白山市に鎮座する白山比咩神社。
北口の鳥居は現在修理中
拝殿に参る。
この夏の白山登拝の安全を奥宮遙拝所に祈願する。
開山1300年の看板が付き、少し記念年らしくなった授与所。昨今の刀女子ブームの波に乗ってか、名刀吉光のキーホルダーお守りが登場していました。
白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1
白山市に鎮座する白山比咩神社。
北口の鳥居は現在修理中
拝殿に参る。
この夏の白山登拝の安全を奥宮遙拝所に祈願する。
開山1300年の看板が付き、少し記念年らしくなった授与所。昨今の刀女子ブームの波に乗ってか、名刀吉光のキーホルダーお守りが登場していました。
白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1
永平寺町に鎮座する明神社。御祭神は天照皇大神。延喜式坂井郡意加美神社の論社と言われる。
丘陵の中腹に鎮座する。入口右手に宮司宅が建つ。今日は留守だったので御朱印は確認していない。
明治後年までは麓のえちぜん鉄道の松岡駅あたりに鎮座していたという。
階段を上がると広い境内。替地で遷座した場所ゆえに広々としているのかもしれない。
藩政期には毘沙門堂、明治期は神明社と呼ばれ、遷座の折、元々当地に祀られていた七面山明神堂から明神社と改称した。
本殿に秋葉社、菅原社、庚申社、白山社を合祀する。
鳥居をくぐり左手に境内社が二社。右が河濯神社(瀬織津比売神)、左が稲荷神社(豊受神)。
拝殿前には御神木のツガ
拝殿に参る。
幣殿と本殿はトタンの覆屋の中に収められている。
明神社
福井県吉田郡永平寺町松岡椚57-12
坂井市に鎮座する神明神社。御祭神は天照大御神。延喜式坂井郡家津神社の論社。
社前の道路は玉垣に沿っているので、開発で参道がなくなったのか?
玉垣に沿って旗立と社号標が建つ。鳥居の先に社殿が建つ。
拝殿の前に大きな木はクスノキか
拝殿に参る。
境内の左方隅に境内社が一社。越前ではよく見る石祠
境内にはユリが植えられた花壇がある。
神明神社
福井県坂井市春江町布施田新2-31
福井市に鎮座する春日神社。御祭神は天津兒屋根命、比賣神、武甕槌命、經津主命。延喜式坂井郡石田神社の論社。
集落の中に旗立が建つ。新しいと思ったが、横の奉納碑にのぼりポール、手水鉢、鳥居3点を平成十四年に新調したとある。
しかしポールの先をまっすぐに行っても行き止まり。途中左に曲がって民家の隙間を山へと進む。
階段の先に社殿が見える。
新調された鳥居と手水鉢
拝殿に参る。
拝殿は後方に少し飛び出して本殿が収められているようだ。社殿の裏は塗り壁になっている。
春日神社
福井県福井市石畠町3-7
福井市に鎮座する熊野神社。御祭神は神武天皇、神仏分離以前は熊野大権現を祀っていた。
海岸沿いの道路から社叢が見えたので、あぜ道を行ったが行き止まりだった。
海岸沿いの集落へ下りる道の途中から社叢を一望できる。
真宗大谷派勝明寺の境内を通り、神社へ向かう。
階段を上る。
角に社号標が建つ。
鳥居の先に社殿が見える。
拝殿に参る。
拝殿右に境内社が一社。石祠の中に鏡と木製のお堂のようなものが見える。
さらに右に鳥居と狛犬一対、拝所がある。
そこから見えるのは沖に浮かぶ亀島。
島には鳥居が建てられ、おそらくこれが亀島神社だろう。延喜式坂井郡絲前神社の論社。
熊野神社
福井県福井市松蔭町2-1
あわら市に鎮座する春日神社。御祭神は天児屋根尊、家津大神。延喜式坂井郡家津神社の論社。
神社は中腹に鎮座し、山麓の入口斜面に社号標が建つ。
少し上ると旗立と階段
階段を上ると鳥居と社号標
振り返ると、麓に広がるあわら温泉街が見える。
拝殿に参る。
紅葉に猪鹿というお洒落な彫刻のある拝殿扁額。内閣総理大臣岡田啓介氏の揮毫による。
神社の後方と左方には無数の太陽パネルが並んでいる。時代の流れとは言え、社叢に隣接したこの光景に問題はないのか。
本殿左に薬師神社、御祭神は少彦名那命。玉垣にも書かれているが、かつては薬師如来を祀っていた。
社殿には彫刻が施されている。傘を逆さに波に乗る仙人だろうか。
本殿右に白山神社、御祭神は伊弉册尊。かつては十一面観世音を祀っていた社で、西垣内より遷座した。
白山神社の右手に神輿堂
舟津春日神社
福井県あわら市舟津13-2
近江八幡市に鎮座する大嶋奥津嶋神社。御祭神は大國主命、奧津嶋比賣命。延喜式蒲生郡の大嶋神社、明神大社奥津嶋神社の2社の論社。
集落への道路の南口に社号標が建つ。神社は南北に延びる道路を北に、途中西に曲がる。北の琵琶湖に沖島、西に西国三十三観音霊場の長命寺がある。
神社の東鳥居、社号標「式内 大嶋神社 奥津嶋神社」が建つ。
神社には西鳥居もあり、同じく社号標が建つ。こちらの社号標には式内の文字はない。
西鳥居を出たところに宮司宅があり、前に参拝者用駐車場が数台分ある。今日はお留守で御朱印はいただけなかった。
拝所に参る。玉垣の中に拝殿と2棟の本殿が建つ。左の大きい本殿が大嶋神社、右の小さい本殿が奥津嶋神社という。
玉垣前の左方に祓戸大神を祀る。
玉垣左に社務所
本殿左に2社、
本殿右に3社と宝物庫が建つ。日觸神社(應神天皇)、日吉神社(大山咋命)、四宮神社(彦火々出見命)、喜佐伊神社(須佐之男命)、行司神社(高皇産霊命)の5社であるが、左が上座のようなので、左から順番だろうか?
