長田菅原神社は、延久元年(1069)諸国に一国一社宛天満宮を造営する旨の勅宣が下り、加賀国において長田に天神社が建立されたと伝えられる。祭神は菅原道真公、社号を「長田天満宮」と称したが、明治6年に「長田菅原神社」と改め、村社に列せられました。
長田菅原神社は城めぐりをする人にはちょっと知られた存在であり、その理由は拝殿が金沢城の東照宮護摩堂を移築したものであり、数少ない建築遺構となっています。平成3年補修作業により、鮮やかな朱塗りの社殿が蘇りました。
道路に面した一の鳥居。実は4回目です。最初は修復後の拝殿を見るために、2回目以降は御朱印をいただきに来たのですが、なかなかご縁がありませんでした。御朱印は境内のご自宅でいただけます。以前は社号は墨書きでしたが、宮司さんが手を煩ったということで判に変わっています。
一の鳥居をくぐると参道右にご神木があります。境内は広いとは言えませんが、大木が数本あります。
拝殿前に二の鳥居があります。鳥居前に灯籠2基、拝殿前に狛犬が対になっています。社号標は「長田天満宮」となっています。
灯籠の建立は安政年間。
冬期は風雪から拝殿を守るため雪囲いされた拝殿に入ると「天満宮」の扁額を見ることができます。
拝殿内に「長田菅原神社」の扁額。
拝殿前に天満宮といえば牛。道真公?が背中に乗っています。
境内に小松砂丘謹書の石碑が建立されています。裏書きを読むと氏子の方の古希記念で建てられたようです。
境内にはもう一社。稲荷社があります。
その隣には神輿舎。ガラス越しに神輿が見えるのは珍しいですね。
拝殿脇にも大木。隅に・・・・
石祠と対の狛犬が残っています。詳細はよくわからないのですが、神仏混淆時代には七堂伽藍が建ち並んでいた頃もあったようで、その名残かもしれません。
狛犬はかなり崩れてしまっていますが、左は足のほうがまだ判別できます。
石祠の中央の穴には何があったのか?なかったのか?正面の仏像も崩れて判別できませんが、この場所は特別な雰囲気がします。
訪れるなら雪囲いのない春から秋にかけてがよいと思いますが、道真公といえば学問の神様。忙しいのはやはり冬かな?
金沢市長田1丁目5番3号
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