穴水町の平野八幡神社。御祭神は八幡神である応神天皇、神功皇后、仲哀天皇。
穴水城主長谷部信連の祈願所として創立されたという。
朱色の鳥居をくぐり
階段を上って本殿に向かう。
拝殿は閉じていたが、中を覗くと複数の絵馬が奉納されていた。
神社に隣接して社務所兼自宅があり、老夫婦が住んでいるようだったが、御朱印は授与されていなかった。
平野八幡神社
石川県鳳珠郡穴水町平野1-2
穴水町の平野八幡神社。御祭神は八幡神である応神天皇、神功皇后、仲哀天皇。
穴水城主長谷部信連の祈願所として創立されたという。
朱色の鳥居をくぐり
階段を上って本殿に向かう。
拝殿は閉じていたが、中を覗くと複数の絵馬が奉納されていた。
神社に隣接して社務所兼自宅があり、老夫婦が住んでいるようだったが、御朱印は授与されていなかった。
平野八幡神社
石川県鳳珠郡穴水町平野1-2
能登町の岩井戸神社。祭神は大己貴命、岩衝別命、菊理姫命。
かつて「猿鬼の宮」と呼ばれ、悪さを繰り返した猿鬼を退治して祀ってあったという。当社の御祭神が猿鬼(老ヒヒ)の目を弓矢で射て退治したところということで当地は当目(とうめ、めにあたる)となったともいう。白山神社を合祀して菊理姫命が御祭神になったようだ。
猿鬼伝説の概略はこうだ。岩井戸という洞窟に棲んでいた猿鬼(老ヒヒ)が村々を荒らし回るので、神々は氣多大社大明神を大将に(神社由緒書では当社御祭神となっている。御祭神は同じ大己貴命ではあるが、勧請の前か後か不明)、三井の大幡神杉姫(大幡神杉伊豆牟比咩神社の御祭神)を副将として退治することになった。まず、神々が兵を寄せた所が「駒寄」、猿鬼の体に漆が塗ってあり弓矢がたたず後退した所が「神和住」、神杉姫が筒矢で射よとお告げをうけた所が「歌波の浜」、毒を採取した所が「千毒(千徳)」、目に矢が当たった所が「当目」、その黒い血が流れた所が「黒川」と「五十里」、おおばこで傷の手当てをした所が「大箱」、猿鬼の首を埋めた所が「鬼塚」、その霊を祀って祠を建てた所が「猿鬼の宮」といわれる。
この伝説から推測すると、当宮は猿鬼の霊を鎮めるための社で、大己貴命は後に伝説により勧請したものと考えるのがよさそうだ。能登には他にも猿鬼伝説の残る神社は多く、村に外からの人を寄せ付けないための噂だったのかもしれない。
山あいに田畑の広がる集落の道沿いに神社は鎮座する。
鳥居をくぐり、神社は川に向かって参道が下がっていくという珍しい形だ。
階段を下りていくと第二鳥居があり、向こうに社殿が見える。
川にかかった赤い橋を渡って対岸の社殿に至る。
拝殿に詣る。
社殿の左側、山側を進むと岩が向きだしで下が窪んだ場所があった。
境内に「岩屋堂」と呼ばれた洞窟があり、そこに猿鬼が住んでいたというが、ここがその場所か。穴は埋められたのか、元々ないのか。
周辺には猿鬼伝説に由来する地名が数多く残る。
岩井戸神社の南の集落「一布」は、神杉姫が白い布を身にまとって踊り、岩井戸と呼ばれる洞窟に潜んだ猿鬼をおびきだした。その時にまとった一級品の布を献上した村に与えられた名前という。
岩井戸神社の北の集落「駒寄」は、大将を一ノ宮大明神、副将軍を大幡神杉姫とする神軍が馬をつなぎ兵を挙げた拠点の村という。旧岩井戸村の役場が置かれた里の中心地だったらしい。
駒寄のさらに北の集落「黒川」は、神杉姫に毒矢で目を射られた猿鬼が、名刀鬼切丸で首を切られ傷口から流れ出した黒い血が黒々と川となって流れた地名という。
岩井戸神社
石川県鳳珠郡能登町柳田字当目55字39番乙丙地
今月も金沢市の金沢神社の天神月次祭の御朱印をいただいてきました。
週末のためか、いつもの神職さんではなかったので、金箔の場所が少し違っています。
今日は検定前日のため、いつも以上に念入りにお祈りしてきました。
月末の夏越の大祓の準備として茅の輪が拝殿前に設置されていたので、早速くぐってきました。
放生池の蓮はきれいに咲き
境内のアジサイもちょうど盛りでした。
朝方まで暴雨と風が強かったですが、参拝の間は穏やかで帰途につくとまた風が強くなってきました。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
