「R6能登半島地震の城郭被害状況」カテゴリーアーカイブ

舟岡山城 能登半島地震の被害状況

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
昨日、白山市の舟岡山城へ地震の影響がないか確認に行ってきました。白山青年の家の駐車場を利用しました。前日の日曜日からの暖かさに桜は満開になっていました。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
青年の家建物の裏手に舟岡山遊歩道の入口(北口)があります。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
一番気になっていたのは主郭の南西隅石垣です。ここには今も隅石が残っています。
この写真は前回訪問した2020年6月のものです。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
そしてこれが今回の写真です。ほぼ同じ状況です。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
別角度からの2020年6月の写真です。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
そして今回の写真です。若干撮影角度がずれているものの、一番上の隅石は動いた感じがしますが、大きくは動いておらず崩れていなかったので良かったです。

他の場所も確認しましたが、小石が落ちたような形跡のある場所はあるものの大きな被害がでている場所はありませんでした。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
前回は下草が伸びた6月だったので石垣が見にくい場所が多かったですが、今は下草が冬の間に枯れた状況であったので前回は気が付かなかった場所の石垣もよく見えました。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
主郭は土塁の内側にも石垣が残っています。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況

舟岡山城 能登半島地震の被害状況

舟岡山城 能登半島地震の被害状況

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
舟岡山城は杉木の植林地なので下草はシダ類が多く成長も早いので4月中なら石垣は見やすいのでお薦めです。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
石垣と同様、堀も下草がないほうが大きさを感じられます。

舟岡山城 能登半島地震の被害状況

舟岡山城 能登半島地震の被害状況
舟岡山城は地震被害はないので十分楽しめます。

小丸山城 能登半島地震の被害状況

小丸山城 能登半島地震の被害状況
小丸山城址公園の桜は今年もきれいに咲きました。昨日花嫁のれん館に行った時に小丸山城の被害状況を確認してきました。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
NHK大河ドラマ放映を記念した利家とまつの銅像は無事です。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
入口の小丸山城址公園碑は土台の石が崩落していました。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
公園碑裏の光徳寺墓地には倒壊した墓碑が見られる状況です。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
周辺がこういう状況でもあり、今年のさくら祭りは中止になりました。しかし、花見の名所として近所では知られた場所であったので昨日も花見にやってくる人はいました。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
第一公園(本丸)が立ち入り禁止になっていたので、まずは第2公園(二の丸)を見に行きました。歩道の一部が少し陥没していました。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
本丸と二の丸の間の堀切を渡る朝陽橋は本丸の立ち入り禁止に伴って進入できないのかと思いましたが、

小丸山城 能登半島地震の被害状況
横にまわって見ると橋と階段部分の接続部が切れて段差ができています。後で本丸側を確認しましたが、切れているのは二の丸側だけのようです。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
本丸の状況を確認しようと階段を上ると、たどり着いた場所が地割れしていました。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
地割れにより地面が斜面側に動いたようで雨溝もずれています。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
小丸山城の案内板は倒壊しています。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
この本丸南西隅が一番地割れの被害が大きいようでした。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
前田利家小丸山城址碑は無事でした。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
南西隅の櫓台には地割れが入り、右の歌碑が倒れていました。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
南東隅の櫓台の日像上人像は無事ですが、前の灯籠は倒壊してます。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
土台の南側と背後に地割れがありました。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
本丸の東側にも断続的に地割れが続いていて、斜面に擁壁のある方角の土地の端部分に地割れができているようでした。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
本丸北側の展望台の東側にも地割れがあります。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
展望台から見える市街地はブルーシートが目立ち、被害の大きさに心が痛みます。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
長谷川等伯出生地碑の説明碑が倒壊していました。

小丸山城 能登半島地震の被害状況
第一公園(本丸)と同じく立ち入り禁止になっている展望台下の通路に入ると、北側擁壁に亀裂が入っていました。分かりにくい場所ですが、展望台の左端から下の突き出した土台部分右端に向けてまっすぐに。展望台東側の亀裂を考慮すると擁壁が少し前倒れしているようです。

