峰山頂も濃霧に包まれていた。
祈祷殿に戻ったのは11時前、下山を始める。
14時登山口に戻ってきた。
記念行事としてタスキリレーもしているので、名前を記入してきた。
白山比咩神社祈祷殿
白山室堂(2450m)
白山比咩神社奥宮
白山御前峰頂上(2702m)
神社百景DVDコレクション31 戸隠神社・榛名神社
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2017年7月18日
価格:1388円+税
収録時間:約132分
BSジャパンで放送された「GRACE of JAPAN 自然の中の神々」(第1シリーズ)の中から「戸隠神社・前篇」(#33)、「戸隠神社・後篇」(#34)、「榛名山・榛名神社」(#3)を収録している。ナレーションは堤真一氏。
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加賀一の宮 白山比咩神社⑦
白山市に鎮座する白山比咩神社。
明日、白山登拝する前に奥宮遙拝所で登山の安全を祈願する。
今年は天気の悪い日が多く、今朝も山頂は雨で1300年の節目で登山者が増えているのに、天候でキャンセルも出ているようで残念です。
拝殿前には来月の奉祝大祭の看板もすでに立っていた。
白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1
加賀尾口 加寶神社
旧尾口村に鎮座する加寶神社。御祭神は太玉命。
中世には白山比咩神社を含む白山加賀馬場の六王子の第六王子として加寶宮と称されていた。戦後まで神職が在職していたが、現在は白山比咩神社の兼務社となっている。
社号標は前石川県知事の中西陽一氏の揮毫
鳥居をくぐると広場の先、一段高い場所に社殿は建つ。
階段の脇に平成17年に尾口村が合併して白山市になったときに建てられた記念碑が建つ。
今日は拝殿が開いていたので中で参らせていただいた。中の絵馬を見学する。
大きな木製の剣が奉納されている。
本殿の建つ土台に大きな岩が入り込んでいる。本殿の裏は崖になっていて尾添川が流れている。
加寶神社
石川県白山市尾添イ54
加賀尾口 白山下山佛社(尾添白山社)
旧尾口村に鎮座する白山下山佛社。尾添白山社とも称しており、御祭神は菊理媛神か?というのも石川県神社庁に未所属の社で情報が少ない。
尾添川に沿って白山一里野温泉へ向かう道路の途中の尾添にあり、右の小道に入り、少し上って折り返す。
道は狭いので道路沿いに駐車し徒歩で上る。
「白山下山佛社」という社号標が建ち、神仏習合時の白山山頂や登山道に祀られていた仏像を保管する2箇所のうちの1つ。
小さな社殿に詣る。右横から大林遊歩道に入るようだ。手前に「大乗寺御佛供水」の石碑。大乗寺御佛供水は加賀禅定道の檜新宮の近くにある湧き水で、石碑がここにある理由がわからない。大林遊歩道は一里野温泉付近で折り返すようで、かつてその先の岩間温泉から加賀禅定道に入る道があったのだろうか。
今日参拝に来たのは年数回の下山佛の公開日だったから。2日間ある白峰の白山まつりの後、1日のみ一里野の白山まつりが開催され、下山佛が公開される。下山佛社に保管されるのは檜新宮や護応石、天池金剣宮など加賀禅定道に奉安されていた仏像。越前禅定道から下ろされた下山佛は白峰の林西寺に保管される。
白山下山佛社(尾添白山社)
石川県白山市尾添
越前勝山 平泉寺白山神社⑤ 白山平泉寺開山1300年記念祭
勝山市に鎮座する平泉寺白山神社。御祭神は伊奘冊尊、天忍穂耳尊、大己貴尊。
今日を中日に3日間境内で食と音楽の祭典が開催されるので、駐車場は勝山城博物館か、越前大仏になるが、シャトルバスが越前大仏が多く、勝山城博物館は1時間後と言われたが、こちらのほうが近いので歩いて向かうことにする。
