発行:石川県神社庁 石川郡支部
編者:白山別宮神社宮司 田近彰男
発行日:1968年1月1日(非売品)
ページ数:187P
石川県神社庁石川郡支部設立20周年を記念して編纂された。石川県神社誌の発行より前であるため、神社誌の石川郡を抜粋したような内容となっている。文字が大きくて読みやすい。
続きを読む 石川郡のやしろ
発行:石川県神社庁 石川郡支部
編者:白山別宮神社宮司 田近彰男
発行日:1968年1月1日(非売品)
ページ数:187P
石川県神社庁石川郡支部設立20周年を記念して編纂された。石川県神社誌の発行より前であるため、神社誌の石川郡を抜粋したような内容となっている。文字が大きくて読みやすい。
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発行:堀書店
編著者:梅田義彦
発行日:1972年11月限定版、1972年12月1000部限定
価格:7,000円 絶版
「本書の原著たる「大日本神明辞書」は、明治末期に刊行せられた名著である。すなわち日本書紀以下六国史、古事記、古語拾遺、古風土記、新撰姓氏録、旧事本紀、延喜式等の古典に現れる天神地祇、また一般の伝承に見える祭神、功臣・功労者たる祭神、すべて二千八百柱を、五十音順に列載し、その一々について、その名義、神徳、系統、事蹟、奉祀神社等のことを簡潔に記し、終りにそれらのことについての出典を註記したもので、専門家も便宜の書として珍重したものである。」
五十音順の祭神表もそうであるが、付録の系譜もとても役に立つ。
続きを読む 増補新訂 大日本神名辞書
編集・発行:石川県神社庁
発行:1976年10月初版(非売品)、1977年2月第二版(4,500円)
ページ数:507P
石川県内の約1900社の神社の祭神・祭日・由緒の名鑑が記載されている。
[amazonjs asin=”B000J8YYLE” locale=”JP” tmpl=”Small” title=”石川県神社誌 (1976年)”]
続きを読む 石川県神社誌
編者:明治神社誌料編纂所
発行:講談社
発行日:1975年11月復刻版
価格:50,000円 絶版
「明治末期の府県社・郷社四千余を収載し、各神社の歴史資料および当時の状況を克明に映し出した六千頁の貴重文献」
明治45年に発行された本の復刻版。復刻するにあたって索引が付いた。三巻の分けて沖縄を除く45府県の府県社と郷社が掲載されている。明治の大合併の後、約11万社のうち4千社なので4%程度ではあるが、全国著名神社はほぼカバーできるので、一社一社の祭神や由緒を調べるには重宝する。
[amazonjs asin=”B009752T3U” locale=”JP” tmpl=”Small” title=”明治神社誌料 (上巻)”]
続きを読む 明治神社誌料 上・中・下・索引
発行所:金沢市神職会
発行日:1932年5月(非売品)
各神社一枚ずつ表に写真、裏に解説(社格、祭神、祭日、由緒)を挙げる。今は存在しない神社もあり、当時の写真は貴重。巻頭に掲載神社の社印(朱印)表がついており、現在授与のない神社もあるため、これも貴重な資料である。全47社掲載。
続きを読む 金沢市内神社写真帖
糸魚川市に鎮座する天津神社。延喜式の頸城郡大神社の論社のひとつ。御祭神は瓊瓊杵尊、天児屋根命と太玉命を配祀する。
市民会館の駐車場隅に立つ社名標。参道は東に向かって延びる。
表参道の橋を渡る。境内に入ると参道は南に折れる。
