伊勢神宮 皇大神宮(内宮)

皇大神宮(神宮内宮)

伊勢市に鎮座する皇大神宮。御祭神は天照大御神。

皇大神宮(神宮内宮)

雨がかなり強くなってきた。それでも内宮前には参拝者の人だかりができていた。

皇大神宮(神宮内宮)

現在の宇治橋の下流には次の式年遷宮に架け替えるための橋脚が残っていた。

皇大神宮(神宮内宮)

参道を進み、手水舎を過ぎて宇治川沿いで手を清める。

皇大神宮(神宮内宮)

神楽殿を過ぎると横に五丈殿が建っている。

皇大神宮(神宮内宮)

さらに奥に進むと今回の式年遷宮の正宮の建設中であった。次回は手前左側に正宮が建つ。

皇大神宮(神宮内宮)

正宮の下に御贄調舎

皇大神宮(神宮内宮)

正宮に参る。

皇大神宮(神宮内宮)

御稲御倉

皇大神宮(神宮内宮)

外幣殿はちょうど遷宮途中

皇大神宮(神宮内宮)

別宮荒祭宮、右側に遷宮途中

皇大神宮(神宮内宮)

御酒殿と由貴御倉

皇大神宮(神宮内宮)

御厩、今日は留守だった。
天候も悪かったので御朱印をいただいて早々に帰ってきたが、別宮をいくつか参拝していないことが後でわかった。次回参拝はくまなくまわりたい。

皇大神宮(神宮内宮)

帰りのおはらい町通り。行くときは気が付かなかったが、式年遷宮のためのお白石が積まれていた。

皇大神宮(内宮)
三重県伊勢市宇治館町1

伊勢神宮 豊受大神宮(外宮)

豊受大神宮

伊勢市に鎮座する豊受大神宮、通称の神宮外宮のほうがよく知られる。御祭神は豊受大御神。

豊受大神宮

駐車場に停め、北御門口より境内に入る。

豊受大神宮

参道右手に御厩(みうまや)。今日は不在。

豊受大神宮

表参道が見えてくると、左手に神楽殿

豊受大神宮

右手に手前が五丈殿、奥が九丈殿

豊受大神宮

表参道を右に曲がって正宮に参る。二年後の式年遷宮の遷御までは右側の敷地に建てられている。

豊受大神宮

正宮の反対側の別宮を巡る。別宮風宮

豊受大神宮

別宮土宮

豊受大神宮

別宮多賀宮

豊受大神宮

表参道を通り鳥居まで戻る。

豊受大神宮

第六十二回式年遷宮を記念して建設されたせんぐう館を見学する。

豊受大神宮

せんぐう館前には勾玉池に奉納舞台が浮かぶ。

豊受大神宮(外宮)
三重県伊勢市豊川町279

伊勢津 比佐豆知神社

比佐豆知神社

津市に鎮座する比佐豆知神社。御祭神は火之迦具土神。延喜式安濃郡の論社のひとつ。

比佐豆知神社

境内には三重県神社庁がある。

比佐豆知神社

南向きの社殿

比佐豆知神社

鳥居脇に龍神灯籠、江戸時代中期の御影石製で福山藩阿部家の江戸屋敷に置かれていたものを渡辺龍神氏が譲り受けたものを寄進した。後ろの槇の木は樹齢三百年以上で海老屋商店の屋敷に植えられていたものを寄贈された。

比佐豆知神社

拝殿に参る。今日は人が誰もおらず御朱印をいただけなかった。

比佐豆知神社

拝殿の右、東側に境内社が集まる。祖先(みおや)の社

比佐豆知神社

境内社稲荷神社、御祭神は茶臼稲荷大神、伏見稲荷大神を相殿に祀る。元は隣接する茶麿山上にあった。

比佐豆知神社

山神の碑がたくさん。周辺の山神が集められている。

比佐豆知神社

白龍大明神

比佐豆知神社

フェンス際には庚申塚や石仏などが並べられていた。都市開発により境内に遷されたものが多いようだ。

比佐豆知神社
三重県津市鳥居町210−1

伊勢一の宮 都波岐奈加等神社

都波岐奈加等神社

鈴鹿市に鎮座する都波岐奈加等神社。都波岐神社と奈加等神社の合祀殿となっていて、通称都波岐奈加等神社と称する。延喜式河曲郡の都波岐神社、鈴鹿郡の椿大神社、河曲郡の奈加等神社の論社であり、伊勢国一宮。御祭神は猿田彦大神、中筒之男命、天椹野命。

