羽咋市に鎮座する能登一の宮氣多大社。御祭神は大国主命。
雲行きが怪しい。
神門は檜皮葺の葺替工事のため覆屋の中。
拝殿の屋根は葺替されて新しい。参拝中に大雨になってしばらく拝殿前で雨の神域の雰囲気を感じていた。
氣多大社
石川県羽咋市寺家町ク1−1
羽咋市に鎮座する能登一の宮氣多大社。御祭神は大国主命。
雲行きが怪しい。
神門は檜皮葺の葺替工事のため覆屋の中。
拝殿の屋根は葺替されて新しい。参拝中に大雨になってしばらく拝殿前で雨の神域の雰囲気を感じていた。
氣多大社
石川県羽咋市寺家町ク1−1
編集:徳島県三好郡郷土史研究会
発行:みよし広域連合
発行日:2003年3月25日 非売品
ページ数:412ページ
「三好郡神社指上帳」と同時発刊で、前書以外の明治慶応4年から明治12年までの神社関係資料を掲載する。
編集:徳島県三好郡郷土史研究会
発行:みよし広域連合
発行日:2003年3月25日 非売品
ページ数:279ページ
明治三年明治政府に提出するため作成された徳島県三好郡の神社一覧。祭神や社地・建物、祭礼日を記載する。
続きを読む 三好郡神社取調指上帳
越前市に鎮座する大瀧神社。御祭神は國常立尊、伊弉諾尊、伊弉那美尊。
今年鎮座1300年を迎え、GWに千三百年大祭が行われた。
二の鳥居と「縣社 大瀧神社」の社号標が建つ。
鳥居には「岡太神社 大瀧神社」の扁額が掛かる。
というのも、ここ下宮の社殿は遥拝所で、神様はGWの例祭で上宮から下りてくる間だけ鎮まる。
十一面観音坐像を祀る観音堂。かつては下宮の拝殿であったが、現在の社殿に建て替えるときに移動されたもの。
中で千三百年大祭記念事業として、「よみがえる別山堂」を開催している。
奥の院割拝殿の改築により屋根から見つかった部材に、新材を組み合わせて建てられた別山堂。いずれ元の場所に再建されるようだ。
拝殿に参る。
社殿には凝った彫刻が四方に飾られている。
社殿右方の神輿殿がちょうど開かれた。
例祭で神様が上宮と下宮を行き来する神輿が四基。六角形の煌びやかな神輿。
今年の千三百年大祭は「日本の祭り」の撮影があったようだ。地元は早々に放送されるが、BSで放送されるまで気長に待とう。
今日は午後のイベントまで時間があるので、上宮に登ってみた。
大徳山とも呼ばれる権現山。上宮は山頂とは少し方角が違うので、今日は山頂には向かわない。
奥の院まで神仏習合の遺跡が残る。
「山伏岩の跡」
女人禁制の奥の院への密入者を取り締まるため、大岩のあるこの場所に毎日数人の山伏が見張り検問にあたっていたという。
「神馬・神くらの化石」
神馬に乗った神がいつもこの場所に立ち里山を守っていたので、いつの間にか神馬が化石になったと伝えられている。数年前までその面影が残っていたが、現在は石が砕け落ち、一部しか残っていないのでその姿は確認できない。
「神馬の足跡」
神代の昔、この山をめぐって神争いがあった時に、日野山上より神が馬にまたがり飛来されたその馬の足跡という。
落ち葉を除けるとそれらしい窪みがあった。
途中鳥居をくぐって先に進む。
「み火たき所の跡」
石に囲まれた場所が残る。
「十善寺の跡」
大瀧児権現の別当であった大徳山大瀧寺の奥の院の中心寺が建っていた場所という。
「ひじり堂の跡」
奥の院の手水。ほとりに不動石像が立っている。
改築された奥の院割拝殿
背後に3社の本殿が並ぶ。
中央が大瀧神社本殿。
右に岡太神社。御祭神は川上御前。延喜式今立郡の比定社。
「式内 岡太神社」の扁額がかかる。
左に八幡社。
八幡社の左にわかりにくいが上に登る道が続く。権現山山頂への登山道を兼ねる。
