白川郷の帰り雲神社。御祭神は国立尊。
世界遺産白川郷から鳩谷ダムのダム湖を過ぎるとすぐに見えてきます。
保木脇の地は、室町時代までは「帰雲」と呼ばれ、流れる雲が上空に昇り蒸発する(雲が帰る)地とされていたようで、昭和33年鳩谷ダムや御母衣ダム建設に伴い、家屋や田畑などを移転した地が今の保木脇集落だそうです。
天正の大地震(1585年11月29日)で帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理をはじめ一族と城下町がことごとく埋没したという伝説地であり、その霊を慰めるために同集落で採石業を営む田口建設の社長が昭和54年に建立したもののようです。
朱色の小祠ながら
彫り物は凝っている。
野ざらしのため少し痛んでいる。
帰雲城址の石碑や観音像が建ち、背後にある庄川右岸の帰雲山(1622m)が天正の大地震で大崩落を起こしたといい、現在でも山頂付近は大きく崩れている。昔は西方の三方崩山(2058m)が帰雲山だとされていたようだ。結局、城下町が埋没したことで地勢を理解する人がいなくなり、地形も大きく変わったことで不明になっているということか。
帰り雲神社
岐阜県大野郡白川村保木脇