山城洛中 北野天満宮

北野天満宮

京都市上京区に鎮座する北野天満宮。御祭神は菅原道真公。全国の北野神社の総本社で、二十二社の二十番社であった。

北野天満宮

北門より境内に入る。

北野天満宮

入ってすぐ左に文子天満宮。多治比文子が菅原道真公を最初にお祀りした社で西ノ京から遷座。

北野天満宮

国宝本殿を左後ろから見る。

北野天満宮

本殿後ろに車払所があり、

北野天満宮

その後ろに摂社地主神社。御祭神は天神地祇、相殿に敦実親王、斎世親王、源英明朝臣を祀る。

北野天満宮

その左に末社老松社。御祭神は島田忠臣翁。そのまま反時計回りに本殿裏をまわる。

北野天満宮

本殿裏に祀られるのは御后三柱で、天穂日命、菅原清公卿、菅原是善卿。

北野天満宮

本殿真裏に祀られる摂末社群は、寛筭社、大門社、橘逸勢社、藤大夫社、文大夫社、淳仁天皇社、太宰小貳社、老松社、白大夫社、櫻葉社、吉備大臣社、崇道天皇社と連なる。

北野天満宮

本殿右後ろの牛舎、絵馬掛所の後ろに、福部社、高千穂社、安麻神社、御霊社、早鳥社、今雄社、貴布禰社、荒神社の摂末社群。

北野天満宮

井戸を挟んで、本殿右横に夷社、松童社、八幡社、若松社。

北野天満宮

左に少し下がって、那伊鎌社、一挙社、周枳社、宰相殿社、和泉殿社、三位殿社、大判事社が連なる。

北野天満宮

西廻廊横に文子社

北野天満宮

神明社と祀られ、西廻廊から本殿前に入る。

北野天満宮

さすがに学問の神。修学旅行生でいっぱいであったが、混ざって参拝する。

北野天満宮

授与所の裏にでると、境内に北野名物長五郎餅の店舗がある。

北野天満宮

その前に末社竈社。御祭神は庭津彦神、庭津姫神、火産霊神を祀る。

北野天満宮

東門を出入りして授与所に戻る。

北野天満宮

東廻廊部分が授与所になっている。

北野天満宮

授与所の一番右が御朱印所となっており、4種類の御朱印と刀剣特別朱印があった。

北野天満宮

楼門に掲げられた額に書かれた「文道太祖風月本主」の御朱印。書き置きのみ

北野天満宮

自国の歴史と文化に誇りを持ち、他国の文化も受け入れる寛容さを説いた精神「和魂漢才」の御朱印。書き置きのみ。

北野天満宮

道真公の清らかで誠実な人柄を信仰する「至誠」の神の御朱印。書き置きのみ。

北野天満宮

本殿の前には右に松、左に梅が植えられている。

北野天満宮

本殿前の東西廻廊の中央に三光門が建つ。

北野天満宮

前に日(太陽)の彫刻

北野天満宮

裏に月の彫刻があり、三光門の背後(北)に瞬く北極星を合わせて三光という。

北野天満宮

三光門の左前に庭園が広がり、水占いをする女性が多い。

北野天満宮

庭園の西側に紅梅殿

北野天満宮

趣ある囲いの中に連歌所の井戸がある。かつて境内に連歌会所があり、室町から江戸にかけて盛んに連歌会が開かれていたという。

北野天満宮

紅梅殿の南に末社群。
末社一夜松神社(一夜千松の霊)、豊國神社(豊臣秀吉公)、野見宿禰神社(野見宿禰命)の合祀殿。

北野天満宮

末社一之保神社(菅原大神)、奇御魂神社(道真公の奇御魂)の合祀殿。

北野天満宮

末社稲荷神社

北野天満宮

末社猿田彦社

北野天満宮

絵馬殿には多くの扁額が掲げられている。

北野天満宮

絵馬殿の西に末社宗像社

北野天満宮

大杉社は二又の境内随一の御神木だったという。

北野天満宮

絵馬殿から三光門に続く参道沿いの摂社に参る。

北野天満宮

参道左に摂社福部社。御祭神は十川能福。道真公に仕えた舎人だったという。

北野天満宮