金沢市の尾山神社。
先月に続き、6月の御朱印をいただいてきました。
午前中は雨が降り、ようやく梅雨らしい天候でしたが、そのためか境内は人もまばらでした。
6月は車輪の真ん中に剣梅鉢紋が配置されています。4回目に初めて男性の神職に墨書きしていただきました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2016年6月21日
価格:1388円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「GRACE of JAPAN 自然の中の神々」(第1シリーズ)の「熊野三山・前編」(#18)、「熊野三山・後編」(#19)を収録している。ナレーションは堤真一氏。神倉神社のお燈まつりも収録する。
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金沢市の四坊高坂町に鎮座する八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神。
往時は田近山の村々の合同地で大村だったといい、波自加彌神社の奥社とも元社とも伝えられる。
黄金清水の霊水から東に50mほど、山に向かって階段が延びる。
上っていくと杉の大木が見えてくる。
二手に大きく分かれて育ち、後世に落雷で裂けたようだ。
拝殿入り口から90度曲がって建つ本殿。地形的理由でこういう建て方になったか。
拝殿右に地蔵堂が残っている。大きな石像だった。
八幡神社
石川県金沢市四坊高坂町
金沢市四坊高坂町の黄金清水の霊水。
波自加彌神社からは数キロしか離れていないが、山を一気に上り数軒の集落に至る。
黄金清水の前には近年案内看板が立てられた。周辺は波自加彌神社の元宮跡と伝えられている。
村人により整備されたという池には大きな水芭蕉と今が見頃の蓮が植えられている。静かな村に池の蛙の鳴き声が喧しい。
池の奥に霊水のくみ取り口があった。暑い日が続いていても非常に冷たくおいしい水だった。
元宮からは西に河北潟が見える。天気が良い日は日本海まで見えそうだ。
波自加彌神社元宮跡 黄金清水
石川県金沢市四坊高坂町
津幡町竹橋の倶利伽羅神社。御祭神は木花開耶姫命、火結命、罔象女命、埴山比咩命、菊理比売命、伊弉諾命、誉田別命。
北陸道竹橋宿に鎮座する同社は、町村合併でできた旧倶利伽羅村の総鎮守として倶利伽羅神社と改称する。
鳥居をくぐり階段を上る。
階段の手前に百周年記念の石碑が建つ。平成21年9月の建立。
100年前の1909年(明治40年)、竹橋の冨士社、倶利伽羅村河内の河内社の二社を合祀する。
それまでは小白社と称していたが、小白山社の略称か?合祀で祭神が増えているためよくわからない。
階段は100段以上ある。手すりには遷座五〇年とある。小白社の場所は変わっていないので、合祀五〇年の意か。
拝殿は常にサッシに囲われている。拝殿に詣る。
拝殿裏は神橋を渡って本殿に至る。
本殿と本殿前鳥居は朱色に塗られている。
神社の麓に宮司宅があり御朱印をいただく。宮司は冗談で10年に1回とか言っていたが、今書かなかったら今度いつ頼まれるかわからないので、わざわざ参拝いただいたのでと言っていただいた。地元ということで少し話させていただいた。石川県神社庁の神社検索にある倶利伽羅神社の写真は、猿田彦命が先導する祭りの様子なのだが、神輿と獅子舞と続いている。この写真は100周年記念の特別編成だったらしく、現在の春祭りは神輿が先に、2時間ほど経って獅子舞が出発するようで並ぶことはないようです。若者の少なくなった在所では神輿を出すのも大変だそうで、今後は過疎地では規模縮小や失われていく祭りが増えそうな予感がする。
倶利伽羅神社
河北郡津幡町竹橋オ34
金沢市の波自加彌神社。日本で唯一の香辛料の神、波自加彌神を祀る神社です。
6月15日は例大祭であるはじかみ大祭の日でした。明治に一度途絶えて、20年前に120年ぶりに復活した例祭です。
初めて行ける機会を得、14時の開始に間に合うように着きましたが、臨時駐車場も車の列で年々参拝者が増えているようです。