5分ほど歩くと鳥居が見えてきた。
「おんなじの跡」
「越南知」とも「大己貴」とも書かれ、大国主命のこと。
白山を開山した泰澄大師が開山したと伝わる権現山は、白山の御前峰、大汝峰、別山に対応するように、白山伏拝、おんなじ跡、別山堂の3つの峰がある。
権現山一の大杉が目印。御神木
「大瀧城本丸跡」
おんなじの跡にあたり、大瀧児権現を守護する城であったという。おんなじの跡、白山伏拝を含めた4つの主郭とその間に5つの堀切がある。
城跡を散策しながら別山へ向かう。主郭を断ち切るように掘られた大きな堀切。
3つめの主郭には弐の杉と呼ばれる大杉が、やはり御神木としてある。
「法花堂の跡」
4つの主郭を通り、最後にもう一度登ると
「別山堂の跡」
加工された石や瓦が散乱している。観音堂に復元された別山堂が、いつかここに再検される日が楽しみだ。
別山堂の奥に「ざぜん石」と呼ばれる大岩がある。ここに座ると白山が正面に見えたというが、今日は雲と前を遮る木々でわからなかった。
ざぜん石の背後にも巨石がむき出しになっていて、特別な空間だと感じた。
奥の院から大瀧城跡をめぐり、別山から奥の院へ戻るのに40分ほどかかった。
下山し、紙の文化博物館に行く。
月末まで、千三百年大祭を記念し「大瀧神社の至宝」が開催されている。
その特別展を記念して、大瀧神社宮司の講演会がパピルス館で開かれ参加してきた。とても興味深い話であった。
千三百年大祭を記念した特別御朱印が年末まで頒布されていて、神社近くの氏子宅とここパピルス館で入手できる。
地元産の越前和紙を使い、社号も特別なものになっている。
一の鳥居と社号標
横山大観による揮毫の社号標の文字。特別御朱印はこの社号標の文字を元にしている。
宮司の話を聞き、あらためて下宮を訪ねる。
大型バスで大勢の観光客が来ていた。境内で大勢の人に会ったことはなかったので少し驚いた。
拝殿を正面から見る。複雑な屋根の構造だが、正面から見ても屋根の妻の頂点が一直線に並ばないのだそうだ。完全な形にしない、いわゆる「未完の美」なんだそうで、わざと少しずれている。
拝殿の基台の石積みは、上が青石、下が赤石とツートンカラーになっている。
また地震により石がずれないように、角石は一つの石になっている。
大瀧神社
福井県越前市大滝町13-1
旧今立町粟田部に鎮座する岡太神社。御祭神は建角身命、國狭槌尊、大己貴命で、継体天皇を配祀する。
朱色の鳥居をくぐり境内に入る。
拝殿に参る。
上って本殿前の拝所に参る。
玉垣に囲まれて本殿と2社の境内社が並ぶ。
参拝後に宮司宅で御朱印をいただいたが、宮司が留守で書き置きをいただいた。
書き置きの紙はどこかの和紙を使っているようだ。今回は宮司直筆の御朱印をいただけた。
岡太神社
福井県越前市粟田部町大山19
越前市に鎮座する荒樫神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とし、仲哀天皇、神功皇后、表筒男神、中筒男神、底筒男神を相殿に祀る。男大迹皇子(継体天皇)の創祀と伝わる。
集落入口に「荒樫神社」の社号標が建つ。
集落の奥に少しわかりにくいが、鳥居と社号標が建つ。社号標は地元の笏谷石だろうか、柔らかい石なので風化している。
階段は車が上がれるように2本の坂が付いているが、現在では段差もできて上がれそうにない。
階段を上がると、広い空間の先に社殿が見える。
階段の右手に何か石碑が建っている。調べると裏手に古墳があるようだが、場所や規模は確認できなかった。
社殿は一段高い場所にあり、階段前に鳥居、社殿前に2本の大きな杉が立っている。
