松山市に鎮座する波賀部神社。御祭神は大山積命、雷神、高龗神を主祭神とし、寛王命を配祀する。
聖武天皇の御代に伊予の豪族越智玉純が大三島から勧請し石井郷一宮三島大明神と称す。後に嵯峨天皇の皇子寛王が、伊予国司として赴任しこの地で亡くなった折、神社の傍らに遺骸を葬り神霊を合祀したことから、社号を墓邉神社と改称したが、墓の字を忌み波賀部神社と改めたという。
神社への参道、社殿ともに南向き。参道入口に鳥居、社号標「國史見在 波賀部神社」。三代実録記載の墓邊神の論社。
参道沿いに並ぶ木は丸くきれいに剪定されている。
社殿裏の森は松山市内最大の前方後円墳であり、古墳時代後期の首長墓である。
拝殿に参る。
拝殿左に境内社の生目神社(左)と金刀比羅神社(右)が並ぶ。
本殿左には朝日社(左)と床浦神社(右)が並ぶ。
拝殿後ろ御垣内に本殿
本殿右には神輿庫
拝殿右には一事神社(左)と太刀打神社(右)が並ぶ。
波賀部神社
愛媛県松山市高井町1067