都波岐奈加等神社

県道506号線沿いに灯籠が両側に立ち、北へ参道が延びる。

都波岐奈加等神社

社殿は南向き。現在の境内は広くはない。

都波岐奈加等神社

都波岐神社と奈加等神社の社名標が別々に立つ。

都波岐奈加等神社

拝殿に参る。

都波岐奈加等神社

拝殿前の鳥居横に大木がある。

都波岐奈加等神社

本殿の左右に境内末社。左が小川神社、右が神明春日社。小川神社は延喜式河曲郡の論社のひとつ。

都波岐奈加等神社

境内の授与所で御朱印をいただく。都波岐神社単独と通称の都波岐奈加等神社の2パターンがあるが、比較的大きめの自分の御朱印帳では墨書きの最後が詰まる。宮司が留守の場合も多いということで、予約して御朱印をいただきに伺った。

三重県鈴鹿市一ノ宮町1181

伊勢鈴鹿 加佐登神社

加佐登神社

鈴鹿市に鎮座する加佐登神社。御祭神は日本武尊を主祭神とする。

加佐登神社

社前の駐車場に停める。

加佐登神社

本殿の北に白鳥塚があり、古くから日本武尊の御陵と伝えられ、死の間際まで持っていた笠と杖を塚のそばに祀ったのが創始という。

加佐登神社

入口に高宮資料館があり、付近で発掘された考古資料などを展示する。

加佐登神社

長い階段を上る。

加佐登神社

階段の途中、右手に熊野大神社跡の石碑が立つ。すぐ脇に杉の御神木がある。
当社は延喜式鈴鹿郡の倭文神社(御祭神は天羽槌雄命)の論社のひとつで、加佐登神社に合祀された。

加佐登神社

階段を上り終えると、広い平地に境内が広がる。社殿は南向き。

加佐登神社

拝殿に参る。

加佐登神社

拝殿内には「日本武尊」の扁額がかかる。

加佐登神社

境内の日陰では神鶏が二羽遊び回っていた。平和な雰囲気が広がっている。

加佐登神社

拝殿右に境内末社、稲荷神社の朱色の鳥居が複数建つ。

加佐登神社

境内社に入ると、中央に稲荷神社、右に日代神社、金刀比羅神社、左に多度神社、内内神社の五社の合祀社であった。

加佐登神社

拝殿と末社の間に日本武尊像、本殿の屋根は檜皮葺。

加佐登神社

本殿の脇を北から西に回り込むと史跡白鳥塚古墳。

加佐登神社

日本武尊の埋葬地と伝わるが、宮内庁は能褒野墓のほうを比定しているので、こちらは三重県指定史蹟となっているのみである。

加佐登神社
三重県鈴鹿市加佐登町2012

伊勢亀山 能褒野神社

能褒野神社

亀山市に鎮座する能褒野神社。御祭神は日本武尊(倭健命)。明治の神社整理により、川崎村にあった県主神社(御祭神は建見児玉)、志婆加支神社(御祭神は大八洲の霊)を合祀し、ともに延喜式鈴鹿郡の論社のひとつ。

