伊予北条 國津比古命神社

國津比古命神社

旧北条市に鎮座する國津比古命神社。御祭神は天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊を主祭神とし、宇麻志麻治命、物部阿佐利命、誉田別命を配祀する。延喜式風早郡の論社。

國津比古命神社

松山市街から海沿いに北に進む。西の瀬戸内海に向かって鎮座し、少し手前に大鳥居が建つ。

國津比古命神社

右手前に「本朝守護式内明神」の石碑が建つ。

國津比古命神社

鳥居から数十メートル進むと境内の入口。鳥居をくぐり階段を上っていくと左手に國津比古命神社、右手に櫛玉比売命神社が向かい合って鎮座する。

國津比古命神社

鳥居前に「本朝守護式内明神 両社鎮座」の石碑、入って手水舎の横に「式内明神両社千年祭之碑」の石碑が建つ。ともに幕末から明治にかけて活躍した伊予の能書家の揮毫によるもので、前が松山藩の儒家であった日下伯巌、後ろが日尾八幡神社の神官であった三輪田米山による。

國津比古命神社

「延喜式内 國津比古命神社」の社号標が建つ。

國津比古命神社

境内に入ると左手、手水舎の後ろに忠霊塔が建っている。

國津比古命神社

境内を囲う玉垣には「式内明神両社千百年祭之碑」が建ち、芳銘板がずらりと並ぶ。平成9年3月に斎行されたようだ。

國津比古命神社

階段を上って進むと大きな八脚門。

國津比古命神社

前の左右に笏を持った役人のような木像が立っている。随神像とは違うようだ。

國津比古命神社

後ろにかつて石鳥居に掲げられていた石額が残されている。延宝九年のもので、「國津彦命 櫛玉姫命」と刻まれている。石額名が違名であるので取り外された、と説明にあるが、要は「神社」がなく、比古と比売が異字であったということだろうか。

國津比古命神社

八脚門の左には神楽殿

國津比古命神社

右には金比羅宮が建つ。

國津比古命神社

金比羅宮の前には真名井の井戸がある。

國津比古命神社

さらに右手に斎館が建つ。

國津比古命神社

八脚門をくぐるとさらに階段を上り、先に拝殿が見える。

國津比古命神社

拝殿に参る。

國津比古命神社

拝殿左に稲荷社

國津比古命神社

本殿を後方から見上げる。

國津比古命神社

拝殿右には小さい祠が並ぶ。

國津比古命神社
愛媛県松山市八反地106

伊予松山 高縄神社

高縄神社

松山市に鎮座する高縄神社。御祭神は大山積神、高龗神、鳴雷神。三代実録記載の高縄神の比定社。

高縄神社

高縄山の麓に鎮座する社殿から西の海へ車道を兼ねた長い参道が続く。かなり手前に一の鳥居が建つ。右に「縣社 高縄神社」、左に「式外旧社 推古帝勅願所 高縄神社」の社号標が建つ。

高縄神社

途中に狛犬が迎えてくれる。

高縄神社

境内へは最後に階段を上っていく。

高縄神社

振り返れば瀬戸内海。今にも雨が降りそうな天候

高縄神社

門(随神門だろうか)をくぐると正面に拝殿

高縄神社

左方に絵馬殿

高縄神社

たくさんの奉納額が掲げられている。奉納年代も広く、長く崇敬を集めているようだ。

高縄神社

拝殿の左に建っているのは社務所と参集殿か

高縄神社

拝殿に参る。こちらにも絵馬が奉納されている。

高縄神社

高縄神社

拝殿右に稲荷社。豊受大神、倉稲魂神と祀る。

高縄神社

本殿は玉垣の中に建ち、拝殿とは幣殿でつながっている。

高縄神社

横長の社殿は御神像十六軀を奉安していたという十六王子社だろうか。 

高縄神社

その右に祖霊社が建つ。

高縄神社

左には祭具庫と境内社が一社。絵馬殿横にも一社あったが、いずれかが猿田彦命を祀る御先社、もう一社が金刀比羅大権現、須佐之男神、大山積神を祀る金刀比羅社だと思われる。

参拝途中、ついに雨が降ってきた。9時前だったので車中で少し待っていると、階段前の神職宅と思われる家の方が出てきたので御朱印について聞いてみた。高縄神社の神職は階段前のこの家と、上の溜池の奥にある家の2軒が交替で勤めていて、現在は溜池の奥の家が宮司を勤めているということだった。そちらを訪ねて御朱印をいただき、待っている間いろいろと話をさせていただいた。

高縄神社
愛媛県松山市宮内甲102

伊予松山 阿沼美神社

阿沼美神社

松山市に鎮座する阿沼美神社。御祭神は大山祇神、月讀神、高靇神、雷神。延喜式温泉郡明神大社阿治美神社の論社。

阿沼美神社

神社の西の集落内から長い参道が続く。集落の交差点に「郷社 阿沼美神社」の社号標と鳥居が建つ。社号標の後ろに樹齢三百年の大杉が聳えている。

阿沼美神社

道路の真ん中に建つ鳥居は嘉永二年の銘がある。

阿沼美神社

お宮山と呼ばれる丘陵の上り道には奉納碑が建つ。左の住宅が宮司宅のようだったが早朝なので遠慮した。

阿沼美神社

社叢に入ると、階段の前に鳥居。階段の先に社殿が見える。

阿沼美神社

階段前の左には地元出身者の慰霊碑が建っている。

阿沼美神社

大きな社殿だ。拝殿に参る。

阿沼美神社

注連縄も大きい。

阿沼美神社

拝殿右に「阿沼美宮得石額之碑」が建っている。天保四年に社前御幸橋を修理したとき地中から出土した石額あり、裏面に「延文五年」「願主岡田氏」と刻まれているという。

阿沼美神社

拝殿には扁額が多く掲げられている。

阿沼美神社

歌舞伎演目と思われる奉納額もある。

阿沼美神社

本殿も大きい。

阿沼美神社

拝殿左方の境内社、左から阿奈波大明神、稲荷神社、多賀大神宮の三社殿。

阿沼美神社

前に奉納された男根が複数ある。社殿右にも男根の陽石が奉納されている。

阿沼美神社

その右に貴布禰神社、十六皇子神社、神殿神社の三社殿が建つ。前に力石が奉納されている。

阿沼美神社

本殿の右方に社務所が建っている。ここまで道路が舗装されている。

阿沼美神社
愛媛県松山市平田町宮内983

伊予松山 日招八幡大神社

日招八幡大神社

松山市に鎮座する日招八幡大神社。御祭神は品陀和気命、息長帯姫命、宗像三女神。松山の八社八幡の五番社。
元慶年間に八幡神を合祀し、門島座石清水八幡宮と号したという。三代実録記載の門島神の論社。