すでに参拝者は拝殿の前に集まっていました。
座れなかった人たちの立ち見もたくさんいました。
本殿での祝詞の後、本殿前の準備の様子を見に行きました。
神事は湯釜にショウガを入れて、
笹の葉で周囲を清めます。この湯釜が神事の後に振る舞われる生姜湯になります。
今年は生産数一位の高知県と愛知県から奉納されたショウガのブレンドでした。また、水は元宮跡にある黄金清水の霊水です。
香辛料の神はかつて飢饉に見舞われたときに、唯一育ったショウガで飢えをしのいだという言い伝えによるもの。
最後に神職3人が生姜湯を飲んだのちに
容器を地面に叩きつけて割るという神事で終了しました。
生姜湯をいただいて、参拝者が少しずつ帰り始めた頃、拝殿の中を見ることができました。
生姜湯はピリッと辛口でした。
大祭用に作られた特別な神饌です。ショウガと脇にワサビも添えられています。
全国各地から香辛料を使った商品やショウガが送られて来ます。写真に写っているもので半分くらいです。
こちらも年々増えているようで、それだけ祭りの知名度が上がってきているようです。
ショウガご飯の入った小さな寿司(県内の調理師でつくる「調理研究 越路会」が奉納)もいただきました。
御朱印は拝殿隣のテントでこの日に限っては、権祢冝である宮司の奥さんが書いてくれます。(普段は宮司が書きます)
また、本日より「日本唯一香辛料之神」が印となり、ショウガの印が増えました。生姜湯の振る舞いの間は御朱印はいただけませんので、その前の神事の途中が良いでしょう。
波自加彌神社
石川県金沢市花園八幡町ハ165
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2016年6月7日
価格:1388円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「神社百景 GRACE JAPAN」(第2シリーズ)の「遷宮スペシャル伊勢神宮・前篇」(#86)、「遷宮スペシャル伊勢神宮・後篇」(#87)を収録している。ナビゲーターは伊藤英明氏。平成25年の第62回式年遷宮を収録している。
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出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2016年5月24日
価格:740円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「神社百景 GRACE JAPAN」(第2シリーズ)の「出雲大社・前篇」(#75)、「出雲大社・後篇」(#76)を収録している。ナビゲーターは伊藤英明氏。平成25年の平成大遷宮を収録している。
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勝山市の平泉寺白山神社。
すでに何回も訪れた場所ですが、今回は
白山開山1300年に合わせた企画で訪れました。
石川県の加賀馬場白山比咩神社、福井県の越前馬場平泉寺白山神社、岐阜県の美濃馬場長滝白山神社の三社をめぐって、御朱印スタンプを集めると、特製クリアファイル(3枚組)がもらえます。
白山開山1300年は来年の平成29年、まだまだイベントは続きます。
平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺
郡上市白鳥の長滝白山神社。御祭神は菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊。
白山信仰の岐阜県側の中心地、もと美濃馬場の白山中宮長瀧寺でした。
長良川鉄道の白鳥長瀧駅を降りてすぐの場所に参道入口がある。
往時は参道両側に宿坊が並んでいた。
鳥居をくぐって参道を進むと中程に神橋がある。この左方向(東北方)に白山禅定道が延びる。
最後に階段を上って、正面に拝殿が見えてくる。
拝殿は開放的で広い。天井に正月6日の六日祭で花が吊られる場所が見える。