能褒野神社

境内一帯はのぼのの森公園として整備されている。

能褒野神社

当地は日本武尊が東征の帰路薨去した地と伝えられる。

能褒野神社

参道を進むと右に折れ、鳥居の先に拝殿が見えてくる。

能褒野神社

拝殿に参る。

能褒野神社

拝殿の右に那久志理神社、御祭神は長白羽神、瀬織津姫命。もとは当地の東方に鎮座していた。

能褒野神社

明治の神社整理により、能褒野神社に合祀。鳥居をくぐって進むと山神と

能褒野神社

水神の碑があるのみであった。

能褒野神社

拝殿右に社務所があるが留守であった。玄関に御朱印の書き置きが置いてあったのでいただいてきた。

能褒野神社

神社の南方に日本武尊の能褒野墓があり宮内庁管理となっている。

能褒野神社
三重県亀山市田村町1409

伊勢鈴鹿 県主神社

県主神社

鈴鹿市に鎮座する県主神社。椿大神社の境内摂社で、延喜式鈴鹿郡の論社のひとつ。御祭神は倭建命、建貝児命。

県主神社

縣大明神と称し、川崎村の鎮守社であったが、明治の神社整理で能褒野神社に配祀され、平成10年に椿護国神社の南隣に遷座した。

県主神社

本殿のみの小社。本殿に参る。

県主神社

右隣に椿護国神社

県主神社
三重県鈴鹿市山本町1871

伊勢鈴鹿 椿岸神社

椿岸神社

鈴鹿市に鎮座する椿岸神社。椿大神社の別宮で延喜式三重郡の論社のひとつ。御祭神は天之鈿女命を主祭神とし、太玉命、天之児屋根命を配祀する。

椿岸神社

参道を進むと分かれ道、左に椿大神社、右に椿岸神社。鳥居横に「延喜式内 椿岸神社」の社名標が立つ。

椿岸神社

拝殿に参る。元は椿大神社の御旅所で、東北1Kmの山本村字本堂にあったという。

椿岸神社

神招福臼(かみおぎのふくうす)、福杵で三度ついてお祈りする。

椿岸神社

拝殿の右にかなえ滝と

椿岸神社

扇塚。芸道の神として芸事や習事の道具を慰霊する場所。
御朱印は椿大神社の社務所でいただいた。

椿岸神社

椿岸神社のある椿大神社の東側境内を行く。茶室鈴松庵、松下幸之助翁の寄進。

椿岸神社

末社松下幸之助社。松下幸之助翁は幾度と参拝され椿大神社を崇拝したという。

椿岸神社

行満堂神霊殿、椿大神社の前座とされ、猿田彦大神の神裔である行満大明神や寿老神を祀る。神仏習合時は神主山本家の祖先神を祀る修験の拠点だったと思われる。

椿岸神社

教育勅語碑

椿岸神社

天然記念物の亀甲石

椿岸神社

境内社の椿立雲龍神社

椿岸神社

延命地蔵堂、平安後期と言われる延命地蔵尊が祀られ、首から上の病気平癒の信仰を集めた。

椿岸神社
三重県鈴鹿市山本町1871

伊勢一の宮 椿大神社

椿大神社

鈴鹿市に鎮座する椿大神社。延喜式鈴鹿郡椿大神社の論社のひとつで、他に石神社を合祀し論社のひとつとなっている。伊勢国の一宮。御祭神は猿田彦大神を主祭神とし、瓊々杵尊、栲幡千々姫命を相殿に祀る。