白山中居神社を出てここへ到着するまで大雨の地域もあったが、運良く晴れ間に当たったようだ。
かつての平泉寺参道を歩いて行く。
途中大きな石が道の両脇にある。手前が牛石、奥が馬石。
20分ほどでまほろばに到着する。
企画展「白山山頂への祈り」:7月1日~8月24日
入口の駐車場には白山に関係する自治体や飲食のテントが並んでいた。
天候が良くないが、人出はまずまずのようだった。
記念イベントとして宝物館が特別公開されていたので、初めて中を鑑賞させていただいた。
宝物館特別公開:7月15日~8月21日
二の鳥居をくぐり、左手に境内社がいくつか並ぶ。
今日は境内社も扉が開かれていた。初めてだったが、中にはいまでも御神像や仏像が祀られていた。
拝殿の扉も少し開いていて、中に多くの絵馬が掛かっていたが、暗くてよく見えなかった。
本社など3社に参る。
平泉の名の由来となった御手洗池の鳥居前には、記念年に合わせて白い石が敷き詰められていた。
かつては塔頭のひとつであった社務所で御朱印をいただく。
いつまでの授与か不明だが「白山開山一三〇〇年」の印がひとつ増えていた。
今日は辻観音堂でも特別公開があった。
辻観音堂特別公開:7月15日・16日
地元の方が留守番をしていたが、撮影してもよいと言われ、聖観音菩薩立像を撮らせていただいた。
両脇には西国三十三観音石像が祀られている。
平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺
越前大野 白山中居神社 創業祭(夏季例大祭)
石徹白に鎮座する白山中居神社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神。
美濃馬場の中心であった長瀧白山神社から美濃禅定道の入口にあたり、かつては全村御師の住む村で、冬期に東海・関東地方へ出向いていた。
石徹白村は複雑な歴史を持つ。かつては越前国大野郡に属していたが、藩政期は郡上藩領であり、越前側の道が美濃側に比べると良くなかったこともあり、昭和の大合併で白鳥町と合併して岐阜県に編入された経緯がある。
集落の一番西奥に神社への鳥居が建つ。
今年は白山開山1300年の記念年である。
鳥居をくぐり少し下ると、イボ取り石
最初の境内社は道祖神社。御祭神は猿田彦大神。
石徹白川に同流する支流宮川を渡る。
階段を上ると右に社殿が見えてくる。
泰澄堂跡の近くに祭礼の準備がされていた。
本殿の横には巨石が祀られている。
急な階段を上り、
本殿に参る。
本殿の右に東相殿新嘗社・御祭神は大日霊貴大神。
左には西相殿皇祖美社。御祭神は磐長姫大神と瓊瓊杵尊大神。
本殿下は拝殿とはいわず、大宮殿という幣殿と斉殿を兼ねた建物。御祭神として菊理媛大神を祀る。
大宮殿の左に授与所を併設した建物内に
二社の境内社が祀られる。須賀神社(素戔嗚大神)と地造神社(大己貴之大神)で、左右の位置関係はわからなかった。
今日は創業祭という夏季例大祭の日
まだ祭礼には時間があったので、参集殿の近くから初めて浄安杉を見に行くことにした。
どんどん山道を上っていくと、目の前に大杉が現われた。天を衝き、見上げるばかりで霊気を感じることができる場所。
境内に戻り、普段は空いていない大宮殿の中で御朱印をいただいた。
10時になり祭礼が始まった。準備されていたのは神職が身を清めるものだった。
神職、巫女の順で大宮殿に入っていく。
祝詞奏上など神事が行われ、
続いて巫女の扇の舞
浦安の舞が行われた。
白山開山1300年を記念して奉納された絵馬
最後に神職らによる神事と玉串奉奠が続き、11時30分に祭礼は終了した。
今日は地域によっては雨予報だったが祭礼の間は降らず、これも神のご加護のおかげだろうか。
創業祭(夏季例大祭) 7月第三日曜
10:00 神事
10:50 巫女による浦安舞
