旧松任市に鎮座する守郷白山神社。御祭神は菊理媛命。
玉垣に囲まれた境内の入口に鳥居と横に社号標が建つ。
拝殿に参る。
当宮は拝殿に注目が集まる。
というのも、当宮拝殿は白山寺(現在の白山比咩神社)の本地堂を明治2年に移築したものであり、
境内に建つ社記にも本地堂移築の件を含めた由緒が記載されている。
拝殿内には一緒に移された「白山本地堂」の扁額も架かっている。
拝殿を横から見ると、本来の本地堂の正面(または裏)となり、確かに雰囲気が伝わる。
拝殿と右の社務所の間には御神木の大きな木(イチョウか?)が立っている。
その手前には「木津の大松跡地」と碑が建ち、大松があったようだ。
ちなみに地名の「木津」は「こうづ」と読む。
周囲は住宅地で見えづらいが、冠雪した白山が見え、白山の遙拝所としても良い場所であったのだろう。
守郷白山神社
白山市木津町100
旧松任市に鎮座する八幡神社。御祭神は大鞆和気命、菅原大神。
椋部郷の総社と伝えられ、式内社の神田神社とする説もある。
集落の奥、海岸近くに境内がある。
社前に川が流れ、海まで砂丘が広がる中を道路が横切っている。
社前に変わった形の井戸かと思ったら、地下式の手水だった。
水はすでに枯れているが、砂が飛ぶので地下式にしたのだろうか
鳥居の横に社号標。鳥居をくぐり境内に入る。
振り返ると、一段高い境内からは集落の向こうに冠雪した白山が見える。
拝殿に参る。中に入ろうとしたが、サッシは閉じていたので前で参る。
本殿は拝殿、幣殿とつながる覆屋の中。
拝殿内には県内で4点確認されている石山軍記絵馬があるはずのだが、当宮のものは一番新しい明治9年の奉納。
社殿左手に末社稲荷社が海を背にして建っている。
倉部八幡神社
白山市倉部町1
旧松任市に鎮座する大松神社。御祭神は品陀和気命、天照大神、蛭児命、菅原大神、事代主命。
文徳実録に記される治田若御子神(式外社)と伝えられるが不詳とされる。俗に八田社と呼ばれ八幡神社と称していたといい、八田(はった)という地名が治田と結びつけられたようだ。
境内の先に一の鳥居が建つ。参道に対しては少し斜めだが、鳥居前の広場に向いているようだ。
鳥居をくぐり家々の間の参道を進むと社名標が2本建っている。前のは明治、後のは昭和の皇紀二千六百年記念のときの建立。後の揮毫は陸軍大将で総理大臣となった林銑十郎氏によるもの。
大松神社への改称は八幡神社の境内地に大松がそびえていたからという。
現在も大きな松が立っている。
参道沿いには灯籠など多くの奉納物が建っている。
中にひとつ気になるものが。
「日露戦役記念」とあるが、台の上に飾られているのは何か?
正面を向いていないのでわかりにくいが、どうやら象のようだ。
よく見ると背中が平らになっていて、前は何か上に乗っていたのか?確かに象だけだとバランスが悪い。
戦役記念ということは先年問題とされた砲弾が飾られていたのかも
拝殿に参る。
本殿は拝殿、幣殿とつながる覆屋の中
境内から東に目をやると冠雪した白山や奥の山々がきれいに見えた。
大松神社
白山市八田町290
金沢市に鎮座する子安神社。御祭神は豊玉姫神、武御名方神、誉田別神。
延暦年間の創建と伝えられ、藩政期には三代前田利常公以降、前田家に出産のある時は歴代祈願したといい、産土の八州原の藁を産後に用いるのを例とした。子安の藁が転じて「安藁」となり安原の地名の由来となっている。
明治40年に諏訪社と八幡社を合祀したということで、元の主祭神は豊玉姫神となる。
境内の背後には畑が広がり、前には工場や会社が建ち並ぶ。
玉垣に囲まれた境内入口には鳥居の前に神橋の手すりが奉納されている。他の奉納物をみてもとても信心深い氏子が多いようだ。
鳥居をくぐり、右手に日露戦争から大東亜戦争までの出征記念碑だろうか
左手には力石が並んでいる。
拝殿に参る。
社殿の左に末社の稲荷社が建っている。
本殿は拝殿、弊殿とつながる覆屋の中。
子安神社
金沢市下安原町東467
39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録