椿大神社

高速伊勢道の鈴鹿ICから神社へ向かうと朱色の大鳥居が立っている。鳥居の背後には神体山の高山入道ヶ嶽、国見岳、短山椿ヶ嶽。

椿大神社

境内入り口には「伊勢一之宮 椿大神社」の社名標と、鳥居横に「伊勢国一之宮 椿大神社地祇猿田彦大本宮」と社名碑が立っている。

椿大神社

鳥居を入ってすぐに境内社の庚龍神社、御祭神は金龍龍神、白龍龍神、黒龍龍神。樹齢四百年のモミの木の守り神。

椿大神社

深い森に囲まれた参道を進む。

椿大神社

参道を進むと左手に御船磐座。中央三個の石を天降石と称し、御祭神猿田彦大神、皇孫瓊々杵尊、栲幡千々姫命の神座とする。

椿大神社

右手に恵比寿と大黒の石像

椿大神社

左手に高山土公神陵、御祭神猿田彦大神の御神陵という。

椿大神社

拝殿に参る。隣の社務所で御朱印をいただく。

椿大神社

御輿庫

椿大神社
三重県鈴鹿市山本町1871

越前福井 杉杜白髭神社

杉杜白髭神社

福井市に鎮座する杉杜白髭神社。御祭神は猿田彦大神、伊弉冉尊、倉稲魂命を配祀する。延喜式足羽郡の杉杜郡神社の比定社。

杉杜白髭神社

足羽川木渕に鎮座していたが水害で現在地に遷座。古跡は足羽川右岸の三丁余り先のモクサン渕であるという。
鳥居をくぐって正面の建物は地区の公民館。

杉杜白髭神社

手水には亀が彫刻されている。明治になって旧藩主松平春嶽公より氏子に贈られたものという。

杉杜白髭神社

鳥居の横に庚申灯籠、宝暦十一年奉納で柱に申が抱きついている。

杉杜白髭神社

鳥居から右に曲がって社殿。社殿は東向き。拝殿に参る。

杉杜白髭神社

拝殿右に境内社の宮比神社。御祭神は天鈿売命、迦具土神を配祀する。

杉杜白髭神社

神社には寛文七年に建造された鳥居があったが、昭和20年の福井大空襲で罹災し、境内には柱の一部と亀腹が残る。

杉杜白髭神社

亀の奉納物の台座に首の欠けた亀腹が残る。

今日は二度目の参拝であったが、今日も自宅は留守であったので、御朱印は確認できなかった。

杉杜白髭神社
福井県福井市勝見2丁目1

加賀金沢 宇多須神社奥宮

宇多須神社奥宮

卯辰山の中腹に鎮座する宇多須神社の奥宮。

宇多須神社奥宮

社名標には「懸社宇多須神社奥社」と書かれる。古鏡の浦面に卯と辰の模様があったので、卯辰山神として当地に卯辰治田多聞天社として創建された。

宇多須神社奥宮

最後は階段を上って奥宮に至る。

宇多須神社奥宮

奥宮に参る。

宇多須神社奥宮

奥宮周辺からは眼下に市街と遠く日本海を臨める。6月に麓の宇多須神社から奥宮へお帰りになる「お上がり」神事、9月に宇多須神社にお帰りになる「お下がり」神事という神輿渡御行列が今も続いている。

宇多須神社奥社
金沢市卯辰町

加賀金沢 久保市乙剣宮

久保市乙剣宮

金沢市に鎮座する久保市乙剣宮。御祭神は素戔嗚命。

久保市乙剣宮

社殿は南向き。境内は駐車場にもなっている。

久保市乙剣宮

鳥居の右に泉鏡花の句碑が立つ。当地は泉鏡花生誕地であり、神社斜め向かいの生家跡に泉鏡花記念館が建つ。

久保市乙剣宮

拝殿に参る。

久保市乙剣宮

本殿の右に神社のシンボルでもある大ケヤキが立つ。

久保市乙剣宮

拝殿右に境内社の稲荷社。

久保市乙剣宮
石川県金沢市下新町6−21

伊賀上野 上野天神宮(菅原神社)