十一面観音立像が2体伝わっているという。
背後の本殿は入口に板で止められている。以前は幣殿で拝殿とつながっていたようだが、幣殿は老化で取り払われたのだろうか。
本殿左に境内社の麻氣神社。かつては僧形の泰澄大師坐像が祀ってあったようだ。
泰澄大師像と十一面観音像がともにあることからみて、中世には白山信仰の影響下にあったらしい。
麻氣神社の左のほうから本殿背後の山に上る。
途中、鳥獣柵を開けて行く。幸い先に続く道はわかりやすかった。
しばらく上ると、本殿の真後ろの平坦地に境内社の鵜甘神社が建っていた。
応神天皇を祀り、延喜式今立郡の論社のひとつ。武内宿禰、繼軆天皇、安閑天皇、宣化天皇、國中主神を合わせ祀る。
帰りにもう一度拝殿内を見ると、随神像が左右にあり、絵馬も数枚掛かっているようだった。
手水は瓢箪形にくり抜かれている。
荒樫神社
福井県越前市西樫尾町28-5
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2018年5月22日
価格:1388円+税
収録時間:約66分
BSジャパンで放送された「神社百景 GRACE of JAPAN」(第2シリーズ)の中から「江戸の名所めぐり 上野東照宮・湯島天満宮」(#93)、「日枝神社 江戸・東京の鎮」(#123)を収録している。ナビゲーターは伊藤英明氏。
[amazonjs asin=”B07CN4MTBJ” locale=”JP” tmpl=”Small” title=”神社百景DVDコレクション 53号 (上野東照宮・湯島天満宮・日枝神社) 分冊百科 (DVD付)”]
倉吉市に鎮座する福積神社。御祭神は事代主神。
今日は開運八社巡りで参拝に来た。
最後の八社目は夕暮れになりました。
深い森の中の入口に燈籠と鳥居が建つ。
鳥居をくぐると長い階段が待っている。
階段に登れない方のために、入口にもスタンプ台が置いてある。
階段を上ると社殿が建ち、拝殿で参る。
拝殿の後ろに向拝付きの本殿が建つ。
向拝には木鼻がたくさん付いている。
無事に八社集まった手ぬぐい。少し傾いた印もあるが満足です。
福積神社
鳥取県倉吉市福積719
倉吉市に鎮座する倭文神社。御祭神は経津主神、武葉槌神、下照姫命を主祭神とし、伊弉諾命、伊弉冉命、誉田別命を相殿に祀る。
延喜式久米郡の比定社で、伯耆国三宮。文徳実録に記載のある大帯孫神とも言われる。
北東の集落入口数キロのところに一の鳥居が建っている。倭文神社はわかりにくい場所にあるため、入る場所によっては見逃すかもしれない。石額には「縣社倭文神社」と書かれている。
軽自動車でもやっと通れるような狭い集落内の道を通り、鳥居前に出る。
「式内 社 倭文神社」の社号標が建つ。
「式内」と「社」の間にもともと文字はなかったようだが、なぜか離れている。
随神門。随神は正面ではなく、向かい合っている。
参道の左に御神木があり、深い社叢に覆われている。
拝殿に参る。
本殿は玉垣に囲まれている。
本殿の右に境内社の荒神社。脇に石祠が2つある。
倭文神社
鳥取県倉吉市志津209
倉吉市に鎮座する福富神社。御祭神は木花咲耶姫・事代主命。
今日は開運八社巡りで参拝した。
社号標の建つ入口横に建つお宅。参拝後に宮司宅かと思って訪ねたが、もう1軒隣だよと教えていただいた。
宮司宅を訪ねたものの、声がけしても誰も出てこないので御朱印は諦めた。
社殿まで階段が続く。階段の途中に鳥居が建つ。
拝殿に参る。
本殿は玉垣に囲まれている。
社殿の左に境内社が一社。
社の下に数体の人形が置かれている。これは菅原道真公か、随神像か?