西鳥居への境内の途中に白山神社が鎮座する。
境内の社殿前に神池かと思うが、案内板にはため池とあり、境外なのだろうか
西鳥居の前に境内社(境外社?)
西鳥居の道路向かいには愛宕大神
西鳥居に向かう道路の途中にも社がある。
詳細は不明だが、関係するものだろうか。
大嶋奥津嶋神社
滋賀県近江八幡市北津田町529
野洲市に鎮座する兵主大社。御祭神は八千矛神。延喜式野洲郡の比定社で明神大社。
一の鳥居と社号標が建つ境内の入口は南向き。
鳥居をくぐると長く続く参道の両脇に神輿や太鼓という石柱が並ぶ。兵主十八郷と呼ばれる末社十八社から三十数基が集まるという5月5日の春季例大祭の渡御場所という。
参道の突き当たり付近が駐車場になっていて、太鼓橋を渡って社殿へ向かう。太鼓橋からは東向きに変わる。
太鼓橋を渡ると右に手洗御前社。
その後ろに忠魂碑が建つ。
朱色の鮮やかな楼門
「正一位勲八等兵主大神宮」の扁額がかかる。
楼門右翼三間のそれぞれに矢放神社、狩上神社、戸津神社の扁額がかかる。
楼門左翼にも矢取神社、浅殿神社、二ノ宮神社の扁額がかかる。春季例大祭で本社を含む上七社の神輿が鎮座するということらしい。
参道の途中、右に末社乙殿神社、御祭神は稲背入彦神。中七社の筆頭社のようだ。
本殿の隣に天満宮が祀られている。
さらに進むと右に神鶏舎。中に居るのは烏骨鶏か?
手水舎には亀
拝殿に参る。
拝殿前の狛犬には何故か白布が巻かれている。
拝殿右手に神饌所
その左隣に神武天皇遙拝所。前の大きな根元はかつての御神木だろうか?それにしてもこの方角は北向きで橿原神宮とは真逆の方角なのだが・・・
その左隣に旧護摩堂。神仏習合時は兵主大明神の本地仏である不動明王を祀っていたという。
現在内部には氏子崇敬者三十六社の神々を祀る社がずらりと並ぶ。
檜皮葺きの本殿。玉垣の中には本殿の左右に向かい合わせに境内社が建つ。手名椎神、足名椎神を祀る社か?