11:10 神事
白山中居神社
岐阜県郡上市白鳥町石徹白3−48
神社百景DVDコレクション30 大國魂神社・武蔵御嶽神社
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2017年7月4日
価格:1388円+税
収録時間:約67分
BSジャパンで放送された「神社百景 GRACE of JAPAN」(第2シリーズ)の中から「くらやみ祭 大國魂神社」(#143)、「霊峰御嶽山 武蔵御嶽神社・前篇」(#132)、「霊峰御嶽山 武蔵御嶽神社・後篇」(#133)を収録している。ナビゲーターは伊藤英明氏。
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兵庫縣神社誌 全四冊
編者:兵庫縣神職会
発行所:臨川書店
発行日:1937年3月31日初版(非売品)、1984年10月30日復刻版
定価:全四冊 55,000円
兵庫県下の神社を20年かけて調査しまとめられた神社誌。50年後に臨川書店から覆刻された。附録には無格社以上の神社一覧で下巻の箱に入っている。
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大阪の祭り
編集兼発行者:大阪府神道青年会
発行日:1980年11月26日
ページ数:363ページ+大阪府内神社祭事暦索引
写真紹介では46の祭礼を紹介する。大阪府内神社祭事暦では府内各神社の祭礼日を掲載している。
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古代尾張氏の足跡と尾張国の式内社
著者:加藤宏
発行日:1988年6月12日
ページ数:394ページ
本書は愛知の神社をたずねる会によって発行された「愛知のやしろ」十二巻を再編集・補訂したもの。
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大阪府神社本殿遺構集成
著者:櫻井敏雄、多田準二
発行所:財団法人法政大学出版局
発行日:1983年6月30日
ページ数:498ページ
近年災害や開発で徐々に失われつつある神社本殿を記録に留めようとまとめられたもの。本殿は玉垣の中にあったり、覆屋の中にあったりで近づけない建物もあるので貴重な調査書と言える。
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越中砺波 神明宮
南砺市に鎮座する神明宮。御祭神は天照大神。延喜式砺波郡荊波神社の論社。
集落に入る南の道路沿いに「村社 神明宮」の社号標とのぼりポール。
住宅地の前にものぼりポールが建つ。
住宅と車庫の間の参道。手前の家は一般の民家のようだった。
境内の入口に鳥居
拝殿に参る。
拝殿のサッシは開かなかったので、外で参ったが、提灯の後ろに扁額が見える。
本殿も覆屋の中のようだ。
右には境内社の秋葉社の石祠が建つ。
神明宮
富山県南砺市桐木155
越中砺波 石武雄神社
南砺市に鎮座する石武雄神社。御祭神は石武雄神を主祭神とし、天照皇大神を合祀する。三代実録記載の石武雄神の論社。
社叢の森に向かって道路沿いに社号標が建つ。田の中を長い参道が続く。
参道の途中に鳥居が建つ。
参道沿いに雉子が一羽。追いかけっこするように参道を進む。
境内に入る石橋を渡ると二の鳥居が建つ。石橋の下には用水が流れる。
境内に入ると「本願寺五世 婥如上人御旧跡」の石碑が建つ。婥如上人が北陸布教の途中、倶利伽羅で老翁に話を聞いて、当地に一週間逗留したという。後に上人は瑞泉寺を開く。
拝殿はサッシに囲われている。
拝殿前に随神座像が立っている。高岡の有磯正八幡宮では入口に随神像が立っているが、拝殿前のものは初めて見た。