六日祭と当日奉納される延年は盛大なものだと聞くが、関連本を購入して祭りのパンフレットをいただきました。
6日固定なのでなかなか見る機会もないが、一度見てみたい。
拝殿後ろに本殿が並ぶ。
左から大将軍社。
越南智社。大汝峰のこと
白山大御前社。御前峰のこと
別山社。別山のこと
若宮社。
境内社を見ていく。
本殿左手に二社。左が兒御前社、右は竈神社。
本殿右手に二社。左が神明神社、右は稲荷神社。
ともに参道や山内に点在した社を遷座したもののようだ。
拝殿の左に天満宮。
境内は神仏分離で白山神社と長瀧寺に分かれ、おおよそ参道の西側を長瀧寺、東側・北側を白山神社としたようだ。
神仏習合時の名残がところどころに残る。
拝殿前の石灯籠。
白山瀧宝殿の横に牛王石。
御朱印は白山瀧宝殿の受付でいただける。
そして白山千蛇ヶ池の霊泉。白山山頂の千蛇ヶ池から湧き出す清水と言われる。
長滝白山神社
岐阜県郡上市白鳥町長滝138
白川郷の帰り雲神社。御祭神は国立尊。
世界遺産白川郷から鳩谷ダムのダム湖を過ぎるとすぐに見えてきます。
保木脇の地は、室町時代までは「帰雲」と呼ばれ、流れる雲が上空に昇り蒸発する(雲が帰る)地とされていたようで、昭和33年鳩谷ダムや御母衣ダム建設に伴い、家屋や田畑などを移転した地が今の保木脇集落だそうです。
天正の大地震(1585年11月29日)で帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理をはじめ一族と城下町がことごとく埋没したという伝説地であり、その霊を慰めるために同集落で採石業を営む田口建設の社長が昭和54年に建立したもののようです。
朱色の小祠ながら
彫り物は凝っている。
野ざらしのため少し痛んでいる。
帰雲城址の石碑や観音像が建ち、背後にある庄川右岸の帰雲山(1622m)が天正の大地震で大崩落を起こしたといい、現在でも山頂付近は大きく崩れている。昔は西方の三方崩山(2058m)が帰雲山だとされていたようだ。結局、城下町が埋没したことで地勢を理解する人がいなくなり、地形も大きく変わったことで不明になっているということか。
帰り雲神社
岐阜県大野郡白川村保木脇
世界遺産白川郷の白川八幡神社。御祭神は応神天皇。
往古萩町・戸ヶ野・島集落の産土神だったのが、白川(下白川郷)・荘川(上白川郷)の白川郷43か村の総社となる。白川郷としては北のほうに位置する。
神社は世界遺産白川郷の範囲の中では南端にあたる。道沿いに北方に茅葺き屋根が並ぶ。
鳥居をくぐり境内に入る。
西向きに3つの建物が並ぶ。
中央が八幡神社拝殿。後ろに本殿がつながる。拝殿に詣る。
境内の杉の大木はいずれも注連縄が巻かれ、ご神木となっているようだが、拝殿脇の夫婦杉が一番のようだ。
白川八幡神社はアニメの舞台となったようで、聖地巡礼に来た絵馬が多数掛けられていた。
右は釈迦堂。神仏習合時代の名残だろう。
左は白川村招魂社。
境内には社務所もあり、どぶろくの館でも御朱印をいただけるという情報は得ていた。
しかし、当日は書き置きが前日になくなり、今日は宮司は朝から用事があって昼過ぎになるという。もしかしたら飯島八幡神社にいたのかも、と後ろ髪を引かれる思いはしたが今日は縁がなかったということで次回のお楽しみに。
白川八幡神社
岐阜県大野郡白川村荻町
道の駅白川郷の正面にある神社。御祭神はおそらく応神天皇でよいかと。
鳥居と拝殿の間、両側に林立する杉が印象的な社であるが、
榎の老木が一番のご神木のようだ。
今日は総出で何かの準備をしていた。掃除の日かと重い、邪魔にならないように詣る。
本殿背後に境内社の秋葉神社。
境内にどぶろ酒蔵もある。秋にはどぶろく祭りも行われる。
参拝している間に鳥居に国旗が掲揚された。どうも例祭の日だったようだ。
飯島八幡神社
岐阜県大野郡白川村飯島
穴水町の神杉伊豆牟比咩神社。御祭神は伊豆牟比咩命、大名持命、三穂津比咩命。鳳至郡の延喜式内社論社のひとつ。
中居の地は鉄鍛冶が盛んだった地で、鉄釜や梵鐘で有名な宮崎寒雉も当神社の氏子でした。
