山城八幡 石清水八幡宮

八幡市男山に鎮座する石清水八幡宮。全国八幡神社本社のひとつ。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、比咩大神は宗像三女神とされる。

御朱印は拝殿前の授与所でいただく。本社と摂社三社の四種類ある。本社の墨書きが鳩でなかったのが少々残念。

ロープウェーはあるが、初めての参拝でもあるので山麓から歩いていく。

一の鳥居、扁額の八は鳩になっている。書は社僧であった松花堂昭乗の筆による。

頓宮殿入口、左に筒井がある。

頓宮殿

頓宮殿の出口。塗り替えられた朱色が鮮やか。

頓宮殿を出ると初めに鎮座する摂社が高良社。

高良社、御祭神は高良玉垂命。

二の鳥居を通るといよいよ上りが始まる。

分岐に鎮座する大扉稲荷社

その前にある影清塚。参拝前に心身を清めた場所。

階段は長いが、緩いので比較的上りやすい。

階段の終点に神馬舎。彌櫻号という神馬は今日は不在。

三の鳥居。ここから社殿は一直線。社殿は南向きに鎮座する。

三の鳥居をくぐるとかつて競馬の出発地点だった一ツ石。お百度参りの始点でもある。

南総門前まで来た。

手水舎にはたくさんの柄杓が並ぶ。

南総門をくぐると特徴的な拝殿が見えた。今日は非公開文化財公開日なのでいつもより多いかもしれない。

左にご神木の楠。楠木正成奉納で樹齢700年を越えるという。

時計回りに本殿まわりの境内社をまわる。廣田社、生田社、長田社の三社殿。

摂社武内社、御祭神は武内宿禰命。社殿は本殿の北西隅に鎮座する。今回廻廊内に入ってお詣りできたが、廻廊内は撮影禁止のため写真はない。御朱印中の熊笹は、武内宿禰命の御神紋である熊笹紋をもとにしている。

校倉

住吉社

一童社

北総門

貴船社と龍田社の二社殿。

若宮社と若宮殿社

気比社

水若宮社

来たときと別ルートで下りる。東総門の下、右手に伊勢神宮遙拝所がある。

摂社石清水社、御祭神は天之御中主神。御朱印中の霊泉とかかれたひょうたんは、松花堂昭乗の使用した印がもとになっている。

八幡大神が勧請される以前から祀られている産土神

石清水井、八幡五水のひとつで、往古より皇室及び将軍家の御祈祷に当たってはこの霊水を山上の八幡宮に献納していたという。

社僧であった松花堂昭乗の晩年の庵があった場所

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊30

山城乙訓 離宮八幡宮

大山崎町に鎮座する離宮八幡宮。御祭神は応神天皇、田心姫命、市杵島姫命、端津姫命、酒解大神。

正門の高麗門。社殿は南向き。

鳥居は境内内に立つ。

油祖の像。山崎の地は製油発祥の地であった。

拝殿に参る。

本殿の左にたくさんの境内が並ぶ。武内社

天照皇太神社

蛭子神社

鹿島神社

気比宮

高天宮神社

右が小禅師宮、左が勝手神社

腰掛天神社と道真腰掛石

高良社

不明の境内社

本殿の右に若宮神社

社務所で御朱印をいただく。兼務社の酒解神社の分もこちらでいただける。

石清水八幡宮創建の地であり、それ以前は酒解神社が鎮座した地という。境内には「石清水八幡宮」「大山崎八幡宮」「八幡宮」と様々な名の灯籠が立つ。現社名はここに嵯峨天皇の離宮があったところに由来する。

かつては広大な神領を有していたが、明治に入り東海道本線開通のため北側の大半の社領が削られ、南側の築地塀、正門の高麗門、そしてこの東門がそれ以前の面影を伝える。

離宮八幡宮
京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1

山城乙訓 自玉手祭來酒解神社

大山崎の天王山に鎮座する自玉手祭來酒解神社。御祭神は自玉手祭來酒解神とも言われる大山祇神、素戔嗚尊を配祀する。

延喜式の乙訓郡自玉手祭來酒解神に比定される神社で明神大社、元は山崎社といい麓の離宮八幡宮の場所にあったという。離宮八幡宮の勢力が強くなるにつれ、山崎山に遷座し、天王社と呼ばれたところから天王山と呼ばれるようになった。

JR山崎駅から宝積寺の登山口を目指す。

しばらく登ると白い大きな一の鳥居が見えてきた。

鳥居脇に展望台があり、山崎合戦の古戦場が眼下に広がっている。

またしばらく登ると、三社宮が見えてきた。御祭神は天照大神、月読大神、蛭子神。高い木に囲まれた社が印象的。

三社宮から登山口は右に行く。左に少し行くと厳島社がある。

さらに登っていくと、酒解神社が見えてきた。社殿は山腹にあるとしては大きい。

拝殿に入り、本殿に参る。

振り返ると崖のほうに木が見える。

この一本はおそらくご神木なのだろう。

左に境内社が一社。

その左に神輿蔵がある。板倉造という鎌倉時代中期のころの珍しいものらしい。国重要文化財に指定されている。

本殿の右には後見社が拝殿に向かって建つ。祭神は大己貴命。

現在酒解神社は離宮八幡宮の兼務社となっているため、下山後、離宮八幡宮で御朱印をいただいた。

自玉手祭來酒解神社
京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王46

摂津三島 水無瀬神宮

島本町に鎮座する水無瀬神宮。御祭神は第82代後鳥羽天皇、第83代土御門天皇、第84代順徳天皇。

承久の乱で隠岐、土佐、土佐に遷御され、いずれもその地でなくなり、菩提を弔うために、後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮のあった地に創建されたのが当神宮である。