境内社は扉が2つあるということは、かつては小さな随神門代わりだったのか。
福富神社
鳥取県倉吉市福富326
倉吉市に鎮座する國廳裏神社。御祭神は大己貴命、少彦名命を主祭神とし、木花之開耶姫命、保食神、大山祇命、櫛稲田姫神、素盞嗚神、大國主神、品陀和気命、玉依姫命、天児屋根命を合祀する。
三代実録に記載のある國廳裏神に比定されている。
現在の道路は2つの鳥居の間に通されているのだが、南から延びる階段の先に一の鳥居、
そして扁額のかかる二の鳥居が建つ。
社号標には「伯耆國總社國廳裏神社」と書かれている。
神社は名の通り伯耆國國廳に隣接した総社で、国庁、神社ともに南を正面としているので、東に国庁、西に神社と並ぶ位置関係からして裏(後ろ)ではなく横なのだが。
随神門には2体ずつ随神が祀られている。
左の燈籠の火袋がなくなっている。
右手の手水舎の奥に社務所が建っている。
左手には神輿庫が建つ。
神輿庫には右と左に神輿が納められているが、中央には社が並んでいる。
うち3社には大正二年の木札があり、大正時代に合祀された付近の元社らしい。
境内左右には燈籠や狛犬が並び、位置が変わっているのかと思ったが元々ここのようだ。
崩れそうなものもあり近づかないようにロープが張られているが、ここも平成28年10月21日に発生した鳥取県中部地震の影響を受けているようだ。
拝殿に参る。
本殿は玉垣に囲まれている。拝殿から続く幣殿、向拝、本殿と段々になった屋根が印象的だ。
本殿左に基台が残っている。もとは皇大神宮と荒神宮の合祀社が建っていたようだが、地震で倒壊してしまったのだろうか。
隣接する国庁を訪ねる。
発掘調査に基づいて礎石位置に柱が立てられ、規模がイメージしやすくなっている。
正面の南門
唯一西門の四脚門の建物が復元されている。
トイレ前にはパンフレットや復元模型がある。
國廳裏神社
鳥取県倉吉市国分寺426
湯梨浜町に鎮座する倭文神社。御祭神は建葉槌命を主祭神とし、下照姫命、事代主命、建御名方命、少彦名命、天稚彦命
、味耜高彦根命を相殿に祀る。
延喜式川村郡の比定社で、伯耆国一宮。今回2度目で、開運八社巡りの戌年の宮として参拝した。
少し高台にある境内の入口の駐車場に駐車し、歩いて行く。
入口に「国幣小社倭文神社」の社号標が建ち、階段を少し歩くと鳥居と先に随神門が建つ。
参道途中の右手に「国指定史跡 伯耆一ノ宮経塚」の標柱が建ち、道がある。
前回は行かなかったが、今回は登ってみる。
しばらく登ると尾根に至り、案内板が建っている。
この辺りがそうなんだろうけど、角材に囲まれた窪みがその跡なんだろうか。井戸跡のようにも見えるが。
横に西国観音巡礼の三十三番札所の石像がある。三十二番までは未確認。
今回は境内に入るまでも気になる場所に寄ってみた。
駐車場入口にある夫婦岩
駐車場の少し手前にある安産岩
東郷湖
山に囲まれた景色の良い湖
前回の参拝時に気になった湖畔の島
宮戸弁財
伯耆一の宮の七弁天と称して水辺七カ所に祀られていたというが、唯一残る祠。下照姫が魚釣りを楽しまれた場所と伝えられる。
話を戻して参道を進む。
拝殿に参る。
玉垣に囲まれる本殿
参拝後に社務所で御朱印をいただく。
帰りにもう一つ気になった場所に寄る。
宮内狐塚古墳
全長90メートルに及ぶ前方後円墳で、案内板に後ろの丘先端にあるようだが途中まで行こうとすると、草藪で形状も分かりにくいので諦めた。
倭文神社
鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754
倉吉市に鎮座する波波伎神社。御祭神は八重事代主命、天稚彦神、下照姫神、少彦名神、建御名方神、味耜高彦根命。
延喜式川村郡の比定社。
周辺に駐車できるような場所はなかったので、鳥居前の道路に一時停車して参拝することにする。
参道入口に「式内縣社 波波伎神社」の社号標が建つ。
参道を進むと途中に鳥居が建つ。
階段が終わると、土の参道が続いている。社叢が深く、神域に入ってきた感じがする。
手水舎が建ち、そこからさらに階段が続いている。
立入禁止になっていて階段が少し傾いているが、道はここしかないので気をつけて上っていく。
階段を上ると随神門が建つ。
随神門前の狛犬は台座が崩れそうで縛ってある。