拝殿に参る。正面に大きな扁額が掛かっている。女武者が中央に描かれているので巴御前だろうか。巴御前は南砺市福光で亡くなったという伝説も残っている。
本殿もサッシに囲われている。
本殿の左に庭園がある。小山の上に社殿が建つ。
拝殿の右には社務所が建つ。
左方には宮司宅が建つ。御朱印をいただく。宮司が書いている間、奥様と話をしていた。社家河合家は現宮司で45代続いていて、寺から奥様が嫁いだ当時は地元の方に「ひいさま」(姫様)と呼ばれた時期もあったようだ。社宝は阿弥陀三尊像の懸仏で、かつての御神体であり、今でも三十三年に一度御開帳される(岩武三社権現式年開扉大祭。次回は2026年7月)という。
境内の東の田の中、一本の木の下に石碑が見えた。
近づいてみると「六郎塚」とある。
神社の縁起によると、崇徳天皇の天承年間、信州水内郡野尻の郷士河合典膳の子・河合五郎、六郎の兄弟が生れ国の守護神である熊野三神の霊夢によって越中国礪波郡石武野に移って統治したという。河合氏がその熊野三神を当社に合わせ祀り「岩武三社権現」と称し、残る懸仏も三社権現である。以来石武野は、河合氏の故郷の名に因んで野尻郷と称せられたという。六郎塚があるということは五郎塚もどこかにあったのだろうか。
石武雄神社
富山県南砺市野尻711
越中高岡 移田八幡宮
高岡市に鎮座する移田八幡宮。御祭神は移田大神、譽田別尊、天照皇大神、豊受大神。三代実録記載の杉田神の論社。
社殿は東向き。境内には大木が多い。
境内の外右側に赤い社務所が建つ。
境内の右には忠魂碑などが並ぶ。
境内に入ると左手に祭具庫か神輿庫
参道の燈籠は積まれた岩の上に乗っている。
拝殿に参る。
拝殿をのぞくと薄暗いが源平合戦のような大きな絵馬が正面に掛かっている。
拝殿の後ろは玉垣に囲まれているが、本殿の前に中門が建つ。随神が両側に座す随神門のようだ。
本殿は覆屋の中で、玉垣からの角度だと中がよく見えない。
拝殿左に広川社。明治の初めに二度の大火のとき、御神託により境内神木百六十柱の高神大神を祀ったという。
広川社の後ろには境内一の高さの御神木がそそり立つ。
拝殿の右側に境内社の稲荷社と
天満宮。稲荷社の屋根しかないような祠はなぜなのか気になる。
移田八幡宮
富山県高岡市中田4673
越中富山 日宮神社
富山市に鎮座する日宮神社。御祭神は天照皇大神、天穗日命を主祭神とする。延喜式射水郡多久比禮志神社の論社。
境内は東向き。周囲は完全に市街地化しているが、境内の木の大きさからすると、周辺はもっと鬱蒼としていたのかもしれない。
入口の社号標には「日宮神社」とある。
裏にまわると「村社 手向神社」と書いてある。以前の社号らしいが再利用している例は初めて見た。
境内に二宮金次郎像
燈籠は掃除中か崩れたものか
拝殿に参る。
拝殿中央に唐子の奉納額、右に社号奉納額、左は第四次川中島合戦のようだ。
拝殿からは階段を下りて覆屋の中に本殿が入っている。
神明造の本殿
日宮神社
富山県富山市黒瀬北町2-14
越中富山 新川神社
富山市に鎮座する新川神社。御祭神は大己貴命、大新川命を主祭神とし、天照皇大御神、白山比咩命、琴比羅神、建御名方命、菅原道真公を合祀する。三代実録記載の新川神の論社。
新川神が新川郡の由来とも言われ、新川神社の建った場所を新川庄と呼び、後に略して新庄の地名が起こったという。
境内の西に道路が通り、交通量もそこそこあるので少し騒々しい。入口に「郷社 新川神社」の社号標が建つ。
扁額のかかる鳥居をくぐり、社殿までまっすぐ参道が通る。
拝殿に参る。
拝殿には正面に龍の彫刻がかかる。
拝殿には「卯杖、卯槌祝の額」が掛かっている。宮中で正月初卯の日に邪気払いとして行われたもので、天保四年まで新川神社でも行われた。奉納額は弘化四年に富山藩の画家が描いたもの。
社殿はコンクリート製
本殿右の建物は神輿倉か?
