福井市に鎮座する藤島神社。御祭神は新田義貞公と弟、子ら。建武中興十五社のひとつ。
駐車場から少し戻り、二の鳥居から入る。
拝殿前で御神酒のふるまいが行われていた。
拝殿に参る。
前回の参拝が5年前なので、その間に随分変わったようだ。第61回神宮式年遷宮の神宝の徹下が当宮と福井県護国神社にあり、
その一部が拝殿左の神社会館に展示されている。今回は靴を脱がなくてはいけなかったので観覧は止めた。
本殿右にある境内社は摂社野神神社。
平成27年に第62回神宮式年遷宮の徹下材で建てられたもので、御祭神は義貞公の妻勾当内侍。平成21年に大津市の野神神社から分霊し、本殿に配祀されていた。
授与所で御朱印をいただく。正月期間は書き置きだったが、社紋以外に神紋が2つ増え、御朱印の配置が変わっている。
藤島神社
福井県福井市毛矢3丁目8−21
福井市に鎮座する毛谷黒龍神社。御祭神は高龗神、闇龗神、男大迹天皇。
昨年より正月限定の御朱印ができたようだったので参拝する。
3日になっても地元ナンバーを中心に多くの参拝者が来ていた。
今年は明治維新150年の節目の年で各地で事業が予定されているが、当宮は越前藩士由利公正の氏神であったらしい。
大絵馬は干支ではなく龍神。本殿前に参拝する行列ができていた。
授与所も行列になっていた。
拝殿前におみくじと破魔矢、御朱印のみの臨時授与所ができている。御朱印は見開き(500円)と通常(300円)の2種類で、記帳と書き置きの両方選べる。見開きは御朱印帳だと中央が少し欠ける。
御朱印に時間がかかるので、その間に拝殿に参る。
拝殿前の扁額は当地の国会議員で内閣総理大臣になった岡田啓介氏による揮毫。
毛谷黒龍神社
福井県福井市毛矢3丁目8−1
越前市に鎮座する日野神社。御祭神は継体天皇、安閑天皇、宣化天皇の三柱。
何度か参拝しに来たが、やはり宮司に会うことができなかったので正月なら会えるかと参拝した。
境内には藁にくるまれたものが・・・左義長の準備?
冬支度された拝殿に参る。
鏡餅が供えられた拝殿に氏子の方がいらしたので話を聞いてみた。
聞いたところによると、先代宮司が3年前に亡くなり役所勤めの後継ぎが宮司とならなかったため、それ以来氏子総代が神事を代行しているという。定年後に宮司となるかどうかも分からず、御朱印は難しいそうだ。氏子も年老いたものが多くなったので、正月飾りや供物も今日の13時から下げてしまうそうだ。
作業まで少し時間があったのでさらに少し話をしてきた。地元石川では初詣は、住んでいる場所が加賀なら白山比咩神社、能登なら氣多大社、つまり一宮が一番だと思っている方が多いのだが、ここでは氣比神宮へ行くこともあるのか疑問だった。聞くと、二宮となる劔神社なら行くこともあるという。滋賀の多賀神社や伊勢神宮に遠出することもあるといい、石川でも厄年には行くこともあるので同じだった。越前一宮は敦賀市で南の端で山越えになるためどうなのだろうか?と思っていたが、越前市でそうなら、福井市や坂井市ならなおさらであろう。
と話をしている間に氏子の方が集まってきたので邪魔にならないように退散してきた。
普段戸が閉まっていてよく見えなかった拝殿内の扁額が見えた。龍の彫刻で縁取りされたもので、社名は越前藩16代藩主の松平慶永(春嶽)公の揮毫による。
帰りに破魔矢をいただいた。
紙の裏に朱印が押されていた。
地方の神社では神職のみで生計を立てることが難しいことが多く、以前より兼職として教員や役所勤めする人が多い。ただ、戦後公務員は兼業禁止が原則となり後継を断念することも増え、神事の継続や神域の整備が困難になってきている。今回の参拝はこうした事例をまた再認識させられる出来事だった。
日野神社
福井県越前市中平吹町字茶端80-1
勝山市に鎮座する平泉寺白山神社。
降りしきる雪の中の参拝。正月の参拝はもう何年目になるか。
今年はさらに雪が少ない。降ればどっと積もるのだろうが、今日は高い段差の階段が一部見えるほどだ。
三社の本殿に参る。昨年白山開山1300年の記念年で賑わった境内は静寂を取り戻した。
社務所で御朱印をいただき、最終周となる白山三馬場めぐりのクリアファイルをいただく。
御朱印からは「白山開山1300年」の印が消え、元に戻った。
クリアファイルは最後の1組だった。三馬場めぐりは3月末まで続くが、予定数が白山比咩神社、長瀧白山神社はすでに終わり、平泉寺白山神社でも自分で終了した。いただけて良かった。
平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺
永平寺町に鎮座する明神社。主祭神は天照皇大神。
正月なら御朱印を授与しているか確認できると思い参拝し、授与してないことを確認した。
正月らしく飾り付けられた境内。
左手の境内社、河濯神社(瀬織津比売神)と稲荷神社(豊受神)も扉が開けられているのも正月ならでは。
拝殿前には無人授与所が設けられている。
拝殿に参る。正月なので拝殿の扉も少し開いていた。
正面の本殿。神社の由緒書きによると、秋葉社(火産霊神)、菅原社(菅原道真公)、庚申社(猿田彦神)、白山社(伊弉諾神)の四社を合祀したとしている。
しかし、拝殿をよく見ると、本殿右に「八幡社」と「毘沙門天宮」
本殿左に「秋葉社」と「神明宮」と書かれた扁額がかかる。
こういう場合、合祀社を別々に祀っていることが多いのだが、江戸時代は「毘沙門堂」、明治時代は「神明社」と呼ばれていたというので、「毘沙門天宮」「神明宮」は主祭神と同じものか?「秋葉神社」は合祀社の一社だが、「八幡宮」は書かれていない。「菅原社」と「白山社」はどこにもないと何だか不思議な配置だ。
明神社
福井県吉田郡永平寺町松岡椚57-12
39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録