橋の左に弁天社。
参道を進むと突き当たりに社務所がある。普段は無人のようだ。
社務所前で東に折れ、境内の南西部から入る。鳥居は南と東にもあるが、表参道はなぜこれほど曲がるのだろうか。
境内に入ると右手に衣紋所
左手に宝蔵
南鳥居から入って、楽屋、舞台、拝殿、本殿と並ぶ。社殿は南向き。
春大祭では舞台に朱色の高欄が付けられて舞楽が舞われる。
舞台は神様に奉納するため、拝殿方向を向いている。
拝殿に参る。賽銭箱の上の扁額は「天津社」
拝殿内。中央の扁額は「天津社」、左に「奴奈川神社」、これは背後の本殿の並びと同じ。右に合祀された「住吉」神社の扁額が架かる。
拝殿の左の部屋に白い神馬像と平成5年に枯れて伐採されたご神木が納められている。
本殿の左に奴奈川神社。延喜式頸城郡の論社のひとつで、御祭神は奴奈川姫命、八千矛神を配祀する。
拝殿の背後に天津神社の本殿
本殿右に子聖社。
子聖社と天津神社本殿の間に石祠や石像が集められている。石の仁王像もある。
境内の宮司宅で御朱印をいただく。御朱印をいただく間に神社のパンフレットを読む。パンフレットにはかつて境内にあった神宮寺について書いてあった。残っているものもあるということで、場所を聞いて行ってみることにした。
宮司宅前の藤棚、その奧の井戸が神宮寺の名残のひとつ。
社名標の前、宝伝寺の門前に並ぶ石仏群。これも神宮寺の名残という。
そして、北西へ線路を渡り、塩の道(松本街道)沿いにある寺院群のひとつ、経王寺。
経王寺の梵鐘は神宮寺の梵鐘を移したもので
梵鐘を見ると、確かに「奉建立天津社神宮寺鐘一口」とある。
天津神社
糸魚川市一の宮1-3-34
糸魚川市に鎮座する青海神社。その元の鎮座地が現在の青海地区公民館東町支館の場所。
文政4年に現在地に遷座された後も、旧社殿は古宮跡としてしばらくの間残っていたが、慶応3年大火で焼失。
石祠を建立して、公民館の建設、再建に伴って現在の敷地西隅に移動したという。
石祠に参る。石祠には御神体の鏡も祀られている。
南西方向、JR青海駅の向こうに見える丘に遷座した青海神社が鎮座する。
新潟県糸魚川市青海281
青海神社(旧地)
糸魚川市に鎮座する青海神社。延喜式の頸城郡青海神社の論社のひとつ。御祭神は青海首の祖、椎根津彦命。
社名標は線路近くに立つ。神社への入口の阪は車を停めた辺りでかなり距離がある。
というのも、すぐ右に元神宮寺であった清源寺が建つからであろうか。
坂を上ると駐車できるスペースが有り、社殿に向かって階段を上る。
境内は広い。社殿は日本海に向かって北向きに建つ。
拝殿に参る。
本殿は拝殿の後ろ一段高い場所に鎮座する。
拝殿右に境内社が多数。
ひとつ前にある石祠には石像が残る。天神様であるらしい。
境内の落ち葉を掃除していた氏子の方に少しお話を聞く。青海の地は昔は漁業で大変賑わった土地であったという。確かに広い境内と大きな社殿はその面影を偲ばせる。何でも本殿裏に展望台があり、昔は景色が良かったという。案内されたからには行ってきた。道はなんとかわかるものの休憩所も立入禁止になっていて、周囲の高木に遮られ景色も臨めない。残念だがこれが地方の現状というところか。
青海神社
新潟県糸魚川市青海762
糸魚川市に鎮座する靑澤神社。延喜式の頸城郡青海神社の論社のひとつで創建当時は当地にあったという。御祭神は沼河比売命。
海沿いの国道8号線を山の方へ南下、工場地帯を抜けると小さな集落に入る。
道路沿いに西鳥居が立つが境内脇から入るので、もう少し集落を進んで南より入る。