日招八幡大神社

住宅地の中に社叢があり、参道も住宅の間の道路になってしまっている。一本の松がその名残か

日招八幡大神社

社前道路に石橋が埋まる。早朝だが近所の方が境内を掃除しに来た。

日招八幡大神社

保免獅子舞保存会と日招太鼓保存会の会員募集の案内が立っている。どこも伝統継承にも苦労していますね。

日招八幡大神社

境内入口に神門

日招八幡大神社

その横に「郷社 日招八幡大神」の社号標が建つ。最後の「社」はかつてあったのか、もともとなかったのか

日招八幡大神社

新しい拝殿。拝殿に参る。

日招八幡大神社

幣殿、本殿も新しい覆屋の中にある。

日招八幡大神社

拝殿の右前におとよ石が祀られている。松山城の築城で石を運ぶ仕事で、長い勤めで疲れていたおとよが一つ丸に二の字の入った大きな石を運び始め、よろめきながら日招神社のところまで来て倒れてしまったという。

日招八幡大神社

拝殿左側に境内社が並ぶ。左から山王大権現、祇園社、火鎮社、春日社

日招八幡大神社

拝殿右に佐々木社

日招八幡大神社

恵美須社、高良社

日招八幡大神社

金刀毘羅社

日招八幡大神社

一番東端に建つのは祖霊社

日招八幡大神社

境内の木はどれも大きい。開発される前は周辺にも森が広がっていたのだろうか

日招八幡大神社

境内の東に授与所と書かれたお宅があった。御朱印について聞いてみたかったが、早朝だったので遠慮した。

日招八幡大神社
愛媛県松山市保免西1-4-3

伊予松山 井手神社

井手神社

松山市に鎮座する井手神社。御祭神は大山祇神、木花開耶姫神、橘諸兄公、橘嘉智子皇后、橘清友公を祀り、五社大明神と呼ばれた。
往古、橘岡にあって大山祇神と木花開耶姫神を祀っていたが、橘清友が伊予国司となった際に橘氏の祖橘諸兄の神霊を配祀したという。

井手神社

元は石手川の左岸に鎮座していたが、慶長年間の河川改修で右岸へ移った。

井手神社

鳥居の先に社殿が建つ。

井手神社

拝殿に参る。

井手神社

拝殿には入れなかったが、「正一位井手神社」の扁額がかかる。橘諸兄公が生前いただいた官位を神社名に冠していて神階とは関係ないようだ。

井手神社

夕方5時を過ぎていたので、参拝後早々に社務所で御朱印をいただく。

井手神社

拝殿の左側に境内社が並ぶ。手前から橘天満宮、金刀比羅宮、厳島神社の三社相殿。

井手神社

橘天満宮の横に河野通有像が建つ。元寇で活躍した伊予水軍の大将として有名。

井手神社

祖霊社

井手神社

橘夷子神社

井手神社

祖神社、橘稲荷神社、素鵞神社の三社相殿。

井手神社

本殿の左には松山市指定文化財のにっぽんたちばなが満開だった。ミカン類唯一の日本固有種で、西海道と南海道にしか自生していないという。

井手神社

御垣内の本殿。幣殿はよく見えない。

井手神社

角に神輿庫が建つ。案内板では前にムクの大木があったようだが、切株が残るのみ。

井手神社

本殿の裏にイチョウの御神木があり、

井手神社

本殿右の御垣内にクロガネモチの木がある。

井手神社

参道を挟み社務所の反対側の庭に、天満宮一千年祭紀年碑と筆塚が建っている。

井手神社
愛媛県松山市北立花町2-4

伊予松山 雄郡神社

雄郡神社

松山市に鎮座する雄郡神社。御祭神は天宇受売命、品陀和気尊、帯中日子尊、息長帯姫尊。日本三代実録記載の神社で、いわゆる式外社。松山八社八幡の四番社で正八幡と呼ばれた。

雄郡神社

松山城あたりから歩いて行ったら、思いのほか距離があった。暑かったので待ち時間に近くのコンビニでアイスを買う。

雄郡神社

鳥居をくぐって参道を行くと神門が建つ。

雄郡神社

神門前の左に「左馬殿の松」との碑がある。左馬殿とは、左馬助の官位だった加藤嘉明のこと。お手植えの松だったらしいが昭和末期に枯死し、現在の松は二代目。

雄郡神社

拝殿に参る。

雄郡神社

拝殿には大きな絵馬がたくさん掲げられている。

雄郡神社

拝殿の右に金砂神社

雄郡神社

祠の下に福助人形がたくさん納められているが、どういう由来か分からない。

雄郡神社

金砂神社の右に愛宕神社

雄郡神社

拝殿の左に藤廼社

雄郡神社

藤廼社の近くに弁天社

雄郡神社

拝殿の左右から本殿を取り囲むように廻廊が巡る。

雄郡神社

廻廊には三十六歌仙の額や絵馬などがたくさん掛かっている。拝殿のものと合わせると、崇敬の篤さがうかがえる。

雄郡神社

本殿

雄郡神社

廻廊に潜水艦たけしおの正式参拝の写真が掛かっていた。たけしおは雄潮型と呼ばれる潜水艦らしく、確認できなかったが艦内神社として雄郡神が祀られているのかもしれない。

雄郡神社

境内の入口の参道左方に稲荷神社、祇園社、三光社が祀られている。

雄郡神社

境内には忠霊塔も建っている。

雄郡神社

駐車場には「雄郡小学校発祥之地」の碑が建っている。

雄郡神社

境内に隣接して社務所が建つ。参拝したときにちょうど祈祷が始まったので30分ほど待って御朱印をいただいた。

雄郡神社
愛媛県松山市小栗3丁目3-19

伊予松山 阿沼美神社

阿沼美神社

松山市に鎮座する阿沼美神社。御祭神は大山積命、高靇神、雷神、味耳命を主祭神とする。延喜式温泉郡の論社のひとつ。

阿沼美神社

もとは松山城のある勝山に鎮座し勝山三島大明神と呼ばれた神社という。

阿沼美神社

社前にもまっすぐに道路が延び、どこまでが参道だったのだろうか。

阿沼美神社

境内の参道も長く、市街地にあるにしては広い。途中に鳥居が建つ。

阿沼美神社

鳥居の横に「式内 阿沼美神社」の社号碑が建つ。

阿沼美神社

社殿の背後にビルが見えるにも、いかにも市街地の神社らしい。

阿沼美神社

拝殿に参る。中には入れなかったが、覗くと「延喜式内 阿沼美神社」の社号額がかかる。

阿沼美神社

社殿に隣接する授与所は無人だったので、隣の社務所兼自宅でお願いして授与所で御朱印をいただく。

阿沼美神社

拝殿の左手に稲荷神社

阿沼美神社

拝殿の右手に四社の境内社が並ぶ。

阿沼美神社

手前から伊余夷子神社

阿沼美神社

勝山八幡神社。松山八社八幡の八番社

阿沼美神社

味酒天満神社

阿沼美神社

金刀比羅神社

阿沼美神社

「一千年祭紀年碑」が建っていたが、いつから1000年だろうか。
創建は664年とされ1664年だと古すぎる、と思っていたら延喜式がまとめられた927年だったら1927年だから戦前で盛り上がったことだろう。

