津市に鎮座する比佐豆知神社。御祭神は火之迦具土神。延喜式安濃郡の論社のひとつ。
境内には三重県神社庁がある。
南向きの社殿
鳥居脇に龍神灯籠、江戸時代中期の御影石製で福山藩阿部家の江戸屋敷に置かれていたものを渡辺龍神氏が譲り受けたものを寄進した。後ろの槇の木は樹齢三百年以上で海老屋商店の屋敷に植えられていたものを寄贈された。
拝殿に参る。今日は人が誰もおらず御朱印をいただけなかった。
拝殿の右、東側に境内社が集まる。祖先(みおや)の社
境内社稲荷神社、御祭神は茶臼稲荷大神、伏見稲荷大神を相殿に祀る。元は隣接する茶麿山上にあった。
山神の碑がたくさん。周辺の山神が集められている。
白龍大明神
フェンス際には庚申塚や石仏などが並べられていた。都市開発により境内に遷されたものが多いようだ。
比佐豆知神社
三重県津市鳥居町210−1
鈴鹿市に鎮座する都波岐奈加等神社。都波岐神社と奈加等神社の合祀殿となっていて、通称都波岐奈加等神社と称する。延喜式河曲郡の都波岐神社、鈴鹿郡の椿大神社、河曲郡の奈加等神社の論社であり、伊勢国一宮。御祭神は猿田彦大神、中筒之男命、天椹野命。
県道506号線沿いに灯籠が両側に立ち、北へ参道が延びる。
社殿は南向き。現在の境内は広くはない。
都波岐神社と奈加等神社の社名標が別々に立つ。
拝殿に参る。
拝殿前の鳥居横に大木がある。
本殿の左右に境内末社。左が小川神社、右が神明春日社。小川神社は延喜式河曲郡の論社のひとつ。
境内の授与所で御朱印をいただく。都波岐神社単独と通称の都波岐奈加等神社の2パターンがあるが、比較的大きめの自分の御朱印帳では墨書きの最後が詰まる。宮司が留守の場合も多いということで、予約して御朱印をいただきに伺った。
三重県鈴鹿市一ノ宮町1181
鈴鹿市に鎮座する加佐登神社。御祭神は日本武尊を主祭神とする。
社前の駐車場に停める。
本殿の北に白鳥塚があり、古くから日本武尊の御陵と伝えられ、死の間際まで持っていた笠と杖を塚のそばに祀ったのが創始という。
入口に高宮資料館があり、付近で発掘された考古資料などを展示する。
長い階段を上る。
階段の途中、右手に熊野大神社跡の石碑が立つ。すぐ脇に杉の御神木がある。
当社は延喜式鈴鹿郡の倭文神社(御祭神は天羽槌雄命)の論社のひとつで、加佐登神社に合祀された。
階段を上り終えると、広い平地に境内が広がる。社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿内には「日本武尊」の扁額がかかる。
境内の日陰では神鶏が二羽遊び回っていた。平和な雰囲気が広がっている。
拝殿右に境内末社、稲荷神社の朱色の鳥居が複数建つ。
境内社に入ると、中央に稲荷神社、右に日代神社、金刀比羅神社、左に多度神社、内内神社の五社の合祀社であった。
拝殿と末社の間に日本武尊像、本殿の屋根は檜皮葺。
本殿の脇を北から西に回り込むと史跡白鳥塚古墳。
日本武尊の埋葬地と伝わるが、宮内庁は能褒野墓のほうを比定しているので、こちらは三重県指定史蹟となっているのみである。
加佐登神社
三重県鈴鹿市加佐登町2012
亀山市に鎮座する能褒野神社。御祭神は日本武尊(倭健命)。明治の神社整理により、川崎村にあった県主神社(御祭神は建見児玉)、志婆加支神社(御祭神は大八洲の霊)を合祀し、ともに延喜式鈴鹿郡の論社のひとつ。