本殿玉垣外の右に両大神宮
本殿背後から参道の左に名勝指定された庭園が広がる。今回中には入っていないが、池に浮かぶ島に祠が見える。
社務所で御朱印をいただく。
社務所の横に参集殿。
社務所の後ろには収蔵庫が建つ。
兵主大社
滋賀県野洲市五条566
守山市に鎮座する小津神社。御祭神は大宮に宇迦之御魂神、地主宮に小津君、二宮に素盞嗚命、三宮に大市姫命を祀る。延喜式野洲郡の比定社。
日本武尊の御孫の小津君を開拓の祖神として祀ったのが創祀であり、允恭天皇の御代に大宮に宇迦之御魂神を祀ったという。
神社の社叢を見つけ、中に入る。狛犬の先、参道の突き当たりに手水舎。
180度回転して広い境内の先に社殿が建っている。道路からまっすぐ入る裏参道もあるが、車は入れない。
参道寄りの右に神輿庫。
中に大宮、二宮、三宮それぞれに3つの神輿が収められている。
神輿庫の左に境内社の跡が残っている。
拝殿に参る。
拝殿の後ろ、玉垣に囲まれた神域に大宮の本殿が鎮座する。室町時代の築造といい、檜皮葺の雰囲気ある社殿。
拝殿右に境内社が並ぶ。参集殿の前に市杵島姫神社
その左に天満宮
その左は扁額がないが、神紋から金刀比羅社
その左は稲荷社
本殿の玉垣の右に並ぶのは地主宮だろうか?社殿に三つ巴紋が付いている。
境内左方に社務所があり、そこで御朱印をいただく。いただいた後、鳥居を見かけなかったので在処を尋ねると、参道の先車道を進むと建っていると教えてもらう。
一の鳥居と社号標、由緒書が建つ。参道は途中右に折れる。前の道路を通過したが、運転していて全く気が付かなかった。
ちょうど角の場所の左方に狛犬が見えた。
行ってみると小津神社の三宮であった。こちらも古い社殿で桃山時代の築造という。
神社へと続く参道
三宮の説明板に二宮は境内社というので再度探してみる。本殿の横に木に隠れるようにもう一社あった。これが二宮か。もしかしたら、右横の社殿と二宮、地主宮は逆かもしれない。御朱印いただくときに気が付いていたら確認できたけどな。
小津神社
滋賀県守山市杉江町495
草津市に鎮座する印岐志呂神社。御祭神は大己貴命。延喜式栗太郡の比定社で、天智天皇の勅願により大和国大神神社から分霊されたと伝える。
神社から東へ延びる道路の先に一の鳥居と社号標が建つ。神社前に志那街道の案内板がある。志那街道は琵琶湖の志那港を起点として守山市今宿に至る街道で沿道に神社があったというが、この道だろうか。
ややカーブした道に垂直に参道が延びる。参道や社殿は南向き。入口に鳥居はなく、石橋が架かるのみ。
今年は御鎮座千三百五十年を迎え、11月4日、5日に大祭が行われる。
参道途中に「式内 印岐志呂神社」の社号標
さらに進むと、境内を流れる川にかかる石橋を渡る。
神門
神門をくぐると左手に蔵
正面に大きな拝殿がある。
拝殿を通り、本殿を取り囲む玉垣の拝所で参る。
本殿は日吉大社の摂社樹下神社、摂社白山姫神社の本殿と同形式という。
本殿右に二の宮、御祭神は国常立尊、伊邪那岐大神、伊邪那美大神。
本殿左に三の宮、御祭神は惶根尊。
三の宮の左に若宮、御祭神は伊邪那岐命。
若宮の手前、一社のみ右向きの社殿は十禅師社、御祭神は天邇邇芸尊。
玉垣の角、玉串にも使われるという御神木オガタマノキ。
左手の森の中を進むと、奥御前社が建つ。御祭神は別雷尊。まわりの木の上でサギが巣を作っており、道や社殿も真っ白、上空に注意しながら参拝する。境内には古墳時代後期の古墳が複数あるといい、社殿の建つ場所も少し高い場所になっている。もしかしたら古墳なのか?
社務所横の大祭案内。氏子地域の神社は飛地境内地になっていて、水系ごとに宮座(グループ)を組み、それぞれの宮を世話するとともに、産土神も祀られているらしい。
拝殿右手には境内社が二社。稲荷社、御祭神は帯刀稲荷大神と多賀大神。
もう一社は大国主大神と事代主大神を祀る恵比須社。昭和31年に大阪今戎神社から分霊されたという。
今日は宮司が留守だったので再訪したい。
印岐志呂神社
滋賀県草津市片岡町245
京都市に鎮座する岩屋神社。御祭神は天忍穂耳命、栲幡千々姫命の夫婦二柱と、その皇子饒速日命の親子三柱を祀る。
大宅奥山の麓に西向きに鎮座。中腹には創祀となる奥之院と呼ばれる場所がある。中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社、西が山科神社、上が不明という。
両側に塀をもつ参道入口に社号標と鳥居がある。階段を上って境内に入る。
神門をくぐると中央にあるのは外拝殿か。左に社務所、後ろに拝殿が建つ。
