氷見市の朝日神社。御祭神は天照大神。
夕日神社と二社で延喜式内社の射水郡加久彌神社の論社である。
朝日神社のある氷見小境浦には宗良親王(後醍醐天皇の皇子)の伝説が残っている。宗良親王が越後の寺泊から直接小境に着岸し、しばらく逗留したのち、奈呉の浦へ移ったという。親王の着岸の場所は朝日神社前の「黒岩」という岩礁のある場所で、「親王腰掛の石」があったという。現在は国道160号の拡幅工事により道路敷となり、昔の面影はない。
また、親王は朝日神社と夕日神社を伊勢の両宮に見立てて参拝されたという。この両社のあいだを伊勢領といい、朝日神社の境内には古来土足で入ることを禁じており、村人は正月元日には素足参りをする習慣があったそうだ。
鳥居は北向きだが
階段を上っていくと
拝殿・本殿は朝日を受けるように東向きに建っている。
拝殿と本殿は弊殿でつながる。
朝日神社は海沿いに鎮座するので、天気がよければ海越しに立山連峰を望める。
朝日神社
富山県氷見市小境1
氷見市の夕日神社。御祭神は豊受大神。
同市の朝日神社と二社で、延喜式内社の射水郡加久彌神社の論社である。
境内の参道は氷見市立灘浦中学校の校庭横を西に通る。
突き当たって右に階段を上って拝殿がある。
拝殿の後ろに本殿がある。
神社は道路を挟んですぐ小境海岸となる。
天気が良ければ、海越しの立山連峰が見える。
少し北の海岸からは虹が島越しの立山連峰が見える。氷見の絶景スポットのひとつ。
夕日神社
富山県氷見市小境1440
熊淵川の河口部にかつて宿那彦神像石神社は鎮座していました。御祭神は少名彦神。
現在は少し北に行った丘の上に遷座されています。
この熊淵川を遡れば阿良加志比古神社が鎮座しています。
東浜の漁港からは晴れた日海越しに立山連峰が見えます。きれいに見えるのは冬の寒暖の差の少ない寒い日の午前中らしいです。
元宮なので何もないものと思っていましたが、小祠があると知り、後日再訪しました。
場所は河口部の丘の上(一枚目の向かいの丘、二枚目の橋の右・北側)です。以前はこの敷地にJAの支店があったようです。
1枚岩の磐座が祀られています。
宿那彦神像石神社
七尾市黒崎町
七尾市の海岸沿いの海食崖の山上に鎮座する宿那彦神像石神社です。御祭神は少彦名神、健御名方命。
名前から少彦名神の石製の神像が祀られていたのかと想像しましたが、由緒は神鏡二面を祀っていたようです。
社は兼務社となっており御朱印はありません。
正面の小山に神社は鎮座しています。
参道はかなり急です。
坂に続いて急な階段を上ります。
社殿にお詣りします。
周辺を見渡すと石製の変わった奉納物があります。いつの頃のものかわかりませんが、仏教色も感じられる奉納物なので藩政期のものでしょうか。
本殿のうえは整地されて見晴台となっています。
今日は天気が良かったので、海越しに冠雪した立山を見ることができました。
宿那彦神像石神社
七尾市黒崎町ヘ28-3
七尾に鎮座する阿良加志比古神社。御祭神は阿良加志比古神。
延喜式内社の「阿良加志比古神社」の比定社で、宿那彦神像石神社の論社でもあります。
山里の狭い道を上ってようやく社頭に到着しました。
社殿には長い階段を上らなくてはいけません。
階段途中に末社の東枝神社があります。御祭神はわかりません。
階段を上り詰めて拝殿に参拝します。
拝殿横に杉の巨木があります。非常に立派なご神木です。
このご神木が、大幡神、阿良加志比古神の降臨した五本杉のようです。
広い境内を掃除されていた宮司さんに自宅で御朱印をいただきました。手を止めてしまって申し訳なかったです。
阿良加志比古神社
七尾市山崎町カ35
七尾にある松尾天神社です。御祭神は少名毘古神、菅原道真公。
御朱印は境内に隣接する自宅の方でいただけます。前回の参拝時は宮司が不在で、今回も不在でしたが、午後に戻られると聞いて再訪問していただきました。
鎮座する地は七尾城のあった山々から平野に延びるひとつの尾根の先端部で、湾全体を見渡せる要地です。元は薬師天神と呼ばれた寺院であり、薬師如来がご本尊だったようですが、神仏分離により神社に復飾して松尾天神社となりました。神仏習合時の薬師如来を少名毘古神と同体として病気平癒を祈願していたのかもしれません。
市街地から離れた場所にあるため、現在でも広い境内と長い参道が残っています。
少名毘古神、菅原道真公を御祭神としていますが、本殿には元は少名毘古神(薬師如来)のみを祀っていたものと思われます。賽銭箱の神紋は菅原道真公の北野天満宮の神紋、梅鉢紋ではなく、前田家の家紋、剣梅鉢紋です。
