京都市北区に鎮座する建勲神社。御祭神は織田信長公を主祭神とし、嫡子信忠公を配祀する。
正式名は「たけいさおじんじゃ」だが、親しみを込めて「けんくんさん」と呼ばれる。
船岡山は平安京正中の真北に位置し、玄武として京城鎮護の地とされた。後年、豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、主君信長公を祀る廟所を定めた。
当宮には御朱印が2種類ある。通常のものと、天下布武龍章の押された見開きのものです。
他に期間限定で京都刀剣の御朱印があった。
船岡山の東麓に一の鳥居が建つ。
狛犬の鎮まる階段を上ると、
「太平和敬神」碑が建つ。山上に遷座される前の本殿がここに建っていたという。
さらに階段を上る。
「別格官幣 建勲神社」社号標が建つ階段の先は広い削平地となっている。山上の社殿も東麓の本殿と同じく東を向いている。
右手に貴賓館
その隣に社務所が建つ。
正面に手水舎、一段高くなって拝殿が建つ。
手水舎の下方に船岡妙見社が建つ。玄武大神を祀る社だが、社殿周囲の一部は社叢扱いになっているのか禁足地になっていて近づけない。
拝殿に参る。
拝殿の後ろの神門には近づけない。本殿を囲む御垣の一部を構成する門は中門と呼ぶ場合が多いのが、当宮では神門と呼ぶ。
本殿は御垣の中に建つ。
あらためて拝殿を見ると、扁額がたくさん掛かっている。三十六歌仙という神社が多いが、当宮では信長公功臣肖像画であり、秀吉や柴田勝家、森蘭丸などが描かれている。
本殿跡の右方に末社義照稲荷社が鎮座する。
御祭神は宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神。秦氏の守護神として西陣織の祖神と崇敬されている。
その隣に稲荷命婦元宮。伏見稲荷大社命婦社の祖神である船岡山の霊狐が祀られているという。
南参道口には「史跡 船岡山」碑が建つ。船岡山は標高45m。応仁の乱で西軍の大将山名宗全が砦を築き陣を敷いた地と山頂周辺に砦跡が残るというが、今日は時間の都合で行かなかった。
南参道の入口に標石があるというが見つけられなかった。
建勲神社
京都府京都市北区紫野北舟岡町49