拝殿に参る。平成25年に創祀1120年の式年大祭が行われたようだ。
拝殿右に宝物殿か神輿倉のような建物
玉垣と木々に囲まれた本殿
本殿の周りに境内社が建つ。本殿右裏に蛭子宮、御祭神は蛭子大神。
本殿左裏に両宮大神宮、御祭神は天照皇大御神、豊受大御神。
両宮大神宮の左前に稲荷宮、御祭神は宇迦之御魂神。
拝殿左から裏手に奥之院への参道が延びる。
その参道の右手に八幡宮、御祭神は応神天皇、神功皇后。
左手には住吉宮(住吉三神)、山王宮(大山咋神)、天満宮(菅原道真公)の三社殿。
裏鳥居を出ると、正面に石碑が立っている。「陰陽石 岩屋奥之院 右へ」
笠原寺の左を通る道、石像がずらりと並ぶ場所もあるが、最後の橋が通行止めで、つまり行き止まり。
昔は奥之院の参道として機能していたのかもしれないが、今は車道を通って笠原寺の右を行くのが無難だろう。
奥之院参道の入口に到着。ここからは山道になる。
ジグザグの参道に朱色の鳥居が建つ。神へ続く道としてとても雰囲気がある。
「岩屋大明神」の扁額がかかる石鳥居まで上ってくると、背後に陰岩と呼ばれる磐座。
前に遙拝のための社殿が建ち、栲幡千々姫命を祀る。
さらに少し上ると陽岩と呼ばれる磐座。前に遙拝のための社殿が建ち、天忍穂耳命を祀る。ともに大きな磐座で神宿るパワーを感じられる。
戻る途中、参道脇を流れる川の途中が滝になっていて注連縄がかかっているのに気づく。
笠原寺の左隣の住宅地は「岩屋殿」と呼ばれ、饒速日命を祀る小祠があった神域で左右を一辺とする三角形の場所。奥之院参道の入口は左の車道を行く。
社務所に戻り、御朱印をいただく。
次へ行く前に岩屋神社から真西へ移動し、奈良街道(府道35号線)と交差する場所に一の鳥居が建つ。ちょうどファミリーマートが角にある。駐車場からは奥之院のある大宅奥山が見える。
岩屋神社
京都府京都市山科区大宅中小路町67
京都市に鎮座する伏見稲荷大社。御祭神は宇迦之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神と摂社田中社の田中大神、摂社四大神の四大神の五柱。
前回参拝時は月曜日の早朝であったが、今日は日曜日の早朝。外国人も多く見かけられ、帰るときには修学旅行生が大挙して入ってきた。
拝殿に参る。
本殿から奥社に上る途中に建つ千本鳥居。外国人に人気の観光地に選ばれるだけあって、皆写真を撮るために順番待ちしている。自分は奥社に参って本殿へと戻る。
実は奥社の御朱印の手書きが欲しかったのだが、奥社は書き置きのみの授与だった。前回しっかりと確認していなかったが、今回は時間的に余裕があったので授与品も見てきた。
それらを組み合わせて自宅に稲荷神社を作ってみた。本殿授与所の鳥居絵馬、奥社授与所の幟2本セットと白狐石の御守札、授与所裏の土産店で狐のおみくじを買う。おみくじは前回右を、今回左を買ったが、並べてみると大きさが微妙に違い、前期のものがシャープだ。
今回は本殿御朱印のみいただき次に向かう。今回御朱印は三名書いていて、一番年配の神職に書いていただく。バランスが取れていて前回より好み。
伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68
京都市上京区に鎮座する北野天満宮。御祭神は菅原道真公。全国の北野神社の総本社で、二十二社の二十番社であった。
北門より境内に入る。
入ってすぐ左に文子天満宮。多治比文子が菅原道真公を最初にお祀りした社で西ノ京から遷座。
国宝本殿を左後ろから見る。
本殿後ろに車払所があり、
その後ろに摂社地主神社。御祭神は天神地祇、相殿に敦実親王、斎世親王、源英明朝臣を祀る。
その左に末社老松社。御祭神は島田忠臣翁。そのまま反時計回りに本殿裏をまわる。
本殿裏に祀られるのは御后三柱で、天穂日命、菅原清公卿、菅原是善卿。
本殿真裏に祀られる摂末社群は、寛筭社、大門社、橘逸勢社、藤大夫社、文大夫社、淳仁天皇社、太宰小貳社、老松社、白大夫社、櫻葉社、吉備大臣社、崇道天皇社と連なる。
本殿右後ろの牛舎、絵馬掛所の後ろに、福部社、高千穂社、安麻神社、御霊社、早鳥社、今雄社、貴布禰社、荒神社の摂末社群。
井戸を挟んで、本殿右横に夷社、松童社、八幡社、若松社。
左に少し下がって、那伊鎌社、一挙社、周枳社、宰相殿社、和泉殿社、三位殿社、大判事社が連なる。
西廻廊横に文子社
神明社と祀られ、西廻廊から本殿前に入る。
さすがに学問の神。修学旅行生でいっぱいであったが、混ざって参拝する。
授与所の裏にでると、境内に北野名物長五郎餅の店舗がある。