鳥居の扁額は「日連神社」。どういう由来でここに架かっているだろうか。
拝殿の後ろに本殿が建つ。拝殿は寺の本堂のような造り。
拝殿に参る。拝殿の扁額は「靑澤神社」
境内社は鳥居をくぐって境内右に一社。
靑澤神社
新潟県糸魚川市青海2696番地
朝日町に鎮座する鹿嶋神社。御祭神は健甕槌命が主祭神。
北に数十メートル行くとすぐ日本海。社殿は北向きに建つ。
拝殿前の狛犬は角があり、目が大きくどこかユーモラスだ。
拝殿に参る。
拝殿正面の彫刻は東洋風だが題材は何であろうか。
拝殿裏に階段があり、鳥居をくぐると木が一本。本殿への道のようだが、道は宮崎城への登山道ともなっており、その途中に本殿が建っているようだ。
階段前の狛犬は髪がカールしていてやはりユーモラスだ。
境内社は祭神不明な一社
手力男神社
隣の社務所は今日はご不在で御朱印は確認できなかった。
鹿嶋神社
富山県下新川郡朝日町宮崎1484
朝日町に鎮座する脇子八幡宮。御祭神は誉田別尊、豊城入彦命、北陸宮、事代主神。
社殿は西向き。
紅葉に色付いた木々も混ざる中、階段を上っていく。
拝殿はサッシに覆われている。中に入って参る。
拝殿には絵馬が多数架かる。中の1枚、題材が不明だが社とも関係の深い源平合戦の一幕であろうか。
拝殿の右側に鳥居。階段を上ると境内社の神明社が建っている。
その神明社の背後、グラウンドとなっているが、隅に忠魂碑が建っていた。前方のひと山越えると宮崎城跡となっている城山、大宝二年に高向朝臣大足が越中越後国境鎮護の神として城山に創祀されたと伝わる。
木曽義仲が社殿(城山)近くに御所を造り、北陸宮を迎えて、当宮で平家打倒の戦勝祈願したという。
境内入口近くの社務所兼自宅のほうで御朱印をいただいた。
脇子八幡宮
富山県下新川郡朝日町横尾966
入善町に鎮座する入善神社。御祭神は誉田別尊、建御名方命を配祀する。
神社一帯は花月公園となっている。社殿は西向き。鳥居はこの西鳥居と北鳥居がある。
拝殿と本殿はサッシで覆われている。雪国とは言え風情がない。
拝殿左に戦没者の慰霊碑。
女神像は御祭神の母神神功皇后であろうか。
中門
背後には明治11年9月に明治天皇の北陸東海御巡幸のときに御小休所になった建物が残る。
入善神社
富山県下新川郡入善町入膳3601
黒部市に鎮座する八心大市比古神社。延喜式新川郡の比定社。御祭神は大山祇神、少彦名神、迦具土神。近郷の人たちには以前は三島明神と呼ばれ、現在でも三島神社と言われる。
神社南側に駐車場がある。駐車場に社名標と鳥居が立っている。
しかし、この鳥居をくぐっても駐車場の柵があって通り抜けられない。
北側の鳥居。
県道を挟んで向かい側に三島の大欅が立っている。その根元に地神塚、左下に三島の化藤が植わっている。いずれも市内随一の大木である。県道により現在は飛び地境内になっている。
拝殿に参る。
本殿
拝殿の右、社務所との間に黒部護国神社が建つ。
社務所兼自宅で御朱印をいただく。
社務所前に庭に境内社が二社。一社は後ろに大麻納所があるので神明社か。
八心大市比古神社
富山県黒部市三日市3185
魚津市に鎮座する魚津神社。御祭神は天照皇大神が主祭神。
商店街の間に突然現れる木製鳥居。社殿は南向き。
魚津神社は市内の郷社神明社、杵築社、稲荷神社、火之宮神社、市姫神社の五社を合祀した神社で、神明宮が元宮のようだ。
拝殿に参る。朱色の柱が目立つところは稲荷神社のよう。
後ろの本殿も朱色の柱と白壁が目立つ。