そう言えばと思い出した。平成28年10月21日に発生した鳥取県中部地震は湯梨浜町や倉吉市を中心に被害が出た。
1年以上経っているが、全く復興が始まっていないようだ。
拝殿に参る。
本殿は玉垣に囲まれている。
拝殿左手に参集殿と神倉が建つ。
本殿左側に境内社。荒神社
不明の境内社一社。
石祠も一社ある。
拝殿の右前に案内板が建っている。
福庭古墳という古墳時代後期の古墳が境内にあるらしいので行ってみる。
直径35m、高さ4mの円墳で、石室入口が見える。
かなり大きな切石が使用されている。
波波伎神社
鳥取県倉吉市福庭654
北栄町に鎮座する國坂神社。御祭神は少彦名神。延喜式久米郡の比定社。
延喜式神名帳の伯耆国の四番目に記載されたことから四宮大明神と呼ばれ、伯耆四宮を称したようだ。
一の鳥居からまっすぐ参道が続く。
深い森の社叢。
「式内社 國坂神社」と書かれた社号標が建つ。
神門をくぐると先に階段が見える。
右手に参集殿
階段下の両側に社が建つ。随神を祀るものか。
右に御神木のスダジイ。正面からは2本に見えるが、実際は3本ある。
階段を上ると二の鳥居の先に社殿が建つ。
拝殿に参る。
本殿は二重の透塀で囲まれ、さらに石の玉垣に囲まれている。
透塀と玉垣の間には石が奉納されている。
神宮遥拝所
境内社の秋葉社
秋葉社の後ろに八幡社と荒神社が並んでいる。
國坂神社
鳥取県東伯郡北栄町国坂1500
琴浦町に鎮座する豊榮神社。御祭神は句句逎馳命・事代主命・倉稲魂命・素戔嗚命・品陀別命。
今日は開運八社巡りで参拝する。
田んぼの真ん中に境内があり、近くまで来るとかなり目立つ。
鳥居や燈籠はあるが、社号標はない。
鳥居をくぐると、狛犬と狐が一対ずつある。
出雲でよく見る配列。
拝殿に参る。開運八社巡りのスタンプを押す。
拝殿と本殿は弊殿でつながる。
本殿裏の木の根元に崩れた燈籠が数基。
拝殿右の木の空洞に燈籠が置かれていることを見ると、何か意味があるらしい。
豊榮神社
鳥取県東伯郡琴浦町勝田245
伯耆大山の中腹に鎮座する大神山神社の奥宮。御祭神は大己貴神。
大山寺の山門と分岐する道に鳥居が建っている。
石畳の道を登っていくと、途中にもう一つ鳥居があり、あと少しという場所に神門が建つ。
神門をくぐると拝殿までの最後の長い階段が続く。
権現造の横に広がる印象的な拝殿。
左端から見ると、拝殿の奥に大山の北壁が見える。右端から大山への登山道が続く。
拝殿で参る。御朱印を頂こうと授与所へ行くと、神職がまだ墨をすっていた。しばらく待って書いていただいたがまだ墨が薄かったようだ。
帰路、反対方向からの神門。と言ってもこちらが本来の表。
後ろ向き門と呼ばれる元大山寺本坊西楽院の表門(宮家の御成門)であったが、神仏分離で神社に引き渡され、そのまま移転したので後ろ向きになったといわれるらしいが、そのままってどういうことだろうか。
今日は「伯耆国大山開山千三百年祭御輿行列」を見に来た。
大神山神社、大山寺、三徳山の三基の神輿が大山寺参道を駐車場から大山寺まで白装束の方々に担がれて上っていった。
大神山神社奥宮鳥取県西伯郡大山町大山
米子市に鎮座する富益神社。御祭神は天照大御神。
創建は萬延元年(1860)で新しい神社。開運八社巡りで早朝に参拝する。
入口に鳥居と社号標が建つ。
参道には3対の狛犬が奉納されている。
拝殿に参る。
拝殿と幣殿でつながる本殿
本殿左に境内社の恵毘須社
本殿右に境内社の荒神社。
当宮は当地の開拓者によってこの地にあった古木を荒神社として祀ったのが最初と言われる。
さらに本殿右に境内社の稲荷社。
道路を挟んで社務所が建つ。早朝ということもあってか無人だった。
御朱印情報はあったのだが、予約しないと無理そうだ。
富益神社
鳥取県米子市富益町936
米子市に鎮座する宗形神社。御祭神は田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命を主祭神とする。延喜式會見郡胷形神社の比定社。
入口は東向き。入口に社号標が建つ。
一の鳥居
その後ろに建つ石灯籠が面白い。
文政十一年銘が刻まれるが、正面に金毘羅大権現、左に宗像大明神、右に天照皇太御神と書かれている。しかし、現在の御祭神には金刀比羅神(大物主神)や天照大神は含まれていない。