阿沼美神社
愛媛県松山市味酒町3-1-1

伊予松山 出雲大社松山分祠

出雲大社松山分祠

松山市に鎮座する出雲大社松山分祠。御祭神は大国主大神。

出雲大社松山分祠

出雲大社の御分霊を祀る会社でいうところの地方支店というところ。松山分祠は出雲大社の真南に位置するという。

出雲大社松山分祠

境内はかなり手狭な感じだが、社前の道路のため削られているのかもしれない。

出雲大社松山分祠

大国主大神は大黒天と習合されてきたため、伊予七福神の大黒天になっている。

出雲大社松山分祠

鳥居をくぐるとすぐ拝殿が建つ。拝殿に参る。

出雲大社松山分祠

拝殿にかかる注連縄は分祠でもやはり太い。
授与所で御朱印をいただいた。

出雲大社松山分祠
愛媛県松山市本町三丁目5-5

伊予松山 阿沼美神社旧地

阿沼美神社

味酒に鎮座する阿沼美神社は、もと勝山(標高132m)に鎮座していた。

阿沼美神社

加藤嘉明が松山城を築城する際に西側の味酒に遷座した。

阿沼美神社

現在本丸は広い空間となっているが、築城の際に削平された可能性もあり、正確な鎮座地はわからない。

阿沼美神社(旧地)
愛媛県松山市丸之内1

伊予松山 松山神社

松山神社

松山市に鎮座する松山神社。御祭神は徳川家康公、菅原道真公を主祭神とし、大己貴命、少彦名命を相殿に祀る。

松山神社

元和4年に加藤嘉明が伊佐爾波神社の境内に東照権現を祀る小祠を建てたのが創祀で、明和2年に久松松平家の8代定静が現在地に遷座した。

松山神社

神社は南向きに参道が延び、上り階段の途中に鳥居が建つ。

松山神社

鳥居をくぐり、階段途中の右手に社務所への入口がある。

松山神社

東照宮が現在地に遷座したのは松山城の鬼門を守護するためでもあったが、なるほど小高い境内地からは城下町の中心の丘に築城された松山城がきれいに望める。

松山神社

階段を上り終えると唐門が建つ。社殿を取り囲むように透塀が囲む。

松山神社

中に入り、拝殿に詣る。右には御供所の建物が建つ。

松山神社

左にまわり本殿。東照宮特有の権現造。菅原道真公が太宰府左遷の途中、この丘に立ち寄り温泉に浴したという伝説地として里人が祀ったという天満神社を合祀し、松山東照宮は松山神社と改称した。

松山神社

拝殿の左手に境内社が一社。

松山神社

今日は社殿前で宮司が作業していたので、拝殿前の授与所で御朱印をいただいた。

松山神社
愛媛県松山市祝谷東町640

伊予松山 湯神社

湯神社

松山市に鎮座する湯神社。延喜式温泉郡の比定社。御祭神は大己貴命、少彦名命。
当宮は景行天皇が皇后八坂入姫と行幸したときに鶯谷の大禅寺の前に創建したと伝わる。大永7年の地震で道後温泉が埋没したときに、延喜式温泉郡出雲崗神社の境内に遷座して境内社となり、幾度かの出湯祈祷を経るなかで、出雲崗神社の御祭神の素盞嗚命、稻田姫命を合祀するに至ったという。

湯神社

階段を上って境内に入る。

湯神社

階段の途中の建物は参集殿らしき建物。

湯神社

冠山の山頂の境内前は道後温泉の有料駐車場になっている。右手に社殿が並び、手前に境内社の中嶋神社が建っている。御祭神は田道間守命で、但馬国出石郡の式内社の御分霊を四国の製菓業者により創祀されたそうだ。

隣の小祠は児守社だろうか。

湯神社

隣の湯神社に参る。

湯神社

本殿を裏から見上げる。両側に末社があり、三穂社(御祭神は事代主命、蛭兒命)と八幡若宮社(御祭神は大鷦鷯尊)。

湯神社

社殿前の社務所で御朱印をいただく。

湯神社

待っている間にガラスに貼ってある「玉の石の伝説」を読んでいました。
道後温泉は当宮の御祭神である大己貴命、少彦名命が開いたとされ、その開湯伝説のようで、伊予国を訪れた際、少彦名命が重病に苦しみ、大国主命が手のひらに少彦名命をのせて温泉に入浴させたところ調子が良くなり、少彦名命は喜びのあまり傍の石の上で舞い踊ったという話です。
その石を「玉の石」といい、道後温泉の傍らに奉られていると書かれていましたので、御朱印をいただいた後、場所をお聞きすると、下の道後温泉本館の横にあると。

湯神社

湯神社の裏、北側に行くと眼下に本館が見える。

湯神社

階段を下りていくと、裏参道の鳥居が建っている。

湯神社

ゴールデンウィークともあって大勢の人で賑わっている。

湯神社

周囲を右回りに歩いて行くと、北側に「玉の石」を見つけた。左回りのほうが早かった。
ここも観光スポットのようで、石にひしゃくで水をかけて願かけする場所になっていて行列になっていた。

湯神社
愛媛県松山市道後湯之町4-10

伊予松山 伊佐爾波神社

伊佐爾波神社

松山市に鎮座する伊佐爾波神社。延喜式温泉郡伊佐尓波神社の比定社。御祭神は誉田別尊、足仲彦尊、氣長足姫尊、三柱姫大神(市杵島姫尊、湍津姫尊、田心姫命)を主祭神とし、東照大神を配祀する。

伊佐爾波神社

道後温泉街の東方の山に鎮座する当宮への参道口に大鳥居が建つ。

伊佐爾波神社

右手に湯神社を通りすぎ境内入口に至る。

伊佐爾波神社

灯籠横の案内には「道後七郡総鎮守」と書かれ、その起源は仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられたといい、湯築八幡と呼ばれた。