社殿の左を進むと奥に新しい参集殿が建っている。
授与所を見ていると、破魔矢と並んで薙刀開運導き守という変わった授与品があった。例祭で猿田彦神が薙を持って歩く。
境内の東に石碑が並び、一角に狛犬の先に2つの石が並ぶ。
陰陽石だという。
社前に隣接して宮司宅があり、御朱印をいただいた。
新川神社から徒歩3分の場所に新庄小学校が建つ。ここは東に常願寺川、西に荒川が流れる要害の地、北陸道に面する交通の要衝でもあった新庄城跡であった。新川神社は新庄城の守護神であって新庄城の落城とともに神宝などを焼失したという。本丸と推定される高台は、かつて御屋敷山と呼ばれ、小学校グラウンドになっているというが、削られて往時の面影はない。
新川神社
富山県富山市新庄町2-13-45
越中滑川 加積雪嶋神社
滑川市に鎮座する加積雪嶋神社。御祭神は大山咋命、大己貴命。
社前の北を通る道路の北が海であり、高い防潮堤が建っている。
通り沿いに「大岩道」という道標が残る。近くの北陸道分岐点に立っていたもので、立山へ向かう道しるべであった。
一の鳥居は北向き。「郷社 加積雪嶋神社」の社号標が建つ。
境内東側の通りに石碑が並ぶ。右2つは「北辰星」「庚申塚」と書かれている。道しるべも2つあるといい、右から4、5番目のものだろうか。立山大権現と書いた法華塔や地蔵も多い。
鳥居をくぐると右に折れ、二の鳥居の先に社殿。社殿は東向き。
拝殿に参る。拝殿前に前の社号「加積雪島神社」の扁額が掛かる。中には「加積雪嶋神社」の扁額が掛かっていた。
拝殿の左に飛び出す建物。高欄があり、舞殿のようにも見える。
幣殿、本殿と覆屋の中。
拝殿左に薬師神社。昭和31年創建の末社。
なぜ薬師かというと滑川地区配置家庭薬協同組合による建立だから。
薬師神社のそばにあるこの土台には何が立っていたのだろうか。銘板も外されていて不明。
加積雪嶋神社
富山県滑川市加島町2050
越中滑川 中加積神社
滑川市に鎮座する中加積神社。御祭神は天照皇大神、須佐之男神。
八坂社を神明宮に合祀し中加積神社と改称する。住宅街にあり境内の森が目立つ。加積郷は滑川市、魚津市、上市町にまたがる範囲であったと言われるが、現在は富山地鉄本線の中加積駅があり、一駅北西に西加積駅がある。近代まで加積郷の地名が残った地域だと言える。
鳥居は西向き。入口に鳥居とのぼりポールが建つ。
鳥居の先に建物があるが、社殿ではなく倉庫のようなもの。
鳥居をくぐって右に社務所。
反対の左に社殿。社殿は南向きで、拝殿前の左右の大スギが御神木になっている。
拝殿に参る。
本殿は覆屋の中だが、拝殿正面から明るければ少し見ることができる。
中加積神社
富山県滑川市堀江上前田156
富山新川 新治神社②
黒部市に鎮座する新治神社。御祭神は譽田別尊、建御名方命、少彦名命。三代実録記載の新治神の比定社。
二度目の参拝。今日は御朱印をいただけた。書けるのは宮司の娘さんのみのようだ。
社殿へと続く参道。10月26日の夜から深夜にかけて行われるたいまつ祭りでは参道両側に大たいまつが並び、過去には火傷や喧嘩が絶えなかったという。元は早朝4時頃に神輿の宮入が行われたが、参加者を増やすため0時過ぎに変更され、神輿の担ぎ手も町会単位から満42歳の厄年に変更されて、他町会への当て付けもなくなり喧嘩は減ったようだ。
拝殿に参る。今は大きな松が目立つ境内だが、松は100年ほど前に植樹されたものらしい。
境内の西に広がる公園と月見嶋の清水は、100年ほど前に大正天皇が皇太子の時に近くを行啓する際に神社が町に寄付し整備したものという。