上野天神宮

伊賀市に鎮座する菅原神社。上野天神宮は通称であるが地元ではこの名前のほうが親しまれている。御祭神は菅原道真公。上野天神祭のだんじり巡行が有名。

上野天神宮

社殿は西向き。鳥居の扁額は「天満宮」

上野天神宮

鳥居の次に「菅聖廟」の扁額がかかる楼門

上野天神宮

楼門の前に松尾芭蕉の句碑。当地は芭蕉生誕地であり、松尾芭蕉が29歳で江戸に発つ前に処女句集「貝おほひ」を奉納したことでも知られる。

上野天神宮

楼門くぐって左に境内社の松尾社

上野天神宮

右に神馬舎

上野天神宮

拝殿に参る。拝殿は新しい。

上野天神宮

本殿の右に一社

上野天神宮

左にも一社

上野天神宮

本殿の右に美加多神社

上野天神宮

本殿左に高原稲荷神社

上野天神宮

その左に鎮霊社

上野天神宮

拝殿左の社務所に附属した授与所で御朱印をいただく。

上野天神宮

境内には神仏習合の名残として梵鐘が残る。

上野天神宮(菅原神社)
伊賀市上野東町2929

伊賀一の宮 敢國神社

敢國神社

伊賀市に鎮座する敢國神社。御祭神は大彦命、少彦名命、金山比咩命。延喜式内社の大社で伊賀一宮。

敢國神社

駐車場の目の前に裏参道が延びているが、少し南に行って

敢國神社

表参道から行く。

敢國神社

鳥居までの間に境内社の市杵姫神社

敢國神社

朱色の鳥居から入る。

敢國神社

鳥居、拝殿、本殿は南向き

敢國神社

鳥居を入って左に社務所、右に絵馬殿

敢國神社

絵馬は二枚ほど確認できたが、色も剥げていて題材がよく分からない。

敢國神社

階段を上って拝殿に向かう。

敢國神社

「敢国大神」の扁額。拝殿に参る。

敢國神社

社務所で御朱印をいただいた後、裏参道から帰る。神饌所

敢國神社

御輿蔵

敢國神社

裏参道には境内社が並ぶ。若宮八幡宮

敢國神社

子さずけの神

敢國神社

階段と山道を少し登る。途中、楠社の古跡

敢國神社

現在の楠社

敢國神社

一番上に結社

敢國神社

結社からは南の神体山である南宮山が見える。頂上には浅間社がある。

敢國神社

再び裏参道に戻り、神明社

敢國神社

最後に大石社

敢國神社
三重県伊賀市一之宮877

加賀金沢 湯涌稲荷神社

湯涌稲荷神社

金沢市の奥座敷湯涌温泉に鎮座する湯涌稲荷神社。御祭神は稲荷大神。

湯涌稲荷神社

薬師堂の裏にあり、元は薬師堂の鎮守だったと思われる。

湯涌稲荷神社

本殿に参る。

湯涌稲荷神社

御朱印に自分で押せるように印鑑が用意されている。

湯涌稲荷神社

当神社が有名になったのは湯涌温泉がモデルのアニメ「花咲くいろは」によってであり、劇中に登場するぼんぼり祭りがこの神社の神事として実際に行われるようになったからである。