また、河野氏の湯築城の鎮守として現在地に遷座し、加藤氏の定めた八社八幡の一番社とされた。

伊佐爾波神社

長い階段が続き、一気に上る。

伊佐爾波神社

石段の途中に素鵞社が建つ。

伊佐爾波神社

上りきると社殿が現れる。宇佐神宮、石清水八幡宮と並び日本三大八幡造りと言われ、国指定重要文化財になっている。

伊佐爾波神社

廻廊の中は朱色に塗られ、屋根裏の蛙股には兎や鯉の彫刻が鮮やかだ。
拝所に参る。拝所には「湯築八幡宮」の扁額がかかる。

伊佐爾波神社

廻廊を右回りにまわる。本殿右側(南側)に新田霊社

伊佐爾波神社

廻廊内には奉納絵馬が多数展示されている。

伊佐爾波神社

本殿は南側からが見やすい。二重の屋根が連なる八幡造り

伊佐爾波神社

本殿左前(北側)に高良玉垂社

伊佐爾波神社

社殿の前に社務所が建つ。

伊佐爾波神社

帰り道、眼下に松山市内が見えるが、木々で正面以外は視界が遮られる。次の湯神社へ向かう。

伊佐爾波神社
愛媛県松山市桜谷町173

伊予松山 東雲神社

東雲神社

松山市に鎮座する東雲神社。御祭神は天照皇大神、豊受大神、天穂日命、菅原道真公、息長福玉命(伊予松山藩祖松平定勝)、奇足玉命(伊予松山藩11代藩主松平定通)、真都栄命(伊予松山藩16代藩主松平定昭)、稚国玉命(藩祖松平定勝の嫡男松平定吉)を祀る。
11代藩主松平定通が藩祖を祀った仮宮(後の東雲神社)が創祀で、昭和20年に空襲で焼失し、昭和46年に松山大神宮が跡地に奉遷され、2年後に東雲神社の神霊が合祀されたという。つまり、もとの東雲神社の御祭神は伊予松山藩松平家の祖神を祀ったものと言える。

東雲神社

当宮は松山城内に鎮座するので、社号標の建つ参道入口は松山城への登山口のひとつになる。

東雲神社

階段を上り最初の平場に出ると、締め柱が建ち、天主への分かれ道となる。

東雲神社

階段を上り門をくぐると、白い花がついたナンジャモンジャの木(ヒトツバタゴ)。とてもきれいに咲いている。

東雲神社

さらに階段を上っていくと、途中に鳥居が建つ。

東雲神社

さらに階段を上るとようやく社殿が見えた。階段が急なこともあり、ここまでかなり息が切れる。

東雲神社

拝殿に参る。廻廊の奥に本殿が見える。

東雲神社

御垣の裏にまわると本殿は2棟並んでいる。真ん中の本殿が松山大神宮のもの、左に建つ本殿がもと東雲神社のものだろうか。

東雲神社

拝殿の左手前に社務所が建つ。

東雲神社

今日は朝早くて無人だったが、無情な貼り紙が・・・。正月3が日以外は御朱印はしていないとのこと。

東雲神社
愛媛県松山市丸之内73番地1

伊予西条 石岡神社

石岡神社

西条市に鎮座する石岡神社。御祭神は誉田別尊、気長足姫尊、宗像三女神。

石岡神社

道路の分岐点に一の鳥居と社号標が建つ。参道はまっすぐに社殿へと向かう。南東向き。

石岡神社

鳥居の脇に歌碑が建つ。

石岡神社

道路が終了し、境内の入口に建つ二の鳥居

石岡神社

狛犬は下に重心があり安定感がある。

石岡神社

三の鳥居の先に神門

石岡神社

境内にはクスノキの大木が多い。

石岡神社

拝殿に参る。

石岡神社

本殿

石岡神社

境内社が拝殿の左右に複数建つ。左から時計回りに参る。
山王神社

石岡神社

桜木神社

石岡神社

金刀比羅神社

石岡神社

稲荷神社

石岡神社

地護大明神、玉積神社、楠社の合祭殿。ここまでが左側

石岡神社

高良神社。この社のみ参道向きではなく、本殿の右に同じ方向に建つ。

石岡神社

宇賀神社

石岡神社

厳島神社

石岡神社

猿田彦神社

石岡神社

恵比須神社

石岡神社

杉尾神社

石岡神社

若宮社

石岡神社

○内神社(一文字目が不明)

石岡神社

資料館

石岡神社

秋の例大祭にはだんじりが出るという。

石岡神社

二の鳥居と三の鳥居の左、旧社家と神社が建つ。

石岡神社

社家玉井氏の顕彰碑、由来を書いた案内板も建つ。戦後のある時期に社家と氏子の間に不和が生じ、社家が退任したということらしい。

石岡神社

現在の社家は一の鳥居の脇に社務所、裏に自宅があり、そちらで御朱印をいただく。

石岡神社
愛媛県西条市氷見乙1368

伊予西条 石鎚神社口之宮本社

石鎚神社口之宮本社

西条市に鎮座する石鎚神社口之宮本社。御祭神は石鎚大神。石鎚神社は口之宮本社、中宮成就社、奥宮頂上社、土小屋遙拝殿の四社で構成される。

石鎚神社口之宮本社

国道11号線沿いに建つ大鳥居

石鎚神社口之宮本社

進むと石造の一の鳥居と社号標が建つ。

石鎚神社口之宮本社

さらに進むと神門

石鎚神社口之宮本社

神門には随神ではなく、大天狗と小天狗の像が立つ。

石鎚神社口之宮本社

第二駐車場からの参道の真ん中に御神木のヒノキが立つ。

石鎚神社口之宮本社

階段を上っていく。

石鎚神社口之宮本社

途中踊り場、第一駐車場からの入口に境内社の大石社、御祭神は猿田彦命。

石鎚神社口之宮本社

会館と社務所の間を通り、もうひとつ階段を上ると、右手に三倍神社、御祭神は素戔嗚尊を主祭神とし、言代主神を相殿に祀る。もとは石鎚山山麓の今宮の産土神であった。

石鎚神社口之宮本社

方違社、御祭神は歳徳神。

石鎚神社口之宮本社

石橋を渡り、右に曲がると本社だが、もうひとつ奥からまわることにする。

石鎚神社口之宮本社

祓戸大神を祀る祓所。

石鎚神社口之宮本社

滝のある池

石鎚神社口之宮本社

階段には手すり代わりに鎖が張られている。

石鎚神社口之宮本社

階段を上ると祖霊社。御祭神は開山の役の行者、別当前神寺と横峰寺の主管者、明治以後の祀宮、社司などの神職者、先達の物故者となっている。

石鎚神社口之宮本社

祖霊社の前に石鎚山遙拝殿があり、一つ前の奥宮頂上社の石殿が祀られている。

石鎚神社口之宮本社

その遙拝殿の裏に鳥居が立ち、道が続くがどこに続いているのか。

石鎚神社口之宮本社

祖霊社の左に御神水所

石鎚神社口之宮本社

右には綜合摂社が建つ。

石鎚神社口之宮本社

大きな石祠は天皇宮、御祭神は素盞嗚命。

石鎚神社口之宮本社

隣の合祭殿は、秋葉神社(火之加具土神)、大山祇神社(大山祇神)、伊雑社(皇大神)、荒神社(天照皇大御神荒魂)、河内八幡神社(誉田別命)、開拓社(三右エ門命)が並ぶ。