参道左に御幸場。普通に調べると上皇や法皇が来た場所ということになろうが、どういう場所だろうか。
参道右に昭和60年5月に建てられた千二百年祭の記念碑
手水舎の先、階段を上って二の鳥居と随神門が建つ。
随神門には彩色鮮やかな随神像と狛犬が納められている。
さらに階段を上ると、正面に社殿が建つ。背後の山には県下有数の古墳群があるという。
拝殿に参る。
賽銭箱には御朱印がないという貼り紙。そんなに対応に苦慮したのだろうか。
幣殿でつながり檜皮葺の本殿が玉垣に囲まれている。
拝殿前の建物は舞楽殿か参籠所か。
拝殿の右に神輿殿が建つ。
神輿殿の横に境内社が一社建つ。
拝殿に一枚絵馬が掲げられていた。
画題がわからないが、武士と山伏、女性が描かれているようだ。
宗形神社
鳥取県米子市宗像298
日野町に鎮座する金持神社。御祭神は天之常立尊、八束水臣津努命、淤美豆奴命。
金持神社は「かもちじんじゃ」と読むが、文字は「かねもち」と読めるので金運上昇スポットとして全国から参拝者が絶えない。
開運八社巡りとして参拝した。
開運八社巡りのスタンプは道路沿いの売店にある。
駐車場と売店の間に「金持党発祥之地」碑
付近で産出した砂鉄により勢力を広げたという。
神明橋を渡って神社へ向かう。
鳥居前に手水舎
階段の途中、御神木のチャンチン。樹齢は600年ほど
さらに上ると社殿前に御神木のサワラ。こちらも樹齢は600年ほど
階段の先、社殿は横向きに建つ。人気スポットということもあり、今日も何かの取材が入っていた。
拝殿に参る。
横から拝殿を見ているのは、当地出身者から奉納された「龍神之図」
本殿には無数の絵馬が掛けられていた。
本殿に一枚掲げられた絵馬は何の題材だろうか。
鬼退治のように見えるのだが、日野郡に残る孝霊天皇の鬼退治伝説だろうか。
誰もここまで来ないので秘かな開運スポットになるのだろうが、木の根が龍の頭のように見える龍神さま。
帰りに授与所で御朱印をいただく。人気スポットのためか書き置きしかなかった。
少人数でやっているとはいえ、少し残念な対応。
後で分かったことだが、能登国地頭として有名な長谷部信連再起の地でもあるようだ。
金持神社
鳥取県日野郡日野町金持1490
日南町に鎮座する福成神社。御祭神は素盞鳴尊、大己貴命、少彦名命、天御中主命、国常立命、高皇産霊命、国狭立命を初め多くの神々を祀る。
開運八社巡りとして参拝する。
集落の中の高台の森に鎮座する。
鳥居と社号標が建ち、そこから階段が続く。
参道に随神門と鳥居、社殿と並ぶ。
随神門には随神像はなく、随神名の書かれた木札が納められていた。
随神門の先、鳥居をくぐり拝殿に至る。
拝殿に参る。拝殿にかかる扁額は別の社号が書かれているようだが、旧社号でも合祀社でもないようだ。
もとは山王権現と呼ばれた日吉神社系統で、荒神神楽発祥の地と言われるが、現在神楽は途絶えているようだ。
拝殿前に灯明箱がある。
拝殿、幣殿、本殿とつながる。
本殿右に愛宕社。
本殿左に船上神社。
社前からは北に大倉山。
南に県境の分水嶺の山々が見える。
福成神社
鳥取県日野郡日南町神戸上2317
日南町に鎮座する大石見神社。御祭神は大国主命。
大国主命が兄神の八十神により絶命させられた後、2度目の復活(蘇生)を果たした場所と言われ、赤猪岩神社とともに出雲神話ゆかりの場所とされる。
集落の奥、大倉山に向かって参道が続く。
入口に鳥居と社号標
手水は笹で囲まれている。
随神門には
彩色鮮やかな随神像と狛犬が収められている。
拝殿前に二本のイチョウの巨木がある。御神木になっていて、左は普通のイチョウ、右は「オハツキタイコイチョウ」と呼ばれる2個組の種子が実る珍しいイチョウ。樹齢は600年と言われる。
拝殿に参る。
拝殿前には狐様。狛犬と狐がともに祀られているのは出雲の神社と同じ。
拝殿に続き、幣殿、本殿がある。
拝殿右に社務所。
普段は無人で、拝殿に貼ってあった電話番号に電話すると、下の集落から宮司さんが来られた。
中で参拝させていただき、由緒の説明やイチョウの実を見せていただき、御朱印をいただいた。
本殿には因幡の白兎にちなんでウサギの彫刻も彫られている。
集落からすぐ南が広島県との県境で分水嶺になっているという。
神社の背後には大倉山があり、孝霊天皇の鬼退治伝説の伝承地のひとつであり、砂鉄や銀が採取されていたという。