体育の日周辺に開催される本祭には、神迎え行列や境内の願い札が玉泉湖でお焚き上げされて盛り上がる。

湯涌稲荷神社
石川県金沢市湯涌町イ145

加賀金沢 上野八幡神社

上野八幡神社

金沢市に鎮座する上野八幡神社。御祭神は応神天皇。石動山天平寺の空山が天平寺守護神の八幡神を祀ったのが創始という。

上野八幡神社

社殿は南向き。

上野八幡神社

鳥居をくぐると芭蕉の句碑が立つ。

上野八幡神社

拝殿に参る。

上野八幡神社

拝殿右の社務所兼自宅で御朱印をいただく。社叢は杉が多いが、社務所前の三本の杉は根元がつながって神威を感じる。

上野八幡神社
金沢市小立野2丁目4-1

加賀金沢 猿丸神社

猿丸神社

金沢市に鎮座する猿丸神社。御祭神は猿丸大神。平安時代の三十六歌仙で有名な猿丸太夫が当地に逗留していた旧房の跡に神社があるという。

猿丸神社

境内は西向き。境内は樹齢数百年のケヤキなどに覆われている。

猿丸神社

階段を上がると鳥居をくぐり拝殿へと向かう。

猿丸神社

拝殿に参る。

猿丸神社

神社は老杉に鉄釘を打込んで呪詛する丑の刻詣りの所として知られ、拝殿と本殿の間にあったそうだが現在は枯死した。

猿丸神社

本殿の右に境内社の稲荷神社、朱色の鳥居と小さな石祠がある。

境内の裏に自宅があるので訪ねたが留守だった。夕方六時過ぎに再訪して夕食の途中であったが御朱印に対応していただいた。

猿丸神社
石川県金沢市笠舞3丁目23−15

加賀金沢 藤棚白山神社

藤棚白山神社

金沢市に鎮座する藤棚白山神社。御祭神は伊弉諾尊を主祭神とする。

藤棚白山神社

社殿は南向き。一際高いクスノキ、明治19年の犀川の氾濫で社地過半を流失し、現在地に遷座した頃にはすでに自生していたという。

藤棚白山神社

鳥居をくぐり、社名にもなっている藤棚をくぐって拝殿に至る。

藤棚白山神社

「八房の藤」の碑は俳人麦水の観藤の句が書かれている。

藤棚白山神社

拝殿に参る。拝殿右隣の社務所兼自宅で御朱印をいただく。

藤棚白山神社

拝殿後ろに本殿が連なる。

藤棚白山神社
金沢市城南2丁目6-35

加賀金沢 神明宮

神明宮

金沢市に鎮座する神明宮。御祭神は天照皇大神、豊受姫大神。

神明宮

国道157号線に面し、社殿は東向き。

神明宮

境内には樹齢1000年を越える大ケヤキが中央に空高く枝を広げている。

神明宮

拝殿に参る。右隣の社務所兼自宅で御朱印をいただく。

神明宮

境内社は拝殿の左に蛭児太神宮、御祭神は事代主神かな?

神明宮
石川県金沢市野町2丁目1−8

加賀金沢 泉野菅原神社 信長公祭

泉野菅原神社

金沢市に鎮座する泉野菅原神社。六斗の広見では野町街道まつりが開催されていた。

泉野菅原神社

主祭神は菅原道真公だが、県内では唯一織田信長公を祀る。というのも、泉野菅原神社は隣にあった玉泉寺の鎮守社で、玉泉寺は2代藩主前田利長の正室であった永姫の菩提寺。永姫は信長の四女とも五女とも言われる。利長の死去にともない高岡から金沢へ越してくる。江戸幕府がまだ盤石とは言えない情勢の中、信長を公に祀るのは憚れたため菅原道真公を主祭神とし、秘かに祀ったと考えられている。