石鎚神社口之宮本社

本社の拝殿に参る。

石鎚神社口之宮本社

本社からは西条市が見渡せて気持ちが良い。

石鎚神社口之宮本社

授与所で石鎚神社三社目の御朱印をいただく。

石鎚神社口之宮本社

本社からの階段には石鎚山の三の鎖のかつての鎖が張られている。

石鎚神社口之宮本社

階段を下りたところの池の前に厳島社が建つ。

石鎚神社口之宮本社
愛媛県西条市西田甲797番地

伊予西条 西條神社(西條東照宮)

西條神社

西条市に鎮座する西條神社。御祭神は徳川家康公、西條藩初代藩主松平頼純公以下10代頼英公まで。西條藩松平家は紀伊徳川家の分家で、2代と5代が紀州藩主となっている。

西條神社

境内は東向き。右隣の楢本神社は別の独立した神社。

西條神社

入口の左に伊曽乃宮お旅所と書かれた建物。伊曽乃神社の10月例大祭ではだんじりとみこしが集結し、裏の加茂川に川入りするという。お旅所の場所は元西條神社の境内地で、戦後の一時期伊曽乃神社の摂社となった後、独立する際に取られたのだと聞いた。

西條神社

神門をくぐり境内に入る。

西條神社

拝殿に参る。

西條神社

拝殿にかかる扁額。正面の「西條神社」は山岡鉄舟の書。奥の半分見えているのが勝海舟の書で「東照宮」と旧県社の格式を感じさせるものがある。

西條神社

拝殿右前に鶴亀石

西條神社

拝殿右に境内社が一社。

西條神社

伊予路大町に泊まった小林一茶の俳句碑。

西條神社

本殿右に境内社が一社。

西條神社

本殿は神明造。

西條神社

宮司宅の前に田中大祐翁が乃木将軍邸から持ち帰って奉納した「乃木将軍の梅」がある。
宮司宅で御朱印をお願いし、その後神社の案内をしていただいた。

西條神社
愛媛県西条市大町1159

伊予西条 伊曽乃神社

伊曽乃神社

西条市に鎮座する伊曽乃神社。御祭神は伊曽乃神。延喜式新居郡の論社で、明神大社。

伊曽乃神社

北向きの参道。一の鳥居

伊曽乃神社

一の鳥居から長い参道が続く。晴天が気持ちよく、静かな空間だ。

伊曽乃神社

しばらく進むと、左手に駐車場へ続く道路が参道を横切るところに「国幣中社 伊曽乃神社」の社号標が建つ。

伊曽乃神社

石畳のなだらかな坂を上ると二の鳥居。

伊曽乃神社

正面に大きな御神木が見えてくると、右手に本社、左手に古茂理神社が鎮座する。

伊曽乃神社

左手の古茂理神社、御祭神は木花之佐久夜毘賣命。中村村の産土神で、境内に隣接して境内社のように見えるが本社からは独立している神社。

伊曽乃神社

授与所で御朱印も授与されている。

伊曽乃神社

古茂理神社の左に境内社。三社の郷祭殿に見えるが、中央は狐が置かれているので稲荷神社か。

伊曽乃神社

周囲の川(水は流れていないが)沿いにも小祠が置かれている。

伊曽乃神社

本社正面の神門の前に二本の大きな御神木が立つ。

伊曽乃神社

拝殿に参る。

伊曽乃神社

拝殿のまわりを左から時計回りに境内社をめぐる。御先神社、御祭神は猿田毘古神。

伊曽乃神社

横から見た本殿

伊曽乃神社

本殿裏に拝所がある。

伊曽乃神社

鎮守神社(又野神社)、御祭神は又野の村上平兵衛、宇高の高橋孫兵衛、高橋弥一左衛門の三名。宝暦の強訴の義民を祀る。

伊曽乃神社

瑞枝神社、御祭神は祖霊と久門家祖神。いわゆる祖霊社に近い。

伊曽乃神社

山王神社(大山咋神)、厳島神社(多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命)、妙見神社(八千鉾神)の合祭殿

伊曽乃神社

加茂・神戸両郷内諸社遙拝所となる遙拝社。境外末社の遙拝所。

伊曽乃神社

天満神社、御祭神は菅原道真公、大物主命、可々背男命、大山積命、神田大明神。

伊曽乃神社

拝殿の前には古茂理神社の御祭神でもある木花開耶姫命の像が建つ。

伊曽乃神社

拝殿前には井戸や土俵もある。

伊曽乃神社

伊曽乃神社には、石鎚神が山頂から投げた3つの石が落下した真ん中の場所に居を定めたという伝承があり、一の鳥居横にあるというのが、「石鎚神社の投石」が鳥居の右横にある石らしい。案内板も何もないのでじっくり見なかった。

伊曽乃神社
愛媛県西条市中野甲1649

伊予西条 石鎚神社奥宮頂上社

石鎚神社奥宮頂上社

西条市に鎮座する石鎚神社奥宮頂上社。石鎚山の弥山頂上に鎮座する。御祭神は石鎚大神。

石鎚神社奥宮頂上社

成就社の山門をくぐってしばらく行くと遙拝の鳥居が建つ。しかし、いよいよ頂上へ向かうというのに下り道というのは後が辛そうだ。

石鎚神社奥宮頂上社

試しの鎖。順番待ちもあり、また今日は鎖が濡れているので迂回することにする。

石鎚神社奥宮頂上社

一の鎖

石鎚神社奥宮頂上社

鳥居の先は二の鎖、三の鎖

石鎚神社奥宮頂上社

「おのぼりさんで」「おくだりさんで」というかけ声は聞くことなかったが、迂回の階段は斜面に作られており、下が見えない状況は高所が苦手な自分には良かったかもしれない。

石鎚神社奥宮頂上社

頂上小屋が見えてきた。

石鎚神社奥宮頂上社

山頂社は霧雨の中、真っ白だった。

石鎚神社奥宮頂上社

拝所に参って、横の授与所で御朱印をいただく。

石鎚神社奥宮頂上社

頂上の祠には鳥居が建っている。頂上までの安全に感謝し、下山の無事を祈る。

石鎚神社奥宮頂上社

風も強く、天狗岳は全く見えない。早めの昼食をとり、早々に下山を始める。

石鎚神社奥宮頂上社

山頂成就駅に着いて間もなく、13時40分のロープウェイで石鎚山を後にする。

石鎚神社奥宮頂上社

山麓の駐車場は良い天気だ。開山すぐの山の天気はやはり難しい。

石鎚神社奥宮頂上社
石鎚山弥山頂上(標高1974m)

伊予西条 石鎚神社中宮成就社

石鎚神社中宮成就社

西条市に鎮座する石鎚神社中宮成就社。石鎚山の中腹に鎮座する。御祭神は石鎚大神。

石鎚神社中宮成就社

石鎚山登拝表口には7時40分に到着。麓は良い天気で、登山準備をして出発する。

石鎚神社中宮成就社

山麓下谷駅はすでに行列で、なかなかロープウェーには乗れそうにありませんでした。
ちなみに前の犬連れの方は犬とともに頂上まで登りました。犬って案外高山病には強いのかな?

