穴水町の神杉伊豆牟比咩神社。御祭神は伊豆牟比咩命、大名持命、三穂津比咩命。鳳至郡の延喜式内社論社のひとつ。
中居の地は鉄鍛冶が盛んだった地で、鉄釜や梵鐘で有名な宮崎寒雉も当神社の氏子でした。
社殿は丘の上に南向きに建ち、麓に別当寺が二寺残っています。日吉神社の別当寺が二寺、神社の別当寺はすべて真言宗です。他に曹洞宗寺院が二寺あります。
今日は境内、拝殿の大掃除の日だったようで、拝殿の中で参拝することができました。
石川県神社庁の由緒では、御祭神は伊豆牟比咩命、大名持命、三穂津比咩命の三柱となっているが、六所大明神とも呼ばれた当社に掛かる年表では、往古荒志社と呼ばれた時代は伊邪那美命、伊邪那伎命、須佐之男命、手力雄命、足名雄命、奇稲田姫命の六柱となっている。鎌倉時代に神杉伊豆牟比咩神社に六所社を合祀したという。現在は六所大明神は相殿に祀られているらしい。
弊殿に掛かる絵馬は古く、天保18年の奉納となっている。源平盛衰記の一場面のようだ。
もう一枚の絵馬は年号がわからないが攻城戦のようだ。
今回、石川県版道の駅2016夏号の御朱印特集に掲載されたので電話して訪問した。数年前に前宮司がお亡くなりになってから、次女が継いだそうだが現在不在がちということで、珠洲の須受八幡宮に嫁いだ長女に対応いただいた。須受八幡宮で御朱印をいただいてから二回目の対応となったが、そういうこともあり長話をさせていただいた。御朱印と一緒に短冊形の絵馬をいただきました。ちなみに自分が第一号だったそうです。
当社は境内に幼稚園を経営しており、そちらの手伝いもあるので電話してから訪問した方が確実です。県内では当社と七尾市の気多本宮の二社のみが幼稚園を経営していて、お寺はよく併設しているのを見ますが、神社は珍しいですね。
境内社は拝殿前に二社。
どちらか不明になっているそうですが、越前国一宮の気比神宮から勧請した気比神社と武内宿禰命を御祭神とする杉平神社。
社殿は伊勢神宮の遷宮下賜木材(何回目か不明)を使用しているそうです。拝殿玉垣を遷座一千年の昭和60年に整備しているそうなので、昭和48年の第60回式年遷宮か?
本殿隣に栄浜神社。旧樺太の栄浜に鎮座した神社で、当社宮司の次男が宮司を務め、ソ連侵攻により札幌を経て当地に遷座した。この社殿も遷座一千年に整備されたようだ。
拝殿前の灯籠は文化三年の奉納。
境内には「六所山」の石碑が建つ。揮毫は元横綱の輪島大士さんです。能登三大相撲の地で今は絶えてしまったようで、大相撲の遠藤関が中居の出身で盛り上がる地元では相撲を復活させようと計画しているそうです。ちなみに遠藤関は日吉神社の氏子だそうですが、同じ能登が郷里の輪島関が揮毫した石碑を目にしていたでしょうね。
神杉伊豆牟比咩神社
鳳珠郡穴水町中居ワ153