公園を散策する直近の危険性は小さいですが、地震の影響は少なくない状況です。

鳥越城 能登半島地震の被害状況

今月2日に鳥越城の状況を確認してきました。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
山頂駐車場に続く車道は平成4年8月の豪雨災害の土砂災害復旧が完了していないのでずっと通行止めが続いています。徒歩登城道で城跡に向かいました。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
本丸南東隅の状況です。最初イノシシにやられたのかと思いましたが、穴を掘ったというより芝の植栽が根元からひっくり返っているという状況でした。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
桝形門石垣が崩れたのは情報を得ていましたが、東側半分ほど崩れています。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
これ以上崩れないようにブルーシートが被せてありますが、裏込めの小石もかなり崩れてきているようです。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
本丸東側斜面が南東隅と同じく大規模に崩れています。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
本丸門東側の望楼台跡には亀裂が入っていました。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
本丸と後二の丸の間の堀切の斜面も崩れています。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
中の丸のベンチの足が片方折れています。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
二の丸の北側斜面が崩れています。二の丸と三の丸の間の堀切や三の丸など整備されていないところには被害は見られませんでした。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
中の丸門

鳥越城 能登半島地震の被害状況
中の丸門西側。はめた板が下にずれていました。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
中の丸門東側。板が外れていました。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
腰曲輪から中の丸門への坂斜面が崩れていました。整備で入れられたものかはわかりませんが、土が流れないように積まれた石が露出していました。ここに石が入っているのは初めて知りました。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
中の丸南側斜面が崩れています。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
中の丸南西隅も崩れています。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
西の丸西側斜面は先の豪雨災害で崩れた場所ですが、両脇斜面が崩れていました。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
後三の丸東側の慰霊碑右手が崩れていました。ここはカタクリの繁殖地だった面で壊滅状態です。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
後三の丸西側斜面も崩れています。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
登城道の出入口のある後三の丸の北西隅も崩れています。

石垣の崩れが被害としてはわかりやすいですが、石垣の修復よりも整備された各曲輪斜面の植栽と地山の間に水が入って地震により剥がれた場所が多く、この再整備に時間がかかりそうな感じでした。平成4年8月の豪雨災害から草刈りなど人手が入らなくなったため草が延びていたのが原因であるのか、単なる時間経過による老朽化なのかはわかりませんが、崩れた斜面の中にはカタクリの繁殖地もあったため再整備より除去されることを考えると非常に残念です。

鳥越城 能登半島地震の被害状況
今年は桜もカタクリも昨年より遅い開花ですが、確実に春はやってきていました。

七尾城 能登半島地震の被害状況

先週13日に七尾城の被害状況を見てきました。H19能登半島地震でも石垣崩落がありましたが、今回はそれ以上に広範囲に被害が出ていました。復旧には長期間かかると思われます。絶景を眺められる七尾城の象徴ともいうべき本丸には亀裂が入りましたので、さらに長く立ち入り禁止になるものと思います。

詳細な被災状況が入手できなかった中で石川考古学研究会のホームページで石川県内の文化財の被害状況報告があり、中に七尾城のものがあります。現在も七尾城は立ち入り禁止が続いていますので被害概要はそちらを参照してください。

石川考古学研究会のブログ
http://ishikouken.blog.fc2.com/

旧大手道を上り一般公開している中心曲輪群と長屋敷、西の丸下段曲輪群を確認してきました。長屋敷と西の丸下段曲輪群には特に被害はありませんでした。石垣は崩れていない場所でも孕みや変形がありそうです。

