小濱神社は、養老2年南小濱の松林中(黒津船地内)に転遷したと伝えれている。黒津船とは「コクル船」を意味し、高句麗、つまり朝鮮製の船のことらしい。高句麗の遺臣が建国した渤海国の使節がこの地に着いたこともあり、朝廷より「黒津船大権現」を賜り、「黒津船権現が鎮座する森」から権現森と称している。主祭神は大己貴命。
入口の看板を見つける。
そこからまっすぐに海岸に向かって道が延びる。
日本海に向かって開けた場所に元宮跡がある。夕日がきれいな場所だが、荒天のときは横風が強い場所で社殿の管理が大変だったことは容易に想像できる。
権現森内でも数度の転遷があったようで、ここは正徳4年(1714)に5代藩主綱紀が修築した社殿跡だそう。
標柱1本と辺りに礎石が残っている。
礎石には柱の穴跡が残るものも多数ある。
石灯籠の傘も転がっている。転遷前に壊れて放棄されたものだろうか。
小濱神社はこの地から再度権現森で転遷し、五郎島を経て現在地の大根布に遷座した。
元宮跡から北に数十m行くと、着弾地観測所が残されています。この建物は昭和28年内灘砂丘が米軍の特需砲弾試射場として使用されていたときに、発射された砲弾の目標への的中率と着弾を確認した施設です。
建物内からは日本海がよく見えます。藩政期までの宮跡と近代遺産が同居している長く重要な地であった。
今日は最高の夕日でした。ここは日本海を見渡す最高のロケーションですよ。
(2015/4/27追加)
小濱神社 元宮跡
石川県河北郡内灘町宮坂(権現森)
現在地 石川県河北郡内灘町大根布3丁目157