大石見神社
鳥取県日野郡日南町上石見819
日南町に鎮座する福榮神社。御祭神は玉依姫命を主祭神とする。
開運八社巡りとして参拝する。
旧福榮村の産土神。入口に鳥居と社号標が建つ。
階段を上って社殿に向かう。
途中神門が建ち、随神像が祀られている。
社殿前に狛犬が対で奉納されている。
右手に社務所
拝殿に参る。扁額後ろの見事な龍の彫刻と、ここにも杉玉が吊られている。
幣殿で本殿とつながる。
境内社が拝殿右と
左にそれぞれ一社ずつ建っている。
拝殿前に石製の灯明箱があり、神仏習合の名残か。
帰りに鳥居前の休み処でお茶を一杯いただいた。
近年は遠方からも開運八社巡りのツアーで大勢参拝に来るそうだ。
福榮神社
鳥取県日野郡日南町神福1247
日南町に鎮座する樂樂福神社。御祭神は大日本根子彦太瓊尊(第七代孝霊天皇)、細媛命(孝霊天皇皇后)、若建吉備津彦命(孝霊天皇皇子)、福媛命(孝霊天皇后妃)、彦狭嶋命(孝霊天皇皇子)。
創建千百年を越える古社で、日野川を隔てて当社(東樂樂福神社)と対岸に西樂樂福神社が鎮座し、二社一対の祭祀が続けられていたが、平成16年に合祀された。西樂樂福神社の御祭神は大日本根子彦太瓊尊、細媛命、大吉備津彦命(若建吉備津彦命の兄皇子)、彦狭嶋命、絙某弟命、大山祇命を祀り、東西で兄弟の皇子を祀っていた。
国道183号線沿いに山道を進むと社号標が建っている。
社号標脇の平場に駐車し、坂道を上っていくと階段の先に鳥居が建っている。
鳥居をくぐると左に手水舎。手水舎の裏が駐車場になっていた。
駐車場に合祀された矢戸の厳島神社の力石と、当地域に残る鬼伝説を物語る「鬼の投げた石」。
この石は鬼林山に陣取る鬼が、対峙する孝霊天皇の軍勢めがけて鬼林山から投げたとされる石で、石に残る鋭い溝は鬼の爪痕と言われている。
駐車場には夜啼荒神社が鎮座する。御祭神は夜啼荒神。
鳥居前を階段をさらに上がり参道がまっすぐ続く。
参道は90度に左に折れ、神門が建ち、その先に社殿がある。
神門には杉玉が吊られている。神社では珍しい光景。
神門の左右に複数の随神像と狛犬が祀られている。
狛犬は異国風の大きな目が特徴的
拝殿に参る。
拝殿にも杉玉が吊られている。
賽銭箱に賽銭を投函すると、獅子舞が踊り出し、何だか楽しい気分になった。
拝殿の後ろに幣殿に続き本殿
本殿右に摂社若宮神社が建つ。御祭神は磯城縣主大目命(細媛命の父神)、欝色雄命、大矢口宿禰命、大水口宿禰命。この神々は孝霊天皇に随従され当地方の開拓に功績を残された大神という。
本殿左には末社木野山神社。御祭神は大山祇命、木花開耶姫命。
拝殿左には彰徳殿。背後に御神木がそびえる。
御祭神は地域の英霊と歴代の神官・神職を祀る。
彰徳殿には奉納品が多く飾られている。
帰りに鳥居右の社務所に寄る。あいにく宮司は不在だったが、書き置きの御朱印があった。
また近年は伯耆国のめでたい字の付く神社七社と干支に関連する鳥取県内(伯耆・因幡国)の一社を加えて開運八社巡りが行われている。スタートの神社として手拭いを購入し、参拝始めとする。
樂樂福神社
鳥取県日野郡日南町宮内1065番地
金沢市に鎮座する石浦神社。御祭神は大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神などを祀る。
北陸新幹線の金沢開業から境内が一番変わった神社かもしれません。
鳥居をくぐると右手に臨時の授与所。週末や休日以外は閉まっているようだ。
鳥居の左手に「HASE HOUSE」の文字?
中にウサギちゃんを飼っているようだ。こんな場所に大丈夫なのか
神社のイメージキャラクタは「きまちゃん」
今年は戌戌年ということで「きまる年」らしい。
境内にはビールを販売したり、
いなり寿司を販売する露店もあり、休日には営業しているようだ。
休日は年中お祭りということらしい。
拝殿に参る。
社務所で御朱印をいただく。判子が参拝の度に増える。またレイアウトが変わったようだ。
由緒や御朱印に付属するしおり(裏面に御祭神名)も新調された。
兼務社の泉野菅原神社の御朱印は以前は自分から依頼しないと書かない御朱印だったのだが、
現在は社務所に表示している。書き置きに日付入れるタイプだが、「玉泉院天満宮」とは如何に!