泉野菅原神社

本殿は平成12年に焼失、昨年再建が叶い、春に還座祭が行われて以降初めての信長公祭となる。人が集まってきている。

泉野菅原神社

新築の真新しい社殿で、浦安舞の神事から祭りが始まる。

泉野菅原神社

拝殿と本殿が一体となった社殿で神事が続く。

泉野菅原神社

一通り神事が終わって社殿に入ることができた。神前に供えられた供物。

泉野菅原神社

織田信長画像は滅多に公開されない宝物。祭りに合わせて公開された。

泉野菅原神社

再建叶って氏子の方々のご苦労も報われただろう。

泉野菅原神社

続けて四條流の包丁式が行われた。包丁式は包丁と箸を使って一切手を触れないように鯉や鶴をさばく儀式。

泉野菅原神社

包丁式でさばかれた鯉も神前に供えられた。

泉野菅原神社
金沢市野町3丁目15-8

加賀金沢 諏訪神社

諏訪神社

金沢市に鎮座する諏訪神社。御祭神は建御名方命、誉田別命。

諏訪神社

寺町通りに面し、社殿は南向き。

諏訪神社

鳥居をくぐると両側に狛犬。右の狛犬は逆立ち狛犬になっている。

諏訪神社

拝殿に参る。隣の社務所兼自宅を訪ねるが留守だった。

諏訪神社

境内社は稲荷社が一社。

諏訪神社
金沢市寺町5丁目2-41

加賀金沢 闕野神社

闕野神社

金沢市に鎮座する闕野神社(がけのじんじゃ)。御祭神は天照皇大神、菅原大神。

闕野神社

寺町通りに面し、社殿は南向き。

闕野神社

社名は昔泉野の新村領地を開墾した闕野伊右衛門が創始した神明宮を当地に遷座したもので、その姓をもらい改称した。

闕野神社

拝殿の扁額は今も「神明宮」のままだ。拝殿に参る。
隣の社務所兼自宅で御朱印について尋ねるも授与されていなかった。

闕野神社
金沢市寺町1丁目6-50

加賀金沢 波自加彌神社

波自加彌神社

金沢市に鎮座する波自加彌神社。国内唯一の香辛料の神、波自加彌神と正八幡神を祀る。

波自加彌神社

旧北国街道沿いの二日市の町並み、社名標を右に東へ向かうと本社、まっすぐ北に向かうと里宮がある。

波自加彌神社

細い路地を中へ

波自加彌神社

里宮に参る。隣の社務所兼自宅で御朱印をいただく。

波自加彌神社

その後社名標まで戻り、本社に行く。八幡山の麓、河原市用水に架かる橋を渡る。

波自加彌神社

階段を上がる。最初は東へ向かうが、折れて北に向かう。社殿は南向き。

波自加彌神社

拝殿に参る。雨の降った曇天の元では薄暗い。

波自加彌神社
石川県金沢市花園八幡町ハ165

加賀金沢 田井菅原神社

田井菅原神社

金沢市に鎮座する田井菅原神社。御祭神は菅原道真公。

田井菅原神社

田井郷の十村役であった田邊家の邸内社として祀られたのが最初で、明治以降は田井郷の鎮守として近在の人々に崇拝されてきた。住宅地の中にあるため、社前の道路は狭く、参道も鳥居をくぐり東に進み、左にカーブするように拝殿に至る。

田井菅原神社

手水舎の後ろにご神木があり、

田井菅原神社

その根元に芭蕉の句碑がある。
風流の はじめや奥の 田植頃

田井菅原神社

大国主命を祀る境内社が一社。

田井菅原神社

拝殿は東向き。その後ろに本殿がある。

田井菅原神社

拝殿にはたくさんの奉納額が掛けられている。

御朱印を横の社務所でいただく。数年前に宮司が亡くなり、その奥さんに書いていただいたが、現宮司の息子さんは牛坂八幡宮のほうに住んでいるらしい。今後は御朱印をいただくのが難しくなりそうだ。

田井菅原神社

秋祭りが近かったのか、拝殿には獅子舞の獅子頭が祀られていた。耳が小さく、形状は波自加彌神社に見られる古い形式に似ている。

田井菅原神社
石川県金沢市天神町1丁目3-16

加賀金沢 椿原天満宮

椿原八幡宮

金沢市に鎮座する椿原天満宮。御祭神は菅原道真公。

椿原天満宮

金浦郷の総鎮守産土神であった神社は、小立野台地の麓から台地斜面を利用して建てられている。

椿原天満宮

社殿は北西向き。長い階段を上って拝殿に至る。

椿原天満宮

右の狛犬は逆立ちとまではいかないが後ろ足が浮いている。

椿原天満宮

口に何か付いていると思ったら、蝉の抜け殻が・・何もこんなところで孵化しなくてもと思うが、ツキがありそうだ。

椿原天満宮

拝殿に参る。

椿原天満宮

拝殿の後ろ石垣の上に本殿は鎮座する。当地は神社が遷座する前は一向一揆の砦、椿原山城があった。金沢城にあった尾山御坊の北東の守りの要である。

椿原天満宮

拝殿右に境内社の稲荷社。

椿原天満宮

稲荷社が下ってくると「がっぱの神様」と呼ばれる石塔が立っている。がっぱとは、方言で頭にできた湿疹のことで、がっぱの子の親がここにお参りして全治するとおはぎ餅を供えてお礼参りをしたという。

階段途中の左手に社務所兼自宅があり、そこで御朱印をいただいた。今日は宮司が留守であったので書き置きに日付を入れていただく。

椿原天満宮
石川県金沢市天神町1丁目1−13

山城京都 晴明神社

晴明神社

京都市に鎮座する晴明神社。御祭神は安倍晴明御霊神。

御朱印はすべてスタンプで、晴明社は安政元年土御門晴雄卿の揮毫を版にしたもので、五芒星が押される。日付までスタンプなのは誰でも対応できるようにしているのだろうがどこか味気ない。

晴明神社

一の鳥居には五芒星の扁額、二の鳥居には「晴明神社」の扁額が架かる。社殿は東向き。

晴明神社

境内には平成7年まで使用された一条戻橋が移されている。

晴明神社

境内から100メートルほど離れた現在の一条戻橋。

境内の案内にも橋の案内にも安倍晴明と一条戻橋の関係が触れられていないので調べてみた。
1.安倍晴明は一条戻橋で殺害された父の保名を、呪法を駆使して蘇生させたという。
2.安倍晴明の式神である十二体の人形があまりに醜く恐ろしい顔をして、晴明の妻がおびえるので、用のない時は一条戻橋に置いた石櫃に閉じ込めておいた。高倉天皇の中宮建礼門院の出産の折、二位殿がこの橋で「橋占い」を行い、12人の童子が現れて唄いながら橋を渡り、生まれてくる子の将来を予言した。この12人の童子が晴明の式神たちだったという。

