海神社が大斎原に遷座する前の旧鎮座地は大斎原から七越峯に至る途中だったという。
七越峯の底海社を延喜式牟婁郡海神社の論社と伝え、牟婁郡天手力男神社である御戸開神社の旧地でもあった。
案内板に「(伝)海神社跡」とあるが、地図が大まかで距離感が掴めない。
七越峯入口という坂を上る。
5分ほど行くと、大峯奥駈道案内図が建っているがここには何も書かれていない。
案内図は奥駈道の途中で、西に進むと大斎原に至る。
峠まで少し登ってプチ奥駈道体験してみたが、それらしい場所はなかった。
下って入口から上ってすぐの斜面に幾段かの平場がある。
奥の石積みは小石を積み古そうで、ここを旧地としている記事もあるのだが整地は新しいようだ。
また奥駈道案内板に戻り、さらに少し上ると奥駈道の続きが始まる。
間が現在は舗装された道路になっているのだが、間の斜面に不自然な石が残る場所があった。
小石で四角に囲んだように見える場所もある。
斜面側に平たい石や平石を積んで丸石を乗せた信仰遺跡に近い遺物もあった。
場所は奥に奥駈道の続き、同じ道路左側の手前になる。
ここなら大斎原から奥駈道初めの峠を越え、下ってまた上り始める道沿いになるので底海社という社名にもふさわしいのではないだろうか。
海神社旧地
和歌山県田辺市本宮町