泉野菅原神社は玉泉院(加賀藩二代藩主前田利長公の室で、織田信長公の四女永姫)の菩提寺である玉泉寺にあった天満宮で、前田氏の祖神である菅原道真公を祀るとして、隠れて義父の織田信長公を祀っていた。「玉泉寺天満宮」ならまだしも、「玉泉院天満宮」はおかしいだろう。
石浦神社
石川県金沢市本多町3丁目1−30
著者:工藤伊豆
編集:神社新報企画・葦津事務所
発行:高山稲荷神社社務所
発行日:1994年9月25日
ページ数:219ページ
青森県西津軽郡に鎮座する高山稲荷神社の神社誌。神社誌といえ、古い資料はほとんど焼失してないということで、古老からの聞き取りや宮司家の歴史など、一地方の神社がたどってきた近代史は興味深い。
続きを読む 髙山稲荷神社史
発行者:宇佐神宮
発行日:2015年10月1日
ページ数:48ページ
定価:1000円
平成27年の勅祭の様子を中心に、勅祭の歴史や合わせて行われた本殿修理の様子など写真が豊富に掲載されている。
続きを読む 平成27年第257回勅祭記念 宇佐神宮
企画:宇佐神宮庁
発行:2008年1月1日、2013年5月1日改版
ページ数:36ページ
価格:1000円
宇佐神宮で頒布されている摂末社や祭祀、文化財まで宇佐神宮を概観できるガイドブック。薄冊だが季節らしい境内写真もあり良い。
続きを読む 宇佐神宮
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2018年5月8日
価格:1388円+税
収録時間:約90分
BSジャパンで放送された「神社百景 GRACE of JAPAN」(第2シリーズ)の中から「盛岡の総鎮守 盛岡八幡宮・前篇」(#119)、「盛岡の総鎮守 盛岡八幡宮・後篇」(#120)、「真山神社」(#121)、「赤神神社 五社堂」(#122)を収録している。ナビゲーターは伊藤英明氏。
[amazonjs asin=”B07BZ5F6YJ” locale=”JP” tmpl=”Small” title=”神社百景DVDコレクション 52号 (盛岡八幡宮・真山神社・赤神神社) 分冊百科 (DVD付)”]
輪島市に鎮座する重蔵神社。御祭神は天冬衣命、大国主命。
境内西の入口が商店街や朝市通りに近く、こちらから参拝に訪れる方が多い。
入口に御祭神の案内が新しく立っていた。
今日参拝に来たのは、ゴールデンウィーク前の地元新聞に載ったノトキリシマツツジ限定御朱印をいただくため。
ノトキリシマツツジが咲く4月中旬から5月中旬まで授与するとのこと。
拝殿に参って社務所に向かう。
社務所前に一木で三色の花が咲くという珍しいキリシマツツジがあるということだったが、ゴールデンウィーク中の荒天によりすでに終盤だった、残念。
重蔵神社には花御札というのがあり、月替わりで12カ月分ある。
5月はノトキリシマツツジが描かれ、朝市通りに面する重蔵神社産屋では12カ月すべての花御札が頒布されているが、神社では基本的にその月の花御札のみ授与される。神社で授与されたものには花の図柄の下に社号と参拝日が印字される。
今日は4月の八重桜を描いた花御札もいただいた。
重蔵神社では能登地震の復興を進めていて、7月には拝殿や境内社の修復を記念した御朱印、8月には輪島大祭を記念した御朱印を授与するそうです。
重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68
著者:心清水八幡神社宮司 戸内康雅
発行:河沼神社総代会
発行日:1977年10月25日 非売品
ページ数:262ページ
福島県神社庁河沼支部189社を掲載する神社誌。文庫本サイズの小誌ながら、各社に写真を付し、旧社格、御祭神、例祭日、本殿・拝殿の大きさ、氏子、宮司、由緒などを記載し、一般的な神社誌の体裁を要している。希少本で入手は困難だが、同地区の神社参拝には参考になる。
[amazonjs asin=”B000J8SNXY” locale=”JP” tmpl=”Small” title=”河沼神社誌 (1977年)”]
続きを読む 河沼神社誌