社殿は丘の上に南向きに建ち、麓に別当寺が二寺残っています。日吉神社の別当寺が二寺、神社の別当寺はすべて真言宗です。他に曹洞宗寺院が二寺あります。
今日は境内、拝殿の大掃除の日だったようで、拝殿の中で参拝することができました。
石川県神社庁の由緒では、御祭神は伊豆牟比咩命、大名持命、三穂津比咩命の三柱となっているが、六所大明神とも呼ばれた当社に掛かる年表では、往古荒志社と呼ばれた時代は伊邪那美命、伊邪那伎命、須佐之男命、手力雄命、足名雄命、奇稲田姫命の六柱となっている。鎌倉時代に神杉伊豆牟比咩神社に六所社を合祀したという。現在は六所大明神は相殿に祀られているらしい。
弊殿に掛かる絵馬は古く、天保18年の奉納となっている。源平盛衰記の一場面のようだ。
もう一枚の絵馬は年号がわからないが攻城戦のようだ。
今回、石川県版道の駅2016夏号の御朱印特集に掲載されたので電話して訪問した。数年前に前宮司がお亡くなりになってから、次女が継いだそうだが現在不在がちということで、珠洲の須受八幡宮に嫁いだ長女に対応いただいた。須受八幡宮で御朱印をいただいてから二回目の対応となったが、そういうこともあり長話をさせていただいた。御朱印と一緒に短冊形の絵馬をいただきました。ちなみに自分が第一号だったそうです。
当社は境内に幼稚園を経営しており、そちらの手伝いもあるので電話してから訪問した方が確実です。県内では当社と七尾市の気多本宮の二社のみが幼稚園を経営していて、お寺はよく併設しているのを見ますが、神社は珍しいですね。
境内社は拝殿前に二社。
どちらか不明になっているそうですが、越前国一宮の気比神宮から勧請した気比神社と武内宿禰命を御祭神とする杉平神社。
社殿は伊勢神宮の遷宮下賜木材(何回目か不明)を使用しているそうです。拝殿玉垣を遷座一千年の昭和60年に整備しているそうなので、昭和48年の第60回式年遷宮か?
本殿隣に栄浜神社。旧樺太の栄浜に鎮座した神社で、当社宮司の次男が宮司を務め、ソ連侵攻により札幌を経て当地に遷座した。この社殿も遷座一千年に整備されたようだ。
拝殿前の灯籠は文化三年の奉納。
境内には「六所山」の石碑が建つ。揮毫は元横綱の輪島大士さんです。能登三大相撲の地で今は絶えてしまったようで、大相撲の遠藤関が中居の出身で盛り上がる地元では相撲を復活させようと計画しているそうです。ちなみに遠藤関は日吉神社の氏子だそうですが、同じ能登が郷里の輪島関が揮毫した石碑を目にしていたでしょうね。
神杉伊豆牟比咩神社
鳳珠郡穴水町中居ワ153
穴水町岩車の奈古司神社。御祭神は美麻奈比咩神、大山咋神、住吉大神。
従来美麻奈比咩神社と称していたのを奈古司社と改め、更に昭和5年5月30日、奈古司神社と改称したという。
鳳至郡延喜式内社と同名だが、旧記が失われていて詳細は不明。勧請された社か、飛び地だったのか。
ゆるやかに上りながら境内に至る。
振り向けば七尾北湾。対岸に新崎、奥に別所岳が見える。
鳥居の先に町道が横切る。
鳥居の左に祠があり、詣ろうかと空けてみると、「薬師池」という湧き水でした。
参道の右に薬師堂。
拝殿に詣る。
境内には大きな一枚岩があった。何か由来があるのか?
晴れていれば良い景色だろう。
奈古司神社
鳳珠郡穴水町岩車チ6
能登町の今蔵神社。御祭神は大穴牟遅命、須佐之男命、菅原道真。
寛政年中社殿炎上したので、輪島重蔵神社より御神体を勧請したと伝えられ、4月3日の節句祭に重蔵神社より神饌が供される。8月23日の輪島大祭には当神社より重蔵神社へ新米2升神供することにしている。
今蔵橋を渡り、集落に入る。
階段を上り、山腹の境内に向かう。
境内に入る前の階段途中に鳥居が建つ。
拝殿に詣る。
階段を上る途中からカラスがけたたましく鳴いていた。上を飛ぶ時もあり少し恐かったが、神社の森に巣があったのかもしれない。
拝殿後ろに本殿がつながっている。
今蔵神社は近郊の14社を兼務しているようだが、御朱印は授与していないとのことでした。
今蔵神社
鳳珠郡能登町字瑞穂9字1番地
機具岩(はたごいわ)は、機織り(はたおり)の神様の伝説を生んだ夫婦岩。