社殿は北向き。鳥居横に駐車場がある。

神門

拝殿に参る。前に順徳天皇が佐渡で愛した「都忘れの菊」を移植したもの。

拝殿左の客殿は福島正則が秀吉の命で造営したもの。

後水尾上皇がご遺愛されて茶室、燈心席が庭園の奥に見える。

境内から名水百選の「離宮の水」が湧き出ていて、今日も行列ができていた。

境内社は境内の西側に並ぶ。稲荷神社

星阪神社

柿本神社

春日神社

水無瀬神宮
大阪府三島郡島本町広瀬三丁目10-24

山城乙訓 御谷神社

長岡京市に鎮座する御谷神社。明治に延喜式乙訓郡の比定社とされた。御祭神は天兒屋根命、應神天皇、別雷神、倉稻魂神とされ五社神社と称していたが、明治に比定社となり改称した。

鎮座する浄土谷は天王山の西側の山あいで道路も狭い。集落も数軒と乗願寺があるだけである。携帯電話も通じない。

乗願寺の裏に神社がある。鳥居をくぐると奥に本殿が見える。

かつては鳥居と本殿の間に拝殿があり、そこに本殿があったという。

本殿を覗くと社殿と朽ちた狛犬がある。

浄土宗乗願寺

西山の大仏といわれ、洛西観音霊場の番外霊場ともなっている。

御谷神社
京都府長岡京市浄土谷宮ノ谷3

山城乙訓 小倉神社

大山崎町の小倉山の麓に鎮座する小倉神社。乙訓郡の延喜式内社で明神大社。御祭神は武甕槌神、斎主神、天児屋命、比売大神。

平安京の鬼門除けとして祈願され、方除祖神として崇敬を集める。

参道は阪急西山天王寺駅の線路を渡るところから始まる。社名標と灯籠が立つ。

車で3分、社前に到着する。神社は天王山への登山口のひとつとなっていて、当日も支度を調えた家族連れに会った。

一の鳥居、参道を進み二の鳥居をくぐると広い場所に出る。

階段を上がり割拝殿をくぐる。

割拝殿には絵馬が掲げられていた。享保二年の祭礼絵馬。割拝殿、拝殿、本殿は今の位置だが、他に割拝殿の左前に能舞台が描かれる。小倉能として近郷に知られていたという。

もう1枚は相撲奉納の様子を描いた絵馬。文政十年の奉納である。

拝殿と本殿。本殿に参る。

手水には亀が二匹、どことなく愛らしい。

本殿の後ろに磐座が残り、地磁波が出ているという。

境内社も多い。拝殿右に三社神社、右より若宮、天照皇大宮、八幡宮。

やちまた宮とある熊野神社

二の鳥居右に四社並ぶ。天満宮

若宮神社

稲荷神社

龍王神社

11月3日の秋祭りも近いので社務所に人がいるかと思って訪ね、御朱印をいただいた。

小倉神社
京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前83鳥居

山城乙訓 神足神社

長岡京市に鎮座する神足神社。乙訓郡の延喜式内社の比定社。

神足村の産土神で、祭神は不詳となっているが、境内の案内板では舎人親王といわれている。

社殿は南向き。ここは勝龍寺城の縄張りの北端になるが、かつての原生林の一部または屋敷林が社叢として残っているものと思われる。

拝殿に参る。

本殿が後ろに鎮座する。

本殿の右に境内社が一社。

境内の一部に勝龍寺城の空堀と土塁、土橋が残る。神社は東海道本線の線路敷設のため現在地に遷座されたといい、本来の場所がはっきりしないが西のほうにあったようだ。

御朱印を境内の社務所でいただく。

神足神社
京都府長岡京市東神足2丁目5

山城洛南 宇賀神社

京都市に鎮座する宇賀神社。御祭神は宇迦之御魂神、天照大御神。

宇賀神社参道、かつての宇賀の辻子跡。ここから東へ100mほどが参道であった。

参道を左に曲がると狭い道に挟まれた境内に到着する。本殿まわりの銀杏の大木が目立つ。

社殿は南向き。境内に入る。

拝殿の後ろに塀垣に囲まれた本殿がある。本殿に参る。

宇賀神社の地は藤原鎌足がこの辺りに遷都され子孫が繁栄することを予知して金璽を埋めた伝説の残る宇賀塚の場所であり、本殿には雷が石になったという雷石が祀られているという。東九条唯一の産土神である。

境内のムクのご神木は樹齢500年を越える。

宇賀神社
京都府京都市南区東九条東札ノ辻町33

山城洛南 田中神社

京都市に鎮座する田中神社。延喜式の紀伊郡飛鳥田神社の論社のひとつ。御祭神は田中大神。

鳥羽街道に面して東向きに鎮座する。裏に京阪鳥羽街道駅がある。

境内は一軒分くらいの狭い範囲。

現在は伏見稲荷大社の境外摂社になっている。

本殿に参る。

本殿は本社である伏見稲荷大社の境内にある末社とおなじ程度で造りも似ている。

田中神社
京都府京都市東山区本町20丁目