その前に末社竈社。御祭神は庭津彦神、庭津姫神、火産霊神を祀る。
東門を出入りして授与所に戻る。
東廻廊部分が授与所になっている。
授与所の一番右が御朱印所となっており、4種類の御朱印と刀剣特別朱印があった。
楼門に掲げられた額に書かれた「文道太祖風月本主」の御朱印。書き置きのみ
自国の歴史と文化に誇りを持ち、他国の文化も受け入れる寛容さを説いた精神「和魂漢才」の御朱印。書き置きのみ。
道真公の清らかで誠実な人柄を信仰する「至誠」の神の御朱印。書き置きのみ。
本殿の前には右に松、左に梅が植えられている。
本殿前の東西廻廊の中央に三光門が建つ。
前に日(太陽)の彫刻
裏に月の彫刻があり、三光門の背後(北)に瞬く北極星を合わせて三光という。
三光門の左前に庭園が広がり、水占いをする女性が多い。
庭園の西側に紅梅殿
趣ある囲いの中に連歌所の井戸がある。かつて境内に連歌会所があり、室町から江戸にかけて盛んに連歌会が開かれていたという。
紅梅殿の南に末社群。
末社一夜松神社(一夜千松の霊)、豊國神社(豊臣秀吉公)、野見宿禰神社(野見宿禰命)の合祀殿。
末社一之保神社(菅原大神)、奇御魂神社(道真公の奇御魂)の合祀殿。
末社稲荷神社
末社猿田彦社
絵馬殿には多くの扁額が掲げられている。
絵馬殿の西に末社宗像社
大杉社は二又の境内随一の御神木だったという。
絵馬殿から三光門に続く参道沿いの摂社に参る。
参道左に摂社福部社。御祭神は十川能福。道真公に仕えた舎人だったという。
摂社老松社。御祭神は島田忠臣翁。境内には三社あった。
参道右に摂社火之御子社。御祭神は火雷神。
摂社白太夫社。御祭神は渡会春彦翁。道真公の守り役だったという。
御朱印にもなっている扁額の掛かる楼門
楼門に至る参道左に末社伴氏社。御祭神は道真公の母君。
三の鳥居
二の鳥居
一の鳥居の近くに影向松があり
やっと一の鳥居に辿り着いた。境内に摂末社が多い神社であった。
北野天満宮
京都府京都市上京区馬喰町
京都市北区に鎮座する平野神社。御祭神は今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣大神。
延喜式葛野郡平野祭神四座に比定される名神大社で、二十二社の五番に列せられた。初め平城京の宮中に祀られたのを、平安京遷都に伴い当地に遷座されたという。
境内西を西大路通に接する。
西鳥居の横に「官幣大社 平野神社」の社号標
南に回ると南門が建つ。もとは東大鳥居の位置に建っていたもので、御所の旧門を下賜された。
西鳥居、南門の中は桜が植えられている。当宮は桜の名所でもあるようだ。
表参道の東大鳥居、こちらにも「官幣大社 平野神社」の社号標が建つ。鳥居の扁額は「平野皇大神」と書かれている。
東神門。左に廻廊が延びる。神門の左前に魁桜という早咲きの桜があり、京の花見を告げる桜だという。
御神木のクスノキ。
拝殿の先の玉垣の中に本殿が鎮まる。
拝殿には三十六歌仙の額がかかる。海北友雪の画らしい。
玉垣に囲まれた本殿。
「平野造」または「比翼春日造り」と呼ばれる二殿をつないで一体としたもので、北から御祭神四座の今木皇大神より順に祀られている。南に摂社縣神社が鎮座するというが見えない。
拝殿の右、北側に末社春日社、住吉社、蛭子社、鈿女社。
その隣に末社八幡社が鎮まる。
神門の右にある社務所で御朱印をいただく。
参道北の池の奥に出世導引稲荷社と猿田彦社の2社が祀られている。
池といっても水は張られていなかった。
桜の時期に再拝してみたい神社だった。
平野神社
京都府京都市北区平野宮本町1
京都市北区に鎮座するわら天神宮。正式名を敷地神社というが、社号標などもわら天神宮で通している。
御祭神は木花開耶姫命。社名は稲藁で編んだ籠に神饌を入れて神様に捧げていたわらを、安産を願う妊婦が持ち帰るようになったので、後に安産のお守りとして妊婦に授与するようになった風習から定着したという。
もとは山背国葛野郡衣笠村に降臨した北山の神で、天長8年(831)に当地に氷室を設けるのに夫役として移住した加賀国の人々が、加賀国菅生石部神の分霊を勧請し、その母神木花開耶姫命を北山の神の西隣に祀ったといい、応永4年(1397)室町三代将軍足利義満により現在地へ遷座されたという。
裏参道から入ったのだがわかりにくいので表参道から紹介する。
一の鳥居の扁額には「わら天神宮」と書かれている。
参道を行くと、「天神宮」の扁額がかかる二の鳥居。
参道の右に社務所
社務所前から広くなり、横に3社が並ぶ。
左手に舞殿(外拝殿か?)