公園の清掃をしていた年配の方に声をかけられて少しの間話をした。
月見嶋の清水には鯉がたくさん泳いでいるが、近くの廃止された池や鯉商人から譲られた鯉を補充しているという。先日も100匹以上黒い鯉を入れたというが、20センチ以下の鯉は近くに巣を作るサギやトンビにやられて大きなものしか残っていない。まさに弱肉強食。
生地の地は湧き水も多く、各家には地下水の井戸があるといい、池も昔はブクブクと湧き水が沸いていたという。上流のダム建設や工場の地下水利用で水位が下がり、30メートルで出た地下水が80メートルも掘らないと出ないとか。
北前船の寄港地でもあった生地の港だが、小型漁船が主流になると少し南の石田の浜のほうに移り、船が大型化するに伴い、また生地に戻ってきたらしい。
黒部市では三島さん(八心大市比古神社)と並ぶほどの大社であった新治神社だが、かつては黒部川を挟んで入善のほうまで影響があったという。今は時代の流れなのか、宮司の対応なのか、見る影もない。
祭りの話、公園管理の話などいろいろと話を聞けて楽しかった。
新治神社
富山県黒部市生地716
加賀鶴来 金劔宮②
白山市に鎮座する金劔宮。御祭神は天津彦彦穂瓊瓊杵尊を主祭神とする。
5年ぶりの境内。雨の合間を狙っていたが、晴れないので雨の参拝となった。
拝殿に参る。
前回紹介しなかった場所を紹介する。
天忍石(牛石)は影向石であり、神がこの石頭に降臨したと伝える。
隣は亀石。頭だけでなく足も4石あり本当に亀のように見える。
社務所で御朱印をいただく。前回とは「金劔宮印」以外の印の場所が変わった。墨字も変化しているが同じ方のようです。また、忘れてしまっているが御朱印代はなぜか500円。
今日は前回疑問に思っていた場所を訪ねる。金劔宮の境内には3箇所から入るが、扁額のかかる鳥居がない。実は一の鳥居は金劔宮が鎮座する場所から町へ下りた場所に建つ。
参道は男段(北参道)と女段(南参道)の2つある。女段の入口の鳥居と「縣社 金劔神社」と書かれた社号標。
女段と言われるだけあり緩やかな階段
途中に落差15メートル余りの不動滝があり、市街地に近い場所にこれだけの落差の滝を見てびっくりした。
途中には岩清水薬師不動尊が祀られ、名水が湧き出している。
場所は変わり、女段から西に移動した男段の入口。女段より大きな鳥居とやはり「縣社 金劔神社」の社号標が建つ。北参道と言われるこちらが表参道でしょう。
鳥居の前にのぼりポールが立ち、鳥居には「金劔神社」の扁額が掛かる。
階段を上ると右へ、一部が車道となる。
もう一回階段を上ると
社号標の建つ拝殿正面に出る。
金劔宮
石川県白山市鶴来日詰町巳118
日本神信仰史の研究 西宮の延喜式内社の歴史 甲陽文庫ノート(2)
著者:田岡香逸
発行所:民俗文化研究会
発行日:1971年12月1日
ページ数:107ページ
西宮の延喜式内社4社に関する論考を載せる。「日本上古史研究」に投稿された論考に再検討を加えた前・後編と再録の別編二考を掲載する。
続きを読む 日本神信仰史の研究 西宮の延喜式内社の歴史 甲陽文庫ノート(2)
神社百景DVDコレクション29 阿蘇神社・藤崎八旛宮
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2017年6月20日
価格:1388円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「GRACE of JAPAN 自然の中の神々」(第1シリーズ)の中から「阿蘇神社」(#32)、「藤崎八旛宮」(#31)を収録している。ナレーションは堤真一氏。熊本地震で甚大な被害を受けた阿蘇神社、藤崎八旛宮では熊本城を紹介している。