拝殿隣に立派な筆塚があります。
末社として天満宮があり、こちらに菅原道真公が祀られています。菅原道真公が末社の祭神や相殿の扱いになっていないのは、藩政期に前田家の庇護を受けていたからかもしれません。
松尾天神社
七尾市矢田町ヌ7甲
氷見市の祇園宮日吉神社です。御祭神は大山咋神。
旧氷見町は南十町の総社であった祇園宮日吉神社と、北六町の総社であった中央町の日宮神社で、7月13・14日に氷見祇園祭で神輿や太鼓台、曳山が巡行します。疫病退散のため始まった祭りと言われ、富山の曳山では珍しい7月に行われ、そういう意味では京都の祇園祭に近いですね。
社殿は西向きで、海に向かうわけではなくどうしてこういう向きなんでしょうか。
正面鳥居横の神社標は北前船の記念で建てられたものらしく、氷見も藩政期は北前船の寄港地として賑わっていたのでしょう。
拝殿は境内から一段高くなっており、10町を氏子として抱えていることもあり、大きな拝殿です。
拝殿とつながった自宅で御朱印をいただきました。前宮司は手が少し不自由になったということで、以前参拝したときは朱印のみいただいて代わりにお守りをいただいたのですが、今回は息子の現宮司にお会いできましたので、あらためて御朱印をいただきました。
祇園宮日吉神社
富山県氷見市南大町7−2
氷見に鎮座する伊勢玉神社です。越中国府が伏木になった頃、国守大伴家持が社殿を造営し有磯宮と称し氷見郷総鎮守としました。その後伊勢より勧請し伊勢玉神社と改称したことで、主祭神は天照皇大御神となっています。
昭和13年に氷見高砂町の愛宕社、平成17年に朝日山大神宮を合祀し、相殿に火産霊神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、菅原道真公、事代主神、天宇受売命、楠木正成公となっています。
御朱印は境内の社務所兼自宅でいただけますが、兼務社が多く宮司は留守のことも多いのでなかなか機会に恵まれませんでした。5回目の訪問でようやく書き置きをいただきました。
境内はJR氷見駅に近い場所にあります。周辺は住宅地となっていて道路も狭く密集している感じですが、神社の鎮守の杜は目立ちます。
拝殿前には結界を張られた一画がありますが何でしょうか。右方に稲荷社があります。
拝殿に参拝すると、まず目を引くのは正面の俳句額です。万葉の地らしい奉納物です。
伊勢玉神社
富山県氷見市伊勢大町1丁目9−23
越中国の式内社参拝も最後の社となりました。氷見市の高階社、御祭神は迦具土命。草岡神社の論社の1つです。
石川県との県境に向かってひたすら山を上っていき、もう集落の端かと思うようなところまで行くとようやく神社の旗立を見つけました。
しかし、神社はさらに山を徒歩で上った先にあります。
念のため鈴を付けて入っていくと五分ほど進んで鳥居が見えてきました。
大杉が2本並んだ間に、しめ縄を渡し「門杉」と呼ばれる形になっています。
初めて見たけど、雰囲気あります。神域へ入る気がここでピッと変わるような感じもありました。
門杉を通過しさらに上ること数分、ようやく山頂付近に社が見えてきました。
当然こんな早朝には誰もいませんが、拝殿後方の一段高い場所に本殿が囲いの中にありました。
鍵掛かっているので本殿とはご対面ならず、少し残念。
高階社
富山県氷見市一刎2075
氷見市に鎮座する磯部神社。延喜式内社「磯部神社」の比定社です。御祭神は磯辺氏の祖神である天日方奇日方命。
周辺に宮司宅は見当たりませんでしたので、おそらく御朱印は難しいでしょう。
今日は暗くうちに出発して、棚田越しに富山湾、立山から昇る朝日を見ました。実に神々しいことでした。
まだ薄暗い早朝に山中の磯部神社に参拝しました。
鳥居をくぐり参道つきあたりに杉の大木に藤が巻きついています。春にはとてもきれいに咲くそうです。
階段を上り、
正面に拝殿が建てられています。
それほど広い境内ではなく、大木に囲まれ昼でも薄暗い感じです。
この社叢は市天然記念物に指定されています。
拝殿後方に覆いをかぶされた本殿が鎮座しています。昔は吹きさらしだったとか。
小ぶりながらも細かい彫刻が施された立派な社殿です。
磯部神社
氷見市磯辺1045
39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録