能美市に鎮座する八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、菊理媛尊。
古代の豪族和気公と江沼臣春日部の先祖が集落をつくり、各々の祖神と、白山比咩神、蟹淵の神、水無谷の風の神などを祀ったのが始まりという。天平勝宝元年(749)興福寺領となる。その後八幡神を勧請し、明治40年に七社を合祀する。
合祀した社のひとつに滓谷神社があり、能美郡滓上神社の論社になっている。
矛のついた旗ポールが建ち、それよりも高く境内の杉が並ぶ。
入口に鳥居と「村社 八幡神社」と書かれた社号標。奉納された燈籠は大きい。
一の鳥居の先に二の鳥居、その先に社殿が建つ。
二の鳥居が建つ右手に
手水舎と、「村社八幡神社」と書かれた村社指定時に奉納された先代の社号標が残っている。
階段の先に拝殿
サッシに覆われた拝殿には入ることができた。
拝殿に参る。
サッシ下の隙間から鳥が一羽迷い込んでいた。出してあげようと入口をしばらく開けていたが出る様子がない。
拝殿のまわりにはまだ雪が残り、一段高い場所に本殿が建つ。
社殿の左に藩政期に肝煎だった杉本庄兵衛翁碑が建っている。
山間地で水田の少なかった村の家々を日当たりの良い山の南斜面に移し、耕地とする場所を確保するという家立ちという大事業を15年かけて成し遂げたとして、鍋谷の祖霊として祀られた。
隣に境内社が1社。
社名が分からなかったが、境内由緒にある「安政四年家立神として肝煎庄兵衛の生祠を建立する」に該当する社だろうか。随神像の土人形が古びて、信仰の長さを感じる。
奥にばんぶち石(力石)が5個集められている。
何より珍しいのは、石に「八斗石」(120kg)「九斗石」(135kg)「一石いし」(150kg)「一石二斗石」(180kg)と4個に重量が書かれている。ひとつ書かれていないのは「一石一斗石」(165kg)で、ちょうど一斗ずつ重量が増している。
八幡神社
石川県能美市鍋谷町ツ72