左の社殿が本社わら天神宮。
拝殿左に末社綾杉明神が祀られている。樹齢千数百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀り、拾遺和歌集にも詠まれるほど著名であったが、明治29年の暴風で折れてしまったという。
本社の本殿は御垣に囲まれている。
本殿の左に末社大山祇神社。木花開耶姫命の父神を祀る。
中央の社殿が六勝神社。御祭神は伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の六柱神を祀り、六所神社、六請明神社と呼ばれた。もとは平野神社の地主の邸内社であったのか、明治に入り当宮に遷座される際に、「必勝」の意味を込めて六勝神社と改称したという。
六勝神社の本殿
六勝神社の御朱印も社務所でいただける。
右に建つのは末社八幡神社。明治40年に大北山原谷から遷座されたとホームページにあるのが、現地の由緒板には衣笠氷室町から遷座されたとあり、いずれが真実か。
八幡神社裏に延びる裏参道
敷地神社(わら天神宮)
京都府京都市北区衣笠天神森町10
京都市北区に鎮座する建勲神社。御祭神は織田信長公を主祭神とし、嫡子信忠公を配祀する。
正式名は「たけいさおじんじゃ」だが、親しみを込めて「けんくんさん」と呼ばれる。
船岡山は平安京正中の真北に位置し、玄武として京城鎮護の地とされた。後年、豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、主君信長公を祀る廟所を定めた。
当宮には御朱印が2種類ある。通常のものと、天下布武龍章の押された見開きのものです。
他に期間限定で京都刀剣の御朱印があった。
船岡山の東麓に一の鳥居が建つ。
狛犬の鎮まる階段を上ると、
「太平和敬神」碑が建つ。山上に遷座される前の本殿がここに建っていたという。
さらに階段を上る。
「別格官幣 建勲神社」社号標が建つ階段の先は広い削平地となっている。山上の社殿も東麓の本殿と同じく東を向いている。
右手に貴賓館
その隣に社務所が建つ。
正面に手水舎、一段高くなって拝殿が建つ。
手水舎の下方に船岡妙見社が建つ。玄武大神を祀る社だが、社殿周囲の一部は社叢扱いになっているのか禁足地になっていて近づけない。
拝殿に参る。
拝殿の後ろの神門には近づけない。本殿を囲む御垣の一部を構成する門は中門と呼ぶ場合が多いのが、当宮では神門と呼ぶ。
本殿は御垣の中に建つ。
あらためて拝殿を見ると、扁額がたくさん掛かっている。三十六歌仙という神社が多いが、当宮では信長公功臣肖像画であり、秀吉や柴田勝家、森蘭丸などが描かれている。
本殿跡の右方に末社義照稲荷社が鎮座する。
御祭神は宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神。秦氏の守護神として西陣織の祖神と崇敬されている。
その隣に稲荷命婦元宮。伏見稲荷大社命婦社の祖神である船岡山の霊狐が祀られているという。
南参道口には「史跡 船岡山」碑が建つ。船岡山は標高45m。応仁の乱で西軍の大将山名宗全が砦を築き陣を敷いた地と山頂周辺に砦跡が残るというが、今日は時間の都合で行かなかった。
南参道の入口に標石があるというが見つけられなかった。
建勲神社
京都府京都市北区紫野北舟岡町49
京都市上京区に鎮座する岩上神社。御祭神は岩神。延喜式愛宕郡大柴神社の論社。
住宅地の中に小さな公園のように鎮座する。
祠の背後に大きな木があり、社叢のようになっている。
手水舎には「岩神」の扁額がかかる。
二条堀川付近にあった霊石が六角通に遷され、さらに中和門院の屋敷の池のほとりに遷されると怪異な現象が起きたという。子供に化けたという伝説に因んで「禿童石(かむろいし)」と呼ばれたという。持て余した女官が蓮乗院の僧に相談し当地に遷され、「有乳山 岩上寺」と称し授乳、子育ての信仰を集めたという。幾度かの大火を経て明治維新には廃寺となり、大正年間に織物業の千切屋が敷地内に祠を構え現在に至っている。
周辺は西陣と呼ばれる応仁の乱で西軍が陣を張った地で、西陣織産地である。
岩神さまに参る。
後ろに幅のある大きな岩だ。
岩上神社
京都府京都市上京区上立売浄福寺東入る大黒町
京都市上京区に鎮座する首途八幡宮。御祭神は誉田別尊、比賣大神、息長帯姫命。
もとは「内野八幡宮」といい、平安京の大内裏の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。
かつて当地には奥州で産出された金を京で商う金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経が奥州平泉に旅立つ際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれ、「首途八幡宮」と呼ばれるようになった
社号標にも「かどで」のフリガナが振られていて、「出発」を意味する。
最近は義経ゆかりの地として観光に力を入れている。
参道を行くと、二の鳥居の右前に社務所
手水舎の手水には八幡宮の神使の鳩が彫刻されている。
社殿は少し高まった丘の上にある。左の三の鳥居を上がって、右の階段から下りてくるようになっているようだ。
階段を上がると社殿が見えてくる。拝殿と本殿一体の社殿のようだ。本殿に参る。