石鎚神社中宮成就社

山頂成就駅には8時40分到着。駐車場到着からすでに1時間経つ。標高は1300mでここからさらに700mほど登る。

石鎚神社中宮成就社

徒歩で5分。前神寺奥の院に到着。ロープウェイを下りてから雲の中に入ったようだ。

石鎚神社中宮成就社

杖立王子社。本社から頂上社までの間に36の王子社があり、祈願納め札を納めて参る巡拝行(3泊4日)も行われているという。

石鎚神社中宮成就社

奥の院から徒歩10分、成就社に到着。

石鎚神社中宮成就社

旅館の間を抜けると社殿の前に鳥居

石鎚神社中宮成就社

拝殿に登山の安全を祈る。

石鎚神社中宮成就社

隣の授与所で御朱印をいただく。

石鎚神社中宮成就社

拝殿左に見返り遙拝殿

石鎚神社中宮成就社

天気が良ければ石鎚山頂上が見えるというが、残念ながら真っ白

石鎚神社中宮成就社

大きな天狗の面が掛けられている。

石鎚神社中宮成就社

高下駄も奉納されている。

石鎚神社中宮成就社

遙拝殿の右に八大龍王社。この社の裏にリフト乗り場がある。

石鎚神社中宮成就社

山門をくぐって山頂へと向かう。

石鎚神社中宮成就社
愛媛県西条市小松町石鎚字上黒河422

伊予西条 大元神社

大元神社

西条市に鎮座する大元神社。石鎚山への途上の集落にあり、御祭神は国常立命、素盞嗚尊。
石鎚山の登山口までの道のりは集落がほとんどなく、ここも石鎚信仰に関係の深い集落です。

大元神社

鳥居と社号標の建つ入口は西向きだが、

大元神社

参道はカーブして社殿は東向きに建つ。

大元神社

狭い斜面の平地を最大限利用して社殿が建てられている。

大元神社

拝殿に参る。

大元神社

扁額の代わりというか絵馬が掛けられている。鬼を退治する武者の絵、何か由緒に関係するものだろうか。

大元神社

本殿左に境内社が一社。詳細は不明

大元神社

右の一社は荒神社、谷位神社、坂城神社、金刀比羅社、片山神社の合祀社。明治の神社整理で周辺の神社を合祀したものらしく、左の一社もそういうものか。

大元神社
愛媛県西条市中奥千野々1-35

伊予西条 保内八幡神社

保内八幡神社

西条市に鎮座する保内八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇、市杵嶋姫命、湍津姫命、田心姫命、武内宿禰。

保内八幡神社

境内は南東向き。社前の道路を挟んで燈籠が並ぶ。かつては東を流れる新川に向かって参道が延びていたのかもしれない。

保内八幡神社

入口に鳥居と「郷社 保内八幡大神」の社号標が建つ。境内はクスノキの大木が多い。

保内八幡神社

鳥居の扁額には「周敷神社保内道八柱宮」と中央に、右に「八幡大神 周敷神」、左に「道祖神 八柱乃神」と彫られているようだ。

保内八幡神社

拝殿に参る。

保内八幡神社

渡り廊下でつながる本殿

保内八幡神社

本殿右に三社の境内社が並ぶ。右から荒神社、塞の神、稲荷神社

保内八幡神社

本殿裏にも拝所が設けられている。

保内八幡神社

拝殿左手に境内社として周敷神社が鎮座する。延喜式桑村郡の論社で、御祭神は國常立命、火明命。

保内八幡神社

周敷神社の前のクスノキは特に周囲が大きく、注連縄が張られている。

保内八幡神社
愛媛県西条市円海寺172

伊予今治 綱敷天満神社

綱敷天満神社

今治市に鎮座する綱敷天満神社。御祭神は菅原道真公。社務所はふだん無人らしく、また早朝だったこともあり御朱印の有無は確認していない。

綱敷天満神社

明日が例大祭の日だったらしく、集落内に幕が掛かっていた。

綱敷天満神社

境内入口に鳥居と社号標。
太宰府への配流の途中、風波にあおられ当地の里人が助け、志島の東端の岩上に御座所を設けたが、急なことで敷物がなく漁船の綱を丸く巻き円座の替わりとしたという古伝により「綱敷天神」と呼ばれた。