摂社老松社。御祭神は島田忠臣翁。境内には三社あった。

北野天満宮

参道右に摂社火之御子社。御祭神は火雷神。

北野天満宮

摂社白太夫社。御祭神は渡会春彦翁。道真公の守り役だったという。

北野天満宮

御朱印にもなっている扁額の掛かる楼門

北野天満宮

楼門に至る参道左に末社伴氏社。御祭神は道真公の母君。

北野天満宮

三の鳥居

北野天満宮

二の鳥居

北野天満宮

一の鳥居の近くに影向松があり

北野天満宮

やっと一の鳥居に辿り着いた。境内に摂末社が多い神社であった。

北野天満宮
京都府京都市上京区馬喰町

京都洛北 平野神社

平野神社

京都市北区に鎮座する平野神社。御祭神は今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣大神。
延喜式葛野郡平野祭神四座に比定される名神大社で、二十二社の五番に列せられた。初め平城京の宮中に祀られたのを、平安京遷都に伴い当地に遷座されたという。

平野神社

境内西を西大路通に接する。

平野神社

西鳥居の横に「官幣大社 平野神社」の社号標

平野神社

南に回ると南門が建つ。もとは東大鳥居の位置に建っていたもので、御所の旧門を下賜された。

平野神社

西鳥居、南門の中は桜が植えられている。当宮は桜の名所でもあるようだ。

平野神社

表参道の東大鳥居、こちらにも「官幣大社 平野神社」の社号標が建つ。鳥居の扁額は「平野皇大神」と書かれている。

平野神社

東神門。左に廻廊が延びる。神門の左前に魁桜という早咲きの桜があり、京の花見を告げる桜だという。

平野神社

御神木のクスノキ。

平野神社

拝殿の先の玉垣の中に本殿が鎮まる。

平野神社

拝殿には三十六歌仙の額がかかる。海北友雪の画らしい。

平野神社

玉垣に囲まれた本殿。

平野神社

「平野造」または「比翼春日造り」と呼ばれる二殿をつないで一体としたもので、北から御祭神四座の今木皇大神より順に祀られている。南に摂社縣神社が鎮座するというが見えない。

平野神社

拝殿の右、北側に末社春日社、住吉社、蛭子社、鈿女社。

平野神社

その隣に末社八幡社が鎮まる。

平野神社

神門の右にある社務所で御朱印をいただく。

平野神社

参道北の池の奥に出世導引稲荷社と猿田彦社の2社が祀られている。

平野神社

池といっても水は張られていなかった。
桜の時期に再拝してみたい神社だった。

平野神社
京都府京都市北区平野宮本町1

山城洛北 敷地神社(わら天神宮)

わら天神宮

京都市北区に鎮座するわら天神宮。正式名を敷地神社というが、社号標などもわら天神宮で通している。
御祭神は木花開耶姫命。社名は稲藁で編んだ籠に神饌を入れて神様に捧げていたわらを、安産を願う妊婦が持ち帰るようになったので、後に安産のお守りとして妊婦に授与するようになった風習から定着したという。

もとは山背国葛野郡衣笠村に降臨した北山の神で、天長8年(831)に当地に氷室を設けるのに夫役として移住した加賀国の人々が、加賀国菅生石部神の分霊を勧請し、その母神木花開耶姫命を北山の神の西隣に祀ったといい、応永4年(1397)室町三代将軍足利義満により現在地へ遷座されたという。

わら天神宮

裏参道から入ったのだがわかりにくいので表参道から紹介する。
一の鳥居の扁額には「わら天神宮」と書かれている。

わら天神宮

参道を行くと、「天神宮」の扁額がかかる二の鳥居。

わら天神宮

参道の右に社務所

わら天神宮

社務所前から広くなり、横に3社が並ぶ。

わら天神宮

左手に舞殿(外拝殿か?)