本殿右の授与所も無人であったが、由緒書きと書き置きの御朱印が置かれていた。
階段を下りる途中に仏像があり、地蔵かと思っていたのだが大日如来のようだ。
社務所の左奥に弁財天が祀られている。
弁財天社
境内に石が奉納されているのだが、達筆すぎて読めないので詳細はわからない。
首途八幡宮
京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1
京都市上京区に鎮座する白峯神宮。御祭神は第75代崇徳天皇、第47代淳仁天皇。
明治元年に創建された新しい神社。近代社格では官幣大社という高位に列せられた。
車道は車通りが多く、正面から撮影できないため、やむやく歩道から斜めに鳥居と社号標を撮影する。
鳥居をくぐると神門。一般駐車場は境内裏にあるようだが、許可車はここを通過して中に入る。
境内に入ると正面に拝殿が建ち、右近の橘、左近の桜が定型通り植えられている。
当宮は和歌・蹴鞠の公卿宗家飛鳥井家の邸跡に建てられており、一角に樹齢八百年の小賀玉の大樹がある。
拝殿の後ろに御垣に囲まれた本殿が建ち、拝所が設けられている。
拝殿の右に地主社。飛鳥井家の邸内社で「まり」の神である精大明神のほか、柊大明神、糸元大明神、白峯天神、今宮大神を祀る。
そのため、球技スポーツの精進を願い、サッカー日本代表が祈願に訪れ、中高生が部活動のために修学旅行の人気コースとなっているようだ。
その左には蹴鞠保存会100周年記念に建立された「蹴鞠碑」
その左には伴緒社。保元の乱に崇徳天皇方についた源氏の棟梁源為義公と、その子で弓の名人源為朝公を祀り、武道の神として、やはり中高生の部活動で参ることが多い。
一番奥にあるのは潜龍社。悪縁を水に流して良縁に替えるという潜龍大神を祀る。
拝所は修学旅行生で一杯だったが順番待ちしてお参りする。御垣の中の本殿
拝殿の左には、4月14日の淳仁天皇祭で蹴鞠が奉納される場所。
最後に授与所で御朱印をいただく。修学旅行生が列をなしてお守りを買い求めるためか、御朱印は書き置きのみで見開きの大きさ。
若者たちの元気さに圧倒されながら当宮を後にする。
白峯神宮
京都府京都市上京区飛鳥井町261番地
京都市上京区に鎮座する福長神社。御祭神は福井神、綱長井神、稲荷神。
社名は福井神と綱長井神を合祀することによるが、稲荷神と合わせ福長稲荷とも呼ばれた。
社前に旗が建っていないと社があることもわかりにくいほど。
家々に挟まれて境内がある。
入ると手水舎の中に井戸がある。
福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院に祀られていた宮中神の坐摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)のうちの二座であり、ともに井戸の神で、宮中の井戸の守護神とされていた。
当地に遷座したのは天正年間とされ、天明の大火(1788)で消失した後に小祠となったという。
拝所の奥に本殿が覆屋の中に鎮まる。
福長神社
京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538
現在城南宮に摂社として鎮座する真幡寸神社の旧鎮座地は、竹田真幡木町にある若宮八幡宮だと言われる。
当地は平安京遷都以前から秦氏の勢力圏で、秦氏の氏神と考えられている。
住宅街に鎮座し、扁額には「若宮宮」、社号標には「若宮社」と書かれている。
境内隅に「史蹟 式内真幡寸神社の跡」と書かれた石碑が建つ。竹田史蹟保存会により昭和49年に建てられた。
若宮宮だと御祭神はわからないが、正式名は若宮八幡宮だというので御祭神は応神天皇か。
真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)
京都府伏見区竹田真幡木町
京都市伏見区に鎮座する城南宮。御祭神は城南大神(国常立尊、八千矛神、息長帯日売尊)。方除の神として平安京の南に鎮座された。
正月・5月・9月は特別朱印がある。銀色のインクで押されるので画像修正がうまくいかなかったが、雰囲気は分かるだろうか。詳細は後ほど
駐車場の関係で東鳥居より入る。鳥居には「城南離宮」と書かれている。
白河上皇や鳥羽上皇が城南宮を取り囲むように鳥羽離宮(城南離宮)が造営され院政の拠点となった。
しばらく参道を行くと社務所と貴賓館が左手にある。
さらに進むと右手に摂社真幡寸神社。御祭神は真幡寸大神、応神天皇。延喜式紀伊郡眞幡寸神社の論社。
竹田地区に氏子を持ち、神紋は「三葉葵」
真幡寸神社の御朱印は昨年、官社列格1200年を記念して覆刻された。書き置きのみ。
左手には神苑(城南離宮の庭)への入口があり、中のギャラリーでは鳥羽伏見の戦い展が開催されているようだったが、時間も限られているので今回は入らなかった。
来年は鳥羽伏見の戦い150年の節目で、城南宮は薩摩軍による開戦地として有名。
さらに右手に芹川神社。中には「唐渡天満宮」の社号碑が建っているが同じ社を指している。御祭神は菅原道真公。左に小祠があるが御祭神は不明。
その隣に絵馬舎
本社前の鳥居までやってきた。「城南宮」の社号標が建つ。入る前に周囲を回ることにする。
その鳥居と正対して三照宮社。御祭神は天照大御神。