綱敷天満神社

絵馬殿

綱敷天満神社

境内一帯は志島ヶ原という国名勝で、砂地に松原が広がる。

綱敷天満神社

拝殿前にも松の大木が立つ。拝殿に参る。

綱敷天満神社

拝殿の木鼻は龍の浮き彫りでとても凝っている。

綱敷天満神社

拝殿前の燈籠?の獅子の彫刻もいい。

綱敷天満神社

「梅の花 幾世の春や匂うらん 志島が原の神の宮居に」
伏見親王の歌碑が建つ。

綱敷天満神社

境内社の皇大神社

綱敷天満神社

住吉神社

綱敷天満神社

須賀神社と荒神社の合祀殿

綱敷天満神社

風呂神社の社名標が建つ境内社には

綱敷天満神社

中央に風呂明神社、右に事代主神社、左に桜川神社の三社が祀られている。

綱敷天満神社
愛媛県今治市桜井6丁目2−1

伊予今治 上徳三嶋神社

上徳三嶋神社

今治市に鎮座する上徳三嶋神社。御祭神は大山津見命を主祭神とし、上津姫命、下津姫命を配祀する。延喜式越智郡姫坂神社の論社。

上徳三嶋神社

境内は東に流れる川の土手下に広がる。入口に鳥居

上徳三嶋神社

入口の藤がきれいに咲いている。

上徳三嶋神社

参道を進むと2組の狛犬の先に社殿

上徳三嶋神社

参道の左手に社号標が建つ。

上徳三嶋神社

拝殿に参る。

上徳三嶋神社

本殿。大三島より勧請した伊予八社の三島宮のうちの一社という。

上徳三嶋神社

本殿左手に境内社が並ぶ。左が須佐之男神社、右が大己貴神社。

三嶋神社

須佐之男神社の左に、池の中に厳島神社。

上徳三嶋神社

本殿左の小山の上に境内社

上徳三嶋神社

中央の一社がひとまわり大きい。

上徳三嶋神社

その奥に大石が並び、その一つに注連縄が掛けられている。

上徳三嶋神社

階段の下に小祠が建つ。

上徳三嶋神社

その横に「○神宮大明神」の扁額が残っている。一番上の字が少し風化して読めない。

三嶋神社
愛媛県今治市上徳字高森194

伊予今治 三島神社

三島神社

今治市に鎮座する三島神社。御祭神は大山祇命。

三島神社

神社境内に隣接して、法徳寺、天祐寺、観喜寺の三ヶ寺が集まっている。

三島神社

朝焼けの中、境内に入る。

三島神社

入口に「三島神社」と「姫坂神社」の社号標が建つ。

三島神社

一の鳥居をくぐり、二の鳥居の前に狛犬があり、少し前屈みで、大きな目がどことなく愛嬌がある。

三島神社

二の鳥居の先は階段

三島神社

階段を上ると正面に三島神社の拝殿、右に境内社が並ぶ。拝殿に参る。

三島神社

三島神社の本殿

三島神社

姫坂神社の拝殿。延喜式越智郡の論社。御祭神は市杵嶋比賣命。

三島神社

姫坂神社の本殿。横に「姫坂社奉還 社殿修復」の碑が建ち、施主は越智さんで、当国はこの姓が多い。

三島神社

もう一社の境内社。

三島神社
愛媛県今治市町谷楠谷甲502・乙7

伊予今治 龍神社

龍神社

今治市に鎮座する龍神社。御祭神は彦火火出見命、高龗神、闇龗神、豊玉彦命。三代実録記載の龍神とされる。
神武東征で激しい風波を鎮め航海安全を願って龍神を祭祀されたと伝えられる地に鎮座する。

龍神社

神社への道路入口看板。船上継獅子で有名らしい。神社の由緒書きによれば、伊勢代神楽の流れを組む200年続く伝統芸能で、5月第3日曜日に行われるという。

龍神社

海岸に出る。彼方に織りなすように見える島々が美しい。

龍神社

海岸沿いを西へ。途中海の中に鳥居が建っているのが見える。

龍神社

途中海小屋らしい建物の先に社殿が見える。

龍神社

境内は崖と海の間の狭い平地

龍神社

拝殿に参る。

龍神社

拝殿の鬼瓦にも龍が施されている。

龍神社

拝殿裏の本殿

龍神社

海沿いに建つにしては社殿が新しいと思っていたが、平成3年9月の台風によって本殿拝殿が流出し再建されたということであった。

龍神社

対岸に回り込み、正面から鳥居と社殿を見る。ちょうど夕焼けの時間であったが、今日は雲が厚くあまりきれいには見えなかった。

龍神社
愛媛県今治市大西町九王853

伊予伯方島 喜多浦八幡神社

喜多浦八幡神社

今治市伯方島に鎮座する喜多浦八幡神社。御祭神は息長足比売命、品陀和気命、伊邪那岐命、伊邪那美命、少名毘古那命、天目一箇命、他八柱を配祀する。白鳳二年九州博多の筥崎宮から分霊勧請し創建された。伯方島の名の由来ともいう。

喜多浦八幡神社

南向きに表参道がある。駐車場は境内の西の裏参道にある。

喜多浦八幡神社

鳥居の前に亀石があり、長寿・縁結びの亀として「愛染どんす」と呼ばれている。「どんす」はこの地方の方言で亀のことらしい。

喜多浦八幡神社

鳥居の扁額には「八幡大神社 合祀伊方神社」とある。伊方神社は伊方の小御所山に鎮座していたのを承久の乱後、河野通秀が当社に合祀する。御祭神は天目一箇命。三代実録記載の伊方神の論社。
神社名は「喜多浦八幡神社」であるが、これは通称で、正式名は「喜多浦八幡大神神社」というようだ。由緒書きと旗、それに拝殿扁額には「喜多浦八幡大神神社」、社号標は「喜多浦八幡大神社」、鳥居の扁額は「八幡大神社」となっている。

喜多浦八幡神社

階段を上って社殿に、階段前に境内社が両側に建つ。

喜多浦八幡神社

右に伊邪那岐・伊邪那美神社

喜多浦八幡神社

左に塞神社・土居明神の合祭殿

喜多浦八幡神社

階段を上ると鳥居の先に社殿が見えてくる。前は広い平場になっている。

喜多浦八幡神社

拝殿に参る。

喜多浦八幡神社

扁額の下の牛車の彫刻も凝っている。

喜多浦八幡神社

中に入れたので、拝殿にかかる絵馬を見る。中に「大江山一代記」の絵馬がある。

喜多浦八幡神社

境内には嘉永三年に建てられた芝居小屋が残り、絵馬の演目なども上演されていたのだろう。

喜多浦八幡神社

参道右に、野間神社、城山神社、赤瀬神社、八面荒神社、田窪神社の合祭殿。神社整理の合祀社を本殿ではなく、境内社に祀るのがこの辺りの特徴のようだ。

喜多浦八幡神社

隣に神輿倉

喜多浦八幡神社

隣に奈良原神社、武内神社、天満神社、馬越神社、秋葉神社の合祭殿。

喜多浦八幡神社

参道左に表忠之碑

喜多浦八幡神社

隣に小田明神、中村神社、和岐神社、船越神社、妙見神社の合祭殿。

喜多浦八幡神社

隣に三社明神、竹田神社、八巻厳島神社、沖上神社、川口神社の合祭殿。

喜多浦八幡神社

本殿の左後ろには筥崎宮と大山祇神社の遙拝所

喜多浦八幡神社

本殿の右後ろには神宮遙拝所

喜多浦八幡神社

本殿裏の磐座3つに注連縄が張られているのは印象的だった。

喜多浦八幡神社
愛媛県今治市伯方町北浦2463

伊予大三島 三嶋神社

三嶋神社

今治市大三島に鎮座する三嶋神社。御祭神は大山積神。

三嶋神社

社殿は西向き。参道も西にまっすぐ延びる。

三嶋神社

境内の入口に鳥居と狛犬

三嶋神社

拝殿に参る。三嶋神社は大山祇神社の旧御旅所で御浜殿と呼ばれ、秋の産須奈大祭では本社の神輿3基が神幸する。

三嶋神社

拝殿の後ろに御垣に囲まれた本殿。左奥には裏口の鳥居が建っている。

三嶋神社

拝殿右には小宮と呼ばれる合祀された神社の合祀殿が建つ。平成28年9月に新築されたばかりで、まだ新しい。
本殿に近い手前から、石神社、九頭龍神社、五穀神社、恵比須神社、伊曽乃神社、川崎神社、金比羅神社、地神社、下荒神社、宗忠神社(ここまで手前の小宮)、天神社、保食社、荒神社、祇園神社、地神社、厳島神社が祀られる。