拝殿の左に合祀された市姫神社の狛犬と扁額が残る。市姫神社は下村木417-4に鎮座していた。
境内社の愛宕神社。御祭神は軻遇突知命。
境内の参集殿に併設されている授与所で御朱印をいただく。
魚津神社
富山県魚津市中央通り1-3-28
魚津市に鎮座する宮津八幡宮。御祭神は誉田別命。
社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿の扁額は「加積郷総社 正八幡宮」とある。加積郷は魚津市、滑川市、上市町の一部を含み、三代実録に加積神とある式外社に比定される。
境内にはチャンチャン石とバン持ち石が置かれている。チャンチャン石は昔落ちてきた隕石と伝えられ、小石で叩くと高い金属音がする。
本殿の後ろは一段低くなっていて稲田が広がる。宮津の地名はその昔、本殿の後ろまで海だったことに由来してそうだ。
宮津八幡宮
富山県魚津市宮津1520
魚津市西布施地区に鎮座する白山社。行基の開基と伝わる千光寺とその塔頭が建ち並んでいたという宗教都市だった。
千光寺の南に隣接する。
長い階段を上る。
白山社は千光寺の鎮守であったと思われる。
中に入れたので、拝殿内で参る。
拝殿に入ると天井と奉納額の多さに圧倒される。
天井には人物と花が描かれている。彩色が少し退色しているものの、よく残っている。三十六歌仙であろうか。
嘉永年間奉納の一枚。源平合戦が描かれ、一ノ谷の戦いから衣川の戦いまで義経の半生が描かれているようだ。
拝殿の扁額には「白山大権現 五社大権現」と書かれ、上に鰐口が吊されている。右の御祭神(御本尊)は別所薬師如来、御影大日尊、白山妙理大権現、奥院○○山大権現、○○野天海大○○、野新白山権現、左の方がにじんでいて判別できない。いずれにしても現在も神仏混淆が残っている。祭礼もまた神仏混淆のまま引き継がれているようです。
白山社
富山県魚津市小川寺2927
魚津市に鎮座する布勢神社。御祭神は五十猛命、五十日足彦命。延喜式新川郡の論社のひとつ。
場所がはっきりとは分からず、布勢川沿いの集落内を探していましたが、集落西の山越えの途中にありました。
南向きにまっすぐの参道の先に社殿が見える。
神社標の右に会所らしき建物。
中をのぞくとたくさんの石仏と
お不動さんや千手観音像。神仏習合の名残でしょうか。それにしてもこの数、信心深い土地柄のようです。
参道は長い。拝殿前の草むらに狛犬代わりの石が据えられている。
拝殿が開いていたので中に入って本殿に参る。本殿の両側に古そうな随神像がこちらを向いている。
本殿の前の狛犬は無表情で子犬のよう。ずっと見ていると愛らしく思えてくる。
奉納された黒駒像もあった。
拝殿には絵馬が複数掲げられていた。ほとんどは奉納馬だったが、安政奉納の一枚。右上の山から駆け下りる騎馬が見えるので一ノ谷の戦いのようである。
布勢神社
富山県魚津市布施爪947
魚津市に鎮座する建石勝神社。延喜式新川郡の比定社。御祭神は武甕槌命。
社殿は東向き。新しい感じがする。
天正年間までは大社であったが、越後長尾氏により兵火で焼失、長く中絶した社は天保11年に現在地で再建される。昭和9年本殿を再建、平成4年国道8号線バイパス事業により境内地を一部変更し社殿を新築する。
平成4年に再建された社殿なのでまだまだ新しいのだろう。
境内の社叢の紅葉が美しい。以前は参道がもっと東に長かったのだろう。
社前を通る国道8号線、立山連峰から昇る朝日がまぶしい。
神社は兼務社であり、本務の宮津八幡宮で御朱印をいただける。
建石勝神社
富山県魚津市吉島2972