七尾城

大手道沿いの番所。曲輪の土塁(左手)に埋まっていた石が道上に落下していた。

七尾城

大手道から調度丸に至る道の途中、とよの水。斜面の石垣や埋まっていた石が道上に落下していた。

七尾城

調度丸西虎口と桜馬場北面石垣の3箇所にブルーシートがかけられている。

七尾城

調度丸西虎口石垣が崩落している。

七尾城

崩れた石が階段のずっと下まで転がってきている。

七尾城

桜馬場北面石垣(東側)の最下段

七尾城

桜馬場北面石垣(西側)でも石が落下していた。

七尾城

遊佐屋敷の石垣も一部崩れていた。

七尾城

本丸外桝形虎口。石垣崩壊と亀裂

七尾城

外桝形虎口の曲輪内から西側石垣にかけて亀裂が入っている。

七尾城

外桝形虎口の東側石垣(南側)が崩れていた。。

七尾城

外桝形虎口の東側石垣(北側)は一部崩落。

七尾城

本丸の城山神社。鳥居損壊。

七尾城

本丸北面石垣の展望台あたりに東西に亀裂が入っている。

七尾城

二の丸南面石垣(温井屋敷北側)

七尾城

上段石垣崩落

七尾城

下段石垣崩落

七尾城

九尺石落石。斜面の土留め施設も上部が壊れていた。

七尾城

三の丸北側通路に倒木があり、手摺りが壊れていた。

七尾城

安寧寺郭の墓碑や慰霊碑

七尾城

慰霊碑の銘板が転倒していた。

七尾城

墓碑は玉垣内の燈籠が倒壊していた。

山麓の七尾城に関連する施設の被害もありました。

七尾城

七尾城史資料館に隣接する懐古館(旧飯田家)の土蔵の壁が破損していました。

七尾城

もう1棟の土蔵の壁にもヒビが確認できました。

七尾城

旧大手道にあるイベント拠点であった「大手道七尾城彩賑わい交流館シローラボ」の建物も棟瓦がずれていました。

金沢城の現在

元日の能登半島地震により遠く離れた金沢城でも被害が発生しました。1月25日に訪城した時の写真を掲載します。

尚、石垣被害場所の詳細な報告が金沢城調査研究所によりまとめられています。2月8日現在、崩れが5箇所、変形(孕み増大、傾斜、落石)が22箇所となっている。
令和6年能登半島地震に伴う史跡金沢城跡の石垣被災について

金沢城

いもり堀沿いの本丸石垣。ここは明治以降に崩れ軍隊が積み直して辰巳櫓台は三段になっている。

金沢城

崩れたのは軍隊が積み直すときに階段を増設した場所の上部。目立つ場所でもあるので地震後のニュースでも真っ先に報道された場所です。

金沢城

兼六園側から石川門方角に被害は見られないが、土橋石垣は反対側が崩れていたらしい。

金沢城

現在入城できるのは通常開園部分では本丸と東の丸、玉泉院丸を除く部分。復元建造物の菱櫓、五十間長屋、河北門は入れる。

金沢城

鶴の丸休憩館までは行けるがその先には進めない。

金沢城

近づけないが東の丸附段にある国指定重要文化財の土蔵鶴丸倉庫も被害を受けている。壁面の石板が何カ所も崩落したということでその一部は遠目からでも見える。今回の地震では古い木造家屋の倒壊が多かったが、遠く離れた加賀地方でも土蔵の土壁が崩れたものが多かった。

金沢城

新丸から河北門への上り坂の東側の石垣の孕みが大きくなりかなり飛び出ている石が見られた。この場所は研究所の一覧には載っていない場所である。変わりがないのか見落とされているのかわからない。

金沢城

玉泉院丸南西部の石垣は崩れてシートが掛けられている。

金沢城

さらに玉泉院丸南側の石垣の一部も崩れ、直下に落石が散らばっている。

金沢城は来年度から二の丸御殿の第1期工事が始まる予定だったのだが、どうもそれどころではなくなってしまった。二の丸を支える石垣に被害は見られないため建設自体に問題はないであろうが、研究所の方々が石垣修復に手を取られるとするならば難しいのかもしれない。生きている間に二の丸御殿の完成を見届けられない可能性が高くなったというのは残念だけど。