境内一帯はのぼのの森公園として整備されている。
当地は日本武尊が東征の帰路薨去した地と伝えられる。
参道を進むと右に折れ、鳥居の先に拝殿が見えてくる。
拝殿に参る。
拝殿の右に那久志理神社、御祭神は長白羽神、瀬織津姫命。もとは当地の東方に鎮座していた。
明治の神社整理により、能褒野神社に合祀。鳥居をくぐって進むと山神と
水神の碑があるのみであった。
拝殿右に社務所があるが留守であった。玄関に御朱印の書き置きが置いてあったのでいただいてきた。
神社の南方に日本武尊の能褒野墓があり宮内庁管理となっている。
能褒野神社
三重県亀山市田村町1409
鈴鹿市に鎮座する県主神社。椿大神社の境内摂社で、延喜式鈴鹿郡の論社のひとつ。御祭神は倭建命、建貝児命。
縣大明神と称し、川崎村の鎮守社であったが、明治の神社整理で能褒野神社に配祀され、平成10年に椿護国神社の南隣に遷座した。
本殿のみの小社。本殿に参る。
右隣に椿護国神社
県主神社
三重県鈴鹿市山本町1871
鈴鹿市に鎮座する椿岸神社。椿大神社の別宮で延喜式三重郡の論社のひとつ。御祭神は天之鈿女命を主祭神とし、太玉命、天之児屋根命を配祀する。
参道を進むと分かれ道、左に椿大神社、右に椿岸神社。鳥居横に「延喜式内 椿岸神社」の社名標が立つ。
拝殿に参る。元は椿大神社の御旅所で、東北1Kmの山本村字本堂にあったという。
神招福臼(かみおぎのふくうす)、福杵で三度ついてお祈りする。
拝殿の右にかなえ滝と
扇塚。芸道の神として芸事や習事の道具を慰霊する場所。
御朱印は椿大神社の社務所でいただいた。
椿岸神社のある椿大神社の東側境内を行く。茶室鈴松庵、松下幸之助翁の寄進。
末社松下幸之助社。松下幸之助翁は幾度と参拝され椿大神社を崇拝したという。
行満堂神霊殿、椿大神社の前座とされ、猿田彦大神の神裔である行満大明神や寿老神を祀る。神仏習合時は神主山本家の祖先神を祀る修験の拠点だったと思われる。
教育勅語碑
天然記念物の亀甲石
境内社の椿立雲龍神社
延命地蔵堂、平安後期と言われる延命地蔵尊が祀られ、首から上の病気平癒の信仰を集めた。
椿岸神社
三重県鈴鹿市山本町1871
鈴鹿市に鎮座する椿大神社。延喜式鈴鹿郡椿大神社の論社のひとつで、他に石神社を合祀し論社のひとつとなっている。伊勢国の一宮。御祭神は猿田彦大神を主祭神とし、瓊々杵尊、栲幡千々姫命を相殿に祀る。
高速伊勢道の鈴鹿ICから神社へ向かうと朱色の大鳥居が立っている。鳥居の背後には神体山の高山入道ヶ嶽、国見岳、短山椿ヶ嶽。
境内入り口には「伊勢一之宮 椿大神社」の社名標と、鳥居横に「伊勢国一之宮 椿大神社地祇猿田彦大本宮」と社名碑が立っている。
鳥居を入ってすぐに境内社の庚龍神社、御祭神は金龍龍神、白龍龍神、黒龍龍神。樹齢四百年のモミの木の守り神。
深い森に囲まれた参道を進む。
参道を進むと左手に御船磐座。中央三個の石を天降石と称し、御祭神猿田彦大神、皇孫瓊々杵尊、栲幡千々姫命の神座とする。
右手に恵比寿と大黒の石像
左手に高山土公神陵、御祭神猿田彦大神の御神陵という。
拝殿に参る。隣の社務所で御朱印をいただく。
御輿庫
椿大神社
三重県鈴鹿市山本町1871
39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録