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信濃上田 眞田神社
上田市の上田城内に鎮座する眞田神社。御祭神は上田城の歴代城主である真田氏二代、千石氏三代、松平氏七代を祀る。
御朱印の六文銭の中央の文字は月によって変わる。6月は「智」
本丸東虎口の櫓門をくぐるとすぐに鳥居が建つ。
社号標には真田氏の家紋六文銭が描かれているが、神社の創祀は明治12年に旧藩主の松平氏の初代から三代(上田入封初代)を祀った松平神社になる。昭和28年に歴代城主を合祀して上田神社と改称、市内の同名他社と紛らわしいために昭和38年に再改称して現社名となる。
参道の右に大きな眞田赤備え兜が飾られている。
参道左の城跡の土塁の上に御神木の切り株が残る。倒木の恐れがあって伐られたが樹齢450年を越え、真田氏の頃からここに植わっていたようです。今は屋根がかかるが、以前は眞田赤備え兜が被せられていたようで話がつながりました。
拝殿に参る。
拝殿の後ろには渡り廊下の先に本殿。左に抜け穴の伝説が残る眞田井戸が残る。
拝殿の右に社務所が建ち、御朱印をいただく。もう何年前になるのか、以前来た時は左側にあったような。
社務所の表札は「眞田幸村」。洒落ているなー
眞田神社
長野縣上田市二の丸(上田公園内)
信濃上田 上田大神宮
上田市に鎮座する上田大神宮。御祭神は天照皇大御神。明治19年に伊勢の皇大神宮(内宮)の末社として、長野・新潟・群馬三県の教化及び大麻頒布の拠点として建てられる。
玉垣に囲まれた境内の入口に鳥居。
拝殿に参る。拝殿には「光華明彩」の扁額がかかる。
拝殿前には左右に大きな竈が置かれている。
拝殿前左手に境内社の三峯神社。御祭神は伊弉諾大神と伊弉冉大神。
拝殿左に境内社の上田恵比須神社。御祭神は恵比須神と大国主神。
拝殿横は通り抜けできないが、間から神明造の本殿が見える。御垣の中にあり、横に小さい境内社があるようだ。
拝殿右に社務所があるが、今日は留守だった。
上田大神宮
長野県上田市中央北2-5-5
信濃上田 山家神社 真田相伝六神社御朱印巡り一
上田市に鎮座する山家神社。御祭神は大国主神、伊邪那美神、菊理媛神を主祭神とし、日本武尊、神八井耳神を相殿に祀る。延喜式小縣郡の比定社で、日本百名山にも選ばれている四阿山に奥宮が建つ。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社ですべていただく。
1 山家神社
2 真田神社(山家神社境内社)
3 皇大神社(真田氏館跡)
3 諏訪神社(真田氏本城)
4 安智羅神社(松尾古城)
5 北赤井神社(天白城)
普段御朱印帳はひとまわり大きい市販品を使用していて、神社では購入しないのだが、山家神社では御朱印帳限定朱印があり、兼務社など種類も多種類なるので購入した。ちなみに御朱印帳は二種類あり、今回は山家神社のもの。裏表紙に十一面観音の後ろ姿が描かれていて、お気に入りの一冊。もう1つは真田神社のもので、六文銭が描かれ、御祭神の真田家四公から御朱印を選ぶ。
山家神社御朱印帳の扉ページ(初め)に書いていただける神宮寺の御本尊だった「白山大権現」
そして、今年は霊峰白山開山1300年であり、その奉祝御朱印(見開き)もいただいた。来年奥宮のある四阿山が開山1300年ということで、開山1299年印も押される。来年は四阿山開山1300年御朱印があるのかな?