機具(機織りの道具)のような岩から命名され、高さが16メートルと12メートルの2つの岩からなる。伊勢の二見岩によく似ていることから、別名「能登二見」と呼ばれる。伊勢の二見岩は、高さ9メートルの岩が男岩、高さ4メートルの方が女岩に対して、能登の機具岩は、高さ16メートルの方が女岩、高さ12メートルの方が男岩。
女岩のほうに小祠が建っている。その昔、能登の地に織物の業を広めた、鹿島郡能登部の能登比咩神社のご祭神である渟名木入比咩命が、織機を背負って山越した折、途中で山賊に遭い、思わず織機を海中に投げたところ、こつぜんとしてそれが岩に変じたといわれている。
機具岩は夕日のビュースポットであり、2つの岩にかかる注連縄とその間に落ちる夕日がきれい。
夏に近づくと夕日は水平線ではなく、少し突き出た高岩岬のほうに沈んでいく。
今日は夕日を見る予定になかったので広角レンズを持っていなかった。無理やりつなげてみた。
機具岩(能登二見)
石川県羽咋郡志賀町七海
羽咋市の千里浜神社。御祭神は天照大御神、豊受大神。
塵浜村の氏神として創始。昭和4年の村名改称に合わせて神社名も現在の名称となる。
東向きに鎮座。西日がまぶしい。周辺は細い路地が続き、運転は大変。
境内は広々としている。千里浜と同じ砂地の境内。
拝殿に詣る。
拝殿前の灯籠は天保二年の奉納。
境内社が一社あったが、詳細は不明。
Googleマップで「千里浜神社」と検索すると、「高井歯科医院」が表示される。なぜかと思っていたが、境内で掃除中だった総代さんにお聞きすると宮司さんは高井歯科医院だと言う。
今は診療中時間だったので、翌日診療前に伺う。宮司さんは歯科医という初めてのことだったが、今はほとんど引退している状態ということで平日日中に訪問しても問題なさそう。自宅は右の門をくぐり二階が玄関になっている。
千里浜神社
石川県羽咋市千里浜町ロ47
穴水町中居の日吉神社。御祭神は大山咋命、田心比咩命、市杵島姫命、端津比咩命、天照大神、豊受大神。
明治41年に奥津比咩神社(釜中神社)、神明社を合祀したといことで、本来の御祭神は大山咋命のみであろう。
海岸沿いの鳥居から上る。
鳥居前はすぐに海になっている。穴水城主長谷部氏からの崇敬が篤く、御祈願所となっていたようで、穴水城からは船で近い場所にある。
天正年間に上杉謙信の兵火にあって焼失し、古くは「日吉山王権現」と呼ばれていたようだ。
坂の左手に真言宗、日吉山医王院があり、天台宗日吉山安養寺の一院で、神仏分離までは日吉山王権現(日吉神社)の別当をつとめていた。木像薬師如来座像は合祀された奥津比咩神社の本地仏だった。
階段を上り、
拝殿に詣る。
覆屋が新しく感じたが平成10年に新築工事が行われたようだ。
拝殿に掛かる扁額は「日吉山」。もとは安養寺の御鎮守であろうから山号がかかっているのだろう。
[6/4追加]
参道途中に見つけた宮司宅で御朱印は書かれていないことを確認する。
日吉神社
鳳珠郡穴水町中居南2-58甲
能登町鵜川の菅原神社。御祭神は菅原道真公、猿田彦大神、少彦名神、饒速日命。道真公以外は合祀社の御祭神かもしれない。
11月7日に行われる例祭「いどり祭り」は、当番町の奉納した大鏡餅を他町がいどる(酷評、けなすの方言)という変わった祭礼が行われる。また8月に近くの海瀬神社の例大祭「にわか祭り」のにわか(袖きりこ)は菅原神社の前からスタートする。
海の近くに海に向かって鳥居が立つ。今日はちょうど草刈りの日だった。
鳥居前の灯籠。天保九年の銘がある。
拝殿に詣る。
拝殿前には二対の狛犬が奉納されているが、この古い狛犬は珍しく平たい顔をしている。
本殿裏に社務所があり、そちらで御朱印をいただく。今日はちょうど出かけていて、帰ってきたばかりだったということで運が良かった。
鵜川は七尾湾(内海)に南面していて、陸路を使うとやや不便な土地だが、往古は陸路より海路がメインであり、海路を使用すれば能登島まで20分という近さらしい。そうすると鹿嶋津と呼ばれた七尾港までは40分ほどで行けそうだ。陸路を車でいけば大きく迂回して1時間半ほどかかるか。鵜川の地が栄えた理由がそのあたりにヒントがありそうだ。
菅原神社
石川県鳳珠郡能登町字鵜川18-155