わら天神宮

左の社殿が本社わら天神宮。

わら天神宮

拝殿左に末社綾杉明神が祀られている。樹齢千数百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀り、拾遺和歌集にも詠まれるほど著名であったが、明治29年の暴風で折れてしまったという。

わら天神宮

本社の本殿は御垣に囲まれている。

わら天神宮

本殿の左に末社大山祇神社。木花開耶姫命の父神を祀る。

わら天神宮

中央の社殿が六勝神社。御祭神は伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の六柱神を祀り、六所神社、六請明神社と呼ばれた。もとは平野神社の地主の邸内社であったのか、明治に入り当宮に遷座される際に、「必勝」の意味を込めて六勝神社と改称したという。

わら天神宮

六勝神社の本殿

わら天神宮

六勝神社の御朱印も社務所でいただける。

わら天神宮

右に建つのは末社八幡神社。明治40年に大北山原谷から遷座されたとホームページにあるのが、現地の由緒板には衣笠氷室町から遷座されたとあり、いずれが真実か。

わら天神宮

八幡神社裏に延びる裏参道

敷地神社(わら天神宮)
京都府京都市北区衣笠天神森町10

山城洛北 建勲神社

建勲神社

京都市北区に鎮座する建勲神社。御祭神は織田信長公を主祭神とし、嫡子信忠公を配祀する。
正式名は「たけいさおじんじゃ」だが、親しみを込めて「けんくんさん」と呼ばれる。
船岡山は平安京正中の真北に位置し、玄武として京城鎮護の地とされた。後年、豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、主君信長公を祀る廟所を定めた。

建勲神社

当宮には御朱印が2種類ある。通常のものと、天下布武龍章の押された見開きのものです。
他に期間限定で京都刀剣の御朱印があった。

建勲神社

船岡山の東麓に一の鳥居が建つ。

建勲神社

狛犬の鎮まる階段を上ると、

建勲神社

「太平和敬神」碑が建つ。山上に遷座される前の本殿がここに建っていたという。

建勲神社

さらに階段を上る。

建勲神社

「別格官幣 建勲神社」社号標が建つ階段の先は広い削平地となっている。山上の社殿も東麓の本殿と同じく東を向いている。

建勲神社

右手に貴賓館

建勲神社

その隣に社務所が建つ。

建勲神社

正面に手水舎、一段高くなって拝殿が建つ。

建勲神社

手水舎の下方に船岡妙見社が建つ。玄武大神を祀る社だが、社殿周囲の一部は社叢扱いになっているのか禁足地になっていて近づけない。

建勲神社

拝殿に参る。

建勲神社

拝殿の後ろの神門には近づけない。本殿を囲む御垣の一部を構成する門は中門と呼ぶ場合が多いのが、当宮では神門と呼ぶ。

建勲神社

本殿は御垣の中に建つ。

建勲神社

あらためて拝殿を見ると、扁額がたくさん掛かっている。三十六歌仙という神社が多いが、当宮では信長公功臣肖像画であり、秀吉や柴田勝家、森蘭丸などが描かれている。

建勲神社

本殿跡の右方に末社義照稲荷社が鎮座する。

建勲神社

御祭神は宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神。秦氏の守護神として西陣織の祖神と崇敬されている。

建勲神社

その隣に稲荷命婦元宮。伏見稲荷大社命婦社の祖神である船岡山の霊狐が祀られているという。

建勲神社

南参道口には「史跡 船岡山」碑が建つ。船岡山は標高45m。応仁の乱で西軍の大将山名宗全が砦を築き陣を敷いた地と山頂周辺に砦跡が残るというが、今日は時間の都合で行かなかった。

南参道の入口に標石があるというが見つけられなかった。

建勲神社
京都府京都市北区紫野北舟岡町49

山城洛中 岩上神社

岩上神社

京都市上京区に鎮座する岩上神社。御祭神は岩神。延喜式愛宕郡大柴神社の論社。

岩上神社

住宅地の中に小さな公園のように鎮座する。

岩上神社

祠の背後に大きな木があり、社叢のようになっている。

岩上神社

手水舎には「岩神」の扁額がかかる。

岩上神社

二条堀川付近にあった霊石が六角通に遷され、さらに中和門院の屋敷の池のほとりに遷されると怪異な現象が起きたという。子供に化けたという伝説に因んで「禿童石(かむろいし)」と呼ばれたという。持て余した女官が蓮乗院の僧に相談し当地に遷され、「有乳山 岩上寺」と称し授乳、子育ての信仰を集めたという。幾度かの大火を経て明治維新には廃寺となり、大正年間に織物業の千切屋が敷地内に祠を構え現在に至っている。

