能登七尾 西宮神社

西宮神社

七尾市の西宮神社。御祭神は事代主神、気長足姫尊、金山彦神。

西宮神社

嘉永2年6月、西地子町(現富岡町)浜地に於て社殿を再興し、明治元年奧夷社と称するという。
明治5年10月西宮神社と改称した。これは恵比寿本社の社名を称したのであろう。改称前の奥えびすはどこの恵比寿社に対しての奥社だったのだろうか。

西宮神社

社殿は南向きで旗立てが拝殿前に立っている。

西宮神社

拝殿の扉には社紋が掘られている。

西宮神社

境内に一社小祠があったが、詳細は不明。

西宮神社
七尾市富岡町70

能登七尾 金刀比羅神社

金刀比羅神社

七尾市の金刀比羅神社。御祭神は大物主神、猿田彦神。

金刀比羅神社

およそ180年余前、旧七尾町富岡町(今の魚町)の和倉屋佶兵衛(小島和三郎の祖)が、讃岐の金刀比羅神社より勧請したという。

金刀比羅神社

港に近く、当地船乗業者の守護神と仰がれたようで。

金刀比羅神社

帰りに鳥居が文政十二年と刻まれていて、先ほど見た印鑰神社の灯籠も文政十二年だったので、七尾町はこの年大変賑わっていたのかな、と想像しました。

本殿には弘化4年狛犬や、赤と黒の朱塗りの巨大な天狗面があるようで見てみたかった。

金刀比羅神社
七尾市三島町69

能登七尾 印鑰神社

印鑰神社

七尾市の印鑰神社(いんにゃくじんじゃ)。御祭神は市杵嶋姫命ということになっているが、もとは能登国府の国津であった香島津(今の七尾港付近)に近く、印璽と倉鍵を管理した施設で、印と鍵を神格化して祀っていたと言われる。

印鑰神社

境内には物が散乱していますが、

印鑰神社

来月3日から開催される青柏祭に向けて、府中町の山車の組立てが始まっていました。大きいので、総出で一斉に組み立てます。

印鑰神社

拝殿に詣ります。写真を撮っていると、組み立てを中断して昼休みに入った地元の方に声をかけていただき、由来や拝殿内を案内していただきました。

印鑰神社

県歴史博物館に寄託されている神道曼荼羅や、こちらの歌舞伎開催の奉納額。明治のものですが、県内では能楽や相撲が盛んで同様の奉納額が見られますが、歌舞伎のものは珍しいですね。

印鑰神社

俳句の奉納額もありました。文政十二年の奉納灯籠もあり、古くから信仰を集めていたことがわかる。

印鑰神社

境内に末社が三社あったようだが、一社参り忘れました。
拝殿左側に不動尊堂。御祭神は天手力男命になるのかな、よくわからない。

印鑰神社

もう一社本殿左横に鎮座する西宮神社。かつて印鑰前通りにあった恵比寿堂を遷座したという。恵比寿、つまり事代主命になるのか。
恵比寿さんということで、総本社と同じ西宮神社という名称にしたのか、本殿の西に鎮座するので西宮神社としたのか、命名の経緯は不明。

印鑰神社

最後に昼休みに入って、人がすべて降りたでか山をしばし見上げていた。

印鑰神社
七尾市府中町223

能登七尾 能登國玉比古神社(旧地)

能登國玉比古神社

七尾市所口町に鎮座する能登國玉比古神社。

能登國玉比古神社

かつては七尾町の御古跡山に鎮座していたという。現在の小丸山一帯で

能登國玉比古神社

前田利家が入封のとき、山上の七尾城から港に近い小丸山に城を移すにあたり、神社を現在地に遷座したという。

能登國玉比古神社

上から眺める七尾の市街ほぼ一帯が現在でも氏子になっている。

能登國玉比古神社

一本杉通りの御祓川にかかる橋、仙対橋は架け替えられているが玉橋(勅使橋)といい、境内の名残という。

能登國玉比古神社(旧地)
石川県七尾市馬出町レ59-2(小丸山城址公園)

能登七尾 火司神社

火司神社

七尾市の火司神社(ひづかじんじゃ)。御祭神は軻具都知神、天照皇大神、豊受姫大神。
社号標などは「火司神社」となっているが、神社庁登録名は「火司社」か

火司神社

鳥居横の桜が満開でとてもきれいだった。

火司神社

鳥居をくぐり参道を少し進むと階段になる。

火司神社

鳥居横に力石らしい石が転がっていた。

火司神社

階段を上って境内に向かう。

火司神社

社殿は西向き。拝殿とつながって本殿が後ろにある。

火司神社

社殿の右のほうに薬師堂が建っている。国分寺にあった薬師堂を移築したと伝えられるが、時期は不明。

火司神社

薬師堂には「国分寺薬師殿」という扁額が掲げられている。

火司神社

境内からは眼下に能登国分寺が見える。当地は能登国府の西の丘陵地に位置し、周辺には古墳も多い。

火司神社
七尾市国分町オ1丙