三嶋神社
愛媛県今治市大三島町台

伊予一の宮 大山祇神社

大山祇神社

今治市大三島に鎮座する大山祇神社。御祭神は大山積神。延喜式越智郡の比定社で明神大社、伊予国一宮。全国の大山祇神社、三嶋神社の総本社。

大山祇神社

今日は帰省ラッシュに加え、駐車場の藤公園で藤まつりが開催されていて、意図せず市役所大三島支所に導かれたため、一の鳥居から参拝を始めることになった。

大山祇神社

鳥居の前は宮浦港で、しまなみ海道ができるまでは船でここに上陸して参拝していた。港の南に御串山の岬の方に摂社阿奈波神社が建つので、先に参拝することにする。

大山祇神社

途中海の岩場に鶴姫像が島を見つめている。鶴姫は大山祇神社社家の大祝家の姫君で、戦国時代に大内氏侵攻に対して水軍を率いて戦い、戦いで亡くなった恋人の後を追って海に身投げしたという伝説が残る。
右手に大三島最高峰の鷲ヶ頭山、古来より神の山として崇められてきた。

大山祇神社

海沿いの先に社殿が見えてきたが、何かがおかしい。

大山祇神社

西向きの境内に裏から入ると、木材や瓦が積まれている。鳥居や燈籠も崩壊している。後で聞いたところによると、昨年秋の集中豪雨で御串山の斜面が崩れ、社殿の一部が潰れたという。そういえば、参道入口は通行止めのようになっていたが、車両で入るなということかと思っていた。

大山祇神社

拝殿(拝所?)はなくなっているが、本殿はかろうじて助かったようで、本殿に参る。御祭神は磐長姫命

大山祇神社

一の鳥居から表参道を歩く。

大山祇神社

社叢の入口に到着。「大日本総鎮守大山祇神社」の社号標と二の鳥居。社号標は伊藤博文の揮毫、鳥居扁額は藤原佐理揮毫の写し。

大山祇神社

石橋と「延喜式内社 伊豫国一宮 大山祇神社」の社号標の向こう総門が見えてくる。

大山祇神社

総門は平成22年に室町時代の古図をもとに再建された門で

大山祇神社

「日本総鎮守 大山積大明神」の扁額が掛かっている。

大山祇神社

斎田、御田植祭で早乙女による田植え、抜穂祭で抜穂乙女による収穫が行われ、神事に用いられる稲。

大山祇神社

御桟敷殿、御田植祭と抜穂祭で神輿3基が渡御する。

大山祇神社

昭和60年に造営された絵馬殿

大山祇神社

神功皇后の絵馬が掛かる。

大山祇神社

末社馬神社と神馬舎、天斑駒神を祀る。

大山祇神社

斎炊殿、神馬舎の裏に建つ。

大山祇神社

能因法師雨乞の楠。樹齢3000年と伝わるが現在は枯死している。茂って見えるのは回りの木

大山祇神社

楠の奥に末社宇迦神社が建ち、宇賀神を祀る。

大山祇神社

後ろの神池の中に社殿が建つ。

大山祇神社

末社十七神社、最右の諸山積神社と十六社神社が一体となっている。

大山祇神社

乎知命御手植の楠。樹齢2600年と伝わる御祭神の子孫による植樹

大山祇神社

楠の右手に祓殿神社、伊豫國総社、葛城神社の末社合祭殿。

大山祇神社

大禍津日神、大直日神、伊豆能売神、速佐須良姫神、一言主神を祀る。

大山祇神社

伊藤博文が参拝記念に植樹した楠。

大山祇神社

階段の先に神門と廻廊が見えてきた。

大山祇神社

随神は目を見開き、神域への侵入を見張っている。

大山祇神社

神門を入り、左の下津社廻廊に隼人の舞の像。

大山祇神社

隣には明暦三年の銘がある鉄張太刀櫃。太刀櫃とは数々の鎧、刀のある国宝の島らしい。

大山祇神社

拝殿に参る。

大山祇神社

本殿の右に摂社上津社、上津姫と雷神と祀る。

大山祇神社

本殿左に摂社下津社、下津姫と高龗神を祀る。手前には水波能売神を祀る神水の井戸

大山祇神社

下津社の廻廊を出ると、神輿倉。6基の神輿を収納する。

大山祇神社

末社八重垣神社(左)と末社酒殿(右)。素戔嗚命、大山積神をそれぞれ祀る。

大山祇神社

末社御鉾神社、御鉾大神を祀る。

大山祇神社

少し西の山手に行くと、奥の院がある。参道入口に「生樹の御門」と呼ばれる樹齢3000年の楠。

大山祇神社

根元に空洞がなっており、ここを通って奥の院に参詣する。長寿の象徴

大山祇神社

奥の院は神仏習合時の神宮寺。木造阿弥陀三尊像を祀る。

大山祇神社

境外末社天神社、造化三神を主祭神とし、菅原道真公を相殿に祀る。

大山祇神社

下津社の御垣外に末社4社が並ぶ。石神社、稲荷神社(稲荷神)、地神社(地主神)、院内荒神社(竈神)

大山祇神社

本殿の裏に姫子邑神社が建つ、木花開耶姫命、火々出見命、火須勢理命を祀る。

大山祇神社

境内には楠の巨木が多く、38本が国天然記念物に指定されている。

大山祇神社

河野通有甲掛の楠。元寇出兵時に戦勝祈願したというが、現在は枯死している。

大山祇神社

宝篋印塔、中央の1基は一遍上人の来島を記念して建立された

大山祇神社

末社祖霊社、大国主命と信徒祖霊を祀る。

大山祇神社

庭が美しい。

大山祇神社

祖霊社の左に五穀神社(左)と八坂神社(右)、宇賀御魂神、素戔嗚命と少彦名命をそれぞれ祀る。

大山祇神社

宝物館紫陽殿

大山祇神社

宝物館国宝館、宝物の中でも武家が奉納した甲冑や刀剣を展示している。

大山祇神社

大三島海事博物館、昭和天皇のご採集船、葉山丸を展示している。

大山祇神社

藤公園の藤は満開でした。

大山祇神社

藤公園から川を渡り対岸へ、山沿いに東へ向かう。ここからは鷲ヶ頭山がきれいに見える。

大山祇神社

集落の中ほどの麓の森の中に境外末社厳島神社が鎮座する。

大山祇神社

市杵島姫命を祀る。

大山祇神社

授与所ではお札やお守りが頒布されているだけで、関連書籍やみやげものは宝物館や海事博物館で販売されていた。「大三島詣で」という小冊子(500円)は大山祇神社の見どころや摂末社を網羅していて大変参考になる。元寇の役の縁起絵馬(800円)は元寇で三島水軍を率いた河野道有を描いている。

宝物館売店で境外末社について尋ねる。御子宮神社、轟神社は少し離れているということで、天神社のほかは厳島神社を参拝した。同じ大字の宮浦にあって小字が別の4つの集落に鎮座する境外末社は氏子集落の鎮守として鎮座されたのだろうか。

大山祇神社
愛媛県今治市大三島町宮浦3327