周辺は西陣と呼ばれる応仁の乱で西軍が陣を張った地で、西陣織産地である。

岩上神社

岩神さまに参る。

岩上神社

後ろに幅のある大きな岩だ。

岩上神社
京都府京都市上京区上立売浄福寺東入る大黒町

山城洛中 首途八幡宮

首途八幡宮

京都市上京区に鎮座する首途八幡宮。御祭神は誉田別尊、比賣大神、息長帯姫命。
もとは「内野八幡宮」といい、平安京の大内裏の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。

首途八幡宮

かつて当地には奥州で産出された金を京で商う金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経が奥州平泉に旅立つ際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれ、「首途八幡宮」と呼ばれるようになった

首途八幡宮

社号標にも「かどで」のフリガナが振られていて、「出発」を意味する。

首途八幡宮

最近は義経ゆかりの地として観光に力を入れている。

首途八幡宮

参道を行くと、二の鳥居の右前に社務所

首途八幡宮

手水舎の手水には八幡宮の神使の鳩が彫刻されている。

首途八幡宮

社殿は少し高まった丘の上にある。左の三の鳥居を上がって、右の階段から下りてくるようになっているようだ。

首途八幡宮

階段を上がると社殿が見えてくる。拝殿と本殿一体の社殿のようだ。本殿に参る。

首途八幡宮

本殿右の授与所も無人であったが、由緒書きと書き置きの御朱印が置かれていた。

首途八幡宮

階段を下りる途中に仏像があり、地蔵かと思っていたのだが大日如来のようだ。

首途八幡宮

社務所の左奥に弁財天が祀られている。

首途八幡宮

弁財天社

首途八幡宮

境内に石が奉納されているのだが、達筆すぎて読めないので詳細はわからない。

首途八幡宮
京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1

山城洛中 白峯神宮

白峯神宮

京都市上京区に鎮座する白峯神宮。御祭神は第75代崇徳天皇、第47代淳仁天皇。
明治元年に創建された新しい神社。近代社格では官幣大社という高位に列せられた。

白峯神宮

車道は車通りが多く、正面から撮影できないため、やむやく歩道から斜めに鳥居と社号標を撮影する。

白峯神宮

鳥居をくぐると神門。一般駐車場は境内裏にあるようだが、許可車はここを通過して中に入る。

白峯神宮

境内に入ると正面に拝殿が建ち、右近の橘、左近の桜が定型通り植えられている。

白峯神宮

当宮は和歌・蹴鞠の公卿宗家飛鳥井家の邸跡に建てられており、一角に樹齢八百年の小賀玉の大樹がある。

白峯神宮

拝殿の後ろに御垣に囲まれた本殿が建ち、拝所が設けられている。

白峯神宮

拝殿の右に地主社。飛鳥井家の邸内社で「まり」の神である精大明神のほか、柊大明神、糸元大明神、白峯天神、今宮大神を祀る。
そのため、球技スポーツの精進を願い、サッカー日本代表が祈願に訪れ、中高生が部活動のために修学旅行の人気コースとなっているようだ。

白峯神宮

その左には蹴鞠保存会100周年記念に建立された「蹴鞠碑」

白峯神宮

その左には伴緒社。保元の乱に崇徳天皇方についた源氏の棟梁源為義公と、その子で弓の名人源為朝公を祀り、武道の神として、やはり中高生の部活動で参ることが多い。

白峯神宮

一番奥にあるのは潜龍社。悪縁を水に流して良縁に替えるという潜龍大神を祀る。

白峯神宮

拝所は修学旅行生で一杯だったが順番待ちしてお参りする。御垣の中の本殿

白峯神宮

拝殿の左には、4月14日の淳仁天皇祭で蹴鞠が奉納される場所。

白峯神宮

最後に授与所で御朱印をいただく。修学旅行生が列をなしてお守りを買い求めるためか、御朱印は書き置きのみで見開きの大きさ。
若者たちの元気さに圧倒されながら当宮を後にする。

白峯神宮
京都府京都市上京区飛鳥井町261番地

山城洛中 福長神社

福長神社

京都市上京区に鎮座する福長神社。御祭神は福井神、綱長井神、稲荷神。
社名は福井神と綱長井神を合祀することによるが、稲荷神と合わせ福長稲荷とも呼ばれた。

福長神社

社前に旗が建っていないと社があることもわかりにくいほど。

福長神社

家々に挟まれて境内がある。

福長神社

入ると手水舎の中に井戸がある。
福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院に祀られていた宮中神の坐摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)のうちの二座であり、ともに井戸の神で、宮中の井戸の守護神とされていた。