北西向きに参道が延び、社殿が建つ。社号標には「延喜式内 縣社山家神社」と書かれている。
社前の道路の先に奥宮が鎮座する四阿山を望むことができる。
一の鳥居
二の鳥居
拝殿に参る。拝殿には有栖川宮殿下揮毫の扁額がかかる。
手水舎の横に御神泉。「日本武尊お手洗いの神泉」と書かれている。
拝殿本殿のまわりに境内社が並んでいる。左から回る。
嘉永7年の般若供養塔
駒形稲荷社、御祭神は保食神。真田郷の馬守護神
諏訪社、御祭神は建御名方神
北野社、御祭神は菅原道真命
浄定社、御祭神は藤原浄定命。四阿嶽開山の祖。霊峰白山開山1300年奉祝御朱印に押される修験者が浄定のようです。
七家明神、七氏族の祖先を祀ったというが祠は7基以上あり、氏族も不明という。奥の屋根のかかる松の木には戦時中に油を取ろうとした跡が残っているようだが見忘れた。
山の神の石祠、御祭神は大山祇神。右にもう1基は祠側面に彫物が残る。
健雄社(須佐之男神)、日枝社(大山咋神)、大歳御祖社(大歳御祖神)の三社合祭殿
子安社、御祭神は木花咲耶姫神。真田信幸公の正室小松姫が寄進し、その後松平忠愛公の奥方が修造されたという。
子安社の左後ろに男石
子安社の右後ろの木の洞の中に女石
阿夫利社、御祭神は大山祇神。石には保食神と書いてあるけど、明治3年の奉斎。
蚕養大神。後ろに金比羅社が写っているが、本殿背後の森の中の社や石像をいくつか参り忘れた。
社務所と横に宝物庫。ちょうど車のお祓いをされていて、少し待っていた。昼の時間だったが、お祓い終了後に対応していただいた。
山家神社
長野県上田市真田町長4473
信濃上田 真田神社 真田相伝六神社御朱印巡り二
上田市に鎮座する真田神社。御祭神は真田幸隆大人命、真田昌幸大人命、真田信幸大人命、真田信繁大人命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
山家神社の境内社として鎮座。明治に入り真田氏発祥の地に創建、真田家十代幸民公に許可を得て、真田本家から神璽を奉斎される。現在地には大正8年に遷座される。
赤い鳥居をくぐって参道を進む。
真田神社の鎮座する場所は、山家神社の神宮寺であった白山寺があったところで、明治の神仏分離令により廃寺となったという。
拝殿に参る。
拝殿にかかる扁額は真田家十四代幸俊公の謹書で、真田本家公認の唯一の神社という。
拝殿には宮司揮毫の「白山大権現」の掛け軸がかかる。
神明造の本殿
拝殿前の参道中央に「真田の碁盤石」が置かれている。松尾古城に信繁の碁盤石の伝説があるといい、碁盤には五円玉で六文銭が作られている。
拝殿の階段横に松根油抽出の跡の残る松がある。というのも、昭和25年新たに招魂社を立てる余力がなかったため、旧長村の戦没者の英霊149柱が合祀されている。
拝殿前に建つ明治41年の日露戦役記念碑
同じく明治41年の忠魂碑
昭和46年の平和塔。由緒を知らないとなぜここに建っているか分からないが、つながった。
真田神社
長野県上田市真田町長4473
信濃上田 安智羅神社 真田相伝六神社御朱印巡り五
上田市に鎮座する安智羅神社。御祭神は安智羅明神。
松尾古城を道しるべに神社へ向かう。真田氏本城(松尾城)に移る前に本拠があった場所で、新しい松尾城に対し松尾古城と呼ばれる。北上州からの侵攻を監視できる場所で、本拠を移した後も物見砦として利用されたと考えられている。
石段で一段上に上がる。南向きに鎮座。角間集落の産土神。
神社のあたりだけ杉が一際高い。
赤い鳥居の先に社殿。
社殿に参る。
中には写真が一枚。安智羅は薬師如来に仕える十二神将の一人安智羅大将と考えられているが、真田幸隆公の幼少の姿を写した像を祀り、写真がその像らしい。地元の人は幸隆公を安智羅大将の姿(生れ変わり)を見ていたのかもしれない。
社殿右に石祠が1基。
参道左手に阿弥陀堂。
その前に石像があり、かなり風化しているが、右膝を立てて甲冑のようなものを着ているように見える。もしかしたらこれも幸隆公だったのだろうか。
段の西側に日向畑遺跡がある。真田氏館跡へ移動する前に真田氏の館があった場所と推定されている。
遺跡から松尾古城への登城道が続く。
遺跡には五輪塔や宝篋印塔が並び、墓標とした墳墓跡群とされる。
安智羅神社
長野県上田市真田町長 3057