本社と同じ三光紋が付いている。
入った東鳥居とは反対側に建つ西鳥居。扁額にはやはり「城南離宮」と書かれている。
国道1号線に面し、大型駐車場や車修祓所がある。
修祓所に隣接して斎館が建つ。
本社に向かうことにする。鳥居、拝殿、本殿と一直線に並んでいる。
開放的な拝殿
右には神輿舎。五色の布が風に揺られて風情が漂う。
本殿は残念ながら改修工事中で見えなかった。
周囲の境内社にはお参りできたが、撮影禁止だったので写真はない。
本殿の左に、稲荷社、厳島社・住吉社・兵主社の三社合祀社、粟島社の三社、右に春日社、大国主社、庚申社、天満宮社・妙見社・金刀比羅社の三社合祀社の四社が本殿に向かって鎮座する。
拝殿左の授与所で御朱印をいただく。
城南宮では正月、5月、9月は神様と特にご縁が深い月とされ、重ねてお参りする「正五九参り」の信仰がある。
今年からその期間は特別御朱印のみ朱印帳にいただけ、通常の御朱印は書き置きとなる。
参道を戻る途中、宿り木の案内板を見つけた。行きは気づかなかったが天気も良くよく見えた。
城南宮
京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地
編集者:三戸 喜津三
発行者:大山白山神社
発行日:1981年3月10日
ページ数:254ページ
岐阜県に鎮座する大山白山神社の神社誌。神社の由緒にも関係する白山信仰についても触れている。
続きを読む 美濃白川 大山白山神社誌
著者:郡 順史
発行:一の宮巡拝会
発行:2011年3月5日
ページ数:247ページ
頒価:2,500円
橘神道の提唱者橘三喜の小説と「一の宮巡詣記 抜萃」が載せられている。手書きの当時の境内図は貴重である。また、本書を通じてさいたま市にあった橘三喜の奥津城(神道形式の墓)が行方不明になっていると知り、残念である。
続きを読む 全国「一の宮」調元祖信念の神道家 橘三喜
著者:筑後 則
発行所:福徳神社
発行:2014年10月23日
ページ数:355ページ
定価:3,000円+税
東京都中央区日本橋に鎮座する福徳神社の由緒歴史をまとめた本。福徳神社の札所で頒布している。
続きを読む 福徳稲荷縁起考
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2017年5月23日
価格:1388円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「GRACE of JAPAN 自然の中の神々」(第1シリーズ)の中から「箱根神社」(#12)、「三嶋大社」(#42)を収録している。ナレーションは堤真一氏。
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発行者:大野日吉神社千二百五十年祭実行委員会
編集:「大祭」編集委員会
発行:1987年12月25日
ページ数:167ページ
金沢市大野町に鎮座する大野日吉神社の1250年大祭の様子や経緯を記録している。大祭の熱を感じられる写真が並ぶ。大野日吉神社は現在、寺中町の大野湊神社の兼務社となっているが、大野湊神社でも50年ごとの大祭の記録誌を作成しているので、そういう記録を残す土地柄なのかもしれない。
続きを読む 大祭 大野日吉神社千二百五十年祭記念誌
金沢市に鎮座する大野湊神社。御祭神は護国八幡大神、天照坐皇大神、猿田彦大神(佐那武大神)。
今日は大野湊神社の兼務社となっている大野日吉神社で御朱印をいただける機会について尋ねるために参拝した。
今週15日の月曜日に春季大祭の神事能が終了したところで、静まりかえる神域が返って珍しく、晴天とあってゆっくり散策してきた。
旧拝殿や絵馬堂、境内社も再度ゆっくりとまわる。
拝殿に参る。
背後の御垣の中に3つの本殿が並ぶ。中央が八幡社、右に神明社、左に佐那武社。
拝殿前の御神木のたぶんケヤキ。主幹は大きく空洞になって枯死しているが、脇から枝が大きく伸びている。
大野湊神社
石川県金沢市寺中町ハ163
かほく市に鎮座する瀬戸菅原神社。御祭神は速秋津比古神、天滿天神、少彦名命。
過去2回参拝し、前回門前の宮司宅がわかったが留守だったので、近くに行った機会に再訪する。今日は宮司が境内で仕事中であったが、御朱印に対応いただいた。御朱印後少し話をさせていただくと河北郡市の宮司家は6軒ということで、今回の参拝ですべての本務社で御朱印をいただいたことになった。
今日は社殿裏から甲高い音が響いていたが、聞いたところによると、社叢の樹木の中で社殿に倒れる危険が出てきたものがあるので伐採しているということであった。社叢の景観と社殿の護持、地方の一神社には厳しい課題になってきていると感じる。
瀬戸菅原神社
石川県かほく市瀬戸町ル90
編集:広島県神社誌編纂委員会
発行:広島県神社庁
発行日:1994年8月1日
ページ数:1639ページ
頒価:15,000円
広島県内の宗教法人登記されている神社を中心に2850社を収録する。御祭神、例祭、社殿、摂末社、由緒など基本的な項目構成で、その多くに社殿の写真一枚が掲載される。広島県は神社建築について特徴的なものが多く、一章設けて説明しているのが珍しい(広島県の神社建築については別にこれのみ編纂した書籍もある)。
続きを読む 廣島縣神社誌