晴明神社

晴明井は当地に安倍晴明の邸宅があったころから常に湧き出しているという。

晴明神社

本殿前には安倍晴明公像、本殿に参る。

晴明神社

本殿前に立つクスノキの御神木、多くの人がその霊威にあやかろうと触れていた。

晴明神社

本殿右に末社斎稲荷社

晴明神社

五芒星は通称で神紋は晴明桔梗といい、境内にもたくさんの桔梗が植えられている。

晴明神社
京都市上京区晴明町806

山城京都 河合神社

河合神社

京都市に鎮座する河合神社。御祭神は玉依姫命。賀茂御祖神社の摂社であり、延喜式の鴨川合坐小社宅神社の比定社で明神大社。

河合神社

弊殿。昼を過ぎると人が多い。

河合神社

本殿に参る。手鏡形の絵馬があり、女性に人気の社である。そのためか対応に忙しく、御朱印は書き置きである。

河合神社

境内に鴨長明の庵が残る。長明は河合神社の祢冝の息子であったが、願いが叶わず大原に隠棲した。そのときの方丈を復元したものである。

河合神社

河合神社の末社の三井社(三塚社)、御祭神は賀茂建角身命、伊賀古夜日売命、玉依媛売命。 延喜式の三井神社の論社のひとつ。

河合神社
京都府京都市左京区下鴨泉川町59

山城一の宮 賀茂御祖神社(下賀茂神社)

賀茂御祖神社

京都市に鎮座する賀茂御祖神社。御祭神は賀茂建角身命、玉依媛命。山城国一宮で延喜式内社の明神大社。

賀茂御祖神社

平成27年に賀茂別雷神社とともに式年遷宮を迎える。

賀茂御祖神社

楼門を入って参る。

賀茂御祖神社

摂社の出雲井於神社、御祭神は建速須佐乃男命。延喜式の論社のひとつ。

賀茂御祖神社

摂社の井上社(御手洗社)、御祭神は瀬織津姫命。当社も延喜式の出雲井於神社の論社のひとつ。

賀茂御祖神社

摂社の三井神社、御祭神は賀茂建角身命、伊賀古夜日賣命、玉依日賣命。延喜式の論社のひとつ。

賀茂御祖神社

末社の愛宕社、御祭神は火産靈神。延喜式の末刀神社の論社のひとつ。愛宕社は稲荷社との相殿となっている。

もう一社、片山御子神社、御祭神は玉依比売命。延喜式の比定社であるが、参拝を忘れた。

賀茂御祖神社
京都府京都市左京区下鴨泉川町59

山城一の宮 賀茂別雷神社(上賀茂神社)

賀茂別雷神社

京都市に鎮座する賀茂別雷神社。御祭神は賀茂別雷大神。山城国一宮で延喜式内社の明神大社。

賀茂別雷神社

平成27年に第42回式年遷宮が開催される。

賀茂別雷神社

建物も多い。摂末社は24社、そのうち15社が境内にある。

賀茂別雷神社

楼門をくぐるとその先に本殿がある。有料で特別拝観できる。

賀茂別雷神社

摂社の賀茂山口神社。御祭神は御歳神。延喜式の論社のひとつ。手前に仮宮がある。式年遷宮のときに神を遷座する専用領域がある境内社がいくつかあった。

賀茂別雷神社

摂社の須波神社。御祭神は阿須波神、波比祇神、生井神、福井神、綱長井神の坐摩神五柱。延喜式の論社のひとつ。

賀茂別雷神社

末社の山森神社。御祭神は素戔嗚神、奇稻田姫神、田心姫神。延喜式の鴨岡太神社、賀茂山口神社の論社のひとつ。

もう一社、土師尾神社(御祭神は建玉依比古命)、延喜式の賀茂波爾神社、小野神社の論社のひとつ。本殿近くに中門の内側に鎮座するため一般の参拝は難しい。

賀茂別雷神社
京都府京都市北区上賀茂本山339