福長神社

当地に遷座したのは天正年間とされ、天明の大火(1788)で消失した後に小祠となったという。

福長神社

拝所の奥に本殿が覆屋の中に鎮まる。

福長神社
京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538

山城洛南 真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)

真幡寸神社旧地

現在城南宮に摂社として鎮座する真幡寸神社の旧鎮座地は、竹田真幡木町にある若宮八幡宮だと言われる。
当地は平安京遷都以前から秦氏の勢力圏で、秦氏の氏神と考えられている。

真幡寸神社旧地

住宅街に鎮座し、扁額には「若宮宮」、社号標には「若宮社」と書かれている。

真幡寸神社旧地

境内隅に「史蹟 式内真幡寸神社の跡」と書かれた石碑が建つ。竹田史蹟保存会により昭和49年に建てられた。

真幡寸神社旧地

若宮宮だと御祭神はわからないが、正式名は若宮八幡宮だというので御祭神は応神天皇か。

真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)
京都府伏見区竹田真幡木町

山城洛南 城南宮

城南宮

京都市伏見区に鎮座する城南宮。御祭神は城南大神(国常立尊、八千矛神、息長帯日売尊)。方除の神として平安京の南に鎮座された。

城南宮

正月・5月・9月は特別朱印がある。銀色のインクで押されるので画像修正がうまくいかなかったが、雰囲気は分かるだろうか。詳細は後ほど

城南宮

駐車場の関係で東鳥居より入る。鳥居には「城南離宮」と書かれている。
白河上皇や鳥羽上皇が城南宮を取り囲むように鳥羽離宮(城南離宮)が造営され院政の拠点となった。

城南宮

しばらく参道を行くと社務所と貴賓館が左手にある。

城南宮

さらに進むと右手に摂社真幡寸神社。御祭神は真幡寸大神、応神天皇。延喜式紀伊郡眞幡寸神社の論社。

城南宮

竹田地区に氏子を持ち、神紋は「三葉葵」

城南宮

真幡寸神社の御朱印は昨年、官社列格1200年を記念して覆刻された。書き置きのみ。

城南宮

左手には神苑(城南離宮の庭)への入口があり、中のギャラリーでは鳥羽伏見の戦い展が開催されているようだったが、時間も限られているので今回は入らなかった。
来年は鳥羽伏見の戦い150年の節目で、城南宮は薩摩軍による開戦地として有名。

城南宮

さらに右手に芹川神社。中には「唐渡天満宮」の社号碑が建っているが同じ社を指している。御祭神は菅原道真公。左に小祠があるが御祭神は不明。

城南宮

その隣に絵馬舎

城南宮

本社前の鳥居までやってきた。「城南宮」の社号標が建つ。入る前に周囲を回ることにする。

城南宮

その鳥居と正対して三照宮社。御祭神は天照大御神。

城南宮

本社と同じ三光紋が付いている。

城南宮

入った東鳥居とは反対側に建つ西鳥居。扁額にはやはり「城南離宮」と書かれている。
国道1号線に面し、大型駐車場や車修祓所がある。

城南宮

修祓所に隣接して斎館が建つ。

城南宮

本社に向かうことにする。鳥居、拝殿、本殿と一直線に並んでいる。

城南宮

開放的な拝殿

城南宮

右には神輿舎。五色の布が風に揺られて風情が漂う。

城南宮

本殿は残念ながら改修工事中で見えなかった。

城南宮

周囲の境内社にはお参りできたが、撮影禁止だったので写真はない。
本殿の左に、稲荷社、厳島社・住吉社・兵主社の三社合祀社、粟島社の三社、右に春日社、大国主社、庚申社、天満宮社・妙見社・金刀比羅社の三社合祀社の四社が本殿に向かって鎮座する。

城南宮

拝殿左の授与所で御朱印をいただく。

城南宮

城南宮では正月、5月、9月は神様と特にご縁が深い月とされ、重ねてお参りする「正五九参り」の信仰がある。
今年からその期間は特別御朱印のみ朱印帳にいただけ、通常の御朱印は書き置きとなる。

城南宮

参道を戻る途中、宿り木の案内板を見つけた。行きは気づかなかったが天気も良くよく見えた。

城南宮
京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地